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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第192回掲載

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)、『書物の時間 書店店長の想いと行動 特定非営利活動法人共同保存図書館・多摩 第25回多摩デポ講座(2016・2・27)より (多摩デポブックレット)』(共同保存図書館・多摩)


○第192回(2018/9)

 「GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)」が世界を支配しているのは、彼らが膨大な「個人情報」を掌握しているためである。そのことへの対抗策として、EUが「GDPR」を制定したことを、前回見た。

 それでも、「GAFA」の強大な力を前に、そして日々データを収集される日常に既にぼくたちが(自ら進んで)取り込まれていることを思うと、大きな無力感を抱いてしまうのも事実だ。ぼくたちは、この「すばらしい新世界」(ハクスリー)から、脱出することなど出来るのだろうか?

 「GAFA」の最大の武器は、ネット販売で買ったもの、調べたもの、検索した情報によってプロファイリングされたわれわれ一人ひとりの「アイデンティティ」である。それによってなされる個々人への広告の有効性こそが、莫大な利益の源泉なのだ。時にはその「アイデンティティ」そのものを国や諜報機関に売ることも自身の存在を盤石なものにしているのかもしれない。

 ならば、その「アイデンティティ」の「真実性」「確からしさ」そのものを揺るがし、「アイデンティティ」そのものを無効化することこそ、最大の反抗ではないか?つまり、自分が「何者か?」を容易に判断できないように行動すること。プロファイリングの稼動そのものを不可能にしてしまうこと。

 そんなことが出来るのだろうか?

 そうした行動を、生業とする人たちがいる。役者である。舞台やスクリーンの上で彼らは様々な人間を生き、それぞれの人格に基づいて行動する。

 それは、演技しているだけではないか? 舞台やスクリーンを離れたとき、その役者の「真のアイデンティティ」があるのではないか?

 確かに、個々の役者に統一感のある自己意識は存在するだろう。だが、彼らが演技するとき、彼らは嘘をついているのではない、役に「なりすましている」のではない。彼らは、彼らの自己意識を維持しながら、役の状況を引き受けているのである。役の状況を完全に引き受けることのできる役者が、名優なのである。少なくとも観るわれわれにとって、彼らが演じる役以外に、ヘンリー・フォンダや大杉漣(※)が存在するだろうか?

 そして、誰にとっても「アイデンティティ」とは、自己意識ではなく、引き受けている状況なのである。日常生活の中で演じる役割こそ、個々の「アイデンティティ」と呼ばれるものなのだ。

 だが、役割から離れた「個性」というものが存在するのではないか? われわれは、われわれ自身無自覚なその「個性」を、無意識をもプロファイルされているのではないか?

 「個人情報」として収集され、プロファイルされるのは、個人をめぐる状況である。その「アイデンティティ」に固執することが、被支配に繋がっている。

 もっと言えば、選び取ったさまざまな役割とその状況を捨象したあとの「個性」というものは、無い。東洋思想的、禅的と言われるかもしれないが、生まれたときのことを考えればよい。すべての状況を捨象した「個性」とは、「無」のことなのである。

 では、人間とは状況によってすべてが規定される存在なのか? 畢竟、「状況の奴隷」なのか? 「自由意志」は幻想か?

 “リア王は愛する娘に欺かれる老父の悲哀と憎しみを、マクベスは野心家の不安と恐怖を、ハムレットは志を得ざる王子の憤りと狂気を演じたかったまでである”。

 福田恆存は、『人間・この劇的なるもの』で、シェイクスピア劇を論じながら、このように言っている。人間には自らが演じる役割を選択する欲求がある。彼が論じる悲劇においてさえ、否悲劇においてこそ、主人公は破滅へと向かう自らの役割を選択する。偶然による必然に、自由意志によって身を委ねる。だからこそ、人々は悲劇を好んで鑑賞し、主人公に感情移入し、喝采を送るのだ。

 “私たちは、自分の生が必然のうちにあることを欲している。自分の必然性にそって行きたいと欲し、その鉱脈を掘りあてたいと願っている。劇的に生きたいというのは、自分の生涯を、あるいは、その一定の期間を、一個の芸術作品に仕たてあげたいということにほかならぬ。この欲望がなければ、芸術などというものは存在しなかったであろう。役者ばかりではない。人間存在そのものが、すでに二重性をもっているのだ。人間はただ生きることを欲しているのではない。生の豊かさを欲しているのでもない。ひとは生きる。同時に、それを味わうこと、それを欲している。”

 必然と自由の二重性は、演劇の本質である。それは、そこで演じられる役にとってそうであるだけでなく、演劇というものを成立させる役者や観客の本質でもある。その二重性は、演劇における時間の二重性=「過去」や「未来」が「現在」に収斂することを結果する。

 “劇においては、つねに現在が躍動しながら、時間の進行にともない、過去と未来とを同時に明していく。現在のうちにすべてがある。いま起こりつつあるもののうちに、すでに行こったものと、これから起こるであろうものとが。この二重性が時間の法則である”。

 このことが可能になるために、役者にはある種アクロバティックな「演戯」が要請される。

 “役者は劇の幕切まで自分のものにしていながら、その過程の瞬間瞬間においては、そのつど未知の世界に面していなければならぬ”。

 役者は、劇の幕切れを予め知っている。そこに至るまでの自分の台詞、相手役の台詞もすべて頭に入っていなければ、演戯はできない。だが、舞台の上では、台詞を含めた出来事がすべて初めて出会ったもの、未知のものでなければならない。同じ劇を何度も観て、何度も感動する観客もまた、その点では役者と同様である。

 この役者の本質を、シェイクスピア劇では役そのものが体現している。その典型が、ハムレットである。ハムレットは、自らの運命を予知している。あるいは舞台上の物語が始まる前に、その運命は定められている。彼は、未来において得る筈だった王位を簒奪された「王子」なのである。それでも、彼はそのことに絶望して厭世的になったり、自殺したりはしない。他の登場人物と、多くの場合諧謔的に交わり、時には狂人のように振る舞う。彼は、「王位を簒奪された王子」という役を、主体的に演じようとしているのだ。まさに、役者である。福田が、シェイクスピア劇を「演劇の演劇」と呼ぶ所以である。

 例外は、有名ないくつもの独白のシーンだ。ハムレットが独りになったとき、かれはその諧謔性をかなぐり捨てる。極めて自省的となり、時に自己否定的・自己攻撃的であり、自己破壊的でさえある。舞台の上には、それを見る「観客」がいないからだ。それも、役者の本性である。多様な役をこなす役者の仕事とは、自己のアイデンティティを破壊し続けることだからである。

 多様で時に真逆である人物を演じる役者、多様な状況(役割)を引き受け続けながら、自己のアイデンティティを破壊し続ける役者のプロファイリングが、可能だろうか? コンピュータが、AIが論理的で緻密に計算しようとすればするほど、その結果は「解無し」か、「続行不能」に陥るのではないか?

 膨大な個人情報を一部企業に独占されたディストピアから脱出、或いはむしろその状況を生き抜くための手段が、「役者であること」と思う所以である。

 だが、皆が役者であるわけではない。役者とは特異な才能をもった、一握りの人間に過ぎないのではないか? その生き方を、他の殆どの人に提案、要求するのは無理ではないか?

 そうは思わない。なぜなら、同じ芝居を繰り返し観に行く観客がそうであったように、誰しも役者的な生き方をしている。敢えて言えば、人間は役者的にしか生きられない。何故なら、人間はいずれ死を迎え、そしてそのことを知っているからだ。死という終幕を予め知っていながら、なお「いま」を生き続けることができるのは、人間が本質的に「役者である」からではないか。

 このことは、AI(人工知能)と人間の決定的な違いである。羽生善治は、AIには「時間の概念がない」と言った。それは、AIには、死が、少なくとも死の自覚が無いからではないか、とぼくは書いた。死を自覚しない存在には、時間のを概念を持つことは出来ないのではないか、と(本コラム第175回)。

 人間は、死を自覚し、時間の観念、すなわち過去―現在―未来を持つからこそ、逆に過去と未来を現在に収斂させて生きていくのだ。終幕までの出来事と台詞をすべて知り尽くしている役者のように。

 『どうせ死ぬのになぜ生きるのか―晴れやかな日々を送るための仏教心理学講義』(名越 康文著 PHP新書 2014年)がよく売れたのは、実に卓越したタイトルによると思う。それは、万人が抱かざるを得ない問いだからだ。そして、その問いの答は、人間が「役者的」であるから、だと思う。

 だから福田恆存は、『人間、この劇的なるもの』と言い切ったのである。

  (※)ジョン・ウエインや高倉健は、役者のイメージが役のキャラクターに勝ってしまい、演じる役がある範囲に限られる。ここでは、ヒーローから悪役まで幅広い役を演じた二人を選んだ。

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第191回掲載

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)、『書物の時間 書店店長の想いと行動 特定非営利活動法人共同保存図書館・多摩 第25回多摩デポ講座(2016・2・27)より (多摩デポブックレット)』(共同保存図書館・多摩)


○第191回(2018/8)

 『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』(S・ギャロウェイ 東洋経済新報社)がよく売れている。

 「GAFA」は、現代のIT業界の巨人、 Google(グーグル)、Apple(アップル)、Facebook(フェイスブック)、 Amazon(アマゾン)の頭文字である。「四騎士」と呼ばれるそれらの企業は、今や全世界の情報・経済を牛耳っているといって過言ではない。

 この4つの巨人が巨人たる所以、世界を支配する力の根源を、ギャロウェイは2つの要因で説明する。第一が、「私たちの本能に訴える力」である。

 「アマゾンが訴えかけるのは、より多くのものをできるだけ楽に集めようとする我々の狩猟本能」であり、グーグルは、そのこととも深く関連を持つ「知」「情報」を求める本能に訴えかける。

 “グーグルが脳の代わりだとすれば、アマゾンは脳と、ものをつかむ指ーより多くのものを手に入れようとする狩猟・採集者としての本能ーとをつなぐものだ”。

 “それに対して、フェイスブックは心に訴えかける。フェイスブックはあなたと友人や家族とを結びつけるのだ。…グーグルと違って、フェイスブックで重要なのは感情だ。人間は社会的な生き物である。1人では生きられない”。

 一方、アップルが訴えるのは、「生殖本能」であるという。

 “アップルは生殖本能にアピールすることで、他者と比べて法外な利益を得て、史上最高に利益率の高い企業となった。”

 どういうことか?

 1980年代、アップルは傾きかけた。インテルのチップを内蔵しマイクロソフト・ウィンドウズで走るマシンのほうが、処理速度が速く価格も安かったからだ。ジョブズは、価格面で前を走るライバルを追いかけ追い越そうとはしなかった。むしろ彼は、アップルの製品をより価格の張る贅沢なものとして売り出した。

 「より多くのものをできるだけ楽に集めようとする」本能の傍らにある、より贅沢なものを持ちたいという本能に訴えたのだ。人が贅沢品を手に入れたがるのは、「そこから生じる欲望と羨望のなせるわざだ。力を持つ者のほうが、住居、温もり、食物、そしてセックスの相手を手に入れやすい」。

 贅沢品を売るためには、贅沢な場所が必要だ。ジョブズは、「明るい照明のもと、店員を呼ぶと若く熱心で“才能あふれる販売員が飛んでくる」「きらびやかな神殿」としてアップルストアを展開した。

 “アップルの成功の決め手となったのは、iPhoneではなくアップルストアなのだ”。

 四騎士のうち、アップルだけは、その性格を異にする。アップルストアの存在感、売上へのその貢献度を考えると、インターネットへの依存度は、他の三騎士に比べると低い。また、「無料」や「安価」を売りにすることもない。その意味では、既存の企業は、アップルの成功体験こそ、参照すべきだとも言える。消費者のアクセス数や安売り戦略では、三騎士に太刀打ちできるものは、最早いないからだ。消費者を迎え入れる心地よい空間、アップル商品の所持者であり利用者であることによる自負、同じ思考を持つ人たちとの共感、アップルは強固なコミュニティを創設したことによって成功したとも言えるのだ。それは、商業というものの、長きに渡る王道と言っていい。

 もう一つの力の根源は、「シンプルで明確なストーリー」である。それによって、四騎士は、巨額の資本を集めることが出来ている。

 アマゾンが、設立当初赤字の連続であったにもかかわらず資本を集めてさまざまなイノヴェーションを試行することが出来、それらが後の成功の礎となったことは、よく知られている。

 その推進力となったのは、「あなたに必要なものを、速く、安価に提供する」というシンプルな広告であり、それを語るジェフ・ベゾスの「ストーリーテリングの巧みさ」である。

 グーグルの「地球上の情報を整理する」というシンプルで説得力のあるビジョンは、多くの投資家の資金をグーグルの株に交換させた。

 フェイスブックのビジョンは、「生きるとはシェアすること」という若い世代の信念のもと、「世界をつなぐ」ことである。

 スティーブ・ジョブスのプレゼンテーションが明確なビジョンとストーリーテリングの巧みさにおいて特に抜きん出ていたことは、誰しもが知るところだ。

 四騎士は、「シンプルで明確なストーリー」を巧みに語ることによって、世界中の人々の本能をターゲットとし、見事にそれを釣り上げたのである。

 「本能」とは、人間の概ね無自覚的な本質である。人々は商品を買いながら、情報を検索しながら、友人に発信しながら、知らず知らずのうちに、自分がどのような人間かということを、四騎士に知らしめている。その個人情報の集積こそが、さまざまな「恩恵」を一見「タダで」提供する四騎士の、この上なく価値のある資産である。実際、その資産は、莫大な金額の収入を生み出しているのだ。

 GAFAの絶大な支配力を知るにつれて、人々はそのことに気づいた。だが、時すでに遅し。我々は既に、膨大な個人情報をGAFAに提供し、「丸裸」にされてしまっている。そして、そうと分かっても、買い物、検索、情報発信、あらゆる日常行為においてGAFAを空気のように利用している我々は、自らの個人情報の提供を打ち止めにすることは出来なくなってしまっている。

 ことここに至って、このスパイラルを止めることが出来るのは、GAFAよりも強い権力である。果たして、EUがとうとう「強権」発動に出た。それが、GDPRである。

 4月の終わりに元ワイヤード編集長の若林恵さんが、岩波書店の編集者渡部朝香さんと共に難波店を訪れてくださった。渡部さん編集による若林さんの新著『さよなら、未来』をとても面白く、共感しながら読んでいたぼくは、若林さんと話が弾み、大いに意気投合した。

 その後、若林さんが推薦し序文も書いている『さよなら、インターネット』(武邑光裕著 ダイヤモンド社)を、たいへん興味深く読んだ。その本のテーマが、GDPRだった。

 “EU(欧州連合)が立法化したGDPR(一般データ保護規則;General Data Protection Regulation) は、個人のプライバシーに基づく「データ保護」を世界に先がけて厳格化した規則である”。

 “数年に及ぶ議論と調整を経て、EU議会は加盟28か国の承認を得たGDPRを2016年5月24日に発効した。巨大な制裁金と行政罰を伴う適用は、2018年5月24日に開始された。これが実質的な「施行日」となる”。

 5億人の市民を抱えるEUが、世界中の人々の個人データを一部巨大IT企業(GAFA)が独占していることを「市民の基本的人権を脅かす狡猾な搾取である」と咎める法律を、策定したのである。

 この状況は、ヨーロッパとアメリカの新たな覇権争いにとどまるものではない。世界全体、人類全体がどのような未来に向かって進んでいくかの決断を迫られているのだ。今や世界中の人々が、GAFAに「個人情報」を提供し、「恩恵」を受けているのだから。

 世界中の「個人」は、自らの個人情報を、喜んで「現代の神」に「奉納」しているのだ。

 否、「提供/奉納」どころではない。知ではなく本能をターゲットにされた我々は、自分が何を欲しているかを、知らず知らずのうちに、他者に決定されていると言えるかもしれない。我々のプライバシーはもはや、他者のものなのだ。

 だから、人々が「現代の神」に差し向ける眼差しは、「畏れ」に満ちたものではない。「満足」、「信頼」に伴われたものである。結果的にスノーデンが告発するような監視世界に生きているとしても、そのことは簡単には揺るがない。

 “長い間音信不通だった友人を見つけることができ、誕生日にはメッセージを交換できる。あなたに関連する製品やサービスを常に推奨してくれることを、何より快適なネット生活としてうけいれているかもしれない。そうした利便性より、「ビッグ・ブラザーの監視社会」と感じる人は実のところどれだけいるのか?”

  “遺伝子情報の提供こそは、早死を防ぎ、将来の高額医療を回避するための最重要なアクションだと遺伝子データ企業はわたしたちに迫る。プライバシーなどとるに足らないもので、早期に放棄すべきなのか?”

 だがEUは、IT巨大企業を相手取るとともに、人々の「満足」「信頼」に果敢に挑んだ。そして既に、「グーグル、フェイスブック、アップルなどを相手どり、莫大な制裁金訴訟を展開している」という。その中心になったのが、アメリカ嫌いのフランスではなく、ドイツ、それも旧東ドイツ出身者だというのが興味深い。彼らは、旧東ドイツの監視国家体制下での生活を、今も忘れないでいるのだ。

 IT業界の(ごく一部の企業の)大躍進という直近の四半世紀の潮流と、プライバシーの尊重という、全体国家=監視国家の時代を脱却した(ファシズムの敗退、ソ連の崩壊)近現代の潮流が、いま合流してぶつかり合い、新しい潮目を形成しようとしている。

 GDPRは、インターネットを否定するものではない。インターネット以前への退却ではない。むしろ、それは初期インターネットの思想を、再び取り戻そうとしているのだ、と武邑は言う。

 “EUの個人データ保護政策の集大成となるGDPR(一般データ保護規則)は、バーロウが追い求めた「サイバースペース」といまこそ共振している。”

 それは、IT業界が独占した個人情報の集積を、公共化することを目指しているからである。個人情報を、あくまでも当の個人のものとすることを目指す。

 “ここで、GDPRの根底にある欧州の市民社会や市民憲章が成熟させてきた公的所有やコモンズの理念が立ち現れる。

 過去、巨大な規模の経済を享受し、共通の利益をもたらす公益事業となった鉄道や電力事業のような自然独占は、公的所有に変更された。新しい独占問題の解決策は、デジタル時代においても更新される。それは利益とパワーを追求する代わりに、インターネットとデジタルインフラストラクチャのコントロールを市民社会が取り戻すことを意味する。”

 その時重要なのは、その「市民社会」が、対話のある、真のコミュニティであることであろう。軋轢の面倒さを回避するために、面倒なことを例えば「国家」にゆだねてしまうような「コミュニティ」であるならば、元の木阿弥である。

 武邑は、言う。

 “オーウェルは本を禁止しようとする独裁者を恐れた。ハクスリーは、本を読みたいという人が誰もいなくなり、本を禁止する理由がなくなる社会を恐れた。

 オーウェルはわたしたちの情報を奪う者を恐れ、ハクスリーは、わたしたちに多くの情報を与え、人々が受動的な利己に還元されてしまう世界を恐れた。

 オーウェルは真実がわたしたちに隠されることを恐れていた。ハクスリーは、わたしたちが真実とは無関係な情報の海に溺れてしまうことを恐れていた。

 『1984』が描いたのは、人々は痛みを負いながら制御されている世界だ。『すばらしい新世界』では、彼らは喜びを与えられることによって制御される。

 オーウェルは、わたしたちが恐れるものがわたしたちを台無しにすることを恐怖し、ハクスリーは、わたしたちが望むものがわたしたちを台無しにすると恐れた”。

 「本を読みたいという人が誰もいなくなり、本を禁止する理由がなくなる社会」の到来が近いことを、もちろんぼくたち書店人は看過できない。

 我々は、ハクスリーの「すばらしい新世界」を脱出することが出来るのだろうか?

 その問いを胸に、ぼくは『GAFA』フェアのラインナップに、『さよならインターネット』、『EU一般データ保護規則』(勁草書房)などのGDPR関連の書目を付け加えた。

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「保養活動の7年間を振り返る」
『原発事故後の子ども保養支援』刊行記念インタビュー


話=疋田香澄

(保養中間支援団体「リフレッシュサポート」代表
『原発事故後の子ども保養支援~「避難」と「復興」とともに』著者)


聴き手・構成=田口卓臣

日時=2018年5月13日(日)
場所=東京都内

 

百者百様の証言を受け止めて

田口 刊行前の原稿を拝読したのですが、こういう本はありそうでなかったと感じました。原発事故後の様々な苦悩に直面した人たちから、疋田さんは強烈な問いを投げかけられてきたのだろうと推察しました。この本はそうした言葉を真摯に受け止め、その時々に感じた揺らぎを隠すことなく、どのように異なる立場を尊重できるのかを葛藤を重ねながら問うています。お仕着せではない言葉で綴られているので、保養というテーマを入り口にして、今の日本はどういう社会なのか、この社会にどのように自分は関わっていくのか、読み手である私も自問することになりました。

疋田 ありがとうございます。そう言っていただけて嬉しいです。つたない文章ですが、一生懸命書きました。

田口 何よりも、これは出会いに支えられた本ですね。当事者、支援者、研究者、医者、ジャーナリストなど、実に多くの人たちが出てきて、百者百様というほど多様な証言をしています。これをまとめるのは大変な作業だったのではないでしょうか?

疋田 証言を入れさせていただいた方たちには、一人一人、私の書いた文章で問題ないかをチェックしていただいたので時間がかかりました。確認作業をちょっとやり過ぎたかなという面もありますが、今は良かったと思っています。

田口 具体的にどのように作業を進めたのか教えていただけませんか?

疋田 本を書こうと決めたのが去年の9月でそこから色んな人に声をかけていって、2月頃までインタビューをしていたので、取材期間は半年です。直接インタビューできたのは合計で60人くらい。遠くに住んでる人もいっぱいいるので、Skypeと電話で取材した人も20人くらいいます。それから、私が現場で耳にしてきた発言の中に印象深いものがあって、そういう発言を本で紹介してもいいかどうか本人に確認する作業もありました。保養の相談会や支援者同士の交流会が一か月に一回はどこかで開催されてきたのですが、そういう場でも証言の確認をしたり、短めのインタビューをやり直したりしました。そんなこんなで、120人くらいのコメントが盛り込まれてます。原発事故という大きな出来事に関わることですし、よく話を聞いてみるとみんな意見が違うので、私の視点だけで書くわけには行かなかったんです。

田口 それにしても、ここまでの作業をやり通すのは大変だったろうと思います。

疋田 文章を書くのが得意なわけでも何でもないので、しんどい時期もありました。最初はこういう形にまとまるとは予想もしていませんでしたし、直接インタビューに行くと、「この問題に関しては、この人に話聞かなきゃダメだよ」と皆さんどんどん紹介してくださるので、会った人、会ってない人、証言のチェックをしてもらった人、みたいな感じでエクセルで管理しながら進めていきました。最初は四日市ぜんそくの問題に関わった方とお会いするとは思ってもいなかったです。

田口 インタビュー時間は大体どれくらいを設定されたのでしょうか?

疋田 直接インタビューのときは最低30分。一番長い方は、5時間でした。

田口 執筆中に悩んだ点などがあれば、差し障りのない範囲で教えてください。

疋田 私が当事者のことを語っていいんだろうか、というのが一番悩みました。私の偏った視点で書いてしまっていいのかな、誰かを傷つけてしまうんじゃないかなって、胃がきりきり痛みました。私の友達にも、福島の実家が生産者やってる人がいるので、今もまだ悩んでるところはあります。お子さんが白血病の方のことを紹介しましたが、これほど重い出来事を「書いていいですか」と聞くのは辛かったです。ただ、正直に説明して、「こういう企画でこういうふうに考えてます」と説明しに行くと、みなさん基本的にOKをくださいました。「全然いいよ」みたいな感じだったんで、ちょっと拍子抜けしたほどでした。私という大人が書いたものに子供が赤入れるのって難しいじゃないですか。だから直接会いに行って、一回書いた原稿を見せて、「ここは嫌だ」と指摘してもらおうと思ったんですけど、「そこまで配慮しなくていいよ」という反応ばかりで、気にしすぎだったのかなと。

田口 子供にも確認しに行ったというのはすごいですね。

疋田 部活で忙しくて会えなかった子もいるので、全員じゃないですけど、会いに行ける子は会いに行きました。専門家の方は赤を入れてくださるので気楽なんですけど、子供だけは私との間に上下関係ができてしまうと思ったので…。でも、結果的には杞憂でした。支援者も専門家も当事者もそれぞれ考え方は色々ですけども、私が本を書くということは尊重してくださって、聞き取りにも協力的だったのでありがたかったです。ただ、逆に言うと、あまりに立場が違う人の所には話を聞きに行ってないので、この本にも私の「偏り」はあると思います。保養という活動も一つの立場ですから、中立でなければならないわけじゃないと思って、最後は割り切りました。

田口 話を聞きに行かなかったのは、どういう立場の人たちですか?

疋田 「福島はぜんぶ危ないんだ」一点張りの人たちです。保養の現場には、こういうことを言う人はいないので、そういう環境も私に影響したのかもしれません。色々と誤解があるようなんですが、保養の場を具体的に作り出すのはほんとに大変なんです。「何が何でも危険だ」と言ってるだけの人たちには、こういう作業はやれないと思います。

「保養は差別を生む」キャンペーン

田口 本を書こうと思ったきっかけや動機について教えていただけませんか?

疋田 きっかけは、去年(2017年)9月上旬に、全国紙に「心のケア」として紹介された保養の記事がネットに転載され、大量の中傷メールが来たことです。事実とまったく違う内容が沢山書かれていて、「保養は福島差別だ」と断じていたのでショックでした。後日全国紙の福島県版のみに保養の記事が載った時には中傷はこなかったので、おそらく福島県外の少数の人たちがやったんだろうと思うんですけど、ネットで私の住所をさらされた上に容姿のことまで嘲笑されたので、なおさらショックでした。

私の実感としては、福島現地で批判されることって、まずないんです。たまたまバス停で隣に座ったおばあちゃんとかと話し込んだりしても、別に怒られたりしません。「どっから来たの?」「東京からボランティアで来てます」。そうすると、「なんのボランティア?」って、質問されますよね。「原発事故で外遊びが制限された時から、キャンプの活動してます」と正直に話していくと、「そうだよねえ。小さいお子さんがいるお母さんはやっぱり心配だよねえ。私は気にしなくなっちゃったけどね」くらいの反応が、普通だと思うんです。それで大量メールにショックを受けた後、きちんと問題の本質を議論し直さなければ、と危機感を持つようになりました。

田口 具体的にはどういう危機感を持たれたのでしょうか?

疋田 それまでは支援者にしても当事者にしても、保養を続けることとか、子供を守ることとかで精一杯の状態でした。でも、そういう実践だけではなくて、そもそもなぜ日本では民間で保養しなければならなくなってるのか、なんで保養という選択肢を選ぶことで周囲の眼を気にしなければならないのか、そういった点を一つ一つ解きほぐしていかないとまずいんじゃないかと思ったんです。

田口 それはつまり、保養に対する社会的な認知を高める、ということでしょうか?

疋田 いいえ。自分がやったことが、社会的に認められるか認められないかというのは、とりあえずどうでもいいんです。でも、自分のしていることがやみくもに「差別」につながると言われちゃうと、これはもう身動きが取れなくなりますよね。私は原発事故が起きた時点で、今後「優生思想」みたいなものが強くなったらどうしよう、と心配していたので、現場でも常々その点に気を付けてきたつもりでした。

それで、「保養の支援をしてきたんですけど、それって差別になりますかね?」という感じで、いろんな立場の方たちと膝突き合わせて対話していくうちに、「せっかくだから本にまとめてみようか」という話になりました。

最初は「書く」ということが、ピンと来なかったのも事実です。目の前の人のために動くことが自分の役割かなと思ってましたし、あまりに活動に入り込んじゃっていたので、急に「観察者」になるのも何だか違うような気がしました。でも最終的に、「保養の意義も限界も含めて、きちんと記録しよう」という気持ちが勝ちました。

そもそも私の立場というのはそんなに主張の強いものではなくて、煎じ詰めて言えば、「原発事故後のそれぞれの被災者の選択を大切にしたい」という一点に尽きてるんです。でも、こういうスタンスの活動でさえ叩かれるのだとしたら、なんだかそういう社会って危ないんじゃないかと思いました。

田口 『ポストフクシマの哲学』(明石書店、2015年)のインタビューを読んだのですが、疋田さんはこの時から同じことをおっしゃっていますね。「危険か安全か」という論争に時間を取られるよりも、自分にはすべきことがある、それは不安なのに物を言えなくなっている人たちに支援の手を差し伸べることだ、そして保養という活動は、様々な異なる立場を尊重するための一つの選択肢のつもりだ、と。私はそう受け止めたのですが、いかがでしょうか?

疋田 はい。そのスタンスは、2011年から一緒です。どういうふうにお母さんたちが不安を持ってて、どういうふうに言葉を出せないのか、ずっと考えてきました。例えば、関西では一時期、せっかく保養支援の準備をしても、肝心の福島の人が来ないんだから、「支援の必要はないんじゃないか」みたいな雰囲気になっていたんですが、本当は保養に行きたくても色んな事情で行けない人たちが沢山いるんです。「福島は危険だ」とか、「早く逃げ出すべきだ」とか、外から大声で言ってもほとんど意味がありません。どうやって百者百様の違いを認め合いながら一人一人の声に対応して行けるか、そうやって少しでも子供の追加被曝を減らすにはどうすればいいのかを追求してきたつもりです。

保養の意義について

田口 原稿を書き終えた今、改めて保養の意義は言い表すとすれば、どのように言えるでしょうか? また、保養に対する中傷キャンペーンが起きた理由についてはどのようにお考えですか?

疋田 保養の活動は別に大層なものじゃなくて、社会に沢山ある支援のうちの一つだと思ってます。原発事故後、汚染地の外でリフレッシュするという新しい選択肢が必要になりました。その選択肢を当事者に提供している意義はあると思いますが、個人的には保養を「正しいもの」、「素晴らしいもの」みたいに打ち出したくないんです。これは原発事故の問題に限ったことではなくて、「正しい支援」とか言い出すと、途端に危うくなるからです。より良い支援をしようと思っても、様々な障害や困難のために思い通りにはいかないというのが現実ですから。ただ、保養自体は日本では民間が行っているささやかな活動ですし、チェルノブイリでは今現在も「普通」に行われています。だから、なんで「保養は差別につながる」と言われるのかな、という素朴な疑問は残ります。

 中傷が出てきた理由を改めて考えてみると、特に明確な答えがあるわけではないんですが、日本では「政治的なもの」に対するアレルギーが強いのかなあ、と今は捉えてます。保養に関わってる人たちは、そういうアレルギーの少ない人が多いんです。私と同世代だと、公害を勉強してきた人、難民支援をやってきた人が結構います。そういう政治的な問題が社会の中で「隔離」されているから、「そこに触れてはいけない」という反応が一定数出てきてしまうのかもしれない、と考えました。実際、「保養」というアプローチは、現在の国の方針とも異なっていますから。

ただ、バッシングに関わった人たちの立場に立ってみる必要もあるのかなと思ってます。彼らも原発事故後、すごく人生に悩んだりとか、色々うまくいかないことがあって、はけ口としてやったのかもしれません。今の日本社会ってただでさえ息苦しいですし、辛いこととか、しんどい事情を抱えていてもおかしくないですから。

田口 疋田さんに何回も文句のメールを送り付けてきた人が、最後に「自分も我慢し続けてきたんだ」と書いてきたという下りがありましたね。この本を読んでいると、そういう人たちへの想像力がよく伝わってきます。敵対ではなく、和解のために何が必要なのかを感知させてくれる文章です。

疋田 多分、激しく怒る人って、不安なんだと思うんですよね。拭いきれないくらい深い不安があるんじゃないでしょうか。よく分かりませんけど、トラウマのような経験があったとか、日頃から自分が馬鹿にされてると感じてきたとか、本当は誰にも言えない辛い秘密や苦しみがあるとか…。一見、立場が大きく違っている人でも、激しい怒りをぶつけてくる人でも、よくよく話してみると、何か理由があってそうしているのかもしれない、と想像するようにしています。

保養という切り口から見た「差別」

田口 この本の特徴として、現場から「差別とは何か?」という問いを問い直そうとしている点が挙げられると思います。執筆開始段階で正面から「差別」の問題を扱おうと考えていらしたのですか?

疋田 ぜんぜん違います。最初は保養のことをまとめようと、ネットを参考にしながら企画書作って、目次の項目を作ってみただけです。水俣出身の3世の人と保養活動を一緒にやっていたことと、それから障害の当事者の方たちが保養支援に関わってることもあって、その方たちにも話を聞きたくて目次に入れたという程度でした。ただ、初期段階で貴重なアドヴァイスもいただいてます。私としては「保養は差別ではない」ことを証明しようと方針を立てていたんですが、ある人から「差別的でないことを証明しようとするんじゃなくて、どうしたらより差別的ではなくなるかを考えなきゃいけないんじゃないの?」って言われたんです。

田口 第7章に関わることですね。この章は濃い内容でした。

疋田 そう進言してくれたのは、お世話になっている支援者の方でした。「本当にその通りだな」と感銘を受けたんですが、私は「差別」というテーマに理解が深いわけじゃないですし、逆に支援者の中には、原発事故が起こるずっと前から差別の問題と向き合ってきた方が多いので、「へえ、これぐらいで差別のこと、考えてるつもりなんだ?」という厳しいコメントもいただきました。そういう方々の話を聞いて、そこから取材範囲を広げていくうちに、差別と分断に関する7章の分量が増えてしまいました。

田口 真剣に差別と向き合った本を読むと、「自分は差別していない」とか、「自分は加害者ではない」などとは口が裂けても言えないと痛感します。この本を読んで、今までの私の言動はどうだったろう、と自問しました。そのように読み手の自問を引き出すのは、様々な現場で恒常的に差別と向き合ってこられた方々の証言が盛り込まれているからですね。

疋田 一言で「水俣病」と言っても、本当はもっともっと深い問題が山盛りだと思うんですけど、この本は「保養」と接点がある部分に限って書きました。能力的に言っても、私にはそうすることしかできなかったんです。

田口 それは本の性格から言っても仕方がないと思います。では、色んな人との出会いながら視野や考察が膨らんでいったということですね?

疋田 どんどん話が膨らんで、もう一回構成して、いろんな人に相談して、また構成して、ということの繰り返しでした。だから文章の責任は私にありますけど、沢山の仲間たちとの共同作業だったと思ってます。かれこれ7年間、支援者の人とも当事者の人とも沢山の議論と、ときには真剣な喧嘩をしてきたので、その中で教えてもらったことのウェイトが大きいですね。「これこれの問題に関しては、この人が一番詳しいから聞きに行ったほうがいいよ」みたいな情報も含めていくと、私自身の考えはそんなに入ってないんです。もちろん、どういうふうに切り取るかという点は、すべて私の責任です。

保養の「思想」について

田口 この本で驚いたのは、「保養の思想」に関する記述です。最初は「保養に思想があるのだろうか?」と不思議でしたが、「自分の頭で考えること」を柱に据えている、という記述に触れて合点が行きました。

疋田 「自分で考えよう」というコンセプトは、保養の現場ではいつも出てきます。原発事故の有無にかかわらず、もともと日本の教育には、自分で考える子を育てようとしない側面があるので、保養支援の仲間たちは、そういう学校教育とは違う物の見方を子供たちに伝えようとしてきました。ちなみにこの点は、当事者の側からも同じ考え方で参加するケースがあります。お母さんでも、子供でも結構います。

田口 その意味では、当事者と支援者のニーズが合致しているということでしょうか?

疋田 人によりますけども、基本的にはそうです。保養という行動そのものが、何となく大多数の人に従った結果として出てきた、というものではないので、一つの決断がお母さんたちの中でも必要ですし、お父さんの中でもそうだと思います。もちろん、一口に「自分の頭で考える」と言っても、実際にはそれが許される環境、経済的な条件、場合によってはその時々の具体的な状況も作用してきますが、その方針を大切にしたいというのは、7年間一貫していた考え方だと思います。

田口 私にも小学校に通う子供がいるのですが、日本の学校教育には時として強い疑問を感じます。先生が「人間の鼻はオレンジで丸く描きなさい」と勝手に決めてしまうんです。当然、生徒たちの描く絵は、異様なくらい均質で退屈になります。個々の先生を観察していくと、一生懸命に子供のためを思ってくれているんですが、教師も子供も共に思考を停止してしまうようなマニュアル志向には、げんなりさせられます。

疋田 分かります。ただ、自分で言ったことをひっくり返すようで申し訳ないんですけど、私自身は、自分だけで考え過ぎるというのも「それはそれで危険かな」と思ってます。適度に社会に適応しながら考えるぐらいがいいんじゃないか、と思うこともあるんです。

田口 その理由を教えてください。

疋田 自分自身の哲学だけを押し通して生きちゃうと、本当にしんどいですから。

田口 色々と折り合いを付けて、やり過ごすべき所もあるということですか?

疋田 私自身は「学校」という制度が嫌でした。とても排他的で、人に序列を付けることが当たり前になっていて、すごく嫌いでした。大学という本来は「自分の頭で考える」べき場においてさえ、人に序列を付けるようなことを平気でやっている所とかも目についたりするので、なおさら学校制度って嫌いなんです。どうやったらこの制度に加担しないで済むか、ずっと試行錯誤していた気がします。それでも冷静に振り返ってみると、一定のレベルでこの社会のやり方に適応したほうがメリットもあるんだよなあ、と思うようになりました。私自身がまったく従順じゃなかったですし、そうやって生きてきてよかったのですが、制度の中で柔軟に構えたほうが得だよなとは思います。

違和感だらけの「社会貢献活動」

田口 お話を伺っていて、保養支援を始める前にどういうことをされていたのか、関心が湧いてきました。大学時代は活動か何か、されていたのですか?

疋田 そうですね。私が大学生の時は「社会貢献活動」が流行っていたんです。当時の社会貢献活動というのは、いわゆる市民活動から政治性を脱色して、「社会にいいことしよう」みたいなノリで取り組まれている活動でした。大きな声で国に文句言うのではなくて、「社会にいいこと」を実践すれば、「社会貢献」になるんだ、という雰囲気でした。私も学生としてそこに関わってたんですが、関わりながら違和感だらけでした。そもそもそこでいう「社会」って何なんだって思ってました。震災後、こういうことだったのかと分かった気がしてます。つまり、何となく「社会」と一括りにされている枠組みに、排除や加害の構造が隠されていたのではないかと思っています。

田口 具体的にはどういうことでしょうか?

疋田 私が学生時代に関わったのは、「地域活性化」プロジェクトでした。地域における「産学官」連携を謳っていたんですが、そのプロジェクトで、ホームレスが多い地区のことが話題になった時、みんなが真顔で「ホームレスの人たちがどうしたらいなくなるか?」という議論を始めたんですね。「そもそもなぜ、ホームレスがいけないの?」って聞くと、びっくりされました。それで私もその反応にびっくりしてしまいました。「だって、住民税はらってないのに、公共の場を占有するのはいけないじゃん?」とか平気な顔で言われて、文字通りドンビキでした。「パブリックスペース」というか「コモンスペース」というか、そういう発想がまるでないんだと驚いたんです。

田口 「(ホームレスが)いなくなる」というのは、要するに「見えなくする=排除する」ということですね。

疋田 その通りです。当時の「社会貢献活動」にはそういう発想が透けて見えたんですが、今もそのノリでやってる人たちが結構いて、違和感は消えません。例えば震災って、私たちが何とも思ってなかった「電気」というものが、実はものすごく政治的だったことがはっきりしたわけですよね。うまく言えないんですが、その震災の後でも「政治的」でありたくない人がいるんだ、ということを考えずにはいられませんでした。

田口 なるほど。「政治性」を脱色しようとするマジョリティーの論理が、実際には「ホームレスを見えなくする」という排除の政治を作り出している、ということでしょうか?

疋田 そう言っていいと思います。同い年ぐらいの子たちで話題になるのは、そういう排除や権利侵害を見過ごしてはいけないよね、ということです。原発事故だけではなくて、別の問題が浮上した時も、見過ごさないようにする。地道にそういう姿勢を繰り返していくことが、長い目で見て、それこそ「社会」のためになるんじゃないかって。

人に対して「風評被害」という言葉を使うこと

田口 この本は、ぽろりとこぼれ落ちてくる言葉に繊細に反応していると感じます。例えば「風評被害」という言葉の持つ繊細さについて、この本を読んで考えさせられました。疋田さんがこの言葉の繊細さに気付いたのはいつ頃ですか?

疋田 「風評被害を生むからこれをするな」という言い方は、事故直後から、例えば除染の際にもよく使われていたと思います。除染って色々と難しい面もあるかもしれないですけど、ある意味では合理的な行動なわけですから、なんでそういう行動が「風評被害」を生むんだろうって、当初から不思議でした。東電が「風評被害」という呪文を積極的に使うことで「実害」を消してるからなのかなあとか、考えこんだりしました。

ちなみに、この本で紹介した、人に対する「風評被害」という言葉使いは、事故から2年目か3年目には福島の人たちも普通に使ってたんです。「差別」と直接的に言いかえてしまうと、響きが強くなってしまうのかもしれません。保養の活動に関わってない人と話したときに、「風評被害って、人にも使う言葉なの?」って聞き返されて、たしかにこういうのは一般的な言葉使いじゃないよなあと再認識しました。「なんか変だな」という感触は、保養の活動仲間たちの間では共有されてたんですけど。

 もちろん、正真正銘の「風評被害」というしかないケースもあると思いますよ。でも市場経済でやっている以上、何らかのきっかけで買い控えが起こるのは避けられなかったですし、「風評被害」を指摘しただけではなんにも解決しない気がします。だからこそ、きちんと公的に補償するしかないんじゃないかというのが現時点での私の考えです。

「保養なんかしてないでもっと生産者に寄り添え」と言われて落ち込むこともあります。ただ、ちょっとそこまでは私が関わってきた現場でフォローできないことだし、最近では「フォローできなくても仕方がない」と思ってます。言うまでもないんですけど、生産者に寄り添う人にはその方たちの役割があります。ただ、私は縁あって、お母さんや子供が集まる保養という場に関わることになりました。本当に100パーセント正しいポジションを取らなきゃいけないということはないはずで、逆に言うと、そもそも存在しない100パーセントの「正しさ」を追求するのは、それはそれで一つの病なんじゃないでしょうか? だから私は良くも悪くも限界のある立場を取っていて、そこから見えた光景はこれです、と言うことしかできないんです。

田口 自分自身の様々な限界を明示しながら語り進めるという姿勢は、この本を読めばきちんと伝わってきます。その意味でフェアな本だと思います。

疋田 ありがとうございます。事故直後の私は、「こんなに大きな出来事が起きているのに、黙るほうがおかしくない?」と思ったので、自分の立場性も隠さずに意見を言っていました。「所属」と言えばいいでしょうか、喩えるなら「着てるもの」を全部脱いで、NOと思ったことはNOと言おう、と考えていました。でも自分が30代になった今、同じような事が起きたら、また違う反応をするのかもしれません。当時は20代前半だったので「着てるもの」も「背負ってるもの」も少なかったですから。今の自分に「持ってるもの全部捨てられるか?」と自問してみると、ああいう風には行かないんじゃないかな、と。よく分かりませんが、タイプ的にはまた駆け出しちゃうんでしょうかね?

田口 こうしてお話ししている印象では、そういう気がします(笑)。

支援者の苦しい現状とニーズの動向

田口 原発避難の受け入れ現場を見ていると、当事者だけでなく支援者たちも疲弊しているように感じる瞬間があるのですが、保養の活動に関しても同じことは言えますか?

疋田 言えると思います。5年目過ぎた辺りから、体調を崩す人が増えましたから。無理な生活を押してボランティアしてきた人が体調くずすんです。ほぼ全員仕事をしていますし、女性でも何らかの形で働いてる人が多いので。

田口 仕事とボランティアを掛け持ちする支援者が多いと?

疋田 そうです。仕事モードのときと、保養モードのときと、切り替えがきついっていうか時間もすごい使います。だから保養もきちんと制度化しないと、現場がしんどくなる一方なんです。私は、支援者も決して無理はしちゃダメだと思ってます。無理すると、「こんなにしてあげたのに」みたいな、当事者への理不尽なお仕着せに転化しかねないからです。だから、保養の制度化を訴えていきつつも、全体的な保養の実施数は少しずつ減っていくのかなと感じてます。

田口 ただ、ニーズ自体は減らないわけですよね。

疋田 そこが問題なんです。保養支援を続けるモチベーションは、ニーズがあるということに尽きます。そろそろ疲れてきたなあって思っても、現地で「保養の受け入れ先が減ってるんです」と言われると、「頑張らなきゃ」って思い直して、この7年半なんとか維持してきました。私は活動が自己目的化するのは良くないという考え方ですが、ニーズが減らない以上、活動は必要だと思います。

ただ一方で、実はその「ニーズ」の具体的なイメージがよく分からないという事情もあるんです。「保養の申し込みが今までの5倍に上った」という団体さんもある一方で、「今年は募集したら全然集まらなかった」という団体さんもあって、なかなか全体像がつかめません。少なくとも、健康不安を感じてる人がどんどん増えてるというわけでもなくて、ニーズが繊細に多様化してるという感じでしょうか。新しく子供が生まれたとか、後は小児甲状腺がんが見つかった子がクラスにいるとか、そういう間接的に気になることがある人たちも少なくないです。それから、今は気にしてないんだけれども、事故直後にトラウマ的な体験があって、それを克服するために行動してるという人も意外と多いですね。だから「福島で健康被害が出ているので、保養のニーズが増えてます」みたいなストーリー作りは、私はしたくありません。そもそも論になりますけど、「どうして保養に来たか?」という動機によって人を選別するのは良くないですし。

田口 本を読むと、現在の保養は完全に民間ベースで保たれているとのことですが、行政によってその保養を制度化することは可能だと思われますか?

疋田 難しいかなと思ってます。国の方針がそういう方向ではないですから。民主党政権が変わらなかったら、事情は違ったかもしれないですけど。「今からもう一回、被曝低減の権利を打ち上げられますか?」と専門家の方々に聞いても、一様に渋い顔をされます。福島原発事故の被災者は、一般にチェルノブイリよりも内部被曝が低いという事実もありますが、それ以上に日本は文化的に見て、保養という考え方そのものが成立しにくいのかもなあって思います。もともと休みが少ないから、そういう休みを利用して保養をするという制度作りもやりづらいんじゃないでしょうか? もちろん、きちんと保養のニーズが存在することを訴えていくことは大切です。

3年目の壁、5年目の壁

田口 支援者の側の苦しい現状についてお話しいただきましたが、それがはっきりしてきたのはいつ頃からでしょうか?

疋田 3年目の壁と、それから5年目の壁があったと思います。震災直後はもう本当に災害ユートピア的なテンションでやってた人たちが多かったんです。でも3年目以降から少しずつ厳しくなっていきました。わざわざ保養活動のために、夏休みを長く取れる仕事に切り変えた人もいたんですが、「そこまでやって大丈夫なのかな?」と心配になることもありました。もちろん、日本にも市民社会というか、そういう層が残ってたんだと知ることができたのはよかったんですけど…。

田口 3年目、5年目の壁というのは、具体的にはどういう「壁」だったのでしょうか?

疋田 「災害支援」のスキームでやってた団体さんは、最初に「3年でやめる」って決めていて、3年が来た時点で実際にやめた所も多かったんです。わりとパブリックな団体さんとかも、「3年」というくくりが多かった気がします。「でもなんだか全然状況が変わってないな」という感触があって、それでもう少しだけ頑張ってみた人たちも「とうとう5年たってしまったなあ」と。5年も経つと、寄付は集まらないですし、状況もまだまだ改善してないし、こんなに長引く災害ってないので、団体さんもさすがにきつくなってくるわけです。人がきつくなったり、資金的にきつくなったりという感じで。だからさっきもお話ししたように、今年は保養にかかわる団体さんがすごく減るんじゃないかと思います。

そういう厳しい現実があるということを、支援者も当事者も理解したうえで、どういうふうに乗り切っていくのかを考える時期に入っていると思います。だから、原発事故関連の本や冊子を読んでると、最後のほうで、「いろいろ難しい問題だけど、とりあえず民間団体が保養やってるよー」みたいな紹介をふわーって、まとめていることがあるんですけど、「そんなに保養に期待されても困るなあ」というのが正直なところです。決して当事者を見捨てるとか、そういうことじゃなくて、もう体力的にも資金的にも限界なんだよっていうのを伝えるためもあって、本を書いたんです。

田口 本の出版は、保養の苦しい現状を「記録」として残す意味合いもあるということでしょうか?

疋田 そうですね。世界のどっかで、また原発事故が起きたとしますよね。そうした時に、私たちがベラルーシとかウクライナのことを調べたみたいに、その国の人たちが日本の3.11について調べることがあるかもしれないですよね。ベラルーシ、ウクライナでは保養が続いているけど、「なんで日本は保養が減っていったの?」という疑問も出てくるかもしれません。そういう時のために記録を残しておく必要があると思います。

避難と保養の違い

田口 この本では最近の訴訟判決に言及されている箇所があります。判決文上は「避難の合理性」を認めるものが出てきているという事実があります。疋田さんとしては、こういう判決が相次いでも、保養の必要性を社会的に認知させるのは難しいとお考えですか?

疋田 私がメインでやってきたのが避難者支援ではないので、うまく結びついていないだけかもしれませんが、少なくとも判決が世の中を変えているという感触は今のところ持っていません。避難と保養って、意外と違う点があると思います。

田口 その違いを教えてください。

疋田 訴訟判決で「避難の合理性」が認められるかどうかというのは、概ね2011年の時期が焦点になっているのではないでしょうか? 現在進行形の被曝状況を問題視して、お母さんたちの被曝回避行動が合理的だとしている判決はないように感じます。保養は「現在」侵害されている権利を問題にしている当事者のための活動なので、どうしても「現在」の被曝状況の議論になってしまうんです。

田口 私も訴訟の動向の全体を熟知しているわけではありませんが、何人かの原告に話を伺ってみると、2011年直後のことだけを問題にしているわけではないという方は結構いらっしゃいます。

疋田 それはそうだと思います。

田口 ただ、判決の傾向としては、2011年末の野田首相(当時)による「冷温停止」宣言前までは避難の合理性を認められるけれども、宣言以降は「原発事故は収束した」というのが国の立場なので、「避難の合理性を認めさせるのはなかなか難しい」という話を耳にします。となると、保養が制度的に確立されるというのは一層ハードルが高いのかもしれません。

疋田 あと、それを支援者側が声を大にして求めるものでもないと私は思うんですよね。権利というのは、当事者が求めていくものなので。

私個人のスタンスとしては、保養という活動が7年間も続いてきましたよ、とまでは言えます。逆に言うと、「保養は必要です」ではなくて、「保養を必要としてる人が7年間もいました」までしか言えないんです。それと、本当に必要だと思う当事者がいるのであれば、その人たちの訴えや求めに協力することもできます。

田口 疋田さんとしては、政策提言をするところまでは行かないということですね?

疋田 一応、ボランティアで予防措置としての被曝回避行動という点ではずっと関わって来たわけですけど、社会的な合意が盛り上がっていかないと、政策提言をしたとしても少し弱い気がします。私たちがサポートしてきた「保養」というのは、実際には「リフレッシュ」の側面が強くて、どれぐらい内部被曝が減ったかとか、どれぐらい外部被曝を避けられるかとか、そういう具体的な効果まではなかなかはっきり示せてないんです。もちろん、尿セシウムの測定などを頑張っている団体さんもいらっしゃいますが。私が中心となって政策提言する予定はないです。

ジェンダーと主体性

田口 この本では実に様々な観点からジェンダーの問題が取り上げられています。女性が何かを主体的に選択することがどれほど阻まれているかについて多面的に描かれていると感じました。

疋田 そうですね。保養に子供を出すお母さんたちは、自分の主体性を無視されていると感じている方が多かったんです。例えば、「母子避難」のケースにも、ジェンダーの問題の根深さがあると思うんですが、これは事故前から日本にあった問題が噴出したんじゃないかと私は捉えてます。

私がいつも思い出すのは、福島のお母さんの発言です。「夜道を歩いて怖くなったことがない人に、放射能が怖いって気持ちは分かんないよ」って。得体の知れないものに傷つけられるんじゃないかという感覚は、全然体を壊したことがなくて、傷つけられたこともないむきむきの屈強な男の人には、到底分かってもらえない、と言いたかったんだと思います。

田口 逆に、お父さんが弱音を吐けなくて、「本当は怖い」という本音を押し殺しているようなケースはないですか?

疋田 もちろんあると思います。「男らしさの呪縛」って言うんでしょうか。男の人も労働構造の中でひどい目に合わされてる人って少なくないと思います。

怖がるとか、逃げるとか、そういうのって「女性的なもの」と見られがちですよね。「戦って散るんだ!」みたいなマッチョな思想が、世の中的には評価されがちですし。そういうときに男性が弱さを出しづらい環境というのが事故前からあって、だからこそ多分、男性の方が女性よりも自死が多いんじゃないですか?

あと男性って、いつも思うんですけど、基本的に連帯しにくいように感じます。女性は社会的に弱いからこそ、活動とかでもすぐに連帯するんですよ。男性が自分の弱さを共通点にして連帯する場面って、あまり見たことないなあって思います。こういう所にも「男らしさ」の呪縛が効いてるんじゃないでしょうか?

 念のために付け加えておくと、これは関東の場合なんですけど、「妻に放射能の話をできない」とおっしゃってた主夫の方が二人いました。経済的に奥さんが優位な男の人は、本音を言い出しにくい面があるんだと思います。ですので、何でもかんでも「女性だから」「男性だから」という理屈で切れるわけではないですよね。自分の生活秩序を変えたくない人、何か起きたら一目散に逃げたい人、そういう個人的な気質の違いとかも大きく関わってくるでしょうし。

 もう一つ、「主体性」という点で私が気になってきたのは、そもそも子供たちには選択肢すらない、ということなんです。「だから子供はみんな避難させるべきだ」とか、そういうことを言いたいのではなくて、とにかく選択することができないという理不尽さですね。原発事故以前から、相手が子供だからといって、その子の主体性や意志や選択の次元を大人が勝手に無視して、巻き込んでしまっていいんだろうか、そういうのは嫌だなって、直感的に思ってきました。だから事故直後も「放射能が危険かどうか」というよりも、これでまた子育てに負荷がかかって、虐待とか起きたらどうしよう、という心配の方が強かったんです。お母さんの負担を少しでも減らすようにして、虐待が起きないようにしたかったですし、そのことで子供が何かを選択できるとは、どういうことなんだろう、と考えてみたかったんです。

田口 「子供に選択肢がない」というのは、おっしゃる通りですね。避難したかどうかにかかわらず、子供はとにかく親に付いていくしかない。人の子であるという事実の根源的な理不尽さを一人一人が背負わされています。ところで、ジェンダーの観点でもう一つだけ伺いたいのですが、保養支援者の側にもジェンダーの問題はありますか?

疋田 まず一般論で言うと、日本の市民活動って、高齢の男性が前面に出て来て、自分の主張をして、後ろで女性たちが作業している、みたいな面がまだまだあると思うんです。保養の活動はそういう感じじゃなくて、保養支援者たちで合宿すると、台所とかでもほぼずっと男性が動いてます。「ケア気質」というんでしょうか、「男が前に立つんだ」というよりも、空間的に女性的な面を出しやすい現場なのかもしれません。

私がネットでバッシングされたとき、何人かの男性から「あまり気にするな」と言われました。女性は「大変だったね」って同情してくれたんですが。

田口 そういう反応の仕方にジェンダー・バイアスがあるのかもしれないということですか?

疋田 そう思います。でも、私が嫌な気持ちになったことは事実なので、「私は嫌でした」ということくらい、言っていいんじゃないかと思ってるんです。

田口 おっしゃる通りだと思います。

疋田 もちろん、男性か女性かにかかわらず、支援側の人たちがいつの間にかパターナリスティックになっていくという面はあります。私自身も「こうしてあげたらいいだろう」とか、勝手に先回りしてる時がありますから。だからこそ、「そうならないように気を付けよう」というコンセンサスが自然とできてきたんだと思います。とにかく、自分がパターナリスティックになり始めたら、「何言ってんだ、自分!」みたいに、自分を笑うというかツッコミを入れるというか、そういう点に気を付けています。

同調圧力に抗して

田口 今までの話で言うと、疋田さんがバッシングを受けたことの背景にもジェンダーの問題があったのかもしれないと思いました。ちなみに私は原発の問題に関して何冊か本を出してきましたが、バッシングを受けたことはまったくないんです。

疋田 早尾貴紀さん(311受入全国協議会共同代表、東京経済大学教員)も同じことをおっしゃってました。やっぱり大学の先生で、しかも男性だからじゃないですかね?

私の場合、何もやらなければバッシングはされなかったんでしょうけど、保養という突出したことをする女性、という風に見られたのかもしれません。早尾さんにしろ、田口さんにしろ、大学の先生で、それぞれの学問をしているという立場性がはっきり見えますけれども、私は何の仕事をしてる人なのか分かりにくいですし、何を目的に保養支援をやってるのかも明確には見えないんだろうと思います。しかも若い女だから、後ろに誰かがいるんじゃないかと想像してしまうのかもしれません。

田口 日本には「プロ市民」という不可解な言葉がありますよね。こういうシニカルな表現が罷り通る社会の在り方について考えさせられます。どこかの誰かが、「これは社会の一員として見過ごせないことだ」と気づいて、その問題に取り組んでみるということが難しい環境なのでしょうか?

疋田 四日市ぜんそくでインタビューした方がおっしゃってました。「自分が反公害の活動をできたのは、政治的なことが許される60年代、70年代の雰囲気があったからだ」と。そういう運動が下火になって、今に至ってるんですよって。

そういう中で私が大事にしてるのは、外見的に政治的かどうかということ以前に、自分が主体としてどう考えて行動するか、ということです。自分の主体性を大切にできれば、他人の主体性も大切にできるはずだと思うんです。本で紹介した福島大学の西崎伸子先生もおっしゃってたことですが、日本ってほんとに同調圧力が強いので、主体性を持つ人への負荷が重いんじゃないでしょうか?

自分の主体を隠す、もしくは主体的ではない振る舞いをするというのは、結局は「責任」を取らないということなんだと思うんです。でも、原発事故が起きて、私たちが無意識に使っていた電気にすら「責任」があることが分かりました。主体的であることや自分の生活や選択の責任を取ることから、私たちはもう逃れられない時代になっているんだと思います。それはけっして怖いことではなくて、そこから「自分がほかの誰でもない自分である」という感覚も生まれてきますし、そういう人が増えれば自分と他人の権利を尊重する社会になっていくのだと思います。


付記 

『原発事故後の子ども保養支援――「避難」と「復興」とともに』(人文書院、2018年)の初版著者印税は、保養支援と福島県内の養護施設に寄付されます。

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第190回掲載

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer190.htm

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)、『書物の時間 書店店長の想いと行動 特定非営利活動法人共同保存図書館・多摩 第25回多摩デポ講座(2016・2・27)より (多摩デポブックレット)』(共同保存図書館・多摩)


○第190回(2018/7)

 6月25日月曜日、ジュンク堂書店難波店で、〈トークセッション番外編 阪南大学流通学部森下ゼミ 学外公開ゼミ〉「なぜ、本を読むのか?何故、本屋に行くのか?」を開催した。語り手は、「特別講師 福嶋聡」、即ち、ぼくである。

 このイベントのきっかけは、阪南大学流通学部森下信雄専任講師から、15人のゼミ生に出版や書店の現状を話してやって欲しい、と頼まれたことだ。元タカラヅカの元総支配人である森下氏とは、彼が『元宝塚総支配人が語る「タカラヅカ」の経営戦略』(KADOKAWA 2015年1月)を上梓されたとき、ジュンク堂難波店にぼくを訪ねて来られて以来の付き合いである。

 最初は、「バックヤードかどこかで」という依頼だったが、当店のバックヤードに15人の学生を集めて話をできる場所は無い。ぼくは、「むしろ、店内でお話をすることにして、それ自体をトークイベントにしてしまっては?そして、学生さんだけでなく、一般の人にも聞いていただいたらどうでしょう?」と提案した。

 その提案には、目算と目論見があった。目算とは、ともあれ15名近くの参加は最初から約束されているから、集客に頭を悩ませることは無い、ということ。目論見とは、ぼくの話を、学生だけでなく、一般のお客様にも聞いてほしいということだ。

 本編のトークの中でも話したが、出版・書店業界の人たち、本をつくり、本を売る人たちは、「人は本を読むべきだ」という前提で仕事をしている人が多く、なぜそうなのかを語ったり、そもそも考えることもない。そして業界全体の売上減の元凶を、人々の、特に若い人の「読書離れ」にに求め、ただただそれを嘆き、批判している。他の業界の人たちは、自分たちがつくり、売っているものが如何に素晴らしく有用なものであるかを消費者に伝えることに必死になっているのに、わが業界の人たちには、そうした姿勢が感じられないのだ。そういう機会、つまり本を読むことは快楽であり有用であるということを、自身そう信じ実感しているぼく自身が、本を読まないと言われている(森下ゼミの学生は間違いなくそうだ、と森下氏も「太鼓判」を押す)に向かって訴える機会を持ちたいと思った。

 そして、それをトークイベントにしてしまうことによって、書店を訪れてくださるお客様にも、ぼくの話を聞いて欲しかった。チラシやHP、ツイッターで一般の方の「参観」も募集し、予約を取った。イベント用の閉空間の会場がない当店ではトークイベントは通路脇で開催するから、たまたま店に来られていた方にも「立ち聞き」してもらえる。

 元々興行を仕事としていた森下氏は、ぼくの提案に一も二もなく賛成した。

 「それはいい。自分たちが話を聞いている姿を、自分たち自身も見られるというのは、ゼミ生たちにとっても、いい経験になる」

 森下氏は更に、「本を扱う、書店以外の人たちにも参加してもらえたら」と希望された。それは、ぼくも同感だった。書店とは違った形で本と関わる人たちの話も、ゼミ生たちに聞いてほしい。そして、本というものの良さを、多角的に知ってほしいと思った。

 目算もあった。毎年近畿大学で行っている出版流通論の集中講義を、「私も聞きたい」と言ってくれる業界関係者は何人かいた。それが社交辞令でなかったら、誰か来てくれるだろうと思った。実際、参加し、当日出版社としての思いを語ってくれた人がいた。

 書き手も呼ぼうと思った。ちょうどイベント当日の夜、MARUZEN & JUNKUDO梅田店で、新著『本屋な日々 青春編』刊行記念トークをやるために来阪していた、旧知の石橋毅史に、「良かったらその前に難波に来て、ぼくのイベントにも参加してくれませんか?」と声をかけた。石橋は、快く承諾したくれた。

 このことには、付随効果もあった。かつて出版業界紙『新文化』の編集長を務めていた石橋は、同紙からの依頼で、後日トークイベントの様子を寄稿してくれたのだ。

 “どこまで伝わったかはわからない。こちらから見る限り、学生の表情は一様にボンヤリしていた。授業を受ける学生とは、得てしてそんなものである。だが福嶋氏は熱意を込めて果敢に語り続けた。彼らの心に何かひとつでも残そうと、資料を配り、本や書店の魅力を多角的に紹介していた”。

 「それは、最前線の現場にいる本屋の“いま”を象徴するすがた」と、石橋は書いてくれた。本屋についての本を何冊も書いている彼は、本屋の現在をよく知っている。「本とは買われるべきもの、読まれるべきものという出版業界にとっての大前提が、すでに大きく揺らいでいる」事実を、ぼくと共有している。そして、そのために、今本屋は何をすべきか、を模索する姿勢も。

 「本を読まない世間と対峙する本屋」というこの寄稿で、石橋は、『傷だらけの店長』の著者伊達雅彦が沖縄・石垣島で日本最西端のブックカフェうさぎ堂を昨年10月にオープンしたことを伝え、沖縄・那覇市で「市場の古本屋うらら」の店主である、元ジュンク堂書店の宇田智子の新著『市場のことば、本の声』を紹介している。そして、花田菜々子著『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』を、出版・書店関連書として重要な文献でありながらむしろ多くの書店で女性向けエッセイのコーナーで販売されていることを評価、同書をエポックメイキングな作品と言う。

 石橋が言うように、今、出版・書店業界は、内輪だけで通じる話を繰り返しながら、自閉的に方法論を模索している場合ではない。「業界」と「世間」を包括する視点が大切なのだ。ぼくが、阪南大学の学生たちに、そして集まってくださた「参観者」に、更に店内を通りながらふと耳を傾けてくださった方々に本の良さを語りかけていったのも、同じ思いである。この思いを共有している人は、少なくないと思う。石橋が言及した三氏をはじめ、日本のさまざまな地域(あるいは場所を特定できないネット空間)において、それぞれの書店の〈場〉(あるいは〈非‐場〉)で、コミュニティを立ち上げようとする試みが続いている。

 コミュニティを立ち上げるために必要なものは何か?構成要素である人間が同じ〈場〉にいることだけではコミュニティは成立しない。その人間同士の関係を育む、―コミュニティと語根を共有する―コミュニケーションが、不可欠なのだ。

 本は、二重の意味でコミュニケーションツールである。他人に勧められて手に取る、他人に負けまいとするために頁をめくる。他人とのさまざまな関係が人と本を結びつける。同時に、読んだ本がまた新たな関係を創り出す。そもそも読書という行為が、(多くの場合見も知らない)他人の書いたものを読む、人と人の関係だ。だから、コミュニティーコミュニケーションー本の隆盛/衰微は並行して進行する。

 コミュニティの衰退の危険が叫ばれ始めた前世紀後半には、同時にコミュニケーション障害も増加し、「自閉症」、「引きこもり」といった言葉が巷間を賑わした。「カプセル人間」などということも、言われた。ウォークマン、ファミコンといった機器が登場し、そうした状況に受け入れられ、そうした状況を増進した。並行して、本も読まれなくなり始めた。

 その後、インターネットやSNSの普及、固定電話からケータイ、スマホへの通信機器の発展と、いわゆる「コミュニケーション・ツール」は多様化し、社会における存在感も大きく増した。しかし、ツールの方はそうでも、肝心のコミュニケーションは、減退していくばかりだ。

 今から一年前、『現代思想』2017年8月号は、『「コミュ障」の時代』を特集した。そこに収録された國分功一郎との対談で、千葉雅也は、自分も「コミュニケーション」とは、「空気を読んでの根回し」というイメージの方が強かった、と振り返る。そして、現代の特に若い人は承認をめぐる争いに巻き込まれ、とにかくネット上で「いいね」を押してもらいたくてしょうがなくなっている、と言う。

 こうした「コミュニケーション」の今日的状況について、ぼく自身も次のように書いている。

 “現代は、「コミュニケーション」の時代である。

 ぼくたちは、いつどこででも、「コミュニケーション」を強いられ、「コミュニケーション力」を問われる。身近どころか身体に装着されようとしているIT機器は、ぼくたちにただ素早い応答のみを迫る。熟慮は想定外で、沈思黙考は裏切りである。常に「コミュニケーション」が前提とされる強迫的状況は、実はコミュニケーションの可能性の芽を、摘んでいる”。『書店と民主主義』人文書院 P79)

 このような「コミュニケーション」は、コミュニティを産む、あるいはコミュニティとともに発展するコミュニケーションではない。今日の「コミュニケーション」は、コミュニティを産み出し、存続させるために決定的に重要なものを欠いているからだ。それは、「対話」である。

 先程千葉雅也の発言を参照した『現代思想』2017年8月号『「コミュ障」の時代」の巻頭インタビューで、平田オリザは、“「会話(conversation)」と「対話(dialogue)」を区別して考えました”と言っている。

 「会話」とは「価値感や生活習慣なども近い親しい者同士のおしゃべり」であり、一方「対話」はあまり親しくない人同士の価値感や情報の交換。あるいは親しい人同士でも価値感が異なるときに起こるその摺り合わせだというのである。

 すなわち、「いいね」を連発することは「対話」ではなく(「会話」とも、なかなか言い難いが)、コミュニケーションを生み出さない。ひたすら「いいね」を要求される同調圧力の場は、コミュニティとはいえないのだ。

 平田は、次のようにも言う。

 “「対話」は本来、社会システムか学校教育かのどちらかできちんと身につけさせなければいけません。自然状態では、「会話」はできるけれど、「対話」というのはできないのです。その欠如が、日本に健全な政権交代がなかったり、民主主義が根付かなかったりする大きな原因になっているのではないかと考えてきました。” 

 こうした平田の考えは、『人をつなぐ対話の技術』(日本実業出版社)で、山口裕之が展開している議論と通底する。

 “対話とは、単なるおしゃべりではなく、立場や意見を異にする人と話しあい、互いに納得できる合意点を見つけることである”。

 山口もまた、「対話」とは予め結論が決まっているものではなく、また、想像もつかない道行きをたどるものだ、という。自分だけで考えていては絶対に至ることのない見方を知るために、「それを知っている人から聞く、あるいはそれについて書いてある本を読む、ということが必要」なのである。そうした行程なしに、「すべての市民が賢くなければならないという、無茶苦茶を要求する制度」である民主主義は成立しない。だから、大学教育とは、「対話」を教えることでなければならない、と山口は力説する。

 “要するに、大学における教育とは、学生に「すぐに役立つ知識のパッケージ」を教えこむことではなく、世の中は多様な見方から研究されていることを知らせ、対話による知識の共有の技術と、自分で学ぶための技術を身につけさせることである”。

 この山口のことばは、人間が考えるのは2つの場合だけ、一つは人と対話しているとき、もう一つは本を読んでいるとき、という大澤真幸の見立てと同じだといえる(大澤真幸『思考術』河出ブックス)。

 また、世間のトレンドでは、就活において「自己分析」がキーワードになったり、「個性」の尊重、「個性化教育」が重要と言われるようになっているが、山口は“私は、「個性」や「その人らしさ」なるものがその人の心の中に入っている、という見方そのものが、間違いであると考えている。そういったものは、個人の属性ではなく、個人間の関係性である”という。そして、“対話を開始する当初、自分が何を考えているのか、必ずしも明確でないことが多い。対話の中で、相手の立場や主張だけでなく、自分の立場や主張も明確化されていくのである”と。

 「個性」や「思想・信念」は、対話を通してしか、生まれてこないのである。

 ぼくが行った「学外特別ゼミ」でも、石橋の観察どおり、「学生の表情は一様にボンヤリしていた」。また、「月に1冊以上本を読む人は?」という問いかけに手を挙げたのは、たった一人だった。そうしたゼミ生とぼくとの間に、そもそも対話が成立したのかどうか、覚束ない。でも、まず語りかけること、問いかけることなしには、対話は絶対に発生しない。

 繰り返すが、読書とは本との対話である。対話の重要性に気付かせてくれた平田オリザが優秀な劇作家・演出家であり、演劇理論家であることに、ぼくは一つのヒントを見出した。

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第189回掲載

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer189.htm

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)、『書物の時間 書店店長の想いと行動 特定非営利活動法人共同保存図書館・多摩 第25回多摩デポ講座(2016・2・27)より (多摩デポブックレット)』(共同保存図書館・多摩)


○第189回(2018/6)

 6月20日(水)、肥後橋の大阪倶楽部で行われたサントリー文化財団フォーラムに参加した。同財団が2012年度より鷲田清一氏を主査として行ってきた自主調査研究事業「可能性としての『日本』研究会」の中間報告として今年5月に出版された、『大正=歴史の踊り場とは何か――現代の起点を探る』(講談社)の刊行記念イベントである。財団の副理事長でこの本の編者でもある鷲田氏と、中心的な執筆者であった山室信一氏の対談を、興味深くお聞きした。

 面白いのは、「なぜ大正か?」である。鷲田氏は「私たちは色々と勉強させていただいただけ、実質の編者は山室さん」と謙遜されるが、生粋の京都人であり、そして東日本大震災以来東北に注目し、現在京都市立芸術大学学長と共にせんだいメディアテーク館長務める鷲田氏の強い意志が、そこに貫かれていることは間違いない。曰く、

 “2018年を明治維新150年として祝賀するのは、面白くない。関西、東北にとって、明治維新は東京にとってのそれと全く違う。奥羽越列藩同盟は、今も生きている。新潟県は東北地方。ましてや、沖縄にとってのこの150年とは?明治じゃない、大正ですよ、と言ってみたいというのが、私たちの企みでもあった”。

 2018年は、明治維新150年に当たる。日本の近代化の端緒となった江戸幕府から朝廷への大政奉還150周年を祝おうという声が高まっている。しかし、この150年を京都人から見れば天皇を、都を江戸に奪われた150年であり、東北地方の諸藩から見れば、戊辰戦争敗戦後、東京の中央政府に支配・簒奪された150年であった。東京に電力を供給している原子力発電所の存在は、新潟を含めた「奥羽越列藩同盟国」に集中している。いわんや、沖縄をや。

 そうした地方の人々にとって、明治150年は、何ら祝賀の対象ではない。むしろ、大正という、明治と昭和の間隙にうもれてしまいがちな短い時代を起点に近現代を考え、今日のさまざまな問題を解決する糸口を探ろうというのが、この研究、書物の狙いなのだ。

 その企図は、たんに京都人の「恨み節」から出たものではない。大正は、第一次世界大戦や関東大震災を経験する一方で、現代の市民社会の原型が生まれた時代であり、その後の歴史の方向を決めた転換点であった。そこには様々な選択肢=オルタナティブがありえたと言え、研究会はそこに孕まれながら未発に終わった可能性、あるいは未萌の可能性を探り出し、その可能性を今日の視点で再検証し、未来を見据える目に広く供すべく、一冊の本に結晶させたのである。                

 

 富国強兵に努めて列国に追いつくことを目標とし、三度の戦争(日清・日露と第一次大戦)を勝ち抜き、「大国」の一つと世界に認められた日本が、さてこれからどこに向かっていくのか、ふと立ち止まったのが大正の15年間であった。

 そんな大正を、研究会は「歴史の踊り場」と呼ぶ。

 フォーラムで鷲田氏は、自身この「歴史の踊り場」というキャッチフレーズがとても気に入っていると言い、「踊り場」を、最近の建物では減って来ているが、上がっていくためにも下がっていくためにも使う、行き来する空間であと説明、大正は、ものすごい上昇感覚と下降感覚が共存していたと言う。

 それを受けて、山室氏は、「双面性」が大正時代を考える時に大切だと語る。大正は成金の時代とも言われるが、一方で貧民が増大した時代、漱石は高等遊民を描いたが、大正時代には高等貧民も多く生まれ、大学卒もなかなか職にありつけず、「大学はでたけれど」が流行語に。河上肇の『貧乏物語』は、1917(大正6)年に刊行された。一番経済的に上がっている時に、貧困は露わになる。

 軍部の力が増大し、資本主義的な格差が拡大していく一方、米騒動や民本主義など、一般大衆の存在も無視できなくなってくる。社会主義やアナキズムの思想も拡がっていった。

 子安宣邦氏は、『「大正」を読み直す』(藤原書店)で、ほんの少し期間をずらして、明治43年の大逆事件から、大正13年関東大震災直後の大杉栄惨殺事件までを「大正」と見る。年号が昭和に変わり、泥沼の戦争期を通って敗戦を迎えた後も、「大正」に方向づけられた歴史は連続している。大逆事件の再審請求の特別抗告を最高裁が棄却したのは、昭和42年7月である。民主主義を謳った筈の戦後日本においても、幸徳秋水らの有罪は覆らず、判決後即座に執行された死刑についても不問のままなのだ。そして、大逆事件から1世紀経った21世紀の日本は、社会主義をその政党とともにほぼ消滅させた、という。この議論は、白井聡氏の『永続敗戦論』(講談社+α文庫)や『国体論』(集英社新書)へと繋がっていくだろう。

 上り下りが交錯する大正という「歴史の踊り場」で、今日に至る日本の在り様が方向づけられた。人々は都会へと向かい、「サラリーマン」「職業婦人」そして「専業主婦」という言葉がこの時代に生まれる。欧米においてはその前の世紀に産業革命の進展にともなって、家族が物を生産する単位からう労働力を生産する単位へと転換したが、同じような現象が日本でも大正という時代に生まれたのだ。「安定した職業に就いて、給料で家族を養う」という生活モデルは、高々この100年のうちに形作られたものなのだ。

 そうしたモデルの誕生は、出版産業にも大きく影響を及ぼした。サラリーマン家庭が子どもを教育するために主婦も学ぶ「教育家庭」へと変わり、主婦に対する情報伝達のためのメディアが必要となり、雑誌『婦人之友』や『主婦之友』がこの時代に生まれる。やがて出版業は、全集ブーム、円本ブームを経て岩波文庫(昭和2年)を生み出すことになる。

 そして、関東大震災。日本の社会を強烈に揺さぶり、人々に自分たちの生き方、あり方を考え直さなくてはならないと突きつけた大地震は、数年前、平成のわれわれをもまた、襲ったのである。大陸に侵攻し、泥沼の戦争を続け、国土を荒廃させ尽くして敗戦を迎えるその後の歴史に思いを致すとき、大正という「踊り場」で、あり得たのに採られなかった(オルタナティブな)方向の可能性を検証してみること。それが、「高度経済成長」を成し遂げ「経済戦争」を勝ち抜いた末に閉塞状況にある現代の我々が、今なさねばならないことだと、鷲田氏は強く訴えた。

“孤児でさえ共同で育てるだけの「包容力」が地域から消失して、貧窮が「個躬」のかたちをとらざるをえなくなった”(P21)

“それと並行して進行したのが、市民の相互扶助のネットワークが張られる場たる地域コミュニティ、たとえば町内、氏子・檀家、組合、会社などによる福祉・厚生活動の痩せ細り”(P24)

 『大正=歴史の踊り場とは何か――現代の起点を探る』で鷲田氏は、大正という時代に、残念ながらこのような転換点があったと指摘する。地域コミュニティの「痩せ細り」は、個の選択と責任を増大させる。だが、個としては弱い人間は、生きていくために何かに依存せざるを得ない。コミュニティという依存先を失った個は、否応なくもっと大きなものに期待する。そうして、「お上依存」が生じる。民本主義や(相互扶助を基層とする)アナキズムではなく、国家主義、全体主義へと時代が転がっていったのは、むしろ個の自立が謳われすぎたからかもしれない。鷲田氏は、間違いなくその方向性の延長にある現在の日本の状況と、今後なすべきことを、次のように言う。

 “食材、生活財、電力源の確保から金融まで、わたしたちの生活基盤はいま、右で指摘したようにグローバルな市場の論理に翻弄され、もはや制御不能なものになっている。この濁流から這い上がるためになすべきこと、それは、じぶんたちの生活基盤をじぶんたちの手で制御可能なサイズに、社会を立ち戻らせることであろう。”(P28)

 “コミュニティがぎりぎりまで縮小し、「一住宅=一家族」という住まい方が普遍化した現在、本来人びとの相互扶助であるべき負担がことごとく家族に押し被せられることになって、もはや単独では賄うことが限界にまできているのが、地域社会の現状だとすれば、わたしたちはふたたび、これまでとは違うかたちであれ、地域コミュニティのレジリエントな力を回復してゆかねばならない。”(P37)

 インターネットは、個とグローバル企業を直結させた。中間の排除は個の自由の確立だと、信じさせられた。個人情報保護法、そしてその拡大解釈は、個と個のつながりを、少しずつ、だが確実に破壊していった。その結果、現代人の生活は、寡占的なグローバル企業に大きく依存している。

 現代の閉塞状況を突破し、様々な歪を元に戻すためには、鷲田氏の言うように、「じぶんたちの生活基盤をじぶんたちの手で制御可能なサイズに、社会を立ち戻らせること」が、何よりも必要なのではないか。

 このことは、前回のコラムで、ぼくが書店が今取り戻すべき役割はコミュニティの形成だ、と言ったことと共振していくと思う。書店は、コミュニティに不可欠な空間を持ち、多様な立場の人々が集う場たりうるし、そうでなければ成り立たない場だからだ。

 そして何より、書物(ex.『聖書』『コーラン』『資本論』……)とは、古今東西、時に巨大で世紀を超えて存続するコミュニティを形成する核であったのだから。

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百木漠『アーレントのマルクス』(人文書院)、戸谷洋志『ハンス・ヨナスを読む』(堀之内出版)刊行記念対談

「ハンナ・アーレントとハンス・ヨナスの思想」

(2018年3月24日 於:TKPガーデン東梅田 主催:清風堂書店梅田店 共催:堀之内出版、人文書院)

研究のきっかけと経緯

百木 このイベントのタイトルは「ハンナ・アーレントとハンス・ヨナスの思想」です。僕がアーレント担当で、戸谷さんがヨナス担当です。アーレントとヨナスというのは生涯を通じて親しい友人でした。思想的にもお互いに影響を受け合っていたし、もともと二人ともハイデガーの弟子だった。どちらもユダヤ人だったので、ナチスが出てきたときにドイツから亡命して、それぞれの道を歩まねばならなくなる。最終的にはともにアメリカに居住してそれぞれの思想を展開することになりますが、アーレントとヨナスの思想的関係はあまり知られていません。アーレントは最近いろいろなところで取り上げられていますが、そもそもヨナスは日本ではまだまだ知られていないのではないでしょうか。

戸谷 最近ヨナスを有名にしたものといえば、映画『ハンナ・アーレント』に出てきて、最後にアーレントに罵声を浴びせて終わるというシーンですね(笑)。あの映画を見て、「ああ、このあとアーレントとヨナスは決裂したのだな」と多くの方が感じると思いますが、実際にはそんなことはありません。史料を見ていくと、ヨナスのほうからアーレントに謝りに行って、アーレントは「うん、なにも気にしてないわよ」という感じで仲直りしたといいます。

百木 一回決裂はしたけど、すぐに仲直りしたんですよね。その後晩年まで関係性は続いていて、アーレントの葬式ではヨナスが弔辞を読んでいる。ともにドイツ出身のユダヤ人で、運命を共にした同士であったわけですが、アーレントとヨナスは深い関わりがあるにもかかわらず、それがあまり知られていない。本日はそこをお話しできればと思っています。でも私たちの本を読まれていなかったり、アーレントとヨナスをそもそもよく知らなかったりという方もいらっしゃると思うので、まずはゆるいところから入っていきましょう。お互いの自己紹介代わりに、それぞれどういう研究をしていて、どうしてその研究をするに至ったのか、どういう本を書いたのか、を話すところから始めたいと思います。

戸谷 僕は現在、大阪大学で研究員をしています。2018年1月に『ハンス・ヨナスを読む』という本を堀之内出版から上梓しました。もともとヨナスと出会ったのは大学生の時なのですが、きっかけはもうすこし前にありました。高校生のときに『鋼の錬金術師』という漫画を愛読していたんですね。その主人公の錬金術師――現代の世界でいうと科学者です――が各地を旅をして、生命と死の境界や、動物と人間の境界、機械と生命の関係などいろいろなものを目の当たりにして葛藤していくという物語で、高校生のときにそれを読んで感銘を受けました。そこから生命とはなんだろうか、生命と技術はどういう関係にあるのだろうかとか、そういうことにけっこう関心をもったんですね。それがきっかけとなり大学では哲学科に入りました。その翌年の2008年、僕は大学2年生だったのですが、ヨナスの主著である『生命の哲学』(細見和之、吉本陵訳、法政大学出版局)の翻訳が刊行されました。読んでみたところ、自分の関心にかなりフィットしたので、そこからはずっとヨナスを研究しています。

百木さんから、アーレントとヨナスの思想的な連関が研究されていないという話があったのですが、僕も基本的に同感です。その理由の一つが、アーレントもヨナスも、いわゆる「哲学者」としては長く研究されてこなかったという経緯があるのではないかと思います。現代思想や現代哲学という言葉でみなさんがイメージされるのは、ハイデガーやヴィトゲンシュタイン、戦後では「現代フランス思想」になると思うんですが、アーレントはどちらかというと政治思想の文脈で注目されていて、ヨナスは生命倫理や環境倫理、いわゆる応用倫理という分野のなかで注目されてきました。そのためか、本格的な哲学的バックボーンにまで遡ってそれぞれがなにを言っているのかは検討されてこなかったと思います。

しかし、2000年代に入ってから状況が変わり、一人の哲学者としてアーレントを読み直すべきなのではないかというムーブメントが起こっています。一方、残念ながらヨナスにはそういうムーブメントが起こっていない。ただ、僕は環境倫理や生命倫理の問題からヨナスを読んでいたわけではなくて、そもそも生命とはなんだろうかという哲学的な問いから出発してヨナスを読んでいたので、彼をただの論客の一人にしてしまうのではなくて、ハイデガーやレヴィナスのような一人の独立した固有の世界観をもった哲学者として読みたいと思いました。そういうことをしている人が日本になかなかいなかったので、自分で書いてみたというのが、この本に至った経緯です。

百木 ヨナスを専門に扱った研究書自体が、日本にはなかった?

戸谷 はい。ヨナスだけを主題にした本は、一般書はいうまでもなく、学術書ですら一冊もありません。僕の本が初めてです。ですので、この本が叩き台となって、日本のヨナス研究が盛り上がったらいいなと思っています。

百木 そもそもヨナスを研究している人が日本にはほとんどいないんですか?

戸谷 いないことはないんです。ただ、日本でヨナスを研究している人の多くは、生命倫理や環境倫理が専門で、その問題を考える一助としてヨナスを読んでいる方が多い。僕のようにヨナスを専門的に研究している人は、極めて稀だと思います。

百木 僕もヨナスの名前はずっと知っていたのですが、ヨナスがどういう人で、どういう哲学を展開したかは、戸谷さんに会うまでほとんど知りませんでした。アーレントと切り口や向かう方向は違うのだけれど、かなり近い問題関心を持っているのだなということが分かってきました。それで、この二人を比較して議論してみると面白そうだなと思ったのですが、世界的に見ても、この二人を比較した研究はあまりないですよね。

戸谷 ほとんどないですね。世界的にも日本と同じように生命倫理・環境倫理の哲学者として読まれていて、ヨナス自体の思想研究はそれほどの蓄積があるわけではありません。

ともあれ、僕の話はこれくらいにして、次は百木さんの自己紹介をお願いします。

百木 僕は大学卒業後に一度、一般企業に就職しているんです。そこで三年間くらい経理の仕事をしていました。会社で働いたこと自体は良い経験になったのですが、働くなかで日本人の働き方や労働観について疑問に感じるところが出てきました。なぜこんな残業ばかりの働き方をしているのかと。あと僕が入社したのが2005年だったのですが、ちょうどそのころから非正規雇用やブラック企業や就職活動など、労働に関する社会問題がバーッと出てきました。そういう労働に関する問題について自分なりにいろいろもやもやと考えていたのですが、大学院でちゃんと勉強して、そのもやもやを言語化してみたいと思うようになりました。それで会社を辞めて研究の道に進むことにしたのです。

もともと思想史が好きだったので、労働に関する思想史の研究をしようと考えていました。最初はマルクスを研究しようかと思っていたのですが、たまたま大学院に入る直前にアーレントの『人間の条件』を読んで、「労働」の章がそのときの自分の問題関心にフィットしたのです。そこではアーレントがマルクスを批判しながら独自の労働論を展開しているのですが、これがかなり奇妙な批判なのです。研究者からはアーレントはマルクスを誤読していると散々批判を受けているのですが、単なる誤読以上のことがあるのではないか、と感じました。もともとマルクスにも関心がありましたし、これは現代の労働問題にも関連してくるはずだと考えて、アーレントやマルクスの労働思想を研究するようになったという経緯です。

戸谷 本を読ませていただいて、すごく面白かった。アーレントがいかに誤読していたのかという点が主題ですが、アーレントの批判によって歪な形になってしまったマルクスのほうも救おうとしているようで、マルクス入門としてもよいのかなと思いました。

百木 これからアーレントとマルクスのそれぞれの専門家の批判を受けることになると思うので、それがちょっと怖いところではあります(笑)アーレントとマルクスは思想史のなかでも二大巨頭という感じがありますから。

アーレントとヨナスの出会い

百木 ではいよいよアーレントとヨナスの話に入っていきましょう。彼らが出会ったのは大学時代ですよね。ヨナスのほうが三つ年上です。ヨナスが1903年生まれで、アーレントが1906年生まれ。アーレントは1975年に亡くなりましたが、ヨナスは長生きでしたよね。

戸谷 ヨナスは1993年、90歳まで生きています。僕が生まれたときはまだ生きていたんですよね。

百木 ヨナスのほうが年上ですが、20年ちかく長く生きた。

戸谷 二人は1924年にマールブルク大学で出会います。当時、そこにはルドルフ=カール・ブルトマンという神学者や、マルティン・ハイデガーが在籍していました。ヨナスはこの二人のゼミに出席していました。ヨナスは80代になってから伝記を書いているのですが、それに拠ると、ブルトマンのゼミに一人明らかに異彩を放つ少女がいたと綴っています。その少女こそアーレントでした。当時ヨナスは21歳で、アーレントは18歳。そのゼミのなかで二人だけがユダヤ人だったんです。あとでヨナスが聞いた話だと、アーレントはゼミに入る前にブルトマンの教授室に行って、「一つ言っておかなくてはならないことがあります。わたしは反ユダヤ的言動はゆるしません!」ということを言っていたらしい。

百木 新入生の立場で(笑)。

戸谷 そう、学部1年生で。そういうエキセントリックな女の子としてヨナスはアーレントを認知していて、ヨナス自身も攻撃的というか好戦的な性格だったので、意気投合して仲良くなっていったんですよね。

百木 アーレントは若いころ美人だったので、モテ伝説がいろいろあって、名だたる思想家や哲学者をふったという逸話が残っています。ハイデガーと愛人関係にあったのは有名ですよね。他にも若きレオ・シュトラウスをふったとか、ブリュッヒャーが亡くなってからハンス・モーゲンソーに求婚されたとか(笑)

戸谷 まじですか。

百木 シュトラウスとはそれからすごく仲が悪くなって、のちにシカゴ大学で一緒になったときでも、廊下ですれ違ってもあいさつをしなかったんだとか。どこまで本当なのか分かりませんが。

戸谷 当時ヨナスとアーレントは学生のなかの読書会サークルをつくっていて、そのなかにハンス・ゲオルグ・ガダマーやギュンター・アンダースなどがいました。

百木 アンダースはアーレントの一人目の結婚相手ですね。

戸谷 有名なのはその二人ですが、そのほかにも気鋭の若手研究者や院生・学生がたくさんいて、そのなかに1年生のアーレントと3年生のヨナスがいたわけです。みんなで古典哲学を読みあう会をしていて、特にアーレントはそのサークルのなかでも異彩を放っていた。

百木 当時はちょうどハイデガーが『存在と時間』を準備していた頃ですよね。もう仕上げんとするころで、ハイデガーのカリスマ的人気が学生のあいだで広がり始めていて、野心ある若者たちが彼の周りに集まってきて、夜な夜な議論したり読書会をしたりをしていた。そのなかでもアーレントは女性で、しかもびしびし鋭い発言をする人目を引く美人だったので、注目されていたそうです。よく緑の服を着ていたので、「グリューネ」と呼ばれていたんだとか。

戸谷 「おい、緑」みたいな(笑)

百木 聖書を講読するブルトマンのゼミに出るようになって、ヨナスと出会い、同時に二人ともハイデガーのゼミにも出ていて、アーレントとヨナスがすごく親しくなるんですよね。

戸谷 サークルのなかでも特にその二人の仲が良くて、毎日昼食を食べているんです。アーレントが男子学生にナンパされそうになるとヨナスが追い払うということがあって、当時の彼女は攻撃的なのだけど、繊細な一面も持っていて、そこにある種の危うさがあった、とヨナスが言うんですね。「危うい、しかし特別な彼女の内に秘めたるなにかを僕は守らなければならなかった」みたいな。要はそういう感じで、先輩面していたんだと思うんです。

百木 大学生にありがちな(笑)。

戸谷 ただ一方で、そのサークルのなかでは現実の政治的な問題にはみんな関心がなくて、古典哲学を読んでいました。そのなかでヨナスだけはシオニズムに燃えていて、政治的関心をもっていたんですね。そのことをアーレントはなじっていて、「男の子に欲しいものを与える、それがあなたの場合はシオニズムなのね」とヨナスに言ったそうです。そんなエピソードを彼は嬉しそうに書いています(笑)。

百木 アーレントも最初はそれほど政治に興味がないんですよね。ヨナスは学生時代からシオニズムにコミットしていて、政治に関心を持っていた。

戸谷 ヨナスは度々アーレントの家に行ってごはんを食べたりしていたのですが、ある冬の日にアーレントが風邪を引くんです。アーレントのためにヨナスはレジュメを届けに行く。当時アーレントは古い小屋に住んでいて、「ハンナ、来たよ」と部屋に入って、ベッドに座る。アーレントはそのときパジャマを着ていました。二人でベッドに腰かけて話してゆくうちに、「男と女の間では不可避なことが起こった」。そういう意味深な一文がヨナスの回想録で挿入されています。「しかし私は彼女を守らなければならなかったので、すぐに振り返って立ち去ろうとした」、「ごめん、ハンナ、もう帰るよ」と言って帰ろうとすると、「待って、ハンス」とアーレントが呼びかける。「ハンス、だめなの、聞いてほしいことがあるの」。あ、これは僕の創作ではなくて、そのまま伝記に書いてあるんですよ(笑)。ヨナスはかたわらの椅子に座る。「ハンス、あなたに言わなければいけないことがあるの」と、自分がハイデガーと不倫していることを告白するんです。ヨナス、ガーン(笑)。それがきっかけなのかは分からないけれども、そのあとヨナスはハイデガーを激しく批判していきます(笑)。

百木 僕はこのエピソードが大好きなんですけど、ヨナスに同情してしかたがない(笑)。ヨナスはやはりアーレントに恋心を抱いていたんですかね。

戸谷 21歳ですからね。

百木 ヨナスもそれなりにモテていたんだとか?

戸谷 ヨナス自身は「おれはモテ男だ」と言っていますが、彼の言うことを客観的にみると、要はナンパする男だったのです。かなり声をかける。実るかどうかは別にして、声をかけることが得意だったんだと思います。だからアーレントからそういうふうに告げられたあとも、ふられたとは本人は認識していなくて、「その話を聞いた僕は彼女を守るために友人であることに徹さざるをえなくなったのだ」と言っています。「哲学科男子にあるある!」みたいな。

百木 つらい(笑)。毎日一緒にごはんを食べていて、友達以上のいい感じになっていて、ある日風邪を引いたのでレジュメを持って行ったら、さらにいい雰囲気になった。でもヨナスは、いやだめだ、病身のアーレントをここで押し倒すわけにはいかない!となんとか思いとどめて、また今後愛を育んでいこうと決心して立ち去ろうとしたら、「待って、ハンス……実は私、ハイデガー先生と不倫しているの」と(笑)。ガーン。

戸谷 おれの指導教員とですか、と(笑)。

百木 相手がハイデガーですからね、かなうわけない。

戸谷 絶望ですよね。

ハイデガー

百木 もう少し真面目に言うと、やはりハイデガーは二人にとって思想的にとても大きな存在だった。ハイデガーとどう対決するかというのは、ヨナスにとってもアーレントにとっても生涯で一番大きなテーマだったはずです。ハイデガーは『存在と時間』という哲学史に残る名著を出して一躍有名になるのですが、のちにナチスが出てきたときにそれに非常に共鳴してしまう。はっきりとナチス支持を表明してしまったのです。それはアーレントとヨナスにとってはすごくショックだったでしょうね。教え子に手を出していたのはともかくとして、二人ともハイデガーは哲学者としてすごい人だと間違いなく認めていたはずです。その先生が、彼らにとって最大の敵であったナチスに共鳴してしまう。

この事実とどう向き合うかということを、二人ともそれぞれの思想・哲学のなかで考え続けたと言っていいと思うんです。ハイデガーはなぜナチスを支持してしまったのか。それとは違う哲学や思想を生み出していかなくてはならない、というのが二人の根幹に流れている問題意識だったのではないか。すくなくともアーレントはそうです。アーレントは一方ではハイデガーをすごく認めているし、ハイデガーの用語や概念から影響を受けた思想を展開しています。「現れ」や「出生」、「公共性」、「世界」などをハイデガーの用語を使いながらも、しかし他方でそれらの概念をハイデガーとは違うやり方で発展させていく。

戸谷 ヨナスの場合もそうです。ヨナスがハイデガーを哲学者として批判するときには、彼の哲学に倫理が欠落しているということ、つまり没倫理的な、ニヒリズム的な世界観が繰り広げられていることを批判します。それに対してヨナスは生命こそがある種の道徳の根拠であると考えます。生命の傷つきやすさを目の当たりにしたら、我々はそれを助けなくてはならない。ヨナスはそこにすべての倫理の基礎を見て取ろうとするのです。しかし生命とはなにかというと、それは実存であるという言い方をする。つまり、死の可能性に曝されながら自己を主張して生きている実存的な存在であるという言い方をしていて、ここには明らかにハイデガーの影響が示されているし、というよりも読み方によっては、ハイデガーを補完しようとしたという意図すら垣間見えます。

ところで、ヨナスとアーレントが出会ったのが1924年ですが、その翌年にアーレントはカール・ヤスパース先生のほうに行ってしまいます。そして1933年にナチスが政権をとってから、二人の運命はまた離れていくんですよね。それ以前からドイツには右翼的な空気が漂っていて、反ユダヤ的な言説が流布していた。ヨナスはシオニズムに傾倒していたこともあり、パレスチナに入植し、地下組織に入って手榴弾と拳銃で武装して、現地のパレスチナ人と闘っていました。そこからヨナスは15年くらいにわたって、哲学活動ができなくなってしまう。

百木 ヨナスは戦争で前線に立って戦っているんですよね。それは哲学者のなかでも珍しいタイプではないかと思います。従軍経験がある哲学者は何人かいるでしょうが、みずから信念をもって積極的に戦地に赴くというのは珍しい。

戸谷 第二次世界大戦がはじまるとヨナスはイギリス陸軍に入隊しました。そこで砲兵隊に編成されてギリシャに配置され、爆撃機を迎撃する高射砲の部隊に従軍していました。しかし、そこは暇だったため、現地の農家に遊びに行ってホメロスを暗唱して拍手喝采を受けるなどしていたらしいです。しかし、あまりに暇すぎる、おれは戦いたいのだと不満を募らせていました。そんな中、1944年にイギリスで新たにユダヤ旅団グループが創設され、ヨナスもそこに参加し、イタリアへの突撃作戦に加わることを決意します。

百木 そんな人がのちに生命の哲学や未来への責任論を展開することになるというのが面白いですよね。

戸谷 ヨナスはそこでたくさん死体や重傷者を見て、四肢の損壊がいかに恐ろしいことかを目の当たりにしたらしいんです。一方で、彼がそれまで学んできたハイデガーの哲学には身体の問題があまり出てきません。しかしヨナスは、人間の実存にとって、肉体としてこの世界に生きているというのが大きな意味を持っているのではないか、と思い始めます。あるいは、身体の傷つきやすさは人間にとってもっと重要なものなのではないか、と考え始めます。ここから後の倫理思想が育まれているんです。だから、もしも戦争に行っていなかったら、いま僕たちが知っているようなヨナスにはならなかったと思います。

百木 アーレントもヨナスも、もともと有望な若手研究者で、博士論文を書き上げてまさにこれからだというときにナチスが1933年に政権をとり、ユダヤ人の迫害が始まる。二人ともそれをいちはやく察知して亡命するのですが、そこからの人生は道筋が分かれていく。のちにアメリカで合流することになるんですが、アーレントは戦争には直接かかわらず、パリとニューヨークで亡命生活を長く送ることになる。一方、ヨナスは自らシオニズムに身を投じて、戦争に向かっていく。戦争中のこの経験の違いが、同じ悲劇から出発し、かなり近い問題関心を有しながらも、二人が対照的な、それぞれにユニークな哲学・思想を生み出すに至った原因のひとつではないか、と考えています。

 

シオニズム

百木 アーレントはまずドイツからパリに亡命して、そこでいろいろな知識人と付き合っています。ベンヤミンやレイモン・アロンと出会ったり、コジェーヴの講義に出たり。そういう人たちと出会って交流を深めながら、アーレントも勉強だけをしていたわけではなくて、シオニズム系の組織で働いてもいるんですよね。フランスにいるユダヤ人の青年たちに教育と職業訓練を与えてイスラエルに送りこむ準備をするという、シオニズムを間接的に支援する運動に関わっていました。学生時代は距離を置いていたけど、この時期には彼女も政治的に目覚めて、シオニズムの活動にコミットするようになる。彼女は小さい頃からユダヤ人として特別にアイデンティファイしているわけではなかったんですが、これだけユダヤ人が迫害されて、多くの犠牲者が出ているなかで、さすがにユダヤ人として何かせざるを得ないという感じはあったと思うんです。だから間接的にそういう活動を手伝ってはいた。

だけどシオニズムに対する一定の懐疑はずっと残っていて、とくに戦後、イスラエルが建国されてからは、これは結局ナショナリズムとなにも変わらないではないか、と言っています。さらに言えば、シオニズムも一種の全体主義に近づきかねない。シオニズム系の人たちと付き合いながらも、アーレントはやはりそこに完全にはコミットできなかった。シオニズムあるいはユダヤ的なものに対してどういう距離をとるかというのも、ヨナスとアーレントの思想の分かれ目の一つです。ヨナスは自分がユダヤ人であるということに、若い頃から強烈にアイデンティティを持っていましたよね。

戸谷 そうですね、伝記を読んでいてもシオニズムに携わっているときのヨナスの行動はナショナリストにしか思えない。現在から眺め返すと、かなり極端な活動家という印象があります。ただ、第二次世界大戦が終結した1946年ごろ、そのとき彼はまだイスラエルにいたんですが、妻との間に子どもが生まれるんです。子どもが生まれてから、彼の行動が一気に変わる。あれほど熱心に掲げていたシオニズムを完全に放棄して、急遽カナダに移住する。それは自分の子どもに対して安全な環境を用意する必要があって、たまたまアカデミックなポストを得られたのがカナダだったという話なんですが、それからアメリカに移住して、そこでアーレントと同僚になるんです。

この変化は、ヨナスの哲学を考える上で面白いなと思っています。ヨナスにとって、あらゆる倫理の根拠が傷つきやすさに求められていて、そのもっとも原型的な例が子どもへの責任なのです。幼い子どもが目の前にいたら、我々は手を差し伸べざるを得ない。そこから人類全体の果たすべき責任を基礎づけようとするんですね。つまり、子どもへの責任が政治に先行しているんです。ヨナスにとってシオニズムはある種の政治的な思想ですが、その政治的な思想よりも、目の前に子どもがいるという現実のほうが大きな意味を持っていた。それがアーレントと鋭く対立するところなのかなと思っています。

百木 わざわざイスラエルの大学のポストを蹴っていますよね。

戸谷 ゲルショム・ショーレムというユダヤ神秘主義の哲学者がヨナスの先輩にいて、彼はヨナスがパレスチナに入植してからずっと世話をしてくれていたんです。20年以上関係が続いていました。ヨナスがカナダに行ったあと、ようやくヘブライ大学で教授のポストが見つかったので、彼はヨナスを推薦しようとした。しかしヨナスはそれを断ってしまいます。それにショーレムは激怒しました。そう思うと、子どもにとってどうかということが戦後のヨナスの行動を決定しているようにも見えます。

百木 ヘブライ大学の道をわざわざ蹴ってまで北米に行った。アーレントの場合は、しばらくパリで亡命生活を送っていて、1941年にようやくスペインからアメリカに亡命する。アメリカに亡命してからも10年間は市民権を得られず、ユダヤ系の団体を手伝ったりいろいろな雑誌に批評を書いたりして生計を立てて、1951年にようやくアメリカの市民権を得る。それ以降は基本的にヨーロッパには戻らずに、ずっとアメリカで暮らして、そこで思索を展開しています。市民権がとれたのと同じ1951年に『全体主義の起源』を発表して、これで一躍有名になる。その7年後、1958年に『人間の条件』を出して、これもまた大きな評判になる。とくに政治哲学・政治思想の分野で非常に有名になりました。アーレントのほうが有名になったのは早いですよね。その5年後、1963年に『革命について』を出して、『イエルサレムのアイヒマン』が出て……と、いろいろと論争を巻き起こしながらも、国際的に有名になっていきます。

イエルサレムのアイヒマン

戸谷 映画『ハンナ・アーレント』はまさに『イエルサレムのアイヒマン』が出される前の時期を描いていますね。

百木 実際にアイヒマン裁判をイエルサレムまで見に行って、『ニューヨーカー』にレポートを掲載するあたりの話ですね。

戸谷 アーレントがシオニズムを批判的に見ていて、それを読んだヨナスが激怒する。ヨナスがすごく長い手紙をアーレントに送っていて、「君がこんなに堕落してしまうのを僕はこれ以上見続けてゆくことができない。」というようなことが書かれています、ヨナスとアーレントが全面的に対立するのはたぶんそのときだけだと思います。

百木 アドルフ・アイヒマンは元ナチスの高官で、ユダヤ人を絶滅収容所に移送する責任者であった人です。そのアイヒマンが戦後に捕まって、イエルサレムで裁判にかけられることになる。その裁判をめぐってアーレントが『ニューヨーカー』という雑誌に記事を書くんですが、それが反響を呼んで、国際的な論争を引き起こしました。当時ほとんどの人々がアイヒマンは血も涙もない極悪人だと捉えていたわけですが、アーレントはそうではないと言った。むしろアイヒマンは平凡な小役人的人物で、大した悪意も持っていなかったのだと。特別にユダヤ人を憎んでいたわけでもなく、ヒトラーに心酔していたわけでもない。ただ、組織内での昇進にしか関心を持たない凡庸な人間だったのだと。これを彼女は「悪の凡庸さ」と呼んで有名になりました。しかし、そんな風にアイヒマンを捉えていいのかという反論があちこちから出てきた。

かつアーレントがよせばいいのに、当時のユダヤ人評議会を内部批判的なかたちで批判するのです。当時のヨーロッパのユダヤ人評議会も、ナチスに間接的に協力するようなことをしていたんだと。それをめぐって当時のユダヤ人知識人から非難を浴びることになります。なぜわざわざそういうことを書くのか。アイヒマンが極悪人で、ユダヤ人は迫害されてホロコーストにあった被害者という図式をだれもが期待していたところに、感情を逆なでするようなかたちで、アイヒマンはただの凡庸な小役人だ、ユダヤ人にも非があったのだと言ってしまう。それが当時の人びとの逆鱗に触れた。ヨナスもシオニズムをいったん捨てたとはいえ、アーレントの発言は許せないという感じだったのでしょうね。

戸谷 戦時中に二人が置かれていた立場はいろいろな意味で対照的で、アーレントがいわゆる地下生活をしている一方で、ヨナスが戦場に立っているのもそうなんですが、もう一つ大きいのは、アーレントが市民権のない状態で約20年間を過ごしていたのに対して、ヨナスはやっぱりナショナリストなんですよね。自分の国をつくるんだと命を燃やしていたので、そこにははっきりとした対立がある。イエルサレムのアイヒマン論争では地金が出てくる感じでその対立が煽られた気がしますね。

百木 とくに有名なのはアーレントとショーレムの往復書簡ですよね。ショーレムが「あなたにはユダヤ人に対する愛はないのか」と問い詰めると、アーレントが真っ向から「私はユダヤ人というものに対して愛を感じたことはありません」と突き返す。論争が長く続いて最後は決裂に終わりました。ヨナスはそれを許せなかったと聞きましたが。

戸谷 ヨナスは、ニューヨーカーの記事ではなく、アーレントとショーレムの公開書簡を読んでキレたんですよ。それを読んでもう我慢できないとなった。

百木 もともと大学で一緒に勉強した仲で、一時は友人以上恋人未満みたいな関係にあり、ナチスの迫害ではそれぞれに苦労した道を通ってアメリカに亡命して、ある種運命を共有しているという意識はあったと思うんです。しかしそれでも許せないくらいにアイヒマン問題は大きかった。そこがちょうど映画で描かれていますよね。

 

出生という概念

戸谷 一方で、二人がただ対立しているだけではなくて、ヨナスがアーレントから継承している概念もあって、それがまさに『人間の条件』のなかで出てきた「出生」という概念です。

百木 出生とは、文字通り「生まれ出る」「この世界に誕生する」という意味ですが、アーレントはそれに独自の解釈を加えて、『人間の条件』のなかで展開しています。彼女の「活動」論とも密接に関連している。「活動」とは他者と話し合ったり議論したりする営みを指しますが、複数的な他者と対話するなかで、予測不可能な新しい出来事がこの世界に生まれてくる。それを「出生」になぞらえて論じています。この世界に新しい命が生まれてくるかのように、「活動」のなかでまったく予期していなかったことが起こってくる、それこそがこの世界での「始まり」、あるいは「自由」を意味しているのだと。ヨナスもこの「出生」論には大きな影響を受けていて、ただそれをまた違うかたちで発展させているんですよね?

戸谷 ヨナスとアーレントではそもそも考えている問題関心がちがっていて、アーレントは政治思想を考えているけど、ヨナスは環境倫理、生命倫理を考えていたわけですよね。具体的には人類がいま科学技術文明(原発や原爆、あるいはヒトゲノムなど)に脅かされていて、人類の存続が危ぶまれる状況が起こるかもしれない。それに対して、我々は遠い未来の人類が脅かされることがないように、未来の人類に対して責任を負わなければならない。それがヨナスの哲学の基本的な問題なんですね。

この哲学にアーレントの出生概念は大きな影響を与えています。ヨナスは、人類は未来においても存続しなくてはいけないけれど、コントロールされて画一化された人類がコンピューターで制御されて生まれてきても仕方がない、と考えます。あるいは特定の人間だけが延命あるいは不老不死になって、新しい子どもが生まれてこないという状態で人類が存続してもダメなんだという。そうではなくて、どんどん新しい世代が生まれてきて、この世界が次々に生まれ変わるということが続かなければならない。それはアーレントが言っている「出生」をこの世界に存続させることなのだとヨナスは言っています。いわばアーレントの出生概念を生命倫理・環境倫理の分野に移植してくる。そこがアーレントとヨナスの思想史的連関のなかで一番大きいポイントだと思っています。それぞれ対照的な哲学を展開していたのに、「出生」つまりこの世界に新しい人間が生まれてくることに対しては考えが一致していた。一致していただけではなくて、ヨナスは自分の哲学に取り込むくらいに強い魅力を感じていたわけですよね。そこが面白いなと思います。

百木 「出生」という、この世界に新しい命が生まれてくることを二人とも重視していて、そこにある種の希望を見出していたのだと思います。もともと二人とも全体主義の悲劇、ナチスの台頭とユダヤ人の迫害を経験したところから出発している。野蛮なものが現代文明のなかから出てきてしまった、さらにハイデガー先生もそれを支持してしまった、その危機は再び繰り返されるかもしれない。アーレントとヨナスはともに、この全体主義という巨悪に対してどう対峙すべきなのか、それに対峙する哲学や思想をどうやって生み出したらいいのかという問題を考えていたはずです。

それに対する一つの答えが「出生」だった。アーレントの場合は活動や公共性など、政治的な意味合いと結びつけながら「出生」について論じているのですが、大きく見れば、ヨナスも似たような思考を共有していたんじゃないでしょうか。ただ、生命に対する捉え方というか価値の置き方が似ているようで違う。ヨナスは生命の傷つきやすさにすごく敏感で、それはもともと戦争経験からきているということでしたね。生命の傷つきやすさが彼の倫理の根幹にある。あるいは、傷ついている者・弱きものに対して責任を負わなければならない、「乳飲み子に対する大人の責任」といった言い方で、生命それ自体の保護を重視している。ヨナスは生命それ自体が善きことなのであって、生命それ自体に価値があるんだという考え方ですよね。そこにはユダヤ教の影響も多分にあるのだろうと想像するのですが、アーレントの場合は違います。

アーレントは生命それ自体に対してはあまり高い評価を与えていません。アーレントによれば、生命それ自体は労働と結びついていて、動物的なカテゴリーに分類され、相対的に低い評価が与えられている。ただ生きているだけではだめで、より善い生き方をすることが大事だという、アリストテレス的な考え方が背景にあります。僕の本の副題は「労働と全体主義」ですが、雑な言い方をすると、生命それ自体を重視するような考え方や、それと結びついた労働ばかりを重視すると、全体主義に近づいてしまうと彼女は考えていた。生きることそれ自体ではなくて、活動のなかで他者との対話のなかで生まれてくる新しい出来事、それに価値があるんだという意味で「出生」を使っているので、ヨナスとは価値の置き所が違います。

 それは亡命して長く「根無し草」状態であったアーレントと、戦場でたくさんの死体を見たヨナスの経験の違いに由来しているのではないかと、戸谷さんと話をしているところです。あるいは、ユダヤ教にどれだけ影響を受けているかにも関係しているのかもしれません。そのあたりは深く掘っていくと面白いのではないかと考えています。

戸谷さんの本の最後の章にもヨナスとアーレントの比較が少しだけ出てきますが、そのあたりもう少し詳しく読んでみたかったですね。

戸谷 アーレントの『人間の条件』のなかでは、公的領域と私的領域がはっきりと分けられていますよね。「出生」は「活動」と連関していて、「活動」は公的領域にかかわり、「活動」のなかで現れてくるものは言論などが挙げられている。いわゆる大人が広場に集まってスピーチしあうようなことを公共性として考えていると思います。それが「出生」とかかわっている。一方でヨナスの場合は、出生概念から引き出してくるのは子どもに対する親の責任です。子どもに対する親の責任は、アーレントの図式でいうと私的領域に属するはずですが、この責任から、人類の存続への責任という政治的な問題を引き出してくる。実際に、アーレントはその点を批判しています。

ただ、アーレントの公共性のモデル万能かというと、それだけでは解けない問題もあると思います。例えば未来世代に対する責任です。未来世代はまだ存在しないですよね。存在しない者と討議することはできないので、公共性の場に引きずり出すことはできない。そうだとすると、公共性の場に現れてこない者に対してどう関係するのかという問題が、アーレントの活動概念だけではうまく説明できないのではないかと思います。一方で、ヨナスがいう子どもに対する親の責任において、子どもは親に対して必ずしも「お腹が空いた」と言わないかもしれないし、そもそも言葉を習得していないかもしれない。そうであるにもかかわらず、我々は責任をとってしまう。つまり子どもと親は非相互的な関係に置かれているわけです。そうした非相互性に基づく責任が、アーレントの議論を補完してくれるかもしれません。

 

テクノロジーと存在の善性

百木 戸谷さんの本を読んで、ヨナスが現代的だなと思うのは、テクノロジーの問題です。例えば原発を存続すべきなのか、即刻廃止すべきなのかという議論や、地球温暖化の問題で二酸化炭素の排出規制をどれだけ厳格にするべきなのか、遺伝子操作をどれくらい研究領域として認めるべきかという議論に対して、それは我々の世代だけではなくて、未来世代にかかわる問題なのだとヨナスは強調しますよね。まだこの世界に存在していない子ども、あるいはすでに存在していてこれから大人になっていく子ども、その世代に対して責任がある。さらには人間の子どもだけではなくて、地球上全体の生命存在に対する責任を人間は負っているのだというのが、ヨナスが展開したことですよね。実際に応用倫理などでヨナスの思想は活用されているということですが、そういう問題はアーレントは直接的には論じていない。将来世代、まだ生まれていないものに対するものも含めた公共性や責任をどう考えるかというときに、ヨナスの考え方が活きてくるというのは同感です。

ただ、ヨナスの責任論でこれは論点になるだろうと感じているのは、生命が存在することそれ自体が無前提に善であって、将来世代の生命を絶やしてしまうことが一番いけないのだという主張です。将来世代の存在の可能性を絶やさないということが最優先になる。そのための責任をとることができるのは、地球上で人間だけなので、人間の存在が一番重要であるという論法ですよね。しかし、これは非常に人間中心主義的な考え方ではないか。また、どのような生命も存在することそれ自体が善であるとまで言い切っていいのかな、と思ってしまうところがあります。

戸谷 むずかしい問いですね。存在することが絶対に善であるというのは、これだけ聞くと「えっ」と思うわけですよね。それはなぜかというと、近代哲学以降、存在と価値が分離されてきたからです。古い例でいうとヒュームがあげられますし、20世紀では自然主義的誤謬を唱えたムーアが言ったりするわけですけれど、「なにかがある」ということと「それがあるべきだ」ということは論理的に違うということですね。

しかしヨナスは、善と存在を区別する考え方自体が近代以降につくられてきた科学的な自然観である、と主張します。つまり科学的に眺められたものは、善いものでも悪いものでもない、それは没価値的であるということです。没価値的である以上、それをどういうふうに操作したとしても誰からも咎められない。倫理的に無謬であることになります。分かりやすい例で言うと、その実例は動物実験ですね。そういえば、僕の友達に生物学の研究者がいて、ネズミに癌を植え付けて何日で死ぬかの実験をしているんですよ。心が痛まないのか聞いてみたら、「そういう実験をしているときはマウスを生き物だと思わないようにしている」と。これはすごく示唆的だと思います。

ヨナスは存在と善が区別された科学的な自然観を「死の存在論」と呼びます。そこでは生命と非生命の区別がまったくなくて、すべてが無機物のように捉えられています。しかしそれでは不十分だとヨナスは考えます。何故なら、我々は傷つきやすいものを目の前にしたら、「なにかをしなくてはならない」という責任を感じるはずだからです。そうである以上、存在と善がいつでも区別されるのではなくて、存在のなかに善が宿っているのだと考えられてもいいはずだと。

ヨナスに拠れば、科学的な自然観自体が一つの形而上学的な前提になります。しかし、この世界にはいろいろな自然観があるわけです。そのなかで科学的自然観こそが正しいのだということは、科学的自然観それ自体からは導き出されないわけですよね。科学的自然観と並びたつ別の自然観として、存在と善が結びつく自然観がありえるのだとヨナスは言っていて、どちらを選ぶのかは選択の問題だというんです。ただ、存在と善が結びつく自然観のほうが、生命に対する我々の考え方をよりよく説明できるのではないか、とヨナスは主張します。逆にいうと、科学的自然観を徹底するのであれば、「傷ついた者を目の前にしてもなにも感じないでいられるんですか?」という疑問をヨナスは投げかけてくるのだと思います。

百木 傷ついている者や弱き者への責任を感じることは当然あると思いますし、それはアーレントの弱いところだと思うんですよね。散々アーレントが批判されているのは、生命それ自体や私的領域、身体性をアーレントはあまりにも軽視しすぎているのではないかということです。そういうものから切り離された公共性や活動ばかりを称賛するのはどうなのかという批判がよくあります。その批判は半分当たっているけど、もう半分はアーレントも違うことを言ってるよという気持ちもあるのですが、それはともかく、アーレントに欠けているところをヨナスは議論しようとしていたということは分かります。

ただ、素朴に聞いてみたかったのですが、生命が善きもので、地球上に存続する生物全体の生命の価値を重視するなら、むしろ人間が滅んだほうが、地球や人間以外の生態系にとっては良い、ということになりませんか?

戸谷
 先行研究ではそういう反論をしている人も実際にいます。それに対して、ヨナスは次のような反論を企てています。まず、ヨナスは概念として「責任の対象」と「責任の主体」を区別します。「責任の対象」はすべての生命ですが、「責任の主体」になれるのは人間だけです。その理由は人間だけが自分の私的な利害を超えられるからです。たとえ自分のデメリットになることでも、責任だからという理由で引き受けることができるのは、人間だけである、ということです。この「責任の主体」である人間が存在しなくなればいいということは、責任そのものが存在しなくなればいいということですよね。

しかしそうだとすると、「責任の主体」が存在しなくなるべきだ、という際の責任自体が成り立たなくなる。したがってこの主張は不可避に自己矛盾に陥ります。ただ、この論証を支えているのは人間だけが「責任の主体」であるということです。逆にいうと、遠い宇宙のどこかに人間以外の宇宙人が「わたしも責任能力を持っています」と現れるなら、人類にはさしあたり滅んで頂いて、宇宙人に責任の主体になって頂きましょうか、ということも可能になってきます。もちろんヨナスはそういうことまでは考えていませんが、そう批判される余地はありますね。

百木 まだまだ議論はできそうですが、時間がきてしまいましたね。

戸谷 今日はみなさん、ありがとうございました。

ももき・ばく/1982年、奈良県生まれ。専門は社会思想史。京都大学人間・環境学研究科博士課程修了。現在、立命館大学衣笠総合研究機構専門研究員。共著に『現代社会理論の変貌 せめぎあう公共圏』(日暮雅夫・尾場瀬一郎・市井吉興編著、ミネルヴァ書房、2016年)など。

とや・ひろし/1988年、東京都世田谷区生まれ。専門は哲学、倫理学。大阪大学大学院博士課程満期取得退学。現在、大阪大学大学院医学系研究科 医の倫理と公共政策学教室 特任研究員。第31回暁烏敏賞受賞。著書に『Jポップで考える哲学』(講談社文庫、2016年)など。

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第188回掲載

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer188.htm

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)、『書物の時間 書店店長の想いと行動 特定非営利活動法人共同保存図書館・多摩 第25回多摩デポ講座(2016・2・27)より (多摩デポブックレット)』(共同保存図書館・多摩)


○第188回(2018/5)

 コミュニティ。

 前回の最後に、ぼくはやや唐突に、この言葉を使った。それは、『現代思想』2018年3月号「特集 物流スタディーズ』の巻頭対談で、田中浩也が次のように語っているのに触発されてのことだった。

 “これは「地域(ローカルエリア)最適化」や「コミュニティ最適化」に関する話なんです。このレイヤーの問題意識を持ったり、このレイヤーに関する技術開発をする人や会社が、いまの社会ではすっぽり抜けていると思うんですよ”

 近年の物流が袋小路に陥っている状況を念頭に置きながら、田中は「できる限り商品をまとめて発送」というAmazonの発送オプションにヒントを得る。彼自身、段ボールの数が増えすぎるのが嫌で、この「まとめて発送」機能をよく使うのだという。

 “この発想を拡大していくと、あるエリアにまとめて発送し、そこから家族単位でまとめなおし、さらに一人一人に細かく分けるより、トラックにぴったり入るサイズを優先して配送するといった、何回層かに分けてコンパクトに効率化する配送の仕方がありうるかもしれません。言ってみれば、パケット通信のモノ版みたいな(笑)。”

  “これは同時に、ユーザーのタッチポイント側もつくらないといけないので、この技術ができたらAmazonの注文画面などに「地域でまとめて発送」みたいなメニューができるかもしれないですね。それは一方で、「あなた以外にあと30名が注文しないと、そもそも荷物はきません」みたいなことになりますが(笑)”。

 対談相手の若林恵は、「それってAmazon的には後退」「生協っぽい感じ」と言う。

 そうなのだ。Amazon的なものがもたらした物流危機を打開するためには、「Amazon的なもの」、そして「Amazon的なもの」を求める買い手側の志向そのものを見直す必要があるのだ。そこに、オルタナティヴはあるはずだ。

 田中は続けて言う。

 “Amazonはグローバル企業で、「個人」にピンポイントでサービスを行っている。そうすると、単なる中間の一部門として地域の物流会社を使うことになる。それが単にアルゴリズムの一部として使っているとすれば、ローカルな視点ならではの工夫や、消費者と企業の両方の視点からの共感や、ワークとライフを誰もが両方担っているという認識のもとで「こういうふうにやっていこうよ」という「中間レベル」のコンセンサスが生まれにくい状況です”。

 そして、今必要なことは、“「グローバルなハイテク技術」をいったん分解して、ローカルな立場やコミュニティの視点からとらえなおし、必要な、使いやすいものに改変して、現場と整合性をとっていくこと”だと言う。

 「地域でまとめて発送」という「Amazon的には後退」であるシステムは、決して新しいものではないどころか、かつての商品流通の普通のあり方である。発送された商品の受け手は、少し前は大型商業施設、それ以前は商店街の個人商店だった。本という商品の受け手である書店も例外ではない。

 そこまで遡って商店街の時代には、田中の言う“ローカルな視点ならではの工夫や、消費者と企業の両方の視点からの共感や、ワークとライフを誰もが両方担っているという認識のもとで「こういうふうにやっていこうよ」という「中間レベル」のコンセンサス”が、確かに存在していた筈だ。どちらが原因でどちらが結果かは「ニワトリタマゴ」的問題で答えはないだろうが、時代が下るにつれて商業施設が大型化し、遂にはグローバル企業の個人へのサービスにその役割の多くを奪われると共に、そうしたコンセンサスが、即ち「地域レベルのコミュニティ」が失われていった。

 「Amazon的」なシステムの限界が物流機能に現れてきた今こそ、全国の書店網の個々の結節点が、かつての役割を取り戻すチャンスなのではないか?ここ数年、宅配会社などの無理が限界に達しつつある現状は、むしろ書店業界にとっての好機だと思う所以である。

 そのために必要なものこそ、失われつつある「書店というコミュニティ」なのではないか?

 コミュニティと言っても、特別な技術やインフラが必要なわけではない。来店して下さるお客様に歓待の気持ちを込めてご挨拶し、その希望や悩みを聞き取り、全力でその解決に向かう。時には、店員自らが新たな提案をする。

 「こういう本は、いかがですか?」「うん、あんたがそう言うなら、読んでみよか?」

 当たりハズレは、もちろんある。でも、店員―客双方のそうした試行錯誤の中で、いろいろなことが見えてきて、書店を一つ一つ独自なものにデザインさせていき、そこにコミュニティが生まれ、読者が日常的にその書店に集まってくる。そのコミュニティを信頼して、出版社は商品を送り込んでくる。「地域でまとめて発送」という効率的な物流が再び機能してくる。

 「地域で」なのだから、コミュニティは個々の書店が単独で形成するものとは限らない。神田神保町やかつての京都四条河原町ほどの密度でなくとも、すこし範囲を広げればいくつかの書店が共存する地域は、日本中にある。それぞれの書店が顧客とともにそれぞれのコミュニティを形成している。その書店同士が協力しコミュニティを形成すれば、それぞれのコミュニティ同士も融合する。その結果、コミュニティの存在理由を強化することができる。その存在理由こそ、本と読者の豊かな出会いである。

 福岡では、10数年前から、福岡の出版社や書店で働く有志メンバーによる「ブックオカ」というブックフェスティバルが続いている。「福岡を本の街に」というサブタイトルを持つこのフェスティバルは、「我が福岡の街を、東京の書店街・神保町のように、新刊から古書まで丸ごと本を楽しめる空間にしてしまおう」という趣向である。

 2015年の「ブックオカ」では、東京、大阪、広島からのゲストを含めた12人のメンバーを中心に、書店、出版社、取次三者による座談会「車座トーク ?本と本屋の未来を語ろう」が開催された。2日間、11時間にも及ぶ熱いトークの様子を、ぼくたちは一冊の本で読むことが出来る。書名も、『本屋がなくなったら、困るじゃないか』

 多くの、特に地方の書店の最大の悩みは、読者とのコミュニティを形成するのに不可欠な商材が、なかなか入ってこないことである。ベストセラーの入手もそうだが、客注品がなかなか入ってこないのは、大きな問題だ。

 “そもそも何故私が客注を受けましょうと言っているかというと、一番はお客さんとのコミュニケーションなんです。もちろんトラブルも発生しますし、リスクはありますが、…”(徳永圭子 丸善博多店)

 言うまでもなくコミュニケーションはコミュニティの根源的な要素である。

 だからこそ、地方書店は、一つ一つの客注を大事に扱い、商品調達のため、しばしば取次の地方支店の店売に買いに走ったのだ。ところが、「効率化」の名の下、取次は地方書店の商品在庫を減らし、ついには支店そのものを閉め始めた。「車座トーク」では、その機能を、書店そのものが代替してはどうかという意見が出、賛同を得る。

 “そこで僕の考える卸売センターは、書店の店頭であってもいいんじゃないかと思っているんです。”(松井祐輔(HAB)但しトークではなく事後のインタビューでの発言 P240)

 藤村興晴(亡羊社) 書店同士で融通しあう「仲間卸」って、いまはできないのですか?

 佐藤友則(ウィー東城店) やってくれるところはいまでもありますよ。(P52)

 客注に限らず、欲しい、売りたい本がなかなか入ってこないという悩みを持つのは、いずこも同じである。東京・神奈川の書店を中心に、全国の中小書店が集まって共同仕入れをするNET21という試みが、20年以上前から始まっている。

 “あの頃は、再販制度の問題が取り沙汰されていた時代です。その危機感も発端にあって、再販制度がなくなれば、当然委託による配本というのがなくなってしまうということで、小書店はやはり協業して仕入れ調達力を持たなければならないということにつながったわけですね。”(星野渉 文化通信社 P223)

 危機を前にして、書店同士の紐帯が生まれ、必要な部分での協業化が始まっている。書店のコミュニティが、形成され始めている。そのコミュニティは、個々の書店のコミュニティをも活性化するものである。書店同士のコミュニティの目的が、それぞれの顧客の要望に答えることだからである。

 そうした努力によって、個々の書店が生き残っていかないと、本がどんどん売れなくなる状況に歯止めは利かなくなる。大阪から参加したスタンダードブックストアの中川和彦は言う。

 “検索して、何駅か先に紀伊國屋書店があったんで、「ほかにも本屋がありますよ」と案内したんですけど、「イヤ、オレはそんなとこまで行くのはかなわん」って(笑)街には本屋はいるんや、大事にせなあかん、って思った。”(P35)

 読者は、本屋に通う習慣があるからこそ、「行きつけの本屋」があるからこそ、本を買うのである。

 日販の小野雄一は、書店が1店閉店した時、近隣の書店に流れるのは、閉店した書店の月商の4割くらいで、あとの6割は消えてしまうと言う。書店の閉店とともに、一つのコミュニティが消失するからであろう。まさに、「街から本屋がなくなると、本を買う習慣そのものがなくなってしまう」(P124 小見出し)のである。

 今回のコラムの前半部分で取り上げた『現代思想』の田中×若林対談で、若林恵が興味深い指摘をしている。

 “僕が面白いなと思ったのは、Amazonの北米物流施設の総床面積と日本のコンビニの総床面積がほぼ同じだっていうことなんです。アマゾンの総床面積がだいたい950万平方メートルらしいんですけどね。そのデータを知って改めて気づいたのは、「そっか、コンビニって倉庫なんだよな」ってことだったんです。つまりアマゾンもコンビニも「外部化されたストレージ」なんですよね。貯蔵庫や冷蔵庫の代わりなんだってことです。”(P18)

 書店もまた、多かれ少なかれ、本の「倉庫」の機能を果たしている。そのことと極めて整合性を持つ制度が、日本の出版書店業界に特徴的な常備寄託である。書店が出版社の既刊書を、原則1年間、店頭で預かる。常備品は、出版社の外部在庫として計上される。常備契約では書店は常備品を販売するとすぐに補充注文を出す義務が課されている。多くの場合、1年後の請求時には同規模の常備品が送品され、入れ替えることによって書店の棚は、そして同時に出版社の商品販売機会は維持されるという仕組みだ。

 近年、出版社・取次・書店三者の発送・入れ替え作業の煩雑さや、書店の金融返品の手段となる危険性も指摘されるこの制度だが、オープン時の書店の資金負担を大幅に軽減することによって、全国各地の出店を容易にし、現在の全国書店網の形成を可能にしたことは間違いない。

 常備品は、出版社の社外在庫である。書店は出版社の倉庫機能を担っている。ならば、そうした商品を、求める読者のいる他書店に融通することは、とても自然な発想ではないだろうか?常備品を預ける出版社にとっても、最終的な目的は商品の読者への販売であるから、その機会が増えることは何よりも望ましい姿だ。

 一方、書店は出版社の「倉庫」であるだけではなく、読者=顧客の倉庫でもある。家の中に図書館のような蔵書を持つことは(ほんの一部の例外を除いて)不可能だ。人は、必要や興味を感じた時、あるいは必要や興味そのものを見出すために、書店という「倉庫」に出向いてきたのである。

 若林は、次のように言う。

 “食事に関しても、アジアってわりと外食がそもそも基本にあるようにも思えるんです。東南アジアなんかだと小学生が通学途中に買い食いするのが普通だったりするところもあったり、つまり、台所が外部化されている。都市のなかにいろんな機能が散り散りに偏在しているわけです。ラブホテルなんかもそういうものだと思いますけど、都市って本来的にはそういうふうに成り立ってきたものなんじゃないかって気もするんです。”(P22)

 そのことは一見、家庭の機能の外部化、ひょっとしたら崩壊というイメージさえ、抱かせるかもしれない。だが、若林が指摘するように、家が寝室、台所、リビングルーム、書斎、寝室など、生活に必要な要素をフルパッケージで提供してきたのは、近代以降にすぎない。それらが外部化されたことを「崩壊」と感じるのは、都市もまた近代以降のものだという錯覚の産物なのだ。もともと、都市とは、独りでは生きていけない「社会的動物」である人間を、生かすためにさまざまな機能を分散して用意する、コミュニティのシステムなのである。

 都市という大きなコミュニティのサブコミュニティとしてのみ、書店は存在理由を持ち、存続し得る。そうであるためには、ぼくたち書店員は、コミュニティの成員同士として読者=顧客を歓待すべきなのだ。

 「いらっしゃいませ。ご来店ありがとうございます。今日は、どうされましたか?」

 

 追記

 まったく別の角度から志向された出版物流問題の解決策として、DNP(大日本印刷)の「POD」戦略構想がある。

 「書店の注文に対して、プリント・オン・デマンドにより1部から発送できる体制を整え、各地にあるDNPの印刷工場や協力企業を通じて「適地生産」することで、物流コストを抑え、迅速な流通を具現化する」という構想である。

 ぼくは、この構想について『ジャーナリズム』5月号(朝日新聞社)「メディア・レポート」で取材報告した。その際、本稿でも引用した対談での、田中の“Amazonが3Dプリンティングの特許をとっているのですが、それは何かAmazonに注文が来たら、わざわざ海外から飛行機や船でと寄せて注文者の自宅まで運ぶのではなく、注文者が住む地域の倉庫で、注文が来たその瞬間から、あらかじめ用意しておいた設計データから製品を印刷してつくればいいんじゃないかという発想です。”(P9)との発言を引用し、DNPの戦略は、その出版物版だと論じた。本稿のコミュニティ再形成とは、ある意味真逆の方向だが、だからこそ相補的だとも言える。ご参照いただければ、幸いです。

 

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第187回掲載

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)、『書物の時間 書店店長の想いと行動 特定非営利活動法人共同保存図書館・多摩 第25回多摩デポ講座(2016・2・27)より (多摩デポブックレット)』(共同保存図書館・多摩)


○第187回(2018/4)

 チェスの世界チャンピオンや囲碁・将棋のトップクラスのプロが、既にAIに敗けているのだ。AIが学力において多くの日本人を上回っていてもなんの不思議もないではないか?

 そうではない、と新井紀子教授は言う。羽生善治永世七冠が「人間の将棋とAIの将棋は、まったく別物」と言っているように(→本コラム第175回)、新井もまた、人間が問題を解く作業と、AIが問題を解く作業は全く別物と言う。言い換えれば、AIのディープラーニングと人間の学習には、(まだ今のところ)決定的な違いがあるのだ。だからこそ、東ロボくんは、東大合格という目標を達成できなかった。

 新井の東ロボ開発プロジェクトの真の目的は、その「できなかった」理由を解明することにある。進化するAIがどんどん伸ばす得意分野と、それでもなおAIが到達できない人間の得意分野を腑分けすることにより、仕事のほとんどが人間からAIに奪われてしまうディストピアを回避し、そのことでAIの開発により積極的な意味を付与すること、言わば、AIと人間の共生を目指す道が模索されているのだ。

 では、AIが苦手とするのは、具体的にはどういう問題か?新井は、AIの得点率が低い国語の問題のタイプと、それらを解くために必要な能力を分析する。その結果、AIは、「係り受け」(主語ー述語、修飾語ー被修飾語の関係)や「照応」(指示代名詞が何を指すか?)を理解する能力についてはかなりの進化を遂げているが、文の構造を理解した上で生活体験や常識、さまざまな知識を総動員して文章の意味を理解する「推論」の能力、文章と図形やグラフを比べて内容が一致しているかどうかを認識する「イメージ同定」の能力、定義を読んでそれと合致する具体例を認識する「具体例同定」の能力は発達していないことが分かってきた。意味を理解しないAIには、後三者の能力を必要とする問題は、まったく歯が立たないのだ。

 一方新井は、AIに読解力をつけさせるための研究を積み上げエラーを分析してきた蓄積を用いて、人間の基礎的読解力を判定するためにリーディング・スキル・テスト(RST)を開発する。RSTは、AIの正解率が80%を超える「係り受け」や急速に研究が進んでいる「照応」、AIにはまだまだ難しいと考えられている「同義文判定」、AIにはまったく歯が立たない「推論」「具体的同定(辞書・数学)」の6つの分野で構成されていた。

 人間とAIの幸福な共生を目指すならば、人間はAIが苦手とする分野で能力を発揮していかなければならない。だが、RSTを用いて、中高生を中心に、一部上場企業の大人も含めた2万5000人の読解力調査を行った結果、憂うべき現実が明らかとなった。AIが苦手とする問題を、人間も苦手としていたのだ。即ち、AIに備わっていない能力が、人間においても欠落してきているのである。

 AIにとって正解を出すことが難しい問題群は、要するに「意味を理解できない」と解けない問題だ。AIと人間の苦手領域が似てきているということは、「意味を理解できない」人間が増えてきているということだ。

 人間を超えることを目指して開発が続けられてきたAIがどうしても乗り越えられない地点で足踏みしている間に、人間の方がそこまで降りてきてしまっている、即ち人間の方が「不完全なAI」化しているのだ。そうなると、「シンギュラリティは来ない」という新井の予言も危うくなってくる。AIが順調な進化を遂げるからではなく、人間が退化していくことによって。

 AIも人間も苦手としている問題の具体的な例の数々は、『AI vs.教科書が読めない子どもたち』で実際に見ていただきたいが、多数の解答者が「意味を理解できない」でいることを示す、象徴的な問題が次のものだ。

「Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexander の愛称でもある。」
この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい
Alexandraの愛称は(    )である。

①Alex  ②Alexander ③男性 ④女性

 結果を見ると驚く。中学生の正答率は半数に達しておらず、中学1年生では23%、四択問題の選択肢を何も考えずに選んだときの25 %を下回っているのだ。

  “おそらく「愛称」という言葉を知らないからです。そして、知らない単語が出てくると、それを飛ばして読むという読みの習性があるためです”と、新井は分析する。たとえ「愛称」の意味を知らなくても、例文をしっかり読めば正答を選べる可能性はもっと高いと思われるのだが、この正答率は、そもそも知らない言葉は目に入らない、なんとかその意味を想像しようという意識も無いことを示しているとしか思えない。

 この読解力水準で、そもそも「本を読め」と推奨、命令してもまったく無駄である。彼らは単に本を「読まない」のではなく、「読みたくない」のでもなく、「読めない」のである。

 高校生になると、確かにこの問題の正答率も上がるが、それでも、60%台であり、高3になると50%台に落ちている。高校生の5人に2人は、この例文の意味が理解できていないのだ。もっと言えば、文章を読んで意味を考えるという姿勢が無いのだ。

 その状態で、「本を読め」と言っても無理だ。本という生産物については、「それらの生産物にたいする欲求が存在しないわけではない」(ハインリッヒ)という微妙な状況が、「欲求は存在しない」に向かって、間違いなく悪化しているのである。

 そうなると、確かに出版ー書店業界は困るだろう。本が売れなくなったら、業界そのものが縮小せざるを得ない。時代は変わっていくのだ。それにつれて、縮小、消滅した業態も多い。出版ー書店業界もその例外ではない、というだけか…。

 人々の読解力が減退して、本を読む人が少なくなり、英語力が落ちても、ITやAIの進化が人類を救ってくれる。人間が本を読み様々なことを学ばなくても、サイバー空間のアーカイヴにある膨大な情報に必要な時にアクセスできればよく、英語力が落ちても、自動翻訳がどんどん進化すれば、困らない。

 否。問題は、出版−書店業界の存亡だけではない。読解力=意味を把握する能力の減退・喪失は、理系の学問も破綻させる。新井は、RSTより前に、6000人の大学生を対象に「大学生数学基本調査」を行った際、「偶数と奇数を足すとどうなるか?」という論証問題の正答率が34%だったことに愕然としたという。

“論理的なキャッチボールができる能力を身につけないまま学生が大学に入ってきても、大学として教育できることは限られています”。

 こうした学生たちが世に出ても、そのすべての能力においてAIの後塵を拝すとなると、AIの側は、苦もなく「シンギュラリティ」の時を迎え、労働市場を席巻するだろう。そしてそうなった時、没落するのは仕事を失った労働者だけではなく、資本家もまたその後を追うのである。買い手がいなくなってしまえば、出版ー書店業界だけではなくあらゆる業界が収益構造を維持することはできず、社会はこれまでの経済構造を維持できないからである。少なくとも近現代の社会構造は、人々が本を読みさまざまな知識を得て万象の意味を理解することを前提に成り立ってきたのである。

 すべては、教育の問題か?その通りである。だが、教育は学校教育に限られる訳ではなく、その責が学校にのみ帰せられるものではない。教育とは、社会全体が知を生み出し、それを広く伝えていくという営為なのだ。即ち、学校外にいる人々も皆その責を負っており、況や知の時間的/空間的流通手段である本を糊口を凌ぐ手段としている出版書店業界の人間は、教育への意欲において、教員その人は置くとしても、他の何人にも先んじていて然るべきである。それなのに我々は、「速読」「多読」と称揚して、新井が言う「知らない単語が出てくると、それを飛ばして読むという読みの習性」の埋め込み、繁殖を助長するような本をも、出版、販売してこなかったか?

 受験参考書や受験産業も、決められた時間の中で得点を上げるテクニックとして、飛ばし読みのテクニックを受験生に授けてきたようだ。ある一定のルールに則って問題文を変形すれば、文意を全く解さなくても正解が書けるというような「技」もある。

 ルールに忠実であればよい、解釈は不要。そうした定式に人びとが唯々諾々と、面倒な解釈労働(他人の心のを慮ること)から免れることを歓びながら従っていく世界こそ、グレーバーが批判する「官僚制のユートピア」である。(→本コラム183回)

 そうした世界は、かつてエーリッヒ=フロムがナチスの支配を許したドイツ国民のあり様を言い表した「自由からの逃走」の世界である。すでに18世紀の終わりに、カントが、ルールにのみ従うあり様を、悪の第三の形態と呼んでいることを、ぼくは最近、大澤真幸の『サブカルの想像力は資本主義を超えるか』(KADOKAWA)に教えられた。

 

カントの「悪の三類型」

1.人間の意志の弱さに由来する悪 してはならないとわかっているのに、意志が弱いために欲望に負けたり、快楽に溺れたりしてしまうこと

2.一見、何か正しい倫理的な動機に従った行動のように見せながら、その内部では、個人的な欲望や、「しつけ」と称して子どもを殴って鬱憤を晴らすような快楽のためにやっている。「不純な動機」。

3.正しいこと、正しい義務への内発的動機がないケース;なにをやってはいけないか、やるべきなのか、そうした感覚がまったくない

 

 そしてカントは、第三の形態が最も破壊的な悪だと言っているという。それは、この形態においては、ルールを守ろうとする内発的な動機がないからである。

 「内発的な動機」、それは、自分がそのルールを守って行為することの意味を知ることではないか?意味を知ろうとする姿勢の欠如は、即ち「破壊的な悪」につながるのではないか?実際、「だってさ、ルールさえ守っていればいいだろ。どんなことをしても」という人が、現代社会に増えてはいないか?その姿勢は、やがて「意味のわからない」破壊的な事件や事故につながっていかなかったか?

 意味を知ろうとする姿勢、「内発的動機」は、学習しよう、本を読もうという行為に不可欠なものである。

 学習者の意欲なくして教育は成立しない。ならば、教育の第一歩は学習への誘惑である。誘惑とは、即ち、相手の欲望を引き出す行為であるからだ。書店においては、本への誘惑である。そのためには誘惑者自身がその欲望を強く持っていなくてはならない。「本を読みたい、知りたい、理解したい」という欲望を、本を売るもの自身が持っていること、その欲望が他者の欲望を引き出す空間を書店に創り出すことこそが、書店員の最も重要な仕事なのだ。そして、そうした空間とともに生まれるのが、緩やかなコミュニティ(※)なのである。

 (※)「緩やかな」というのは、「紐帯が弱い」ではなく「より多くの人に開かれている」ことを意味している。

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第186回掲載

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)、『書物の時間 書店店長の想いと行動 特定非営利活動法人共同保存図書館・多摩 第25回多摩デポ講座(2016・2・27)より (多摩デポブックレット)』(共同保存図書館・多摩)


○第186回(2018/3)

 ミヒャエル・ハインリッヒは、マルクスの『資本論』を読み解き、「恐慌」を「生産された商品量の大部分をもはや販売することができない・それらの生産物にたいする欲求が存在しないわけではないが、支払い能力のある欲求は存在しない」状態と捉える。ぼくは、前回、20世紀末からの「出版不況」は「恐慌」であったと書き、その原因として、出版資本の自己増殖と技術革新による増産を挙げた。だが、これは先のハインリッヒの定義の部分の前半部分にのみ関わる。ハインリッヒのいう定義の後半部分、「それらの生産物にたいする欲求が存在しないわけではないが、支払い能力のある欲求は存在しない」は、出版業界にも当てはまるのだろうか?

 然り。この微妙な言い回しが、本をつくり売るわれわれの業界の今日的状況にこそ、ぴったり当てはまると思うのだ。

 マルクスが考察した19世紀において、生産物の中心は、生活必需品であった。だからこそ、宇野弘蔵の次の言葉が妥当する、


“労働者の生活資料は資本家にとっては販売しなければならない商品であり、労働者にとっては、賃銀として得た貨幣をもって購入しなければならない商品であるにすぎない。労働者も賃銀が得られなければこれを購入することはできない。資本家にしても労働者に売ることができなければ、その価格の低落を避けることはできない。”


 「恐慌」は、資本家、労働者双方にとっての不幸なのである。この場合、状況改善が、全力で図られることになる。マルクスも宇野も、不況→恐慌が、技術革新の揺籃器となり、やがて好況への道を開く経済循環を予想する。実際、歴史的にも、循環は進行した。ハインリッヒの定義をほんの少し書き換えて、「それらの生産物にたいする欲求は存在するが、支払い能力のある欲求は存在しない」ケースである。

 だが、ハインリッヒは、「それらの生産物にたいする欲求が存在しないわけではない」と、微妙な言い回しをしている。ぼくは先程、「この微妙な言い回しが、本をつくり売るわれわれの業界の今日的状況にこそ、ぴったり当てはまる」と言った。どういうことか?

 これまでにも何度か触れたが、このケースに当てはまるものとして、ぼくは第一に出版労働者、書店労働者のことを考えている。最近では例外もある(というか、例外の方が多いかもしれない)が、出版社や書店で働こうというモチベーションを持つ人たちは、本が好きで、本を読みたいという欲求を持っている。言わば、生産に携わる人たちが、同時に消費者でもあったのだ。だが、IT技術導入による人減らしや労働形態変更(社員中心→アルバイト中心、外注等)のために、彼/女らは減り、本の購入に充てる可処分所得の総計が、間違いなく減少した。本は、読まなければ生を存続できなくなるほどの必需品ではなく、また本への欲求は本を読むことによってしか生まれ育っていかないから、出版社や書店が従業員に支払っていた給料が、彼/女らが本を買うことによって還流するプロセスが、徐々に崩壊していったわけである。

 もちろん、出版-書店業界で禄を食むものだけが本を買っていれば業界が成立するわけではない。利益を上げるために、否「単純再生産」を続けるためだけにも、多くの「外部」の読者に本を買っていただかなければならない。

 「読書離れ」が言われる。特に「学生が本を読まなくなった」ことが、出版不況の元凶として指弾される。確かに学生は出版業にとって重要な市場であったし、今もそうである。さまざまな理由で彼らが本を買って読まなくなったことは、痛い。

 だが、単に学生を出版不況の犯人扱いすることには、何ら生産性がないと思う。むしろ、ぼくは学生に同情的である。

 学生が持つお金と時間が、本からPCやスマホに移行していったことは間違いない。しかし、それは学生だけではなく、ぼくら出版-書店業界に生きる人間をはじめ、社会全体でそうなっているのだ。学生だけにその責を負わせるのは、おかしい。

 今日の学生の経済状況は、ぼくたちが若い頃に比べて非常に厳しくなっている。第一に、授業料の高騰がある。長く続く国全体の経済不況の影響で、親からの仕送りもままならない。奨学金の返済も、かつてに比べて非常に厳しくなっている。生活のためにも、彼らはアルバイトに勤しむ他はない。弱者となった学生につけ込むブラック企業や学生融資ビジネスも、あとを絶たない。そのような状況で、どうやって金と時間を本に回せと言えるのか?

 学生にとって本来必需品であった本が、どんどん「それらの生産物にたいする欲求が存在しないわけではないが」という曖昧な存在になってきており、そして間違いなく「支払い能力のある欲求は存在しな」くなっているのである。

 条約を批准しながら、「高等教育の無償化」を実現する気など毛頭なさそうな政府の姿勢を含めて、学生を取り巻く状況を改善することが、先決なのではないだろうか?

 経済状況だけではない。今日的な教育のあり方が、さらに言えば来るべき社会への展望そのものが、学生と本の関係にとって深刻な状況に陥っている。

 的場昭宏は、「大学はサービス産業ではない」と嘆息する(『最強の思考法「抽象化する力」の講義』的場昭宏 日本実業出版社)。

 学生の大学への注文、要求が多くなり、それを真に受けた大学側が成績についての合同相談会を設けたりすると、「何で俺を落としたんだよ?」と凄む者が出て来る、という。「先生、この前レポートを提出しましたよね。なのにどうして合格点をくれないのですか?」「先生の本を買ったんだよ。だから単位くれよ!」。単位は勉学の成果ではなく、学費支払いによる「獲物」と考えられているのだ。

 そのような状況で、「学生」に、読むべき本を示し、それについて論じよ、と言っても、徒労に終わるだろう。大学というメディア自身の変容=弱体化が、学生から「本を読むべし」というモチベーションを奪っているのだ’。本という「生産物に対する欲求」が「存在しないわけではない」から「存在するかどうか、覚束ない」あたりまで滑り落ちる。

 もちろん、そのことの責任は、すべて大学側にあるのではない。大学に学問ではなくサービスを要求する学生の素地は、それまでの初等・中等教育が培ってきたものであり、日本の教育制度全体の問題である。

 国立情報学研究所の新井紀子教授は、2011年から東大合格を目指すAI「東ロボ」君の開発に関わってきた。だが、彼女は決してAI信奉者ではない(以下、『AI vs.教科書が読めない子どもたち』(新井紀子著 東洋経済新報社)を参照・引用しました)。

 「コンピュータはすべて数学でできています。AIは単なるソフトウェアですから、やはり数学だけでできています。」「数学で説明できるのは、論理的に言えることと、確率・統計で表現できることだけだということです。つまり、数学で表現できることは非常に限られているということです。」それゆえ、「数学者として、私は「シンギュラリティは来ない」と断言できます」とキッパリ言い切る新井の言葉は清々しく、生半可な知識で来るべき世界を楽観的/悲観的に空想する「未来学者」よりも格段に説得力がある。

 新井が「東ロボ」プロジェクトに関わった本当の目的は、人間がAIに仕事を奪い尽くされないために、AIにできないことは何かを解明することだった。

 結局東大合格水準には達しないまま、「東ロボ」プロジェクトは2016年に凍結される。情報検索が威力を発揮する世界史や、論理的な自然言語処理と数式処理の組み合わせで答えを導ける数学では高得点を叩き出せるが、それらふたつの方法では、国語と英語はどうしても克服できなかったのである。情報検索の速さや精度、膨大なデータによるディープラーニングも、「意味を理解する」という能力を産み出さないからだ。

 新井は、「東ロボ」の苦手分野を踏まえて、リーディングスキルテスト(RST)を開発し、実施する。ところが、その結果は深刻だった。

 「東ロボ」に欠けている能力が、多くの人間にも欠けていたのだ。それは、意味を理解する能力、読解力である。具体的には、AIにはまだまだ難しいと考えられている「同義文判定」、AIにはまったく歯が立たない「推論」「イメージ同定」「具体例同定」分野の正答率が、人間においても、著しく低い。得手不得手が同じなら、日々進化するAIに人間がやがて仕事を奪われていくことは必至となる(東大合格には至らなかったとは言え、「東ロボ」はMARCH、関関同立合格レベルの偏差値には到達している。受験生全体で見れば、かなりの高位置にいるのだ)。

 新井は、教育の最重要課題を、次のように言う。

 「中学校を卒業するまでに、中学校の教科書を読めるようにすること」

 これは、皮肉でも冗談でも戯言でもない。実際に、多くの大学生が、教員も含めた大人たちが、文章を読んで意味を理解することを出来ないでいるのだ。
このままでは、ハインリッヒの定義の前半部は、こと本という生産物については、「それらの生産物にたいする欲求が存在しない」世界が早晩やって来る。

 そうなると、「出版恐慌」を抜け出すことは、永遠に不可能になる。

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第185回掲載

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)、『書物の時間 書店店長の想いと行動 特定非営利活動法人共同保存図書館・多摩 第25回多摩デポ講座(2016・2・27)より (多摩デポブックレット)』(共同保存図書館・多摩)


○第185回(2018/2)

 高校2年生の時、ぼくたちは岡村先生という年配の教員に「倫理社会」を教わっていた。岡村先生は病気がちで休講も多く、ぼくたちは「自習時間」という名の遊び時間を喜んでいた。トランプ遊びに興ずるものも多く、ぼくなどは、演劇部で麻雀の場面がある芝居を書き、稽古用と称して部室に常備してあった麻雀牌と麻雀マットを持ち込んだ。

 受験とは余り関係のない科目だったので、授業中もクラス全体が熱心に聴くという状況ではなかったと思う。ただ、ぼくは、その頃から、訳がわからないことが多いながらも哲学の本を読み始めていたから、授業がある時は熱心に聞いていた。

 ある時、岡村先生が、「マルクスの言う、資本主義の最大の問題点は何か?」と問われた。ぼくは、答えた。「人間を、目的としてではなく手段として用いることです」。もちろん、カントが念頭にあった。岡村先生は言われた。「確かに、それも大きな問題だ。でもそれが最大の問題ではない。最大の問題は、資本主義経済が必ず恐慌に陥ることだ」。

 もはや高校で何を教わったかをほとんど覚えていないぼくも、この場面は鮮明に覚えている。

 『資本論』において、恐慌が論じられるのは、第3巻である。第2巻以降は、マルクスの死後、エンゲルスの編集によって出版されている。もちろん、マルクスの草稿をまとめての刊行だから、マルクスの著作と言って間違いはないのだが、生前の出版物に比してどうしても典拠性に欠ける。恐慌論も、マルクス以後のマルクス主義経済学者たちによって解釈・議論が重ねられた。

 今日、もっともアクティヴで注目されているマルクス研究者ミヒャエル・ハインリッヒは、『『資本論』の新しい読み方 21世紀のマルクス入門』(堀之内出版)で、

“経済恐慌と呼ばれるのは、社会の経済的再生産の深刻な撹乱のことである。それは、資本主義経済においては、生産された商品量の大部分をもはや販売することができないということを意味する。それらの生産物にたいする欲求が存在しないわけではないが、支払い能力のある欲求は存在しない。”(P209)

 そして次のように付け加える。

“資本主義は、財の過剰が問題となり、買い手のつかない財がその所持者に破産をもたらす一方で、同時に、最も必要なものすら事欠き、自由に処分することができる唯一のものー自分の労働力ーを売ることさえままならない人間たちが存在する、唯一の生産様式である。”(P209)

 この部分の末尾、「唯一の生産様式」という言葉が、岡村先生の言う「資本主義の最大の問題は、恐慌」という解答と符合する。

 では、なぜ資本主義において、恐慌は避けられない(それは、歴史的事実でもある)のだろうか?

 マルクスは、自己増殖が資本の本質、唯一の「欲望」であることから、説明しようとする。

 労働者の剰余労働による剰余価値は、利潤としてまず資本家の懐に入るが、残りは追加資本となる。守銭奴ならぬ資本家は、追加された資本を貨幣退蔵へ回すのではなく、生産過程に投下する。それが不変資本(生産設備・原材料)と可変資本(労働力)の購入にバランス良く当てられた時に、拡大再生産が行われ、その利潤がさらに資本に追加される。

 このプロセスが間断なく続いていくのが、資本の自己増殖の実態なのである。

 このプロセスの中で、固定資本が増大していくのと並行して、実は利潤率は低下していくとマルクスは言う。それは、利潤率=m/(c+v)を、(m/v)/{(c/v)+1}と変形し、剰余価値率=m/vが一定ならばcが増大すると分母が大きくなり、利潤率の式の値はが低くなるからである(m=剰余価値、c=不変資本、v=可変資本;労働賃金)。

 資本家は、利潤率の復旧を図り、日々進歩する技術を取り入れ、より効率の良い生産設備に資本投下(購入)する。より効率が良いとは、すなわちより少ない労働賃金で多くの剰余価値を得ることができるという意味である(相対的剰余価値の増大)。すなわち、労働者の賃金を抑えられるか、就労者数を減らせるかのどちらかと同義である。新しい技術への資本投資は、労働者全体の収入を、すなわち購買手段を減額する。

“労働者の生活資料は資本家にとっては販売しなければならない商品であり、労働者にとっては、賃銀として得た貨幣をもって購入しなければならない商品であるにすぎない。労働者も賃銀が得られなければこれを購入することはできない。資本家にしても労働者に売ることができなれば、その価格の低落を避けることはできない。”(宇野弘蔵『恐慌論』岩波文庫 P142)

 こうして、資本の自己増殖のプロセスは減速→中断し、恐慌=「社会の経済的再生産の深刻な撹乱」を結果する。要するに、資本が利潤を上げて大きくなろうとすればするほど、恐慌は避けられないのである。

 実際には、商品の販売の場に商業資本や銀行が介在することが、恐慌を発生させる重要な要素である。すなわち、最終消費者に商品を販売する前に、商業資本が買い取り、あたかも販売が終了したかのように、産業資本が(拡大)再生産に入る、そして商業資本に(もちろん時には産業資本にも)その介在を可能にさせる融資をする銀行が存在することが、時に恐慌へのスピードを加速するのである。

“元来、恐慌なるものは貸付資金の回収不能が時を同じうして相当広汎に生ずるところに顕れるものであって、現象的には必ず金融恐慌をなすものである。”(同P39 ) 

 では、生産者(産業資本)と購買者の間に商業資本や銀行が介在することが恐慌の根本的な原因なのか?そうではない。宇野は、次のようにも言っている。

 “実際上は投機的買付が商人ないし商業資本によって行われるために、その破産によって契機を与えられ、販売し得ない商品が恐慌の原因をなすものとせられるのであるが、それは先にも伸べたように産業資本における過度の蓄積の歪曲された表現にすぎない。”(同P122)

 恐慌の根本原因は、「産業資本における過度の蓄積」なのである。そして、その「過度の蓄積」が可能になるのは、その前に実際に商品が売れ、資本が増殖していったことを前提としている。好況→不況→恐慌の経済循環が必至なのは、そして現実の経済の中でそれが起こっていることは、それゆえである。つまり、資本主義は、技術革新と共に進化すればするほど、自らの破綻を招来するという矛盾を必然的に孕んでいるのである。

 

 20世紀最後の四半期から今日に至る出版・書店業界の有様も、そうした矛盾の現れではないだろうか?

 1996年に出版販売総額のピークを迎えるまで、この業界はずっと右肩上がりだった。「出版は不況に強い」と言われた。技術革新により、生産の効率化も図られた。印刷は活版から電算写植へと移行、出版社からの入稿も紙の原稿からデータでの入稿が当たり前になった。実際にモノをつくるその段階以前の工程でも、著者と編集者は、メールでのやり取りが主流となる。「生産」スピードは上がり、量産が可能になった。

 特に出版業界の場合、委託販売制と取次の配本力により、生産物は即市場に卸される。未だ売れていない商品があたかも売れたかに見える錯覚が起きやすい。その反省からPOSデータの重視が始まったが、それはそれで問題を孕む。売れているというデータがリアルタイムで届くと、ここで儲けようと重版を繰り返し、結局過剰生産になってしまうことも多い。

 過剰分はやがて返品となって帰ってくる。そのマイナスを相殺しようと、そしてどこかでベストセラーをつくって累積した赤字を埋めようと、新刊を続々と市場に送り込む。技術革新によって生産スピードが上がったから、それができてしまう。かくして、右肩下がりを続けた20年間、新刊点数は膨れ上がっていった。その分、過剰在庫が増加し、多くの出版社が資金繰りの限界を迎え、倒産が相次いだのだ。

 書店も同様だ。90年代のバブル崩壊によって、家賃が低下し、より大きな面積が借りられるようになった。文化の香りがし、集客力もある書店が入ることを歓迎する家主も多かった。大きな面積を埋めるためには、大量の商品が必要だ。帖合が欲しい取次は、新規オープン時の商品請求を繰り延べして自らのシェアを広げようとした。小田光雄は、それを「本の不良債権化」と呼んだ。ぼくは、常備寄託制度を利用して棚に商品を並べ、毎年きちんと入れ替えをしていけば、決してそれは「不良債権」などではない、と反論したが、現実には小田の指摘は間違いではなかった。常備だけで棚を埋められた訳ではなく、追加で仕入れられた注文品や大量の新刊は、本来即請求の商品だからだ。それらがすべて売れて初めて、後日に繰り延べられた請求に対応することが出来る。いわば、出荷する出版社と同様、仕入れた書店にとっても、商品は売れる見込みがなくても「売れたもの」「売れるもの」と見なされたのである。

 その時、取次は明らかに金融機能を担った。金融機能が肥大すると、恐慌は目前である。

 一方、相次ぐ大型店の誕生を、出版社も歓迎した。先に言ったとおり、出版社は冊数、点数ともに増産を続け、過剰在庫を抱えていたから、それらを納品できる市場を必要としていたのだ。

 いわば、業界三者が、それぞれの思惑で、需要を遥かに超えた増産を続けていたのだ。わかりやすい指標が、返品率の高止まりである。この状況は、最初に挙げたハインリッヒの「恐慌」の定義の前半部分「生産された商品量の大部分をもはや販売することができない」状況に当たる。

 20世紀末からの「出版不況」は、「出版恐慌」だったのである。

 だが、われわれは、その原因を更に追求しなくてはならない。ハインリッヒの「恐慌」の定義の後半部分、「生産物にたいする欲求が存在しないわけではないが、支払い能力のある欲求は存在しない」という状況について、考えなくてはならないのだ。

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第184回掲載

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


○第184回(2018/1)

 マルクスは、『資本論』第1巻の第3篇と第4篇(岩波文庫版(二))で、まずマニュファクチャ(近代的工場手工業)が生まれ、それがさまざまな機械の発明を伴う産業革命によって大工業へとその座を明け渡す近代産業の発展過程を、豊富な文献と具体的な事例を使って、詳しく論じている。重要なのは、この産業の「発展」において、科学的叡智の進展による技術革新は単に契機に過ぎず、動力源は、あくまで資本の論理であるということだ。資本の論理とは、資本の自己増殖をひたすら目指すもので、その手段は剰余価値の生産である。それゆえ、第3篇のタイトルは「絶対的剰余価値の生産」であり、第4篇のそれは「相対的剰余価値の生産」である。

 マニュファクチャ=労働者を一つの工場に集めて生産させるという方式を生んだのは、分業の効率性である。一人の職人が1個の生産物を最初から最後まで作り上げるよりも、生産過程をいくつもの部分に分け、多くの労働者がそれぞれの部分を専門に分担して作業した方が生産効率が上がることは、経済学の初期から提唱されていた。否、経済学などが成立する前から、実践されていた。だが、多くの労働者を集めて働かせるためには、その場所(工場)を確保(建設)する必要がある。だから、マニュファクチャと資本主義の成立時期は、重なるのである。資本主義とマニュファクチャがその親和性によって融合していけば、マニュファクチャの性格は資本主義の目的に沿うものになる。

 “他の事情が不変であり、労働日が与えられたものであるならば、二倍の労働者数の搾取は、機械装置や建物に投ぜられる不変資本部分、ならびに原料や補助材料等に投ぜられる不変資本部分を、二倍にすることを必要とする。労働日を延長すれば、機械装置や建物に投ぜられる資本部分は不変であっても、生産規模は拡大される。したがって、剰余価値が増大するだけではなく、剰余価値の搾取のために必要な支出が、減少する。”(『資本論』岩波文庫版(二)P379)

 「労働日」とは、労働者の一日の労働時間である。工場主=資本家は、より多くの剰余価値の獲得のために、それを可能な限り伸ばそうとする。労働者の賃金、すなわち労働力の買値は、労働者が自らの労働力を再生産できる額、平たく言えば次の日も働けるように食べ、休み、寝るための費用である。その費用が、一日6時間の労働に見合うものであれば、12時間働かせれば、残りの6時間分の労働が、剰余価値を生むのである。資本は労働力を買い取っているのだから、それをどのように使うかは自由であると考える。

 “資本は次のように答える。労働日は、毎日まる24時間から、それなくしては労働力が絶対に再度の用をなさなくなる僅かな休憩時間を、差し引いたものである、と。”(同P151)

 “労働力の日々可能な最大支出が、いかにそれが無理で不健康なものであり、苦痛であろうとも、労働者の休息時間にたいする限界を規定する。資本は、労働力の寿命を問題にしない、資本が関心をもつのは、ただもっぱら、一労働日に流動化されうる労働力の最大限のみである。”(同P151−2)

 労働時間の延長によって資本が手にする剰余価値を、マルクスは「絶対的剰余価値」と呼ぶ。

 資本が「労働力の寿命を問題にしない」のは、資本家が「いつでも過剰人口があること、すなわち資本の当面の増殖欲求に比較して、過剰な人口があること」を知っているからだ(同P156)。その矛先は、労働力のあくなき低廉化を目指し、児童や婦人にも向けられ、彼(女)らに長時間な過酷な労働を課すようになる。マニュファクチャの分業=協業化は、一人ひとりの仕事の単純化によって、それを助ける。

 マルクスは、熊野純彦のことばを借りれば、「ときに皮肉で、ときとして衒学的な書きぶりをかなぐり捨てて、人間的な憤激をあらわに」(『資本論の哲学』岩波新書 P89 )、“何歳の児童にせよ、これを一日に10時間以上働かせる自由を奪われるならば、それは彼らの工場を休止させることになるであろう”(『資本論(二)』P199)と威嚇的にわめき立てる工場主を批判している。

 それでも、労働者の抵抗により、イギリス議会は標準労働日なるものを法律で制定し、一日の労働時間に制限を与えた。

  “標準労働日なるものの創造は、資本家階級と労働者階級とのあいだの、長期間にわたる、多かれ少なかれ伏在的な市民戦争の産物である。”(同P216 )

  このことが、工場の機械化を促進した。工場は、労働者が道具を使って生産する場から、機械が労働者を使って生産する場へと「進化」したのである。産業革命は、科学的叡智の進歩の結果というよりも、資本家の必要が産んだと言えるのだ。

  “労働日の延長が法律によって終局的に禁止されるや、労働の強度を組織的に高めることによって埋合せをなし、あらゆる機械装置の改良を労働力をより大きく吸収するための手段に転ずる”(P308 ?)

 機械装置の改良は、「労働力をより大きく吸収するための手段」だった。機械化によって生産効率を上げ、労働時間の制限による利益の低下を防ぎ、更には利益の増大を目指したのである。こうして資本が手に入れる剰余価値を、マルクスは「相対的剰余価値」と呼ぶ。

 「労働力の寿命を問題にしない」資本家に課せられていた長時間労働から解放された労働者は、今度は、機械化によって、同じ時間に生産量を増やすことを迫られる。マルクスによれば、労働の「強度」が増したのである。

 それだけではない。マルクスは、マニュファクチャから機械制大工業へと移行していくにつれ、労働者の「不具化」が亢進していったと説く。労働者の仕事は、もはや職人として一つの生産物をつくりあげることではなく、機械の動きに合わせてひとつ事を繰り返すだけになるからだ。労働者は、労働を通じて成長することもなくなる。

 そして、再び、資本家は労働力として女性や子どもたちに食指を伸ばすのである。蒸気機関の発明などによる動力機の登場は、人間力の制限からの解放を意味し、もはや大人の男性の筋力を必要としないからである。

  マルクスは、ある母親の次のような証言を記している。

 「しばしば私は、彼(子供)が機械について立っているあいだに、膝をついて彼に食事をさせました。彼は機械を離れたり、停めたりしてはならなかったからです」(同P120)

  蒸気槌の発明者ネイスミスは、「今日機械を使用する労働者のなすべきことは、またいかなる少年でもなしうることは、みずから労働することではなく、機械のみごとな労働を、監視することである」と言っている。(同P430)この言葉は、更に技術が進歩した今日、特にIT化が進んだ生産現場の状況に、見事に当てはまる。そして、機械を監視する労働者は、逆に監視されることも容認するようになるだろう。

 

  19世紀の、この工場労働のありかたと相似的な変容が、近年の日本の書店業界でも起こっていないか?

 20世紀の最後の四半期、書店の大型化が進み、営業時間が長くなってきた。定休日も減り、年中無休の店も珍しくなくなった。小売業は労働集約産業だから、それにともなって、一店あたりの書店員の数も増えた。大型の職場で労働者数が増えると、分業体制とならざるを得ない。担当するジャンル、職務は細分化され、自分の領域以外は分からなくなっていき、総合的な接客ができる書店員が、いなくなっていく。書店のマニュファクチャ化である。

 やがて、職人=熟練労働者的な書店員も減っていき、それを補うために、機械化=SA化→IT化が促進される。ブラック企業の社会問題化による労働法や労働基準監督署監視の強化により、そしてそれ以上に人件費抑制の必要から社員の長時間労働にも制限が課せられて、「アルバイトでも回せる書店」が資本の覚えよき職場となり、職務の機械化=IT化が促進されていった。そこで忘れられ、置いていかれたのは、おそらく顧客=読者である。書店に行っても、まともに本のことを話せる店員がいない。顧客=読者は、徐々に書店から足が遠ざかる。書店員の目は、顧客=読者ではなく、また、商材=出版物でもなく、ひたすらデータを集積・羅列するコンピュータのモニター画面に向けられている…。書店の、機械による「大工業」化である。書店と縁の深い印刷所の19世紀イギリスの次の事例が、今日の書店員の状況を既に暗示していたようにも思えてしまう。

  “以前は旧式工場手工業の制度に適応して、徒弟がより容易な作業からより内容豊かな作業に移行することが行われた。彼らは、一連の修行過程を経て、一人前の印刷工になった。読み書きのできることは、彼らのすべてにとって手工業の一要件だった。印刷機の出現とともに一切が変わった。”(同P503)

  19世紀イギリスの工場にせよ、今日の書店にせよ、機械化による効率化は、資本から見れば好ましいものに見えたであろう。だが、その展開は、やがて資本そのものを脅かす種をはらんでいる。マルクスに学ばなければならないことは、まだたくさんある。

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第183回掲載

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


○第183回(2017/12)

 マルクスによれば、資本の活動の目的、資本の存在理由、資本の本質は、自己増殖である。そして資本の自己増殖を実現するのは、労働者の剰余労働による剰余価値である。資本が剰余価値を生むのは、まず労働者が資本家に、労働力という特殊な商品を売るからである。

 では労働力を持つ労働者が自ら労働力を使い剰余価値を生み出し得るかというと、それは出来ない。資本家が労働力を買う時に支払う対価、即ち賃金は、労働力の再生産(=生きること)に必要な額に留まり、労働者は、労働力によって剰余価値を手に入れるのに必要な生産手段(原材料、生産機械など)を入手することは出来ないからだ。生産手段を有する資本のみが、剰余価値を手にすることができるのだ。

 初期の資本家たちが、より多くの剰余価値を獲得するために採用したのが、長時間労働である。生産手段のうち原材料の価値は生産物にそのまま転化されるだけだが、生産設備はそうではない。もちろん生産設備の価値も、減価償却という形で最終的には生産物に転化されるわけだが、より多くの生産物を生み出せば、一生産物あたりの償却金額は低くなり、資本家はより多くの利益を得られるか、市場競争力を増す。

 そして、連続的な稼働は、生産設備の効率的な利用にも繋がる。

 “その火を落とせば、再度の火入れと、必要な熱度を得るための時間の損失を生じ、また溶鉱炉自体も、温度の変化によって傷むであろう”。(『資本論』第8章 労働日 岩波文庫版P148 )

 “溶鉱炉、圧延工場等々、建物、機械装置、鉄、石炭等々は、鋼に転化されるよりも、より多くのことをなさねばならない。それらは、剰余労働を吸収するためにそこにあるのであり、そして、当然、24時間では、12時間よりも多くを吸収する”。(同P147−8)

 そこで、資本家は、購入した生産手段を最も有効に活用するために労働力を目一杯使い、連続的な生産によってより多くの剰余価値を得る。そのため、労働者は長時間労働を課される。あるいは昼夜交代制で生産ラインを止めないようにする(より低賃金の女性や子供も活用した)。

 それは、労働者にとっては大きな労苦だから、当然抵抗する。初期の労働運動は、労働時間をめぐって闘われた。マルクスは、かなりの紙幅をさいて、同時代イギリスの、労働時間をめぐる資本家と労働者の多くの闘争の事例を挙げている。(同 第8章 労働日 岩波文庫版P93−231)

 こうした状況は、19世紀の産業資本主義に特有のものに思われるかもしれない。植民地主義が進展し市場をどんどん広げていった時代には、産業資本の生産現場にできるだけ多くの労働者を集めて商品を増産することが、何より資本増殖の道だった。

 もとより、市場がほぼ開発し尽くされた今日、19世紀の資本の戦略が、同じように有効であるわけではない。また、労働法や児童福祉法が、かつてのような過酷な労働条件や児童の就労を許さない。まして小売業においては、マルクスが工場の生産現場に対して行った考察が当てはまるようには思えない。深夜に営業を続けても、昼間と同じように客が来て商品が売れるわけではなく、労働者が労働した分だけ剰余価値が発生するとは言えないからだ。ぼくは前回、書店も出版物生産プロセスの一部であると主張したが、マルクスが工場現場に対して行った考察を前にしたとき、それを撤回するように迫られるかもしれない。

 しかし、19世紀の工場主のDNAは、現在の流通業にも受け継がれてきている。店舗という「工場」をはじめ、販売を支える「生産」設備の減価償却は、使えば使うほど早いという面は共通している。家賃も設備代金も、稼働率、すなわち営業時間とは無関係だからだ。

 20世紀末以降、経営が厳しくなってくるにつれ、書店も営業時間が長くなってきた。定休日も減り、年中無休の店も珍しくなくなった。

 今日では労働法により休日数の下限は決まっており、残業時間も制限される。会社も、支給金額が上がる残業代は、できるだけ支払いたくない。そうなると、悪質なブラック企業でない限り、スタッフの必要数は増える。人件費を抑えたい企業は、勤務をシフト制とし、できるだけ効率のよい勤務時間を指定する。そのために便利な時給制のアルバイトの数が増え、正社員の率が低くなる。必ずしもアルバイトの能力が正社員より大きく劣るとは限らないが、協働することによって経験・知識・技能を伝達する時間が減るのは、間違いない。

 『飯場へ』(渡辺拓也著 洛北出版)では、大学院生である著者が、実際に飯場の労働者として働き、そこでの経験を仔細に記録したフィールドノートを元にまとめたもので、建設現場の労働者の姿が、いきいきと描かれている。建設現場には、労働現場には、寄せ場でその都度採用され一日毎に賃金精算がされる〈現金〉、飯場で生活する長期・短期の〈契約〉の労働者が集まってくる。さまざまな能力、経験の労働者が協働する。時に反目し合うこともあるが、〈現金〉〈契約〉にかかわらず、ベテランは新米を指導する。そうしないと、仕事が順調に進まないからだ。そうして、労働現場に共感や友情が、独特の文化が生まれる。

 同じ時間帯に協働することによって、そうした一種の師弟関係が生まれなければ、人を育てるのは容易ではない。それは、建設現場でも書店現場でも同じなのである。

 商品知識も接客技術も先輩から十分に伝達されていない書店員に接客された本好きの読者は満足できず、その書店から徐々に足が遠のいていく。顧客が減れば、売上が落ちる。ますます人件費を抑えなくてはならなくなる。

 そうした悪循環から脱するべく、書店現場に導入されたのが、POSレジや検索機を核としたコンピュータ・システムである。先輩がどこに並べたかが数字入力されているから、知識の無い者がお客様の問い合わせを受けても、本を見つけることができる、また、追加補充で入荷した本を間違えずに品出しすることができる。コンピュータを介して師の知識が弟子に伝達されるというわけである。

 だが、介在するコンピュータは、かなり強いフィルターである。数値化された情報からは、現実に起きていることのかなりの部分が抜け落ちるし、そもそも拾える情報自体が限られたものでしかない。POSデータは何がいつ売れたかという情報はあまねく拾うが、それ以外の状況は捨てられるし、売り損じた本の情報は直接には入らない。接客現場で先輩がどのようにさまざまな問題を解決しているか、お客様の反応はどうか、自分たちの対応として、どのような選択肢があったかなど、本が売れる(あるいは売り損なう)その現場にあってこそ、見て学ぶ、聞いて学ぶ、そして動いて学ぶことは多いのである。

 ベテランにとっても、新人と共に働く機会が少なくなるのは不便である。

 『飯場へ』によると、飯場労働者や寄せ場で集められた労働者の仕事の多くは、「手元」と呼ばれる、職人や技術者の下働きである。だが渡辺は、実際に建設現場での労働経験を重ねるにつれて、「手元」の存在の重要さを認識していく。

 “屋根の板を打ち付けたり、ベニヤ板を二階にあげたりというように、一人ではできないことがある。そういう時に必要なのはもう一つの身体なのだ。機械や道具より少し融通の利く人間の身体。誰かいないとできないことをするために、素人でもいいから「手元」を雇う。”

書店現場でも、「ああ、誰でもいいからちょっと手伝ってくれたら、随分はかどるのに」と思う場面は多い。ベテランにとっても、「手元」を使うことは、自身の仕事内容を分析し効率化すること、そして指示することによって自らが成長するきっかけとなる。仕事を支持されて動くだけの「手元」もまた、作業の流れと進捗状況を見ながら動かなくてはならないから、新人にとっても一つ一つの作業が勉強になる。

 「人間より少し融通の利かない」コンピュータは、「手元」にはなれない。むしろ、人間の方がコンピュータの「手元」とされる場合が多い。さまざまなシステムの度重なるヴァージョンアップ、ウイルスバスターの更新や入れ換え等、コンピュータのために人間の手が取られることが、しばしばある。正確を期さねばならない作業だから、店長やベテランがそれに当たることも多い。

 産業革命後の工場と同様、機械(コンピュータ)の動きに合わせて人間が働くようになりつつあるから、コンピュータが重く(遅く)なったり、止まってしまっては、人間は為す術もなくなることが少なくない。職人や技術者、上司や先輩の的確な指示が与えられない時の、建設現場の「手元」と同様に。

 コンピュータの「手元」として、商品そのものの吟味(読書)はおろか、自らの本来のフィールドである書棚を見るための時間をも削がれると、ベテランの成長も阻害される。書店は、商品内容が、読者需要が目まぐるしく変わっていく現場であるから、それは致命的である。棚の「手当て」が疎かになり、店頭は荒れ、読者の期待との乖離が大きくなってしまう。

 コンピュータを、万能だと思ってはいけない。

 2017年末に翻訳が刊行された『官僚制のユートピア』(D・グレーバー著、酒井隆史訳 以文社)という大変面白く刺激的な本(ぼくの中では、文句なく年間ベスト1だ!)で、D・グレーバーは、現代が「全面的官僚制化」の時代だという。超官僚制国家であったソ連の崩壊後も、官僚制化の勢いは止まらない。官僚制化の流れは、社会主義国家の建設という壮大な実験の中に生まれたのではなく、むしろ1945年、アメリカがヘゲモニーを握ったときに本格化していった。官僚制の対極にあるかに思えた新自由主義は実は官僚制の揺籃器であり、20世紀後半の主役へと育っていったコンピュータやインターネットは、官僚制と強い親和性を持っていたのだ。コンピュータも官僚制も、夥しい規則と規制によって成立し、書類作成を主要な任務としている。両者が時代の駆動機として前面に出て来るに従って、犠牲にされたのは人間の想像力だとグレーバーは言う。その結果、半世紀前に想像された未来図が、全く実現していないのだ、と。インターネットがある?「世界のどこからでも超高速でアクセスできる図書館と郵便局とメールオーダーのカタログ」に過ぎないものを、どうしてそんなにありがたがるのか?空飛ぶ自動車が、まだどこにもないじゃないか!

 グレーバーにこう指摘されると、ある世代以上の人たちは、今から4,50年前の21世紀の予想図に描かれたものが、実は何も実現していないことを思い知るだろう。誰も今日の段階で、その全部とは言わないまでも、一切が存在していないとは、夢にも思っていなかった筈だ。

 規則と規制と書類作成(ペーパーワーク)によって、(文系・理系を問わず)科学者の創造力が育たず、蝕まれる。それ以外の人びとの想像力も破壊される。

  そうした世界では、誰も未来を夢見ない。今あるものの、今ある世界のマイクロチェンジで満足する。

 そのような世界では、革新、革命の可能性は無い。だから、生活意識調査に「今が幸せである」と答えるしか無い若者が増えているのだと、大澤真幸は嘆ずる(『可能なる革命』太田出版)。

 時代が動かなくては、書店員の成長もなく、時代を映す書店風景も変化しない。変化していかない書店に置かれた本たちが、時代を動かすことも、ない。

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第182回掲載

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


○第181回(2017/11)

 マルクスは、流通現場からは剰余価値は発生しない、とはっきり言っている。剰余価値は、生産現場での労働者が商品を製作するときに、その剰余労働が商品に転化する価値だからだ。

“商品流通を剰余価値の源泉として説明しようとする試みの背後には、多くは、一つの混乱、すなわち、使用価値と交換価値の混同がかくれている。”(『資本論 第1部』岩波文庫P276)

 一方商品は、言うまでもなく売れなければならない。流通過程が商品にとって不可欠であることは、マルクスも認めている。そして、資本が効率的に回転するために、流通がスムーズに行われ、できるだけ早く商品が売れることが重要だと言う。商品流通は、資本主義成立の前提である。

“商品流通は資本の出発点である。商品生産と、発達した商品流通である商業は、資本の成立する歴史的前提をなしている。世界商業と世界市場は、16世紀において、資本の近代的生活史を開始する。”(同P255)

 そして、次のような微妙な言い回しも見られる。

“資本は、流通からは発生しえない。そして同時に、流通から発生しえないというわけでもない。資本は同時に、流通の中で発生せざるをえないが、その中で発生すべきものでもない。”(同P289)

 それならば、流通もまた生産の一部と言えないか?すなわち、流通段階において、商品に何かが転化されているとは考えられないだろうか?これが、前回のコラムの最後でぼくが示した問題提起だった。

 マルクス自身が認めているように、資本主義はその発達段階によって様々な形態を取る。それが、マルクスが資本主義の研究の題材を、自国ドイツではなくイギリスに求めた理由でもある。ならば、資本投下や労働人口の割合が生産部門から流通部門に大きく移動している現在、流通もまた資本増殖を生む、マルクスの場合生産部門に限られた剰余価値発生の図式を当てはめることが出来ないだろうか?即ち、流通を生産の一部と考えることができるのではないか?
 そもそも、マルクスの考察において、労働者の労働が剰余価値を生む図式そのものが、「買うー売る」という商品流通の図式に範を取っている。即ち、資本家が労働者の労働力を買い、買値以上の労働によって利潤を得るというのが、その図式である。

 流通にもその図式を当てはめるならば、流通業者がまず生産者から商品を買う、そして、流通業者の雇用した労働者の労働によって、その商品に新たな価値を付け加え、消費者に売る、という図式になる。マルクスは、流通現場の売りー買いにおいては、決して剰余価値は生まれない、と言う。

“等価が交換されるとすれば、剰余価値は成立せず、非等価が交換されるとしても、また何らの剰余価値も成立しない。流通または商品交換は、何らの価値を産まない。”(同P284)

 流通業者にとって、生産者から買う商品は消費者へ販売する商品の「原料」と言えるが、マルクスの見立てでは、原料の価値はそのまま増えも減りもせずに、新たな商品に転化されるだけである。であるならば、流通資本が販売によって利潤を得るためには、流通業の労働者の労働によって新たな価値が商品に転化されなければならない。その時に剰余労働によって転化される価値の部分が流通業者の儲けとなる、すなわち流通資本の増加分となる。言い換えれば、消費者に販売する際の価格と仕入れ価格の差額が、労働者の賃金と流通資本の利潤に分配されるのである。この時に、流通現場で付加される価値とは何か?というのが、前回の最後に提起した二つ目の問題である。

 柴野京子は、流通過程の機能として、アメリカのマーケティング学者ロー・オルダースンの「アソートメント」という概念を紹介する。「アソートメント」とは、流通過程で意識的に行われる財の組み合わせである。

“ものの集合は、そこに意味を付与しなければただの寄せ集めにすぎない。わかりやすい例として石原武政の説明を借りるなら、底引き網にかかった魚は集塊物である。しかしそれらが網本や卸売商によって種類や等級別に分けられると、それぞれ集合に意味が生じる。卸はこれを各地に配分し、最終消費地では、こうしたいくつかの集合を取り揃えることによって、品ぞろえを完成させる。この一連の工程を、オルダースンはアソートメントの四段階とよび、それらは「中間媒介過程で編成され」、そこでは「量的側面と質的側面の両面が含まれる」”(『書棚と平台』弘文堂P26)

 出版流通において、「アソートメント」の「量的側面」とは、ある本をどれだけ仕入れるかであり、「質的側面」とは、どんな本を仕入れるか、であろう。最終消費地である書店は、「いくつかの集合を取り揃えることによって」、更にそれを書棚に並べ展示することによって、仕入れた本たちに「意味」を付与するのである。

その「意味付与」こそ、書店員の重要な仕事である。そして、その仕事の目的は、本を読者に出会わせることである。棚入れ、棚づくり、棚整理という書店員の日常の作業は、本を読者に出会わせるためになされる。柴野は、「流通の機能とは、財そのものではなく、財の集合の状態を変化させることによって消費者に接近する過程である」と言う。

 「財の集合の状態を変化させる」という表現は、書店現場にはしっくり来る。1冊の本が書棚に入るだけでも、書棚に収められた本の集合は変化する。その本が、「まったく新しい本」=それまでの分類カテゴリーには収まらない本であれば、書棚全体の状態がドラスティックに変化することもある。

実際に変化させるのは、書店員である。書店員のそうした作業は、本の集合への手当てであり、1冊1冊の本に直接手を加えるわけではない。だから、マルクスが言うように、流通現場では商品そのものには、何も加わらないように見える。

 しかし、その本の書棚の中での位置、その本が並べられている書棚の状態は、間違いなくその本に意味を与える。その意味が妥当なものであれば、即ちその本が然るべき相応な場所に置かれた時、然るべき読者に出会う。それが書店員の労働の成果である。柴野が言う通り、流通過程とは「消費者に接近する過程」であるから、その接近を促進する労働は、流通過程における最も重要な価値を、商品に付与していると言えるのだ。

 遡って考えると、出版という営為そのものが、書店と同じ目的を持った、即ち本を読者に接近させるために様々なものを付け加える作業である。編集、印刷、装幀、製本、そしてページデザインや字体。それらもまた、本を読者に接近させるための作用である。ならば、本という商品の生産部門もまた、本が「消費者に接近する過程」、すなわち流通過程の一部と見ることができる。

 ではその時、出版・書店という流通過程が、消費者に接近させようとしている〈本〉とは何か?

 言うまでもなく、著者の思想・創作活動などが受肉したコンテンツそのものである。あるいは、著者その人と言ってもよいだろう。出版・書店という流通業は、著者という人と、読者という人を出会わせる仕組みなのである。

 グレアム・ハーマンは、その「オブジェクト指向存在論」で、「対象(オブジェクト)」は「四方構造」を持つと言う(『四方対象』人文書院)。その一つの極である「実在的対象」には、人間は決して(認識論的に)アクセスできない。その意味では、カントの「物自体」に似ている。しかし、ハーマンは、「実在的対象」を「不可知」なものとして、現象から放逐したりはしない。ハーマンによれば、四つの極象は、それぞれ相互に「融合」するからだ。「実在的対象」は、人間がアクセス可能な「感覚的性質」によって、「暗示(allusion)」される。「実在的対象」と「感覚的性質」の「融合関係」は、「魅惑(allure)」なのである。

 この融合関係は、コンテンツと「商品としての本」の関係に似ていないだろうか?コンテンツも最終的には読者によってアクセスされるから、厳密には〈実在的対象〉と言えないが、商品段階の本(まだ買っていない本)のコンテンツは、(立ち読みや試し読みはあるにせよ)読者にとって未知の存在だ(注)。その未知の存在=コンテンツが、本の製作段階でさまざまな装飾が施され、他の商品とともに置かれることによって、読者を誘う。「魅惑(allure)」こそ、本と読者を、人と人を出会わせるに相応しい契機である。流通段階で本に付加されるものは、本と読者を、人と人を出会わせるべく〈本〉=コンテンツに融合させられる、本の「感覚的性質」なのである。


 (注)フィクションであるコンテンツも「実在的対象」とすることは、それほど突飛な考えではない。ハーマンは、『四方対象』の〈はじめに〉で、次のように言っている。

 “〔あらかじめ述べておけば〕そこには物理的でない存在者や実在的でない存在者さえ含まれているはずである。ダイヤモンドやロープ、中性子と並んで、軍隊や怪獣、四角い円、そして実在する国や架空の国からなる同盟もまた、対象の内に含まれうるということだ。”

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このたび、佐藤嘉幸著『権力と抵抗』が3刷となりました。2008年の刊行以来ロングセラーとなっています。今回の重版にあたり著者の言葉をお届けます。

***

『権力と抵抗——フーコー・ドゥルーズ・デリダ・アルチュセール』3刷に寄せて

2008年に出版された『権力と抵抗——フーコー・ドゥルーズ・デリダ・アルチュセール』が、2017年11月に3刷を迎えることになった。決して容易な内容とは言えないこうした理論書が着実に版を重ねていることは、著者として大きな喜びである。

本書が出版されてから9年の間に、本書の主題をめぐってどのような変化があったかを振り返っておこう。まず、「権力と抵抗」をめぐる日本社会の動きについて述べておく。まず、2011年3月に福島第一原発事故という重大な「出来事」が起こり、原発事故の影響や原発再稼動をめぐって各地で様々な社会運動が自然発生的に生起した(そこには、住民による自主的な放射線管理、脱被曝、除染の運動も含まれる。この点については、田口卓臣との共著『脱原発の哲学』[2016年、人文書院]で詳述した)。また、2015年には、集団的自衛権を行使可能にする安保法制をめぐって各地で大規模な抗議運動が組織された。これらを「出来事」に触発された抵抗の自然発生的な生起であると考えるなら、他方で、権力による服従化の動きも依然として強固であり、それはとりわけ他の世代に比べて10代や20代の若者たちの政権支持率が高いことに顕著に表れている。このように、私たちの社会は2008年時点よりも顕在的な「権力と抵抗」のせめぎ合い、すなわち拮抗する権力関係の直中に置かれている。

次に、本書の主題をめぐる研究環境の変化について述べておこう。とりわけ顕著な変化は、フーコーのコレージュ・ド・フランス講義録全13巻の完結(2015年)、そしてデリダの講義録の刊行開始(2008年)である。ただし、これらの変化を踏まえても、「権力と抵抗」をめぐる本書の主題の基本的な枠組みに変化は生じておらず、その意味で、本書の立論はいささかも古びていない。むしろ、これからも新たな資料の刊行によって、その基本的な立論の正しさが確認され続けることになるだろう。なお、フーコーのコレージュ・ド・フランス講義刊行がフーコー研究にもたらした新たな視座をめぐって、私は1970年代後半の「統治性」研究が新自由主義批判にもたらしうるインパクトを踏まえて、『新自由主義と権力——フーコーから現在性の哲学へ』(2009年、人文書院)を執筆した(なお、「統治性」をめぐるより広範な議論については、箱田徹が『フーコーの闘争』[2013年、慶応義塾大学出版会]においてクリアな分析を展開している)。また、本書の執筆後に現れた政治情勢の様々な変化を踏まえて、私は廣瀬純との共著『三つの革命——ドゥルーズ=ガタリの政治哲学』(2017年、講談社メチエ)において、資本主義打倒の理論として、ドゥルーズ=ガタリ論の深化を図っている。

最後に、3刷における修正点を明記しておきたい。本文の内容には大きな修正はないが、注における参照指示を、この9年間の研究環境の変化に応じて更新した。大きな更新点は、ドゥルーズ(=ガタリ)の著作への参照指示を河出文庫版に統一したこと、フロイトの著作で文庫で入手可能なもの以外を『フロイト全集』(岩波書店)への参照指示に切り替えたことである。それに従って、とりわけドゥルーズ=ガタリ関係の訳語にはいくつかの変更があることを明記しておく。研究環境の変化に伴うこうした書誌情報の更新は、本書の記述を読者が理解する一助となるだろう。こうした更新に伴って、本書が今後も「現代思想」と政治に関心を持つ読者にとって道標となり続けることを、著者として願ってやまない。

2017年11月 佐藤嘉幸

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


○第181回(2017/10)

 マルクスは、『資本論』を、「商品」の分析から始めている。

“資本主義的生産様式の支配的である社会の富は、「巨大なる商品集積」として現れ、個々の商品はこの富の成素形態として現れる。したがって、われわれの研究は商品の分析をもって始まる。”(『資本論』第一篇第一章第一節 岩波文庫版 向坂逸郎訳 P67)

 マルクス自身によるその理由の説明は大変明快であり、また妥当である。「資本」の本質、秘密、形態を徹底的に分析しようとするこの大著において、その産物でありかつ成立条件でもある「商品」の謎の解明から筆を起こすのは、当然のことと思われる。いよいよ資本の解明に着手しようという第二編の冒頭でも、次のように言っている。

“商品流通は資本の出発点である。商品生産と、発達した商品流通である商業は、資本の成立する歴史的前提をなしている。”(同 第二編第四章第一節)

 では、「商品」とは何か?

 第一に、それは人間が使用/消費するために他の人間が生産したものである。第二に、それは売り買いされなければならない。「商品」のこの2つの属性から、マルクスは、「商品」の二重の性格を剔抉する。

“これらのものが商品であるのは、ひとえに、それらが、二重なるもの、すなわち、使用対象であると同時に価値保有者であるからである。したがって、これらのものは、二重形態、すなわち自然形態と価値形態を持つ限りにおいてのみ、商品として現れ、あるいは商品の形態をもつのである。”(同 p88−9)

 人が商品を買うのは、それが買い手にとって価値のあるもの=自らの生存に必要なもの、自らに快楽をもたらすものだからである。その価値を、マルクスは「使用価値」と呼ぶ。

 人が商品を売るのは、その時何か他のもの、多くの場合は貨幣を得ることが出来るからである。売り買いによって売り手が入手できる貨幣の量は、価格によって表される。それをマルクスは「交換価値」と呼ぶ(『資本論』では、これを「価値」と表記されていることが多いが、「使用価値」と混同されないように、小論では常に「交換価値」と表記する)。

“商品の交換関係そのものにおいては、その交換価値は、その使用価値から全く独立しているあるものとして、現れた。”(同 p73)

 重要なのは、「使用価値」と「交換価値」が、互いに「全く独立」したものであることだ。だからこそ、「商品」は、売れたり売れなかったり、すなわち買われたり買われなかったりする。買い手は、「商品」の価格(交換価値)が、自らが感じる或いは予想する使用価値に見合うものだと思う時にのみ、その「商品」を買うからだ。

 だが、売り手は、売ることだけ至上命題として、どこまでも価格(交換価値)を下げることは出来ない。「交換価値」には、その大きさを決定する因子が存在するからだ。

 マルクスは、それを「労働」の大きさだという。「商品」は、「労働生産物」だからである。

“このようにして、一つの使用価値または財貨が価値をもっているのは、ひとえに、その中に抽象的に人間的な労働が対象化されているから、または物質化されているからである。そこで、財貨の価値の大いさはどうして測定されるか?その中に含まれている「価値形成実体」である労働の定量によってである。労働の量自身は、その継続時間によって測られる。”(同 p74)

“われわれは、いまや価値の実体を知った。それは労働である。われわれは価値の大いさの尺度を知った。それは労働時間である”(同 p77)

 マルクスの考察によると、「使用価値」と「交換価値」は、まったく違う因子から相互に無関係に決定される。とすると、余りに「交換価値」が大きい、即ち所要労働時間の長い「手間暇のかかる」商品群は、永遠に「交換価値」(価格)が「使用価値」に見合わうことなく、決して売れる=買われることはないのであろうか?否、あくまで質的な「使用価値」とあくまで量的な「交換価値」は、そもそも比較することが出来ないから、結局購買決定競争はそれぞれの「価値」間で独立して行われることになる。即ち、買い手各々の「使用価値」の大小(人によって違う)による優先順位と、「交換価値」すなわち「価格」の大小の2つの変数を持った関数として決定されると言える。それゆえ、同じ範疇の「商品」群は、余程の理由がない限り他とかけ離れた価格設定はできない。それぞれの範疇には、商品の価格に「相場がある」。

 

 さて、わが出版ー書店業界がその売り買いによって利益を得て成り立っている本も、当然「商品」である。

 本という「商品」こそ、個々の買い手=読者によって「使用価値」は明らかに違う。ある程度高額であってもその本を読みたいという読者もいれば、タダでも、金を積まれても読みたくないという人もいる。ある本の「使用価値」と「交換価値」は、全く無関係である。人は安ければ(「交換価値」が小さければ)本を買うわけではないし、高ければ(「交換価値」が大きければ)崇めるというものでもない。

 人は、自分が読みたいと思う本を、購入するのである。本の買い手は、一点一点の商品の価格合理性にそれほど頓着はしない。価格だけを比較して購入を決定することは、ない。

 日本では、どの書店でも、販売価格は同じである。発売後、時間が経っても、本は安くはならない。それは、出版社と書店が再販売価格維持契約(再販契約)を結んでいるからである。

 独占禁止法では、再販契約を結ぶことは、原則禁止されている。それは、メーカーによる価格拘束によって、小売業の自由競争を阻害するからである。今日主流の経済学では、価格は需要曲線と供給曲線が交わる点として決定されるべきとされる。需要も供給も時とともに変動するから、当然価格も固定的ではない。

現在日本で再販契約が認められている、すなわちメーカーに価格拘束権がある商品は、出版物と新聞だけである。ぼくたちが扱っている本という商品は、いわば例外的な「商品」なのだ。

 

 ところがその例外的な商品こそ、マルクスの分析にもっとも適う「商品」であるのだ。「交換価値」(価格)が、「使用価値」(需要)とは無関係に決定されているからだ。

 「交換価値」について、マルクスは次のように書いている。

“商品番人は、商品の代弁をしてやるか、商品に紙片をはりつけてやるかして、その価格を外界に知らせねばならない。”(同 p90)

 考えてみれば本という商品は、商品自体に価格が「定価」として書き込まれた、例外的な商品である。「定価」の書き込みが可能なのは、発売後も、売れ行き=「使用価値」(需要)によって価格が変動しない「再販商品」だからだ。そうした例外的な商品こそ、そしてその例外的な商慣習である再販性こそが、「交換価値」と「使用価値」は「全く独立」しているというマルクスの見立てに適合するのである。

 では、そこには「価格競争」は一切無いのか?否。出版社は、定価の設定にいつも四苦八苦している。より多く売るために、できるだけ定価を抑えようとする。人はある本を安いからという理由だけで買うわけではないが、人が同じく「使用価値」を見出す他の本、或いは本以外の商品との比較考量において、価格が安いことはその本の購入を選択する動機づけになるからだ。本の場合も、一つの範疇内での販売競争は、「相場」内での価格競争となる。

 本の定価は、他の商品同様、その生産並びに流通にかかった、そしてかかるであろう費用全体を推計し、それに利益を加算して設定される。費用全体には、著者の印税、紙などの材料、出版社社員の人件費、印刷所や製本所への支払い、宣伝費、流通経費などが含まれる。印税、人件費はもとより、様々な支払い、経費は、そして材料や製作機械もまた労働生産物であるから、元々すべて労働の対価として発生したものと言える。

 一方、マルクスによれば、利益は、労働が生み出す剰余価値の総計である。価格を抑えて利益を出すには、剰余価値を大きくする、すなわち労働の生産性を上げるしかない。材料や機械は、それ自身労働生産物であるとはいえ、現在の所有者はその購入価格(の一部)を自らの生産物の価格に転嫁するしかない、とマルクスは言う。そこには剰余価値は生まれない。剰余価値を生むのは、あくまで、当該の商品を生産する時の労働である。(注)

 マルクスは、流通過程でも剰余価値は生まれないとしている。資本にとって、流通段階で動くお金はあくまでも販売のための経費であって、剰余価値を生むのは製造段階に限られるというのである。

 だが、マルクスが考察した時代から150年が経ち、産業構造は大きく変化している。多くの大資本が流通分野に資本投下しているし、労働者の就業率も流通が製造を上回っている。資本の増殖は「商品」生産における剰余労働によってのみ可能になるというマルクスの図式にあくまでこだわるならば、今や流通過程もまた「商品」生産の一部と考えるべきであろう。

 だとしたら、例えばぼくたちは、書店という場所で、「商品」に何を付け加えているのだろうか?


(注)AIロボットは、あくまでも「製作機械」である、だから剰余価値は生まない。よくも悪くも、それで資本主義経済が成り立っていくのか、甚だ疑問だ。ぼくがAIの導入と人間の労働現場からの排除による経済発展を信じられないのは、人間労働がない限り「剰余価値」が生まれないからだ。

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


 

○第180回(2017/9)

今上天皇のご英断によって(この表現が相応しいものなのかどうかわからないが、自身の民主憲法上の立場を誰よりも熟知しておられる今上天皇が、天皇としての自らの出処進退について希望を述べるという行為は、大変な勇気を振るってのことであったのは間違いない)によって、「平成」は予め終点が定まった、少なくとも近代以降初めての元号となった。恐らくすでに多くの論者が、出版社が「平成」総括の言説や出版物の準備に勤しんでおられるであろうことは、想像に難くない。

8月に刊行された森達也著『FAKEな平成史』(KADOKAWA)は、続けて出版されるであろうそうした企画の嚆矢といっていい本である。

昭和(64年)、明治(45年)、応永(35年)についで長く続いている「平成」は、振り返れば世界が激動、激変した時代だ。はじまりの年(1989年)にはベルリンの壁が崩壊し、やがてソ連の崩壊を経て東西冷戦の終焉へと一気に進んだ。その一方、中東で終わらない戦争が始まる。それはアメリカが主導しながら世界全体を巻き込んだ戦争であるが、これまでの「世界大戦」とはまったく様相が異なる。誰も想像しなかった「9.11」が「大国」のヘゲモニーが揺らぎ始める。そして世界はリーマンショックを経験し、資本主義の行き詰まり、終焉が囁かれ始めた。そして今、北朝鮮の核開発と世界への挑発。核戦争による世界の終焉への時計の針が、再び動き始める。

日本は、この間2度の大震災を経験した。1度目は同じ年にオウム真理教事件、2度めは原発事故を伴い、人々の不安は増大する。そのことによって、人は群れる。そうした人々の自発的な隷従、自由からの逃走によって、日本は擬似的民主主義国家の相貌を明らかにしてきた。だから森達也は、ぼくらが共に生きた同時代を『FAKEな平成史』と呼ぶ。

 放送禁止歌、ミゼット(小人)プロレス、今上天皇、オウム、北朝鮮、メディア…、森が「平成」を総括するために用意したトピックは、どれも森じしんが、ディレクターとして、作家として深く関わってきたものばかりだ。それぞれのトピックに合わせて選んだ魅力的な対談相手も、森に近い人ばかりだと言っていい。本書は、「森達也の平成史」と言ってもいい。当然ながら半径は小さい、と森じしんも言う。

だが、そのことが大切なのだ。直近の歴史を、大所高所から「客観的」に評するのではなく、その中で自分自身がどう生きたのか、一人ひとりが個として向き合うことなしに、個がバラバラにされ、集団の暴走のみが目立つこの30年間を、乗り越えて前に進むことはできないからだ。

そして、メディアが集団化と不偏不党と忖度から抜け出し、一人ひとりが、「ぼくは」「私は」と一人称で語り始めることなしには。

平成の「激変」には、インターネットの登場と凄まじいスピードでの普及がある。『FAKEな平成史』では特に主題として取り上げられていないが、インターネットの世界への浸透、世界がインターネット化したことは、森がいう「集団化」を大いに促進したと思うのだ。

もともとインターネットは、「インターネットは原子爆弾の攻撃にかかわるいくつかの脆弱性避けるために案出されたもの」(『プロトコル』(アレクサンダー・R・ギャロウェイ)であった。インターネットのダイヤグラムは、そのどの部分が攻撃によって壊滅しても、残った部分は関係性を維持し、通信機能も一切途絶えない仕組みになっている。そのために、インターネットは「絶対的な中心」も、主要な「幹線道路」を持たない。“インターネット上のトラフィックは、そのような時、ただ単に新しいルートを見つけ、そうすることでダウンしてしまった機械を迂回していくのである。”(同)

世界がインターネット化したことによって、人間存在のあり方もまた、「近代」とは違ったものに変容してしまったのだ。人間存在もまた、世界に属する「世界内存在」(ハイデガー)或いは世界を映し出す「モナド」(ライプニッツ)だからだ。分割不可能であったはずの個=individualはバラバラに寸断され、断片同士がつながり合う。インターネット上でぼくたち一人ひとりは、クレジットカードの番号やメールアドレスとして存在しているのだ。それも複数の「人格」として。

「なりすまし」行為は早くからあったし、ネット上での炎上を起こす人たちは、「実生活」(世界がインターネット化した今、「実生活」とは何かも自明ではないが)ではとても穏やかでおとなしい性格であることが多いとも聞く。そのような人たちが、「実生活」においても、商店で、学校現場で、医療現場で、時に「モンスター」と化す。

個が、解体されつつある。「アイデンティティ」をあれだけ希求した「昭和」の時代は、もはや昔日の感がある。

その存在理由によって張り巡らされた迂回路によって、インターネット上では誰もが情報を得、情報を発信し、人とつながることができる(注)。そのことは、ぼくたちに大きな自由を与えたかに見える。しかし同時にそれはぼくたちの個を解体していくものであった。解体された断片は容易に繋がり合い、集団=『クラウド』(森達也 dZERO)となって暴走する。

そうした時代を、森達也は『FAKE な平成史』と呼んだのだ。その時代にあって、もっともFAKEなものは、解体されつつある個が幻想する「自由」である。
一方、「個」もまた、一つのFAKEである。生体としても、共同体の中でしか生きられない人間の宿命においても、「個」は近代という人類史の一時期に幻想されたFAKEと言える。

だが、それでもぼくは、森とともに「個」を取り戻したい。「ぼくは」と一人称単数で考え、語りたい。森もぼくも、どうしようもなく「昭和」なのかもしれない。だが、一人称単数で考え、読み、語ることは、ぼくが擬制的な社会のさまざまなFAKEと対決するための武器としてまだまだその有効性を信じる「読書」という営為のために、不可欠な条件だからである。

 

(注)インターネットの脱中心化、拡散性、分散力を評価し過ぎることも危険である。ギャロウェイは、ネットワーク化されたコンピュータの核にある「プロトコル」が、一方で制御を自律した地点へと徹底的なかたちで分散しながら(TCP、IP)、一方では、厳密に規定された秩序形式へと制御を集中化している(DNS)、「つまりは領土化する構造と無秩序な分散作用との両方にかかわる」と述べてる。或いは、“インターネットプロトコルは、組織にかんする分散型のシステムを生み出す助けとなるのだが、その一方でそれら自体が非分散型で、官僚主義的な制度によって下支えされているのである”と。

現在インターネットが一部の大企業に「支配」されているのは、そのことの目に見える結果であると言えるかもしれない。

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


○第179回(2017/8)

「大学改革」が叫ばれて久しい。繰り返し「改革」が叫ばれるのは、「改革」が(少なくともそれを企図した者にとって)成功していない証拠である。
徳島大学の山口裕之(哲学)は、『「大学改革」という病』明石書店 2017年7月刊)で、何故近年の「大学改革」がうまくいかないのかを、「改革」の具体的な施策から、今日の日本の大学更には教育制度全般の社会的背景、そしてそもそも大学とは何なのか、何を目標とすべきかという理念までを広く視野におさめながら、検証している。

膨大な財政赤字を踏まえ、おそらくは財界の意を汲み取りながら、政府が目指すのは、大学自身の自助努力による競争主義的、成果主義的な大学のあり方である。2004年の国立大学独立行政法人化が、その劃期となる。そのための効率的で機動的な組織運営は、トップダウンによって実現され、企業型の運営を導入することこそ大学の「ガバナンス強化」だと、財界や政府は考えている。それは、大学への政府の介入を容易にする方途でもある。そのために、人事をはじめさまざまな権限が、教授会から学長に移行した。

だが、そもそも企業においてもトップダウン方式はうまく機能していない。そのことは、昨今の日本経済の不調を見ても明らかだ、と山口は指摘する。

また、大学間の競争を煽る「競争主義的な政策」は、「大人数で分担して取り組まねばならない事業」を必ず悪化させると山口は言う。そして教育とは、まさにそうした事業なのである。

「競争主義的な政策」に垣間見える財務省の本音は、今後の少子化を見据えて大学の数を減らすことにあるのかも知れない。が、“多くの国立大学を瀕死の状態にしてなぶり殺しにするような政策では、生き残った大学の体力も相当に消耗することになるから、弊害が多すぎる。”

今日の日本では、「すべての大学が入学試験を実施して、ほぼその結果のみで選抜」している。これは、日本独特の入試制度で、「欧米諸国には存在しない」ものである。「改革」は、そうした日本の入試制度にもメスを入れようとしているが、そもそも日本では、企業は大学を教育機関としてではなく、選抜機関と見ている。企業が採用において学歴を重視するのは、それゆえなのだ。“日本の大学入試システムは、「新卒一括採用・年功序列・終身雇用」という、いわゆる日本的経営とがっちり組み合って作動しているのである。“

そうした日本的経営は、国が果たすべき社会保障政策と連動している、否それを肩代わりしてきたと言えるのである。即ち、大学のあり方、日本的経営、国の社会政策は三位一体で動いているのであって、そのうち大学の制度だけを「改革」しようとしても、うまくいくはずが無いのである。大学院重点化政策が失敗したのも、当然の結果だったのだ。

年功序列について、山口は次のように言う。

“これが普及するのは、高度経済成長による人材難に際して、企業が労働者の待遇改善に務めた1950年代以降のことだが、背景には戦前から戦中にかけての労働運動家や改革派官僚による「生活給(生活賃金)」という考え方がある。つまり、賃金は単なる労働の対価ではなく、労働者の生活保障のためのお金だということである。一般的な人生行路では、結婚して子供ができるなど、年齢を重ねるとともに支出も増える。生活給の考えに従えば、労働者が人生において支出が増える段階に入ったら、それに併せて給料も増やすべきだということになる”。



そして、教育現場にも労働現場にも、社会全体に蔓延する「競争主義」について、山口は、次のように断ずる。

“競争は、やりたい者だけがやればよいのである。誰しもが死ぬ気で競争しないと本当に死んでしまうような社会は望ましくない。競争したくない者も、それなりに一生懸命働いて、それなりの収入を得て、保育や教育負担などを心配せずに子育てができ、安心して老いていけるように支援することが、民主主義的な社会における政府の役割 ”だと。



こうした山口の発想は、前回話題にした「ベーシック・インカム」の思想と近接していると言える。「ベーシック・インカム」は、生活に必要な最低限の現金を政府が全国民に支給するという制度だからだ。いわば、企業が「年功序列」などで肩代わりしてきた社会保障を、再び国の責任で行う制度なのである。

山口は、その「ベーシック・インカム」について、“私としては、現金給付よりも、保育・教育その他の現物給付を基本とするのが良いと考えている。現金給付だと、ギャンブルなどで浪費する人も出て来るだろうが、現物給付ならそうした流用ができない上に、サービスに従事する労働者の雇用も生まれるからである”と自説を述べる。現物給付、サービスに従事する労働者の雇用の発生という行き方は、一律に現金を支給することによって作業を簡素化し事務手続きを極力省くという「ベーシック・インカム」の発想からは少し離れるが、山口が人間労働の価値、必要性を踏まえている点は、労働はすべてAIロボットが肩代わりしてくれるから、人間は支給された「ベーシック・インカム」でその生産物を消費し生きていくだけで良いというAI待望・楽観論者の未来予想よりも、ぼくには共感できる。

一方で山口は、「大学の自治」や「学問の自由」を「紋切り型のように繰り返す」大学人たちにもまた、批判の矛先を向けている。彼らもまた、それらを金科玉条のように唱えるだけではなく、そうした理念の歴史的背景を認識しておくべき、というのだ。

そもそも、「大学」という概念自体、長い歴史の中で大きく変遷してきた。世界最古と言われるボローニャ大学においては「大学」は学生の組合として、おおむね同じ時期に生まれたパリ大学では教師の組合として成立した。やがて、都市が発展し、給料の支払いが学生から都市当局に移るにつれて、15世紀末には、大学はもはや都市当局の一機関とみなされ、16,7世紀頃までには、大学の自治は破壊されてしまう。その時期に、大学専用の建物が造られ、「大学」はぼくたちに馴染みの概念に近くなってくる。

フランスでは、革命の世紀(19世紀)に、一旦大学は解体される。“大学では研究と教育が表裏一体のものとして行われるべきである。職業に役立つ教育や、強制による教育は、拒否されるべきである。また、大学に対する国家の干渉も有害である。学問研究は自由になされなくてはならない”というフンボルトの理念を持つドイツの大学も、やがて国力増進のための装置への移行していく。

「基礎研究が応用研究につながり社会の役に立つ」という、今大学人たちの多くが自らの存在理由の根拠とする主張は、世界史的に見れば後発国であるアメリカの大学起源のものである。そしてそれは、アメリカの急速な資本主義的(「帝国」主義的)発展によって、軍産学協同体を形成していったものでもある。

こうした「大学」の歴史に学びながら、今、この国において、「大学」とは何か、何のためにあるのかを真剣に問い直すことが、大学人にとっても、社会にとっても、何よりも大切である、と山口は言うのだ。

山口によれば、一部のエリートを育成するのが大学の役割であった時代と違って、若い世代の過半が進学することによって大学が「ユニヴァーサル化」した今日、大学の最も大切な役割は、民主主義社会を実現すべく、学生に対話による意見構築の技法を学ばせることだ。“大学で最低限度教育すべきことは、さまざまな問題について、その背景を知り、前提を疑い、合理的な解決を考察し、反対する立場の他人と意見のすり合わせや共有を行う能力”なのだ。

だが、今日の大学は、“きちんと学習し考える力を身につけさせないままに学生を卒業させてきた”と山口は断ずる。

“民主主義とは、すべての国民が賢くあらねばならないという無茶苦茶を要求する制度です。その無茶苦茶を実現するために大学というものは存在しています。”



今、この国が目指すべき政治や社会のあり方を思う時、この山口の見立てに、ぼくは賛同する。

このコラムでも参照した『人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊 』(文春新書)の著者井上智洋は、『atプラス32号』(太田出版)で、AIとBI(ベーシック・インカム)によって「労働」から解放された未来の人間は、いよいよ人間的な「仕事」(永遠性を有したもの制作)や「活動」(古代ギリシアの民主制で展開された政治)に専念でき、ハンナ=アーレントの望んだ世界が実現するだろうと楽天的に述べているが、単にAIロボットが「労働」を肩代わりしてくれただけでそのような社会が到来するとは、ぼくには信じられない。

生体としては未熟なまま生まれてきた人間という(ネオテニー)動物にとって、教育という営為は、不可欠なものであるはずなのだ。その教育とは、山口の言うようにこれまでの日本の大学には決定的に欠落していた教育、今日の「教育」とは、全く違う営みであろう。

(ジュンク堂書店難波店では、9月9日(土)に山口裕之先生をお招きして、トークイベントを開催します⇒https://honto.jp/store/news/detail_041000022834.html?shgcd=HB300

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


○第178回(2017/7)

 ベーシック・インカムとは、「全ての人が生活に必要な所得を無条件で得る権利がある」という思想のもと、全ての人に基礎所得を与えるシステムである。
「全ての人に」であるから、「無条件に」、「個人単位で」給付され、生活保護などこれまでのあらゆる社会保障とは別物であるといえる。

「全ての人が生活に必要な所得を無条件で得る権利がある」という思想には十分同意できる。日本国憲法でいえば、憲法第25条に

「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」

と明記されている。

 「全ての人に」給付されるから、給付条件の精査にかかる経費はゼロとなる。そして、給付される側に「恥」の感情は生まれない。「無条件に」給付されるから、「自立支援」「就労促進」などが付帯せず、安心して受け取ることができる。その結果、本来助けられるべき状況にある人に社会保障が適用されず、みすみす死に至らしめるような悲劇が回避される。現状では、“100世帯中、10世帯が生活保護基準以下の生活をしているが、実際に保護を受けることができているのはたったの2世帯”(『ベーシック・インカム入門』山森亮 光文社新書)と言われる。“「不正受給」がしばしば報道されることと比べても、捕捉率に対するメディアの沈黙ぶりは際立っている”(同書)のだ。

 貧しい人を助けるのはいい。しかし、「無条件に」というのはどうだろうか?既に高給を得ている人にも「屋上屋を架す」ようにお金を与える必要があるのだろうか?

 尤もな疑問である。だが、至急事務の効率性、賛同の得やすさにおいて、「無条件に」という属性は圧倒的に勝る。現に、公教育やごみ収集などの公的サービスは、すべての受益者にその収入とは無関係に与えられている。

 ベーシック・インカム、あるいはベーシック・インカム的な経済政策は、これまでも、多くの学者、政治家から提言されてきた。古くは、アメリカ独立に大きな影響を与えた『コモンセンス』のトマス・ペインから黒人公民権運動のキング牧師、そしてニクソン大統領もその政策実現にまであと一歩というところまで漕ぎつけていた。ガルブレイス、フリードマンという20世紀後半を代表する左右の経済学者が共にベーシック・インカムを提唱していたことは、いかにそれが普遍的な意義をもつ政策であるかを表している。

 日本でも、西田門下の土田杏村が、共同社会の共通文化遺産の相続者は、共同社会の成員全体であるから、生産の成果からそれぞれの分け前を受け取る資本家と労働者のいずれに属しない人たちも、全体の共通文化遺産からは、何等かの分け前を得なければならない、と述べている(同書)。

 だが、それでもこれまで実現していないということは、逆にベーシック・インカムに対する大きな抵抗、反対がある事の証左でもある。

 反対理由の一つは、やはり「フリーライダー」問題である。ベーシック・インカムをいいことに、働けるのに働かない「怠け者」が増えるのではないか、という懸念だ。しかし、 ベーシック・インカムは、「無条件に」、つまり他に収入があっても同額の支給があるから、更に収入を得るため働きたいというモチベーションを減退させることはないともいえる。収入の額によって支給が見合わされる現在の社会保障制度よりも、ベーシック・インカムの方が、「フリーライダー対策」には有効である可能性は高い。

 それでも、ベーシック・インカムによる「フリーライダー」は皆無ではないだろう。そのことへの抵抗の大きさは、「働かざる者食うべからず」という思想が、人類の意識の根底に、かなり強く根付いていることによるのだろうか。

 しかし、その時に言われる「働く」ということが、多くの場合「賃労働」を指していることに気づくべきだ。「働く」=「賃労働」と定義する時に、「家事労働」は無視されている。様々な障碍のために「賃労働」に就けない人びとの生を視野の外に置いている。「家事労働に賃金を」要求するフェミニズム運動、「生きていることが労働だ」と訴えた「青い芝」に代表される障碍者運動からも、ベーシック・インカムの採用という選択への道は繋がる。

 もう一つの反対理由は、「財源はどうするのか?」である。 その質問自体を、山森亮は、次のように批判する。

 “奇妙なのは、お金がかかるすべてに財源をどうするかという質問がされるわけではないことである。国会の会期が延長されても、あるいは国会を解散して総選挙をやっても、核武装をしようと思っても、銀行に公的資金を投入するのにも、年金記録を照合するのにも、すべてお金がかかる。だからといってこうしたケースでは「財源はどうする!と詰め寄られるということはまずない。”(『ベーシック・インカム入門』)確かに「ウォール街では、銀行員はリーマンショック威光で最高額のボーナスを得ている」(『隷属なき道 AIとの競争に勝つベーシック・インカムと一日三時間労働』ルトガー・ブレグマン 文藝春秋)を思えば、ベーシック・インカムに振り向けるべき財源は、どこかにあるような気がする。

 それでも、国民全員に、あるいはこの世界に生きる人間すべてに、労働の対価ではない生活資金を支給するベーシック・インカムは、一見途方もない計画に思える。しかし、『隷属なき道』によれば、“アメリカでベーシックインカムによる貧困撲滅にかかる費用は、わずか1750億ドルで、GDPの1パーセント以下だ。アメリカの軍事費の四分の一”なのだ。東西対立が一応の終息を見、米ロの首脳が談笑する図が不思議でなくなった今なお以前よりも頻発する世界のあちこちでの全く生産性の無い戦火さえ鎮めれば、何よりもそのことに知恵を結集し力を注入すれば、全世界の人間が生きていくことができるだけの生産力を、現在の世界は持っているのである。人類の資本主義は、そこまで発展しているのだ。

 その象徴的存在がAIであり、AIを搭載したロボットである。“「ロボット」という言葉は、「骨折って働く」という意味のチェコ語robotaに由来する。人間がロボットを作ったのは、自分たちがやりたくない骨の折れる仕事をやらせるためだったのだ”と、ブレグマンは言う。そして、このコラムでも言及してきたように、AIロボットが人間の仕事の半分を、あるいは9割を奪う時代は、目の前に迫っている。それは、人類の技術の進歩の到達点でもある。それを望んだのは、人類自身だといえる。

 “実のところ、今のペースでロボットの開発と進出が進めば、残された道は一つしか無い。構造的失業と不平等の拡大だ。”(同書)その唯一の道を人類の存続と幸福に導くものこそ、ベーシック・インカムなのである。

 ブレグマンだけでなく、AIやAIロボットの未来を語る多くの論者が、ベーシック・インカムの可能性と有効性、更には必然性に言及する。

 “小島寛之 マクロで集計すれば、AIが仕事を代替している分だけ生産物は人間の労働なしに増えているわけで、その分人類は豊かになる。そういう意味で、新井さんに半分程度は同意できるのですが、そんなに悲観的なことでもないのではないかとも思っているのです。”(『現代思想』2015年12月号 特集人工知能』

 “仮に今後、AIの発達のおかげで、機械が労働の多くを肩代わりして、人間はベーシック・インカムに支えられて自由に、対価を気にせず、様々な形で表現を行う時代が来るとすれば…“”(『人工知能が変える仕事の未来』野村直之 日本経済新聞出版社)

 “BI(ベーシック・インカム)なきAIはディストピアをもたらします。しかしBIのあるAIはユートピアをもたらすでしょう。”(『人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊』井上智洋 文春新書)

 ぼくじしん、ベーシック・インカムの構想には、決して反対ではない。「不平等の拡大」が既にかなり進行している現状を打開する、ひょっとしたら唯一の方法なのかもしれないと思う。山森亮や、白石嘉治、樫村愛子ら、ベーシック・インカムを提唱する論客の主張を、早くから共感をもって読んできた。

 だが、AI推進論者に、「大量失業は仕方がない、人間労働はどんどんAIロボットに代替すればよい。失業問題は、ベーシック・インカムで解決できる」と簡単に言われると、即ち大量失業は必然、更には善であると簡単に前提されると、あるいは、ベーシック・インカムがあれば大量失業にも何の問題もないと結論されると、「それはちょっと違うのではないか」と感じてしまうのだ。

 彼らは決して、仕事を失う人類のほとんどの部分を放置してよいとは、思っているわけではない。憐憫の情からではなく、それでは経済がたち行かないこともよくわかっているからだ。いくら商品を作っても、買う人がいなくなると経済は回らない。

 ブレグマンは、とてもわかりやすい1960年代の逸話を紹介している。

 “ヘンリー・フォードの孫が、労働組合のリーダーであるウォルター・レアザーを自社の新しいオートメーション工場に案内した時のことだ。フォードの孫はレアザーに冗談めかして尋ねた。「ウォルター、あのロボットたちにどうやって組合費を払わせるつもりだい?」すかさず、レアザーが答えた。「ヘンリー、あのロボットたちにどうやって車を買わせるつもりだね?」”

 「お金の出どころ」についても、「AIの進化→大量失業→ベーシック・インカム」という図式に、ぼくはどうしても違和感をぬぐえない。

 一つには、AIロボットが人間労働を代替したとき、マルクスのW(価格)=c(不変資本)+v(可変資本)+m(剰余価値)の式が成立しなくなることだ。AIロボットはあくまで高度化した生産機械だから、c(不変資本)であり、v(可変資本)のみが生み出すことのできるm(剰余価値)を生み出さない。マルクスによれば、c(不変資本)にかかる経費はそのままW(価格)へと転化されるだけだからだ。だとすれば、資本家の収入も、資本の増殖もありえないから、ベーシック・インカムの原資はどこにも存在しなくなることになる。

 一方マルクスの先の式を棚上げし、AIロボットによる生産でも資本増殖が起こるとすれば、「お金」はAIロボットを所有する資本の元に集中することになり、今日すでに激しく広がっている格差が、極限にまで達するだろう。その状況でベーシック・インカムを実現させるならば、資本を独占した一握りの人間が、その他すべての人間に、資産を公平に分配することになる。人間の欲望の果てしなさ、略奪と流血の人類史を思うと、ぼくにはそうした未来が、どうしても想像できないのである。

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○第177回(2017/6)

 マルクスの経済学(批判)が、産業革命とそれに伴う労働力受容の確保のための「囲い込み」を経て、「世界の工場」と冠せられた19世紀イギリスを考察の対象としたものであり、そこから描き出された図式がある地域のある時代から得られたものであることはマルクス自身を含め、日本の宇野弘蔵など多くの論者が指摘するところである。それゆえ、それ以降、いわゆる第一次、第二次、第三次産業の比率など産業構造が大きく変化していった結果、現代の経済的状況にマルクスの図式をそのまま当てはめることは妥当ではないとする論者も多い。まして、AIが人間労働に取って代わろうとする今日ー近未来を考える時に、マルクスを参照することなど時代錯誤も甚だしいと思われるかもしれない。

 だが、経済のあり様が、人間労働の占める位置とともに大きく変動しいようとしている今だからこそ、近現代世界を成立させていた資本主義経済を徹底的に分析したマルクスを読み直すことに、大きな意味があるとぼくは考える。

 W=c+v+m(W;商品の価値、c;不変資本 v;可変資本 m;剰余価値)

 この式が、マルクスの資本主義分析の根本である。具体的には、c;生産のための機械と原料 v;労働力(商品)である(かなり大ざっぱではあるが、以下の議論では、このような捉え方で問題ないと思う)。

 vとmは共に労働者が生み出す価値だが、vは労働力の再生産費用として労働者に与えられる賃金、資本家から見ると労働力の買い取り価格である。mは、労働者が生み出す価値のうちv以外の(剰余の)部分で、さしあたり資本家の所得と言える。

 マルクスの経済学(批判)に特徴的なのは、vを労働力「商品」の価格としたこと、即ち労働力を商品と捉えたことだが、忘れてならないのは、左辺Wもまた、商品の価格であるということである。つまり、この商品がWの価格で売れなければ、この式は成り立たない、労働者も資本家も所得を得られないということである。マルクスは、すべてが「商品」化した世界として、資本主義世界を捉えたのであった。

 売り手と買い手があって初めて「商品」は「商品」たることが出来る。では、買い手はどこにいるのか? およそ全ての労働者と資本家の所得が上の式の右辺の項となる資本主義世界にあって、買い手もまた労働者と資本家自身に他ならない(その二者の家族が購買をしたとしても、その原資は労働者と資本家の所得であるから、実質的には労働者や資本家が買い手であると言える)。即ち、生産のプレイヤーが同時に購買のプレイヤー、売り手即買い手なのである。ゆえに、労働者と資本家双方が、その所得(v+m)を商品の購入に充てなければ、W=c+v+mという図式は維持できない。(注1)

 そうした資本主義の成立条件を阻害する要因、即ち労働者と資本家が所得を商品の購入に充てられなくなる要因が、二つある。一つは、労働者の窮乏化、もう一つが資本家が蓄財や資本投下などによって、その所得の一部を商品の購入に充てないことである。

 資本主義経済は基本的には企業間の競争で成り立っているから、W;商品の価格を恣意的に上げることはできず、資本家は、c;労働者の賃金を低く抑えることによって、そして同じ賃金で長時間労働を強いることによって、m;自らの取り分を増やそうとする。労働者はその労働に見合った賃金を得られず、商品の購入が出来なくなる。

 だが、それだけでは、もしも資本家が得た収入をすべて商品購入に充てて贅沢三昧を繰り返す限り、格差は広がりそれが社会の不安定化に繋がりはするが、先の公式は破綻しない。作った商品がすべて売れるからである。

 しかし、資本主義下では、事態は決してそのようには進まない。資本の本性が、自己増殖であるからだ。そのために資本家は、生産性を高めるべく、その所得の一部を、技術革新による新しい機械の購入に充てる。その資金は、当然商品の購入には回せない。

 cの増大は、実は利潤率;m/(c+v)を下げる危険を伴うが、生産効率を上げることで分母のvを充分に小さくできれば、その下げ幅は小さくなり、利潤そのものは増大する。資本家の目的はまさにその利潤の増大であるから、新しい機械の導入=cの増大は、vの削減とバーターとなる。その結果、労働者の窮乏化は進み、また不要となった労働者は解雇される。労働者は、ますます商品を買えなくなり、収入を機械の購入に使う資本家はその穴を埋めることができない。生産効率の向上と共に商品は増産されるが、その商品はますます売れなくなる。それが、資本主義の根本的な自己矛盾であり、行き着く所が恐慌である。かくて、恐慌は資本主義経済体制に不可避に訪れる必然である、とマルクスは喝破した。

 ここ20年余りに亘る出版・書店業界の凋落は、この図式で説明できるのではないか?(注2)

 出版物の製作現場(出版社)においても、流通現場においても、特にIT技術の導入とともに、作業の目覚ましい効率化があった。手書きで送られてきた原稿を判読し、赤を入れて送り返すという作業を何度となく繰り返す編集→製作プロセスは、著者や印刷会社とのデータのやり取りで、随分労力を軽減できた。書店現場においても、販売した本から抜いたスリップを分け、それを数え上げる労力が減り、客に尋ねられた本の検索も、随分楽になった。

 その様子を見た経営者は、「これで人を減らすことができる」と判断した。その判断は、vを減らそうとする資本の論理としては正しいし、出版書店業界においてもすべてが間違っていたのではない。間違えたのは、製作現場でも流通現場でも、「本のプロは要らない。経験の蓄積がなくても、昨日今日入ったアルバイトだけでも業務は遂行できる」と判断(錯覚)したことだ。そうして、本を買っていた出版・書店現場の労働者たちがその仕事に十分な評価を与えられず、時に「切られた」。

 もちろん、業界内の人間が購入するだけでは、出版は産業として成り立たない。しかし、出版・書店産業に従事する労働者の多くは「本好き」であり、彼らの購入が産業にとって不可欠な商品とお金の流れの一部を形成していたことは、間違いない。

 更に、そうした「本のプロ」が減ったことは、業界外の読者との関係も悪化させた。すぐれた原稿を見出し一冊の本へと仕立て上げる技術、送られてきた本の価値を感じ取り、適格に仕入れ・展示し読者と出会わせる仕事を成り立たせるのは、読書と経験の蓄積に裏打ちされたセンスであり、POSデータでは無い。新技術の導入によって生産効率を上げるために最も必要なのは、導入した機械を使える人材の確保だったのである。マルクスもまた、新しい技術への資本投下によって、有能な労働者、そしてその能力に応じた報酬を得ている労働者の仕事が効率化され、生産性が上がり、その労働者の再生産に必要な賃金を生み出すための労働時間が削減された時に、それ以外の(剰余価値のための)労働時間が増え、より大きな剰余価値が生み出されて、利潤率が上がるとしている。納得のいく説明である。

 そうした利益産出構造を取り違え、労働者の(生産、消費両方における)役割を軽視した時に、もともと自己矛盾を孕む資本主義経済体制は、一気に恐慌へと加速する。それこそ、終わりの見えない出版・書店業界の不況の原因ではなかったか?(注3)

 さて、AIである。AIの進化によって、人間労働の多くの部分、多くの予想は少なくとも半分、論者によっては9割が、早晩AI搭載ロボットによって取って代わられるという(→前回)

 AI搭載ロボットは、それがいかに「人間らしく」振る舞おうと、機械である。マルクスの式においては、c;不変資本である。不変資本は、その名の通り商品に価値を付け加えない。人間=労働力商品;vがすべてcに代替された時に、剰余価値;mは発生しないのである。vが不要となれば労働者は賃金を得られないが、mがなければ資本家の収入も無い。追加の資本投下も出来ないから、資本は(その本性である)自己増殖を実現し得ない。資本主義は、自らが創り出した「怪物」によって、存立基盤を奪われてしまうのである。にも拘らず、労働者も資本家も、AIの進化を言祝ぎ、それがもたらす人間労働の無い世界にこぞって期待を寄せている。それは、一体どうしたことか?

 AI信仰者は、ぼくのこの素朴な(粗雑な)議論と疑問を嗤うであろう。人間が生きていく上で必要な商品は(サービスという「商品」も含めて)、AI搭載ロボットが生産してくれるのだから、何も心配無いと言う。例えば、前回引用した数学者小島寛之の発言、“マクロで集計すれば、AIが仕事を代替している分だけ生産物は人間の労働なしに増えているわけで、その分人類は豊かになる”。

 では、その生産物を、誰が買うのか?労働者も資本家も収入を失う状況で、どのように商品が流通し、人びとの必要と欲望を満たし、経済が成立するのか?

 何人もの論者がそこで出してくる切り札こそ、「ベーシック・インカム」である。だが、果たしてそれは、本当に有効な切り札なのか?(次回に続く)

 

(注1)vとmをすべて購入に充てても、cの分だけWには足りないように見えるかもしれない。だが、マルクスは、生産部門を部門Ⅰ;生産手段の生産と部門Ⅱ;消費手段の生産の二つの範疇に分け、部門Ⅰ(生産手段の生産)の総生産価格をWⅠ=cⅠ+vⅠ+mⅠ、部門Ⅱ(消費手段の生産)の総生産価格をWⅡ= cⅡ+vⅡ+mⅡとし、部門Ⅰで生産された生産手段は部門Ⅰ、部門Ⅱ双方の生産手段となるから、cⅠ+vⅠ+mⅠ=cⅠ+cⅡ、部門Ⅱで生産された消費手段は部門Ⅰ、部門Ⅱ双方の労働者、資本家の使用をカバーするため cⅡ+vⅡ+mⅡ=vⅠ+mⅠ+vⅡ+mⅡが成り立つと説明。どちらの式からもcⅡ=vⅠ+mⅠが導き出され、部門Ⅱ(消費手段の生産)で用いられる不変資本cⅡの価値は、部門Ⅰ(生産手段の生産)のvⅠとmⅠの合計に等しくなければならないことを導く。即ち、部門Ⅱ(消費手段の生産)において、cⅡはvⅠとmⅠに還元されるのである。

一方、部門Ⅰ(生産手段の生産)が連続していく時はどうだろうか?即ち部門Ⅰの生産物(商品)が、別の部門Ⅰの生産のcとなっていく場合である。部門Ⅰの複数の連鎖を時系列で考えれば、n番目の生産物の価値(価格)は、WⅠ(n)=WⅠ(n-1)+v(n)+m(n)、すなわち直近の生産過程の生産物にその過程のvとmを加えたものとなる。この式は、WⅠ(n)=c(1)+v(1)+m(1)+・・・・・+v(n)+m(n)と書き換えられる、すなわち最初の生産過程の不変資本(原材料);c(1)に、n番目までのすべての生産過程におけるv+mの総和を加えたものとなる。

ところで、原材料の発掘以前まで遡れば、cは限りなく0に近くなると言える。そして、マルクスの定義ではc(1)は商品生産において価値を上げることなく(それゆえ「不変資本」と呼ばれるのである)、生産過程の系列がどれだけ続いてもその価値は増大しない(=限りなく0に近いままである)。それゆえ、vとmを抜きにしたcの値は、産業の総体を考える時、無視してよいと言える。その意味では、労働価値説は、必ずしも的外れではない。

(注2)確かにマルクスは、先の式のm;剰余価値が資本の増殖をもたらすのは産業資本即ち商品の製作過程に限っており、流通過程では流通経費を極力抑えて制作過程の利潤、資本の増殖に寄与する(邪魔しない)ことが出来るだけであるが、寡占や合併・グループ化による企業規模の拡大、様々な技術革新への資本投下が進んできた今日の流通業界は、擬似的にW=c+v+mが適用できると考えても間違いではないと考える。その場合、cは仕入商品+IT技術を含めた流通現場の維持費、Wは売上高もしくは流通利益であろうか。

(注3)もちろん、インターネットの進化・インフラ化やスマホなどの端末の普及など、環境の変化が出版・書店業界の売上減に与えた影響を無視できないことは、重々承知している。しかし、この業界は、「読書離れ」だ何だと、いつでもそうした外的な要因に何もかも帰責する僻が強すぎた。その前に自分たちの考えを吟味し、自分たちの行動を反省することが先決ではないか?そう思うがゆえに、ここでは敢えてそうした環境要因は棚上げする。

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第176回掲載

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer176.htm

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


○第176回(2017/5)

 「鉄腕アトム」の時代から、「人間の心を持ったロボット」は、人類の大きな夢であった。20世紀終盤の「第5世代コンピュータ」の挫折で一度は費えたかに見えたその夢は、IT技術の超速の進歩と、ディープラーニングによってコンピュータが「学習する」というパラダイムチェンジによって、21世紀に蘇る。「人間のような知能」を持ち、どんな目的をも達成可能な「汎用人工知能」(Artificial General Intelligence/AGI)が現実のものとなりつつあるという言説も現れた。レイ・カーツワイルは、「汎用人工知能」をはるかにしのぐ「超人工知能」(ASII)の出現を当然のこととし、人工知能が人間の能力を決定的に超える「シンギュラリティ」が2045年に起こると予言した(『ポストヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』NHK出版)。

 しかし、西垣通は「生きる」という価値軸にそって目標を設定する人間と、身体に支えられて「生きる」という衝動を持たないコンピュータが、同じような「知能」を持つことはあり得ないと主張し(第174回)、羽生善治は「将棋ソフト」の強さと進化を認めながら、「恐怖心」を持たないコンピュータには「美意識」も「時間」の概念もなく、コンピュータの将棋は、人間の将棋とは全く別物だ、と断ずる(第175回)。

 AI活用に積極的な論者にも、「汎用人工知能」の実現と活用については懐疑的な人が多い。野村直之は、人工知能開発の方向性を、「強いAI」(「人間の脳のふるまい、原理の知能を作る」ことを目指す)/「弱いAI」(「人間の能力を補佐・拡大する仕組みを作る」ことを目指す)、「専用AI」/「汎用AI」、「大規模知識」/「小規模知識」の3軸で分類、「弱いAI」+「専用AI」の組み合わせが、今のところベストであると見る。彼は、生身の人間をまるごと置き換えてしまう「強いAI」を目指そうとする海外の論調は、米国の国防高等研究計画局(DARPA)の影響もあって、人間兵士を代替する人工知能搭載のロボットを前提しているのではないか、と危惧している。そして、人間は人間の得意な新たな判定により機械向けのトレーニングデータという副産物を作りつつ本業をこなし、機械は人間たちの判断に対して、広さと精度を保管する方向が、人間と機械の役割分担の基本戦略として推奨するのである。(『人工知能が変える仕事の未来』日本経済新聞出版社)

 野村は、「強いAI」の早期実現を予言する「シンギュラリティ」論者の描く未来に対して、次のように反論する。

“そもそも、強い動機付けや責任感、倫理観といったものもAIにはありません。これらがないと誰にも指示されずに、自発的に課題を発見して取り組んだり、独自の問題解決法を思いついたりするのは困難と思われます。”

“まず、「生物が自らを進化させたように、AIがAI自身をぜんぜん違う知性を発揮できるように自らを進化させる」(たとえるなら言語を獲得するなどの根本的変化)という言い方をする一部のシンギュラリティ論者たちには、「ダーウィンの自然淘汰説によれば生物は自らを設計、進化させたことはないはずですが」と言いたいです。” 

 井上智洋もまた、「強いAI」の実現には懐疑的だ。

“AIが知性の多くの分野で人間を超える可能性はあります。しかし、知性の「大部分を超えるというのと「全てを超える」というのでは、天と地ほどの違いがあります。”

 そして、「天と地ほどの違い」を「生命の壁」と呼び、次のように言う。

“私が考える「生命の壁」というのは、全能アーキテクチャ方式の汎用AIは生命ではないので、人間が与えた範囲でしか欲望や感性を持ち得ないということを意味します。”(『人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊』文春新書)

 一方、両者とも、「弱いAI」の生産現場、ビジネス現場への導入には積極的であり、そのことによる経済の活性化については楽観的である。

 野村は、『人工知能が変える仕事の未来』のそもそもの執筆理由を、「今回のAIブームがバブルとなり、弾けて、前回と同様、産業応用が頓挫することを恐れた」ことにあると言い、「定型的なデータ処理、その典型的、定型的な解釈は、コンピュータがもともと得意な繰り返し作業、単純作業」であると指摘、「これまで自然言語の壁に阻まれて、効率化できなかった壁がAI活用で壁が取り払われつつあることを歓迎」している。

“こうして浮かせた時間を使って、全体像を広く深く把握できたところで、人間は、深い分析、追加調査、裏取り取材、交渉などに時間を割けるようになります。実に素晴らしいことと思います。”(野村前掲書)

 そして、生産現場での効率化のみならず、公的機関、商業、医療の現場においても、「弱いAI」は力を大いに力を発揮し、われわれ人間を助けてくれると構想する。

 国民生活センターや企業の利用者サポート窓口に日々集まる、大量の質問や苦情のテキストへの対応におけるコスト削減。小売店の売れ行き、在庫状況のリアルタイムの画像認識による発注、品出しの効率化支援。医療周辺のヘルスケア、介護、看護における「見守り」の課題の解決...。

 実際、AIを搭載した「ロボット」たちは、既に現実社会での活躍を開始している。

 掃除用ロボット「ルンバ」、人間とのコミュニケーションを念頭においたソフトバンク「ペッパー」などの「ソーシャルロボット」、セコムのパトロールロボット「ロボットX]等々。グーグル、トヨタというIT業界とものづくり業界の両雄は、AIが運転する自動走行自動車の実現に、激しくしのぎを削っている(河鐘基『AI・ロボット開発、これが日本の勝利の法則』扶桑社)。『日経TRENDY』(日経BP社)2017/6号は”Top Tech Trends 2017 あなたの明日を変える革命商品 買える!役立つ!人工知能&IoT”という特集を組み、ゴミ箱、傘立て、洗濯機、ぬいぐるみから 、自動車やドローンまで、日常生活に入り込む様々なAI活用商品群を紹介している。

 疲れることを知らないAI、AI搭載ロボットによる業務の効率化は、確かに魅力的であるかもしれない。原発事故現場などでの危険な作業、過酷な条件下での労働の回避、緩和について、ロボットたちの活躍を期待するのは、決して間違いではない。経済が爆発的に成長し、今や「世界の工場」の名も冠される中国では、労働者不足の解決のためにロボットの開発・普及が喫緊の課題とされているという(河前掲書)。少子高齢化が進む日本にとっても、それは他人事ではない。

 だが、すべてをAIに頼ろうとするのはいかがなものか?ビジネス現場でのAIの活用の目的を、野村は「消費者の志向に合わせたサービス」の徹底化とするが、いかにディープラーニング経たAIが休むことの無い「監視」によって膨大なデータを集めようと、それはどこまでも過去のデータである。消費者は知らず知らずのうちに自らの過去に縛られ、AIの弾き出す欲望を、つまり自らの過去の欲望を、常に現在の欲望としてして受け取ってしまうようにはならないか。その結果人間は、新しいものを生み出そうとする性向、今とは違う世界を構想する力を失ってしまうのではないだろうか。

 少なくとも、本を売るという我々の生業にとって、それは困る。読書とは、今とは違う自分、今とは違う世界の可能性を求めてなされる行為だからである。『現代思想』2017年3月臨時増刊「特集 知のトップランナー50人の美しいセオリー」に寄せた小文で、ぼくは次のように書いた。

“だが、〈未来〉を喪失した人の〈今〉は貧しい。〈今〉の躍動、〈今〉の充実は、〈未来〉に向けて成長を志向することから生まれる。成長の志向に資するべく、或いはその〈未来〉が未だ獏として見定められない時はそれを見出すために、人は本を読むのだ”。

 そもそも、現在のAIの基盤になっているディープラーニングには、大きな問題に繋がるであろう、決定的な属性がある。それは、「なぜ人工知能がそう考えたか、人間が見ても、その思考過程がわからない」ということだ。

 早稲田大学理工学術院で人工知能を研究する尾形哲也教授は言う。

“中身がわからない、だが性能がよいという技術が登場してくると、あらゆるケースでブラックボックスに直面することが想定できますよね。音声認識・画像認識・翻訳などは、少々間違ったって別にいい。そのぶん生活が便利になるのであれば、人間はそれを受け入れるでしょう。ただ自動運転ではどうでしょうか。人工知能は人間より確実に事故率が低い。だけど、事故をおこしたときに、人間がそれを受け入れられるかというと、すぐには難しいでしょう”(河前掲書)

 産業現場、医療現場、そし生活空間にAI搭載のロボットがどんどん進出していけば、いかにそれらが優秀で悪意がなくとも(悪意などがあったら、人類は早晩滅ぼされるだろう)、避けられない事故は発生する。その原因となったロボットの判断、指示が人間には理解できないこともあるだろう。それでも、AIは人間の知性よりも勝れているはずだから、事故も仕方ない、と諦めるのだろうか?「真理」「正義」は、常にAIにあると。

 特に、日本ではそうなる危険が大きい。「しょうがない」が決まり文句であるこの国、トップの思想信条に疑問が呈され、公私に亘るさまざまなスキャンダルが取り沙汰されながらも尚その支持率が下がらない、この国では。

 全く身に覚えがなくとも、「お前は国家に反逆している」「お前はブルジョワだ」と告発され、批判を浴びせられ続けると、徐々に「自分が間違っているのだ」と信じるようになっていく。そして国家の宣告に従って、粛々と死に赴いていく。大澤真幸が繰り返し引用する粛清期のソ連の状況が、思い起こされる。そうした状況下では、「自由」という概念も、そして何より「責任」という概念が、消失してしまっている。

 そうしたディストピアよりも、もっと近い将来に訪れるであろう(或いは既に始まりつつある)問題は、労働の問題である。人間が、AIに仕事の場を明け渡す、仕事を奪われるという問題だ。

 2013年、オックスフォード大学でAI研究に携わるマイケル・A・オズボーン准教授とカール・ベネディクト・フライ研究員が、「雇用の未来ーコンピューター化によって仕事は失われるのか」という論文を発表し、話題になった。彼らが702種の業種を徹底調査し、モデル化と計算機によるシミュレーションによって判明したというリストによれば、現在ホワイトカラー業務、事務業務とされている仕事や、いわゆる職人的な仕事の約半数が機械に取って代わられる、という見通しが立てられている。

 15年12月末には、野村総合研究所(NRI)が英オックスフォード大学の研究者たちと共同で作成した『日本の労働人口の49%が人工知能やロボット等で代替可能に?601種の職業ごとに、コンピュータ技術による代替確率を試算』というレポートが日本社会で物議を醸す。

 ライス大学のモシェ・バルディ教授は、2016年2月に行われた米国科学振興協会(AAAS)の年次総会で、人工知能、およびそれらを搭載したロボットが、将来的に人間の失業率を50%まで引き上げ、格差が拡大するというシナリオを予言した。

 井上智洋は、“機会が人々の雇用を順調に奪っていくと、今から30年後の2045年くらいには、全人口の1割ほどしか労働していない社会になっているかもしれません(2015年度の就業者数は全人口のおよそ半分の6400万人)”と言う。

 多くの論者が、「AIによる大量失業」の可能性を否定しない。だが、AI推進派は、そんな心配をものともしない。井上は、次のように言う。

“技術進歩は常に技術的失業を生み出す危険性を孕んでいますが、それゆえにこそ経済を成長させます。”

 小島寛之が“マクロで集計すれば、AIが仕事を代替している分だけ生産物は人間の労働なしに増えているわけで、その分人類は豊かになる”(「東ロボくんから見えてきた、社会と人類の未来」新井紀子との対談『現代思想』201512 特集人工知能)と言っているのも、同趣の発言である。

 要するに、人間が仕事をやめても、AIがそれを引き継ぎ、飛躍的に発展させるから製造も流通も、産業は大丈夫だ、心配無用ということか。

 井上は更に続ける。

“AIやロボットの発達に限らず資本主義経済では絶えず技術進歩が起こっており生産性が絶えず向上しているので、マネーストックも絶えず増やさなければ需要と(潜在)供給の均衡は保たれません。”

“中央銀行がマネーストックを増やし、私たち「家計」の手元にあるお金も増えたとします。そうすると、私たちはよりお金持ちになっているのだからより多く買い物することになり需要が増大します”。

 要は、AIやロボットがどんどん生産性を向上させるので、その分インフレの心配なくお金を刷ればよい、そうして消費者にお金を分配すれば重要が増大し、未来の経済についても全く心配は無い、そういうことだろうか?本当に、そんなに簡単な図式で、物事が進むだろうか?マネーサプライの増大による経済浮揚策は、近年明らかに失敗を続けている。

 国民の1割しか労働していないのであれば、刷ったお金を賃金報酬として渡す、配分することは出来ない。井上は、いささか唐突に、「ベーシックインカム」を言う。「唐突に」というのは、ひょっとしたらぼくがそう感じただけのことかもしれない。野村直之もまた、“仮に今後、AIの発達のおかげで、機械が労働の多くを肩代わりして、人間はベーシック・インカムに支えられて自由に、対価を気にせず、様々な形で表現を行う時代が来るとすれば”と、ベーシックインカム導入を想定しているからだ。

 ぼくが「唐突に」感じたのは、2000年代、拡がる格差と絶対的貧困を無くすために議論されたベーシックインカムが、AIがつくった物を購入・消費して経済を回すということのために安易に「登用」されたことに対する違和感によるのだと思う。「仕事は、AIに任せろ。人間は働く必要は無い。ベーシックインカムをやるから、AIがつくった物を、ひたすら消費しろ」というのは、ちょっと違うのではないか。それがユートピアだとは、ぼくにはどうしても思えない。第一、一握りになるであろうAI技術の所有者、即ち産業の独占者と政治権力が、何の恣意的な操作もなく、手に入れた利益をベーシックインカムとして公平に分配するだろうか?

 少なくとも本屋にとっては、人びとが労働を奪われた状況は、困る。本がますます売れなくなるからだ。仕事がなくなれば、その仕事のための資格書は存在理由を失う。また、そもそも仕事に就かない人が、自己啓発書を初めとしたビジネス書を買うこともない。書店の売上を確実に支えてくれていた多くのジャンルが、絶滅していくに違いない。

 仕事がらみの本だけではない。ぼくが『現代思想』に書いたように、そもそも本を読むモチベーションは、成長への志向を前提にしている。多くの人にとって、仕事におけるスキルアップは、収入という面に限定されず、自らの成長の大きな指標である。だから、絶滅の危機に貧するのは、「仕事に直接役に立つ」ビジネス書だけではない。思想や文学、ノンフィクションも、危ない。「人工知能」フェアを前に、ぼくは「これは、何か大変なことが起こりつつあるのではないだろうか」と思った(第174回)一番の動機は、そこにある。

 だが、ぼくが「AI信仰」を危ういと思うのは、出版・書店業界に身を置く者のエゴイズムだけではない。人間の労働というファクターを除外して、そもそも経済が成り立っていくのだろうかが、最大の疑問なのだ。そのことを考えるために、労働の商品化、そのことによって生まれる剰余価値を、資本主義経済の不可欠な動因と喝破した偉大な先人の思索を参照しなくてはならない。

 その先人とは、言うまでもなく、カール・マルクスである。(次回に続く)

 

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第175回掲載

人工知能と人間の違いについての内容です。

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


○第175回(2017/4)

 1996年、IBMのスーパーコンピュータ「Deep Blue」がチェスの世界チャンピオンを打ち負かす一年前、『将棋年鑑』に、プロ棋士への「コンピュータがプロ棋士を負かす日は?」というアンケートの回答が掲載された。多くの棋士が「そんな日は来ない」と答える中、「その日」をほぼ正確に「2015年」と予測したのが、若き日に頂点に登りつめ、タイトルを総ナメにしていった天才棋士、羽生善治である。

 奇しくもその2015年、NHKスペシャル「天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る」(2016年5月放送)の番組作りがスタートした。『人工知能の核心』(NHK出版新書 2017年3月)は、羽生とNHKスペシャル取材班のプロデューサーとディレクターが、その取材を元に執筆した本である。

 コンピュータがプロ棋士を負かす日を「2015年」と答えたのは、決して羽生の「敗北宣言」ではない。進化し強くなっていく将棋ソフトと対戦しながら、羽生は人間の将棋とコンピュータの将棋が全く「べつもの」であることを肌で感じたに違いない。「人工知能を探る」羽生のモチベーションは、その「ちがい」を見極めたいという思いから生まれたと思われる。

 「べつもの」だから、人間vsコンピュータの勝ち負けは、もはや大した問題ではない。羽生は、次のように言っている。

 「私がコンピュータ将棋に関心を持っているのは、コンピュータ将棋がどれほど強くなるかよりも、人間と同じような手が指せるようになるか、についてです。あるいは、人間よりも強くなったコンピュータの考えた手が、はたして本当の意味でベストなのかどうかを知りたいと思っています」

 NHK取材班とともに取材を進めながら、羽生は人間と人工知能の違いを見出していく。人間の強みは、あることを学習すると他の状況にも応用できる「汎用性」である。一方、現状の人工知能でそうした「汎用性」の実現はまだ難しいが、一方コンピュータが桁違いの計算能力を駆使して学習していくディープラーニングにおいては、機械には学習できるけれども、人間には学習できないブラックボックスが存在する。いわば、互いに相手の手の内は見えないのである。

  羽生は、人間の将棋と人工知能の将棋の違いを、次のように総括する。

 “人間が「直観」「読み」「大局観」の三つのプロセスで手を絞り込んでいくとすれば、人工知能は超大な計算力で「読み」を行って最後に評価関数で最善の一手を選ぶという形になります。

 ここで人間にあって人工知能には無いのが、手を「大体、こんな感じ」で絞るプロセスです。棋士の場合には、それを「美意識」で行なっていますが、人工知能にはどうもこの「美意識」にあたるものが存在しないようです。”

 「美意識」とは、しかし、その効用が覚束ないものではないか?強固な理論に基づき、精緻な計算によってプログラムされた人工知能の指し方の方が、結局は合理的で、強い指し方であるように思われる。実際、年を経るにしたがって、勝負は、人工知能に歩がよくなってきている。

 しかし、その〈覚束なさ〉が、実は大切なのだ。

 AIを論じる多くの著者が引用する、ダニエル・デネットが「フレーム問題」を解説するために作った次の例え話を、羽生も引いている。

 ロボットが、爆弾が載っているバッテリーを取り出してくる、という課題を与えられる。だが、いかなる指示の仕方をしても、ロボットは「バッテリーを救い出す」という使命を果たすことが出来ない。問題状況を無視して直接的な指示だけに固執するか、問題状況を把握しようとして計算をはじめ、時間切れになるかである。

 覚束なくても前進できる、ある選択肢に賭けることができることが、人間が行動するにあたって不可欠の、そして最も有用な武器なのだ。

 羽生は、「棋士が次に指す手を選ぶ行為は、ほとんど「美意識」を磨く行為とイコール」であると言い、「筋の良い手に美しさを感じられるかどうかは、将棋の才能を見抜く重要なポイント」だと指摘する。

 一方、人工知能だから指せる手、と感じられる手もあるのだという。

 それは、人工知能に「恐怖心がない」ことに起因する「通常なら怖くて指せないような、常識外の手」である。

 人工知能に「恐怖心がない」ことは、理解できる。人工知能は「死なない」し、歳も取らないからだ。

 更に羽生は、「人工知能には「時間」の概念がない」とも言う。人間に取って「指し手 」は、勝負の流れの中の一手であるが、人工知能にとっては、「一つ一つの局面はあくまでも静止画像」である。それゆえにこそ、現在の人工知能の手法が使えたのだろう、と言う。

 おそらくは、「時間」は、「恐怖心」と同じ根を持つ。「死」である。人間は、生まれてから死ぬまでの、有限でかつ決まった時間しかこの世で持てないからこそ、「時間」の概念を持つことが出来るのだ。

 人間は、計算に時間がかかるが故に「時間」の概念を持ち、データの検証が不十分でも、 「時間」内に行動するために「端折る」。一方人工知能は、「時間」の概念を持たないがゆえに「時間」内におさめるという発想ができず、デネットのロボットのような失敗に陥ってしまうのだ。実際、人間は、サンデルが示したような倫理学上の難問に対して多くの場合、もっともプラグマティックな方法で対処する。考えずにスキップしてしまうのである。

 勝負の流れの中で一手一手を、時に説明し得る根拠もなく選んでいく棋士と、局面の静止画像の一枚一枚に対して最善手を計算し提示していくコンピュータは、同じ盤面に向かっていながら、していることが全く違うのである。逆に、その違いを明確に理解していればこそ、天才・羽生善治は、人工知能とその棋譜に、将棋を学ぶことができると確信するのである。

 時代を遡ること約20年、障害児教育という、羽生とは全く違ったジャンルで、人工知能の開発に学ぼうとしたのが、東北大学の渡部信一である(『鉄腕アトムと晋平君 ロボット研究の進化と自閉症児の発達』ミネルヴァ書房 1998年11月)

 渡部は、ロボット開発の現場で「人間らしいロボット」を作ろうとしている研究者が、「第5世代コンピュータ」の失敗を経て、「人間らしさとはどういうことか?」を追求しようと必死になっているということを知る。彼らが選択したのは、「記号計算主義」からの脱却であった。それまでのロボット開発を支えてきた「記号計算主義」では、実験室の中ではうまく動いていたロボットが、実験室を出たとたんに全く動けなくなってしまったのである(渡部もまた、羽生が参照したデネットの例えを引いている)。

 言い換えれば、人間は、記号計算主義では説明できない、直感的認識によって動いているのだ。現存する世界最古の機械計算機「歯車式加算器」を1642年に発明したパスカルは、人間の「知」には幾何学的には扱うことのできない側面があることを主張した通りだったのである。パスカルは、言った。
“人間の心は、技術的法則には頼らず、暗黙の内に、そして自然に直感を働かせる。”

 渡部は、同じ失敗を、「単純なものから複雑なものへ、スモール・ステップで発達していく」という、当時の自閉症児教育の常識に見出す。自閉症の子どもたちには、教室や訓練室で学習したことが他の場面でできなくなってしまう「般化困難」が、大きな問題だったからである。

 渡部は、問う。“自閉症児に対する訓練自体に「ある状況で学習したことが他の状況では使えない」「教わったことしか実行できない」という特徴があるのではないのだろうか?”

 そして、「訓練」の有効性に疑問を覚えた母親がむしろ同世代の子どもたちの中に「放り込む」ことによってスクスクと成長した晋平君の事例の聞き取りを通じて、あらかじめプログラムされた「訓練」への疑念を深めていく。

 成長の過程で、晋平君は、数々の失敗を犯す。教師たちも、〈晋平ママ〉の方針に、しばしば反対する。しかし、そうした失敗の連続の中で、晋平君は、確実に成長していき、当初困難だったコミュニケーションの能力を獲得していく。

 晋平君の成長過程を聞いた渡部は確信する。

 “人間の知能の柔軟性ってものは「誤りを犯すかもしれない」という代償をはらうことによって はじめて可能になる。〈ヒューリスティクス〉とは、「誤りを犯しながら何とかうまくやっていく」ことなのだ”と(「水に入る前に泳ぎを習うことはできない」と言ったヘーゲルを思い出す)。

 渡部は、のちにIT技術を駆使した伝統芸能の伝承に挑み、その可能性と限界について纏め(『超デジタル時代の「学び」 よいかげんな知の復権をめざして』新曜社 2012年2月)、神楽舞の動きそのものは、ITでかなり正確に伝えることができるが、その動きを支える師匠の〈思い〉は、共に生活することによってしか、伝えることはできない、と「内弟子制度」の意義を論じている(この渡部の議論に、ぼくは『紙の本は、滅びない』(ポプラ社 2014年1月)114頁以下で、言及した)。

 教育においても、そして人工知能の進化においても、ただ予め与えられたプログラムにそってなされることよりも、失敗を恐れず、環境に放り込まれることが、より有効であり、大切なのだ。そのことの認識から、人工知能のプロジェクトにおいて、ディープラーニングの発想が生まれたのだろう。

 羽生もまた、成功よりも失敗の経験の重要性を指摘する。

 “大事なのは、実は「こうすればうまくいく」ではなく、「これをやったらうまくいかない」を、いかにたくさん知っているかです。取捨選択の「捨てる方」を見極める目こそが、経験で磨かれていくのです。”

 「間違う」「失敗する」こと、そしてそれらを経験として蓄積することに関しては、人間が人工知能に勝ると考えてよいだろう。「「この問題は間違えて悔しかった」という感情や、あるいはその問題を以前にミスしたときのシチュエーションなどと関連付けて覚えること」は、人間の方が得意なように思われる。なぜなら、人間は常に「死」の可能性と共にあり、かつそのことを認識している存在だからである。それゆえにこそ、「恐怖」という感情も起こる。「恐怖」は失敗経験を強烈に人間に刷り込み、「捨てる方」を見極める目を育てる。その目こそ、デネットの例に登場するロボットに欠けていたものである。

 『人工知能の核心』を、NHK取材班は、次のように総括する。

 “あらゆる「成功(正解)」を瞬時に弾き出す人工知能を前に、私たちができることは、「失敗」なのかもしれない。リスクを前にしてもひるまず、自分の決断を信じて進む。それが、私たちに残された道なのではないか。”

 人工知能に取って代わられないための人間の武器、それは〈勇気〉に他ならない。

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第174回掲載

AI=人工知能についての内容です。

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


○第174回(2017/3)

 きっかけは、やはり店頭にあった。

 去年の秋頃、数ヶ月前から平台で展開しているAI=人工知能のフェアに並ぶ本たちを眺めているとき、突然「これは、何か大変なことが起こりつつあるのではないだろうか?」という思いに襲われたのだ。いくつかの本をめくっているうちに、「やはり、これはただ事ではない」という思いを強くした。これだけ関連書が出ているのに、事の重大さに気づかなかった自分の不明を恥じた。

 刊行時にはスキップしていた『現代思想』2015年12月号「人工知能」を手始めに、何冊かの本を読んだ。そして、確信した。AI=人工知能問題は、単にテクノロジーの進歩云々という話ではない。労働のあり方、経済のあり方、社会のあり方を直撃し、人間の生き方そのものをドラスティックに変えてしまう可能性さえ秘めている。人類が選択を誤った時、引き返すことの出来ない坂道を転がり落ちていくことになるだろう。少なくとも本の世界にとって、その脅威は電子書籍の比ではない、と。

 

 第二次世界大戦後に発明されたコンピュータは、PC、インターネット、スマホと、その形態を変貌させながら、確実に、そして加速度的に進化してきた。論理演算を駆動力とするコンピュータには、「人工知能」としての役割が当初から期待されていた。「人工知能 Artificial Intelligence」=AIという名称は、1956年のダートマス会議で採用されたと言われている。1980年代には、第2の波が来る。「第5世代コンピュータ」という流行言葉を思えている人も多いだろう。

 だが、「第5世代コンピュータ」のプロジェクトは、機械による「パターン認識」の困難さや、いわゆる「フレーム問題」などにぶつかり頓挫し、また、90年代半ばからのインターネットの圧倒的なプレゼンスを前に、「人工知能」は表舞台の話題から消えていった。

 しかし、水面下では技術の進歩は留まることなくすすみ、21世紀になって再び「人工知能」が脚光を浴びてきたのである。その劃期は、2005年、レイ・カーワイルが『シンギュラリティは近いー人類が生命を超越するとき』で、「2045年にコンピュータが全人類の知性を超える」と、大胆に予言した時かもしれない。具体的に「いつWhen」が入った予言、コンピュータが人類を超える時点を表す「シンギュラリティ Singularity」(技術的特異点)というキイワードも馴染みやすい。実際にIT技術の目覚ましい進化を見て育ってきた人々の間に、「シンギュラリティ」仮説は拡がっていった。おそらくは、畏れと希望の療法を伴いながら・・・。

 もちろん、「シンギュラリティ仮説などトンデモ科学だ」と相手にしない人もいるし、少なくとも意思や感情を持つ「人間そっくり」の万能人工知能=「強いAI」の出現には、懐疑的な論者が多い。だが、一定数の賛同者もいて、「シンギュラリティ仮説」は、ある程度世の中に受け入れられていると言っていい。多くの人は、次に何が来るか分からないIT技術の不連続な発展を経験しているし、コンピュータは、1997年にはチェスの世界王者に、その後将棋や囲碁においても人間に対して勝利をおさめてもいる。

 「人工知能」が21世紀になって「復活」した理由は何か?

 ひとつは、コンピュータの計算能力のさらなる増大である。だが、それはコンピュータが誕生した時から途切れることなく続いてきたことであり、何ら目新しいことではない。確かに能力はグンと上がったかも知れないが、それだけが原因なら、「第5世代コンピュータ」プロジェクトの密かな継続が花開いたにすぎない。しかし、そうではない。

 21世紀に「人工知能」を復活させたもう一つの理由は、「ディープラーニング」の概念が、コンピュータのあり方(本質といってよいかもしれない)を大きく変え、それが再び「人工知能」への道を切り開いたことである。

 ディープラーニングでは、まず、入力層になんらかの認識・分類対象となる生データを与え、その認識結果・分類結果の正解を出力層に与える。この作業を適切に多量に行って、機械をトレーニングしていくのである。(『人工知能が変える仕事の未来』野村直之 日本経済新聞出版社』P173-4)

 これは、基本的には人間の教育と同じである。大量の練習問題を解かせて、すぐに答え合わせをやり、それを繰り返すことによって正解を得るためのチェックポイントを記憶させているのだ。野村直之は、「学習・教育というより、調教の方が相応しい」と言う。

 コンピュータの立場で言えば、これまでは予め与えられたプログラムに則って同じ作業を繰り返していけば良かったが、与えられた大量のデータを処理しながら、それらを覚え、その後の作業に活用していかなくてはならない。すなわち、コンピュータは、変わる=成長することができるように、否成長しなくてはならなくなったのだ。

 データラーニングは、人間だってやっている。人間もまた、さまざまな問題に出会い、それを解決したり、解決に失敗したりして学び、成長していく。ただ、その問題の数が、処理するデータ量がコンピュータよりも著しく少ないだけである。

 そうした、新しいコンピュータのあり方と人間の像の重なりが、「人間そっくり」の人工知能がやがて、或いはすぐにも生まれるという発想を生み出したのだ。人間の学習と同質のデータラーニングで学び、成長するうちに、人間と同じように意思や欲望を持つコンピュータが生まれるのではないか、と。

 ディープラーニングは、もちろん「ビッグデータ」との親和性が、そして相互因果性がある。ビッグデータが存在するからこそ、コンピュータのディープラーニングが可能となったのであり、逆にコンピュータの処理能力の急激な進化があったからこそ、ビッグデータの解析が可能になり、ビッグデータの発掘収集に意味が生まれたのだ。

 実際、インターネット社会を生きるわれわれは、「リアル社会」ではヒステリックに「個人情報保護」を叫ぶ一方で、ネット空間にさまざまな個人情報を喜んで提供している。ネットで買い物をするときには、名前・住所・電話番号・メールアドレス・年齢・性別を簡単に企業に知らせ、ブログやSNSでは、個人的・日常的な出来事を事細かに漏出する。それらをコンピュータが処理して加工した結果をこそ「自分の真の姿」を思い込み、Amazon他のネット企業が「レコメンド」するものを、疑いもなく受け入れている。コンピュータとビッグデータの相乗効果の進展には、データが有用だという大前提がある。コンピュータが膨大なデータを掬い上げ、弾き出した行動指針は常に正しく、その結果も含めた人間の行動や言表のデータの集積は、必ずコンピュータを「賢く」する、という前提である。だが、その前提は本当に正しいのか?

 マイクロソフト社が開発した「テイ」( TAY)というオンラインAIは、ツイッター上の人間のつぶやき合いなどを基に学習し発達した挙句、ヒットラーを賛美したり、ヘイトスピーチを繰り返したり、卑猥なことをつぶやいたりするようになったという。

 データを提供する人間が賢くならない限り、AIも賢くなるはずがないのだ。そしてAIが「成長の糧」とするビッグデータが棲まうネット空間は、似た言説が凝集し対論を見えなくさせ、極論をますます先鋭化させてヘイトスピーチを養っていくような、そんな空間なのだ。そうした、人間の愚かさに塗(まみ)れたビッグデータによって「学習」した人工知能が、どのように人間の知を越えていくと言うのだろうか?

 ビッグデータの「学習」によるコンピュータの「進化」とは、発明当初のコンピュータのあり方から言えば、「退行」とも言える。もともと、コンピュータは、最初に与えられたプログラムから厳密な論理計算によって推論していく、演繹(ディダクション)的な機械であった。ところが、ビッグデータによる「学習」は、大量のデータを読み込んで蓋然的な結論を引き出す、帰納的推理(リダクション)もしくは仮説推量(アブダクション)である。推論の過程のそうした変更によって、確かに人間の「パターン認識」に近い作業が可能になったかもしれないが、推論の真理性においては確実に劣る。

 それは即ち、人工知能の知が人間の知に近づいたことを意味するのではないか、と「人間そっくり」の人工知能を夢見る人たちは反論するかもしれない。だが、そもそもコンピュータの知と人間の知の間には、決定的な違いがあるのだ。

 茂木健一郎は、言う。

 “意識は、「今、ここ」という限定の下で、有限の資源に基づいて外界を認識し、適切な行動をとるために進化してきたと考えられる。”(『現代思想』2015年12月号P60)

 それに対して、今目指されている人工知能の知は、膨大ではあるがあくまで過去のデータの集積に基づいたものである。

 西垣通は、「生物と機械のあいだの境界線とはいったい何か?」が基調テーマであるという『ビッグデータと人工知能』(中公新書)で、生物と機械の違いを次のように述べる。

 “コンピュータとは純粋に「過去」にとらわれた存在だ。設計者は過去のデータや処理結果をふまえて論理空間を組み立て、そこで未来のデータ処理方法を決定するのであり、いちいち現在時点での判断でデータを処理しているわけではない。”(P106)

 “コンピュータにかぎらず、一般に機械とは再現性に基づく静的な存在である。再現性を失ったら、それは機械ではなく廃品だ。これに対して、生物とは、流れ行く時間のなかで状態に対処しつつ、たえず自分を変えながら生きる動的な存在である。この相違は途方もなく大きい。”(P107)

 “ビッグデータの分析とは所詮、過去のデータを統計的に整理した結果にすぎない。要するに、生物はリアルタイムで現在に生きている存在なのにたいし、機械はあくまで過去のデータによってキッチリ規定される存在だということだ。”(P154)

 即ち、機械の作動はあくまで過去の再現であり、生物の行動は常に「今を生きる」ことなのである。

 “人間の目標設定は「生きる」という価値軸にそっておこなわれる。・・・それなら、身体に支えられた「生きる」という衝動をもたないコンピュータは、いったいどのような「知能」活動をするというのか?”(P148)

 「生きる」ことは、未来に向かって、今において行為することだ。その行為によって自分を絶えず変化させながら。「生きる」ことのゴールは、「死」である。「生きる」ことの背後には、常に「死」がある。そして、人間は、そのことを知っている。

 「生きる」ことの否定である「死」を目指して生きていく人間、そのことを知っていながら、あたかも知らないかのように行為する人間、そうした人間の姿を、悲劇の主人公たちに見出すのが、福田恆存の『人間、この劇的なるもの』(新潮文庫)である。福田は、ハムレットに、そうした人間の典型を見出す。それが劇中の人物だということが、茂木や西の人間観と共振する。演劇とは、「今」の現前そのものであり、過去も未来も、プロットが進行し登場人物が行為するその「今」との関わりの中でのみ存在するからである。

 福田はいう。

 “行動というものは、つねに判断の停止と批判の中絶とによって、はじめて可能になる。”(P139 )

 “もし資料が十分に出そろってから行動に移るべきだとしたら、私たちは永遠に行動できぬであろう。資料は無限であり、刻々に増しつつあるものであり、のみならず、行動によってのみ、あるいは明らかにされ、あるいは新しく発生するからだ。”(P140 )

 過去のデータに頼って生きることは、福田のいう「行動」を阻害する。それは、これまでの人間の「生き方」を否定、あるいは「生きる」ことそのものの否定に繋がると言えるかもしれない。

 こうした、過去のデータに頼る姿勢は、AI社会の本格的な到来を待たず、既に蔓延し始めている。そのことが、AIの実現を更に強く待望させる。

 

 出版・書店業界においても然りである。POSデータを元に、膨大な販売データが作成され、該当部署から、そしてあちこちの出版社からも次々に送られてくる。それらを作る方も見る方も、かなりの時間を取られる。本来そのデータを更にスピーディに解析し、「適切」なアドバイスを与えてくれるヒューマンフレンドリーなAI無しにデータだけが氾濫する状況は、「過渡期の地獄」と言うべきだろうか。

 だが、過去の販売データに頼ることが我々の仕事に有効かというと、そうは言いきれない。一度買えば通常二度と購入することのない本という商材は、未来の販売数が過去の販売数に対して、傾きが正の関数には決してならない。過去に売れたから注文しようという類の単純なデータ利用は、必ず返品の山を生むのである。

 「目の前に迫っている」AI社会に対抗するために(より穏健にいえば「対応」するために)必要なのは、いまだ実現していないAIに既に頼ろうとしている心性を、今日の段階で、個人的にも社会的にも振り払うことだと思う。

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第173回掲載

出版業界と他業種の流通についての内容です。

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。


○第173回(2017/2)

 出版業界の2017年は「出版物流の危機」宣言で開けた。但し、物流の問題は、通販会社や宅配業者にも、困難な課題を与えてきている。例えば「再配達」の問題は、受取人不在時にも荷物を受け取れる「宅配ボックス」普及を国が補助するほど切迫している。ウォルマート・ドットコムで注文した商品を最寄りの店で受け取る「サイト・トゥ・ストア」というシステムも登場した。通販のコンビニ受取のしくみも、徐々に浸透してきた。ならば、注文した本を書店まで取りに来てもらってもいいのではないか?(hontoサイトで注文した本を丸善ジュンク堂の店舗で受け取ることが出来る。)その時新刊にも出会える。何か新しい発見があるかもしれない。「注文した本を取りに本屋に行く」と行為は、読者にもメリットがあるはずだ。(→第172回)

 そこで言う読者のメリットとは何かを、今回は考えてみたい。それは、商品の魅力的な受取場としての書店の条件を探ることであり、読者が家で本が届くのを待つのではなく、24時間営業で家から歩いて行けるコンビニで受け取るのでもなく、書店まで取りに来る、そのモチベーションを維持するために必要なのは何なのかを考えることだ。

 ライバルはもはや同業他社ではない。自宅に居ながらネット画面で商品を探し、データベースでやカスタマーレビューなどを見ながら自分が読みたいものを選択、クリックしてあとは自宅で待つのみ、そうした通販に慣れた読者を改めて書店に足を運ばせるだけのプラスアルファを、書店はどのように生み出し、アピールしていけばよいのか?この問いは、ネット通販が当たり前になった今日、なお店舗の存在理由はどこにあるのか、と言い換えられるかもしれない。

 著者角井亮一は、ネット通販とリアル店舗の両方を活用するハイブリッド戦略の成功例のいくつかを紹介している(『アマゾンと物流大戦争』NHK出版新書)。

 メガネのネット通販「ワービーパーカー」は、ネット通販サイトでありながら米国内に37店舗を展開しているが、驚くことに店内に在庫を置いていない。訪れたお客は商品を試着し、気に入ったメガネが見つかれば、検眼を受けてから、店に置かれたタブレット端末を使って注文、数日内に宅配で商品が届く仕組みだという。在庫を置かない代わり、店舗はワービーパーカーとお客が接点を持つ場としてデザインされているのだ。

 また、これまでにない素材やデザインにこだわったデニムのジーンズやパンツをヒットさせている男性向けアパレルブランド「ボノボス」も、店舗で商品をチェックして、オンラインで購入するスタイルをとっている。更に、「ボノボス」は、顧客に時間予約を推奨している。予約時間に「ボノボス・ガイドショップ」を訪問すると、ボノボスガイドと呼ばれる専属のスタイリストから様々なアドバイスを受けることができ、ビールなど飲み物のサービスもふるまわれる。「ボノボス」では、「その場で商品を買うことによって得られる瞬間的な満足感より、サービス全体が重要」と、店舗では、相談やもてなしを第一に考えているのである。

 1964年創業の、世界最大級の楽器販売チェーン「ギターセンター」も、店舗での販売とネット通販を融合させている。ここでも、あらかじめオンラインで店舗在庫を確認することと共に、他店や物流センターからの取り寄せを勧めている。

 「ギターセンター」がユニークなのは、各店舗の店長はもとより、同社のスタッフほぼ全員が熱心な音楽マニアであり、楽器を演奏することができる点である。その豊富な知識を活かして、楽器や音楽に関するあらゆる情報をSNSなどで発信し、顧客の好評を得ている

 これらの例から、今日の店舗の存在理由が仄見えてこないだろうか。そう、店舗とは何より顧客との関係を取り結び、顧客をもてなすことによってその関係を強固にしていく場なのである。

 そうした場であることを実現していくための店舗スタッフの条件は、第一に専門性である。角井は、日本の例として、「ヨドバシカメラ」の接客を高く評価している。

 “何よりも店員のみなさんが豊富な製品知識を持っており、接客のレベルが高い、私の贔屓目もあるかもしれませんが、「どの家電を買えばいいかわからない」というときに一番適切なアドバイスをもらえるのは、やっぱりヨドバシカメラです。顧客を第一に考える企業文化が培われているからこそ、ネット通販でも顧客の要望に応えるため、コストがかかっても高い物流品質を維持できる自前配送にこだわっているのだと思います。”

 店員の製品知識の豊富さと共に、顧客にとって有利ならば躊躇なくネット通販利用を薦めることも、顧客にとって魅力的だ。ネット通販のヨドバシ・ドットコムに自信があればこそ、店舗をあえてショールームにし、丁寧な接客を武器にネット通販で買ってもらい、顧客が持ち帰る負担を軽減しているのだ。そして、ネット通販なら、率の高いポイント還元もあり、リピート購入につなげやすく、顧客の囲い込みにも繋がる。実際に店舗を運営している者から見ると、「店舗で売り上げても、ネットで売り上げても、ヨドバシカメラの売上なのだから同じだ、という意識が社員全体に共有されている点」がすごい。

 ここにも、書店現場に今必要とされている意識改革の雛形がある。そして、こうした顧客の利便性を何より優先する姿勢が更に進んで、自社の通販部門はもちろん、たとえそれが同業他社でもかまわない、どうしても自分の店で買って貰おうというのではなく、「どこで買ってくださってもいい」という思いが、実は有効であるとも思うのだ。そうした姿勢は必ずファンの獲得につながり、やがては自社、自店の売上に大きく貢献してくれると、ぼくは信じる。「損して得取れ」である。

 ヨドバシカメラとは別の文脈であるが、角井は日本の例として、老舗百貨店「大丸」の「先義後利」を紹介している。噛み砕いて言えば、「まず相手のことを考えて行動しよう。そうすれば利益は後からついてくる」という理念である。「おもてなし」が必ず利益を連れてくるという信念である。

 但し、書店の場合、ヨドバシカメラとは同じようにいかない事情がある。商品範疇も商品数も多すぎて、大抵の場合顧客の商品知識が店員より勝っているという事情である。逆にいうと、だからこそ商品購入方法については、顧客再優先の柔軟さが大切なのである。「何としてもわが店で買っていただきたい」という姿勢では、その柔軟さを持てない。

 ワービーパーカーやボノボスの「おもてなし」の仕組みが登場した背景の一つは、ファッションブランドがそもそも体験価値であり、ブランディングが重要な分野であることだ。そのことは、書店にとっても大いに示唆的である。それらのブランドショップでは、商品そのものと同時に、その場でのスタッフとの体験そのものが価値なのであるが、そもそも書店は、紙の束ではなく読書体験を売っているのであり、書店で本を選ぶという行為こそ読書体験の第一歩であり、書店でのスタッフとの対話は読書体験の入口、と言えるからだ。

 だが、繰り返すが、書店員が読者よりも商品について詳しいケースは少ない。書店とは、著者というプロと読者というプロを書店員というアマチュアが繋ぐ場なのだ。何がそのことを可能にするのか。商品知識で凌駕できない書店員との対話で、お客様を満足させることを担保するのは何か。商品の内容ではなく、付随的な情報であるかもしれない。だが、インターネットが普及した今、そうした情報もお客様の方がより多く持っている場合の方が多い。

 書店員にとっての最後の砦は、やはり自身の読書体験だと思う。今求められている本、今相談されているジャンルについてお客様ほどの知識がなくとも、読書体験さえ豊富であれば、お客様がその本を読みたいという気持ちは理解でき、その共感のもとで対話は有意に進行しうるからだ。それぞれが得意とするジャンルが違っているからこその、新しい発見もあるだろう。そうした発展的な対話こそ、書店の顧客=読者を満足させるものだと信じる。

 ネット通販も盛んな「ギターセンター」の店舗に集まる顧客は、熱心な音楽マニアである。迎えるスタッフもまた熱心な音楽マニアであることが、店舗での対話を増進し、店舗の居心地の良さを醸し出していることは間違いない。

 書店にポスレジが入り、SA化が進行した時、「これからは、本に詳しい書店員はいらない」という誤った考えが蔓延り始めた。ぼくは、そのことを憂慮し、強く反対した。機械は、技術は、顧客と同じ思いのもとにそれを使いこなす人があってこそ、生きるからだ。

 そう、人間が「使いこなす」ことこそ、IT技術を生かすために不可欠なのである。書店現場でITがはじき出すデータは、本についてのデータである。それを使いこなすために必要なのは、やはり本の知識なのだ。それを培うのは、書店員自身の読書体験である。

 但し、それだけでは十分ではない。顧客との対話によって導き出された商品を販売するのに、顧客にネット通販の利用を薦めることも厭うべきではない、と言った。しかし、書店の顧客には、ネットを使うことが不得手な人も多い。だからこそ、書店を訪れてくれている面もある。

 特にお年寄り。お年寄りには、読書のための時間がある。読書の他にこれといった楽しみもないという方も多い。店頭に立っているとしばしば、お年寄りこそわれわれの大きな市場だと感じる。まして日本は、人口の三分の一が65歳以上という時代を迎えているのだ。書店が、その市場を取り込まない手は無い。

  今や「町の本屋」を謳いはじめたセブンーイレブンの店舗では、従業員が「御用聞き」するサービスを開始した。40万人いる店舗スタッフがタブレットを操作することで、ネットが使えない高齢者からも注文を受け付けることが出来るのだ。

 注文した本の受け取リ場として最大のライバルになるかもしれないCVSが展開しようとしているこうしたサービスを前に、手を拱いていてはいけない。本の販売の大きな市場を、みすみす取り逃すのは、愚策である。

 例えば、今やポイントカードは、ネット登録が基本である。スマホやPCを扱えないお年寄りには、お薦めすることができない。だが、ポイントサービスと引き換えに、膨大な販売データを手に入れそれを活用することがポイントカード戦略の大きな目的であるならば、われわれにとって大切な顧客であるお年寄りにお薦めできないというのは、正しい戦略とは言えないのではないか。

 IT化は加速度的に進み、AI(人工知能)の時代が目の前に迫っている。本格的なAI時代を迎えた時、ぼくたち販売員の最大の(或いは唯一の)仕事は、AIと顧客のインターフェイスたることであろう。ならば今日の段階で、インターネットと顧客のインターフェイスであることに逡巡している場合ではないのである。 (電子書籍がぼくたちの商材を呑み込もうとしたのであれば、AIはぼくたちの仕事そのものを呑み込んでしまうかもしれない。それについては、また稿を改めて論じたい。)

 

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第172回掲載

2017年出版業界の物流問題についての内容です。

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

 

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


○第172回(2017/1)

 2017年の出版業界は、「物流の危機」宣言で幕を開けた。

 1月6日、東京・目白のホテル椿山荘東京で行われた「新春の会」で、トーハンの藤井武彦社長は2017年を「物流再生元年」と位置づけ、本社再構築、物流再配置、情報システムの全面クラウド化などを合わせて専任部署を新設したと発表する一方、日本出版取次協会から次年度の土曜日休配を年間5日から20日に拡大する案を日本雑誌協会に申し入れていると説明した(「新文化」2017.1.12)。4日後の1月10日、ぼくも参加した大阪屋栗田の「新春おでんの会」では、挨拶に立った文藝春秋松井清人社長、大阪屋栗田友の会連合会田村定良会長(田村書店)から、休配日拡大に対する疑念が述べられた。

 それらを受けた形で、「新文化」1月19日号は、東京都トラック協会出版取次専門部会長の瀧澤賢司氏へのインタビュー「深刻さ増す出版輸送問題」を、一面に掲載している。

 瀧澤氏によると、「土曜日休配日増」に対しては、出版運送会社によって賛否両論があるという。「『不足してる人材を確保するためには、今より休みが欲しい。だから賛成』とおっしゃる社もあれば、稼働日数が減るため売上げに影響するのではないか、と危惧する声もあります」

 賛否に別れる双方の反応の根は、同じところにあると言える。人材不足はドライバーの労働条件の悪化が原因であり、それは運輸会社の経営状態の悪化とともに、20年に渡り底を打たない出版業界全体の売上減が結果したものであるからだ。

 更に運輸会社を経営を圧迫しているのが、出版輸送の重量制運賃制である。「積んでも積まなくても一定の運賃を保証する」車建て運賃制に対して、重量制運賃制では出版物流そのものの減少が、もろに影響するからだ。そして、昨今取次は、採算性向上=返品率削減のために仕入れ制限を行なっている(それについて、ぼくは『書店と民主主義』(人文書院)143頁~で批判した)。

 更に、コンビニ配送の問題がある。元々小口の配送である上に、コンビニ配送では深夜を含めてタイトな納品時間指定が課せられる。その上、コンビニの従業員数はギリギリに切り詰められているから配送時の待ち時間も長い。その結果、配送効率、ドライバーの労働条件双方を悪化させている。

 下落し続ける出版業界の売上とは対照的に、売上を伸ばし続けているのが、アマゾンをはじめとするネット通販である。ところが、ここでも輸送に関する問題は深刻化している。

  ネット通販では、発注から商品到着までのスピード時間(=リードタイム)の短縮が、企業間競争を勝ち抜く鍵である。そのためにアマゾンは、商品の管理やピッキング、梱包や配送までを一括でフルフィルメント(遂行)する「フルフィルメントセンター」と呼ばれる物流センターの建設を次々に進めている。

 だが、膨大な費用を必要とする物流センターの急速な建設は、危険も伴う。確かに物流センターは、ネット通販に不可欠な機能ではあるが、建設費用以外にも、多数の小口の商品を揃え配送する仕事には多くの作業員を要し、システムの合理化を謀らないかぎりランニングコストも莫大になる。余りに急速な設備投資は企業の体力を弱らせ、実際いくつかの通販会社は、倒産を余儀なくされた。体力にまさるアマゾンでさえ、ネットバブル崩壊時には、危機に陥ったという。

 対策の一つが、実店舗の利用である。

 ウォルマートの「シップ・フロム・ストア」では、ネット通販で顧客が注文した商品のピッキングを店舗で行い、店舗から発送する。店舗をストックポイントとし、ネット通販の配送拠点として活用するのだ。配送ルートを短縮することで、輸送コストの削減にもつながる。多数の店舗網を持つウォルマートならではの戦略である。

 多くの既存の食料品店舗から生鮮食品などをピックアップして、最短1時間で顧客に届けるネット通販会社のインスタカートのシステムは、実にユニークだ。登録されているショッパー(企業ではなく個人)がスマートフォン等で指示を受けて店舗に直行し、あらかじめ指示された店舗の棚から商品をピッキングする。さらにアプリの指示で、ショッパー自身が所有している自家用車やバイクを使い、注文した顧客の自宅へ届ける。だが、店舗でのピッキングー発送作業はどうしても効率性に劣るため、注文が増えてくると、物流センターの建設がどうしても必要となる。収益と費用をにらみあわせての緻密な戦略が要求されるのだ。小さなガレージから始まり、システムを構築しながら段階的に成長していったアマゾンに、やはり一日の長があるという。

 一方、ドライバー不足とその原因であるドライバーの労働条件の悪化は、通販業界でも同じである。日本では1990年の規制緩和以後、平成不況の深刻化と相俟って新規参入が増え、過当競争が激化して、ドライバーの賃金の低下と労働時間の増加が加速された。

 労働時間の増加に特に大きな影響を与えているのが、いわゆる「再配達問題」である。配達に行っても受け主が家にいない。一つ荷物のために二度三度と訪問しなくてはならないことが日常となる。大手宅配業者の抽出調査によると、不在によって再配達を余儀なくされた宅配便貨物の割合は19.6%、5回に1回は留守、しかも全体の貨物のうち、3.5%は2度以上の配達が必要だった。そのうち、時間指定の人は18 %だったが、その再配達率は17%に達したという。また、国土交通省の試算によると、宅配便の配送車両の走行距離のうち、25%が再配達のためのものである。

 こうした数字は、「再配達問題」が、運送業者の経営にとっても、ドライバーの労働条件にとっても、また道路渋滞や空気汚染といった社会的問題にとっても、看過できない問題であることを示している。

 当然、通販会社も、その「ラストマイル」を請け負う宅配業者も、対策を講じる。事前に配送時間を通知するシステムを構築、自宅ではなくコンビニや店舗で受け取る仕組みも導入した。アマゾンは、宅配業者を使わずドローンで配達することも、試行している。宅配ポストを設置して、受け主が不在でも配達を完了させる方式も浸透しつつある。ヤマト運輸は宅配ポストにヤマト運輸の名前を一切出さず、ヤマト以外の宅配会社にロッカーを開放することで、ライバル会社が相乗りしやすくした。

 国も動く。

 “インターネット通販の拡大で深刻化する物流業者の人手不足や交通渋滞を解消するため、官民が受取人の不在時にも荷物を預けられる宅配ボックスの普及に取り組む。政府は4月から設置費用の半額を補助する制度を新設し、業者が駅やコンビニに宅配ボックスを設置するのを後押しする。再配達を少なくして配送効率を高め、ネット通販の拡大に欠かせない物流網の維持をめざす。”(2017/1/17付日経新聞)

 こうしたネット通販会社、宅配業者の対策の試みは、同じ問題の根を持つ出版流通にもヒントを与えてくれる。もっといえば、書店業界そのものの存在理由を改めて思い出させてくれる。

 ネット通販を支える二大機能は、商品を管理・発送する「物流センター」と、顧客である家庭や企業への商品の配送を意味する「ラストマイル」である。
顧客への速やかな着荷がネット通販の生命線であるから、「物流センター」はできるだけ顧客の近くにあった方がよい。しかし、その建設、運営には多額の資金がかかり、うまく運用しないと経営を圧迫する。実際、楽天の子会社であった楽天物流は、多額の営業損失を出し債務超過に陥って、楽天に吸収合併された。

 一つの解決策が、先に触れたウォルマートやインスタカートの店舗利用であった。店舗そのものをストックポイントに位置づけるそうした成功例には、商材をお酒など飲料品と一部の食品に限ることで即日配送を実現したカクヤスもある。

 一方、「ラストマイル」の「再配達問題」の解決策の一つに、コンビニ受け取りがある。顧客の側でも、いつ来るか分からない配達を家で待っているより、あるいはたまたま配達時に不在で再配達を依頼する労をとるよりも、近くにいつでも受け取れる場所があれば、自分の都合で取りに行くほうが便利な場合も多いだろう。

 この2つの施策に共通しているのは、そう、店舗の存在である。だとすれば、わが出版書店業界も、往時の三分の二に減ったとはいえ、なお世界に冠たる店舗数を誇る全国の書店網を利用しない手はない。書店網といっても、文字通りナショナル・チェーンだけを意味するのではない。通販におけるコンビニの役割を考えても、「普段使い」の「町の本屋」を大切にすることが、「出版流通の危機」を打開する、素朴ではあるが実は大いに有効な、ひょっとしたら唯一無二の方途であると思うのだ。

 豊富な在庫を誇る大型店がストックポイントとなるシステムは、書店系の通販でも取り入れられている。一方、「町の本屋」には、ご近所への配達がある。この配達業務が立ちいかなくなったことが、「町の本屋」の経営基盤を揺るがし、業界全体の雑誌売上減にも結びついていることは、間違いない。配達には、さまざまな企画・情報を顧客に伝え、拡売に繋げるという機能もあった。

 「普段使い」の本屋に客注品を取りに行くことは、出版−書店業界と顧客双方にメリットがある。日々のルートに乗せて客注品を書店に送る作業は、出版社にとっても負担が軽い。通販における「ラストマイル」の問題は発生しない。顧客の方は、客注品を取りに行った時、そこに並ぶ本たちを目にする。本についての新しい情報を手にすることが出来るし、それによって誘惑される。「ついで買い」が起こる、あるいは後日また本屋を訪れる動機となる。こうした、小さな日常の一つ一つが、これまで出版ー書店業界の売上を支えてきた筈だ。

 その構造を維持するために重要なのが、物流スピードなのである。客注品が届くのに、2週間も3週間もかかっていては、ネット通販に太刀打ち出来ない。顧客の注文は翌日もしくは当日に届くネット通販に奪われ、顧客が本屋を訪れる機会は、どんどんと少なくなっていく。それでは、「購入のスパイラル」は発生しない。物流の問題は、物流の改善によってしか、解決しないのだ。

 だが、ここに大いなる矛盾がある。出版物流の問題を解決する最終拠点(書店)の多数性こそが、出版物流の問題そのものの発生源であるという矛盾である。配送先が多くなり、荷物が小口になればなるほど、輸送効率は悪くなる。客注品を含めた商品の着荷までの時間は、それだけ長くなる。

 かつて、「店所店」というシステムが、この業界にはあったと聞く。取次から送られた商品は、各地域の中心的存在である書店に中心的な書店=「店所店」に降ろされる=卸される。地域の他の多くの書店は、店所店に自店に必要な商品を仕入れに行っていた。

 現在、生産地の方では商品が取次という拠点に集積されるが、そこから消費地へはバラバラに送られている。それを、消費地の方でも拠点をつくって、商品をまとめてそこに送り込むのである。いわば、消費地における「本のハブ」である。

 少し前まで、取次の地方支店や営業所の「店売」が、その「ハブ」の役割を担っていた。しかし、その多くが「合理化」の名のもと、廃止されたり、商品在庫を持たなくなった。そこで客注品を調達していた地方の「町の本屋」が、そのことでいかに困っているかが、『本屋がなくなったら困るじゃないか』(西日本新聞社)に収められている車座トークを読めば分かる。そして、巻末のインタビューで、HAB(H.A.Bookstore)の松井祐輔氏は、つぎのように言うのだ。

 「僕の考える卸売センターは、書店の店頭であってもいいんじゃないかと思っているんです」。

 競合書店に商品を調達する、他取次の荷物を混載するなど、これまでの常識では考えられなかった方式も模索しなくてはならないだろう。システムはもちろん、それ以上に、頭のドラスティックな切り替えが求められる。

 商売に競争は不可欠だ。顧客へのサービスを競い合うことが、業界全体の進歩に繋がる。だが一方、ときに協業も必要なのだ。冒頭に挙げた「新文化」のインタビューで、瀧澤氏は、出版輸送問題の打開について、次のように語っている。

 「可能であれば今年は競合他社とも協業し、できることがあれば具体化していきたい。現場の人間も交え、『A社はこう、B社はこう走っている』などと状況を分析・把握し、集約できることなど現実的な面から改善を図ることができればと思っています」。

 大きな困難にぶつかっている「運び手」が、抜本的な意識変革をも見据えて突破口を模索している。送り手(出版社ー取次)も、受け手(書店)も、勇気をもって意識変革に臨む時である。

参考・引用文献:『アマゾンと物流大戦争』(角井亮一、NHK新書)ISBN9784140884959
           『物流ビジネス最前線』(齊藤実、光文社新書)ISBN9784334039318

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第171回掲載

『万博の歴史』(平野暁臣著、小学館、2016年11月刊)についての内容です。

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer171.htm

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「本屋とコンピュータ」TOPページ

*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

 

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


○第171回(2016/12)

 2025年の大阪万博誘致へ向けた大阪府の動きが本格化してきていると聞き、新刊書として店に入荷したときから興味を惹かれていた『万博の歴史』(平野暁臣著、小学館、2016年11月刊)を読んでみた。

  よく分かったのは、1970年大阪が万博の頂点であり同時に折り返し点であり、それ以後日本でも世界でも万博熱は急速に冷めていったことである。
イノベーションの急激なスピードアップ(ドッグ・イヤー、ムーアの法則)が、20世紀後半に万博衰退をもたらした理由の一つである。アップルやマイクロソフトをはじめ、次々と新製品を繰り出すIT業界は、準備期間も開催期間も長い万博でのプロモーションにまったく興味を示さない。

 また、冷戦が終わり、20世紀の万博を引っ張ってきたアメリカを初めとする各国も、「国威発揚」の場を必要としなくなり、万博参加への意欲を減退させた。
最も大きな理由は、20世紀の後半以降、核兵器の脅威やテロリズム、環境問題によって、「技術の進歩が未来をひらき、社会を豊かに、人を幸せにする」という万博の根本的なテーゼが容易に信じられるものではなくなり、「近未来を疑似体験させる」万博が、人びとにとって魅力的なものではなくなってきたことだ。

 だが、だからといって、ぼくには万博の存在価値を無条件に否定することは出来なかった。未来の可能性を信じられなくなることは、人類にとってとても不幸なことだからだ。今とは違う「よりよい世界」を目指すことは、とても大切なことだと思うからだ。そのために今最も必要なことは、世界のあちこちで続く戦争状態ー憎しみの連鎖を断つために、地球上の様々な民族=他者を理解することではないか。そう考えたときに、万博の、「未来を開く技術の進歩」博とは違うもう一つの貌=民族の博覧会に思い至った。

  その貌が、元々各国の植民地主義の所産であり、植民地から連れてきた人びとを「見世物」にし、「国威」を示すためにあったことは確かである。そうした動機に与するつもりは毛頭無いが、未知の民族の自分たちとは違う生き様、暮らしぶりを知ることは、万博を訪れた観客にとって、技術による未来信仰とは別の楽しみであったことも事実なのだ。惨敗に終わったハノーバー博(2000年)において、“むしろ観客が楽しそうな表情を見せていたのは、地べたに座り込んでアフリカ土産をうる民族衣装のおばさんとの談笑であり、アジアの民族舞踊を見ながら食べる本場のカレー体験でした”と平野は書いている。

  ここに一つのヒントが、万博の可能性がある、と思った。即ち、憎しみと殺戮に満ちた現在の世界とは違う世界(オルタナティブ)を目指すために、様々な価値観を持ち、異なった生き方をしている国民、民族が、相互に理解を深めるために出会う場としての万博という可能性が。

 その時ふと「書店とは、小さな万博会場ではないか?」という思いが、頭をかすめた。書店に並ぶ本たちは、世界の人びとのさまざまな価値観、生き様を詰め込んだパビリオンではないか。ならば、「書店業は、観光業である」といってもよいのではないか? 万博も書店も、訪れたお客様がさまざまな価値観と生き様に出会う場だからである。

 『デフレの正体』や『里山資本主義』の藻谷浩介が共著者の一人であることに惹かれて読んだ『観光立国の正体』(新潮新書)が、「観光業としての書店」にいくつものヒントを与えてくれた。その本質を同じうする観光業と書店業は、いま抱えている問題も、これから目指すべき方向性も、共有している、と感じた。
藻谷は、日本の観光の問題を「マーケティングの思想が決定的に欠けていること」だという。

 “「いい製品を作れば売れる」という「プロダクトアウト」の発想しかなく、「市場が求めているものを創りだす」というマーケットインの発想がない。”

  「いい本だから、売れるはずだ」「この本は多くの人が読むべきだ」という発想でやってきた出版業界もマーケティングの思想に欠けていることは、JPOの中町正樹(→コラム第168回)や文化通信社の星野渉(出版産業の変貌を追う青弓社)らが指摘している通りだ(但し、ぼくは出版におけるマーケティングには「市場調査」以上に「市場開拓」の意味があると考えるので、単なるPOSデータの集積・分析だけではダメだと思っている)。

  藻谷が「観光カリスマ」と呼ぶこの本のもう一人の著者山田桂一郎は、自らの実践の中で、地域全体が活性化することが、観光業にとって何よりも大切だという。観光業におけるマーケットインの思想とは、顧客がそこに長く滞在したいと思うような地域を創造していくことなのだ。ところが、“これまで多くの事業者は、目先の業界利益だけにとらわれて、本当に魅力ある地域づくりに取り組んできませんでした”と、山田はいう。今、日本の観光・リゾート地に一番欠けているのが、この「地域内でお金を回す」という意識であり、魅力ある地域づくりのために大切なのは、「競合してライバル視する」ことではなく、「お互いのポジショニングを明確に」しておくことだ、と。

 書店業界にも同じことが言えるのではないか。事実、かつて大小個性的な書店が林立していた京都四条河原町界隈からその多くが姿を消していったあと、生き残った書店の売上もどんどん落ちていった。それに対して、堀部篤史は、“一両編成の叡山電車に揺られ、恵文社でゆっくりと買い物を楽しみ、購入した本を近くのカフェに持ち込んで一服する。そんな「体験」があればこそ、次もお店に来てもらえるのではないか。”と、書店を地域全体に溶け込んだものと考え、京都の恵文社一乗寺店を全国区の人気書店にした(『街を変える小さな店 京都のはしっこ、個人店に学ぶこれからの商いのかたち。』 京阪神エルマガジン社)。今年9月に亡くなった岩波ブックセンターの柴田信は、最後の一日まで「神保町フェスティバル」の成功のために奔走していたという。

  そして、何よりもぼくが参照したいのは、“観光は、その地域にいる人たちが幸せに生きていくための手段です。地域が衰えて無人になっても観光事業者だけは生き残れる、というようなことはありえません”という藻谷の言葉だ。山田もまた、“日本の観光・リゾート地がダメになったもう一つの理由は、住民の生き生きしたリアルな生活がお客様には全く見えず、体験する機会もなかったことです”と指摘する。

観光地に生きる人びとが幸せに生きることこそ、観光客を惹きつける観光資源なのだ。ハノーバー万博の観客が、そのことを裏書してくれるだろう。
在住するスイスのツェルマットでの経験を、山田は次のように振り返る。

  “私がスキー教師としてデビューした際にも。お客様の満足度をいかに高めるかという点を繰り返し教えられました。「目の前のお客様が君の顧客となり、もう一度このムラに戻ってきてくれて初めて一人前だ」。インストラクターやガイドは全員、まずこの意識から叩きこまれます”。(この箇所に、ぼくは「書店員は観光ガイドだ」と書き込んでいる。)

  “「こんな場所なら自分も住んでみたい」と感じ、何度も足を運んでくれる。そこにあるのは、画一化されたテーマパークのような「非日常」の世界ではありません。アルプスの風土と調和したツェルマットならではのライフスタイルであり、他の地域から見れば魅力的な「異日常」の空間なのです。”

 「異日常」という言葉に、胸を射抜かれた。一過性のイベントなどの「非日常」ではなく、居並ぶ本たちが醸し出す「異日常」。読者一人ひとりを「異次元」へと連れて行く書物への、それ自体「異日常」な書店空間。人は、その「異日常」を求めて、書店を訪れてくれているのではないか?

 その「異日常」を創り上げているのは、本を愛し、本を売ることに生きがいを感る書店員たちではないだろうか? 彼ら彼女らが(幸せに)働いている姿こそ、人を書店に呼び寄せる、最大の「観光資源」かもしれない。

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第170回掲載

カンタン・メイヤスー『有限性の後で』とスティーヴン・シャヴィロ『モノたちの宇宙 思弁的実在論とは何か』(上野俊哉訳、河出書房新社)についての内容です。

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer170.htm

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「本屋とコンピュータ」TOPページ

*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

 

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


○第170回(2016/11)

 今年(2016年)1月、メイヤスーの『有限性の後で 偶然性の必然性についての試論』(カンタン・メイヤスー著 千葉雅也・大橋完太郎・星野太訳 人文書院)が刊行された。これまで『現代思想』などでいくつかの論文が訳され、また少なくない研究者が言及していた新しい「実在論」の雄の、書籍としては初めての翻訳書である。訳者は新進気鋭の哲学者、千葉雅也。大いに期待して読んだ。

 宇宙や生命の誕生など人類がこの世界に現れる遥か以前、「先祖以前」の出来事、或いは人類絶滅以後の世界について、我々はどのように認識し、どのように語ることが出来るのか? このスケールの大きな問いかけと共に、メイヤスーはカント以降の西洋哲学の〈相関主義〉(思考と存在を切り離せないものと考える)を乗り越えようとする。カントの「コペルニクス的転回」は実は「プトレマイオス的転回」であり、〈相関主義〉は、〈信仰主義〉に意外に近く、いかなるイデオロギーをも是認せざるをえないと喝破しながら、「世界は別様にもありうる」ことが〈相関主義〉を含む思考そのものの絶対的条件であり、世界が「かくある」という〈事実性〉は疑えないが「『かくある』ことの偶然性は必然的」である、というテーゼに行き着く。

  議論は終始スリリングであり、「偶然性の必然性」という逆説的なテーゼも魅力的だが、メイヤスーが人類誕生以前/絶滅以後の世界の記述を成り立たせるという数学も、或いはそれらの記述そのものも、結局人間的実践ではないのかという疑問は残る。メイヤスーの辿り着いたテーゼは、真に〈相関主義〉の乗り越えになっているのか?

 というよりも、なぜメイヤスーが、そして今日「思弁的実在論」や「新しい唯物論」と呼ばれる思考を展開している人たちが、ここまで〈相関主義〉から逃れようとするのかが、よくわからないのだ。すべてのモノは人間にとっての有用性の度合いで測られるとまでのプラグマティズムを取らなくとも、世界は、その中で生きる人間との関わりの中で探究され、記述されるだけでも十分なのではないか? 人間には神の目を持つことは出来ないのだから。

 そんな風に思っている中、6月の終わりに出た『モノたちの宇宙 思弁的実在論とは何か』(スティーヴン・シャヴィロ著 上野俊哉訳 河出書房新社)が目に止まった。副題が気になって手にとってみると、帯に「ホワイトヘッドを甦らせながら」とあったので、昨年末にジュンク堂難波店でトークイベントもしてもらった『具体性の哲学 ホワイトヘッドの知恵・生命・社会への思考』(以文社)の著者森元斎さんにメールで問い合わせると、「今、日本語で読めるもので、思弁的実在論について最もわかりやすく書かれている本」との回答をいただいたので、読んでみた(あとがきまで読み終わって気づいたが、森さんはホワイトヘッド研究者として、訳者の依頼を受け、最初の訳稿を読み、助言を行なっていた)。

 “認識論を特別あつかいするのをやめなければいけない。特権を取り去らなければならない。なぜなら、ぼくらはモノたちそのものを、モノについてのぼくらの経験に従属させることは出来ないからである”と語るシャヴィロは、世界やモノが人間なしにもあることを強調し〈相関主義〉からの脱却を図るメイヤスーらと出発点を同じくしているようにも見える。人間の特権的地位の否定には、ぼくも同意する。“「人類」はもはや万物の尺度ではない、われわれはもはや自分たちのことを特別な存在と考えることはできず、ましてや万物の霊長と見ることもできない”。そして次のことばは、重く響く。“実際、「生は略奪である」からこそ、生きている有機体にとって「道徳は厳格である。略奪するものは正当化を必要とする」”。

  だが、同じスタートラインから発進してまもなく、ホワイトヘッドに依拠するシャヴィロは、メイヤスーら思弁的実在論者とは正反対の方向に進む。後者が“物質そのもの―それが相関関係の外側に存在するかぎり―は単に受動的に不活性的で、意味や価値などを全く欠いているのでなければならないと想定している”ことを批判し、“価値と感覚はあらゆる存在者にそなわっており、したがって現に存在するとおりの世界に内在している”と主張する。価値と感覚において序列などないモノたちが遭遇しあい、相互に作用しあっている。人間も、そうしたモノの一種に過ぎない。だからホワイトヘッドは、“〈生けるもの〉の社会と〈生きていないもの〉の社会の間に絶対的な裂け目はない”“非有機的社会という補助的装置を欠いては、いかなる生ける社会についてもわれわれが知ることはない”というのだ。

 すなわち、メイヤスーをはじめとする思弁的実在論者もホワイトヘッド=シャヴィロも認識論や人間存在を特別扱いすることを認めない点では(カントから現象学への流れに対峙して)同じ陣営に立つが、ホワイトヘッド=シャヴィロは、思弁的実在論が物質が受動的、不活性的で、意味や価値を欠くとするのに対し、世界に充満するモノたちは、人間がたとえそのモノを認識出来ない時でも感受し、作用を受けていると主張する。

 “存在者はそれぞれ自らの価値の肯定に発する個々の様々な欲求や欲望をもっている”と、シャヴィロは言う。或るモノにとって、他のモノは、認識ではなく欲求や欲望の対象であり、感受し享受する対象なのである。

 ここまで来ると、「欲求、欲望の主体」を考えたくなる。実際、シャヴィロは「モノの主観」という言葉の使用を認めている。コウモリにはコウモリの主観、ダニにはダニの主観、石にも石の主観がある。それらはおそらく人間の主観とは様相を大きく異にする主観であり、人間には認識不能であるだけなのだ。

 メイヤスーの「人間精神とは関わりがなく世界と世界にあるモノたちを説明する数学」も奇妙だが、「石の主観」もにわかには受け入れ難い。シャヴィロは、どうしてこのような議論をするのか?

  『モノたちの宇宙』の第三章の章題は、「モノたちの宇宙」であり、更にそれはギネス・ジョーンズのSF短編『モノたちの宇宙』から取られている。

  物語は、アルーティアンという人間型エイリアンに植民地化された地球を舞台としている。主人公は、ひとりのアルーティアンに雇われた自動車修理工。彼は、アルーティアンがつくった道具を使って、日々クルマの修理に勤しんでいる。アルーティアンの道具には、われわれ人間の道具とはまったく違う特徴がある。それらは、生きているのである。アルーティアンの道具は、彼ら自身の排出物を生物学的に成形したものなのである。

 ある夜、修理工はクルマの修理をしながら、「ある神秘的な顕現、あるいは幻覚」にとらわれる。彼のもっている道具が生きている。“存在するものは息が詰まるほど窮屈になり、耐えがたいものになる”。彼は恐怖におののき、吐き気を催す。そして「諸対象がわれわれと適度な距離を保っている世界」、すなわちモノが「死んでおり、安全である」世界に還ることを、痛切に希求する。

  この小説の概略を提示された時、そしてこの小説のタイトル(『モノたちの宇宙』)が本書のタイトルにも採用されていることに改めて思い至った時、シャヴィロの哲学が、今日的状況に即して/促されて成立したものだと強く感じた。かつてヘーゲルが喝破したように、哲学は時代の要請に応えて生まれてくる「時代の子」なのである。

  人間の特権的地位を否定する思弁的存在論もまた、現代のエコロジー的問題意識と親和的であると言える。一方、シャヴィロの哲学は更に、IT時代を迎えた人間にとって、切迫した状況を告発していると思う。

  IT技術が進化し、AI(人工知能)が人間のすべての営為に取って代わる未来さえ喧伝される今、人びとは生きているモノ、「考える」モノの誕生を前にして、「恐怖におののき、吐き気を催」していはしないか? そして、それは、人間にとって当然の免疫反応でないか?

  この状況は、本というモノが立ち並ぶ書店現場をも、深く侵食し始めている。もとより本というモノは、“存在者たちは互いに知ったり操作したりする可能性がない場合であっても、お互いに「感じ」あうことで相互作用する”というホワイトヘッドの世界観に親和的である。寡黙に、静謐に書店の書棚に並んでいる本というモノは、読者の手に取られ頁をめくられた瞬間に饒舌となり、読者に大きく作用する。しかしそれは、人間の思考を舞台に繰り広げられる、あくまで〈相関主義〉的なパフォーマンスだ。PCのモニターが表示するPOSデータが、(思弁的存在論的に)人間の思考を不要なものとして除外しながら、書店員の意思決定(とも言えない)に直接指示を与えるのとは、まったく違う。PCが、書店員の思考をスキップして、直接仕入れ部数や展示方法を決定していく状況は、決して好ましいものではない(が、書店現場の現状は、多くがその方向へ向かっている)。

  読者が書店店頭を散策することなく、キーワードを入力するだけでPC画面が提示する本のみを求め読む状況も、その裏面と言える。書店における本と読者の出会いの偶然性を大切なものと考え、議論の創発を期待し、オルタナティヴ(今とは違う世界)の実現可能性を信じるぼくは、読者と書店のそのようなさま(ザマ)を目にするとき、「恐怖におののき、吐き気を催す」。

  そして何よりも、IT機器に依存しその端末としてのみ働くことは、早晩IT機器にすべての労働を奪われる結果を招来する危険がある。AI(人工知能)の発達により、それは決してSF的な絵空事ではなくなっている。そんな未来は、経済にとって、人間にとって、世界にとって、決して幸せな未来ではない。そのことを、もっと考えていきたいと思う。

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熊取六人組と批判的科学

小出裕章

*2016年11月11日に行われた『脱原発の哲学』合評会(慶應義塾大学、書評者は西山雄二、渡名喜庸哲、岩田渉、応答者は佐藤嘉幸、田口卓臣)における小出裕章氏の講演を、以下に再録する。

(図版入りのPDFはこちらからご覧下さい→


『脱原発の哲学』という大変膨大な書籍を、佐藤嘉幸さんと田口卓臣さんが書いてくれました。この本は、単に哲学の問題というよりは、人間の歴史の中で今という時代がどういう時代であるか、そしてそれを超えることができるか、という大変根源的な問題を提起しています。今日はその議論をしてきたわけですが、その議論を続けようと思えば徹夜しても足りない、という大変重要な問題だと思います。

その問題に関連して、私に与えられたテーマは「熊取六人組と批判的科学」ですので、それに沿って聴いていただこうと思います。その話をする時に、私にとって一番重要だと思われるのは、「責任」です。人間としての責任、その取り方はどうあるべきなのか、ということです。それについて聴いていただくためには、特に日本というこの国では戦争責任をどう取ったのか、という問題に遡る必要があるだろう、と私は思います。


曖昧にされた戦争責任

先の戦争中、大日本帝国では、現人神の天皇がいるから戦争には必ず勝つのだ、だから一億総火の玉となって鬼畜米英を撃滅しよう、と教育されました。すべてのマスコミがそれに加担しました。個人の自由よりも国家の方が重要だと、徴兵を拒否するようなことがあれば即刑務所に行く、一族郎党はみな非国民のレッテルを貼られて、ごく普通の人々によって弾圧される、というよりは、自分が優秀な日本人であると思っている人々ほど弾圧に加わる、という時代があったわけです。

敗戦を受けて、今度は一転して米国型民主主義が賛美され、子どもたちに「お国のため、天皇陛下のために死んで来い」と教えていた教師たちは、一斉に教科書に墨塗りをして米国型民主主義を謳い、マスコミも一斉にそれに倣いました。

天皇は人間宣言をして生き残りましたが、戦争責任を問わることはありませんでした。天皇はいまだに敬うべき対象とされ、教育もそのように教え、マスコミも政府もそのように振舞っています。マスコミは皇室の発言を「お言葉」として、皇室は「誰々様」と報道します。

なぜそうなったかといえば、大日本帝国という強大な権力が犯した権力犯罪はより強大な権力によってしか処罰されないからです。そして、大日本帝国より強大だった米国は、戦後日本を支配するために、天皇を利用する道を選んだからです。だから天皇は処罰もされないし、いまだに日本国民は天皇が偉いと思っている、と私は思います。


巨大な権力組織が進めた原子力

それと全く同じことが、私が生きてきた原子力の場で起きてきました。日本では、国が「原子力平和利用」という言葉を作ってその夢をばらまき、原子力損害賠償法、電気事業法などのさまざまな法律を作って、とにかく原子力をやればもうかる、という法的な基盤を作って、電力会社を原子力発電に引き込みました。

その周囲には、三菱、日立、東芝など巨大原子力産業が利益を求めて群がり、さらにゼネコン、中小零細企業、労働組合、マスコミ、裁判所、学会など、すべてが一体となって巨大な権力組織を作り、原子力を推進しました。先の戦争の時と全く同じ構図を、原子力は作ってきたのだと思います。

そして残念ながら、2011年3月11日に、福島第一原子力発電所事故が起きてしまいました。しかし、その責任は全く曖昧にされたままで、彼らのうち誰一人として責任を取っていないし、取ろうともしないし、処罰もされていません。

なぜそれが許されるかといえば、これも先の戦争の時と同じように、権力犯罪は、より強大な権力によってしか処罰されないからです。そして、より強大な権力があるのかといえば、ありません。仮にあるとすれば米国ですが、米国は日本を原子力に引き込むことで金儲けをしようとしてきた国ですから、決して日本を処罰することはありません。ですから、誰も処罰されないまま生き延びる、という構造になっています。


科学の社会的な意味を問う責任

そんな時に、一体どんな責任が生じるのでしょうか。人類の歴史を考えてみると、戦争の歴史が長く続きました。昔の戦争では、刀や槍を使って一人ひとりが相手を殺していました。戦いに勝って相手を殺した側にも、心に大きな傷を受けました。

しかし、科学が発達し、今ではたった一発の爆弾で何万人、何十万人もの人を殺せます。また米国では、無人操縦の爆撃機、戦闘機で、まるでTVゲームでもするかのように、地球の裏側の人々を殺せます。

科学の進歩はそれだけではありません。科学は、産業革命以降の爆発的なエネルギー浪費を支えました。原子力もその一つです。しかし、それによって今や、地球上の生物がどんどん絶滅に追い込まれ、地球の生命環境自体が破壊の危機に瀕するようになりました。

科学というと、何かすばらしいもの、美しいもののように思われるかもしれません。確かに、科学は未知のことを知りたいという欲求に根ざしているわけですから、その欲求を抑えることは多分できないだろう、と私は思います。ただし、科学の発展の方向は往々にして権力によって決められてきました。例えば、戦争のために便利な技術を開発しろ、原子力の技術を開発しろ、そのためには金でもなんでもばらまく。そうやって、科学をある一定の方向に引っ張っていく、ということが長い間続いてきました。

そうであれば、科学に携わる者、私のように原子力に携わってきた者は、自らが関わる科学が持つ社会的な意味について、十分に考えて明らかにする責任があることを知らなければなりません。


“異端”の研究者たち——熊取六人組

そこで、熊取六人組の話をさせていただこうと思います。

この写真は、毎日放送という大阪ローカルのテレビ局が作った「映像’08——“異端”の研究者たち」という番組です。私たちのことを取り上げて、京大原子炉実験所「 “異端”の研究者たち」という番組を作ってくれたわけです。ここに写っている何人かがそうなのですが、海老沢徹さん、小林圭二さん、すでに亡くなってしまいましたが瀬尾健さん、川野眞治さん、今中哲二さん、そして私です。これは1970年代の後半の写真だと思いますが、いまから40年ほど前のもので、私自身もまだまだ若かった頃です。愛媛県の伊方というところに原子力発電所が建てられるという時に、国を相手に全面的な論争をしようということで始めた伊方原発訴訟の弁護士と学者グループの写真です。

そして、いま見てきた六人が「熊取六人組」というレッテルを貼られてきたわけですが、なぜそういうレッテルになったかというと、中国の文化大革命の「四人組」に由来しているのです。プロレタリア文化大革命、略称「文革」というものがありました。毛沢東が始めたもので、中華人民共和国で1966年から1976年まで続きましたが、中国共産党内部の中で大きな路線対立があり、殺し合いのようなものまで起きて、1977年に終結宣言がなされました。

文革が失敗して、結局、文革を進めた人間——もちろん毛沢東が主謀者だったわけですが——である、江青、張春橋、姚文元、王洪文の四人が、「四人組」というレッテルを貼られて、極悪人として断罪されました。それを取って、私たちは「熊取六人組」というレッテルを貼られたわけです。「熊取」とは、私たちの職場、京都大学原子炉実験所のあった大阪府泉南郡熊取町のことで、その熊取に極悪人の六人がいる、ということで、この名前が付けられました。

その六人組の正式名称は「原子力安全研究グループ」です。原子力の安全を自分の問題として研究しようと思ってきた六人が集まってこのような名前が付いたのですが、皆さんは「熊取六人組」と呼んでいました。この六人の生まれた年を書くと、海老沢さんが1939年、小林さんも1939年、瀬尾さんが1940年、川野さんが1942年、私は1949年、今中さんが1950年です。川野さんと私の間に一本の線を引きました。上の四人と、私を含む下の二人は約10歳違っています。どうしてこの四人とこの二人が集まったのでしょうか。上の四人は大学時代に60年安保闘争を経験し、私と今中さんは大学時代に70年安保闘争と大学闘争を経験した、という人間がこうして集まったのです。学生時代という自由にものを考えることができる時代に、とても重要な社会的な問題に出会うことができた、そういう人間が集まったということです。

その六人組は京都大学原子炉実験所にいたわけですが、原子炉実験所は1960年12月に熊取町というところに作ることが決まりました。京都大学の施設ですから、京都の街中に作るのが本来なのですが、如何せん「原子炉実験所」という名前が示す通り、そこには原子炉がある。人の住んでいるところに原子炉など作ってはいけない、ということで、京都の街中に建てることはできませんでした。京都大学は、宇治に教養部があり、そこに広大な敷地を持っていたので、宇治に作ろうとしたのですが、そこも人が住んでいるから駄目と拒否されました。そこで、どこに作ろうかということで、関西一円を探し回りました。高槻、交野、四條畷などを狙っていくのですが、どこも人が住んでいるから駄目と断られ、流れ流れて、結局、大阪府泉南郡熊取町という、もうすぐ和歌山というところに作りました。それも、土地をだまし取るようにして、10万坪という広大な敷地を確保しました。地元と安全協定を結んで、公文書として判までついているのですが、その安全協定には「原子炉実験所からは放射能を空気中にも排水中にも一切流さない」と書いてあるのです。そんなことはできる道理がありませんので、私は土地をだまし取ったと常に発言しています。

1963年に原子炉実験所という組織が設立されました。海老沢さんと小林さんは、設立直後の1964年4月に入所し、彼らが職員組合を作りました。その年の6月にようやく原子炉が臨界に達します。その頃に、海老沢さん、小林さん、その他の、社会的な問題を考えようとする人たちがいて、原子炉実験所の中に組合と同時に「現代思想研究会」という研究会を作り、さまざまな社会的な問題を考えようという活動を開始されました。そして、1966年に瀬尾さんが入所する。そして、その年に東海原発が動き始め、原子力はこれからだという時代に彼らはぶち当たってしまった。その頃、学生闘争が始まり、私や今中さんはそれを学生として受け止めた。1969年には川野さんが入所します。これで、私より10歳年上のグループが集まったわけですが、1970年3月、11月には敦賀原発、美浜原発が動き始めます。

1973年8月に伊方原発訴訟を始めることになり、熊取六人組の年上の四人は、この段階から伊方原発訴訟に関わっています。

そして、私は翌年1974年に入所し、2年後の1976年に今中さんも入所して、これでいわゆる「熊取六人組」というグループが完成したわけです。伊方原発訴訟も続いているわけで、六人はそれぞれの専門性を活かしながらそれに関わって、ほとんど全員が証人になって出廷しています。自分で言うのもおかしいのですが、もちろん国側からも東大教授などのたくさんの専門家が出てきて、法廷を通して論争をするのですが、私たちの圧勝でした。完膚なきまでに私たちが勝利して、国の言っていることがいかにデタラメなのかということを立証した、と私は思っています。しかし、判決は敗訴でした。私はその段階で、日本という国には三権分立などない、ということを痛感しました。

その後、原子力という世界では、1979年3月に、米国のスリーマイル島原発で事故が起こりました。1986年4月には、旧ソ連のチェルノブイリ原発で事故が起こりました。さらに、1995年12月にはもんじゅ事故が起き、1999年9月には東海村の核燃料加工工場JCOで事故が起きる。そして、2011年3月には福島第一原子力発電所で事故が起きる、ということで、六人組が活動を始めてからは、どんどん事故が続発する、という時期に入ってきます。私たちが伊方原発訴訟で主張したことが一つひとつ順番に事実として起きてしまう、ということになってしまいました。大変辛い歴史でした。きちんと言った、きちんと立証したのに、また事故が起きる、ということを経験しなければならない日々が続いていました。


福島第一原発事故

そして、福島第一原子力発電所の事故ですが、『脱原発の哲学』の中で非常に詳細に書いてくれています。佐藤さん、田口さんは哲学の専門家であるのに、よくここまで自然科学のことを書いてくれたな、と思うほど、彼らが詳しく書いてくれています。膨大な量の放射性物質が既に放出されてしまったのです。IAEA(国際原子力機関)——つまり原子力を推進する国際的な親玉で、犯罪者集団のトップです——に対して日本国政府が出した報告書の中で、どんな放射能がどれだけばら撒かれたかを数字で示しています。その数字の中から、大気中に放出されたセシウム137の量を見ていただきたいと思います。

左の下に黄色い四角を書きました。これは、広島で原爆が炸裂した時に大気中にばら撒かれたセシウム137の量です。8.9×1013ベクレルという量です。では、福島第一原子力発電所の事故はどれだけのセシウムを放出したと日本国政府が言っているのかを見れば、このようになります。つまり、1号機だけで広島原爆6発分から7発分、2号機が一番悪くて、広島原爆157発分、そして3号機も広島原爆8発分ばら撒いた。2011年3月11日に運転中だった1号機、2号機、3号機を合わせると、全部で1.5×1016ベクレルのセシウムをばら撒いたと、日本国政府が言っているのです。私はこれは過小評価だと思っています。日本国政府は犯罪者なのであって、彼らが自分たちの罪をなんとか軽くしたいと考えて示したのがこの数字だと私は思いますので、多分これは過小評価です。国際的には、放出量はもっと多いと評価している研究機関もたくさんあります。この放射能量は、広島原爆に換算すれば168発分になるのです。広島原爆1発分の放射能だって猛烈に恐ろしいものです。それが、原子力発電所が事故を起こしたら、その168倍の放射能を放出してしまったと日本国政府が言っている。そして、今この瞬間も、海に向かって放射能がどんどん流れて行っているのです。広島原爆何百発分という放射能をもう既にばら撒いているし、それを制御することもできないままいまもばら撒いている、そういう状態が今も続いています。つまり、福島第一原子力発電所の事故は、広島原爆何百発分、場合によっては一千発分の放射能をばら撒き、今もばら撒き続けている、という事故なのです。

大変危機的な事故が進行している、と本当は思わなければいけない、と私は思うのですが、残念ながら日本では、そんなことはもう忘れ去られようとしています。でも残念ながら事故は起きたし、汚染もあるのです。どんな汚染があるかといえば、これも日本国政府が作った地図ですが——『脱原発の哲学』の中にちゃんと載っています——、ここに福島第一原子力発電所があって、北西の方向に赤、黄、緑の色が塗られたところがありますが、ここが猛烈な汚染地帯なのです。なぜこんなことになったかといえば、放射能の雲が流れてきた時に、この地域で雨と雪が降ったのです。皆さんは、『黒い雨』という井伏鱒二さんの小説をご存じだと思います。広島で原爆が炸裂して、キノコ雲から猛烈な雨が降ってきた。その雨が広島の街の白い土壁に降りかかったら、黒い筋になって残った。つまり、雨が死の灰、放射能を強く含んだ状態で降ってきて、それが黒い雨になった、そして人々が被曝をした、ということを扱った小説ですけれども、ここでそのことが起こりました。放射能の雲が雨と雪で洗い落とされて、地上が猛烈に汚れてしまった、というのがここなのです。

この猛烈な汚染地域から、10万人以上の人たちが強制避難させられました。もちろん住んではいけません。避難させなければいけないのです。しかし、避難というものを皆さん分かっていただけるだろうか。例えば、今日皆さんはこの場に来てくださって、この集まりが終わったら皆さん自宅に帰るつもりでいるはずです。明日はどんな仕事をしようか、来月はどんなことをしようか、来年にはこんなことをやってみたい、とみんなそれぞれ計画を持って、日常の生活がずっと続いていくものだと思ってきたはずだし、今皆さんもそう思っているでしょう。でも、汚染地域の人々は違うのです。ある日突然出て行けと言われたのです。家もなくなる、仕事もなくなる、子どもたちは学校もなくなる、友達もなくなる、地域のつながりも全部ズタズタにされて散り散りになって放り出されたのです。そして、既に事故から5年8ヶ月が過ぎていますが、それでも彼らは帰れないのです。それがここで起こった事態です。

そして、もちろん汚染はここだけでは済みませんでした。福島県を南北に青い帯が縦断していますが、ここは中通りと呼ばれるところで、ここも猛烈に汚染されています。栃木県北部、群馬県北部も青い色で塗られていますが、猛烈に汚染されています。茨城県北部・南部、千葉県北部、東京の下町も汚染されています。

これはどの程度の汚染だったのでしょうか。私は京都大学原子炉実験所で働いていました。原子炉を動かしたり放射能を扱ったりしながら仕事をする人間です。放射線業務従事者という法律的なレッテルを貼られて、給料をやるから、皆さんに比べて20倍の被曝までは我慢しろ、と言われてきた人間です。そういう人間は放射能を扱う仕事をするわけですが、放射能を取り扱う仕事は放射線管理区域という場所でしかできません。放射能を取り扱おうと思えば、日本国では放射線管理区域でしか取り扱ってはいけないという法律があって、その法律に従って、私は40数年間ずっと生きてきました。自分の被曝も少なくしよう、他人を被曝させないようにしよう、放射能を管理区域の外側に持ち出して汚染しないようにしよう、と細心の注意を払って生きてきた人間です。では、放射線管理区域からどれだけの汚染なら持ち出していいのか。1平方メートルあたり4万ベクレル以上汚れているものは絶対に持ち出すな、というのがこれまでの法律だったのです。しかし、この青い部分は1平方メートルあたり6万ベクレルを超えています。しかも、大地が汚れているのです。何かのゴミが放射能で汚れていた、私の衣服が汚れていた、というのではなく、大地全部が放射線管理区域の基準以上に汚れているのです。私には想像もできないことです。放射線管理区域に入ったら水を飲んでも、食べ物を食べてもいけない、寝てもいけないのです。管理区域の中にはトイレもないから、排泄もできない。でも、今はこうした本来であれば放射線管理区域にしなければいけない場所に、人々が捨てられているのです。赤ん坊も子どもも含めてそこで生きている。ご飯も食べるし、水も飲み、そこで寝る、ということを今現在も続けている、という状態になってしまっている。この状態をどう考えれば良いのか私にもわからない、というほどひどいことが今起きているのです。


原子力の夢に酔い続けた責任

原子力のありようは、かつての戦争とそっくりだと私は思います。巨大な権力組織が一体となって原子力を進め、国民には、教育現場、マスコミを通して、バラ色の夢しか与えませんでした。多分、皆さんもそのバラ色の夢をずっと聞かされ続けて、原子力について特段の不信を抱かないまま過ごされてきたのではないかと思います。2011年3月11日までは、です。

そして、福島第一原子力発電所の事故が起きたのですが、それにもかかわらず誰も処罰されていません。私が福島第一原子力発電所の事故から学んだ教訓は単純です。原子力発電所が事故を起こせば大変悲惨な事態になる、こんなものに手をつけてはいけない、即刻全部やめよう、というのが私が得た教訓でした。しかし、原子力を推進してきた人々が得た教訓は、まったく違ったものでした。彼らが得た教訓とは、どんな悲惨な事故を起こしても誰も処罰されない、ということです。東京電力の会長・社長以下、誰も処罰されない。歴代の自民党の首脳、原子力発電所に安全だと言ってお墨付きを与えた学者・政治家たちも処罰されない、官僚も処罰されない。何でもないのだ、という教訓を彼らは得たのです。そして彼らは、たくさんの人々を棄民したのです——どうしようもないので人々を被曝させてしまえ、ということです。そうした組織は「原子力ムラ」と呼ばれるようになりました。私も長い間そのように呼んできましたが、最近では別の呼び方をするようになりました。彼らは犯罪者集団なのだから、私は彼らを「原子力マフィア」と呼ぶようにしています。彼らの責任を明らかにし、徹底的に処罰しなければ、この歴史を乗り越えることはできないのだと思います。

しかし、やはりそれだけでは済みません。ほぼすべての日本人が、原子力の夢に酔って、原子力の暴走に加担したのであり、少なくとも原子力の暴走を放置しました。申し訳ないけれども、皆さんにもその責任はあるだろう、と私は思います。その責任を、かつての戦争の時と同じように、単に騙されたと総括してはなりません。自分の責任をどう考えるか、ということが大切だと私は思います。


原子力は何のために必要か

原子力は何のために必要だったのか、ということは、『脱原発の哲学』が詳しく書いてくれています。お読みでない方はぜひ読んでいただきたいと思いますが、例えば、世界では、未来の無限のエネルギー源である、安価な発電ができる——原子力は一番安い発電手段である——、厳重に審査するので安全である、と言われてきました。皆さんもほとんどの方がそれを信じてきたのだと思いますが、『脱原発の哲学』で詳しく書いてくれているように、これはみんな嘘だったわけです。

では、それでもなぜこの日本国が原子力を進めようとしてきたのか、というと、これも『脱原発の哲学』に書いてある通り、原子力と核は同じもので、原子力を推進すれば核兵器を製造する能力を持てる、ということです。原子力と核は一心同体のものだ、というわけです。


責任について

ここで責任について考えてみたいと思います。ドイツの例を挙げましょう。この写真はビルケナウ(アウシュビッツ第二)強制収容所です。そこには鉄道でたくさんの人が運び込まれ、選別をされて、そのままガス室で殺された人も、強制労働をさせられた人もおり、人々が次々と死んでいくことになりました。そのようなナチスの歴史を経て、ドイツ人は一体どうしたでしょうか。ヴァイツゼッカー大統領という人がいましたが、彼は「荒れ野の40年」という演説を行って、こう述べました。「問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし、過去にも目を閉ざす者は、結局のところ現在にも盲目となります」。ドイツという自分の国のナチスの歴史をきちんと直視しなければいけないし、それを清算することが大切なのだと彼は言いました。そして、ドイツは何とかそれをやろうとしながら今日まで来ているのです。

その時に、悪かったのはナチスだけではない、と気がついた人もいます。やはりナチスの強制収容所に収容されていた、ドイツ福音主義教会のマルチン・ニーメラー牧師です。彼は、第一次世界戦争の時にはドイツが誇る潜水艦Uボートの艦長をしていたという人ですが、戦争が終わってから牧師になりました。その後、マルチン・ニーメラー自身も捕らえられ、強制収容所に入れられた。彼は何とか生き延びて、解放されるのですが、彼は後からこう言いました。「ナチスがコミュニストを弾圧した時、私はとても不安だった。が、コミュニストではなかったから、何の行動も私は行わなかった。その次、ナチスはソシアリストを弾圧した。私はソシアリストではないので、何の抗議もしなかった。それから、ナチスは学生、新聞、ユダヤ人と順次弾圧の輪を広げていき、その度に私の不安は増大した。が、それでも私は行動しなかった。ある日、ついにナチスは教会を弾圧してきた。そして私は牧師だった。が、もうその時は、すべてがあまりにも遅すぎた」。

次に、田中正造さんの例を挙げましょう。田口さんは正造さんの研究家でもあるので、私が正造さんの話をするのは大変おこがましいと思っていますが、彼の言葉の中に次のようなものがあります。「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず。村を破らず、人を殺さざるべし」。山も、川も、人が住んでいる村も、そして人自身も、傷めたり、殺したりしてはいけないのだ、それが文明というものなのだ、と彼は言いました。彼は、足尾銅山の鉱毒で関東一円の人々が殺されていくことに抵抗して、そのことに自分の一生を捧げた人です。国会議員でもあって、国会の中で散々政府を追及しました。日清・日露の戦争よりも、自分の人民を殺すことの方がよほど問題だ、と言って国会の中で抵抗するのですが、当時の大日本帝国の国会は戦争へと突き進み、そのために足尾銅山の銅で外貨を稼ぐことが重要だとして、人々を棄民していったのです。

そして正造さんは、「亡国に至るを知らざれば、之れ即ち亡国の儀につき質問書」(1900年)という質問書を出して、国会議員の職を投げ打って、谷中村の汚染地に入っていく。その時に彼はこのように書いています。「民を殺すは国家を殺す也。法を蔑ろにするは国家を蔑ろにする也。皆自ら国を毀つ也。財用を濫り民を殺し法を乱して而して亡びざるの国なし、之を奈何」。

正造さんは何をやろうとしたのでしょうか。足尾鉱毒事件の後にも、公害は起こりました。その一つに水俣病がありますが、その水俣病に生涯をかけて取り組んだ人に、原田正純さんという医師がいます。原田さんももう亡くなってしまいましたが、彼が書いた本の中に、大佛次郎賞を受賞した『水俣が映す世界』があり、その中で彼は次のように書いています。「水俣病の原因のうち、有機水銀は小なる原因であり、チッソが流したということは中なる原因であるが、大なる原因ではない。大なる原因は“人を人と思わない状況”、いいかえれば人間疎外、人間無視、差別といった言葉でいいあらわされる状況の存在である」。

正造さんが闘った足尾鉱毒から始まり、四大公害を経て、福島原発事故を貫いているものは、国を豊かにするという発想、その下で企業を保護し、住民は切り捨てるという構造です。この日本では、もう百年以上この構造が続いています。こんな国が豊かな国と言えるのか、それが今私たちに問われていることだと思います。

どう生きるのか、どんな抵抗が可能か

ではどう生きるのか、ということですが、これも正造さんが私に指針を与えてくれています。「対立、戦うべし。政府の存立する間は政府と戦うべし。敵国襲い来たらば戦うべし。人侵入さば戦うべし。その戦うに道あり。腕力殺戮をもってせると、天理によって広く教えて勝つものとの二の大別あり。予はこの天理によりて戦うものにて、斃れてもやまざるは我が道なり」。武力に基づいて戦うのは駄目なんだ、天理に基づいて戦え、と言って、彼はその通りに戦って、のたれ死ぬようにして死んでいきました。

では、私というこの人間がどのように生きるべきなのか、ということですが、今聴いていただいたように、戦争の時代から公害の時代、そして福島の事故が起きた今の時代を私は生きてきたわけです。私は1949年生まれですので、かつての戦争が終わった直後に生まれて、自分のことを「戦後世代」と呼んできました。しかし、それが間違いだったかもしれない、と今私は思うようになっています。今、日本というこの国は、戦争に向かって転げ落ちて行くという時代に差しかかっています。特定秘密保護法も作られてしまった。武器輸出はしないと言っていた国なのに、武器輸出三原則も撤廃されてしまって、どんどん武器を海外に売りつけて金儲けをする、という国になっている。戦争法案も既に可決されて、集団的自衛権も認めて、自衛隊が同盟国と一緒に海外で戦争をしてもいい、ということまで認められてしまった。そして今や、衆参両院で三分の二の議席を自民、公明などの改憲勢力が握っていて、憲法の改悪が発議できる状態にまでなっており、安倍さん自身は自分の任期中に憲法を変えると公言しています。あまり遠くない将来に、個人の自由が制限される時代が来るかもしれません。

ニーメラもそうだったように、だんだん悪化する事態に飲み込まれていく。今、この日本も大変危うい事態だと私は思っています。権力によって拘束され、爪一枚一枚剥がされる拷問の時代、家族にも親族にも危害が及ぶ時代、挙げ句の果てには虐殺されてしまう時代が、つい数十年前に日本にあったのです。そんな時代になった時に、私自身にどんな抵抗ができるか、正直に言ってわかりません。指一本ずつ潰されながら、それでも国に抵抗できるか、原子力はやめるべきだなどということを言えるか、自分の子どもたちが殺されると脅される時に、抵抗を続けられるか、と言われると正直に言ってわからない。そんな時代になる前に手を打たなければどうにもならなくなる、という時代が目前に迫ってきていると思います。

しかし少なくとも、私は完全に自由な人間としてここに立っています。権力によって拘束もされていないし、もちろん殺されてもいない。好き放題発言できます。天皇に戦争責任があると言いましたが、そんなことを言えば、かつての長崎市長は拳銃で撃たれたわけです。しかし、私はここに生きて発言もできている。まったく自由な人間として生きている限りは、自分の発言に関して責任を取るべきだと私は思っていますし、福島の事故を起こした人々にも必ず責任を取らせたいと思っています。そして、私は権力から何の弾圧も受けなかったし、カネ、出世、名誉などというつまらないもののために自分の人生を生きるつもりもさらさらありません。私は誰よりも、私という一人の人間として、私らしく生きたいと思ってきましたし、いま生きている一人の人間として、自分の生きていることに責任を負う、ということだけは必ずやりたいと思ってきました。そのために、熊取六人組という仲間とともに生きてきたのであり、「批判的科学」という形で国家に抵抗してきたつもりです。そうしたことを佐藤さん、田口さんが『脱原発の哲学』の中できちんととまとめてくださったことに、感謝したいと思います。ありがとうございました。これで終わりにしたいと思います。


質疑応答

佐藤:今日、小出先生にご講演いただいたのは、『脱原発の哲学』の中で、熊取六人組のお仕事を大変重要な参照項として参照させていただいているからですが、それに加えて、科学者自身が原子力のような科学技術をどのように批判し、それとは別のあり方を模索していけるか、ということを熊取六人組の方々が非常に自覚的に実践してこられたからでもあります。また、私たちが福島原発事故後に、多くの科学者に違和感を持ったことも理由の一つで、彼らは、科学とは「価値中立的」であって、自分の科学的知識に照らせば、福島原発事故の影響は極めて少ないのである、と主張したわけです。それに対して、熊取六人組の方々は活動の初期から、社会科学的視点、あるいは差別といった、科学外の視点も踏まえながら、科学のあり方を批判してこられたと思います。その点についてはいかがお考えでしょうか。

小出:科学が価値中立だ、という言葉をいま佐藤さんが使われたわけですが、科学が価値中立だなどということは絶対にありません。科学は、未知のものを知りたいということで研究をするわけですが、先ほど聴いていただいたように、どれを知るのかという時に、そこには判断が介入しているので、どれを知るのか、ということは往々にして権力の側から規定されている。原子力をどんどん研究しろ、カネはいくらでもやるぞ、と言えば、科学に携わっている専門家はそちらに大挙して流れていくわけですし、そうやって科学というものができているのです。価値中立などということはまずもってありえません。科学はすべて社会の中で規定されている、ということは皆さんにも認識していただきたいと思います。

田口:別の言い方をすれば、差別を受ける側は生活全体において差別を受任することになるので、差別する側と差別される側で価値中立を取る、ということは、その時点で必ず権力寄りになる。圧倒的な非対称の中で中立的な立場を取る、ということは完全に権力に寄る、ということだと思います。小出先生と熊取六人組の方々は、原発と差別の関係について常に意識的であり、また常に差別を受ける側に立ってこられたと思いますが、その点について小出先生のお考えをお教えいただければ幸いです。

小出:今日聴いていただいたように、私は核=原子力、原発に反対し、それに抵抗して生きてきました。核=原子力は純粋に科学的に言っても、特別に破滅的な技術だと思います。しかし、私がそれに反対してきたのは、単に危険だからではありません。核=原子力は徹頭徹尾差別的で、他者の犠牲を前提にしなければ成り立たないからです。原発を都会から離し、伊方などに押し付けてきたのも、その一例です。今日は聴いていただけませんでしたが、被曝労働を下請け労働者に押し付けてきたのも差別的です。おまけに、始末の方法を知らない核のゴミを膨大に生み、それを未来の子どもたちに負わせることも、無責任の極みです。原発が単に科学的に安全だとか、危険だとかいう議論ではなく、社会的な意味を含めて考えるべきと思います。

*質疑応答については、構成段階で小出裕章氏から追加的な回答をいただいた
[構成:佐藤嘉幸]

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第169回掲載

遠藤知巳『情念・感情・顔「コミュニケーション」のメタヒストリー』(以文社)についての内容です。

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer169.htm

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

 

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


○第169回(2016/10)

遠藤知巳『情念・感情・顔「コミュニケーション」のメタヒストリー』(以文社)。A5判上製全774ページに及ぶこの浩瀚な書物は、「近代の深さ」を捉えようとする野心的で刺激的な研究書である。遠藤はとりわけ初期近代に照準を合わせ、人間存在の在り方のどのような変化が近代を生み出したのかを、徹底的に問うていく。

人類の(特に西洋の)歴史が近代へと推移する画期の指標として、「自我」の発見/誕生が言われる。「自我」は、思索する「主体」である。だが、近代以前の世界においても、もちろん人びとは思索し、豊穣な思想や文学が遺されてきた。近代的「自我」の、そして近代的「自我」の思索をそれ以前と切断するものは、一体何なのか?

それは、「内/外」の切断である。認識論の用語でいえば、「主観/客観」の対立図式の成立である。「二世界性」である。現代に生きる我々が自明とし、観察や思索の前提となっているこの切断、「二世界性」は、近代以前の人びとにとっては、決して自明ではない、或いは全く考え及ばない図式だったのだ。“恐らく17世紀の人びとにとって、心が自然と異なる位相にあること自体が驚きだったのだろう”と遠藤はいう。

図式の移行は、ある日突然起こったものではない。過渡期である初期近代、“16世紀においては、情念=受動を行動主体の原理へとそのまま読み変えようとする議論が優勢”であった。情念は、主体の外から到来し、かつ主体において発現するものである。“あるものと別のあるものとの「あいだ」にある、つまり2つの領域を横切るようにして出現する情念=受動(パッション)は、初期近代に特徴的な何かを、遂行的にーつまりその都度断片的なしかたでー指し示している”のである。

近代への移行を推進した重要な哲学者の一人が、ジョン・ロックである。彼は、感覚(器官)―印象(刻印)―表象という因果系列があくまで心のなかの出来事であると考え、その因果系列の最後の部分を指す用語として「観念」を用いた。そして、観念を受け取り、それを観察しては新しい観念へとひたすら組み合わせていく思考するモノとしての人間を考えた。

ロックこそが、”感覚主体の論理を初めて明瞭に言説化した”哲学者であるが、同時にそれは「情念論の少し外でしかなされえなかった」と遠藤は指摘する。ぼくたちは、「二世界性」という意味で、ロックよりもさらに先に進んでしまっているのかもしれない。遠藤がいうとおり、“私たちは、「反省する私」と「反省される私=感覚する私」とが別物であり、かつ前者が後者に優越するという想定する、ある意味でとても不自然な考え方ーどちらも同じ身体上の出来事なのだからーに慣れてしまっている”からだ。

そうした過渡期にあるロックが“communicate/communicationを、「思想/思考を」等の目的語を伴わずに、自動詞的に用いた最初期の人であることは興味深い”と遠藤はいう。ロックの“経験論の文体は、経験の私秘性とーそれが報告され了承されるかぎりにおいての−「社会」(社交)性を同時成立”させているのである。

翻って現代の我々はどうか? 「内/外」の切り離し、「二世界性」が更に亢進した時代にあって、その思考は二値論理の集積でしかあり得なくなり、極めて貧しいものになっていはしないか?そして情念論から大きく隔たった場所に辿り着き、communicate/communicationを困難にし、もはや「社会」(社交)性の成立さえも危ういことになっていないか?

18世紀になると、チューリッヒの牧師ヨハン・カスパール・ラファータ−の『観相学断片』(1775−8)を契機として、観相学が急浮上する。ヘーゲルもまた『精神現象学』の理性の章で、観相学にページを割いている。現代のぼくらから見るとエセ科学としか思えない観相学をヘーゲルがある種ムキになって批判しているように見えることが、ぼくには不思議でならなかった。だが、ヘーゲルが『精神現象学』を書いていた19世紀の初頭は、観相学が大いにもてはやされる時代であったのだ。それは顔が、まさにその時代に引き裂かれ始めた「内/外」の、文字通りインターフェイスに他ならないからである。

顔は、他者の「主体の内部作用という薄明の領域」に踏み込む唯一の扉かもしれない。顔とは表情の場であり、表情は“感情の表出と伝達という、記号固有の機能と目的をもち、人工言語より安定してさえいる記号体系によって成立している”言語であるからだ。

だが一方、顔は、表情は、「内」を白日のもとに晒すものではない。アーロン・ヒルは次のように言っている。“すべての人は、自分がそう受け取られたいと考えている姿になるように、己の職業にふさわしい、もっともらしい態度と外面を気取る。だから、この世界は公式の顔つきと芝居だけで出来ていると言ってもよいだろう”。

顔は、「内」を晒しながら、覆い隠すものでもあるのだ。観相学は、“「この顔はこの人の何かを告げている」という断言と、「この顔はこの人の真実を本当に告げているのだろうか」という不安や懐疑”という背反する二つのものを同時に生み出すのである。

そのような顔を見る、見られるという状況において、互いの「内」を何とか見定めようとするせめぎ合いこそ、「社交」ではなかったか?その際、相手の「内」をできるだけ正確に見出し、自分の「内」をできるだけ隠しおおすことこそ、「社交」において有力な戦術であったことは想像に難くない。その結果、“見られることなく見たいという人々の欲望によって、社交の円環は引き裂かれていく”のである。そうした、「見られずに見る」観察主体の想像力を、はるかに安定的で大規模に組織したのが、19世紀小説における「作者」という装置の制度化であったと遠藤はいう。

さて、今日。PCやスマホの液晶パネルが顔に代わってインターフェイスとなった今、「社交」は成立するのか?

確かに、顔は騙しもする。しかし、顔は他者の「内」を垣間見る有力な手がかりでもある。

例えばぼくたち書店員は、その重要な手がかりを見逃してしまってはいないか? お客様の言葉の上っ面だけを捉えて、マニュアル通りの接客用語で応答することに終止していないか? 一回一回のお客様がほんとうは何を期待しているのかを、掴みとろうとしているか? そのために、お客様の顔をしっかりと見るという基本的な作業が、できているだろうか?

もしそれができていないとすれば、キーボードと液晶端末をインターフェイスとするネット書店と何ら変わりはない。書店というリアルな空間で本を売ることが持っているアドヴァンテージを、全く生かすことができていないのである。そのような空間は、「社交」の場でも、「議論」の場でもありえないのだ。

まず、しっかりと、お客様の顔を見ること。

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第168回掲載

9月21日「第43回出版研究集会 全体会」についての内容です。

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer168.htm

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

 

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


○第168回(2016/9)

 9月21日(水)午後六時、ぼくは都営地下鉄三田線春日駅のダンジョンのような複雑な構造に少しばかり悩まされたなあと、会場の文京区民センター2−A会議室に着いた。そこで開催されるイベントは、出版労連主催「第43回出版研究集会 全体会」である。この後一ヶ月間に4つの分科会が予定されている。ぼくが今回パネリストとして参加する「全体会」のテーマは、「出版産業「崩壊」の危機を前に」であった。

 日本出版学会新会長の植村八潮さんが開会前にやってきて、「何?「崩壊の危機」って。「の前に」って?現状認識から誤っているんじゃないの?」と突っ込む。ぼくは、「出版産業「崩壊」の後で」が正しいタイトルかもしれません、と返した。

 それほどに、出版業界には危機感が、絶望感が満ちている。「崩壊」の足音は、多くの耳に届いている。氷山に向かうタイタニックのクルーたちのように、このままでは沈んでしまうことを、多くの人が予感している。

 パネルディスカッションが始まり、「出版産業「崩壊」の危機を前に」というテーマを与えられてまず考えることは?と司会者から振られた最初のパネリスト中町英樹さん(日本出版協会)も、「出版産業は、もう崩壊している」と語り始めた。それは、今の業界には「誰が読者なのかわからない。どこで売れるのか分からない。どういうお客さんか分からない」からだ。これまでの業態を「当たり前」だと 思い、読者を考えずに来たから、読者が変わったのに、自らが変わることができなかったのである。

 委託制度は、需要が供給を上回っていた時代は有効に機能したが、供給が需要を上回っている今日、むしろ弊害の方が大きくなってきた。だから、例えば日販のインセンティブ契約などは、新しい試みとして評価できる。確かにここに来て、その縮小のモメンタムの影響も出てきてしまっているが。いずれにしても、「本は、定価で、新刊書店で買いましょう」というテーゼが成り立ちにくくなり、アマゾンの急成長を許してしまった今日、「店のお客が何を求めているか?」に真摯に向き合うという原点に帰らないかぎり、出版産業の再生はない。

 それを受けて、ぼくは次のように発言した。

 確かに書店現場からも、自分たちの客を知ろうというモチベーションが減退、或いは無くなってきつつある。個人情報保護法などという法律、就中その拡大解釈も大きい。そうした動きに対抗するどころか、むしろそれに乗ってしまっているところがある。ぼくはそうした流れに反発した。新宿ロフトプラスワンの「個人情報保護法粉砕」の集会に参加したりもした。「商売人が客のことを知ろうとして、何が悪い」という、極めて単純な、ぼくにとっては当たり前の発想だった。

 そして、通販に対抗して書店がやらなければならないことは、読者に様々な本の主張に関心を持ってもらうことだ。そのためには、議論を巻き起こさなくてはならない。書店空間そのものが、様々な本たちの林立によって、議論の場でありたい。その一つの方法が、書店員自身の明確な主張を伴ったブックフェアだ。ぼくが行なった『NOヘイト!』のフェアも、渋谷店での「民主主義」フェアもそうだった。クレームが来ることを、恐れない。むしろ、歓迎したい。クレーム客と真摯に向き合って意見を述べる時こそ、普段「お客様、お客様」と持ち上げながら一定の距離を取ってしまっている来店客と対話をし、コミュニケーションを持つチャンスだからだ。

 続く扶桑社の梶原治樹さんは、自分は出版販売のピークだった1996年以降の入社なので、右肩下がりの時代しか知らない、そんな中で、今一番厳しい雑誌の世界では、時限再販やデジタル化など、新しい試みが出てきている、独立系の個性的な書店も出現してきた、これまでの常識に縛られない若い世代の力に期待したい、と述べられた。

 続いて中町さんが「間違ったマーケティングが蔓延っている」と断じた。モノマネ企画、資金繰りのための新刊洪水には、まず読者を見ようとする観点はなく、ただただ出版業界、出版流通業界を疲弊させているだけだ。その狭間にあって、感覚の優れた編集者はいい本を出している、そうした商品を大切にするべきだ、と言われる。

 梶原さんも、今や出版社の出版企画会議に紀伊國屋書店のパブライン情報は不可欠で、創る側がPOSデータによる「実績」に左右されている、と証言する。

  「間違ったマーケティングが蔓延っている」という中町さんの診断にはぼくも同意する。出版社だけでなく、書店においてもPOSデータに振り回され、過去に数多く売れた本を引っ張りすぎている。自分の店を利用しているこの本を買いそうなお客様にはもう行き渡ったから、そろそろ棚差しにしよう、あるいは外してしまおうという発想は、なかなか出てこない。つまり、自分の店の客を、ちゃんと見ていないということだ。

 最後に言いたいこと、というコーナーのためにぼくが用意していたのは、『本屋がなくなったら、困るじゃないか』(西日本新聞社)という本。この本は、福岡市の福岡大学セミナーハウスに、出版社、取次、書店の人たち12名が2日間延べ11時間に亘って車座トークをした記録だ。12名以外にも、会場からの発言も入る。12名の中の一人、文化通信社の星野さんが、「時間が長いということもあり、繰り返し原点の話に立ち戻ることができたんです。同じことを何度も、違う視点で見つめなおすことができた。良い意味での堂々巡りができたし、話をムシ返せるのは良かった」と振り返っているが、読者としても同じ感想を持つ。「ブレインストーミング」というのだろうか?参加者がそれぞれの思いを自由に語りだすからこそ炙り出されるもの、決して予めシナリオにあったわけではない問題の中心が、自然と見えてくるのだ。そして、決して結論を求めない長い討議の末に、「常識を超えた」新しい物流の仕組みが仄見えてくるのである。

 車座トークのはじめの方で星野さんが「「大山緑陰シンポジウム」を思い出します」と言っている。ぼくも、本を読み始めてすぐに、5回中2回参加した「大山緑陰シンポジウム」を思い出した。最後の年に出版社の若手営業マンが「これでこのシンポジウムが最後と思うと、寂しいですね」と言うので、「そう思うなら、東京に帰って自分たちで新たに作ったらいい」とぼくが焚き付けてできたのが「でるべんの会」だった。梶原治樹さんは、その会の主要なメンバーなのだ。

 そんな縁も感じて、今回のイベントではどうしてもこの本を紹介したかったのだが、あるいはその底には、3人で2時間では問題提起もままならない、という思いがあったのかもしれない。

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第167回掲載

7/29出版労連でのシンポジウムについての内容です。

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

 

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


福嶋聡「本屋とコンピュータ」第167回(2016/9)

 2016年7月29日、東京・本郷の出版労連会議室で開催されたシンポジウム「『ヘイト本』と表現の自由」に、シンポジストとして参加した。シンポジストは他に大月書店岩下結氏、小学館川辺一雅氏、弁護士の水口洋介氏である。

 最初の話者は、岩下氏。

 2年前の2014年7月、氏が中心メンバーとして活動している「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会(BLAR)」が、同じ会場で「『嫌中嫌韓』本とヘイトスピーチ」という学習会を開催、その内容を『NOヘイト! 出版の製造者責任を考える』(ころから)として刊行した。それからちょうど2年を経た今、日本社会と出版業界がどう変化し、あるいはどう変化しなかったかを考える機会として、今回の学習会を企画したと、岩下氏はいう。

 この間、「ヘイトスピーチ」という言葉は社会に認知され、今年5月にはヘイトスピーチ解消法が成立、川崎市の差別デモを中止に追い込むなどの効果を上げている。少しずつではあるが、社会の対応は前進したと言える。

 だが、わが出版業界はどうか?『NOヘイト!』が直接その姿勢を問いかけた出版業界の反応は鈍かったように思う、と岩下氏は総括する。

 その大きな理由の一つが、「言論の自由」という理念である。「ヘイト本」も、多くが賛同し難いものとは言え一つの政治的思想や信条を表現した出版物であり、それらに対する事前検閲や法的な規制を、出版界は簡単には容認できないのだ。

 意見が対立している状況下での「言論の自由」については、ヴォルテールが言ったとされる「私は君の意見に反対だが、君がそれを言う権利を、私は命をかけて守る」ということばや、「真理の最上のテストは、市場の競争において自らを容認させる思考の力である」というホームズ判事の「思想の自由市場論」が参照されることが多い。その結果、「ヘイト本」の出版、存在は認めた上で、その内容については言論で徹底的に糾弾する、という結論に落ち着く。

 だが、岩下氏は、そうした「言論の自由」観に異議を唱える。そもそも「ヘイト本」が「言論の自由」を先に破壊してしまっていると指摘する。「ヘイト本」とは、民族・性差・性的指向・障がいの有無に関する差別を煽動・強化する言説であり、そこにあるのは「お前たちに発言権はない」というメタメッセージだからである。それが目指すのは、事実に根差した議論ではなく、他者を沈黙させることだからである。そして、「ヘイト本」の濫造が、その目的を実際に達成している。ヘイト言説に直面したとき、在日コリアンの多くは反論や怒ることすらできず、黙って立ち去ることしかできない状態に陥る。書店の書棚を席巻する「ヘイト本」の群れを眼にして、彼らは黙って書店を立ち去る。「ヘイト本」は明らかに、被差別者が書店において言説や情報に出会う機会を、それらを得て思考を鍛え表明する機会を、即ち「言論の自由」を予め奪ってしまうのだ。

 そうした現実を批判し、特にメディアは、意識的にマイノリティの存在を明らかにし、彼らに対する差別を糾弾、徹底的な差別反対の姿勢を貫かなければならないと岩下氏は締め括った。

 二番目がぼくであった。ぼくは、「ヘイト本」「ヘイトスピーチ」に対して明確な意識と意見を持っているシンポジストの中で、参加者の前で、何よりも実際に書店現場で起こったことを正確に報告することが何よりもこの会でのぼくの役割と思うと切り出し、一昨年秋に『NOヘイト!』の新刊案内を発見して大いに共感し、書評を書きフェアを展開していった経緯とそれに対する反応を時系列に沿ってお話した。詳細は、このコラムでも何度か書いたもので、『書店と民主主義』にも纏められているので、ここでは割愛する。

 そうして、岩下氏の主張には大いに賛同するが、書店人としては、「ヘイト本」を自店の書棚から外すという選択はしない、と申し上げた。その理由としてぼくは、

 一、ぼくたちが対決しようとしている「ヘイト本」「ヘイトスピーチ」の根底にあるのは「排除の原理」であり、それらを書棚から「排除」するという行為は、結局敵方と同じ型に陥ってしまうこと

 二、現実的にどこからどこまでが「ヘイト本」に当たるかという線引はできない。例えば在特会のメンバーによる著書よりも、本屋大賞受賞の人気作家や元女性キャスターの著作の方がより多くの読者を獲得している分、危険度は大きいように思う。どこまで外すか、という判断は容易ではないこと

 を挙げた。

 三番目に話された小学館の川辺氏は、青林堂の『そうだ、難民しよう!』という本を掲げ、読み上げながら、いかに書かれていることに事実の誤認があり、本来そうした誤認をチェックすべき編集が杜撰であるか、を示された。そして、編集者としては、よりグレードの高い編集作業によりクオリティの高い本を仕上げて、そうした言説に対抗していきたい、それが自分たちの出来ることであり、目指すところだと言われた。

 どこからが「ヘイト本」だという線引きが難しい以上、排除するのではなく対抗するいい本をつくっていきたいという編集者としての姿勢は、書店人としてのぼくの行き方と方向性を同じくしていて、大いに共感した。ただし、書店現場に立っている者としての経験からは、よりクオリティの高い本が、より多くの読者を獲得し共感を得ているという訳ではないという現実は、否めないのだが……。

 四人目の水口弁護士は、それまでの三人とは少し違った角度から問題にアプローチされ、出版業界外の人の意見が大変興味深かった。

 「ヘイト本」「ヘイトスピーチ」を法規制によって取り締まれという声も大きくなってきて、「ヘイトスピーチ規制法」が出来た。この法律には罰則規定はない。刑事罰については慎重になった方がよい。成立した法律は、元の意図を超えて特に権力に利用されやすく、法の適用も恣意的になりやすい。例えば、同じように貼っていても、特定の政党のポスターを貼った時だけ住居侵入罪が適用されるというような具合だ。何人も、ある時いわれなき罪状で逮捕・投獄されるかもしれないのだ。検察も警察も信用出来ない。刑事罰を伴う法律制定には、慎重であるべきだ。

 ただ、何もしなくてもよい、とう状況ではない。「ヘイトスピーチ規制法」には罪の定義があるだけだが、禁止条項はあるべきだろう。「ヘイトスピーチ」を行なった個人・法人の名前を公表する、「ヘイトスピーチ」と判断される文言を掲載したHPは閉鎖するなどの行政指導はあってしかるべきだろう。但しその判断主体は有識者などによる第三者委員会的なものであるべきで、政治・行政権力からは一線を画した存在であるべきだ。その意味でも、これまでの弁護士としての経験から、やはり警察権力の介入を余儀なくされる刑事罰の導入には、慎重であった方がよい、と思う。一方、行政指導等に伴う民事訴訟では、裁判の公開生の原則から、裁判官も余りに恣意的判決、いい加減な判決は出せない。

 四人とも、「ヘイトスピーチ」を許さず、「ヘイト本」の内容を認めないという点では一致している。相違は、「ヘイト本」の存在そのものも許すかどうか、である。

 BLARの岩下氏は、そこにあるだけで被差別者を攻撃し傷つける「ヘイト本」は、そもそも存在を許されるべきものではない、書棚に展示し、多くの人に見られることなどもっての外、と考える。

 一方、小学館の川辺氏とぼくは、「ヘイト本」はそれこそ憎むべき対象であるが、それらを抹殺する、見えなくするということを自分たちの仕事とは見ていない。「ヘイト本」には、本づくりやパフォーマンスで対抗、打ち克っていくべきだと思っている。

 弁護士の水口氏は、刑事罰を伴う規制法の拙速な制定には反対する。その点では川辺氏やぼくに近いかもしれないが、一方手を拱いているだけでよいというわけではなく、告発、裁判などの具体的行動は必要だと言う。

 シンポジウム終了直前の質疑応答のコーナーで、『ネットと愛国』(講談社)、『ヘイトスピーチ』(文藝春秋)などの著作がある安田浩一さんは、次のような質問を投げかけた。

 今日のお話の中で、「表現の自由」を言われるとき、それは「ヘイトスピーチ」する側の「表現の自由」について話されたが、私が取材の現場で考えるのは、「今、表現を奪われているのは誰か、沈黙を強いられているのは誰か」ということ。「ヘイトスピーチ」の被害者、被差別者の立場に立った時、現在の出版の状況をどのように考えられるか?

 質問の形をとってはいるが、安田さんは、被差別者は「ヘイトスピーチ」「ヘイト本」によって書棚から目をそむけさせられ、自由な言論が戦うアリーナである書店からも、締め出され、あらかじめ「言論の自由」を奪われている、そうした非対称をもたらす「ヘイトスピーチ」「ヘイト本」を排除することなしに、「言論の自由」はあり得ないと考えているのだ。

 敢えて荒っぽく集計すると、排除派2(岩下、安田):非排除派2(福嶋、川辺):「排除だが慎重に」派1(水口)ということになるだろうか?

 結論は真っ二つに割れたと言ってもいい。「ヘイト本」に反対する立場は同じでも、「ヘイト本」が「そこにある」ことを認めるか認めないかは、双方の主張の論拠がそれぞれ正当なものであるがゆえに、簡単に決着のつく問題ではない。大切なのは、拙速に意見の一致を求めることではなく、問題の深さ、解決の困難さを理解し、粘り強く考え抜いていくことであろう。そして、当事者として、眼をそらすことなく、「ヘイトスピーチ」「ヘイト本」やその背景となる社会の動向を知り、議論を深めていかなくてはならないと思う。

*9月7日の朝日新聞朝刊に福嶋店長が登場しています。合わせてご覧下さい。

http://www.asahi.com/articles/DA3S12546814.html

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第166回掲載

7/16丸善名古屋本店でのイベントについての内容です。

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

 

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


※スマートフォンでご覧の方のために、試験的にここにも本文を掲載します。

○第166回(2016/7)

 7月16日(土)、丸善名古屋本店のトークセッションに登壇した。タイトルは、「店で本を売るということ」、お相手は名古屋市千種区で古書店「シマウマ書房」を経営している鈴木創さんとの対談である。鈴木さんとは、昨年の9月に「本は人生のおやつです」で初めてお会いした。その時聞いたトークセッションでのお話がとても面白かったので、名古屋でのイベントを打診されたとき、お相手として真っ先に名前が挙がったのだ。→本コラム第156回参照

 トークセッションは丸善名古屋本店新企画「丸善ゼミナール」こと「マルゼミ」の第14回として開催された。「マルゼミ」は、人と文具、人と本と出逢う場所、情報、知識、感動、文化が出逢う場所である書店を、日常的な空間にその道の専門家と市民が集う、双方向の啓発に充ちた場にしたいという思いで企画した連続講座である。

 第1回は、4月15日19時 浅井登『はじめての人工知能』(翔泳社)。

 8月6日15時の第22回『恐竜博士の助手がやってくる!』(エクスナレッジ)までが決まっている。出だしから月5回以上のペースでやれているのだから、初期の池袋のトークセッションの開催頻度を思い起こしても、たいしたものである。ぼくを呼ぶぐらいだから講師は全国区の人ばかりではないかもしれないが、それはそれで開講のコンセプトに合っている。『名古屋とちくさ正文館』(古田一晴 論創社)などの本を読み、名古屋は進取の気性に富んだ街なのだと感じたことが、裏書された気もした。参加者は1回の出席ごとにスタンプ(1単位)が押印され、6単位、12単位の取得ごとに丸善オリジナルノベルティをプレゼント、というお楽しみもある。

 トークは、まずぼくが6月に上梓した『書店と民主主義』の出版の経緯を紹介する形で始まった。

 難波の「NOヘイト」、渋谷の「民主主義」のブックフェアが抗議・攻撃を受けたことが、大きなきっかけだった。このコラムや他の文章でもいきおいそのことにふれたものが増え、それらがある程度の分量に上ったので、本にまとめることになった。もちろん、刊行の背景として、安保関連法案可決などのきな臭い政治状況も頭にあった。

 その間、新聞、TVなどのマスコミのぼくへの取材も多かったが、それは実名、顔写真OKというインタビュイーが極めて少ないからだった。しかし、そもそも署名原稿であることから始まるブランド性こそ出版メディアがインターネットに対抗できる特長なのに、それはまずいのではないか?また、それは民主主義そのものの危機ともいえるのではないか?

 鈴木さんが割って入ってくる。

 「そもそも、一票の格差をそのままにしておいて、「民主主義」というのはおかしいと思うのです。なんとなく2.5倍までは許容できるなんて議論があって、裁判所も「違憲状態」といいながら選挙結果は許容している。だけど2.5倍というのは、3人で何を食べようかと相談している時に、二人がソバと言って一人がウドンと言っても、結局ウドンに決まるという格差なんです。その格差を解決しようとしていないのが、そもそも駄目だ。

 もう一つは、誰でも立候補できるといっても、組織や政党の推薦、公認をもらえないと、どんなに立派な政策を持っていても、それが表には出ない。今回の東京都知事選がそうであるように、報道においても、自ずと主力候補と泡沫候補に分けられてしまう。」

 民主主義=多数決ではない。だが、議論を尽くしても意見の一致を見ない時(実際、それぞれの利害が絡むときはそうなるケースが圧倒的に多いかもしれない)、最終的な決着は多数決に委ねられる。与党と野党の議論において同意に至ることが滅多にない議会においても、同様である。安倍首相が自信をもって、憲法九条に抵触しそうな議案を次々に提出するのも、議会における与党の圧倒的多数という状況があればこそだ。その数を決定する選挙において、一票の価値に大きな格差が見られる状況で、議会が国民の「総意」を正確に反映しているとは、決して言えない。

 だが、基本的には書店がテーマのトークセッションで、鈴木さんがなぜそこまで「一票の格差」にこだわるのか、お昼すぎに名古屋に着いてシマウマ書房にうかがった時に二人で行なった打ち合わせ段階から、ぼくは少し不思議に思っていた。しかし、次の鈴木さんの一言で、その真意が理解できた。

 「書店でも、一冊一冊の本が、ほんとうに平等に扱われているのだろうか?」

 ぼくは、『書店と民主主義』の中で、誰もが自分の意見を自由に表現できる状況こそが「民主主義」であり、それは多様な意見をその身に刻みつけた本たちが居並ぶ書店の店頭風景に似ていると述べた。だが、東京都知事選での主力候補と泡沫候補の扱われ方の差異に似て、高名な著者の本と無名な人の本、大手出版社や老舗出版社の出版物とそうでない出版社の出版物の店頭での扱われ方には、明らかな違いがある。出版社の宣伝力やブランド性によって、ぼくら書店員も、ひょっとしたら読者も、知らず知らずのうちに格付けを行い、そのバイアスを通して本を見てしまっているかもしれない。本たちは、書店においてほんとうに平等に発言の機会を与えられているか?それが、鈴木さんの(非難、批判ではなく)問いかけである。この問いかけを受けて、ぼくたちは日々の業務を自己検証していかなくてはならないと思う。

 「もう一つ、「お客様」という表現が気になる」と鈴木さんは言う。新刊書店では、表で「お客様、お客様」と目一杯立てているが、バックヤードでは「こんな客がいてさあ」と店員同士が噂しあっているというのではないかという疑いを持ってしまう、というのだ。そして、書店が本が集まり人が集まり行き交う場所だとしたら、店員と来店者も対等にやり合った方がいいと思うので「お客様」っていうのをやめませんかと提案したい、と。

 「古本屋は来店者から買うこともあるのでフラット」ということもあるだろうが、ぼくも、特に文章を書く時に「お客様」と書くことに抵抗がある。「客」でいいのではないか、とも思うし、「顧客」と書くか?「顧客」だと、もっと相手のことを知っていなければおかしいか・・・。「お客様」に代わる呼び名はすぐには思いつかない。だが確かに、ぼくらも例えば病院で「患者様」と呼ばれると、立ててくれていると同時に距離をおかれている、突き放されている、親身になってくれないのではないかという不安を抱く。同様にぼくたちもまた、「お客様」と連呼することによって、その人と距離を置き、近づきすぎるリスクから逃れようとしているのではないか?そんな及び腰で、ぼくは書店を「言論のアリーナ」などと呼ぶことが出来るのだろうか?

 「〇〇さん」でいいのではないか、と鈴木さん。

 思えば、かつては、買って行かれる本の傾向をぼくが明確に把握しているお客様(と、また書いてしまった)、何を探しているか、どんな本を読みたいかを率直に言ってくださる方、これから注目される本を教えてくださる方など、「〇〇さん」とお名前で呼ぶお客様が、今よりずっと多くかった。

 ただ多くの本が集まった空間であるだけでなく、名前で呼び合いながら(ぼくはトークの前半でも、署名原稿こそがネットに対抗できる出版物の武器と言っていた)、自由に自分の意見を開陳し、それについて腹蔵なく話せる人たちが集う場であってこそ、書店は「言論のアリーナ」になっていけるのかもしれない。

  そんなことを考えながら、ぼくはふとあることに思い至った。それは決して嘘ではなく、間違ったことでもないと思うのだが、その時にぼくの口から出た発言は、再び物議を醸しかねないものかもしれない。

 「ぼくがやったブックフェアにクレームをつけてきた人、ある意味ではぼくとはまったく意見が合わない人と話している時のほうが、まだ違和感がないかもしれません。つまり、事実認識の仕方が違う人に対しては、ぼくも「それは違うと思います」とはっきり言えるから。そういう人と話している時のほうが、正直に喋っている、自分というものを出して向きあえているかもしれない。だからぼくは、意外にクレームが嫌じゃないのかもしれないのです」

 

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第165回掲載

石橋毅史氏の新刊『まっ直ぐに本を売る』 トランスビュー方式についての内容です。

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer165.htm

 

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

 

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


※スマートフォンでご覧の方のために、試験的にここにも本文を掲載します。

 6月に上梓された石橋毅史『まっ直ぐに本を売る』(苦楽堂)は、できるだけ多くの出版流通に携わる、出版社、取次、書店の人たち、特にこれからの出版業界をつくり、支えていく若い人たちに、是非読んで欲しい本である。

 ぼくが読後掛け値なしにそう思った理由は、そしておそらく石橋がこの本を書き「トランスビュー方式」の意義を世に問うた最大の理由は、「トランスビュー方式」を考案した工藤俊之が、何十年もにわたるこの業界の課題を慮ったり、考えたり、アイデアを出したり、愚痴ったりするだけでなく、実際にそれを実現し、15年にわたって継続しているからである。そして、その課題が即ち、「トランスビュー方式」が目指し実現した3つの原則なのである。

1 すべての書店に、三割(正確には多くが32%)の利益をとってもらう。

2 すべての書店に、要望どおりの冊数を送る。

3 すべての書店に、受注した当日のうちに出荷する。

 出版業界の販売総額は、1996年にピークを迎えた後、20年にわたって減少し続けた。その間、年間1000軒もの書店が姿を消していった。ある時期からその傾向が鈍化したのは、潰れる書店さえ減ってしまったのに過ぎない。その理由は、端的に言って、儲からないからである。粗利が小さいがゆえに利益を確保できないからである。

 本を売る場所が減ることは、販売総額のさらなる減少に繋がり、負のスパイラルがますます進行するから、作り手である出版社にも跳ね返ってくる。だから出版社も、まったく手を拱いていたわけではなく、責任販売制や低正味商品の提供など、書店の粗利を上げる提案をいくつかしてきた。しかし、商品が限定されており、正味安(仕入れ値が安いこと)の代償が買切り扱いであることも多く、書店側からは必ずしも歓迎されず、決して成果を上げたとは言えなかった。

 ところが、「トランスビュー方式」では、3つの原則からわかるように、トランスビュー並びにトランスビューが取引代行を引き受けている出版社の商品なら何でも、そして書店が要望する冊数を、安い正味で納品する。しかも、基本的には委託である(返品ができる)。このような書店に有利な方式を、トランスビューはなぜ提案し、実行、そして継続しすることが出来たのか?

 最も大きな要因は、3割の書店マージンを何としても確保したいという、工藤の信念である。それを実現するために、工藤は、宅配送料は元より、箱代、事務経費に至るまで、かなり細かく計算した。そして、これなら出版社側にも利益が出る、という数字的な根拠と共に取引形態を確定した。

 だから、取引代行の際にも、出版社に対して細かい経費をすべて計上して請求する。実際、契約社にとってけっして安くはなく、トランスビューにとっても大きな利益があるわけではない。なんのためかといえば、書店の粗利をふやすためである、としか説明のしようがない。

 といって、「うちは七掛けであれば卸せる。ではそうしよう、ということです」と語る工藤に、書店様に喜んでいただきたいのです、と媚びるような響きはない、と石橋は言う。工藤は、ビジネスとして、書店という本が売れる場所を守り存続させることが、自らの出版活動に不可欠であることを、自明の前提としているのだと思う。

 「トランスビュー方式」の継続を支えたもう一つ大きな要因は、返品率の低さである。返品率が低かったのは、運よくトランスビューの本が売れた、例えば池田晶子著『14歳からの哲学』のようなベストセラーがあったからだ、というように受け取られるかもしれないが、返品率の低さは決して結果論ではない。「2.すべての書店に、要望どおりの冊数を送る。3.すべての書店に、受注した当日のうちに出荷する。」という原則が、功を奏しているのである。

 原則の2は「減数」がないこと、3は発注した翌日か翌々日には確実に届くことを保障しているからだ。

 通常の取次ルートでは、こうはいかない。売れ行き良好書の発注はつねに減数着荷の可能性を伴うし、注文して1~2日で届くことは、まず無い。客注品が待てども待てども届かないこともある。出版社に確認したら、「確かに出した」。取次を追求すると、「出版社から確かに着荷した記録はあるのですが、そのあとのことはよく分からない。無くなっちゃったみたいなんですよね」といけしゃあしゃあと答えられることさえある(こんなこと、仮に麻薬の売人が言ったら、即殺されるだろう)。

 このような状況では、書店はダブるリスクを取ってでも、必要冊数に上乗せして注文したり、再注文したりせざるを得ない。お客さまが、本が届くのを待っているからである。そうすると、当然返品率は上がる。

 出版業界では、今返品率の削減が至上命題のようになっている。「~%以下を目指してください」と取次が書店を「指導」する時代である。だが、それならば、もっと正確で迅速な納品をせよと、書店は取次に要求すべきである。実際、即日満数出荷によって、2001年から2015年までのトランスビューの累計返品率(金額)は13.1パーセントに留まっているのである。そしてその返品率の低さによって、工藤の計算では商品販売額に対しておよそ6パーセントとなる「取次経由であればかからない費用」が相殺され、書店の販売マージン3割を実現してもいるのだ。

 低返品率は、パターン配本や押し込み営業を一切しないことの結果でもある。それは、「この本を売ろう」と判断するのはあくまでも書店であり、出版社から頼んで置かせるようなことはしないという工藤の揺るがない信念による。その姿勢に、書店は応えるべきであろう。それは何も必要以上に、無理をしてでもトランスビューの、あるいはトランスビューが取引代行をしている出版社の商品を仕入れるということではない。書店の販売マージン3割を実現している「トランスビュー方式」が要請する負担を、面倒がらずに引き受ける、ということである。

 「トランスビュー方式」では、すべての商品は、発注しないと一切入荷しない。返品は元払い宅配便だから送料もかかる。トランスビュー扱いの商品だけをある程度まとめて起票し梱包しなければならない。パターン配本で黙っていてもある程度の商品が入り、書棚からあふれた商品を随時返品できる取次ルートと比べて手間暇がかかる。

 だが、工藤は、「トランスビュー方式」を継続するために、即ち書店の粗利を確保するために、より多くの手間ひまをかけている。経費を抑えるために頭をフル回転させ、さまざまな事務的・肉体的作業を自らこなし、文字通り汗をかいている。

 その汗を、書店員もかかなければならない。頭も使わなくてはならない。儲けは、そこからしか生まれない。

 まず、緻密な経費計算をすることを、ぼくたちも学ぼう。返品送料がかかることを嫌がらず、どれだけ売ったらそれをまかなえるか、粗利3割はどれだけの利益の上乗せをもたらしてくれるのか。

 ビジネスモデルだけではない。それ以上に大切なのは、トランスビューが、そしてトランスビューが取引代行する出版社が、どのような志をもって本をつくり、手間ひまをかけて書店に送り出し、書店で売っていきたい、より多くの読者に届けたいと思っているかを、しっかりと受け止め、応答する(発注する)ことだ。

 『書店と民主主義』は、トランスビューから毎月送られてくる「新刊案内」で、ころから刊『NOヘイト!!』をぼくが発見した時に、受胎した。

 18歳~19歳の若者が初めて投票券を行使する参院選を前に、ジュンク堂書店難波店では、トランスビュー企画ブックフェア「はじめて投票するあなたが、知っておきたいこと」を開催している。

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第164回掲載

前回の続き、日本出版学会についての内容になっています。

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer164.htm

 

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』でご覧下さい

 

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年) 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


※スマートフォンでご覧の方のために、試験的にここにも本文を掲載します。

○第164回(2016/5)

 5月14日(土)、東京都国分寺市の東京経済大学で、日本出版学会2016年春季研究発表会・総会が開催され、既報の通り(前回のコラム)、ぼくは午後のワークショップ二つに参加した。

 13:45の「いま、再販問題を考える」。

 最初に、問題提起者である緑風出版の高須次郎社長が再販制の歴史を丁寧に辿り、その意味と意義を説明し、再販制の現状と再販制を守る戦いについて熱っぽく語られた。70年代後半に再販制見直し論議が始まり、90年代半ばに日米構造協議を受けてその存続が危機に瀕し、21世紀になって「当面存置」に落ち着いたが、アマゾンの上陸とその法外なポイントサービスが再販制を実質的に切り崩しつつあり、それに対抗して緑風出版ほか有志出版社が「再販契約違反」を理由にアマゾンへの出荷拒否に踏み切っている。そうした再販制の歴史を概観すると、結局は摩擦を含めた官民双方の日米関係に大きく影響されていることを、改めて実感した。

 続いて福嶋が、主に90年代後半に、再販制擁護のためには文化論だけではダメで、経済学的に見ても再販制が決して不合理ではないという議論を立てたこと(拙著『書店人のこころ』三一書房 1997年)を申し述べ、当時公正取引委員会にいた和泉澤衛教授(東京経済大学現代法学部)が、公取の立場を具体的にわかりやすく話してくださった。司会の清田義昭さん(出版ニュース社社長)は、出版業界が「再販存続」に安心して議論を継続しなかったことが、「アマゾン問題」をはじめとする今日の諸問題の元凶ではないか、と総括された。

 ワークショップは、登壇者だけが話したり話し合ったりするのではなく、会場参加者が活発に質問を投げかけ、意見を表明することによって進行する。しかし問題提起者、討論者二人の議論は熱を帯びるに従って当初与えられた各10分を大幅に上回り、期待通り会場からも活発な質問・意見が寄せられたから、予定の90分はかなり超過してしまった。

 僅かな休憩時間で参加者の入れ替え(2つずつのワークショップが並行して進行していた)があり、15:30からの予定だった「ジャーナリズムとしての書店業 ――情報の「送り手」にとっての「公平性」とは何か」が、約15分遅れで開始された。司会の塚本晴二朗教授(日本大学)から、「スケジュールが押しているので、短めに」と言われたが、問題提起者であるぼくは用意した「枕」を、どうしても外したくは無かった。

 「実は昨日、森達也さんの『FAKE』を観てきました。とても面白く、考えさせられることの多い作品でした。」

 ぼくが森達也の名を最初に挙げたことには理由がある。討論者の笹田佳宏さんが日本民間放送連盟の方であり、今特にテレビに対する政権側の圧力が問題になっていることが今日の議論のテーマの一つになると思われたから、元々テレビ・ディレクターであった森達也さんが、自主映画から出版へと自らの表現の場を拡げていった経緯が、それらメディア間の関係や対比を論じるにあたって、大いに参照できる具体的な事例であることが一つ。もう一つは、メディアの「公平性」や「中立」という問題を論じる時の前提であり試金石でもある「事実」の「客観性」そのものに、森さんは「?」を投げかけ、「ドキュメンタリーは嘘をつく」と言っていること。即ち、カメラに収められた「事実」には常に撮影者の主観が紛れ込んでいること(言葉によって表現された「事実」には常に書き手の主観が紛れ込んでいるだろう)を、むしろ積極的に表明していることである。『FAKE』は、作品自体が、その好例であった。

 とはいえ、それ以上『FAKE』について語ることはネタバレにもなるし、本来ぼくが求められた話題に移る前に時間切れになってしまうので、ぼくは早々に「枕」を切り上げ、自身の「店長本気の一押し!『NOヘイト!』」フェアや渋谷店の「自由と民主主義のための必読書50」フェアに対する攻撃やそれへの対処の経緯と私見をお話しした。その中でぼくは、これまでにこのコラムや他の場所で書いてきた通り、フェアへの攻撃は結果的に書店の存在感を高め、フェアの主張を広めて、そこに並べられた本の宣伝にも役立ったことを言い、「クレームを歓迎すべき」は言い過ぎかもしれないが、少なくともクレームを回避したりクレームから逃げたりすべきではないと述べた(出来事の経緯とぼくの私見を話すにあたっては、新著『書店と民主主義』のゲラを持参して活用、ついでに(?)宣伝した)。

 続いて笹田さんが、「唯一の言論法」と言われる放送法の成立と来歴について丁寧に解説された。特に近年、本来放送の自由を担保するはずだったこの法が、政府によってそれを制限し、放送を政府にとって好ましい方向に誘導し、「ウォッチドッグ」としてのメディアの役割を果たし得なくさせることに利用されていと批判する。放送法、電波法によって、特に最近ではその恣意的な解釈によって権力に縛られ、監督官庁による5年毎の免許交付と電波の使用料などで常に暗に威嚇され、忖度、萎縮、自主規制を余儀なくされている放送界に生きる笹田さんは、ぼくの発言を踏まえ、「プリントメディアの世界が自由であるなら、さまざまな問題の存在を明らかにし、広く訴えていってほしい」と訴えた。

 良識あるキャスターの降板など、昨今の放送業界の受難を思うと、ぼくも笹田さんに賛同し、出版がその期待に応えることを目指したい。しかし一方、影響力の大きさに関して言えば、放送はプリントメディアの比ではない。「さっきテレビで紹介されとった本、ちょうだい!」と、大阪のおばちゃんたちは突如書店に殺到する。『殉愛』、『絶歌』は明らかにワイドショー起源のベストセラーだった。そうした本の最大瞬間風速は、時に凄まじいものがある。
だから、出版が一方的に放送を補完し救うのではなく、出版は縛られない自由を、放送は影響力の大きさを利用して、相互に扶け合い、問題の所在とその解決への望ましき方向性を明らかにすべきだと思う。

 そこに、新聞も加えよう。元日経新聞記者の松林薫氏は、今年3月に上梓した『新聞の正しい読み方』(NTT出版)で、「新聞の読者層が急速に広がっている」と言う。新聞購読者の数は確かに年々減り続けているが、ニュースのまとめサイトはもちろんのこと、人々が日常的にアクセスしているブログやネットメディアの情報の多くが、「新聞由来」だからだ。

 政治の迷走と経済の失敗、それによる社会の活力の低下と人々の窮状が明らかな今、メディアは自らの殻に閉じこもることなく、相互に補完、応援、時に批判し合いながら、閉塞状況の打破に向かって手を取り合っていくべきなのである。

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第163回掲載

日本出版学会での二つのワークショップについての内容になっています。

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer163.htm

 

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』でご覧下さい

 

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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危機のヨーロッパ

――移民・難民、階級構成、ポストコロニアル資本主義(後篇)

サンドロ・メッザードラ × 北川眞也(聞き手)

2016年2月15日 ベルリン

後篇のPDF版はこちら→

 

北川 お話を伺っていて思うのは、ヨーロッパへと向かう移民たちの運動が、たとえどのように形容されようとも、ヨーロッパとその外部の諸地域を無媒介に接続し、EUとその外部の国々(たとえばトルコ)のあいだの関係にさまざまな影響を与えている現実を考慮するなら、事実上、ヨーロッパは「拡大」しているのかもしれないということです。また移民、難民たちの移動が、EUを人口学的な意味においても「拡大」させており、それがEU加盟諸国の民主主義に対して政治的に挑戦しているのだというエティエンヌ・バリバールの最近の文章(17)を思い出しました。

 さて、いまあなたが述べたような地球規模の歴史的・地理的条件をふまえるなら、境界を越えてくる移民たちの移動は、かれらの主体性という側面からみてもまた、現代という文脈において、やはりなんらかの政治性を有しているということになるのだと思います。

 以前、私はジャック・ランシエールのあるインタビュー(18)を読みました。そこにおいて、彼はいわば乗り継ぎの移民、たとえばカレー、またおそらくはヴェンティミッリア、ランペドゥーザ、レスボス(19)にいるようなタイプの主体は、彼のいう意味での政治を出現させるものではないと述べていました。他方で、長年フランスの諸都市で生活・労働しているが、滞在許可証のない「不法移民」あるいは非正規移民、いわば「サンパピエ」のイメージにふさわしい移民たちには「分け前なき者の分け前」を求める政治的主体になる可能性があるというわけです。

 しかし、先ほどもふれたように、あなたは歴史的にも、そして現在においても、移民たちの政治化について語っています。「ヨーロッパに入る権利がある」と声をあげる移民たち、先ほど話題にあがったEUの旗をふる移民たち、ヴェンティミッリアなどヨーロッパのさまざまな境界にいる移民たちは、まさしく乗り継ぎの主体であると言えるでしょう。

 あなたは、ランシエールの政治をめぐる思考の重要性を強調してきました。しかし同時に、何かしら不足する点も指摘してきました。たとえば、「資本主義、移民、社会闘争——移民の自律性理論のためのメモ」(20)という2004年のテクストです。あなたはそこで「コミュニズム」という言葉を用いて、その必要性についてはっきりと語っています。具体的には、コミュニズムは、ランシエールの議論、こう言ってよければ、ラディカル・デモクラシーを補完するものとして言及されていますね。

 私は、先日京都で行った『逃走の権利』のプレゼンテーション(21)のときに、(廣瀬)純たちとこの点について話をしました。この政治の思考、とりわけ純が繰り返していたことでもありますが、単純化して言えば、ランシエ-ル、ラクラウとムフ、バディウは、1968年以来、基本的に同じことを言い続けている。しかし、およそ同時代を生きてきたイタリアのオペライスタたちは、階級構成(composizione di classe)(22)、また資本主義の変容を考察しながら、議論と闘争を繰り返し、いつもアイディアや理論を変更してきた。オペライスタたちは、歴史的情勢のもとで、歴史のもとで思考し調査している。というわけで、政治を思考するうえで、いまいちど階級構成という概念の重要性を強調するところに至ったわけです。

 このような観点からするなら、政治、移民たちの政治をどのように考えることができると思われますか?

メッザードラ 大きな質問です。かなり複雑な問いですね。とりあえず、乗り継ぎの主体についての問いから返答するのが、私には容易であると思われます。そうですね、私たちがこの会話を行っている場所、ドイツの状況について話しましょう。

 この数ヶ月のあいだ、ドイツには数多の難民たち、移民たちがやってきました。かれらは乗り継ぎする主体です。けれども、かれらの到来は、政治的な議論と対立の諸条件を完全に変容させてきたと言えます。これは、多かれ少なかれラディカルな右翼勢力が成長してきたことには限られません。とりわけ、この国のなかに新たな社会的・政治的分裂が引き起こされてきたためでもあるのです。私にはこの点を強調しておくことが、極めて重要だと思われます。この分裂は、ただ右翼が新たに形成されたことのみならず、数十万人のドイツ市民を巻き込んで展開された、難民たち、移民たちへの並外れた連帯のイニシアチブによってもまた引き起こされてきたのです。単純な実用的・物質的な連帯は、難民たち、移民たちに対するなら、非常に重要なことです。しかし、これらのイニシアチブは、こうした連帯をはるかに越える問いをただちに提出したのだと言えます。それは、ベルリンのような都市で、こんにちかれらと共に生きることは何を意味するのかという問いです。

 私にとって、これは単なる一打撃以上のものです。難民たち、移民たちの大量運動、当然ながら独自の規定性を有する条件にあるわけですが、非常に一般的な物言いをするなら、この運動が傾向においては、所定の社会の内部で権力関係が組織されるやり方に疑問を投げかけたから、緊張を与えたからにほかなりません。この運動は、ランシエールによって定義された、ポリスという独自のレジームの内部における分け前の考慮=計算の配分に疑問を投げかけるものではないでしょうか。

 ここにおいて、私たちは、政治運動の伝統的な定義にはなんら入り込むことのない運動に対峙しているのだと言えます。しかしながら、この運動こそが、その根底においては社会運動として、ひとつの具体的な社会、この場合なら、ドイツ社会のように非常に重要で、一見するととても安定してみえる社会のただなかで、権力諸関係が組織される方法に疑問を呈しているわけなのです。繰り返しますが、私にとってこれはとても重要な論点です。それは、ここまで語ってきた独自の事柄を越えてのことです。それはまさしく、本質的に政治というものについての私たちの理解を生産的なやり方で複雑化するように強いるからであり、私たちが政治として理解するものの諸境界に疑問を投げかけるように強いるからにほかなりません。

 私にはこれはとても印象深いことであり、数か月にわたって、論文や本、また他の人と公表した論文のなかで、何度も次のように書いてきました。それは、あなたが言及したバディウ、ラクラウとムフ、またランシエールの立場の背後には、基本的に、政治の純粋性(purezza della politica)という観念があるということです。

 この表現は、今やずいぶん前のことですが、スラヴォイ・ジジェクがこの立場に対して批判的に用いたものです。この政治の純粋性という考え方は、結局のところ、それ自体で政治運動としてはっきりと特徴づけられる運動の形成へと通じる「諸条件」を理解するうえでの限界なのです。繰り返しましょう。これらの立場によって思考可能とされる地平の外部に位置するものは、明らさまに政治的なものとして姿をみせる運動を「可能とする諸条件」にかんする問題なのです。それというのは、基本的には、さまざまな実践と振る舞いからなる諸関係の物質性のただなかへの政治運動の根づき、政治の根づきにほかなりません。これは、まさしく政治的本性の内側においては、概して検討されません。フーコー流の言い回しを使いたいとすれば、それは主体性の生産をめぐる問題だと言えるでしょう。私には、これは基本的な問題であるように思えるのです(23)。

 またちょうどあなたが言及したように、コミュニズムの問い、私にとって極めて重要であり続けているコミュニズムの問いがあります。コミュニズムは、バディウのいう意味での観念へと縮減してしまうことはできませんし、ただ出来事の時間的地平においてのみ考えられるものでもありません。これらは、中国の文化革命、1968年 5月、パリ・コミューンにかんするバディウの著作の示唆に富んだテーマではありますが。

 コミュニズムの問題というのは、搾取され支配された主体性の諸運動の根源的な過剰性をめぐる問題なのです。それは、制度レヴェルにおける政治の所与の枠組みに比しての過剰性にほかなりません。できるだけ簡単に言ってみましょう。この枠組みの内部で場所をもたないもの、それは運動としてのコミュニズムの思考を必要とさせるものである、と。

 これは、移民についても該当することだと思います。もっとはっきり言うなら、移民は「弁証法」(括弧つきです)、承認と過剰性のあいだの「弁証法」を、必須の政治問題として、私たちに提出しているのです。つまり、一連のさまざまな運動や主体的振る舞いのただなかに表現される諸々の要求は、ある部分では、制度上のシステムの内部に承認を見出すこともできるでしょう。それは法権利の観点においても、シティズンシップという概念の変容という点においてもそうでしょう。私はこの承認を重要なことではないと言うつもりはありませんし、この承認要求のまわりで表現される「民主主義」運動を重要ではないと言うつもりもありません。逆です、極めて重要であると思います。

 しかし移民は、この承認の「弁証法」に比していつも過剰のままにとどまる諸要素があることを私たちに示しているのです。承認の「弁証法」、そして過剰性のさまざまな要素に賭けることを通じてこそ、コミュニズムの問いを、移民が私たちに提出している問題として考えることができるわけです。「考える」という点を強調しておきます。コミュニズムの問いは、おそらくは個々の移民が抱いている期待の地平とはまったく関係のないものです。移民たちの諸要求に対して、この問いをはっきりと設定することはもちろんほとんど意味のないことでしょう。ただその一方で、移民たちの諸要求、日常の対立から離れた理論的省察の観点からするなら、移民たちの運動は、コミュニズムの問いを、生産的なやり方で再検討することを可能としてくれるものだと言えるのです。

北川 過剰性、そしてコミュニズムの問いはやはりとても強調されるべきものであるように思います。それは政治をめぐる問いとまったく同時に、移民、正確には移民労働、移民労働の政治、つまりは階級闘争というテーマについて思考するうえでも同様であると思われます。

 あなたも主張するように、いまや階級構成のなかのなんらかの主体に政治的中心性をみつけることは有用な作業ではないでしょうし、おそらくそれは不可能なことでしょう。『逃走の権利』のなかでも、そのような議論がなされているように思えます。たとえば、あなたが移民労働の重要性を強調するときも、階級構成における中心性というよりも、こんにちの労働の模範性としての移民労働、あるいはグローバル資本主義を批判する運動はその主役のなかに移民たちを加えずにはいられない、といった言い方をしていますね(24)。

 しかし、いくぶん古い話で恐縮しますが、雑誌『デリーヴェアップローディ(DeriveApprodi)』に2002年に公表されたマリオ・ピッチニーニとの短い論文(25)なかで、あなたは「移民労働の政治的中心性」について言及していましたよね? ただ今はこのような言い方はしていませんし、その理由も、あなたの最近の仕事(26)をふまえると、十分に理解するところです。

 ただ、やはり移民労働は興味深い。挑発的な物言いをするなら、傾向としては、ヨーロッパ市民もまた移民のようになっているとは言えないでしょうか。目下のところ、ギリシャ、イタリア、スペインの人たちは、さまざまに移動しているし、改めて出移民となっているところです(27)。さらに言えば、ギリシャなどは今やEUの植民地であるといっても過言ではありません。

 こうしたことは、グローバル空間のみならず、ヨーロッパ空間のただなかにおける「ポストコロニアル資本主義(capitalismo postcoloniale)」(28)の極めて重要な要素であるように思えるのです。ギリシャのケースはもちろん、移民労働の置かれた位置、階級的位置をとらえるうえで、これは非常に重要な概念であると思いますが、どうでしょうか?

メッザードラ ブレット・ニールソンとの著書(29)のなかで、ポストコロニアル資本主義というアイディアについていくぶんは記述したつもりです。ともかく、質問は複雑で、さまざまな領域についての思考を要するものですね。

 たとえば、あなたはピッチニーニとの文章に言及しました。もうおよそ15年前の文章でしょうか。当時は、一方では、移民労働の運動、闘争、要求に対して、政治的に空間を与えることが、私にとって非常に重要な状況でした。他方では、オペライズモ、ポスト・オペライズモの議論の内部へと介入することがとても重要でした。このオペライズモ、ポスト・オペライズモの議論は、階級構成の内部において、もっとも進歩した主体を探求することをなおも重要な特徴とし続けていたのです。そのいっさいは、1990年代に「非物質的」労働、認知労働、一般的知性をめぐって浮き彫りとなってきました。

 当時、私もそこに参加していましたが、この議論はもちろんとても重要なものです。それによって、労働構成、階級構成の内部で生じていた重大な変化に焦点を当てることが可能となったわけですから。それは、資本主義が機能する様式についても同様のことが言えます。ポストフォード主義についての議論が、イタリア、またトニ・ネグリのようなイタリア人亡命者たちがいたフランスにおいて展開されてきたのです。90年代初頭まで私も関わっていた『決まり文句(Luogo Comune)』、フランスの『前未来(Futur Antérieur)』のような雑誌においてのことですね。

 移民という問いめぐって、私が90年代初頭から行っている政治的仕事のためでもありますが、私はこの議論の内部において、ある種の不満をもちはじめていました。つまり、もっとも進歩した主体を探求するというのは問題ではないのかと考えはじめていたのです。ここで簡潔に説明するとすれば、私がポストコロニアル研究に関心をもちはじめた理由のひとつは、多くのポストコロニアル研究者によって、この歴史的時間の直線性という観念に疑問が投げかけられていたからにほかなりません。それは、資本主義の発展それ自体の直線性という観念についても同様です。基本的に、これはもっとも進歩した主体を探求するというオペライズモの姿勢の背後に存在するものです。

 ともあれ、移民は90年代の初頭にイタリアの諸都市の生活を根源的に変化させていた諸運動の重要性に、私を直面させました。たぶんそれから、私の移民についての仕事がはじまったわけですね。ご存知の通り、イタリアはこの移民にかんする移行を、80年代、90年代に非常に早い速度で経験してきました。これは、イタリアを出移民から入移民の国へと至らしめた移行です。私はジェノヴァで育ちましたが、80年代は「白い」都市でした。90年代になってある時点で、「白くない」ことに気づいたというわけです。この観点は「田舎根性」に浸りきったものだと言えるのかもしれませんが。

 私たちの議論、オペライズモ、ポスト・オペライズモの議論では、この側面が完全に外部に位置しているように思えたのです。ちなみに、このオペライズモ、ポスト・オペライズモの議論というのは、80年代末になってようやく取り戻されたものです。つまり、多くの仲間が牢屋にいたり、亡命したりしていたために、この議論を行うこと自体がとても難しかった年月が過ぎてからのことでした。ですから、大きな息を吹き返した後に、ようやくこの議論が再度はじまることになるのです。しかし、私は移民と向き合う経験をしている、いやそれは当時のイタリア全体の経験でもあります。私には、私も加わっていたこうした言説のなかでは、このことについていかなる類の考察も存在していないように思われたのです。もちろん、それについて言葉にしたり、しゃべったりはしはじめていましたが、私たちの日常を変化させているこれほど重大な事柄について考察するための空間がないのなら、それが重要な役割を果たすことはないでしょう。

 それから他方において、もし階級構成、労働構成という観点から移民を考察するとすれば、移民はまさしく認知労働のそれとはいくぶん異なった労働形態を考察するように、私たちを仕向けるものであることが考慮されなければなりません。それは認知労働に従事する移民がいないからではありませんし、移民の認知労働が存在しないからではありません。しかし総体としてみるなら、移民は、認知労働、非物質的労働などのイメージとは非常に異なった一連の労働諸行為の持続する重要性を私たちに思い出させるのです。

 ケア労働の問いについて考えてみましょう。この労働は、まさしく「認知」上の能力をかなり必要とするものです。これは非常に重要なことです。しかし、それをほかならぬ非物質的労働と定義するのは難しいことでしょう。しかしながら、ケア労働、移民たちのケア労働は、さまざまな行為主体性のあいだの関係をたえず緊張にさらし、疑問にさらし続けているわけです。この極めて重要な事柄については、私たちイタリアの議論では、すでに90年代の末にクリスティーナ・モリーニが仕事をはじめていました。彼女はこの論題について重要なことを書いてきました(30)。

 しかし、包括的に言うとすれば、移民は、私に以下のことに対峙するよう仕向けはじめたのだと言えるでしょう。それは、最初に移民の自律性、それからだいぶたって、とりわけブレット(ニールソン)との仕事で、私が定義しようとしいくぶんは定式化してきたものですが、「労働の異質化と多数化」(eterogeneizzazione e moltiplicazione del lavoro)についてです。私には、これは移民のただなかにおいては極めて重要な要素であるように思えました。それは、資本の観点からみても、労働諸関係の全体を、標準形(standard)のまわりで、標準形に基づいた関係のまわりで組織されるものとして表象できるという考えそのものに疑問を投げかけることになるからにほかなりません。今となっては、これはもうそれほど規範とはなっていませんよね。フォード主義の労働者、フォード主義の工場労働者、そしてフォード主義の男性。これは、契約法の観点からみても、労働関係を組織するための標準形の枠組みであるというわけです。このまわりにおいて、その多様な制度、規則などとともに諸々の労働市場の総体が定められるわけです。

 私には、こんにち標準形について論じることはまったくできないように思えます。むしろ、分析的観点からも、政治的観点からも、労働世界のただなかにおける差異の増殖について強く主張しなければならないのだと思います。それはいわば労働構成の主体性の特徴づけという点についてもそうですし、契約法の観点からみたときの、労働諸関係の組織化という点についてもそうです。

 この近代資本主義の歴史を検討するなら、そのはじまりからヨーロッパのみならず、グローバルな歴史としてそれを検討するなら、この状況は、植民地世界、コロニアル資本主義(capitalismo coloniale)を長いあいだ特徴づけてきたそれにほかなりません。私には、こんにちいくぶんは世界のいたるところで、コロニアル資本主義のこうした経験のある種の「逆襲(striking back)」が起こっているように思われます。こんにち資本主義は、労働諸関係のこの異質性を生きているように思えるのです。もちろん、それはコロニアル資本主義の特徴とは異なった特徴づけを有しています。しかし、形態という観点からするなら、このように言えるわけです。

 資本主義については、ファノンもまた引き合いに出していましたね。株式、金融は、強制労働などの諸条件と共存する。産業賃金労働は、インフォーマル労働などの多数の形態と共存する(31)。繰り返しますが、もちろん、こんにちにおいては、これは異なった諸条件のもとで生じています。ポストコロニアル資本主義について論じることで、これらの諸条件を理解しよう、定義しようとしてきたわけです。

 ポストコロニアル資本主義において、私にとって非常に重要なひとつの要素として、金融が作動する場所、金融資本の場所があります。多くの仲間たち、なかでも親愛なるクリスティアン・マラッツィがこの点について仕事を行っています(32)が、それらは私にとって極めて重要です。なぜなら、これらの仕事はこの金融化のプロセスの新たな性質を明らかにしてきたからです。私の意見では、まさしく問題は、それらのイノベーションの観点から、すなわち、こんにちの社会的協働、生産的協働が、組織され、指令をくだされ、搾取されるやり方の観点から、金融化のプロセスを調査することが大切なのだと思います。この観点からするなら、繰り返しになりますが、この要素が異質性とかかわるものなのです。

 ここで、以下のことを付け加えましょう。移民は基本となるレンズです。移民は、階級構成を変容させる、また搾取の諸条件を変容させるうえでの基本的力というだけではありません。移民は、あなたが先ほどうまく説明してくれたような、移民たちに独自の経験を越えて有するさまざまな振る舞い、動態、経験、新たな移動性の経験を前もって解読するというのみならず、たいていの場合、労働のプレカリ化の形態を、「土着」の労働に対して何かしら先取りしているのです。またあなたが言及したように、ヨーロッパの内部の移民の問題もあります。それは、もう無視することが非常に困難な現実です。ベルリンでどこかに食べに行くなら、多くの人たちによって、イタリア語、スペイン語、ギリシャ語が話されているのに気づくことでしょう。

北川 ポストコロニアル資本主義のこうした特徴は、いわゆる「本源的蓄積」の現代性とも大きく関係しているのだと思います。あなたも論じていましたが、現代資本主義の批判的分析においては、本源的蓄積の現代性がかなり主張されてきました。たとえば、これについては「略奪による蓄積(accumulation by dispossession)」という概念を用いて、デヴィッド・ハーヴェイもまた極めて重要な議論をしてきました(33)。

 あなたも言及していたように、ハーヴェイは、資本主義的生産様式の「標準形」、つまり一方の「拡大再生産」と、他方の「略奪による蓄積」とのあいだを厳格に区別しています(34)。しかし、資本主義のはじまりからの植民地性という先ほどの議論をふまえると、この両者の区別は、前者の中心性を少なくとも理論的前提として保持したうえでなされているようにも思われます。というのは、略奪は、植民地または旧植民地においては「いつも」資本主義の主要な形態であり続けてきたからです(35)。たとえそれが昨今では新たな形態をとるとしても、そこにおいては、本源的蓄積の暴力によって生産手段から切り離されても、「標準形」の世界への扉は閉ざされたままの略奪された者たち、生存維持のために、あらゆる種類の労働を行う者たち、何かしら移動、越境する者たち(場合によってはヨーロッパへ)が大量にいたわけです。

 ハーヴェイの言う「拡大再生産」と「略奪による蓄積」の「有機的なつながり」、あるいは弁証法的関係という枠組みにおいては、あなたの論じる「標準形」を無効化する生産様式の異質化と多数化という趨勢、さらには「中心性」のない労働の異質化と多数化という趨勢を十分にはとらえきれないようにも思えます。それは、階級闘争の異質化と多数化についても同様でしょうか。

メッザードラ 思うに、デヴィッド・ハーヴェイは、非常に重要な役割を果たしてきました。彼が「略奪による蓄積」と名づけた形態のこんにちにおける重要性を明らかにしてきたからですね。この種の功績や活動に疑問を投げかける必要はないでしょう。

 しかし、近年、ハーヴェイの立場がとてもよく受け入れられているラテンアメリカの文脈において仕事をするなかで、私がいつも論じ立てようとしてきたことは、略奪と搾取のあいだの区別が、対立、二項対立となってしまう危険があるということです。単純化して言えば、これには搾取の新しい性質を私たちから見失わせてしまう危険がある。つまり、こんにちの資本の蓄積と価値増殖のレジームを規定するさいに、搾取と略奪が組み合わされるやり方を見失わせてしまうということです。 

 たとえば、「採掘」という問題を考えたい。それはまさしく文字通りの意味でのことです。ラテンアメリカ、またアジア、アフリカの多くの地域において、採掘活動が強化されていることをめぐってこんにちではさまざまな議論がなされています。それは、環境のみならず、コミュニティ全体に対して、だいたいの場合は、先住民のコミュニティに対して、暴力的なやり方で破壊的影響をもたらしているのです。

 ラテンアメリカでは、文字通りの意味における採掘活動のこうした強化が、この地域におけるこんにちの資本主義の暗号、象徴として採用されつつあります。もちろん、このテーゼについての経験的論証は不足していません。それは、採掘活動の強化に抗する数々の極めて重要な社会闘争が不足していないのと同様です。これらの社会闘争には、ただ鉱物の採掘活動のみならず、たとえば大豆栽培のような農業を急襲し、大きく変容させている採掘活動に抵抗するそれもあります。

 しかしながら、私は、とりわけ友人であり同士であるアルゼンチン人のヴェロニカ・ガーゴとともに書いた論文のなかで、以下のことを主張しようとしてきました。このタイプの理論的立場は、約言するなら、新採掘主義(neo-estrattivismo)という定式を見出している。しかしこの立場は、過度に偏ったやり方で、文字通りの採掘がなされる場所への批判に注意を集中させる結果となり、田舎と都市のあいだの対立を再生産してしまうものではないか。このような対立は、理論的にも異論の余地があるものですし、率直に言って、政治的にはただ不安にさせるものでしかありません。

 そこから、私たちは以下のように自問しはじめました。採掘というカテゴリーは、より一般的な観点から考察するならば、字義通りの採掘活動とは関係のないかたちでも、こんにちの資本主義についての何がしかを明らかにしてくれるのか否か。私はとりわけヴェロニカとの仕事(36)でそれを探求しようとしてきました。ブレットとの継続する仕事(37)でもそうです。ただ文字通りの意味でのみ採掘というカテゴリーを解読するのではなく、とりわけ金融が社会的協働と関係を築くやり方を理解するために、それを用いてみようとしたのです。

北川 それが採掘主義というよりも、あなたの言う新採掘主義というわけですね?

メッザードラ そうです。採掘主義という定式は、ラテンアメリカでは非常に普及したものですね。今は新採掘主義についてより論じられているわけです。採掘主義は、16世紀以来、いつもラテンアメリカのコロニアル資本主義の特徴でしたから。

 ここで新採掘主義について考えるために、金融についてとりあげてみましょう。金融とは何か。大きな問いですね(笑)。ここで十分な言葉、解答を与えることはできないでしょう。しかし、マルクスの『資本論』第3巻に非常に示唆に富んだ指摘をみつけられると思います。もちろん、マルクスの時代の金融は、こんにちの金融とはほとんど関係ありません。だから、彼の理論を、デリバティブ、クレジット・デフォルト・スワップ、ハイ・フリークエンシー・トレーディングなどに適用するために取り出すことはできません。

 しかし、マルクスは非常に一般的な観点に立脚して、金融資本を定義しています。それというのは、なおも生産されなければならない富、未来において生産されなければならない富に対する莫大な有価証券、請求権の蓄積であると。私がこんにち有価証券を有しているとして、私の利潤はどこから派生するのか? それは、なおも生産されなければならない富から派生する。それはつまり、私の有価証券を通して、私は未来において展開されなければならない生産過程を抵当に入れているということです。この有価証券を通して、偉大な資本家、持ち株主としての私は、いまのところ、未来に対する一種の権力を保持している、なおもなされなくてはならない生産過程に対する指令を保持しているのです。

 借金を抱える貧困な労働者、借金をして返済義務を負っている労働者の立場からすると、この借金は、未来の生産に対して私が保有する権利との相互取引の材料となります。結局のところ、この債務、義務とはいったい何でしょうか? それは、返済するために未来において働かなければならないという義務にほかなりません。

 さて、私を偉大な金融資本家としましょう。あなたは、住宅契約のために借金をし、私に債務を負う貧者としましょう。明日、あなたは何をするのか? 私には何の関心もありません。重要なことは、あなたが自ら働くことです。工場で働こうが、スウェットショップで働こうが、路上でヘロインを売ろうが、広告代理店でクリエイティブな仕事をしようが、私にはどうでもよいことです。どうでもよい。あなたは確実に、借金を返済するため、他の労働者たちとの関係のなかに参入することになる。社会的協働の編成に参入することとなる。明後日になれば、私はまさにそこから価値を抽出します、あなたの労働を組織することなしに、です。これは、あなたが産業資本家とのあいだに有する関係との根本的な差異ですね。産業資本家は、労働を組織していたのです。それから、価値を抽出していました。他の人たちのそれと同様に、あなたの労働の協働は、産業資本家が組織するものだったのです。

 反対に、金融資本家はなんらかのかたちで、かれがそこから価値を引き出す社会的協働の外部にいる。ここにおいて、金融資本家はこの社会的協働から価値を「採掘」しているのだと言える。隠喩を用いるなら、これは、鉱山において大地から貴重な鉱物を採掘することと類似したやり方であるというわけですね。

 さて、この観点からするならば、少し立ち止まって考察すべき状況があるのだと思います。どういう意味でしょうか? それは、私の話したこのとても単純で、単純化されていて、およそ陳腐な例から、以下のことを説明できるということです。すなわち、現代資本主義の全編成のただなかにおける金融資本の優位性に、労働の異質化の諸過程がいかに呼応しているのかということです。というのは、もしかしたらあなたは工場に働きにいって、他の人は広告代理店で働いて、さらに別の人はゲットーでドラッグの密売人の仕事をする……といった状況があるからですね。同質化、つまりこの種の関係に建設的なやり方で対応し続ける同質化は些かも存在しないのです。

 さらに言えば、私もそうですが、以下の事柄を再考したい人たちにとっては、非常に一般的で明らかな問題があります。それは、少しばかり誇張した表現でいうなら、労働と資本のあいだの関係の政治的主体化にかんする諸条件を再考すること、より単純な用語でいうなら、こんにちの階級闘争の場所を考え直すということにほかなりません。それは以下の意味においてのことです。もしあなたが工場に働きにいくなら、そこには独自の敵対性の源泉となる工場の雇い主との関係というものがある。しかし同時に、私との関係、金融資本家との関係においては、そもそものところ、別のタイプの敵対関係が存在しているのです。だからこそ、金融資本に敵対する組織の政治的可能性を思考することが、こんにち私たちが直面している重大な問題であると考えるわけです。

 またご存知のように、移民のなかにも、このタイプの論理が浸透しています。それは移民たちが資金調達を行うさいのさまざまなやり方を通してのことです。これらは、しばしば事前契約の諸条件、つまりは移民たちが借金を返済しなければならない諸条件を提出しています。またこの論理は、移民による送金の流通を通しても浸透していますね。それは、移民経験の金融化と対応しているのです。(了)

前篇はこちら)

17.  Étienne Balibar, Europe and the refugees: a demographic enlargement, 2015, https://www.opendemocracy.net/can-europe-make-it/etienne-balibar/europe-and-refugees-demographic-enlargement

18.  「ジャングル[北川による注:フランス・カレーにある。イギリスへ向かおうとする移民たちが一時的に集住する屋外占拠空間]の人々は、通過するためだけにそこにいるからです。警察との関係にしても行く手を阻む鉄条網を前にしても、状況全体のなかでかれらが求めているのは、どうやったらそこを通り過ぎることができるかです。かれらは政治的主体としてそこにいるのではない。滞在許可証が取得できないまま5年なり10年なりフランスなどで働く人々の状況とは違うわけです。こちらのほうはまさに政治的な状況です」。ジャック・ランシエール(市田良彦、上尾正道、信友建志、箱田徹訳)『平等の方法』航思社、2014、295-296頁。

19.  ヴェンティミッリアは、イタリアとフランスの国境にあるイタリア側の町である。2015年6月に、フランスがイタリアとの間の国境審査を復活させたことで、境界を通過できない数多の移民たちが、ヴェンティミッリアの海沿いの岩礁にキャンプを張るようになった。ランペドゥーザは、イタリア最南端のチュニジアに近い地中海の小さな島である。ここ20年ほどのあいだ、アフリカからの移民たちの船がたどりつく場所として位置づけられてきた。レスボスは、トルコの目と鼻の先にあるギリシャの島で、シリアやイラクなどからの移民、難民たちの船がたどりつく場所となっている。

20.  Sandro Mezzadra, Capitalismo, migrazione e lotte sociali: appunti per una teoria dell’autonomia delle migrazioni. In S. Mezzadra, a cura di, I confini della libertà: per un’analisi politica delle migrazioni contemporanee, Roma: DeriveApprodi, pp. 7-19. [サンドロ・メッツァードラ(北川眞也訳)「社会運動として移民をイメージせよ?――移民の自律性を思考するための理論ノート」『空間・社会・地理思想』12号、2008、73-85頁。]

21.  2016年1月29日に、「階級構成とは何か」と題して、廣瀬純、箱田徹、上尾真道と行った。イベントは、廣瀬純の編著『資本の専制、奴隷の叛乱』と『逃走の権利』の出版をかねて行われた。『資本の専制、奴隷の叛乱』には、メッザードラのインタビューとテクスト「ブリュッセルの「一方的命令(ディクタート)」とシリザのジレンマ」(エティエンヌ・バリバールとフリーダー・オットー・ヴォルフとの共著) が所収されている。

22.  階級構成(composizione di classe)は、オペライズモの主要概念のひとつ。それはある歴史的時点における労働者階級が内在化している行動や規範の組織体のこと。階級構成は、労働の技術的構造、階級の欲求や欲望のパターン、政治的・社会活動が生じるさいの制度などの相互作用によって規定される。労働者の効果的な組織化や活動を生み出すには、階級構成を経験的研究から理解することが必要と考えられた。この概念は、階級の技術的構成(composizione tecnica di classe)と政治的構成(composizione politica di classe)に区別されてきた。技術的構成は、労働力として理解された労働者階級。資本主義の分業、生産の技術的組織、技術と生きた労働のあいだの関係によって定められる。政治的構成は、労働者階級の主体形成の次元。文化、思考様式、欲求、欲望などに関わり、意識には還元されないそれは、何より闘争へと向かう主体形成過程に関係する。

23.  この政治の純粋性批判については、たとえば以下の論文を参照。Sandro Chignola e Sandro Mezzadra, Fuori dalla pura politica. Laboratori globali della soggettività, 2012, http://www.uninomade.org/fuori-dalla-pura-politica

24.  メッザードラ『逃走の権利』、20-21頁、25頁。

25.  Sandro Mezzadra e Mario Piccinini, Centralità politica del lavoro migrante, DeriveApprodi 21, 2002, pp. 8-10.

26.  サンドロ・メッツァードラ、ブレット・ニールソン(北川眞也訳)「方法としての境界、あるいは労働の多数化」『空間・社会・地理思想』13号、2010、51-59頁。

27.  もちろん、国籍国や「人種」などによって、その移動が問題視される具合はまったく異なる。たとえば、仕事を見つけるためにモロッコに不法滞在するスペイン人とサブサハラ出身者のあいだで言えば、後者は警察による厳しい取り締まりの対象となり、その移動が問題視される。その意味では、その人の移動性、ある瞬間、ある場所におけるその人の滞在可能性が、統治とセキュリティの対象として問題化されるときに、その人は「移民」というカテゴリーにあてはまるとも言えよう。Martina Tazzioli, Border interruptions and spatial disobediences beyond the scene of the political, 2015, http://www.darkmatter101.org/site/2015/10/05/border-interruptions-and-spatial-disobediences-beyond-the-scene-of-the-political

28.  たとえば、Sandro Mezzadra, Quante sono le storie del lavoro? Per una teoria del capitalismo postcoloniale, 2011, http://www.uninomade.org/quante-sono-le-storie-del-lavoro-per-una-teoria-del-capitalismo-postcoloniale

29.  Sandro Mezzadra and Brett Neilson, Border as Method, or Multiplication of Labour, Durham MC and London: Duke University Press, 2013.

30.  たとえば以下。Cristina Morini, La serva serve: le nuove forzate del lavoro domestico, Roma: DeriveApprodi, 2002.

31.  当該箇所は以下。「奴隷制度、農奴、物々交換、家内工業、株式操作などの共存する現実」、「均衡を欠いた変転きわまりない現実」。ファノン『地に呪われたる者』、63頁。

32.  たとえば、[1]クリスティアン・マラッツィ(柱本元彦訳、水嶋一憲監修)『資本と言語——ニューエコノミーのサイクルと危機』人文書院、2010。また[2]アンドレア・フマガッリ、サンドロ・メッザードラ編(朝比奈佳尉、長谷川若枝訳)『金融危機をめぐる10のテーゼ――金融市場・社会闘争・政治的シナリオ』以文社、2010。

33.  たとえば、デヴィッド・ハーヴェイ(本橋哲也訳)『ニューインペリアリズム』青木書店、2005。

34.  Sandro Mezzadra, La condizione postcoloniale: storia e politica nel presente globale, Verona: ombre corte.

35.  Miguel Mellino, David Harvey e l’accumulazione per espropriazione, 2014, http://www.euronomade.info/?p=3244

36.  Verónica Gago y Sandro Mezzadra, Para una crítica de las operaciones extractivas del capital. Patrón de acumulación y luchas sociales en el tiempo de la financiarización, Nueva Sociedad 255, 2015, pp. 38-52.

37.  ⑴Sandro Mezzadra and Brett Neilson, Extraction, logistics, finance: Global crisis and the politics of operations, Radical Philosophy 178, 2013, pp. 8-18. ⑵Sandro Mezzadra and Brett Neilson, Operations of capital, The South Atlantic Quarterly 114-1, 2015, pp. 1-9.

翻訳・構成 北川眞也

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危機のヨーロッパ

――移民・難民、階級構成、ポストコロニアル資本主義(前篇)

サンドロ・メッザードラ × 北川眞也(聞き手)

2016年2月15日 ベルリン

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北川 今回は、移民たちの移動や運動を通して、さらにはポストコロニアルという観点に立脚しながら、ヨーロッパの現状について伺います。そのさい、あなたの研究の内容や立場にふれながら、質問したいと思っています。

 最初に、シティズンシップをめぐる問いについて伺います。というのも、現在のヨーロッパについて考えるとき、このパラダイムが果たしてどこまで有効であるのか、私にはいくぶん疑問に思われるからです。昨今のヨーロッパの境界地帯にせよ、大都市にせよ、そこで移民たちに対してさまざまに行使される暴力に深く刻印された事態をふまえるなら、国民国家のシティズンシップ、さらにはかつて頻繁に議論されたヨーロッパ・シティズンシップについて、なおも語ることが可能なのでしょうか。

 あなたはシティズンシップという概念を非常に重視しながら、理論的・政治的活動を行ってきました。フランスで1996年にサンパピエたちの闘争が起こりました(1)。それ以来、移民にかかわる運動においては、「運動としてのシティズンシップ」と呼ばれるものをめぐり数多くの議論や研究(2)、そして数多くのそうした実践が展開されてきました(合法化・正規化をめぐる闘争、移民の拘禁センターに反対する闘争、移民たちからすると、まさしくこの拘禁空間の内部での闘争を意味しました。さらには移民たちのストライキ。またバンリューの暴動、日々の移民たちの越境運動もそうでしょう)。

 そこにおいてイメージされていたのは、大雑把にいえば、こうした運動は既存の「制度としてのシティズンシップ」に挑戦し、緊張を与えるものであり、それをより平等主義の方向へと改変しうるという図式でした。とりわけ、国籍からシティズンシップを解きほぐす可能性が、ほかならぬ「ヨーロッパ・シティズンシップ」という枠組みのもとで、少なくともさまざまに期待はされ、検討されていたことを知っています。こうした移民たちの運動の結果として、「ヨーロッパ・シティズンシップ」においては、制度レヴェルにおいても、移民たちは市民としての位置を占めうるということです。

 当時は、運動としてのシティズンシップについて考えられるなかで、ヨーロッパ・シティズンシップというものの可能性がそれなりに感じられていたのだと思います。しかしながら、比較的最近ですが、あなたは2013年の非常に情勢にそくした論文のなかでこう書いています。「シティズンシップの概念のまわりでなされる仕事が、ヨーロッパにおける批判的な思考と政治行動の重要なインスピレーションの源を体現していると確信する一方で、近年のヨーロッパ・シティズンシップのまさに制度的な枠組みの重大な変容を背景として、この仕事はテストを受けなければならないとも考える」(3)。

 現在も数多の難民たち、移民たちが、かれらの「逃走の権利」を行使し、ヨーロッパに入り続けているし、入り続けようとしています。運動としてのシティズンシップ(構成する権力)と制度としてのシティズンシップ(構成された権力)のあいだの関係がまるで機能しないようにみえる現在において、ヨーロッパにおける移民たちの生、そして闘争について考えるうえで、なおもシティズンシップという概念に依拠し考えることはできるのでしょうか。それは、ヨーロッパ・シティズンシップの可能性、または不可能性についての問いでもあります。この点について、どのように考えていますか? 

メッザードラ そうですね、とても単純ですが、かなりラディカルなことからはじめましょう。それはおよそ3年前に書いたこのテクスト「ヨーロッパをつかみとる」のなかで何かしらは論じられていることです。つまり、ヨーロッパ・シティズンシップは、こんにち深刻な危機のただなかにあるということです。現在の状況は、90年代前半のそれとはまったく異なる。当時は、歴史的契機について語られていたわけです。つまり、そこにおいては、ヨーロッパにおけるポストナショナルなシティズンシップの構成が、その数々の限界にもかかわらず、ポジティブな基準点を形づくっていたのです。それは研究者にとってのみならず、いくつかの重要な社会運動にとって、とりわけ移民たちの運動にとっても同様でした。

 確かに、移民たちは、法学者が言うところの、二級のシティズンシップとして構成されたに過ぎないヨーロッパ・シティズンシップに向かい合っていたと言うこともできます。それは、ヨーロッパ・シティズンシップに加入するには、EU加盟国のシティズンシップを有していなければならないという意味においてのことです。しかし、それにもかかわらず、そこにおいてシティズンシップの展開がなされるポストナショナルな地平の存在というものは、まさしく移民たちの運動にとって、何かしらポジティブなことに相当していると思われていました。移民たちは、国家のレヴェルでは厳しい排除を経験していた人たちですからね。確かに引き続く年月に、連邦主義者たちが言うような、ヨーロッパ・シティズンシップという概念の内側に暗に含まれた潜在性(virtualità)のさらなる展開はみられませんでした。しかしながら、数年のあいだ、移民たちの運動、少なくともいくつかの移民たちの運動は、このヨーロッパ・シティズンシップという次元をポジティブな基準点として引き受けていたのです。

 近年、状況はすっかり一変しました。2000代半ばにフランスとオランダで実施された欧州憲法条約の国民投票(4)とともに、すでに状況は変化しはじめていたと言えるでしょう。これらは、EUの形式的構成の形成(costituzionalizzazione formale)過程を凍結させるものでした。状況はしかし、グローバルな経済危機がソブリン債務危機というかたちで、ヨーロッパに達したときにこそとりわけ根源的に変化したのだと思います。つまり、2010年あたりのことですね。このとき、ヨーロッパ統合過程のある種の方向転換があった。これこそ、はっきりと「金融に基づいた」指令のいくつかの契機が、ヨーロッパ統合過程に対し結晶化し、固定化される状況を導くものだったのです。そこにおいては、こんにちでは明らかだと思われることが判明しはじめました。それは、ヨーロッパ統合過程の危機が、ヨーロッパ・シティズンシップの危機にも相当するということです。

 現在、私たちはこの危機がいっそう深刻ものとなった状況に直面しています。過ぎ去ったばかりですが、2015年について考察してみましょう。すると、私たちは多数の危機のあいだの連鎖が生じていることをはっきりと目撃することになるのです。それは特に、ギリシャ危機と「移民危機」として定義されたそれとのあいだにおいてのことです。

 簡単に分析してみましょう。ギリシャ危機はいま一度、緊縮策を継続するという上からの権威的押しつけを招きました。その傾向においてこれらの政策は、社会権という観点からすれば、シティズンシップとその中身を空っぽにしていくものであると簡潔には言えるでしょう。しかしこの危機は、危機がヨーロッパのエスタブリッシュメントにとって「解決」されたまさにそのやり方を通して、まさしく緊縮策という規範、金融・財政の厳正さに基づいて、ヨーロッパ統合過程を再構成するための諸条件を提出しなければならなかったのです。

 しかし、何が起こったのか。起こったのは、いわゆる「移民危機」です。つまり、大量の移民運動、戦争が展開される地域からの大量の逃亡運動、シリアのみではありませんが、何よりシリアからの逃亡運動が、ヨーロッパ空間をその全体において激しく急襲したのです。かれらは、20年前から「EUの域外境界の制御レジーム」として定義されているものを危機へと陥れたのです。さてここでまとめるならば、私たちは、緊縮策の継続によって規定された諸条件からでは、統合過程を政治的に統治することはできないということが、ただちに実証された状況に対峙しているということです。

 このプロセスにおけるアンゲラ・メルケルの役割を考えてみてください。とてもはっきりしていますが、メルケルはこの状況において、ヨーロッパにおけるドイツの指導的役割を強められると考えた。それは、ギリシャ危機に対するドイツの立場を特徴づけたそれとは部分的に異なった身振りを用いてのことでした。だからこれは、移民、とりわけシリアからの大量逃亡に対する相対的にオープンな態度(5)に基づいて、ヨーロッパにおけるドイツの指導的役割をある種正当化しようとするものだったと言えるでしょう。

 メルケル、またドイツ政府の一部の人間のこうした態度の理由については、長い議論もできるでしょう。ただ、確実に、以下のことを強調しておく必要があります。それは、危機、経済危機が出現するなかで、境界を制御するヨーロッパの諸政策、移民制御が、近年ではいっそう制限的で、いっそう閉じられた特徴を引き受けていたということです。これはドイツ、また他のヨーロッパの国々にとっては、やっかいな事柄なのです。というのは、それらの国は移民を必要としているからです。メルケルは、一方では、ヨーロッパにおけるドイツの指導的役割を主張し正当化する試みと、他方では、それとは異なった基盤に基づいて、ドイツの移民政策、もっと一般的にはヨーロッパの移民政策を提出する試みとを結合させるためのチャンスをつかもうとしたのではないでしょうか。

 ただし、ギリシャ危機の内側でドイツによって主張された立場に基づいてなされたこのいっさいは作動しなかった。それはまるで作動しなかったのです。根本において、メルケルのイニシアチブは、ヨーロッパ・レヴェルにおいて失敗したのだと言えます。さらに、とても単純かつ迅速にいうなら、それは、緊縮策、金融・財政の厳正さを基盤にして、また基本的にはユーロという通貨を基盤にして、ヨーロッパ空間を政治空間として統治することはできないことを証明しているのです。

 したがって、2015年の夏以降、私たちはヨーロッパ統合過程そのものの甚大な危機に直面している。この危機は、地理的なレヴェルにおいても言い表せます。ヨーロッパ統合は、マーストリヒト条約の批准以来、25年にわたって、独特の流儀においていつも可変的な地理を有してきました。それはいつもさまざまな空間的座標のあいだの交差によって構成されているのです。ユーロのヨーロッパは、シェンゲンのヨーロッパとは一致していない。それとは別に、物流のヨーロッパ統合空間もまた存在します。なおも他の地理が存在するでしょうし、おそらくこの地理への言及は増やすことができるでしょう。ここ25年間のヨーロッパ統合の特殊性とは、エリートたちの観点からすればですが、これらのさまざまなヨーロッパのあいだの接合部、交差点において巧みに立ち回る一種の力量のことにほかならなかったのです。

 こんにち、それはまったく機能していない。ギリシャ危機の周辺においては、劇的なかたちで、ヨーロッパの北と南のあいだの断層が深くなりました。いわゆる「移民危機」をめぐっては、東と西のあいだのこれまた悲劇的な断層が、新たなかたちで際立つようになってきました。その一方で、ヨーロッパとイギリスのあいだの関係の歴史的困難、こんにちでは独自のかたちをとっているわけですが、この困難にも留意しなければなりません。このいっさいが、ヨーロッパ統合過程の全体危機、何より「麻痺」を引き起こすこととなるでしょう。この麻痺、危機は、一定数のヨーロッパのエリートにとってもまたやっかいな問題なのだと思います。

 同時に、この危機、麻痺のしるしのもとでヨーロッパにおいて生じていることは、政治の「再国民国家化」のプロセスであると定義できるでしょう。国民国家が、EUの物質的構成(costituzione materiale)(6)の内部で、横暴なやり方で再び姿を見せているのです。国民国家の再出現の背景には、疑念の余地なく、ヨーロッパの多くの国々で新旧の右翼が成長していることもまた関係しています。私の「穏健な」観点からしても、この成長は極めて不安をさそうものです。

 ここにおいては、以下のように主張する人たちもそれなりにいます。ヨーロッパにおける政治の再国民国家化は歓迎されうることであると。それというのは、根本的にネオリベラルなプロジェクト、つまりEUというプロジェクトを危機に陥れ、まさに国家レヴェルで主権を回復するための空間を開くことになるからだというわけです。

 私はこうは思わない。私はこうではないと確信しています。それとは反対に、ヨーロッパで起こっていることは、ナショナリズムとネオリベラリズムのあいだの新たな連結が出現しているのだと確信しています。国民国家が中心的役割を引き受けようと再び姿を現していますが、それはヨーロッパにおけるネオリベラルな構成体の基本的諸要素には些かも疑問を投げかけてはいません。私は、国民国家が主役として再度現れるとすれば、それはただ新旧の右翼のためにのみ空間を開くものだと信じて疑いません。

 したがって、世界のこの場所、つまりヨーロッパにおける新しい左翼にとってのラディカルで抵抗力のある変容のための政治戦略は、なおもヨーロッパという戦略以外にはありえないのだと強く思っています。それはヨーロッパ空間をつかみとるという戦略です。

北川 一方では、ヨーロッパにたどり着いたとしても、指紋押捺を拒否し、最初に足を踏みいれたヨーロッパの国での庇護申請を義務づけるダブリン条約に抗する移民、難民たち、たとえばイタリアにたどり着いても、すぐさまよその国へと移動する移民、難民たちは、再国民国家化の現状をふまえると、それに抗い、ヨーロッパ空間をつかみとろうとしていると言えるのかもしれません。

 他方において、たとえヨーロッパにおいて再国民国家化が進むとしても、もはや国民や市民が統合されるべき空間というものが十分には存在しえないように思えます。つまり、この再国民国家化がかつての国民国家、いわば国民社会国家へと導かれることはありえないのではないかということです。

 数々の闘争を通して、またネオリベラルなグローバル化を通して、コンフリクトを媒介し、それを国民社会国家へと包摂してきた物質的な仕組みは粉砕されてきました。あなたが論じていることですが、ヨーロッパにおいて国民社会国家は、「自由な」賃労働者-男性-白人を、市民の「中心的」形象としてきました(7)。国民社会国家は、生産の「中心的」形象でもあるかれらを、なんらかのかたちで政治的代表制の制度的回路に包摂することで、コンフリクト、階級闘争を中和し、福祉の拡大を通じて、資本蓄積を維持してきたわけです。

 しかし、このような主体位置は、さまざまな運動を通じて拒否されてきましたし、現代のグローバルな資本にとってももはや必要とはされていません。事態がこうであるなら、社会統合の空間、いわばシティズンシップの空間それ自体が機能不全となります。移民たちを「統合」することはもちろん、そもそも国民や市民を統合し、かれらをそれなりに保護すると同時に管理してきた空間それ自体が、物質的に乗り越えられてきた、あるいは大きく改変されてきたわけです。

 移民たちが「統合」される空間自体のこのような過程をふまえると、現在のヨーロッパの物質的構成のただなかでのこの再国民国家化はおよそ困難であり、さらなる反動的な暴力によって特徴づけられるよりほかにはないようにも思われます。

メッザードラ 私はそのように確信しています。ヨーロッパにおける政治の再国民国家化は、シティズンシップの再国民国家化を導くことでしょう。現在の諸条件、あなたがいま言及した諸過程によって特徴づけられた条件においては、それはただ社会のヒエラルキー化の諸過程、労働のプレカリ化の諸過程、社会的分断の諸過程、あげくの果てには、ヨーロッパにおける諸々の国民社会の人種主義を土台としたヒエラルキー化の諸過程をもたらすよりほかにはありえません。

 移民たちの観点からすると、このヨーロッパにおける政治の再国民国家化というパースペクティブは、確実に受け入れられるものではありません。数々の多大なる不安があると言うべきです。なぜなら、このパースペクティブが、ヨーロッパにおける移民たちのプレゼンスを低下させる方向へと突き進むことはできないと思われるからです。私にとって、これはとても重要なことです。もしフランスにおける国民戦線、イタリアにおける北部同盟、ドイツにおけるドイツのための選択肢のような政治勢力(他にも増やすことができるでしょう)のレトリックをみると、少なくとも、いつもこれらの政治勢力の目的が、かれらが活動する国における移民たちのプレゼンスを劇的に低下させることにあると考えてしまいます。しかし、私は事態がこうであるとは思わない。マリーヌ・ルペン、サルヴィーニのような政治家たち(8)も、私たちの都市における移民たちのプレゼンスが構造レヴェルの要素だということを十分に自覚していると思います。私たちの都市の内部には、さまざまな形態の協働から構成される社会編成のいわばポストコロニアルな特徴づけがある。繰り返しですが、それは構造レヴェルの要素を体現するものなのです。

 では事態がこうであるなら、見通しはどうなるでしょうか。見通しとしては、いわばシティズンシップの編成全体のただなかに、移民たちに従属をもたらす諸過程のさまざまな要素がさらに増えていくということになります。したがって、それは移民たちの大量追放ではない。見通しはむしろ、ヨーロッパのさまざまな国のシティズンシップ、広い意味で理解するなら、ヨーロッパ・シティズンシップの内部へとかれらが包摂されるさいの、過酷で暴力的な従属という特徴が強化されるというものです。

北川 このことに関わりますが、あなたはヨーロッパと移民労働のあいだの関係を把握するうえで、示差的包摂(inclusione differenziale)という概念(9)を用いてきました。それは、「統合」がもはや優先されることのない現在のヨーロッパの移民、難民に対する統治性を考えるさいに、あなたが極めて重視してきた概念であると理解しています。ヨーロッパは、移民をみな追放したいのではない。さまざまな差異を時間的・空間的境界に組み込んでいきながら、移民たちの労働のみを包摂していく傾向にあるというわけです。

 しかし、あなたは2015年8月の(廣瀬)純によるインタビュー(10)のなかで、まさしく現在のヨーロッパにおいては、この示差的包摂さえもが機能不全であると指摘しています。それはどのような意味においてでしょうか? これはヨーロッパの政治的構成に対して、非常に重大な危機をもたらしうることのように思えるのです。というのは、移民たち、難民たちの継続する大量運動を目の当たりにすると、印象ですが、非正規かつ一時的なかたちであろうとも、もはや労働力としてもまた包摂されるようにはなかなか思えないのです。つまり、ヨーロッパのシティズンシップの枠組みはもちろん、さらにはフォーマルにせよ、インフォーマルにせよ、産業予備軍にさえなれない、かつての第三世界において顕著な「過剰人類」(11)のヨーロッパ内部への急襲ではないのでしょうか。

メッザードラ そうですね、示差的包摂という概念についてですが、それは近年私が練りあげてきた概念です。特に、友人であり同士でもあるオーストラリア人のブレット・ニールソンとの仕事においてのことです。この概念は、他の人たちにも用いられてきました。私、私たちはこの概念についてどんな類のコピーライトも要求しませんよ(笑)。この概念は非常に流通しました。ヨーロッパで、またヨーロッパのみならず、移民や境界についての仕事に取り組むアクティビストや研究者のあいだに広がりました。そのうえ、この概念はフェミニズム、人種主義の批判的研究にその系譜を有するものでもあります。これについては長く話すことができますが。

 それはそうとして、ヨーロッパではこの概念の利用は、いわゆるEUの域外境界の制御レジームの変容にかんする議論の内部でとりわけ重要でした。ここ20年、25年のあいだに、多くの成功をおさめた言い回し、スローガンがあります。それは「要塞ヨーロッパ(Fortezza Europa)」というものです。ある種の域外境界の制御レジームのもたらすさまざまな効果と暴力を告発するために、私も、私たちもまたそれを用いたことがあります。

 しかし私は、ある点において、他の多くの人たちと同様ですが、以下のように考えはじめました。主流派メディアにおいても広く普及したこの概念には、いくつかの限界があるのではないか。あるいは、この概念は必然的にヨーロッパの諸境界を制御する移民政策の目的について考えさせるわけですが、それは移民たちをヨーロッパ空間の完全なる外部にとどめておくものとしてしまうのではないか、と。この考えは、ヨーロッパで移民たちのプレゼンスが増大しているさまと矛盾するものでした。また根本においては、ヨーロッパは移民を必要としているという私たちの確信もあり、EUの域外境界の制御レジームが機能するやり方を記述するには、示差的包摂のような概念こそがより適しているように思われたのです。

 示差的包摂という概念は、イメージという点においても、壁や要塞には言及しません。むしろ、ダムやフィルターからなるシステムに言及します。私たちには、境界と移民を制御するヨーロッパの諸政策のこの選別的な特徴づけを強調することが重要だと思えていたわけです。

 またそれと同時に、私たちには、この諸政策が一方においては、根源的に暴力的な諸効果、それはまさに「要塞ヨーロッパ」のイメージによって浮き彫りにされてきた諸効果ですが、EUの域外境界において無数の死者を生み出してきた事実を強調することが重要だと思われました。他方、これはさらなる側面ですが、示差的包摂について論じることは、境界という装置がその総体においては、いかにEUの個々の加盟国の内部においても作用するのか、シティズンシップの空間を階層化しヒエラルキー化を引き起こすのかということを明らかにできると私たちには思われていたのです。

 さて、もし数か月前に、示差的包摂というこのカテゴリーが、私にはまるで機能しているように思われないと言ったのであれば、私はほかならぬアンゲラ・メルケルの態度について先ほど話した意味でそれを言ったのだと思います。ここ4、5年の間に、境界制御の諸政策に根源的な硬直化が起こってきたという意味です。しかしそれは、特にここ数か月のあいだにみられたように、あらゆる選別的制御の可能性に比して、たえずあふれ出る移民たちの移動に直面してのことにほかなりません。他方において、近年、ヨーロッパのムスリム移民たちの一部を急進化の諸過程が襲ってきたことを考慮しなければなりません。一連の攻撃があり、その後それらは、EUの域外境界の管理運営においてセキュリティへの不安を著しく際立たせることとなりました。

 私が他の人たちといっしょにたびたび明らかにしてきたことは、ヨーロッパにおける境界制御レジームというのは、近年、いわばさまざまな懸念、さまざまな論理を組み合わせてきたということです。境界制御がどのように機能してきたのかを考察するとすれば、私たちはこのセキュリティへの懸念をみつけることができるでしょうし、また移民の経済的有用性への懸念もみつけることができるでしょう。これはいわゆるマイグレーション・マネージメントの理論と実践へと翻訳されるものですね。それから、他の論理、たとえば人権の論理をみつけることもできるでしょう。私はこの論理が単純にイデオロギーやレトリックであるとは思いません。それは、世界の他の地域でもそうですが、物質的なレヴェルにおいて、ヨーロッパの境界制御レジームの構成的な一要素となってきたのだと思います。

 しかしここで問題となるのは、これらさまざまな論理のあいだのいわばバランス、これらさまざまな論理の効果的な組み合わせを見出すことなのでしょう。ここ数か月、いやここ数年でしょうか、このセキュリティの問いが、境界で活動する諸々のアクターたちと足並みを揃え、だんだんとより重要な役割を引き受けるようになってきたのです。その一方それと同時に、多くのヨーロッパ諸国における経済危機のもとでは、いっそう制限的なやり方で、移民政策を再定義する方向へと向かう圧力がありました。

 さて、他にも付け加えることができますが、これらの要因のあいだの組み合わせが、示差的包摂のこれらの装置の凍結を引き起こしてきたわけです。繰り返しですが、エリート、ヨーロッパにおいて指令をくだす人びとの観点からすると、それ以前においては、示差的包摂は何かしら機能していたものなのです。もちろん、これは私の観点ではありません。私はこの示差的包摂の諸装置に対しては根源的な批判を展開しようとしてきましたし、示差的包摂の諸装置に抗する移民たちの運動と闘争を明らかにしようとしてきました。しかし私は同時に、この諸装置の効力、それは記述的な意味においてのことですが、この効力が機能していたということは認識してきました。しかしそれとは逆に、こんにちではまったく機能していないわけです。

 そのうえ、ヨーロッパの多くの政府、経済、特に労働、福祉に取り組む省庁のなかには、この危機に対する確かな意識、これでは前進することはできないというある種の意識があるということを言わねばなりません。なぜなら、繰り返しですが、ヨーロッパは移民を必要としているからです。

北川 なるほど。「テロ」とセキュリタイゼーションの螺旋運動が強化され、シェンゲン空間の見直しが議論され、移民たちの移動に対する壁のイメージがいっそう強調されるなかでも、ヨーロッパの資本主義が、構造的に移民の労働を必要としているという指摘は、やはり重要であるように思えます。

 ここにおいて、移民たちの移動や運動の政治的意味を考えたい。ヨーロッパの運動においては、あなたも深く関わってきたわけですが、1990年代、2000年代のあいだに、移民の自律性(autonomia delle migrazioni)というアイディアが練りあげられてきました(12)。移民たちの移動は、労働力の需要と供給の法則や、境界制御レジームの合理性には断じて還元されない。それには還元されない過剰な要素があり、それによってある種の予想外の移動、「乱流」としての移動が可能となっているというわけです。それは、こうした自律的な移動を可能とする移民たちの欲望や期待、越境の戦略や戦術、つまるところ、主体形成過程を注視する視角でした。

 移民の自律性は、移民たちの移動を、現実を改変する社会的諸力とみなすものでもありました。移民たちの移動が自律的な傾向を有するのであれば、むしろこの自律的な移動を後追いするかたちでしか、こうした境界制御レジームは形成されえないことになります。だから、移民たちの移動のほうが、ヨーロッパの境界制御レジームを、ある意味においては変化させているというわけですね。

 しかし、私はヨーロッパへの移民たちの移動を、より歴史的・地理的に文脈化して考える必要があると思います。『逃走の権利』の第4章にも書かれています(13)が、あなたは、ヨーロッパへと向かう移民たちの移動を、第三世界の反植民地闘争との連続上でとらえようとしています。当然、双方が同じというわけではないでしょうが、これは現代世界の政治的布置のグローバルな変動、さらには運動というもののイメージをふくらませる非常に魅力的なテーゼであるように思えます。

 それは第一に、移民たちの移動それ自体の政治性をすぐさま喚起し、それについて思考することを強いるものです。またヨーロッパの移民に対する境界制御レジームの植民地性、あるいはヨーロッパ空間それ自体の避けられない植民地性を指摘するものです。昨今私が考えていることでもありますが、このヨーロッパの植民地性というのは、ヨーロッパの内部において、たとえばフランツ・ファノンのいうような暴力、また暴力の問いの現代性を何かしら示唆するものなのかもしれません(14)。

 これは現代のヨーロッパへの移民たちの移動を考えると、より重要なものとなりつつあるテーゼと思いますが、いくぶん思い切った内容であるようにも思えます。このテーゼについて、少し言葉を加えてもらえないでしょうか。

メッザードラ そうですね、当然ながら、この種の主張にはなんらかの挑発的な意図があります。それは、新たな考察がなされる空間を切り開くという意図です。新たな考察のための空間を開くときには、一方的に所定の主張を強調することもまた必要となるわけです。

 全体として、ヨーロッパで私たちがもう長年にわたって関係を有する移民たちの移動というのは、ポストコロニアルな移動であると言えると思います。それというのは、たぶんその章、あるいは別のところで私がそう呼んでいるのですが、基本的に、宗主国と植民地のあいだの一種の「メタ境界」の存在に基づいていた世界秩序を破壊することでこそ、この移動が歴史的に可能となったものだからです。この世界秩序の破壊は、何よりもまず、数々の反植民地運動によって引き起こされたのです。だからこの観点からすると、現代の移民たちの移動は、反植民地運動のさまざまな行為との連続線上に位置する地理を描いていると言える可能性があるわけです。

 私は、移民たちの移動がそれ自体で、「意識」という観点からみて、主体性のレヴェルで反植民地運動の継続を表していると考えたことはありません。反対に、いくつかの基本的な差異、移民たちの移動と反植民地運動とのあいだの根本的な非連続性を何かしら明らかにできるでしょう。

 たとえば、フランツ・ファノンの『地に呪われたる者』の結論のような有名なテクストについて考えてみましょう。これは20世紀後半の反植民地運動のすばらしいマニフェストですね。そこでファノンはこう言っています。同士よ、兄弟よ、このヨーロッパを置き去りにしよう。イスラーム、世界の街角で人間を殺戮しながら、人間について語るこのヨーロッパを、などなど(15)。このテクストは、かなり力強いものです。それは何らかのかたちで、反植民地闘争のオリジナリティ、その当時までヨーロッパを特徴づけていたそれとは根源的に異なった政治的・社会的・文化的諸形態を構築するという反植民地闘争の決意をしるしていたのです。

 反植民地闘争から誕生した政治体制の歴史が、フランツ・ファノンのような思想家・活動家によってイメージされていたものからすると、少しばかり異なった方向性を有したのはよく知られているところです。しかし、この力強い契機、反植民地主義の政治的想像力は残り続けます。この想像力においては、植民地支配を破棄することによって、それまでヨーロッパから何かしら受け継がれてきたそれと比して、根源的に新たな政治的経験の領域を切り開くことができると考えられていたのです。だから、このヨーロッパを置き去りにしようというわけです。

 さて、ヨーロッパの植民地支配下に置かれていた世界の多くの地域からヨーロッパへと向かってくる無数の略奪された人間のイメージについて考えてみましょう。かれらは、ヨーロッパを置き去りにするというよりも、むしろヨーロッパへと向かっています。去年の8月末のことですが、難民たち、移民たちによって組織されたブダペストからオーストリアへと向かうとんでもなくすばらしい行進の映像をご覧になりましたか? 行進の先頭には、おそらくシリアからやってきたと思われる移民の男性がいて、EUの旗をかかげていたのです(16)。

 ここにおいて私たちが、つまりファノンのような非常に重要な反植民地主義の理論家によって、少なくとも想像され、記述されたそれとは根源的に異なった状況に対峙しているのは明らかです。しかしながら、この種の移民たちの移動には、極めて強固なポストコロニアルな特徴づけが存在するという事実は残る。ヨーロッパにかんして言うならば、かれらのポストコロニアルな特徴づけを通して、ヨーロッパとその外の諸空間、外部とのあいだの関係を新たなやり方で思考し準備する緊急性がたえず改めて提出されているのだと言えます。これは基本的に、とりわけ第二次大戦後のさまざまな反植民地運動によって力強く投げかけられた問題でもありました。こんにち、移民たちの移動というのは、特にはやはりシリアの状況、しかしまたより一般的には、たとえばマリのようなアフリカの多くの状況を考えるなら、およそむき出しのシンプルな力で、この問題を再び投げかける運動にほかならないのです。繰り返しですが、これというのは、反植民地運動によってヨーロッパのなかに、ヨーロッパへと投げかけられた本質的な問題だったのです。

北川 ここから多くのことが再考できるように思えます。反植民地運動がたとえ国家空間の主権へと回収されてしまったとしても、この闘争を可能とした解放の欲求、そして移民たちの移動もそうかもしれませんが、平等への欲求はやはり再考するに値するものだと思います。

メッザードラ そうですね。もちろんそこには直線的な連続性はありません。しかし、諸問題、歴史的運動、時代の転換のいわば布置はある。その内側では、さまざまな要素の連鎖が存在しているわけです。

後篇へ続く)

1.  サンパピエとは、滞在許可証のない移民たちのこと。市民に付与されている権利をもたず、いつも強制送還の可能性にさらされている移民たち。1996年のパリで、かれらは滞在の正規化を求め、最初にサンタンブロワーズ教会、最終的にはサンベルナール教会を占拠した。多大な注目を浴びたこの出来事は、サンパピエという存在を明示し、フランス社会に認知させるものだった。

2.  サンドロ・メッザードラ(北川眞也訳)『逃走の権利——移民、シティズンシップ、グローバル化』人文書院、2015、 特に第3章、第8章。

3.  Sandro Mezzadra, Seizing Europe. Crisis management, constitutional transformations, constituent movements, 2013, http://www.euronomade.info/?p=462

4.  2005年5月29日にフランスで、同年6月1日にオランダで欧州憲法条約の批准をめぐる国民投票がなされたが、いずれの国においても否決された。

5.  2015年9月3日、シリアから逃れる途中に死亡した、トルコの海岸に横たわる3歳児の遺体の写真が大きく報道された。翌日、メルケルは国境をオープンにする決定を行った。

6.  「物質的構成(costituzione materiale)」とは、法や規範に基づいた「形式的構成(costituzione formale)」からは相対的に独立している、あるいは間接的にしか承認されない、社会的諸階級のコンフリクトが有する憲法=構成上の重要性を強調し、そのあいだの均衡を確立する。それは、法権利と運動のあいだの関係が偶然的なものであることもまた示す。

7.  Sandro Mezzadra, S. 2002. Soggettività e modelli di cittadinanza. In N. Montagna, a cura di, Controimpero: per un lessico dei movimenti globali, Roma: Manifestolibri, pp. 81-100.

8.  マリーヌ・ルペンは、フランスの国民戦線の党首。マッテオ・サルヴィーニは、イタリアの北部同盟の書記長。

9.  たとえば、メッザードラ『逃走の権利』、302頁。

10.  廣瀬純編著『資本の専制、奴隷の叛乱——「南欧」先鋭思想家8人に訊くヨーロッパ情勢徹底分析』航思社、2015、18-19頁。

11.  「豊かな国への大規模移住を阻止しているハイテクの国境線の強制が文字通り「巨大な壁」になっているため、スラムだけが、今世紀の過剰人類を収容するという問題解決を一手に引き受けている……安全でスクワット可能な土地の最前線はいたるところで消えつつあり、都市の隙間への新参者は、「周縁中の周縁」……「死にかけ」というよりほかない存在条件に直面している」。マイク・デイヴィス(酒井隆史監訳、篠原雅武、丸山里美訳)『スラムの惑星』明石書店、2010、305頁。

12.  メッザードラ『逃走の権利』、第8章。

13.  メッザードラ『逃走の権利』、115-116頁。

14.  北川眞也「ポストコロニアル・ヨーロッパに市民はひとりもいない」『現代思想』43-20, 2015, 70-80頁。

15.  当該箇所は以下。「ヨーロッパのあらゆる街角で、世界のいたるところで、人間に出会うたびごとにヨーロッパは人間を殺戮しながら、しかも人間について語ることをやめようとしない。このヨーロッパに訣別しよう」。フランツ・ファノン(鈴木道彦、浦野衣子訳)『地に呪われたる者』みすず書房、1969、181頁。

16.  この行進は、おそらく2015年9月4日と思われる。ハンガリーのブタペストからオーストリアの国境、さらにはウィーンを目指して、移民、難民たちが高速道路を歩いた。

翻訳・構成 北川眞也

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第162回掲載

ジュンク堂書店千日前店閉店と難波店大改装のさなかで行われたイベントについての内容になっています。

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第160回掲載

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第159回掲載

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第158回掲載

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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詩人・季村敏夫氏の特別寄稿文「断章、記憶に息を吹きかける」を掲載しました。

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/dansho.htm

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季村 敏夫 (きむら ・としお)

1948年京都市生まれ。 古物古書籍商を経て現在アルミ材料商を営む。

著書に詩集『木端微塵』(2004年、書肆山田、山本健吉文学賞)、 詩集『ノミトビヒヨシマルの独言』(2011年、書肆山田、現代詩花椿賞)、 『生者と死者のほとりー阪神大震災・記憶のための試み』(1997年、人文書院、 編著)、 『山上の蜘蛛―神戸モダニズムと海港都市ノート』(2009年、みずのわ出版、小野十三郎特別賞)、 編集『神戸モダニズム』(都市モダニズム詩誌、第27巻、ゆまに書房)など。

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第157回掲載

書店の「利益」計算式について

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer157.htm

※11/2から当コラムに接続できない障害が発生しておりました。申し訳ございません。

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第156回掲載

鼎談『本おやで「本屋」を語るの会』について

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer156.htm

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第155回掲載

「大澤真幸『自由という牢獄』について」

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer155.htm

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第154回掲載

「店内イベント「戦争に抗えるか?」などについて」

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第153回掲載

「『絶歌』について」

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1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第152回掲載

「橋下引退と人物批評」

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第151回掲載

「『イスラム・ヘイトか、風刺か』(第三書館)について」

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1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第150回掲載

「本の「宛先」とは」

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第149回掲載

永江朗『「本が売れない」というけれど』の反響について

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第148回掲載

「書店におけるヘイト本の氾濫と、それに抗う力(後)」

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第147回掲載

「書店におけるヘイト本の氾濫と、それに抗う力」

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第146回掲載

「「セミナー 電子出版時代の書店と図書館」について

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1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第145回掲載

「アマゾンによる出版社の格付けと電子書籍」

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer145.htm

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1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第144回掲載

「電子書籍はなぜ「書籍のかたち」をとろうとするのか」

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer144.htm

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1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第143回掲載

「書店の戦略 人と人をつなぐ」について

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第142回掲載

「富山で行われたイベント「談論風発の集い ネット時代だから活字を!」について

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第141回掲載

「6/21難波店で行われた鈴木邦男氏とのトークイベントについて

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer141.htm

(7/2追記・鈴木邦男氏の氏名を間違って記載してしまいました。大変失礼いたしました)

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第140回掲載

「「ポプラ社コミュニケーションセミナー デジタル化が教育を破壊する」について」

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第139回掲載

「JPO永井祥一氏シンポジウム「変革期を迎える出版流通システムー最近の事例から」について

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第138回掲載

「“トークバトル”「紙の本」か?「電子出版」か?“について

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第137回掲載

第一回OsakaBookOneProject受賞作 高田郁著『銀二貫』について

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第136回掲載

「新刊『紙の本は、滅びない』について

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第135回掲載

「本宴・本について大いに語る宴」について

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第134回掲載

「出版デジタル機構会長・植村八潮氏の講演について

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第133回掲載

「図書館、書店、出版社の役割を活かした講演会のかたちとは

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1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

 

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第132回掲載

「海文堂書店のこと」

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1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第131回掲載

山口昌男と書物の関係

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1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第130回掲載

大学における電子書籍の役割

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第129回掲載

「システムDと出版

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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『「朦朧」の時代』発売を記念して、「朦朧付録」を公開しました。

朦朧なる座談会「三人冗語」「廣告」「朦朧番付」を収録。下記リンクよりご覧ください。

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/furoku.html

朦朧バナー

朦朧付録p1

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第128回掲載

「トラブルから見えた打倒アマゾンの方法

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第127回掲載

「学ぶ」ことそのものの喜びとそれが生み出す活力

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第126回掲載

「新聞と書籍の相補性

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第125回掲載

DNP市谷ソリューション展2013で話したこと

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第124回掲載

「惜別京都BAL店」

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第123回掲載

「『古事記』とガダマーとキンドル

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第122回掲載

「Kindleと出版業界

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第121回掲載

「パネルディスカッション「本と本屋の未来」について

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第120回掲載

「ティム・ウー著『マスタースイッチ 「正しい独裁者」を模索するアメリカ』(飛鳥新社)について

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第119回掲載

「文具と読書法

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第118回掲載

安冨歩『原発危機と「東大話法」』について

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第117回掲載

「『ディアスポラの力を結集する』について

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第116回掲載

「「破局」を免れるための「預言」」

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第115回掲載

「何があるかではなく、何が無いか」

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第114回掲載

岡本源太『ジョルダーノ・ブルーノの哲学―生の多様性へ』について」

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

 

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第113回掲載

「データにとらわれる書店

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第112回掲載

「「倉庫」化する書店」

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第111回掲載

國分功一郎『暇と退屈の倫理学』について 」

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

 

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第110回掲載

「丸善CHIホールディングス社長小城武彦氏のこと、脇英世『アマゾン・コムの野望』について

 

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer110.htm

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第109回掲載

「大澤真幸『社会は絶えず夢を見ている』について』」

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer109.htm

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

 

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第107回掲載

「ガダマーの『真理と方法』について』」

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer108.htm

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第107回掲載

「ランシエール『無知な教師 知性の解放について』」

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer107.htm

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第106回掲載

日垣隆 『電子書籍を日本一売ってみたけれど、やっぱり紙の本が好き。』、佐々木俊尚『キュレーションの時代』について

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer106.htm

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

 

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第105回掲載

「大澤真幸の天皇論」

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer105.htm

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

 

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第104回掲載

「震災と出版」

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer104.htm

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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