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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第178回掲載

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


○第178回(2017/7)

 ベーシック・インカムとは、「全ての人が生活に必要な所得を無条件で得る権利がある」という思想のもと、全ての人に基礎所得を与えるシステムである。
「全ての人に」であるから、「無条件に」、「個人単位で」給付され、生活保護などこれまでのあらゆる社会保障とは別物であるといえる。

「全ての人が生活に必要な所得を無条件で得る権利がある」という思想には十分同意できる。日本国憲法でいえば、憲法第25条に

「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」

と明記されている。

 「全ての人に」給付されるから、給付条件の精査にかかる経費はゼロとなる。そして、給付される側に「恥」の感情は生まれない。「無条件に」給付されるから、「自立支援」「就労促進」などが付帯せず、安心して受け取ることができる。その結果、本来助けられるべき状況にある人に社会保障が適用されず、みすみす死に至らしめるような悲劇が回避される。現状では、“100世帯中、10世帯が生活保護基準以下の生活をしているが、実際に保護を受けることができているのはたったの2世帯”(『ベーシック・インカム入門』山森亮 光文社新書)と言われる。“「不正受給」がしばしば報道されることと比べても、捕捉率に対するメディアの沈黙ぶりは際立っている”(同書)のだ。

 貧しい人を助けるのはいい。しかし、「無条件に」というのはどうだろうか?既に高給を得ている人にも「屋上屋を架す」ようにお金を与える必要があるのだろうか?

 尤もな疑問である。だが、至急事務の効率性、賛同の得やすさにおいて、「無条件に」という属性は圧倒的に勝る。現に、公教育やごみ収集などの公的サービスは、すべての受益者にその収入とは無関係に与えられている。

 ベーシック・インカム、あるいはベーシック・インカム的な経済政策は、これまでも、多くの学者、政治家から提言されてきた。古くは、アメリカ独立に大きな影響を与えた『コモンセンス』のトマス・ペインから黒人公民権運動のキング牧師、そしてニクソン大統領もその政策実現にまであと一歩というところまで漕ぎつけていた。ガルブレイス、フリードマンという20世紀後半を代表する左右の経済学者が共にベーシック・インカムを提唱していたことは、いかにそれが普遍的な意義をもつ政策であるかを表している。

 日本でも、西田門下の土田杏村が、共同社会の共通文化遺産の相続者は、共同社会の成員全体であるから、生産の成果からそれぞれの分け前を受け取る資本家と労働者のいずれに属しない人たちも、全体の共通文化遺産からは、何等かの分け前を得なければならない、と述べている(同書)。

 だが、それでもこれまで実現していないということは、逆にベーシック・インカムに対する大きな抵抗、反対がある事の証左でもある。

 反対理由の一つは、やはり「フリーライダー」問題である。ベーシック・インカムをいいことに、働けるのに働かない「怠け者」が増えるのではないか、という懸念だ。しかし、 ベーシック・インカムは、「無条件に」、つまり他に収入があっても同額の支給があるから、更に収入を得るため働きたいというモチベーションを減退させることはないともいえる。収入の額によって支給が見合わされる現在の社会保障制度よりも、ベーシック・インカムの方が、「フリーライダー対策」には有効である可能性は高い。

 それでも、ベーシック・インカムによる「フリーライダー」は皆無ではないだろう。そのことへの抵抗の大きさは、「働かざる者食うべからず」という思想が、人類の意識の根底に、かなり強く根付いていることによるのだろうか。

 しかし、その時に言われる「働く」ということが、多くの場合「賃労働」を指していることに気づくべきだ。「働く」=「賃労働」と定義する時に、「家事労働」は無視されている。様々な障碍のために「賃労働」に就けない人びとの生を視野の外に置いている。「家事労働に賃金を」要求するフェミニズム運動、「生きていることが労働だ」と訴えた「青い芝」に代表される障碍者運動からも、ベーシック・インカムの採用という選択への道は繋がる。

 もう一つの反対理由は、「財源はどうするのか?」である。 その質問自体を、山森亮は、次のように批判する。

 “奇妙なのは、お金がかかるすべてに財源をどうするかという質問がされるわけではないことである。国会の会期が延長されても、あるいは国会を解散して総選挙をやっても、核武装をしようと思っても、銀行に公的資金を投入するのにも、年金記録を照合するのにも、すべてお金がかかる。だからといってこうしたケースでは「財源はどうする!と詰め寄られるということはまずない。”(『ベーシック・インカム入門』)確かに「ウォール街では、銀行員はリーマンショック威光で最高額のボーナスを得ている」(『隷属なき道 AIとの競争に勝つベーシック・インカムと一日三時間労働』ルトガー・ブレグマン 文藝春秋)を思えば、ベーシック・インカムに振り向けるべき財源は、どこかにあるような気がする。

 それでも、国民全員に、あるいはこの世界に生きる人間すべてに、労働の対価ではない生活資金を支給するベーシック・インカムは、一見途方もない計画に思える。しかし、『隷属なき道』によれば、“アメリカでベーシックインカムによる貧困撲滅にかかる費用は、わずか1750億ドルで、GDPの1パーセント以下だ。アメリカの軍事費の四分の一”なのだ。東西対立が一応の終息を見、米ロの首脳が談笑する図が不思議でなくなった今なお以前よりも頻発する世界のあちこちでの全く生産性の無い戦火さえ鎮めれば、何よりもそのことに知恵を結集し力を注入すれば、全世界の人間が生きていくことができるだけの生産力を、現在の世界は持っているのである。人類の資本主義は、そこまで発展しているのだ。

 その象徴的存在がAIであり、AIを搭載したロボットである。“「ロボット」という言葉は、「骨折って働く」という意味のチェコ語robotaに由来する。人間がロボットを作ったのは、自分たちがやりたくない骨の折れる仕事をやらせるためだったのだ”と、ブレグマンは言う。そして、このコラムでも言及してきたように、AIロボットが人間の仕事の半分を、あるいは9割を奪う時代は、目の前に迫っている。それは、人類の技術の進歩の到達点でもある。それを望んだのは、人類自身だといえる。

 “実のところ、今のペースでロボットの開発と進出が進めば、残された道は一つしか無い。構造的失業と不平等の拡大だ。”(同書)その唯一の道を人類の存続と幸福に導くものこそ、ベーシック・インカムなのである。

 ブレグマンだけでなく、AIやAIロボットの未来を語る多くの論者が、ベーシック・インカムの可能性と有効性、更には必然性に言及する。

 “小島寛之 マクロで集計すれば、AIが仕事を代替している分だけ生産物は人間の労働なしに増えているわけで、その分人類は豊かになる。そういう意味で、新井さんに半分程度は同意できるのですが、そんなに悲観的なことでもないのではないかとも思っているのです。”(『現代思想』2015年12月号 特集人工知能』

 “仮に今後、AIの発達のおかげで、機械が労働の多くを肩代わりして、人間はベーシック・インカムに支えられて自由に、対価を気にせず、様々な形で表現を行う時代が来るとすれば…“”(『人工知能が変える仕事の未来』野村直之 日本経済新聞出版社)

 “BI(ベーシック・インカム)なきAIはディストピアをもたらします。しかしBIのあるAIはユートピアをもたらすでしょう。”(『人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊』井上智洋 文春新書)

 ぼくじしん、ベーシック・インカムの構想には、決して反対ではない。「不平等の拡大」が既にかなり進行している現状を打開する、ひょっとしたら唯一の方法なのかもしれないと思う。山森亮や、白石嘉治、樫村愛子ら、ベーシック・インカムを提唱する論客の主張を、早くから共感をもって読んできた。

 だが、AI推進論者に、「大量失業は仕方がない、人間労働はどんどんAIロボットに代替すればよい。失業問題は、ベーシック・インカムで解決できる」と簡単に言われると、即ち大量失業は必然、更には善であると簡単に前提されると、あるいは、ベーシック・インカムがあれば大量失業にも何の問題もないと結論されると、「それはちょっと違うのではないか」と感じてしまうのだ。

 彼らは決して、仕事を失う人類のほとんどの部分を放置してよいとは、思っているわけではない。憐憫の情からではなく、それでは経済がたち行かないこともよくわかっているからだ。いくら商品を作っても、買う人がいなくなると経済は回らない。

 ブレグマンは、とてもわかりやすい1960年代の逸話を紹介している。

 “ヘンリー・フォードの孫が、労働組合のリーダーであるウォルター・レアザーを自社の新しいオートメーション工場に案内した時のことだ。フォードの孫はレアザーに冗談めかして尋ねた。「ウォルター、あのロボットたちにどうやって組合費を払わせるつもりだい?」すかさず、レアザーが答えた。「ヘンリー、あのロボットたちにどうやって車を買わせるつもりだね?」”

 「お金の出どころ」についても、「AIの進化→大量失業→ベーシック・インカム」という図式に、ぼくはどうしても違和感をぬぐえない。

 一つには、AIロボットが人間労働を代替したとき、マルクスのW(価格)=c(不変資本)+v(可変資本)+m(剰余価値)の式が成立しなくなることだ。AIロボットはあくまで高度化した生産機械だから、c(不変資本)であり、v(可変資本)のみが生み出すことのできるm(剰余価値)を生み出さない。マルクスによれば、c(不変資本)にかかる経費はそのままW(価格)へと転化されるだけだからだ。だとすれば、資本家の収入も、資本の増殖もありえないから、ベーシック・インカムの原資はどこにも存在しなくなることになる。

 一方マルクスの先の式を棚上げし、AIロボットによる生産でも資本増殖が起こるとすれば、「お金」はAIロボットを所有する資本の元に集中することになり、今日すでに激しく広がっている格差が、極限にまで達するだろう。その状況でベーシック・インカムを実現させるならば、資本を独占した一握りの人間が、その他すべての人間に、資産を公平に分配することになる。人間の欲望の果てしなさ、略奪と流血の人類史を思うと、ぼくにはそうした未来が、どうしても想像できないのである。

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第177回掲載

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


○第177回(2017/6)

 マルクスの経済学(批判)が、産業革命とそれに伴う労働力受容の確保のための「囲い込み」を経て、「世界の工場」と冠せられた19世紀イギリスを考察の対象としたものであり、そこから描き出された図式がある地域のある時代から得られたものであることはマルクス自身を含め、日本の宇野弘蔵など多くの論者が指摘するところである。それゆえ、それ以降、いわゆる第一次、第二次、第三次産業の比率など産業構造が大きく変化していった結果、現代の経済的状況にマルクスの図式をそのまま当てはめることは妥当ではないとする論者も多い。まして、AIが人間労働に取って代わろうとする今日ー近未来を考える時に、マルクスを参照することなど時代錯誤も甚だしいと思われるかもしれない。

 だが、経済のあり様が、人間労働の占める位置とともに大きく変動しいようとしている今だからこそ、近現代世界を成立させていた資本主義経済を徹底的に分析したマルクスを読み直すことに、大きな意味があるとぼくは考える。

 W=c+v+m(W;商品の価値、c;不変資本 v;可変資本 m;剰余価値)

 この式が、マルクスの資本主義分析の根本である。具体的には、c;生産のための機械と原料 v;労働力(商品)である(かなり大ざっぱではあるが、以下の議論では、このような捉え方で問題ないと思う)。

 vとmは共に労働者が生み出す価値だが、vは労働力の再生産費用として労働者に与えられる賃金、資本家から見ると労働力の買い取り価格である。mは、労働者が生み出す価値のうちv以外の(剰余の)部分で、さしあたり資本家の所得と言える。

 マルクスの経済学(批判)に特徴的なのは、vを労働力「商品」の価格としたこと、即ち労働力を商品と捉えたことだが、忘れてならないのは、左辺Wもまた、商品の価格であるということである。つまり、この商品がWの価格で売れなければ、この式は成り立たない、労働者も資本家も所得を得られないということである。マルクスは、すべてが「商品」化した世界として、資本主義世界を捉えたのであった。

 売り手と買い手があって初めて「商品」は「商品」たることが出来る。では、買い手はどこにいるのか? およそ全ての労働者と資本家の所得が上の式の右辺の項となる資本主義世界にあって、買い手もまた労働者と資本家自身に他ならない(その二者の家族が購買をしたとしても、その原資は労働者と資本家の所得であるから、実質的には労働者や資本家が買い手であると言える)。即ち、生産のプレイヤーが同時に購買のプレイヤー、売り手即買い手なのである。ゆえに、労働者と資本家双方が、その所得(v+m)を商品の購入に充てなければ、W=c+v+mという図式は維持できない。(注1)

 そうした資本主義の成立条件を阻害する要因、即ち労働者と資本家が所得を商品の購入に充てられなくなる要因が、二つある。一つは、労働者の窮乏化、もう一つが資本家が蓄財や資本投下などによって、その所得の一部を商品の購入に充てないことである。

 資本主義経済は基本的には企業間の競争で成り立っているから、W;商品の価格を恣意的に上げることはできず、資本家は、c;労働者の賃金を低く抑えることによって、そして同じ賃金で長時間労働を強いることによって、m;自らの取り分を増やそうとする。労働者はその労働に見合った賃金を得られず、商品の購入が出来なくなる。

 だが、それだけでは、もしも資本家が得た収入をすべて商品購入に充てて贅沢三昧を繰り返す限り、格差は広がりそれが社会の不安定化に繋がりはするが、先の公式は破綻しない。作った商品がすべて売れるからである。

 しかし、資本主義下では、事態は決してそのようには進まない。資本の本性が、自己増殖であるからだ。そのために資本家は、生産性を高めるべく、その所得の一部を、技術革新による新しい機械の購入に充てる。その資金は、当然商品の購入には回せない。

 cの増大は、実は利潤率;m/(c+v)を下げる危険を伴うが、生産効率を上げることで分母のvを充分に小さくできれば、その下げ幅は小さくなり、利潤そのものは増大する。資本家の目的はまさにその利潤の増大であるから、新しい機械の導入=cの増大は、vの削減とバーターとなる。その結果、労働者の窮乏化は進み、また不要となった労働者は解雇される。労働者は、ますます商品を買えなくなり、収入を機械の購入に使う資本家はその穴を埋めることができない。生産効率の向上と共に商品は増産されるが、その商品はますます売れなくなる。それが、資本主義の根本的な自己矛盾であり、行き着く所が恐慌である。かくて、恐慌は資本主義経済体制に不可避に訪れる必然である、とマルクスは喝破した。

 ここ20年余りに亘る出版・書店業界の凋落は、この図式で説明できるのではないか?(注2)

 出版物の製作現場(出版社)においても、流通現場においても、特にIT技術の導入とともに、作業の目覚ましい効率化があった。手書きで送られてきた原稿を判読し、赤を入れて送り返すという作業を何度となく繰り返す編集→製作プロセスは、著者や印刷会社とのデータのやり取りで、随分労力を軽減できた。書店現場においても、販売した本から抜いたスリップを分け、それを数え上げる労力が減り、客に尋ねられた本の検索も、随分楽になった。

 その様子を見た経営者は、「これで人を減らすことができる」と判断した。その判断は、vを減らそうとする資本の論理としては正しいし、出版書店業界においてもすべてが間違っていたのではない。間違えたのは、製作現場でも流通現場でも、「本のプロは要らない。経験の蓄積がなくても、昨日今日入ったアルバイトだけでも業務は遂行できる」と判断(錯覚)したことだ。そうして、本を買っていた出版・書店現場の労働者たちがその仕事に十分な評価を与えられず、時に「切られた」。

 もちろん、業界内の人間が購入するだけでは、出版は産業として成り立たない。しかし、出版・書店産業に従事する労働者の多くは「本好き」であり、彼らの購入が産業にとって不可欠な商品とお金の流れの一部を形成していたことは、間違いない。

 更に、そうした「本のプロ」が減ったことは、業界外の読者との関係も悪化させた。すぐれた原稿を見出し一冊の本へと仕立て上げる技術、送られてきた本の価値を感じ取り、適格に仕入れ・展示し読者と出会わせる仕事を成り立たせるのは、読書と経験の蓄積に裏打ちされたセンスであり、POSデータでは無い。新技術の導入によって生産効率を上げるために最も必要なのは、導入した機械を使える人材の確保だったのである。マルクスもまた、新しい技術への資本投下によって、有能な労働者、そしてその能力に応じた報酬を得ている労働者の仕事が効率化され、生産性が上がり、その労働者の再生産に必要な賃金を生み出すための労働時間が削減された時に、それ以外の(剰余価値のための)労働時間が増え、より大きな剰余価値が生み出されて、利潤率が上がるとしている。納得のいく説明である。

 そうした利益産出構造を取り違え、労働者の(生産、消費両方における)役割を軽視した時に、もともと自己矛盾を孕む資本主義経済体制は、一気に恐慌へと加速する。それこそ、終わりの見えない出版・書店業界の不況の原因ではなかったか?(注3)

 さて、AIである。AIの進化によって、人間労働の多くの部分、多くの予想は少なくとも半分、論者によっては9割が、早晩AI搭載ロボットによって取って代わられるという(→前回)

 AI搭載ロボットは、それがいかに「人間らしく」振る舞おうと、機械である。マルクスの式においては、c;不変資本である。不変資本は、その名の通り商品に価値を付け加えない。人間=労働力商品;vがすべてcに代替された時に、剰余価値;mは発生しないのである。vが不要となれば労働者は賃金を得られないが、mがなければ資本家の収入も無い。追加の資本投下も出来ないから、資本は(その本性である)自己増殖を実現し得ない。資本主義は、自らが創り出した「怪物」によって、存立基盤を奪われてしまうのである。にも拘らず、労働者も資本家も、AIの進化を言祝ぎ、それがもたらす人間労働の無い世界にこぞって期待を寄せている。それは、一体どうしたことか?

 AI信仰者は、ぼくのこの素朴な(粗雑な)議論と疑問を嗤うであろう。人間が生きていく上で必要な商品は(サービスという「商品」も含めて)、AI搭載ロボットが生産してくれるのだから、何も心配無いと言う。例えば、前回引用した数学者小島寛之の発言、“マクロで集計すれば、AIが仕事を代替している分だけ生産物は人間の労働なしに増えているわけで、その分人類は豊かになる”。

 では、その生産物を、誰が買うのか?労働者も資本家も収入を失う状況で、どのように商品が流通し、人びとの必要と欲望を満たし、経済が成立するのか?

 何人もの論者がそこで出してくる切り札こそ、「ベーシック・インカム」である。だが、果たしてそれは、本当に有効な切り札なのか?(次回に続く)

 

(注1)vとmをすべて購入に充てても、cの分だけWには足りないように見えるかもしれない。だが、マルクスは、生産部門を部門Ⅰ;生産手段の生産と部門Ⅱ;消費手段の生産の二つの範疇に分け、部門Ⅰ(生産手段の生産)の総生産価格をWⅠ=cⅠ+vⅠ+mⅠ、部門Ⅱ(消費手段の生産)の総生産価格をWⅡ= cⅡ+vⅡ+mⅡとし、部門Ⅰで生産された生産手段は部門Ⅰ、部門Ⅱ双方の生産手段となるから、cⅠ+vⅠ+mⅠ=cⅠ+cⅡ、部門Ⅱで生産された消費手段は部門Ⅰ、部門Ⅱ双方の労働者、資本家の使用をカバーするため cⅡ+vⅡ+mⅡ=vⅠ+mⅠ+vⅡ+mⅡが成り立つと説明。どちらの式からもcⅡ=vⅠ+mⅠが導き出され、部門Ⅱ(消費手段の生産)で用いられる不変資本cⅡの価値は、部門Ⅰ(生産手段の生産)のvⅠとmⅠの合計に等しくなければならないことを導く。即ち、部門Ⅱ(消費手段の生産)において、cⅡはvⅠとmⅠに還元されるのである。

一方、部門Ⅰ(生産手段の生産)が連続していく時はどうだろうか?即ち部門Ⅰの生産物(商品)が、別の部門Ⅰの生産のcとなっていく場合である。部門Ⅰの複数の連鎖を時系列で考えれば、n番目の生産物の価値(価格)は、WⅠ(n)=WⅠ(n-1)+v(n)+m(n)、すなわち直近の生産過程の生産物にその過程のvとmを加えたものとなる。この式は、WⅠ(n)=c(1)+v(1)+m(1)+・・・・・+v(n)+m(n)と書き換えられる、すなわち最初の生産過程の不変資本(原材料);c(1)に、n番目までのすべての生産過程におけるv+mの総和を加えたものとなる。

ところで、原材料の発掘以前まで遡れば、cは限りなく0に近くなると言える。そして、マルクスの定義ではc(1)は商品生産において価値を上げることなく(それゆえ「不変資本」と呼ばれるのである)、生産過程の系列がどれだけ続いてもその価値は増大しない(=限りなく0に近いままである)。それゆえ、vとmを抜きにしたcの値は、産業の総体を考える時、無視してよいと言える。その意味では、労働価値説は、必ずしも的外れではない。

(注2)確かにマルクスは、先の式のm;剰余価値が資本の増殖をもたらすのは産業資本即ち商品の製作過程に限っており、流通過程では流通経費を極力抑えて制作過程の利潤、資本の増殖に寄与する(邪魔しない)ことが出来るだけであるが、寡占や合併・グループ化による企業規模の拡大、様々な技術革新への資本投下が進んできた今日の流通業界は、擬似的にW=c+v+mが適用できると考えても間違いではないと考える。その場合、cは仕入商品+IT技術を含めた流通現場の維持費、Wは売上高もしくは流通利益であろうか。

(注3)もちろん、インターネットの進化・インフラ化やスマホなどの端末の普及など、環境の変化が出版・書店業界の売上減に与えた影響を無視できないことは、重々承知している。しかし、この業界は、「読書離れ」だ何だと、いつでもそうした外的な要因に何もかも帰責する僻が強すぎた。その前に自分たちの考えを吟味し、自分たちの行動を反省することが先決ではないか?そう思うがゆえに、ここでは敢えてそうした環境要因は棚上げする。

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第176回掲載

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


○第176回(2017/5)

 「鉄腕アトム」の時代から、「人間の心を持ったロボット」は、人類の大きな夢であった。20世紀終盤の「第5世代コンピュータ」の挫折で一度は費えたかに見えたその夢は、IT技術の超速の進歩と、ディープラーニングによってコンピュータが「学習する」というパラダイムチェンジによって、21世紀に蘇る。「人間のような知能」を持ち、どんな目的をも達成可能な「汎用人工知能」(Artificial General Intelligence/AGI)が現実のものとなりつつあるという言説も現れた。レイ・カーツワイルは、「汎用人工知能」をはるかにしのぐ「超人工知能」(ASII)の出現を当然のこととし、人工知能が人間の能力を決定的に超える「シンギュラリティ」が2045年に起こると予言した(『ポストヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』NHK出版)。

 しかし、西垣通は「生きる」という価値軸にそって目標を設定する人間と、身体に支えられて「生きる」という衝動を持たないコンピュータが、同じような「知能」を持つことはあり得ないと主張し(第174回)、羽生善治は「将棋ソフト」の強さと進化を認めながら、「恐怖心」を持たないコンピュータには「美意識」も「時間」の概念もなく、コンピュータの将棋は、人間の将棋とは全く別物だ、と断ずる(第175回)。

 AI活用に積極的な論者にも、「汎用人工知能」の実現と活用については懐疑的な人が多い。野村直之は、人工知能開発の方向性を、「強いAI」(「人間の脳のふるまい、原理の知能を作る」ことを目指す)/「弱いAI」(「人間の能力を補佐・拡大する仕組みを作る」ことを目指す)、「専用AI」/「汎用AI」、「大規模知識」/「小規模知識」の3軸で分類、「弱いAI」+「専用AI」の組み合わせが、今のところベストであると見る。彼は、生身の人間をまるごと置き換えてしまう「強いAI」を目指そうとする海外の論調は、米国の国防高等研究計画局(DARPA)の影響もあって、人間兵士を代替する人工知能搭載のロボットを前提しているのではないか、と危惧している。そして、人間は人間の得意な新たな判定により機械向けのトレーニングデータという副産物を作りつつ本業をこなし、機械は人間たちの判断に対して、広さと精度を保管する方向が、人間と機械の役割分担の基本戦略として推奨するのである。(『人工知能が変える仕事の未来』日本経済新聞出版社)

 野村は、「強いAI」の早期実現を予言する「シンギュラリティ」論者の描く未来に対して、次のように反論する。

“そもそも、強い動機付けや責任感、倫理観といったものもAIにはありません。これらがないと誰にも指示されずに、自発的に課題を発見して取り組んだり、独自の問題解決法を思いついたりするのは困難と思われます。”

“まず、「生物が自らを進化させたように、AIがAI自身をぜんぜん違う知性を発揮できるように自らを進化させる」(たとえるなら言語を獲得するなどの根本的変化)という言い方をする一部のシンギュラリティ論者たちには、「ダーウィンの自然淘汰説によれば生物は自らを設計、進化させたことはないはずですが」と言いたいです。” 

 井上智洋もまた、「強いAI」の実現には懐疑的だ。

“AIが知性の多くの分野で人間を超える可能性はあります。しかし、知性の「大部分を超えるというのと「全てを超える」というのでは、天と地ほどの違いがあります。”

 そして、「天と地ほどの違い」を「生命の壁」と呼び、次のように言う。

“私が考える「生命の壁」というのは、全能アーキテクチャ方式の汎用AIは生命ではないので、人間が与えた範囲でしか欲望や感性を持ち得ないということを意味します。”(『人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊』文春新書)

 一方、両者とも、「弱いAI」の生産現場、ビジネス現場への導入には積極的であり、そのことによる経済の活性化については楽観的である。

 野村は、『人工知能が変える仕事の未来』のそもそもの執筆理由を、「今回のAIブームがバブルとなり、弾けて、前回と同様、産業応用が頓挫することを恐れた」ことにあると言い、「定型的なデータ処理、その典型的、定型的な解釈は、コンピュータがもともと得意な繰り返し作業、単純作業」であると指摘、「これまで自然言語の壁に阻まれて、効率化できなかった壁がAI活用で壁が取り払われつつあることを歓迎」している。

“こうして浮かせた時間を使って、全体像を広く深く把握できたところで、人間は、深い分析、追加調査、裏取り取材、交渉などに時間を割けるようになります。実に素晴らしいことと思います。”(野村前掲書)

 そして、生産現場での効率化のみならず、公的機関、商業、医療の現場においても、「弱いAI」は力を大いに力を発揮し、われわれ人間を助けてくれると構想する。

 国民生活センターや企業の利用者サポート窓口に日々集まる、大量の質問や苦情のテキストへの対応におけるコスト削減。小売店の売れ行き、在庫状況のリアルタイムの画像認識による発注、品出しの効率化支援。医療周辺のヘルスケア、介護、看護における「見守り」の課題の解決...。

 実際、AIを搭載した「ロボット」たちは、既に現実社会での活躍を開始している。

 掃除用ロボット「ルンバ」、人間とのコミュニケーションを念頭においたソフトバンク「ペッパー」などの「ソーシャルロボット」、セコムのパトロールロボット「ロボットX]等々。グーグル、トヨタというIT業界とものづくり業界の両雄は、AIが運転する自動走行自動車の実現に、激しくしのぎを削っている(河鐘基『AI・ロボット開発、これが日本の勝利の法則』扶桑社)。『日経TRENDY』(日経BP社)2017/6号は”Top Tech Trends 2017 あなたの明日を変える革命商品 買える!役立つ!人工知能&IoT”という特集を組み、ゴミ箱、傘立て、洗濯機、ぬいぐるみから 、自動車やドローンまで、日常生活に入り込む様々なAI活用商品群を紹介している。

 疲れることを知らないAI、AI搭載ロボットによる業務の効率化は、確かに魅力的であるかもしれない。原発事故現場などでの危険な作業、過酷な条件下での労働の回避、緩和について、ロボットたちの活躍を期待するのは、決して間違いではない。経済が爆発的に成長し、今や「世界の工場」の名も冠される中国では、労働者不足の解決のためにロボットの開発・普及が喫緊の課題とされているという(河前掲書)。少子高齢化が進む日本にとっても、それは他人事ではない。

 だが、すべてをAIに頼ろうとするのはいかがなものか?ビジネス現場でのAIの活用の目的を、野村は「消費者の志向に合わせたサービス」の徹底化とするが、いかにディープラーニング経たAIが休むことの無い「監視」によって膨大なデータを集めようと、それはどこまでも過去のデータである。消費者は知らず知らずのうちに自らの過去に縛られ、AIの弾き出す欲望を、つまり自らの過去の欲望を、常に現在の欲望としてして受け取ってしまうようにはならないか。その結果人間は、新しいものを生み出そうとする性向、今とは違う世界を構想する力を失ってしまうのではないだろうか。

 少なくとも、本を売るという我々の生業にとって、それは困る。読書とは、今とは違う自分、今とは違う世界の可能性を求めてなされる行為だからである。『現代思想』2017年3月臨時増刊「特集 知のトップランナー50人の美しいセオリー」に寄せた小文で、ぼくは次のように書いた。

“だが、〈未来〉を喪失した人の〈今〉は貧しい。〈今〉の躍動、〈今〉の充実は、〈未来〉に向けて成長を志向することから生まれる。成長の志向に資するべく、或いはその〈未来〉が未だ獏として見定められない時はそれを見出すために、人は本を読むのだ”。

 そもそも、現在のAIの基盤になっているディープラーニングには、大きな問題に繋がるであろう、決定的な属性がある。それは、「なぜ人工知能がそう考えたか、人間が見ても、その思考過程がわからない」ということだ。

 早稲田大学理工学術院で人工知能を研究する尾形哲也教授は言う。

“中身がわからない、だが性能がよいという技術が登場してくると、あらゆるケースでブラックボックスに直面することが想定できますよね。音声認識・画像認識・翻訳などは、少々間違ったって別にいい。そのぶん生活が便利になるのであれば、人間はそれを受け入れるでしょう。ただ自動運転ではどうでしょうか。人工知能は人間より確実に事故率が低い。だけど、事故をおこしたときに、人間がそれを受け入れられるかというと、すぐには難しいでしょう”(河前掲書)

 産業現場、医療現場、そし生活空間にAI搭載のロボットがどんどん進出していけば、いかにそれらが優秀で悪意がなくとも(悪意などがあったら、人類は早晩滅ぼされるだろう)、避けられない事故は発生する。その原因となったロボットの判断、指示が人間には理解できないこともあるだろう。それでも、AIは人間の知性よりも勝れているはずだから、事故も仕方ない、と諦めるのだろうか?「真理」「正義」は、常にAIにあると。

 特に、日本ではそうなる危険が大きい。「しょうがない」が決まり文句であるこの国、トップの思想信条に疑問が呈され、公私に亘るさまざまなスキャンダルが取り沙汰されながらも尚その支持率が下がらない、この国では。

 全く身に覚えがなくとも、「お前は国家に反逆している」「お前はブルジョワだ」と告発され、批判を浴びせられ続けると、徐々に「自分が間違っているのだ」と信じるようになっていく。そして国家の宣告に従って、粛々と死に赴いていく。大澤真幸が繰り返し引用する粛清期のソ連の状況が、思い起こされる。そうした状況下では、「自由」という概念も、そして何より「責任」という概念が、消失してしまっている。

 そうしたディストピアよりも、もっと近い将来に訪れるであろう(或いは既に始まりつつある)問題は、労働の問題である。人間が、AIに仕事の場を明け渡す、仕事を奪われるという問題だ。

 2013年、オックスフォード大学でAI研究に携わるマイケル・A・オズボーン准教授とカール・ベネディクト・フライ研究員が、「雇用の未来ーコンピューター化によって仕事は失われるのか」という論文を発表し、話題になった。彼らが702種の業種を徹底調査し、モデル化と計算機によるシミュレーションによって判明したというリストによれば、現在ホワイトカラー業務、事務業務とされている仕事や、いわゆる職人的な仕事の約半数が機械に取って代わられる、という見通しが立てられている。

 15年12月末には、野村総合研究所(NRI)が英オックスフォード大学の研究者たちと共同で作成した『日本の労働人口の49%が人工知能やロボット等で代替可能に?601種の職業ごとに、コンピュータ技術による代替確率を試算』というレポートが日本社会で物議を醸す。

 ライス大学のモシェ・バルディ教授は、2016年2月に行われた米国科学振興協会(AAAS)の年次総会で、人工知能、およびそれらを搭載したロボットが、将来的に人間の失業率を50%まで引き上げ、格差が拡大するというシナリオを予言した。

 井上智洋は、“機会が人々の雇用を順調に奪っていくと、今から30年後の2045年くらいには、全人口の1割ほどしか労働していない社会になっているかもしれません(2015年度の就業者数は全人口のおよそ半分の6400万人)”と言う。

 多くの論者が、「AIによる大量失業」の可能性を否定しない。だが、AI推進派は、そんな心配をものともしない。井上は、次のように言う。

“技術進歩は常に技術的失業を生み出す危険性を孕んでいますが、それゆえにこそ経済を成長させます。”

 小島寛之が“マクロで集計すれば、AIが仕事を代替している分だけ生産物は人間の労働なしに増えているわけで、その分人類は豊かになる”(「東ロボくんから見えてきた、社会と人類の未来」新井紀子との対談『現代思想』201512 特集人工知能)と言っているのも、同趣の発言である。

 要するに、人間が仕事をやめても、AIがそれを引き継ぎ、飛躍的に発展させるから製造も流通も、産業は大丈夫だ、心配無用ということか。

 井上は更に続ける。

“AIやロボットの発達に限らず資本主義経済では絶えず技術進歩が起こっており生産性が絶えず向上しているので、マネーストックも絶えず増やさなければ需要と(潜在)供給の均衡は保たれません。”

“中央銀行がマネーストックを増やし、私たち「家計」の手元にあるお金も増えたとします。そうすると、私たちはよりお金持ちになっているのだからより多く買い物することになり需要が増大します”。

 要は、AIやロボットがどんどん生産性を向上させるので、その分インフレの心配なくお金を刷ればよい、そうして消費者にお金を分配すれば重要が増大し、未来の経済についても全く心配は無い、そういうことだろうか?本当に、そんなに簡単な図式で、物事が進むだろうか?マネーサプライの増大による経済浮揚策は、近年明らかに失敗を続けている。

 国民の1割しか労働していないのであれば、刷ったお金を賃金報酬として渡す、配分することは出来ない。井上は、いささか唐突に、「ベーシックインカム」を言う。「唐突に」というのは、ひょっとしたらぼくがそう感じただけのことかもしれない。野村直之もまた、“仮に今後、AIの発達のおかげで、機械が労働の多くを肩代わりして、人間はベーシック・インカムに支えられて自由に、対価を気にせず、様々な形で表現を行う時代が来るとすれば”と、ベーシックインカム導入を想定しているからだ。

 ぼくが「唐突に」感じたのは、2000年代、拡がる格差と絶対的貧困を無くすために議論されたベーシックインカムが、AIがつくった物を購入・消費して経済を回すということのために安易に「登用」されたことに対する違和感によるのだと思う。「仕事は、AIに任せろ。人間は働く必要は無い。ベーシックインカムをやるから、AIがつくった物を、ひたすら消費しろ」というのは、ちょっと違うのではないか。それがユートピアだとは、ぼくにはどうしても思えない。第一、一握りになるであろうAI技術の所有者、即ち産業の独占者と政治権力が、何の恣意的な操作もなく、手に入れた利益をベーシックインカムとして公平に分配するだろうか?

 少なくとも本屋にとっては、人びとが労働を奪われた状況は、困る。本がますます売れなくなるからだ。仕事がなくなれば、その仕事のための資格書は存在理由を失う。また、そもそも仕事に就かない人が、自己啓発書を初めとしたビジネス書を買うこともない。書店の売上を確実に支えてくれていた多くのジャンルが、絶滅していくに違いない。

 仕事がらみの本だけではない。ぼくが『現代思想』に書いたように、そもそも本を読むモチベーションは、成長への志向を前提にしている。多くの人にとって、仕事におけるスキルアップは、収入という面に限定されず、自らの成長の大きな指標である。だから、絶滅の危機に貧するのは、「仕事に直接役に立つ」ビジネス書だけではない。思想や文学、ノンフィクションも、危ない。「人工知能」フェアを前に、ぼくは「これは、何か大変なことが起こりつつあるのではないだろうか」と思った(第174回)一番の動機は、そこにある。

 だが、ぼくが「AI信仰」を危ういと思うのは、出版・書店業界に身を置く者のエゴイズムだけではない。人間の労働というファクターを除外して、そもそも経済が成り立っていくのだろうかが、最大の疑問なのだ。そのことを考えるために、労働の商品化、そのことによって生まれる剰余価値を、資本主義経済の不可欠な動因と喝破した偉大な先人の思索を参照しなくてはならない。

 その先人とは、言うまでもなく、カール・マルクスである。(次回に続く)

 

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第175回掲載

人工知能と人間の違いについての内容です。

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer175.htm

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


○第175回(2017/4)

 1996年、IBMのスーパーコンピュータ「Deep Blue」がチェスの世界チャンピオンを打ち負かす一年前、『将棋年鑑』に、プロ棋士への「コンピュータがプロ棋士を負かす日は?」というアンケートの回答が掲載された。多くの棋士が「そんな日は来ない」と答える中、「その日」をほぼ正確に「2015年」と予測したのが、若き日に頂点に登りつめ、タイトルを総ナメにしていった天才棋士、羽生善治である。

 奇しくもその2015年、NHKスペシャル「天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る」(2016年5月放送)の番組作りがスタートした。『人工知能の核心』(NHK出版新書 2017年3月)は、羽生とNHKスペシャル取材班のプロデューサーとディレクターが、その取材を元に執筆した本である。

 コンピュータがプロ棋士を負かす日を「2015年」と答えたのは、決して羽生の「敗北宣言」ではない。進化し強くなっていく将棋ソフトと対戦しながら、羽生は人間の将棋とコンピュータの将棋が全く「べつもの」であることを肌で感じたに違いない。「人工知能を探る」羽生のモチベーションは、その「ちがい」を見極めたいという思いから生まれたと思われる。

 「べつもの」だから、人間vsコンピュータの勝ち負けは、もはや大した問題ではない。羽生は、次のように言っている。

 「私がコンピュータ将棋に関心を持っているのは、コンピュータ将棋がどれほど強くなるかよりも、人間と同じような手が指せるようになるか、についてです。あるいは、人間よりも強くなったコンピュータの考えた手が、はたして本当の意味でベストなのかどうかを知りたいと思っています」

 NHK取材班とともに取材を進めながら、羽生は人間と人工知能の違いを見出していく。人間の強みは、あることを学習すると他の状況にも応用できる「汎用性」である。一方、現状の人工知能でそうした「汎用性」の実現はまだ難しいが、一方コンピュータが桁違いの計算能力を駆使して学習していくディープラーニングにおいては、機械には学習できるけれども、人間には学習できないブラックボックスが存在する。いわば、互いに相手の手の内は見えないのである。

  羽生は、人間の将棋と人工知能の将棋の違いを、次のように総括する。

 “人間が「直観」「読み」「大局観」の三つのプロセスで手を絞り込んでいくとすれば、人工知能は超大な計算力で「読み」を行って最後に評価関数で最善の一手を選ぶという形になります。

 ここで人間にあって人工知能には無いのが、手を「大体、こんな感じ」で絞るプロセスです。棋士の場合には、それを「美意識」で行なっていますが、人工知能にはどうもこの「美意識」にあたるものが存在しないようです。”

 「美意識」とは、しかし、その効用が覚束ないものではないか?強固な理論に基づき、精緻な計算によってプログラムされた人工知能の指し方の方が、結局は合理的で、強い指し方であるように思われる。実際、年を経るにしたがって、勝負は、人工知能に歩がよくなってきている。

 しかし、その〈覚束なさ〉が、実は大切なのだ。

 AIを論じる多くの著者が引用する、ダニエル・デネットが「フレーム問題」を解説するために作った次の例え話を、羽生も引いている。

 ロボットが、爆弾が載っているバッテリーを取り出してくる、という課題を与えられる。だが、いかなる指示の仕方をしても、ロボットは「バッテリーを救い出す」という使命を果たすことが出来ない。問題状況を無視して直接的な指示だけに固執するか、問題状況を把握しようとして計算をはじめ、時間切れになるかである。

 覚束なくても前進できる、ある選択肢に賭けることができることが、人間が行動するにあたって不可欠の、そして最も有用な武器なのだ。

 羽生は、「棋士が次に指す手を選ぶ行為は、ほとんど「美意識」を磨く行為とイコール」であると言い、「筋の良い手に美しさを感じられるかどうかは、将棋の才能を見抜く重要なポイント」だと指摘する。

 一方、人工知能だから指せる手、と感じられる手もあるのだという。

 それは、人工知能に「恐怖心がない」ことに起因する「通常なら怖くて指せないような、常識外の手」である。

 人工知能に「恐怖心がない」ことは、理解できる。人工知能は「死なない」し、歳も取らないからだ。

 更に羽生は、「人工知能には「時間」の概念がない」とも言う。人間に取って「指し手 」は、勝負の流れの中の一手であるが、人工知能にとっては、「一つ一つの局面はあくまでも静止画像」である。それゆえにこそ、現在の人工知能の手法が使えたのだろう、と言う。

 おそらくは、「時間」は、「恐怖心」と同じ根を持つ。「死」である。人間は、生まれてから死ぬまでの、有限でかつ決まった時間しかこの世で持てないからこそ、「時間」の概念を持つことが出来るのだ。

 人間は、計算に時間がかかるが故に「時間」の概念を持ち、データの検証が不十分でも、 「時間」内に行動するために「端折る」。一方人工知能は、「時間」の概念を持たないがゆえに「時間」内におさめるという発想ができず、デネットのロボットのような失敗に陥ってしまうのだ。実際、人間は、サンデルが示したような倫理学上の難問に対して多くの場合、もっともプラグマティックな方法で対処する。考えずにスキップしてしまうのである。

 勝負の流れの中で一手一手を、時に説明し得る根拠もなく選んでいく棋士と、局面の静止画像の一枚一枚に対して最善手を計算し提示していくコンピュータは、同じ盤面に向かっていながら、していることが全く違うのである。逆に、その違いを明確に理解していればこそ、天才・羽生善治は、人工知能とその棋譜に、将棋を学ぶことができると確信するのである。

 時代を遡ること約20年、障害児教育という、羽生とは全く違ったジャンルで、人工知能の開発に学ぼうとしたのが、東北大学の渡部信一である(『鉄腕アトムと晋平君 ロボット研究の進化と自閉症児の発達』ミネルヴァ書房 1998年11月)

 渡部は、ロボット開発の現場で「人間らしいロボット」を作ろうとしている研究者が、「第5世代コンピュータ」の失敗を経て、「人間らしさとはどういうことか?」を追求しようと必死になっているということを知る。彼らが選択したのは、「記号計算主義」からの脱却であった。それまでのロボット開発を支えてきた「記号計算主義」では、実験室の中ではうまく動いていたロボットが、実験室を出たとたんに全く動けなくなってしまったのである(渡部もまた、羽生が参照したデネットの例えを引いている)。

 言い換えれば、人間は、記号計算主義では説明できない、直感的認識によって動いているのだ。現存する世界最古の機械計算機「歯車式加算器」を1642年に発明したパスカルは、人間の「知」には幾何学的には扱うことのできない側面があることを主張した通りだったのである。パスカルは、言った。
“人間の心は、技術的法則には頼らず、暗黙の内に、そして自然に直感を働かせる。”

 渡部は、同じ失敗を、「単純なものから複雑なものへ、スモール・ステップで発達していく」という、当時の自閉症児教育の常識に見出す。自閉症の子どもたちには、教室や訓練室で学習したことが他の場面でできなくなってしまう「般化困難」が、大きな問題だったからである。

 渡部は、問う。“自閉症児に対する訓練自体に「ある状況で学習したことが他の状況では使えない」「教わったことしか実行できない」という特徴があるのではないのだろうか?”

 そして、「訓練」の有効性に疑問を覚えた母親がむしろ同世代の子どもたちの中に「放り込む」ことによってスクスクと成長した晋平君の事例の聞き取りを通じて、あらかじめプログラムされた「訓練」への疑念を深めていく。

 成長の過程で、晋平君は、数々の失敗を犯す。教師たちも、〈晋平ママ〉の方針に、しばしば反対する。しかし、そうした失敗の連続の中で、晋平君は、確実に成長していき、当初困難だったコミュニケーションの能力を獲得していく。

 晋平君の成長過程を聞いた渡部は確信する。

 “人間の知能の柔軟性ってものは「誤りを犯すかもしれない」という代償をはらうことによって はじめて可能になる。〈ヒューリスティクス〉とは、「誤りを犯しながら何とかうまくやっていく」ことなのだ”と(「水に入る前に泳ぎを習うことはできない」と言ったヘーゲルを思い出す)。

 渡部は、のちにIT技術を駆使した伝統芸能の伝承に挑み、その可能性と限界について纏め(『超デジタル時代の「学び」 よいかげんな知の復権をめざして』新曜社 2012年2月)、神楽舞の動きそのものは、ITでかなり正確に伝えることができるが、その動きを支える師匠の〈思い〉は、共に生活することによってしか、伝えることはできない、と「内弟子制度」の意義を論じている(この渡部の議論に、ぼくは『紙の本は、滅びない』(ポプラ社 2014年1月)114頁以下で、言及した)。

 教育においても、そして人工知能の進化においても、ただ予め与えられたプログラムにそってなされることよりも、失敗を恐れず、環境に放り込まれることが、より有効であり、大切なのだ。そのことの認識から、人工知能のプロジェクトにおいて、ディープラーニングの発想が生まれたのだろう。

 羽生もまた、成功よりも失敗の経験の重要性を指摘する。

 “大事なのは、実は「こうすればうまくいく」ではなく、「これをやったらうまくいかない」を、いかにたくさん知っているかです。取捨選択の「捨てる方」を見極める目こそが、経験で磨かれていくのです。”

 「間違う」「失敗する」こと、そしてそれらを経験として蓄積することに関しては、人間が人工知能に勝ると考えてよいだろう。「「この問題は間違えて悔しかった」という感情や、あるいはその問題を以前にミスしたときのシチュエーションなどと関連付けて覚えること」は、人間の方が得意なように思われる。なぜなら、人間は常に「死」の可能性と共にあり、かつそのことを認識している存在だからである。それゆえにこそ、「恐怖」という感情も起こる。「恐怖」は失敗経験を強烈に人間に刷り込み、「捨てる方」を見極める目を育てる。その目こそ、デネットの例に登場するロボットに欠けていたものである。

 『人工知能の核心』を、NHK取材班は、次のように総括する。

 “あらゆる「成功(正解)」を瞬時に弾き出す人工知能を前に、私たちができることは、「失敗」なのかもしれない。リスクを前にしてもひるまず、自分の決断を信じて進む。それが、私たちに残された道なのではないか。”

 人工知能に取って代わられないための人間の武器、それは〈勇気〉に他ならない。

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第174回掲載

AI=人工知能についての内容です。

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「本屋とコンピュータ」TOPページ

*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


○第174回(2017/3)

 きっかけは、やはり店頭にあった。

 去年の秋頃、数ヶ月前から平台で展開しているAI=人工知能のフェアに並ぶ本たちを眺めているとき、突然「これは、何か大変なことが起こりつつあるのではないだろうか?」という思いに襲われたのだ。いくつかの本をめくっているうちに、「やはり、これはただ事ではない」という思いを強くした。これだけ関連書が出ているのに、事の重大さに気づかなかった自分の不明を恥じた。

 刊行時にはスキップしていた『現代思想』2015年12月号「人工知能」を手始めに、何冊かの本を読んだ。そして、確信した。AI=人工知能問題は、単にテクノロジーの進歩云々という話ではない。労働のあり方、経済のあり方、社会のあり方を直撃し、人間の生き方そのものをドラスティックに変えてしまう可能性さえ秘めている。人類が選択を誤った時、引き返すことの出来ない坂道を転がり落ちていくことになるだろう。少なくとも本の世界にとって、その脅威は電子書籍の比ではない、と。

 

 第二次世界大戦後に発明されたコンピュータは、PC、インターネット、スマホと、その形態を変貌させながら、確実に、そして加速度的に進化してきた。論理演算を駆動力とするコンピュータには、「人工知能」としての役割が当初から期待されていた。「人工知能 Artificial Intelligence」=AIという名称は、1956年のダートマス会議で採用されたと言われている。1980年代には、第2の波が来る。「第5世代コンピュータ」という流行言葉を思えている人も多いだろう。

 だが、「第5世代コンピュータ」のプロジェクトは、機械による「パターン認識」の困難さや、いわゆる「フレーム問題」などにぶつかり頓挫し、また、90年代半ばからのインターネットの圧倒的なプレゼンスを前に、「人工知能」は表舞台の話題から消えていった。

 しかし、水面下では技術の進歩は留まることなくすすみ、21世紀になって再び「人工知能」が脚光を浴びてきたのである。その劃期は、2005年、レイ・カーワイルが『シンギュラリティは近いー人類が生命を超越するとき』で、「2045年にコンピュータが全人類の知性を超える」と、大胆に予言した時かもしれない。具体的に「いつWhen」が入った予言、コンピュータが人類を超える時点を表す「シンギュラリティ Singularity」(技術的特異点)というキイワードも馴染みやすい。実際にIT技術の目覚ましい進化を見て育ってきた人々の間に、「シンギュラリティ」仮説は拡がっていった。おそらくは、畏れと希望の療法を伴いながら・・・。

 もちろん、「シンギュラリティ仮説などトンデモ科学だ」と相手にしない人もいるし、少なくとも意思や感情を持つ「人間そっくり」の万能人工知能=「強いAI」の出現には、懐疑的な論者が多い。だが、一定数の賛同者もいて、「シンギュラリティ仮説」は、ある程度世の中に受け入れられていると言っていい。多くの人は、次に何が来るか分からないIT技術の不連続な発展を経験しているし、コンピュータは、1997年にはチェスの世界王者に、その後将棋や囲碁においても人間に対して勝利をおさめてもいる。

 「人工知能」が21世紀になって「復活」した理由は何か?

 ひとつは、コンピュータの計算能力のさらなる増大である。だが、それはコンピュータが誕生した時から途切れることなく続いてきたことであり、何ら目新しいことではない。確かに能力はグンと上がったかも知れないが、それだけが原因なら、「第5世代コンピュータ」プロジェクトの密かな継続が花開いたにすぎない。しかし、そうではない。

 21世紀に「人工知能」を復活させたもう一つの理由は、「ディープラーニング」の概念が、コンピュータのあり方(本質といってよいかもしれない)を大きく変え、それが再び「人工知能」への道を切り開いたことである。

 ディープラーニングでは、まず、入力層になんらかの認識・分類対象となる生データを与え、その認識結果・分類結果の正解を出力層に与える。この作業を適切に多量に行って、機械をトレーニングしていくのである。(『人工知能が変える仕事の未来』野村直之 日本経済新聞出版社』P173-4)

 これは、基本的には人間の教育と同じである。大量の練習問題を解かせて、すぐに答え合わせをやり、それを繰り返すことによって正解を得るためのチェックポイントを記憶させているのだ。野村直之は、「学習・教育というより、調教の方が相応しい」と言う。

 コンピュータの立場で言えば、これまでは予め与えられたプログラムに則って同じ作業を繰り返していけば良かったが、与えられた大量のデータを処理しながら、それらを覚え、その後の作業に活用していかなくてはならない。すなわち、コンピュータは、変わる=成長することができるように、否成長しなくてはならなくなったのだ。

 データラーニングは、人間だってやっている。人間もまた、さまざまな問題に出会い、それを解決したり、解決に失敗したりして学び、成長していく。ただ、その問題の数が、処理するデータ量がコンピュータよりも著しく少ないだけである。

 そうした、新しいコンピュータのあり方と人間の像の重なりが、「人間そっくり」の人工知能がやがて、或いはすぐにも生まれるという発想を生み出したのだ。人間の学習と同質のデータラーニングで学び、成長するうちに、人間と同じように意思や欲望を持つコンピュータが生まれるのではないか、と。

 ディープラーニングは、もちろん「ビッグデータ」との親和性が、そして相互因果性がある。ビッグデータが存在するからこそ、コンピュータのディープラーニングが可能となったのであり、逆にコンピュータの処理能力の急激な進化があったからこそ、ビッグデータの解析が可能になり、ビッグデータの発掘収集に意味が生まれたのだ。

 実際、インターネット社会を生きるわれわれは、「リアル社会」ではヒステリックに「個人情報保護」を叫ぶ一方で、ネット空間にさまざまな個人情報を喜んで提供している。ネットで買い物をするときには、名前・住所・電話番号・メールアドレス・年齢・性別を簡単に企業に知らせ、ブログやSNSでは、個人的・日常的な出来事を事細かに漏出する。それらをコンピュータが処理して加工した結果をこそ「自分の真の姿」を思い込み、Amazon他のネット企業が「レコメンド」するものを、疑いもなく受け入れている。コンピュータとビッグデータの相乗効果の進展には、データが有用だという大前提がある。コンピュータが膨大なデータを掬い上げ、弾き出した行動指針は常に正しく、その結果も含めた人間の行動や言表のデータの集積は、必ずコンピュータを「賢く」する、という前提である。だが、その前提は本当に正しいのか?

 マイクロソフト社が開発した「テイ」( TAY)というオンラインAIは、ツイッター上の人間のつぶやき合いなどを基に学習し発達した挙句、ヒットラーを賛美したり、ヘイトスピーチを繰り返したり、卑猥なことをつぶやいたりするようになったという。

 データを提供する人間が賢くならない限り、AIも賢くなるはずがないのだ。そしてAIが「成長の糧」とするビッグデータが棲まうネット空間は、似た言説が凝集し対論を見えなくさせ、極論をますます先鋭化させてヘイトスピーチを養っていくような、そんな空間なのだ。そうした、人間の愚かさに塗(まみ)れたビッグデータによって「学習」した人工知能が、どのように人間の知を越えていくと言うのだろうか?

 ビッグデータの「学習」によるコンピュータの「進化」とは、発明当初のコンピュータのあり方から言えば、「退行」とも言える。もともと、コンピュータは、最初に与えられたプログラムから厳密な論理計算によって推論していく、演繹(ディダクション)的な機械であった。ところが、ビッグデータによる「学習」は、大量のデータを読み込んで蓋然的な結論を引き出す、帰納的推理(リダクション)もしくは仮説推量(アブダクション)である。推論の過程のそうした変更によって、確かに人間の「パターン認識」に近い作業が可能になったかもしれないが、推論の真理性においては確実に劣る。

 それは即ち、人工知能の知が人間の知に近づいたことを意味するのではないか、と「人間そっくり」の人工知能を夢見る人たちは反論するかもしれない。だが、そもそもコンピュータの知と人間の知の間には、決定的な違いがあるのだ。

 茂木健一郎は、言う。

 “意識は、「今、ここ」という限定の下で、有限の資源に基づいて外界を認識し、適切な行動をとるために進化してきたと考えられる。”(『現代思想』2015年12月号P60)

 それに対して、今目指されている人工知能の知は、膨大ではあるがあくまで過去のデータの集積に基づいたものである。

 西垣通は、「生物と機械のあいだの境界線とはいったい何か?」が基調テーマであるという『ビッグデータと人工知能』(中公新書)で、生物と機械の違いを次のように述べる。

 “コンピュータとは純粋に「過去」にとらわれた存在だ。設計者は過去のデータや処理結果をふまえて論理空間を組み立て、そこで未来のデータ処理方法を決定するのであり、いちいち現在時点での判断でデータを処理しているわけではない。”(P106)

 “コンピュータにかぎらず、一般に機械とは再現性に基づく静的な存在である。再現性を失ったら、それは機械ではなく廃品だ。これに対して、生物とは、流れ行く時間のなかで状態に対処しつつ、たえず自分を変えながら生きる動的な存在である。この相違は途方もなく大きい。”(P107)

 “ビッグデータの分析とは所詮、過去のデータを統計的に整理した結果にすぎない。要するに、生物はリアルタイムで現在に生きている存在なのにたいし、機械はあくまで過去のデータによってキッチリ規定される存在だということだ。”(P154)

 即ち、機械の作動はあくまで過去の再現であり、生物の行動は常に「今を生きる」ことなのである。

 “人間の目標設定は「生きる」という価値軸にそっておこなわれる。・・・それなら、身体に支えられた「生きる」という衝動をもたないコンピュータは、いったいどのような「知能」活動をするというのか?”(P148)

 「生きる」ことは、未来に向かって、今において行為することだ。その行為によって自分を絶えず変化させながら。「生きる」ことのゴールは、「死」である。「生きる」ことの背後には、常に「死」がある。そして、人間は、そのことを知っている。

 「生きる」ことの否定である「死」を目指して生きていく人間、そのことを知っていながら、あたかも知らないかのように行為する人間、そうした人間の姿を、悲劇の主人公たちに見出すのが、福田恆存の『人間、この劇的なるもの』(新潮文庫)である。福田は、ハムレットに、そうした人間の典型を見出す。それが劇中の人物だということが、茂木や西の人間観と共振する。演劇とは、「今」の現前そのものであり、過去も未来も、プロットが進行し登場人物が行為するその「今」との関わりの中でのみ存在するからである。

 福田はいう。

 “行動というものは、つねに判断の停止と批判の中絶とによって、はじめて可能になる。”(P139 )

 “もし資料が十分に出そろってから行動に移るべきだとしたら、私たちは永遠に行動できぬであろう。資料は無限であり、刻々に増しつつあるものであり、のみならず、行動によってのみ、あるいは明らかにされ、あるいは新しく発生するからだ。”(P140 )

 過去のデータに頼って生きることは、福田のいう「行動」を阻害する。それは、これまでの人間の「生き方」を否定、あるいは「生きる」ことそのものの否定に繋がると言えるかもしれない。

 こうした、過去のデータに頼る姿勢は、AI社会の本格的な到来を待たず、既に蔓延し始めている。そのことが、AIの実現を更に強く待望させる。

 

 出版・書店業界においても然りである。POSデータを元に、膨大な販売データが作成され、該当部署から、そしてあちこちの出版社からも次々に送られてくる。それらを作る方も見る方も、かなりの時間を取られる。本来そのデータを更にスピーディに解析し、「適切」なアドバイスを与えてくれるヒューマンフレンドリーなAI無しにデータだけが氾濫する状況は、「過渡期の地獄」と言うべきだろうか。

 だが、過去の販売データに頼ることが我々の仕事に有効かというと、そうは言いきれない。一度買えば通常二度と購入することのない本という商材は、未来の販売数が過去の販売数に対して、傾きが正の関数には決してならない。過去に売れたから注文しようという類の単純なデータ利用は、必ず返品の山を生むのである。

 「目の前に迫っている」AI社会に対抗するために(より穏健にいえば「対応」するために)必要なのは、いまだ実現していないAIに既に頼ろうとしている心性を、今日の段階で、個人的にも社会的にも振り払うことだと思う。

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第173回掲載

出版業界と他業種の流通についての内容です。

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。


○第173回(2017/2)

 出版業界の2017年は「出版物流の危機」宣言で開けた。但し、物流の問題は、通販会社や宅配業者にも、困難な課題を与えてきている。例えば「再配達」の問題は、受取人不在時にも荷物を受け取れる「宅配ボックス」普及を国が補助するほど切迫している。ウォルマート・ドットコムで注文した商品を最寄りの店で受け取る「サイト・トゥ・ストア」というシステムも登場した。通販のコンビニ受取のしくみも、徐々に浸透してきた。ならば、注文した本を書店まで取りに来てもらってもいいのではないか?(hontoサイトで注文した本を丸善ジュンク堂の店舗で受け取ることが出来る。)その時新刊にも出会える。何か新しい発見があるかもしれない。「注文した本を取りに本屋に行く」と行為は、読者にもメリットがあるはずだ。(→第172回)

 そこで言う読者のメリットとは何かを、今回は考えてみたい。それは、商品の魅力的な受取場としての書店の条件を探ることであり、読者が家で本が届くのを待つのではなく、24時間営業で家から歩いて行けるコンビニで受け取るのでもなく、書店まで取りに来る、そのモチベーションを維持するために必要なのは何なのかを考えることだ。

 ライバルはもはや同業他社ではない。自宅に居ながらネット画面で商品を探し、データベースでやカスタマーレビューなどを見ながら自分が読みたいものを選択、クリックしてあとは自宅で待つのみ、そうした通販に慣れた読者を改めて書店に足を運ばせるだけのプラスアルファを、書店はどのように生み出し、アピールしていけばよいのか?この問いは、ネット通販が当たり前になった今日、なお店舗の存在理由はどこにあるのか、と言い換えられるかもしれない。

 著者角井亮一は、ネット通販とリアル店舗の両方を活用するハイブリッド戦略の成功例のいくつかを紹介している(『アマゾンと物流大戦争』NHK出版新書)。

 メガネのネット通販「ワービーパーカー」は、ネット通販サイトでありながら米国内に37店舗を展開しているが、驚くことに店内に在庫を置いていない。訪れたお客は商品を試着し、気に入ったメガネが見つかれば、検眼を受けてから、店に置かれたタブレット端末を使って注文、数日内に宅配で商品が届く仕組みだという。在庫を置かない代わり、店舗はワービーパーカーとお客が接点を持つ場としてデザインされているのだ。

 また、これまでにない素材やデザインにこだわったデニムのジーンズやパンツをヒットさせている男性向けアパレルブランド「ボノボス」も、店舗で商品をチェックして、オンラインで購入するスタイルをとっている。更に、「ボノボス」は、顧客に時間予約を推奨している。予約時間に「ボノボス・ガイドショップ」を訪問すると、ボノボスガイドと呼ばれる専属のスタイリストから様々なアドバイスを受けることができ、ビールなど飲み物のサービスもふるまわれる。「ボノボス」では、「その場で商品を買うことによって得られる瞬間的な満足感より、サービス全体が重要」と、店舗では、相談やもてなしを第一に考えているのである。

 1964年創業の、世界最大級の楽器販売チェーン「ギターセンター」も、店舗での販売とネット通販を融合させている。ここでも、あらかじめオンラインで店舗在庫を確認することと共に、他店や物流センターからの取り寄せを勧めている。

 「ギターセンター」がユニークなのは、各店舗の店長はもとより、同社のスタッフほぼ全員が熱心な音楽マニアであり、楽器を演奏することができる点である。その豊富な知識を活かして、楽器や音楽に関するあらゆる情報をSNSなどで発信し、顧客の好評を得ている

 これらの例から、今日の店舗の存在理由が仄見えてこないだろうか。そう、店舗とは何より顧客との関係を取り結び、顧客をもてなすことによってその関係を強固にしていく場なのである。

 そうした場であることを実現していくための店舗スタッフの条件は、第一に専門性である。角井は、日本の例として、「ヨドバシカメラ」の接客を高く評価している。

 “何よりも店員のみなさんが豊富な製品知識を持っており、接客のレベルが高い、私の贔屓目もあるかもしれませんが、「どの家電を買えばいいかわからない」というときに一番適切なアドバイスをもらえるのは、やっぱりヨドバシカメラです。顧客を第一に考える企業文化が培われているからこそ、ネット通販でも顧客の要望に応えるため、コストがかかっても高い物流品質を維持できる自前配送にこだわっているのだと思います。”

 店員の製品知識の豊富さと共に、顧客にとって有利ならば躊躇なくネット通販利用を薦めることも、顧客にとって魅力的だ。ネット通販のヨドバシ・ドットコムに自信があればこそ、店舗をあえてショールームにし、丁寧な接客を武器にネット通販で買ってもらい、顧客が持ち帰る負担を軽減しているのだ。そして、ネット通販なら、率の高いポイント還元もあり、リピート購入につなげやすく、顧客の囲い込みにも繋がる。実際に店舗を運営している者から見ると、「店舗で売り上げても、ネットで売り上げても、ヨドバシカメラの売上なのだから同じだ、という意識が社員全体に共有されている点」がすごい。

 ここにも、書店現場に今必要とされている意識改革の雛形がある。そして、こうした顧客の利便性を何より優先する姿勢が更に進んで、自社の通販部門はもちろん、たとえそれが同業他社でもかまわない、どうしても自分の店で買って貰おうというのではなく、「どこで買ってくださってもいい」という思いが、実は有効であるとも思うのだ。そうした姿勢は必ずファンの獲得につながり、やがては自社、自店の売上に大きく貢献してくれると、ぼくは信じる。「損して得取れ」である。

 ヨドバシカメラとは別の文脈であるが、角井は日本の例として、老舗百貨店「大丸」の「先義後利」を紹介している。噛み砕いて言えば、「まず相手のことを考えて行動しよう。そうすれば利益は後からついてくる」という理念である。「おもてなし」が必ず利益を連れてくるという信念である。

 但し、書店の場合、ヨドバシカメラとは同じようにいかない事情がある。商品範疇も商品数も多すぎて、大抵の場合顧客の商品知識が店員より勝っているという事情である。逆にいうと、だからこそ商品購入方法については、顧客再優先の柔軟さが大切なのである。「何としてもわが店で買っていただきたい」という姿勢では、その柔軟さを持てない。

 ワービーパーカーやボノボスの「おもてなし」の仕組みが登場した背景の一つは、ファッションブランドがそもそも体験価値であり、ブランディングが重要な分野であることだ。そのことは、書店にとっても大いに示唆的である。それらのブランドショップでは、商品そのものと同時に、その場でのスタッフとの体験そのものが価値なのであるが、そもそも書店は、紙の束ではなく読書体験を売っているのであり、書店で本を選ぶという行為こそ読書体験の第一歩であり、書店でのスタッフとの対話は読書体験の入口、と言えるからだ。

 だが、繰り返すが、書店員が読者よりも商品について詳しいケースは少ない。書店とは、著者というプロと読者というプロを書店員というアマチュアが繋ぐ場なのだ。何がそのことを可能にするのか。商品知識で凌駕できない書店員との対話で、お客様を満足させることを担保するのは何か。商品の内容ではなく、付随的な情報であるかもしれない。だが、インターネットが普及した今、そうした情報もお客様の方がより多く持っている場合の方が多い。

 書店員にとっての最後の砦は、やはり自身の読書体験だと思う。今求められている本、今相談されているジャンルについてお客様ほどの知識がなくとも、読書体験さえ豊富であれば、お客様がその本を読みたいという気持ちは理解でき、その共感のもとで対話は有意に進行しうるからだ。それぞれが得意とするジャンルが違っているからこその、新しい発見もあるだろう。そうした発展的な対話こそ、書店の顧客=読者を満足させるものだと信じる。

 ネット通販も盛んな「ギターセンター」の店舗に集まる顧客は、熱心な音楽マニアである。迎えるスタッフもまた熱心な音楽マニアであることが、店舗での対話を増進し、店舗の居心地の良さを醸し出していることは間違いない。

 書店にポスレジが入り、SA化が進行した時、「これからは、本に詳しい書店員はいらない」という誤った考えが蔓延り始めた。ぼくは、そのことを憂慮し、強く反対した。機械は、技術は、顧客と同じ思いのもとにそれを使いこなす人があってこそ、生きるからだ。

 そう、人間が「使いこなす」ことこそ、IT技術を生かすために不可欠なのである。書店現場でITがはじき出すデータは、本についてのデータである。それを使いこなすために必要なのは、やはり本の知識なのだ。それを培うのは、書店員自身の読書体験である。

 但し、それだけでは十分ではない。顧客との対話によって導き出された商品を販売するのに、顧客にネット通販の利用を薦めることも厭うべきではない、と言った。しかし、書店の顧客には、ネットを使うことが不得手な人も多い。だからこそ、書店を訪れてくれている面もある。

 特にお年寄り。お年寄りには、読書のための時間がある。読書の他にこれといった楽しみもないという方も多い。店頭に立っているとしばしば、お年寄りこそわれわれの大きな市場だと感じる。まして日本は、人口の三分の一が65歳以上という時代を迎えているのだ。書店が、その市場を取り込まない手は無い。

  今や「町の本屋」を謳いはじめたセブンーイレブンの店舗では、従業員が「御用聞き」するサービスを開始した。40万人いる店舗スタッフがタブレットを操作することで、ネットが使えない高齢者からも注文を受け付けることが出来るのだ。

 注文した本の受け取リ場として最大のライバルになるかもしれないCVSが展開しようとしているこうしたサービスを前に、手を拱いていてはいけない。本の販売の大きな市場を、みすみす取り逃すのは、愚策である。

 例えば、今やポイントカードは、ネット登録が基本である。スマホやPCを扱えないお年寄りには、お薦めすることができない。だが、ポイントサービスと引き換えに、膨大な販売データを手に入れそれを活用することがポイントカード戦略の大きな目的であるならば、われわれにとって大切な顧客であるお年寄りにお薦めできないというのは、正しい戦略とは言えないのではないか。

 IT化は加速度的に進み、AI(人工知能)の時代が目の前に迫っている。本格的なAI時代を迎えた時、ぼくたち販売員の最大の(或いは唯一の)仕事は、AIと顧客のインターフェイスたることであろう。ならば今日の段階で、インターネットと顧客のインターフェイスであることに逡巡している場合ではないのである。 (電子書籍がぼくたちの商材を呑み込もうとしたのであれば、AIはぼくたちの仕事そのものを呑み込んでしまうかもしれない。それについては、また稿を改めて論じたい。)

 

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第172回掲載

2017年出版業界の物流問題についての内容です。

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

 

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


○第172回(2017/1)

 2017年の出版業界は、「物流の危機」宣言で幕を開けた。

 1月6日、東京・目白のホテル椿山荘東京で行われた「新春の会」で、トーハンの藤井武彦社長は2017年を「物流再生元年」と位置づけ、本社再構築、物流再配置、情報システムの全面クラウド化などを合わせて専任部署を新設したと発表する一方、日本出版取次協会から次年度の土曜日休配を年間5日から20日に拡大する案を日本雑誌協会に申し入れていると説明した(「新文化」2017.1.12)。4日後の1月10日、ぼくも参加した大阪屋栗田の「新春おでんの会」では、挨拶に立った文藝春秋松井清人社長、大阪屋栗田友の会連合会田村定良会長(田村書店)から、休配日拡大に対する疑念が述べられた。

 それらを受けた形で、「新文化」1月19日号は、東京都トラック協会出版取次専門部会長の瀧澤賢司氏へのインタビュー「深刻さ増す出版輸送問題」を、一面に掲載している。

 瀧澤氏によると、「土曜日休配日増」に対しては、出版運送会社によって賛否両論があるという。「『不足してる人材を確保するためには、今より休みが欲しい。だから賛成』とおっしゃる社もあれば、稼働日数が減るため売上げに影響するのではないか、と危惧する声もあります」

 賛否に別れる双方の反応の根は、同じところにあると言える。人材不足はドライバーの労働条件の悪化が原因であり、それは運輸会社の経営状態の悪化とともに、20年に渡り底を打たない出版業界全体の売上減が結果したものであるからだ。

 更に運輸会社を経営を圧迫しているのが、出版輸送の重量制運賃制である。「積んでも積まなくても一定の運賃を保証する」車建て運賃制に対して、重量制運賃制では出版物流そのものの減少が、もろに影響するからだ。そして、昨今取次は、採算性向上=返品率削減のために仕入れ制限を行なっている(それについて、ぼくは『書店と民主主義』(人文書院)143頁~で批判した)。

 更に、コンビニ配送の問題がある。元々小口の配送である上に、コンビニ配送では深夜を含めてタイトな納品時間指定が課せられる。その上、コンビニの従業員数はギリギリに切り詰められているから配送時の待ち時間も長い。その結果、配送効率、ドライバーの労働条件双方を悪化させている。

 下落し続ける出版業界の売上とは対照的に、売上を伸ばし続けているのが、アマゾンをはじめとするネット通販である。ところが、ここでも輸送に関する問題は深刻化している。

  ネット通販では、発注から商品到着までのスピード時間(=リードタイム)の短縮が、企業間競争を勝ち抜く鍵である。そのためにアマゾンは、商品の管理やピッキング、梱包や配送までを一括でフルフィルメント(遂行)する「フルフィルメントセンター」と呼ばれる物流センターの建設を次々に進めている。

 だが、膨大な費用を必要とする物流センターの急速な建設は、危険も伴う。確かに物流センターは、ネット通販に不可欠な機能ではあるが、建設費用以外にも、多数の小口の商品を揃え配送する仕事には多くの作業員を要し、システムの合理化を謀らないかぎりランニングコストも莫大になる。余りに急速な設備投資は企業の体力を弱らせ、実際いくつかの通販会社は、倒産を余儀なくされた。体力にまさるアマゾンでさえ、ネットバブル崩壊時には、危機に陥ったという。

 対策の一つが、実店舗の利用である。

 ウォルマートの「シップ・フロム・ストア」では、ネット通販で顧客が注文した商品のピッキングを店舗で行い、店舗から発送する。店舗をストックポイントとし、ネット通販の配送拠点として活用するのだ。配送ルートを短縮することで、輸送コストの削減にもつながる。多数の店舗網を持つウォルマートならではの戦略である。

 多くの既存の食料品店舗から生鮮食品などをピックアップして、最短1時間で顧客に届けるネット通販会社のインスタカートのシステムは、実にユニークだ。登録されているショッパー(企業ではなく個人)がスマートフォン等で指示を受けて店舗に直行し、あらかじめ指示された店舗の棚から商品をピッキングする。さらにアプリの指示で、ショッパー自身が所有している自家用車やバイクを使い、注文した顧客の自宅へ届ける。だが、店舗でのピッキングー発送作業はどうしても効率性に劣るため、注文が増えてくると、物流センターの建設がどうしても必要となる。収益と費用をにらみあわせての緻密な戦略が要求されるのだ。小さなガレージから始まり、システムを構築しながら段階的に成長していったアマゾンに、やはり一日の長があるという。

 一方、ドライバー不足とその原因であるドライバーの労働条件の悪化は、通販業界でも同じである。日本では1990年の規制緩和以後、平成不況の深刻化と相俟って新規参入が増え、過当競争が激化して、ドライバーの賃金の低下と労働時間の増加が加速された。

 労働時間の増加に特に大きな影響を与えているのが、いわゆる「再配達問題」である。配達に行っても受け主が家にいない。一つ荷物のために二度三度と訪問しなくてはならないことが日常となる。大手宅配業者の抽出調査によると、不在によって再配達を余儀なくされた宅配便貨物の割合は19.6%、5回に1回は留守、しかも全体の貨物のうち、3.5%は2度以上の配達が必要だった。そのうち、時間指定の人は18 %だったが、その再配達率は17%に達したという。また、国土交通省の試算によると、宅配便の配送車両の走行距離のうち、25%が再配達のためのものである。

 こうした数字は、「再配達問題」が、運送業者の経営にとっても、ドライバーの労働条件にとっても、また道路渋滞や空気汚染といった社会的問題にとっても、看過できない問題であることを示している。

 当然、通販会社も、その「ラストマイル」を請け負う宅配業者も、対策を講じる。事前に配送時間を通知するシステムを構築、自宅ではなくコンビニや店舗で受け取る仕組みも導入した。アマゾンは、宅配業者を使わずドローンで配達することも、試行している。宅配ポストを設置して、受け主が不在でも配達を完了させる方式も浸透しつつある。ヤマト運輸は宅配ポストにヤマト運輸の名前を一切出さず、ヤマト以外の宅配会社にロッカーを開放することで、ライバル会社が相乗りしやすくした。

 国も動く。

 “インターネット通販の拡大で深刻化する物流業者の人手不足や交通渋滞を解消するため、官民が受取人の不在時にも荷物を預けられる宅配ボックスの普及に取り組む。政府は4月から設置費用の半額を補助する制度を新設し、業者が駅やコンビニに宅配ボックスを設置するのを後押しする。再配達を少なくして配送効率を高め、ネット通販の拡大に欠かせない物流網の維持をめざす。”(2017/1/17付日経新聞)

 こうしたネット通販会社、宅配業者の対策の試みは、同じ問題の根を持つ出版流通にもヒントを与えてくれる。もっといえば、書店業界そのものの存在理由を改めて思い出させてくれる。

 ネット通販を支える二大機能は、商品を管理・発送する「物流センター」と、顧客である家庭や企業への商品の配送を意味する「ラストマイル」である。
顧客への速やかな着荷がネット通販の生命線であるから、「物流センター」はできるだけ顧客の近くにあった方がよい。しかし、その建設、運営には多額の資金がかかり、うまく運用しないと経営を圧迫する。実際、楽天の子会社であった楽天物流は、多額の営業損失を出し債務超過に陥って、楽天に吸収合併された。

 一つの解決策が、先に触れたウォルマートやインスタカートの店舗利用であった。店舗そのものをストックポイントに位置づけるそうした成功例には、商材をお酒など飲料品と一部の食品に限ることで即日配送を実現したカクヤスもある。

 一方、「ラストマイル」の「再配達問題」の解決策の一つに、コンビニ受け取りがある。顧客の側でも、いつ来るか分からない配達を家で待っているより、あるいはたまたま配達時に不在で再配達を依頼する労をとるよりも、近くにいつでも受け取れる場所があれば、自分の都合で取りに行くほうが便利な場合も多いだろう。

 この2つの施策に共通しているのは、そう、店舗の存在である。だとすれば、わが出版書店業界も、往時の三分の二に減ったとはいえ、なお世界に冠たる店舗数を誇る全国の書店網を利用しない手はない。書店網といっても、文字通りナショナル・チェーンだけを意味するのではない。通販におけるコンビニの役割を考えても、「普段使い」の「町の本屋」を大切にすることが、「出版流通の危機」を打開する、素朴ではあるが実は大いに有効な、ひょっとしたら唯一無二の方途であると思うのだ。

 豊富な在庫を誇る大型店がストックポイントとなるシステムは、書店系の通販でも取り入れられている。一方、「町の本屋」には、ご近所への配達がある。この配達業務が立ちいかなくなったことが、「町の本屋」の経営基盤を揺るがし、業界全体の雑誌売上減にも結びついていることは、間違いない。配達には、さまざまな企画・情報を顧客に伝え、拡売に繋げるという機能もあった。

 「普段使い」の本屋に客注品を取りに行くことは、出版−書店業界と顧客双方にメリットがある。日々のルートに乗せて客注品を書店に送る作業は、出版社にとっても負担が軽い。通販における「ラストマイル」の問題は発生しない。顧客の方は、客注品を取りに行った時、そこに並ぶ本たちを目にする。本についての新しい情報を手にすることが出来るし、それによって誘惑される。「ついで買い」が起こる、あるいは後日また本屋を訪れる動機となる。こうした、小さな日常の一つ一つが、これまで出版ー書店業界の売上を支えてきた筈だ。

 その構造を維持するために重要なのが、物流スピードなのである。客注品が届くのに、2週間も3週間もかかっていては、ネット通販に太刀打ち出来ない。顧客の注文は翌日もしくは当日に届くネット通販に奪われ、顧客が本屋を訪れる機会は、どんどんと少なくなっていく。それでは、「購入のスパイラル」は発生しない。物流の問題は、物流の改善によってしか、解決しないのだ。

 だが、ここに大いなる矛盾がある。出版物流の問題を解決する最終拠点(書店)の多数性こそが、出版物流の問題そのものの発生源であるという矛盾である。配送先が多くなり、荷物が小口になればなるほど、輸送効率は悪くなる。客注品を含めた商品の着荷までの時間は、それだけ長くなる。

 かつて、「店所店」というシステムが、この業界にはあったと聞く。取次から送られた商品は、各地域の中心的存在である書店に中心的な書店=「店所店」に降ろされる=卸される。地域の他の多くの書店は、店所店に自店に必要な商品を仕入れに行っていた。

 現在、生産地の方では商品が取次という拠点に集積されるが、そこから消費地へはバラバラに送られている。それを、消費地の方でも拠点をつくって、商品をまとめてそこに送り込むのである。いわば、消費地における「本のハブ」である。

 少し前まで、取次の地方支店や営業所の「店売」が、その「ハブ」の役割を担っていた。しかし、その多くが「合理化」の名のもと、廃止されたり、商品在庫を持たなくなった。そこで客注品を調達していた地方の「町の本屋」が、そのことでいかに困っているかが、『本屋がなくなったら困るじゃないか』(西日本新聞社)に収められている車座トークを読めば分かる。そして、巻末のインタビューで、HAB(H.A.Bookstore)の松井祐輔氏は、つぎのように言うのだ。

 「僕の考える卸売センターは、書店の店頭であってもいいんじゃないかと思っているんです」。

 競合書店に商品を調達する、他取次の荷物を混載するなど、これまでの常識では考えられなかった方式も模索しなくてはならないだろう。システムはもちろん、それ以上に、頭のドラスティックな切り替えが求められる。

 商売に競争は不可欠だ。顧客へのサービスを競い合うことが、業界全体の進歩に繋がる。だが一方、ときに協業も必要なのだ。冒頭に挙げた「新文化」のインタビューで、瀧澤氏は、出版輸送問題の打開について、次のように語っている。

 「可能であれば今年は競合他社とも協業し、できることがあれば具体化していきたい。現場の人間も交え、『A社はこう、B社はこう走っている』などと状況を分析・把握し、集約できることなど現実的な面から改善を図ることができればと思っています」。

 大きな困難にぶつかっている「運び手」が、抜本的な意識変革をも見据えて突破口を模索している。送り手(出版社ー取次)も、受け手(書店)も、勇気をもって意識変革に臨む時である。

参考・引用文献:『アマゾンと物流大戦争』(角井亮一、NHK新書)ISBN9784140884959
           『物流ビジネス最前線』(齊藤実、光文社新書)ISBN9784334039318

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第171回掲載

『万博の歴史』(平野暁臣著、小学館、2016年11月刊)についての内容です。

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

 

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


○第171回(2016/12)

 2025年の大阪万博誘致へ向けた大阪府の動きが本格化してきていると聞き、新刊書として店に入荷したときから興味を惹かれていた『万博の歴史』(平野暁臣著、小学館、2016年11月刊)を読んでみた。

  よく分かったのは、1970年大阪が万博の頂点であり同時に折り返し点であり、それ以後日本でも世界でも万博熱は急速に冷めていったことである。
イノベーションの急激なスピードアップ(ドッグ・イヤー、ムーアの法則)が、20世紀後半に万博衰退をもたらした理由の一つである。アップルやマイクロソフトをはじめ、次々と新製品を繰り出すIT業界は、準備期間も開催期間も長い万博でのプロモーションにまったく興味を示さない。

 また、冷戦が終わり、20世紀の万博を引っ張ってきたアメリカを初めとする各国も、「国威発揚」の場を必要としなくなり、万博参加への意欲を減退させた。
最も大きな理由は、20世紀の後半以降、核兵器の脅威やテロリズム、環境問題によって、「技術の進歩が未来をひらき、社会を豊かに、人を幸せにする」という万博の根本的なテーゼが容易に信じられるものではなくなり、「近未来を疑似体験させる」万博が、人びとにとって魅力的なものではなくなってきたことだ。

 だが、だからといって、ぼくには万博の存在価値を無条件に否定することは出来なかった。未来の可能性を信じられなくなることは、人類にとってとても不幸なことだからだ。今とは違う「よりよい世界」を目指すことは、とても大切なことだと思うからだ。そのために今最も必要なことは、世界のあちこちで続く戦争状態ー憎しみの連鎖を断つために、地球上の様々な民族=他者を理解することではないか。そう考えたときに、万博の、「未来を開く技術の進歩」博とは違うもう一つの貌=民族の博覧会に思い至った。

  その貌が、元々各国の植民地主義の所産であり、植民地から連れてきた人びとを「見世物」にし、「国威」を示すためにあったことは確かである。そうした動機に与するつもりは毛頭無いが、未知の民族の自分たちとは違う生き様、暮らしぶりを知ることは、万博を訪れた観客にとって、技術による未来信仰とは別の楽しみであったことも事実なのだ。惨敗に終わったハノーバー博(2000年)において、“むしろ観客が楽しそうな表情を見せていたのは、地べたに座り込んでアフリカ土産をうる民族衣装のおばさんとの談笑であり、アジアの民族舞踊を見ながら食べる本場のカレー体験でした”と平野は書いている。

  ここに一つのヒントが、万博の可能性がある、と思った。即ち、憎しみと殺戮に満ちた現在の世界とは違う世界(オルタナティブ)を目指すために、様々な価値観を持ち、異なった生き方をしている国民、民族が、相互に理解を深めるために出会う場としての万博という可能性が。

 その時ふと「書店とは、小さな万博会場ではないか?」という思いが、頭をかすめた。書店に並ぶ本たちは、世界の人びとのさまざまな価値観、生き様を詰め込んだパビリオンではないか。ならば、「書店業は、観光業である」といってもよいのではないか? 万博も書店も、訪れたお客様がさまざまな価値観と生き様に出会う場だからである。

 『デフレの正体』や『里山資本主義』の藻谷浩介が共著者の一人であることに惹かれて読んだ『観光立国の正体』(新潮新書)が、「観光業としての書店」にいくつものヒントを与えてくれた。その本質を同じうする観光業と書店業は、いま抱えている問題も、これから目指すべき方向性も、共有している、と感じた。
藻谷は、日本の観光の問題を「マーケティングの思想が決定的に欠けていること」だという。

 “「いい製品を作れば売れる」という「プロダクトアウト」の発想しかなく、「市場が求めているものを創りだす」というマーケットインの発想がない。”

  「いい本だから、売れるはずだ」「この本は多くの人が読むべきだ」という発想でやってきた出版業界もマーケティングの思想に欠けていることは、JPOの中町正樹(→コラム第168回)や文化通信社の星野渉(出版産業の変貌を追う青弓社)らが指摘している通りだ(但し、ぼくは出版におけるマーケティングには「市場調査」以上に「市場開拓」の意味があると考えるので、単なるPOSデータの集積・分析だけではダメだと思っている)。

  藻谷が「観光カリスマ」と呼ぶこの本のもう一人の著者山田桂一郎は、自らの実践の中で、地域全体が活性化することが、観光業にとって何よりも大切だという。観光業におけるマーケットインの思想とは、顧客がそこに長く滞在したいと思うような地域を創造していくことなのだ。ところが、“これまで多くの事業者は、目先の業界利益だけにとらわれて、本当に魅力ある地域づくりに取り組んできませんでした”と、山田はいう。今、日本の観光・リゾート地に一番欠けているのが、この「地域内でお金を回す」という意識であり、魅力ある地域づくりのために大切なのは、「競合してライバル視する」ことではなく、「お互いのポジショニングを明確に」しておくことだ、と。

 書店業界にも同じことが言えるのではないか。事実、かつて大小個性的な書店が林立していた京都四条河原町界隈からその多くが姿を消していったあと、生き残った書店の売上もどんどん落ちていった。それに対して、堀部篤史は、“一両編成の叡山電車に揺られ、恵文社でゆっくりと買い物を楽しみ、購入した本を近くのカフェに持ち込んで一服する。そんな「体験」があればこそ、次もお店に来てもらえるのではないか。”と、書店を地域全体に溶け込んだものと考え、京都の恵文社一乗寺店を全国区の人気書店にした(『街を変える小さな店 京都のはしっこ、個人店に学ぶこれからの商いのかたち。』 京阪神エルマガジン社)。今年9月に亡くなった岩波ブックセンターの柴田信は、最後の一日まで「神保町フェスティバル」の成功のために奔走していたという。

  そして、何よりもぼくが参照したいのは、“観光は、その地域にいる人たちが幸せに生きていくための手段です。地域が衰えて無人になっても観光事業者だけは生き残れる、というようなことはありえません”という藻谷の言葉だ。山田もまた、“日本の観光・リゾート地がダメになったもう一つの理由は、住民の生き生きしたリアルな生活がお客様には全く見えず、体験する機会もなかったことです”と指摘する。

観光地に生きる人びとが幸せに生きることこそ、観光客を惹きつける観光資源なのだ。ハノーバー万博の観客が、そのことを裏書してくれるだろう。
在住するスイスのツェルマットでの経験を、山田は次のように振り返る。

  “私がスキー教師としてデビューした際にも。お客様の満足度をいかに高めるかという点を繰り返し教えられました。「目の前のお客様が君の顧客となり、もう一度このムラに戻ってきてくれて初めて一人前だ」。インストラクターやガイドは全員、まずこの意識から叩きこまれます”。(この箇所に、ぼくは「書店員は観光ガイドだ」と書き込んでいる。)

  “「こんな場所なら自分も住んでみたい」と感じ、何度も足を運んでくれる。そこにあるのは、画一化されたテーマパークのような「非日常」の世界ではありません。アルプスの風土と調和したツェルマットならではのライフスタイルであり、他の地域から見れば魅力的な「異日常」の空間なのです。”

 「異日常」という言葉に、胸を射抜かれた。一過性のイベントなどの「非日常」ではなく、居並ぶ本たちが醸し出す「異日常」。読者一人ひとりを「異次元」へと連れて行く書物への、それ自体「異日常」な書店空間。人は、その「異日常」を求めて、書店を訪れてくれているのではないか?

 その「異日常」を創り上げているのは、本を愛し、本を売ることに生きがいを感る書店員たちではないだろうか? 彼ら彼女らが(幸せに)働いている姿こそ、人を書店に呼び寄せる、最大の「観光資源」かもしれない。

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第170回掲載

カンタン・メイヤスー『有限性の後で』とスティーヴン・シャヴィロ『モノたちの宇宙 思弁的実在論とは何か』(上野俊哉訳、河出書房新社)についての内容です。

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer170.htm

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「本屋とコンピュータ」TOPページ

*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

 

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


○第170回(2016/11)

 今年(2016年)1月、メイヤスーの『有限性の後で 偶然性の必然性についての試論』(カンタン・メイヤスー著 千葉雅也・大橋完太郎・星野太訳 人文書院)が刊行された。これまで『現代思想』などでいくつかの論文が訳され、また少なくない研究者が言及していた新しい「実在論」の雄の、書籍としては初めての翻訳書である。訳者は新進気鋭の哲学者、千葉雅也。大いに期待して読んだ。

 宇宙や生命の誕生など人類がこの世界に現れる遥か以前、「先祖以前」の出来事、或いは人類絶滅以後の世界について、我々はどのように認識し、どのように語ることが出来るのか? このスケールの大きな問いかけと共に、メイヤスーはカント以降の西洋哲学の〈相関主義〉(思考と存在を切り離せないものと考える)を乗り越えようとする。カントの「コペルニクス的転回」は実は「プトレマイオス的転回」であり、〈相関主義〉は、〈信仰主義〉に意外に近く、いかなるイデオロギーをも是認せざるをえないと喝破しながら、「世界は別様にもありうる」ことが〈相関主義〉を含む思考そのものの絶対的条件であり、世界が「かくある」という〈事実性〉は疑えないが「『かくある』ことの偶然性は必然的」である、というテーゼに行き着く。

  議論は終始スリリングであり、「偶然性の必然性」という逆説的なテーゼも魅力的だが、メイヤスーが人類誕生以前/絶滅以後の世界の記述を成り立たせるという数学も、或いはそれらの記述そのものも、結局人間的実践ではないのかという疑問は残る。メイヤスーの辿り着いたテーゼは、真に〈相関主義〉の乗り越えになっているのか?

 というよりも、なぜメイヤスーが、そして今日「思弁的実在論」や「新しい唯物論」と呼ばれる思考を展開している人たちが、ここまで〈相関主義〉から逃れようとするのかが、よくわからないのだ。すべてのモノは人間にとっての有用性の度合いで測られるとまでのプラグマティズムを取らなくとも、世界は、その中で生きる人間との関わりの中で探究され、記述されるだけでも十分なのではないか? 人間には神の目を持つことは出来ないのだから。

 そんな風に思っている中、6月の終わりに出た『モノたちの宇宙 思弁的実在論とは何か』(スティーヴン・シャヴィロ著 上野俊哉訳 河出書房新社)が目に止まった。副題が気になって手にとってみると、帯に「ホワイトヘッドを甦らせながら」とあったので、昨年末にジュンク堂難波店でトークイベントもしてもらった『具体性の哲学 ホワイトヘッドの知恵・生命・社会への思考』(以文社)の著者森元斎さんにメールで問い合わせると、「今、日本語で読めるもので、思弁的実在論について最もわかりやすく書かれている本」との回答をいただいたので、読んでみた(あとがきまで読み終わって気づいたが、森さんはホワイトヘッド研究者として、訳者の依頼を受け、最初の訳稿を読み、助言を行なっていた)。

 “認識論を特別あつかいするのをやめなければいけない。特権を取り去らなければならない。なぜなら、ぼくらはモノたちそのものを、モノについてのぼくらの経験に従属させることは出来ないからである”と語るシャヴィロは、世界やモノが人間なしにもあることを強調し〈相関主義〉からの脱却を図るメイヤスーらと出発点を同じくしているようにも見える。人間の特権的地位の否定には、ぼくも同意する。“「人類」はもはや万物の尺度ではない、われわれはもはや自分たちのことを特別な存在と考えることはできず、ましてや万物の霊長と見ることもできない”。そして次のことばは、重く響く。“実際、「生は略奪である」からこそ、生きている有機体にとって「道徳は厳格である。略奪するものは正当化を必要とする」”。

  だが、同じスタートラインから発進してまもなく、ホワイトヘッドに依拠するシャヴィロは、メイヤスーら思弁的実在論者とは正反対の方向に進む。後者が“物質そのもの―それが相関関係の外側に存在するかぎり―は単に受動的に不活性的で、意味や価値などを全く欠いているのでなければならないと想定している”ことを批判し、“価値と感覚はあらゆる存在者にそなわっており、したがって現に存在するとおりの世界に内在している”と主張する。価値と感覚において序列などないモノたちが遭遇しあい、相互に作用しあっている。人間も、そうしたモノの一種に過ぎない。だからホワイトヘッドは、“〈生けるもの〉の社会と〈生きていないもの〉の社会の間に絶対的な裂け目はない”“非有機的社会という補助的装置を欠いては、いかなる生ける社会についてもわれわれが知ることはない”というのだ。

 すなわち、メイヤスーをはじめとする思弁的実在論者もホワイトヘッド=シャヴィロも認識論や人間存在を特別扱いすることを認めない点では(カントから現象学への流れに対峙して)同じ陣営に立つが、ホワイトヘッド=シャヴィロは、思弁的実在論が物質が受動的、不活性的で、意味や価値を欠くとするのに対し、世界に充満するモノたちは、人間がたとえそのモノを認識出来ない時でも感受し、作用を受けていると主張する。

 “存在者はそれぞれ自らの価値の肯定に発する個々の様々な欲求や欲望をもっている”と、シャヴィロは言う。或るモノにとって、他のモノは、認識ではなく欲求や欲望の対象であり、感受し享受する対象なのである。

 ここまで来ると、「欲求、欲望の主体」を考えたくなる。実際、シャヴィロは「モノの主観」という言葉の使用を認めている。コウモリにはコウモリの主観、ダニにはダニの主観、石にも石の主観がある。それらはおそらく人間の主観とは様相を大きく異にする主観であり、人間には認識不能であるだけなのだ。

 メイヤスーの「人間精神とは関わりがなく世界と世界にあるモノたちを説明する数学」も奇妙だが、「石の主観」もにわかには受け入れ難い。シャヴィロは、どうしてこのような議論をするのか?

  『モノたちの宇宙』の第三章の章題は、「モノたちの宇宙」であり、更にそれはギネス・ジョーンズのSF短編『モノたちの宇宙』から取られている。

  物語は、アルーティアンという人間型エイリアンに植民地化された地球を舞台としている。主人公は、ひとりのアルーティアンに雇われた自動車修理工。彼は、アルーティアンがつくった道具を使って、日々クルマの修理に勤しんでいる。アルーティアンの道具には、われわれ人間の道具とはまったく違う特徴がある。それらは、生きているのである。アルーティアンの道具は、彼ら自身の排出物を生物学的に成形したものなのである。

 ある夜、修理工はクルマの修理をしながら、「ある神秘的な顕現、あるいは幻覚」にとらわれる。彼のもっている道具が生きている。“存在するものは息が詰まるほど窮屈になり、耐えがたいものになる”。彼は恐怖におののき、吐き気を催す。そして「諸対象がわれわれと適度な距離を保っている世界」、すなわちモノが「死んでおり、安全である」世界に還ることを、痛切に希求する。

  この小説の概略を提示された時、そしてこの小説のタイトル(『モノたちの宇宙』)が本書のタイトルにも採用されていることに改めて思い至った時、シャヴィロの哲学が、今日的状況に即して/促されて成立したものだと強く感じた。かつてヘーゲルが喝破したように、哲学は時代の要請に応えて生まれてくる「時代の子」なのである。

  人間の特権的地位を否定する思弁的存在論もまた、現代のエコロジー的問題意識と親和的であると言える。一方、シャヴィロの哲学は更に、IT時代を迎えた人間にとって、切迫した状況を告発していると思う。

  IT技術が進化し、AI(人工知能)が人間のすべての営為に取って代わる未来さえ喧伝される今、人びとは生きているモノ、「考える」モノの誕生を前にして、「恐怖におののき、吐き気を催」していはしないか? そして、それは、人間にとって当然の免疫反応でないか?

  この状況は、本というモノが立ち並ぶ書店現場をも、深く侵食し始めている。もとより本というモノは、“存在者たちは互いに知ったり操作したりする可能性がない場合であっても、お互いに「感じ」あうことで相互作用する”というホワイトヘッドの世界観に親和的である。寡黙に、静謐に書店の書棚に並んでいる本というモノは、読者の手に取られ頁をめくられた瞬間に饒舌となり、読者に大きく作用する。しかしそれは、人間の思考を舞台に繰り広げられる、あくまで〈相関主義〉的なパフォーマンスだ。PCのモニターが表示するPOSデータが、(思弁的存在論的に)人間の思考を不要なものとして除外しながら、書店員の意思決定(とも言えない)に直接指示を与えるのとは、まったく違う。PCが、書店員の思考をスキップして、直接仕入れ部数や展示方法を決定していく状況は、決して好ましいものではない(が、書店現場の現状は、多くがその方向へ向かっている)。

  読者が書店店頭を散策することなく、キーワードを入力するだけでPC画面が提示する本のみを求め読む状況も、その裏面と言える。書店における本と読者の出会いの偶然性を大切なものと考え、議論の創発を期待し、オルタナティヴ(今とは違う世界)の実現可能性を信じるぼくは、読者と書店のそのようなさま(ザマ)を目にするとき、「恐怖におののき、吐き気を催す」。

  そして何よりも、IT機器に依存しその端末としてのみ働くことは、早晩IT機器にすべての労働を奪われる結果を招来する危険がある。AI(人工知能)の発達により、それは決してSF的な絵空事ではなくなっている。そんな未来は、経済にとって、人間にとって、世界にとって、決して幸せな未来ではない。そのことを、もっと考えていきたいと思う。

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熊取六人組と批判的科学

小出裕章

*2016年11月11日に行われた『脱原発の哲学』合評会(慶應義塾大学、書評者は西山雄二、渡名喜庸哲、岩田渉、応答者は佐藤嘉幸、田口卓臣)における小出裕章氏の講演を、以下に再録する。

(図版入りのPDFはこちらからご覧下さい→


『脱原発の哲学』という大変膨大な書籍を、佐藤嘉幸さんと田口卓臣さんが書いてくれました。この本は、単に哲学の問題というよりは、人間の歴史の中で今という時代がどういう時代であるか、そしてそれを超えることができるか、という大変根源的な問題を提起しています。今日はその議論をしてきたわけですが、その議論を続けようと思えば徹夜しても足りない、という大変重要な問題だと思います。

その問題に関連して、私に与えられたテーマは「熊取六人組と批判的科学」ですので、それに沿って聴いていただこうと思います。その話をする時に、私にとって一番重要だと思われるのは、「責任」です。人間としての責任、その取り方はどうあるべきなのか、ということです。それについて聴いていただくためには、特に日本というこの国では戦争責任をどう取ったのか、という問題に遡る必要があるだろう、と私は思います。


曖昧にされた戦争責任

先の戦争中、大日本帝国では、現人神の天皇がいるから戦争には必ず勝つのだ、だから一億総火の玉となって鬼畜米英を撃滅しよう、と教育されました。すべてのマスコミがそれに加担しました。個人の自由よりも国家の方が重要だと、徴兵を拒否するようなことがあれば即刑務所に行く、一族郎党はみな非国民のレッテルを貼られて、ごく普通の人々によって弾圧される、というよりは、自分が優秀な日本人であると思っている人々ほど弾圧に加わる、という時代があったわけです。

敗戦を受けて、今度は一転して米国型民主主義が賛美され、子どもたちに「お国のため、天皇陛下のために死んで来い」と教えていた教師たちは、一斉に教科書に墨塗りをして米国型民主主義を謳い、マスコミも一斉にそれに倣いました。

天皇は人間宣言をして生き残りましたが、戦争責任を問わることはありませんでした。天皇はいまだに敬うべき対象とされ、教育もそのように教え、マスコミも政府もそのように振舞っています。マスコミは皇室の発言を「お言葉」として、皇室は「誰々様」と報道します。

なぜそうなったかといえば、大日本帝国という強大な権力が犯した権力犯罪はより強大な権力によってしか処罰されないからです。そして、大日本帝国より強大だった米国は、戦後日本を支配するために、天皇を利用する道を選んだからです。だから天皇は処罰もされないし、いまだに日本国民は天皇が偉いと思っている、と私は思います。


巨大な権力組織が進めた原子力

それと全く同じことが、私が生きてきた原子力の場で起きてきました。日本では、国が「原子力平和利用」という言葉を作ってその夢をばらまき、原子力損害賠償法、電気事業法などのさまざまな法律を作って、とにかく原子力をやればもうかる、という法的な基盤を作って、電力会社を原子力発電に引き込みました。

その周囲には、三菱、日立、東芝など巨大原子力産業が利益を求めて群がり、さらにゼネコン、中小零細企業、労働組合、マスコミ、裁判所、学会など、すべてが一体となって巨大な権力組織を作り、原子力を推進しました。先の戦争の時と全く同じ構図を、原子力は作ってきたのだと思います。

そして残念ながら、2011年3月11日に、福島第一原子力発電所事故が起きてしまいました。しかし、その責任は全く曖昧にされたままで、彼らのうち誰一人として責任を取っていないし、取ろうともしないし、処罰もされていません。

なぜそれが許されるかといえば、これも先の戦争の時と同じように、権力犯罪は、より強大な権力によってしか処罰されないからです。そして、より強大な権力があるのかといえば、ありません。仮にあるとすれば米国ですが、米国は日本を原子力に引き込むことで金儲けをしようとしてきた国ですから、決して日本を処罰することはありません。ですから、誰も処罰されないまま生き延びる、という構造になっています。


科学の社会的な意味を問う責任

そんな時に、一体どんな責任が生じるのでしょうか。人類の歴史を考えてみると、戦争の歴史が長く続きました。昔の戦争では、刀や槍を使って一人ひとりが相手を殺していました。戦いに勝って相手を殺した側にも、心に大きな傷を受けました。

しかし、科学が発達し、今ではたった一発の爆弾で何万人、何十万人もの人を殺せます。また米国では、無人操縦の爆撃機、戦闘機で、まるでTVゲームでもするかのように、地球の裏側の人々を殺せます。

科学の進歩はそれだけではありません。科学は、産業革命以降の爆発的なエネルギー浪費を支えました。原子力もその一つです。しかし、それによって今や、地球上の生物がどんどん絶滅に追い込まれ、地球の生命環境自体が破壊の危機に瀕するようになりました。

科学というと、何かすばらしいもの、美しいもののように思われるかもしれません。確かに、科学は未知のことを知りたいという欲求に根ざしているわけですから、その欲求を抑えることは多分できないだろう、と私は思います。ただし、科学の発展の方向は往々にして権力によって決められてきました。例えば、戦争のために便利な技術を開発しろ、原子力の技術を開発しろ、そのためには金でもなんでもばらまく。そうやって、科学をある一定の方向に引っ張っていく、ということが長い間続いてきました。

そうであれば、科学に携わる者、私のように原子力に携わってきた者は、自らが関わる科学が持つ社会的な意味について、十分に考えて明らかにする責任があることを知らなければなりません。


“異端”の研究者たち——熊取六人組

そこで、熊取六人組の話をさせていただこうと思います。

この写真は、毎日放送という大阪ローカルのテレビ局が作った「映像’08——“異端”の研究者たち」という番組です。私たちのことを取り上げて、京大原子炉実験所「 “異端”の研究者たち」という番組を作ってくれたわけです。ここに写っている何人かがそうなのですが、海老沢徹さん、小林圭二さん、すでに亡くなってしまいましたが瀬尾健さん、川野眞治さん、今中哲二さん、そして私です。これは1970年代の後半の写真だと思いますが、いまから40年ほど前のもので、私自身もまだまだ若かった頃です。愛媛県の伊方というところに原子力発電所が建てられるという時に、国を相手に全面的な論争をしようということで始めた伊方原発訴訟の弁護士と学者グループの写真です。

そして、いま見てきた六人が「熊取六人組」というレッテルを貼られてきたわけですが、なぜそういうレッテルになったかというと、中国の文化大革命の「四人組」に由来しているのです。プロレタリア文化大革命、略称「文革」というものがありました。毛沢東が始めたもので、中華人民共和国で1966年から1976年まで続きましたが、中国共産党内部の中で大きな路線対立があり、殺し合いのようなものまで起きて、1977年に終結宣言がなされました。

文革が失敗して、結局、文革を進めた人間——もちろん毛沢東が主謀者だったわけですが——である、江青、張春橋、姚文元、王洪文の四人が、「四人組」というレッテルを貼られて、極悪人として断罪されました。それを取って、私たちは「熊取六人組」というレッテルを貼られたわけです。「熊取」とは、私たちの職場、京都大学原子炉実験所のあった大阪府泉南郡熊取町のことで、その熊取に極悪人の六人がいる、ということで、この名前が付けられました。

その六人組の正式名称は「原子力安全研究グループ」です。原子力の安全を自分の問題として研究しようと思ってきた六人が集まってこのような名前が付いたのですが、皆さんは「熊取六人組」と呼んでいました。この六人の生まれた年を書くと、海老沢さんが1939年、小林さんも1939年、瀬尾さんが1940年、川野さんが1942年、私は1949年、今中さんが1950年です。川野さんと私の間に一本の線を引きました。上の四人と、私を含む下の二人は約10歳違っています。どうしてこの四人とこの二人が集まったのでしょうか。上の四人は大学時代に60年安保闘争を経験し、私と今中さんは大学時代に70年安保闘争と大学闘争を経験した、という人間がこうして集まったのです。学生時代という自由にものを考えることができる時代に、とても重要な社会的な問題に出会うことができた、そういう人間が集まったということです。

その六人組は京都大学原子炉実験所にいたわけですが、原子炉実験所は1960年12月に熊取町というところに作ることが決まりました。京都大学の施設ですから、京都の街中に作るのが本来なのですが、如何せん「原子炉実験所」という名前が示す通り、そこには原子炉がある。人の住んでいるところに原子炉など作ってはいけない、ということで、京都の街中に建てることはできませんでした。京都大学は、宇治に教養部があり、そこに広大な敷地を持っていたので、宇治に作ろうとしたのですが、そこも人が住んでいるから駄目と拒否されました。そこで、どこに作ろうかということで、関西一円を探し回りました。高槻、交野、四條畷などを狙っていくのですが、どこも人が住んでいるから駄目と断られ、流れ流れて、結局、大阪府泉南郡熊取町という、もうすぐ和歌山というところに作りました。それも、土地をだまし取るようにして、10万坪という広大な敷地を確保しました。地元と安全協定を結んで、公文書として判までついているのですが、その安全協定には「原子炉実験所からは放射能を空気中にも排水中にも一切流さない」と書いてあるのです。そんなことはできる道理がありませんので、私は土地をだまし取ったと常に発言しています。

1963年に原子炉実験所という組織が設立されました。海老沢さんと小林さんは、設立直後の1964年4月に入所し、彼らが職員組合を作りました。その年の6月にようやく原子炉が臨界に達します。その頃に、海老沢さん、小林さん、その他の、社会的な問題を考えようとする人たちがいて、原子炉実験所の中に組合と同時に「現代思想研究会」という研究会を作り、さまざまな社会的な問題を考えようという活動を開始されました。そして、1966年に瀬尾さんが入所する。そして、その年に東海原発が動き始め、原子力はこれからだという時代に彼らはぶち当たってしまった。その頃、学生闘争が始まり、私や今中さんはそれを学生として受け止めた。1969年には川野さんが入所します。これで、私より10歳年上のグループが集まったわけですが、1970年3月、11月には敦賀原発、美浜原発が動き始めます。

1973年8月に伊方原発訴訟を始めることになり、熊取六人組の年上の四人は、この段階から伊方原発訴訟に関わっています。

そして、私は翌年1974年に入所し、2年後の1976年に今中さんも入所して、これでいわゆる「熊取六人組」というグループが完成したわけです。伊方原発訴訟も続いているわけで、六人はそれぞれの専門性を活かしながらそれに関わって、ほとんど全員が証人になって出廷しています。自分で言うのもおかしいのですが、もちろん国側からも東大教授などのたくさんの専門家が出てきて、法廷を通して論争をするのですが、私たちの圧勝でした。完膚なきまでに私たちが勝利して、国の言っていることがいかにデタラメなのかということを立証した、と私は思っています。しかし、判決は敗訴でした。私はその段階で、日本という国には三権分立などない、ということを痛感しました。

その後、原子力という世界では、1979年3月に、米国のスリーマイル島原発で事故が起こりました。1986年4月には、旧ソ連のチェルノブイリ原発で事故が起こりました。さらに、1995年12月にはもんじゅ事故が起き、1999年9月には東海村の核燃料加工工場JCOで事故が起きる。そして、2011年3月には福島第一原子力発電所で事故が起きる、ということで、六人組が活動を始めてからは、どんどん事故が続発する、という時期に入ってきます。私たちが伊方原発訴訟で主張したことが一つひとつ順番に事実として起きてしまう、ということになってしまいました。大変辛い歴史でした。きちんと言った、きちんと立証したのに、また事故が起きる、ということを経験しなければならない日々が続いていました。


福島第一原発事故

そして、福島第一原子力発電所の事故ですが、『脱原発の哲学』の中で非常に詳細に書いてくれています。佐藤さん、田口さんは哲学の専門家であるのに、よくここまで自然科学のことを書いてくれたな、と思うほど、彼らが詳しく書いてくれています。膨大な量の放射性物質が既に放出されてしまったのです。IAEA(国際原子力機関)——つまり原子力を推進する国際的な親玉で、犯罪者集団のトップです——に対して日本国政府が出した報告書の中で、どんな放射能がどれだけばら撒かれたかを数字で示しています。その数字の中から、大気中に放出されたセシウム137の量を見ていただきたいと思います。

左の下に黄色い四角を書きました。これは、広島で原爆が炸裂した時に大気中にばら撒かれたセシウム137の量です。8.9×1013ベクレルという量です。では、福島第一原子力発電所の事故はどれだけのセシウムを放出したと日本国政府が言っているのかを見れば、このようになります。つまり、1号機だけで広島原爆6発分から7発分、2号機が一番悪くて、広島原爆157発分、そして3号機も広島原爆8発分ばら撒いた。2011年3月11日に運転中だった1号機、2号機、3号機を合わせると、全部で1.5×1016ベクレルのセシウムをばら撒いたと、日本国政府が言っているのです。私はこれは過小評価だと思っています。日本国政府は犯罪者なのであって、彼らが自分たちの罪をなんとか軽くしたいと考えて示したのがこの数字だと私は思いますので、多分これは過小評価です。国際的には、放出量はもっと多いと評価している研究機関もたくさんあります。この放射能量は、広島原爆に換算すれば168発分になるのです。広島原爆1発分の放射能だって猛烈に恐ろしいものです。それが、原子力発電所が事故を起こしたら、その168倍の放射能を放出してしまったと日本国政府が言っている。そして、今この瞬間も、海に向かって放射能がどんどん流れて行っているのです。広島原爆何百発分という放射能をもう既にばら撒いているし、それを制御することもできないままいまもばら撒いている、そういう状態が今も続いています。つまり、福島第一原子力発電所の事故は、広島原爆何百発分、場合によっては一千発分の放射能をばら撒き、今もばら撒き続けている、という事故なのです。

大変危機的な事故が進行している、と本当は思わなければいけない、と私は思うのですが、残念ながら日本では、そんなことはもう忘れ去られようとしています。でも残念ながら事故は起きたし、汚染もあるのです。どんな汚染があるかといえば、これも日本国政府が作った地図ですが——『脱原発の哲学』の中にちゃんと載っています——、ここに福島第一原子力発電所があって、北西の方向に赤、黄、緑の色が塗られたところがありますが、ここが猛烈な汚染地帯なのです。なぜこんなことになったかといえば、放射能の雲が流れてきた時に、この地域で雨と雪が降ったのです。皆さんは、『黒い雨』という井伏鱒二さんの小説をご存じだと思います。広島で原爆が炸裂して、キノコ雲から猛烈な雨が降ってきた。その雨が広島の街の白い土壁に降りかかったら、黒い筋になって残った。つまり、雨が死の灰、放射能を強く含んだ状態で降ってきて、それが黒い雨になった、そして人々が被曝をした、ということを扱った小説ですけれども、ここでそのことが起こりました。放射能の雲が雨と雪で洗い落とされて、地上が猛烈に汚れてしまった、というのがここなのです。

この猛烈な汚染地域から、10万人以上の人たちが強制避難させられました。もちろん住んではいけません。避難させなければいけないのです。しかし、避難というものを皆さん分かっていただけるだろうか。例えば、今日皆さんはこの場に来てくださって、この集まりが終わったら皆さん自宅に帰るつもりでいるはずです。明日はどんな仕事をしようか、来月はどんなことをしようか、来年にはこんなことをやってみたい、とみんなそれぞれ計画を持って、日常の生活がずっと続いていくものだと思ってきたはずだし、今皆さんもそう思っているでしょう。でも、汚染地域の人々は違うのです。ある日突然出て行けと言われたのです。家もなくなる、仕事もなくなる、子どもたちは学校もなくなる、友達もなくなる、地域のつながりも全部ズタズタにされて散り散りになって放り出されたのです。そして、既に事故から5年8ヶ月が過ぎていますが、それでも彼らは帰れないのです。それがここで起こった事態です。

そして、もちろん汚染はここだけでは済みませんでした。福島県を南北に青い帯が縦断していますが、ここは中通りと呼ばれるところで、ここも猛烈に汚染されています。栃木県北部、群馬県北部も青い色で塗られていますが、猛烈に汚染されています。茨城県北部・南部、千葉県北部、東京の下町も汚染されています。

これはどの程度の汚染だったのでしょうか。私は京都大学原子炉実験所で働いていました。原子炉を動かしたり放射能を扱ったりしながら仕事をする人間です。放射線業務従事者という法律的なレッテルを貼られて、給料をやるから、皆さんに比べて20倍の被曝までは我慢しろ、と言われてきた人間です。そういう人間は放射能を扱う仕事をするわけですが、放射能を取り扱う仕事は放射線管理区域という場所でしかできません。放射能を取り扱おうと思えば、日本国では放射線管理区域でしか取り扱ってはいけないという法律があって、その法律に従って、私は40数年間ずっと生きてきました。自分の被曝も少なくしよう、他人を被曝させないようにしよう、放射能を管理区域の外側に持ち出して汚染しないようにしよう、と細心の注意を払って生きてきた人間です。では、放射線管理区域からどれだけの汚染なら持ち出していいのか。1平方メートルあたり4万ベクレル以上汚れているものは絶対に持ち出すな、というのがこれまでの法律だったのです。しかし、この青い部分は1平方メートルあたり6万ベクレルを超えています。しかも、大地が汚れているのです。何かのゴミが放射能で汚れていた、私の衣服が汚れていた、というのではなく、大地全部が放射線管理区域の基準以上に汚れているのです。私には想像もできないことです。放射線管理区域に入ったら水を飲んでも、食べ物を食べてもいけない、寝てもいけないのです。管理区域の中にはトイレもないから、排泄もできない。でも、今はこうした本来であれば放射線管理区域にしなければいけない場所に、人々が捨てられているのです。赤ん坊も子どもも含めてそこで生きている。ご飯も食べるし、水も飲み、そこで寝る、ということを今現在も続けている、という状態になってしまっている。この状態をどう考えれば良いのか私にもわからない、というほどひどいことが今起きているのです。


原子力の夢に酔い続けた責任

原子力のありようは、かつての戦争とそっくりだと私は思います。巨大な権力組織が一体となって原子力を進め、国民には、教育現場、マスコミを通して、バラ色の夢しか与えませんでした。多分、皆さんもそのバラ色の夢をずっと聞かされ続けて、原子力について特段の不信を抱かないまま過ごされてきたのではないかと思います。2011年3月11日までは、です。

そして、福島第一原子力発電所の事故が起きたのですが、それにもかかわらず誰も処罰されていません。私が福島第一原子力発電所の事故から学んだ教訓は単純です。原子力発電所が事故を起こせば大変悲惨な事態になる、こんなものに手をつけてはいけない、即刻全部やめよう、というのが私が得た教訓でした。しかし、原子力を推進してきた人々が得た教訓は、まったく違ったものでした。彼らが得た教訓とは、どんな悲惨な事故を起こしても誰も処罰されない、ということです。東京電力の会長・社長以下、誰も処罰されない。歴代の自民党の首脳、原子力発電所に安全だと言ってお墨付きを与えた学者・政治家たちも処罰されない、官僚も処罰されない。何でもないのだ、という教訓を彼らは得たのです。そして彼らは、たくさんの人々を棄民したのです——どうしようもないので人々を被曝させてしまえ、ということです。そうした組織は「原子力ムラ」と呼ばれるようになりました。私も長い間そのように呼んできましたが、最近では別の呼び方をするようになりました。彼らは犯罪者集団なのだから、私は彼らを「原子力マフィア」と呼ぶようにしています。彼らの責任を明らかにし、徹底的に処罰しなければ、この歴史を乗り越えることはできないのだと思います。

しかし、やはりそれだけでは済みません。ほぼすべての日本人が、原子力の夢に酔って、原子力の暴走に加担したのであり、少なくとも原子力の暴走を放置しました。申し訳ないけれども、皆さんにもその責任はあるだろう、と私は思います。その責任を、かつての戦争の時と同じように、単に騙されたと総括してはなりません。自分の責任をどう考えるか、ということが大切だと私は思います。


原子力は何のために必要か

原子力は何のために必要だったのか、ということは、『脱原発の哲学』が詳しく書いてくれています。お読みでない方はぜひ読んでいただきたいと思いますが、例えば、世界では、未来の無限のエネルギー源である、安価な発電ができる——原子力は一番安い発電手段である——、厳重に審査するので安全である、と言われてきました。皆さんもほとんどの方がそれを信じてきたのだと思いますが、『脱原発の哲学』で詳しく書いてくれているように、これはみんな嘘だったわけです。

では、それでもなぜこの日本国が原子力を進めようとしてきたのか、というと、これも『脱原発の哲学』に書いてある通り、原子力と核は同じもので、原子力を推進すれば核兵器を製造する能力を持てる、ということです。原子力と核は一心同体のものだ、というわけです。


責任について

ここで責任について考えてみたいと思います。ドイツの例を挙げましょう。この写真はビルケナウ(アウシュビッツ第二)強制収容所です。そこには鉄道でたくさんの人が運び込まれ、選別をされて、そのままガス室で殺された人も、強制労働をさせられた人もおり、人々が次々と死んでいくことになりました。そのようなナチスの歴史を経て、ドイツ人は一体どうしたでしょうか。ヴァイツゼッカー大統領という人がいましたが、彼は「荒れ野の40年」という演説を行って、こう述べました。「問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし、過去にも目を閉ざす者は、結局のところ現在にも盲目となります」。ドイツという自分の国のナチスの歴史をきちんと直視しなければいけないし、それを清算することが大切なのだと彼は言いました。そして、ドイツは何とかそれをやろうとしながら今日まで来ているのです。

その時に、悪かったのはナチスだけではない、と気がついた人もいます。やはりナチスの強制収容所に収容されていた、ドイツ福音主義教会のマルチン・ニーメラー牧師です。彼は、第一次世界戦争の時にはドイツが誇る潜水艦Uボートの艦長をしていたという人ですが、戦争が終わってから牧師になりました。その後、マルチン・ニーメラー自身も捕らえられ、強制収容所に入れられた。彼は何とか生き延びて、解放されるのですが、彼は後からこう言いました。「ナチスがコミュニストを弾圧した時、私はとても不安だった。が、コミュニストではなかったから、何の行動も私は行わなかった。その次、ナチスはソシアリストを弾圧した。私はソシアリストではないので、何の抗議もしなかった。それから、ナチスは学生、新聞、ユダヤ人と順次弾圧の輪を広げていき、その度に私の不安は増大した。が、それでも私は行動しなかった。ある日、ついにナチスは教会を弾圧してきた。そして私は牧師だった。が、もうその時は、すべてがあまりにも遅すぎた」。

次に、田中正造さんの例を挙げましょう。田口さんは正造さんの研究家でもあるので、私が正造さんの話をするのは大変おこがましいと思っていますが、彼の言葉の中に次のようなものがあります。「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず。村を破らず、人を殺さざるべし」。山も、川も、人が住んでいる村も、そして人自身も、傷めたり、殺したりしてはいけないのだ、それが文明というものなのだ、と彼は言いました。彼は、足尾銅山の鉱毒で関東一円の人々が殺されていくことに抵抗して、そのことに自分の一生を捧げた人です。国会議員でもあって、国会の中で散々政府を追及しました。日清・日露の戦争よりも、自分の人民を殺すことの方がよほど問題だ、と言って国会の中で抵抗するのですが、当時の大日本帝国の国会は戦争へと突き進み、そのために足尾銅山の銅で外貨を稼ぐことが重要だとして、人々を棄民していったのです。

そして正造さんは、「亡国に至るを知らざれば、之れ即ち亡国の儀につき質問書」(1900年)という質問書を出して、国会議員の職を投げ打って、谷中村の汚染地に入っていく。その時に彼はこのように書いています。「民を殺すは国家を殺す也。法を蔑ろにするは国家を蔑ろにする也。皆自ら国を毀つ也。財用を濫り民を殺し法を乱して而して亡びざるの国なし、之を奈何」。

正造さんは何をやろうとしたのでしょうか。足尾鉱毒事件の後にも、公害は起こりました。その一つに水俣病がありますが、その水俣病に生涯をかけて取り組んだ人に、原田正純さんという医師がいます。原田さんももう亡くなってしまいましたが、彼が書いた本の中に、大佛次郎賞を受賞した『水俣が映す世界』があり、その中で彼は次のように書いています。「水俣病の原因のうち、有機水銀は小なる原因であり、チッソが流したということは中なる原因であるが、大なる原因ではない。大なる原因は“人を人と思わない状況”、いいかえれば人間疎外、人間無視、差別といった言葉でいいあらわされる状況の存在である」。

正造さんが闘った足尾鉱毒から始まり、四大公害を経て、福島原発事故を貫いているものは、国を豊かにするという発想、その下で企業を保護し、住民は切り捨てるという構造です。この日本では、もう百年以上この構造が続いています。こんな国が豊かな国と言えるのか、それが今私たちに問われていることだと思います。

どう生きるのか、どんな抵抗が可能か

ではどう生きるのか、ということですが、これも正造さんが私に指針を与えてくれています。「対立、戦うべし。政府の存立する間は政府と戦うべし。敵国襲い来たらば戦うべし。人侵入さば戦うべし。その戦うに道あり。腕力殺戮をもってせると、天理によって広く教えて勝つものとの二の大別あり。予はこの天理によりて戦うものにて、斃れてもやまざるは我が道なり」。武力に基づいて戦うのは駄目なんだ、天理に基づいて戦え、と言って、彼はその通りに戦って、のたれ死ぬようにして死んでいきました。

では、私というこの人間がどのように生きるべきなのか、ということですが、今聴いていただいたように、戦争の時代から公害の時代、そして福島の事故が起きた今の時代を私は生きてきたわけです。私は1949年生まれですので、かつての戦争が終わった直後に生まれて、自分のことを「戦後世代」と呼んできました。しかし、それが間違いだったかもしれない、と今私は思うようになっています。今、日本というこの国は、戦争に向かって転げ落ちて行くという時代に差しかかっています。特定秘密保護法も作られてしまった。武器輸出はしないと言っていた国なのに、武器輸出三原則も撤廃されてしまって、どんどん武器を海外に売りつけて金儲けをする、という国になっている。戦争法案も既に可決されて、集団的自衛権も認めて、自衛隊が同盟国と一緒に海外で戦争をしてもいい、ということまで認められてしまった。そして今や、衆参両院で三分の二の議席を自民、公明などの改憲勢力が握っていて、憲法の改悪が発議できる状態にまでなっており、安倍さん自身は自分の任期中に憲法を変えると公言しています。あまり遠くない将来に、個人の自由が制限される時代が来るかもしれません。

ニーメラもそうだったように、だんだん悪化する事態に飲み込まれていく。今、この日本も大変危うい事態だと私は思っています。権力によって拘束され、爪一枚一枚剥がされる拷問の時代、家族にも親族にも危害が及ぶ時代、挙げ句の果てには虐殺されてしまう時代が、つい数十年前に日本にあったのです。そんな時代になった時に、私自身にどんな抵抗ができるか、正直に言ってわかりません。指一本ずつ潰されながら、それでも国に抵抗できるか、原子力はやめるべきだなどということを言えるか、自分の子どもたちが殺されると脅される時に、抵抗を続けられるか、と言われると正直に言ってわからない。そんな時代になる前に手を打たなければどうにもならなくなる、という時代が目前に迫ってきていると思います。

しかし少なくとも、私は完全に自由な人間としてここに立っています。権力によって拘束もされていないし、もちろん殺されてもいない。好き放題発言できます。天皇に戦争責任があると言いましたが、そんなことを言えば、かつての長崎市長は拳銃で撃たれたわけです。しかし、私はここに生きて発言もできている。まったく自由な人間として生きている限りは、自分の発言に関して責任を取るべきだと私は思っていますし、福島の事故を起こした人々にも必ず責任を取らせたいと思っています。そして、私は権力から何の弾圧も受けなかったし、カネ、出世、名誉などというつまらないもののために自分の人生を生きるつもりもさらさらありません。私は誰よりも、私という一人の人間として、私らしく生きたいと思ってきましたし、いま生きている一人の人間として、自分の生きていることに責任を負う、ということだけは必ずやりたいと思ってきました。そのために、熊取六人組という仲間とともに生きてきたのであり、「批判的科学」という形で国家に抵抗してきたつもりです。そうしたことを佐藤さん、田口さんが『脱原発の哲学』の中できちんととまとめてくださったことに、感謝したいと思います。ありがとうございました。これで終わりにしたいと思います。


質疑応答

佐藤:今日、小出先生にご講演いただいたのは、『脱原発の哲学』の中で、熊取六人組のお仕事を大変重要な参照項として参照させていただいているからですが、それに加えて、科学者自身が原子力のような科学技術をどのように批判し、それとは別のあり方を模索していけるか、ということを熊取六人組の方々が非常に自覚的に実践してこられたからでもあります。また、私たちが福島原発事故後に、多くの科学者に違和感を持ったことも理由の一つで、彼らは、科学とは「価値中立的」であって、自分の科学的知識に照らせば、福島原発事故の影響は極めて少ないのである、と主張したわけです。それに対して、熊取六人組の方々は活動の初期から、社会科学的視点、あるいは差別といった、科学外の視点も踏まえながら、科学のあり方を批判してこられたと思います。その点についてはいかがお考えでしょうか。

小出:科学が価値中立だ、という言葉をいま佐藤さんが使われたわけですが、科学が価値中立だなどということは絶対にありません。科学は、未知のものを知りたいということで研究をするわけですが、先ほど聴いていただいたように、どれを知るのかという時に、そこには判断が介入しているので、どれを知るのか、ということは往々にして権力の側から規定されている。原子力をどんどん研究しろ、カネはいくらでもやるぞ、と言えば、科学に携わっている専門家はそちらに大挙して流れていくわけですし、そうやって科学というものができているのです。価値中立などということはまずもってありえません。科学はすべて社会の中で規定されている、ということは皆さんにも認識していただきたいと思います。

田口:別の言い方をすれば、差別を受ける側は生活全体において差別を受任することになるので、差別する側と差別される側で価値中立を取る、ということは、その時点で必ず権力寄りになる。圧倒的な非対称の中で中立的な立場を取る、ということは完全に権力に寄る、ということだと思います。小出先生と熊取六人組の方々は、原発と差別の関係について常に意識的であり、また常に差別を受ける側に立ってこられたと思いますが、その点について小出先生のお考えをお教えいただければ幸いです。

小出:今日聴いていただいたように、私は核=原子力、原発に反対し、それに抵抗して生きてきました。核=原子力は純粋に科学的に言っても、特別に破滅的な技術だと思います。しかし、私がそれに反対してきたのは、単に危険だからではありません。核=原子力は徹頭徹尾差別的で、他者の犠牲を前提にしなければ成り立たないからです。原発を都会から離し、伊方などに押し付けてきたのも、その一例です。今日は聴いていただけませんでしたが、被曝労働を下請け労働者に押し付けてきたのも差別的です。おまけに、始末の方法を知らない核のゴミを膨大に生み、それを未来の子どもたちに負わせることも、無責任の極みです。原発が単に科学的に安全だとか、危険だとかいう議論ではなく、社会的な意味を含めて考えるべきと思います。

*質疑応答については、構成段階で小出裕章氏から追加的な回答をいただいた
[構成:佐藤嘉幸]

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第169回掲載

遠藤知巳『情念・感情・顔「コミュニケーション」のメタヒストリー』(以文社)についての内容です。

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer169.htm

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

 

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


○第169回(2016/10)

遠藤知巳『情念・感情・顔「コミュニケーション」のメタヒストリー』(以文社)。A5判上製全774ページに及ぶこの浩瀚な書物は、「近代の深さ」を捉えようとする野心的で刺激的な研究書である。遠藤はとりわけ初期近代に照準を合わせ、人間存在の在り方のどのような変化が近代を生み出したのかを、徹底的に問うていく。

人類の(特に西洋の)歴史が近代へと推移する画期の指標として、「自我」の発見/誕生が言われる。「自我」は、思索する「主体」である。だが、近代以前の世界においても、もちろん人びとは思索し、豊穣な思想や文学が遺されてきた。近代的「自我」の、そして近代的「自我」の思索をそれ以前と切断するものは、一体何なのか?

それは、「内/外」の切断である。認識論の用語でいえば、「主観/客観」の対立図式の成立である。「二世界性」である。現代に生きる我々が自明とし、観察や思索の前提となっているこの切断、「二世界性」は、近代以前の人びとにとっては、決して自明ではない、或いは全く考え及ばない図式だったのだ。“恐らく17世紀の人びとにとって、心が自然と異なる位相にあること自体が驚きだったのだろう”と遠藤はいう。

図式の移行は、ある日突然起こったものではない。過渡期である初期近代、“16世紀においては、情念=受動を行動主体の原理へとそのまま読み変えようとする議論が優勢”であった。情念は、主体の外から到来し、かつ主体において発現するものである。“あるものと別のあるものとの「あいだ」にある、つまり2つの領域を横切るようにして出現する情念=受動(パッション)は、初期近代に特徴的な何かを、遂行的にーつまりその都度断片的なしかたでー指し示している”のである。

近代への移行を推進した重要な哲学者の一人が、ジョン・ロックである。彼は、感覚(器官)―印象(刻印)―表象という因果系列があくまで心のなかの出来事であると考え、その因果系列の最後の部分を指す用語として「観念」を用いた。そして、観念を受け取り、それを観察しては新しい観念へとひたすら組み合わせていく思考するモノとしての人間を考えた。

ロックこそが、”感覚主体の論理を初めて明瞭に言説化した”哲学者であるが、同時にそれは「情念論の少し外でしかなされえなかった」と遠藤は指摘する。ぼくたちは、「二世界性」という意味で、ロックよりもさらに先に進んでしまっているのかもしれない。遠藤がいうとおり、“私たちは、「反省する私」と「反省される私=感覚する私」とが別物であり、かつ前者が後者に優越するという想定する、ある意味でとても不自然な考え方ーどちらも同じ身体上の出来事なのだからーに慣れてしまっている”からだ。

そうした過渡期にあるロックが“communicate/communicationを、「思想/思考を」等の目的語を伴わずに、自動詞的に用いた最初期の人であることは興味深い”と遠藤はいう。ロックの“経験論の文体は、経験の私秘性とーそれが報告され了承されるかぎりにおいての−「社会」(社交)性を同時成立”させているのである。

翻って現代の我々はどうか? 「内/外」の切り離し、「二世界性」が更に亢進した時代にあって、その思考は二値論理の集積でしかあり得なくなり、極めて貧しいものになっていはしないか?そして情念論から大きく隔たった場所に辿り着き、communicate/communicationを困難にし、もはや「社会」(社交)性の成立さえも危ういことになっていないか?

18世紀になると、チューリッヒの牧師ヨハン・カスパール・ラファータ−の『観相学断片』(1775−8)を契機として、観相学が急浮上する。ヘーゲルもまた『精神現象学』の理性の章で、観相学にページを割いている。現代のぼくらから見るとエセ科学としか思えない観相学をヘーゲルがある種ムキになって批判しているように見えることが、ぼくには不思議でならなかった。だが、ヘーゲルが『精神現象学』を書いていた19世紀の初頭は、観相学が大いにもてはやされる時代であったのだ。それは顔が、まさにその時代に引き裂かれ始めた「内/外」の、文字通りインターフェイスに他ならないからである。

顔は、他者の「主体の内部作用という薄明の領域」に踏み込む唯一の扉かもしれない。顔とは表情の場であり、表情は“感情の表出と伝達という、記号固有の機能と目的をもち、人工言語より安定してさえいる記号体系によって成立している”言語であるからだ。

だが一方、顔は、表情は、「内」を白日のもとに晒すものではない。アーロン・ヒルは次のように言っている。“すべての人は、自分がそう受け取られたいと考えている姿になるように、己の職業にふさわしい、もっともらしい態度と外面を気取る。だから、この世界は公式の顔つきと芝居だけで出来ていると言ってもよいだろう”。

顔は、「内」を晒しながら、覆い隠すものでもあるのだ。観相学は、“「この顔はこの人の何かを告げている」という断言と、「この顔はこの人の真実を本当に告げているのだろうか」という不安や懐疑”という背反する二つのものを同時に生み出すのである。

そのような顔を見る、見られるという状況において、互いの「内」を何とか見定めようとするせめぎ合いこそ、「社交」ではなかったか?その際、相手の「内」をできるだけ正確に見出し、自分の「内」をできるだけ隠しおおすことこそ、「社交」において有力な戦術であったことは想像に難くない。その結果、“見られることなく見たいという人々の欲望によって、社交の円環は引き裂かれていく”のである。そうした、「見られずに見る」観察主体の想像力を、はるかに安定的で大規模に組織したのが、19世紀小説における「作者」という装置の制度化であったと遠藤はいう。

さて、今日。PCやスマホの液晶パネルが顔に代わってインターフェイスとなった今、「社交」は成立するのか?

確かに、顔は騙しもする。しかし、顔は他者の「内」を垣間見る有力な手がかりでもある。

例えばぼくたち書店員は、その重要な手がかりを見逃してしまってはいないか? お客様の言葉の上っ面だけを捉えて、マニュアル通りの接客用語で応答することに終止していないか? 一回一回のお客様がほんとうは何を期待しているのかを、掴みとろうとしているか? そのために、お客様の顔をしっかりと見るという基本的な作業が、できているだろうか?

もしそれができていないとすれば、キーボードと液晶端末をインターフェイスとするネット書店と何ら変わりはない。書店というリアルな空間で本を売ることが持っているアドヴァンテージを、全く生かすことができていないのである。そのような空間は、「社交」の場でも、「議論」の場でもありえないのだ。

まず、しっかりと、お客様の顔を見ること。

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第168回掲載

9月21日「第43回出版研究集会 全体会」についての内容です。

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer168.htm

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

 

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


○第168回(2016/9)

 9月21日(水)午後六時、ぼくは都営地下鉄三田線春日駅のダンジョンのような複雑な構造に少しばかり悩まされたなあと、会場の文京区民センター2−A会議室に着いた。そこで開催されるイベントは、出版労連主催「第43回出版研究集会 全体会」である。この後一ヶ月間に4つの分科会が予定されている。ぼくが今回パネリストとして参加する「全体会」のテーマは、「出版産業「崩壊」の危機を前に」であった。

 日本出版学会新会長の植村八潮さんが開会前にやってきて、「何?「崩壊の危機」って。「の前に」って?現状認識から誤っているんじゃないの?」と突っ込む。ぼくは、「出版産業「崩壊」の後で」が正しいタイトルかもしれません、と返した。

 それほどに、出版業界には危機感が、絶望感が満ちている。「崩壊」の足音は、多くの耳に届いている。氷山に向かうタイタニックのクルーたちのように、このままでは沈んでしまうことを、多くの人が予感している。

 パネルディスカッションが始まり、「出版産業「崩壊」の危機を前に」というテーマを与えられてまず考えることは?と司会者から振られた最初のパネリスト中町英樹さん(日本出版協会)も、「出版産業は、もう崩壊している」と語り始めた。それは、今の業界には「誰が読者なのかわからない。どこで売れるのか分からない。どういうお客さんか分からない」からだ。これまでの業態を「当たり前」だと 思い、読者を考えずに来たから、読者が変わったのに、自らが変わることができなかったのである。

 委託制度は、需要が供給を上回っていた時代は有効に機能したが、供給が需要を上回っている今日、むしろ弊害の方が大きくなってきた。だから、例えば日販のインセンティブ契約などは、新しい試みとして評価できる。確かにここに来て、その縮小のモメンタムの影響も出てきてしまっているが。いずれにしても、「本は、定価で、新刊書店で買いましょう」というテーゼが成り立ちにくくなり、アマゾンの急成長を許してしまった今日、「店のお客が何を求めているか?」に真摯に向き合うという原点に帰らないかぎり、出版産業の再生はない。

 それを受けて、ぼくは次のように発言した。

 確かに書店現場からも、自分たちの客を知ろうというモチベーションが減退、或いは無くなってきつつある。個人情報保護法などという法律、就中その拡大解釈も大きい。そうした動きに対抗するどころか、むしろそれに乗ってしまっているところがある。ぼくはそうした流れに反発した。新宿ロフトプラスワンの「個人情報保護法粉砕」の集会に参加したりもした。「商売人が客のことを知ろうとして、何が悪い」という、極めて単純な、ぼくにとっては当たり前の発想だった。

 そして、通販に対抗して書店がやらなければならないことは、読者に様々な本の主張に関心を持ってもらうことだ。そのためには、議論を巻き起こさなくてはならない。書店空間そのものが、様々な本たちの林立によって、議論の場でありたい。その一つの方法が、書店員自身の明確な主張を伴ったブックフェアだ。ぼくが行なった『NOヘイト!』のフェアも、渋谷店での「民主主義」フェアもそうだった。クレームが来ることを、恐れない。むしろ、歓迎したい。クレーム客と真摯に向き合って意見を述べる時こそ、普段「お客様、お客様」と持ち上げながら一定の距離を取ってしまっている来店客と対話をし、コミュニケーションを持つチャンスだからだ。

 続く扶桑社の梶原治樹さんは、自分は出版販売のピークだった1996年以降の入社なので、右肩下がりの時代しか知らない、そんな中で、今一番厳しい雑誌の世界では、時限再販やデジタル化など、新しい試みが出てきている、独立系の個性的な書店も出現してきた、これまでの常識に縛られない若い世代の力に期待したい、と述べられた。

 続いて中町さんが「間違ったマーケティングが蔓延っている」と断じた。モノマネ企画、資金繰りのための新刊洪水には、まず読者を見ようとする観点はなく、ただただ出版業界、出版流通業界を疲弊させているだけだ。その狭間にあって、感覚の優れた編集者はいい本を出している、そうした商品を大切にするべきだ、と言われる。

 梶原さんも、今や出版社の出版企画会議に紀伊國屋書店のパブライン情報は不可欠で、創る側がPOSデータによる「実績」に左右されている、と証言する。

  「間違ったマーケティングが蔓延っている」という中町さんの診断にはぼくも同意する。出版社だけでなく、書店においてもPOSデータに振り回され、過去に数多く売れた本を引っ張りすぎている。自分の店を利用しているこの本を買いそうなお客様にはもう行き渡ったから、そろそろ棚差しにしよう、あるいは外してしまおうという発想は、なかなか出てこない。つまり、自分の店の客を、ちゃんと見ていないということだ。

 最後に言いたいこと、というコーナーのためにぼくが用意していたのは、『本屋がなくなったら、困るじゃないか』(西日本新聞社)という本。この本は、福岡市の福岡大学セミナーハウスに、出版社、取次、書店の人たち12名が2日間延べ11時間に亘って車座トークをした記録だ。12名以外にも、会場からの発言も入る。12名の中の一人、文化通信社の星野さんが、「時間が長いということもあり、繰り返し原点の話に立ち戻ることができたんです。同じことを何度も、違う視点で見つめなおすことができた。良い意味での堂々巡りができたし、話をムシ返せるのは良かった」と振り返っているが、読者としても同じ感想を持つ。「ブレインストーミング」というのだろうか?参加者がそれぞれの思いを自由に語りだすからこそ炙り出されるもの、決して予めシナリオにあったわけではない問題の中心が、自然と見えてくるのだ。そして、決して結論を求めない長い討議の末に、「常識を超えた」新しい物流の仕組みが仄見えてくるのである。

 車座トークのはじめの方で星野さんが「「大山緑陰シンポジウム」を思い出します」と言っている。ぼくも、本を読み始めてすぐに、5回中2回参加した「大山緑陰シンポジウム」を思い出した。最後の年に出版社の若手営業マンが「これでこのシンポジウムが最後と思うと、寂しいですね」と言うので、「そう思うなら、東京に帰って自分たちで新たに作ったらいい」とぼくが焚き付けてできたのが「でるべんの会」だった。梶原治樹さんは、その会の主要なメンバーなのだ。

 そんな縁も感じて、今回のイベントではどうしてもこの本を紹介したかったのだが、あるいはその底には、3人で2時間では問題提起もままならない、という思いがあったのかもしれない。

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第167回掲載

7/29出版労連でのシンポジウムについての内容です。

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer167.htm

 

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

 

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


福嶋聡「本屋とコンピュータ」第167回(2016/9)

 2016年7月29日、東京・本郷の出版労連会議室で開催されたシンポジウム「『ヘイト本』と表現の自由」に、シンポジストとして参加した。シンポジストは他に大月書店岩下結氏、小学館川辺一雅氏、弁護士の水口洋介氏である。

 最初の話者は、岩下氏。

 2年前の2014年7月、氏が中心メンバーとして活動している「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会(BLAR)」が、同じ会場で「『嫌中嫌韓』本とヘイトスピーチ」という学習会を開催、その内容を『NOヘイト! 出版の製造者責任を考える』(ころから)として刊行した。それからちょうど2年を経た今、日本社会と出版業界がどう変化し、あるいはどう変化しなかったかを考える機会として、今回の学習会を企画したと、岩下氏はいう。

 この間、「ヘイトスピーチ」という言葉は社会に認知され、今年5月にはヘイトスピーチ解消法が成立、川崎市の差別デモを中止に追い込むなどの効果を上げている。少しずつではあるが、社会の対応は前進したと言える。

 だが、わが出版業界はどうか?『NOヘイト!』が直接その姿勢を問いかけた出版業界の反応は鈍かったように思う、と岩下氏は総括する。

 その大きな理由の一つが、「言論の自由」という理念である。「ヘイト本」も、多くが賛同し難いものとは言え一つの政治的思想や信条を表現した出版物であり、それらに対する事前検閲や法的な規制を、出版界は簡単には容認できないのだ。

 意見が対立している状況下での「言論の自由」については、ヴォルテールが言ったとされる「私は君の意見に反対だが、君がそれを言う権利を、私は命をかけて守る」ということばや、「真理の最上のテストは、市場の競争において自らを容認させる思考の力である」というホームズ判事の「思想の自由市場論」が参照されることが多い。その結果、「ヘイト本」の出版、存在は認めた上で、その内容については言論で徹底的に糾弾する、という結論に落ち着く。

 だが、岩下氏は、そうした「言論の自由」観に異議を唱える。そもそも「ヘイト本」が「言論の自由」を先に破壊してしまっていると指摘する。「ヘイト本」とは、民族・性差・性的指向・障がいの有無に関する差別を煽動・強化する言説であり、そこにあるのは「お前たちに発言権はない」というメタメッセージだからである。それが目指すのは、事実に根差した議論ではなく、他者を沈黙させることだからである。そして、「ヘイト本」の濫造が、その目的を実際に達成している。ヘイト言説に直面したとき、在日コリアンの多くは反論や怒ることすらできず、黙って立ち去ることしかできない状態に陥る。書店の書棚を席巻する「ヘイト本」の群れを眼にして、彼らは黙って書店を立ち去る。「ヘイト本」は明らかに、被差別者が書店において言説や情報に出会う機会を、それらを得て思考を鍛え表明する機会を、即ち「言論の自由」を予め奪ってしまうのだ。

 そうした現実を批判し、特にメディアは、意識的にマイノリティの存在を明らかにし、彼らに対する差別を糾弾、徹底的な差別反対の姿勢を貫かなければならないと岩下氏は締め括った。

 二番目がぼくであった。ぼくは、「ヘイト本」「ヘイトスピーチ」に対して明確な意識と意見を持っているシンポジストの中で、参加者の前で、何よりも実際に書店現場で起こったことを正確に報告することが何よりもこの会でのぼくの役割と思うと切り出し、一昨年秋に『NOヘイト!』の新刊案内を発見して大いに共感し、書評を書きフェアを展開していった経緯とそれに対する反応を時系列に沿ってお話した。詳細は、このコラムでも何度か書いたもので、『書店と民主主義』にも纏められているので、ここでは割愛する。

 そうして、岩下氏の主張には大いに賛同するが、書店人としては、「ヘイト本」を自店の書棚から外すという選択はしない、と申し上げた。その理由としてぼくは、

 一、ぼくたちが対決しようとしている「ヘイト本」「ヘイトスピーチ」の根底にあるのは「排除の原理」であり、それらを書棚から「排除」するという行為は、結局敵方と同じ型に陥ってしまうこと

 二、現実的にどこからどこまでが「ヘイト本」に当たるかという線引はできない。例えば在特会のメンバーによる著書よりも、本屋大賞受賞の人気作家や元女性キャスターの著作の方がより多くの読者を獲得している分、危険度は大きいように思う。どこまで外すか、という判断は容易ではないこと

 を挙げた。

 三番目に話された小学館の川辺氏は、青林堂の『そうだ、難民しよう!』という本を掲げ、読み上げながら、いかに書かれていることに事実の誤認があり、本来そうした誤認をチェックすべき編集が杜撰であるか、を示された。そして、編集者としては、よりグレードの高い編集作業によりクオリティの高い本を仕上げて、そうした言説に対抗していきたい、それが自分たちの出来ることであり、目指すところだと言われた。

 どこからが「ヘイト本」だという線引きが難しい以上、排除するのではなく対抗するいい本をつくっていきたいという編集者としての姿勢は、書店人としてのぼくの行き方と方向性を同じくしていて、大いに共感した。ただし、書店現場に立っている者としての経験からは、よりクオリティの高い本が、より多くの読者を獲得し共感を得ているという訳ではないという現実は、否めないのだが……。

 四人目の水口弁護士は、それまでの三人とは少し違った角度から問題にアプローチされ、出版業界外の人の意見が大変興味深かった。

 「ヘイト本」「ヘイトスピーチ」を法規制によって取り締まれという声も大きくなってきて、「ヘイトスピーチ規制法」が出来た。この法律には罰則規定はない。刑事罰については慎重になった方がよい。成立した法律は、元の意図を超えて特に権力に利用されやすく、法の適用も恣意的になりやすい。例えば、同じように貼っていても、特定の政党のポスターを貼った時だけ住居侵入罪が適用されるというような具合だ。何人も、ある時いわれなき罪状で逮捕・投獄されるかもしれないのだ。検察も警察も信用出来ない。刑事罰を伴う法律制定には、慎重であるべきだ。

 ただ、何もしなくてもよい、とう状況ではない。「ヘイトスピーチ規制法」には罪の定義があるだけだが、禁止条項はあるべきだろう。「ヘイトスピーチ」を行なった個人・法人の名前を公表する、「ヘイトスピーチ」と判断される文言を掲載したHPは閉鎖するなどの行政指導はあってしかるべきだろう。但しその判断主体は有識者などによる第三者委員会的なものであるべきで、政治・行政権力からは一線を画した存在であるべきだ。その意味でも、これまでの弁護士としての経験から、やはり警察権力の介入を余儀なくされる刑事罰の導入には、慎重であった方がよい、と思う。一方、行政指導等に伴う民事訴訟では、裁判の公開生の原則から、裁判官も余りに恣意的判決、いい加減な判決は出せない。

 四人とも、「ヘイトスピーチ」を許さず、「ヘイト本」の内容を認めないという点では一致している。相違は、「ヘイト本」の存在そのものも許すかどうか、である。

 BLARの岩下氏は、そこにあるだけで被差別者を攻撃し傷つける「ヘイト本」は、そもそも存在を許されるべきものではない、書棚に展示し、多くの人に見られることなどもっての外、と考える。

 一方、小学館の川辺氏とぼくは、「ヘイト本」はそれこそ憎むべき対象であるが、それらを抹殺する、見えなくするということを自分たちの仕事とは見ていない。「ヘイト本」には、本づくりやパフォーマンスで対抗、打ち克っていくべきだと思っている。

 弁護士の水口氏は、刑事罰を伴う規制法の拙速な制定には反対する。その点では川辺氏やぼくに近いかもしれないが、一方手を拱いているだけでよいというわけではなく、告発、裁判などの具体的行動は必要だと言う。

 シンポジウム終了直前の質疑応答のコーナーで、『ネットと愛国』(講談社)、『ヘイトスピーチ』(文藝春秋)などの著作がある安田浩一さんは、次のような質問を投げかけた。

 今日のお話の中で、「表現の自由」を言われるとき、それは「ヘイトスピーチ」する側の「表現の自由」について話されたが、私が取材の現場で考えるのは、「今、表現を奪われているのは誰か、沈黙を強いられているのは誰か」ということ。「ヘイトスピーチ」の被害者、被差別者の立場に立った時、現在の出版の状況をどのように考えられるか?

 質問の形をとってはいるが、安田さんは、被差別者は「ヘイトスピーチ」「ヘイト本」によって書棚から目をそむけさせられ、自由な言論が戦うアリーナである書店からも、締め出され、あらかじめ「言論の自由」を奪われている、そうした非対称をもたらす「ヘイトスピーチ」「ヘイト本」を排除することなしに、「言論の自由」はあり得ないと考えているのだ。

 敢えて荒っぽく集計すると、排除派2(岩下、安田):非排除派2(福嶋、川辺):「排除だが慎重に」派1(水口)ということになるだろうか?

 結論は真っ二つに割れたと言ってもいい。「ヘイト本」に反対する立場は同じでも、「ヘイト本」が「そこにある」ことを認めるか認めないかは、双方の主張の論拠がそれぞれ正当なものであるがゆえに、簡単に決着のつく問題ではない。大切なのは、拙速に意見の一致を求めることではなく、問題の深さ、解決の困難さを理解し、粘り強く考え抜いていくことであろう。そして、当事者として、眼をそらすことなく、「ヘイトスピーチ」「ヘイト本」やその背景となる社会の動向を知り、議論を深めていかなくてはならないと思う。

*9月7日の朝日新聞朝刊に福嶋店長が登場しています。合わせてご覧下さい。

http://www.asahi.com/articles/DA3S12546814.html

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第166回掲載

7/16丸善名古屋本店でのイベントについての内容です。

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer166.htm

 

「本屋とコンピュータ」TOPページ

*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

 

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


※スマートフォンでご覧の方のために、試験的にここにも本文を掲載します。

○第166回(2016/7)

 7月16日(土)、丸善名古屋本店のトークセッションに登壇した。タイトルは、「店で本を売るということ」、お相手は名古屋市千種区で古書店「シマウマ書房」を経営している鈴木創さんとの対談である。鈴木さんとは、昨年の9月に「本は人生のおやつです」で初めてお会いした。その時聞いたトークセッションでのお話がとても面白かったので、名古屋でのイベントを打診されたとき、お相手として真っ先に名前が挙がったのだ。→本コラム第156回参照

 トークセッションは丸善名古屋本店新企画「丸善ゼミナール」こと「マルゼミ」の第14回として開催された。「マルゼミ」は、人と文具、人と本と出逢う場所、情報、知識、感動、文化が出逢う場所である書店を、日常的な空間にその道の専門家と市民が集う、双方向の啓発に充ちた場にしたいという思いで企画した連続講座である。

 第1回は、4月15日19時 浅井登『はじめての人工知能』(翔泳社)。

 8月6日15時の第22回『恐竜博士の助手がやってくる!』(エクスナレッジ)までが決まっている。出だしから月5回以上のペースでやれているのだから、初期の池袋のトークセッションの開催頻度を思い起こしても、たいしたものである。ぼくを呼ぶぐらいだから講師は全国区の人ばかりではないかもしれないが、それはそれで開講のコンセプトに合っている。『名古屋とちくさ正文館』(古田一晴 論創社)などの本を読み、名古屋は進取の気性に富んだ街なのだと感じたことが、裏書された気もした。参加者は1回の出席ごとにスタンプ(1単位)が押印され、6単位、12単位の取得ごとに丸善オリジナルノベルティをプレゼント、というお楽しみもある。

 トークは、まずぼくが6月に上梓した『書店と民主主義』の出版の経緯を紹介する形で始まった。

 難波の「NOヘイト」、渋谷の「民主主義」のブックフェアが抗議・攻撃を受けたことが、大きなきっかけだった。このコラムや他の文章でもいきおいそのことにふれたものが増え、それらがある程度の分量に上ったので、本にまとめることになった。もちろん、刊行の背景として、安保関連法案可決などのきな臭い政治状況も頭にあった。

 その間、新聞、TVなどのマスコミのぼくへの取材も多かったが、それは実名、顔写真OKというインタビュイーが極めて少ないからだった。しかし、そもそも署名原稿であることから始まるブランド性こそ出版メディアがインターネットに対抗できる特長なのに、それはまずいのではないか?また、それは民主主義そのものの危機ともいえるのではないか?

 鈴木さんが割って入ってくる。

 「そもそも、一票の格差をそのままにしておいて、「民主主義」というのはおかしいと思うのです。なんとなく2.5倍までは許容できるなんて議論があって、裁判所も「違憲状態」といいながら選挙結果は許容している。だけど2.5倍というのは、3人で何を食べようかと相談している時に、二人がソバと言って一人がウドンと言っても、結局ウドンに決まるという格差なんです。その格差を解決しようとしていないのが、そもそも駄目だ。

 もう一つは、誰でも立候補できるといっても、組織や政党の推薦、公認をもらえないと、どんなに立派な政策を持っていても、それが表には出ない。今回の東京都知事選がそうであるように、報道においても、自ずと主力候補と泡沫候補に分けられてしまう。」

 民主主義=多数決ではない。だが、議論を尽くしても意見の一致を見ない時(実際、それぞれの利害が絡むときはそうなるケースが圧倒的に多いかもしれない)、最終的な決着は多数決に委ねられる。与党と野党の議論において同意に至ることが滅多にない議会においても、同様である。安倍首相が自信をもって、憲法九条に抵触しそうな議案を次々に提出するのも、議会における与党の圧倒的多数という状況があればこそだ。その数を決定する選挙において、一票の価値に大きな格差が見られる状況で、議会が国民の「総意」を正確に反映しているとは、決して言えない。

 だが、基本的には書店がテーマのトークセッションで、鈴木さんがなぜそこまで「一票の格差」にこだわるのか、お昼すぎに名古屋に着いてシマウマ書房にうかがった時に二人で行なった打ち合わせ段階から、ぼくは少し不思議に思っていた。しかし、次の鈴木さんの一言で、その真意が理解できた。

 「書店でも、一冊一冊の本が、ほんとうに平等に扱われているのだろうか?」

 ぼくは、『書店と民主主義』の中で、誰もが自分の意見を自由に表現できる状況こそが「民主主義」であり、それは多様な意見をその身に刻みつけた本たちが居並ぶ書店の店頭風景に似ていると述べた。だが、東京都知事選での主力候補と泡沫候補の扱われ方の差異に似て、高名な著者の本と無名な人の本、大手出版社や老舗出版社の出版物とそうでない出版社の出版物の店頭での扱われ方には、明らかな違いがある。出版社の宣伝力やブランド性によって、ぼくら書店員も、ひょっとしたら読者も、知らず知らずのうちに格付けを行い、そのバイアスを通して本を見てしまっているかもしれない。本たちは、書店においてほんとうに平等に発言の機会を与えられているか?それが、鈴木さんの(非難、批判ではなく)問いかけである。この問いかけを受けて、ぼくたちは日々の業務を自己検証していかなくてはならないと思う。

 「もう一つ、「お客様」という表現が気になる」と鈴木さんは言う。新刊書店では、表で「お客様、お客様」と目一杯立てているが、バックヤードでは「こんな客がいてさあ」と店員同士が噂しあっているというのではないかという疑いを持ってしまう、というのだ。そして、書店が本が集まり人が集まり行き交う場所だとしたら、店員と来店者も対等にやり合った方がいいと思うので「お客様」っていうのをやめませんかと提案したい、と。

 「古本屋は来店者から買うこともあるのでフラット」ということもあるだろうが、ぼくも、特に文章を書く時に「お客様」と書くことに抵抗がある。「客」でいいのではないか、とも思うし、「顧客」と書くか?「顧客」だと、もっと相手のことを知っていなければおかしいか・・・。「お客様」に代わる呼び名はすぐには思いつかない。だが確かに、ぼくらも例えば病院で「患者様」と呼ばれると、立ててくれていると同時に距離をおかれている、突き放されている、親身になってくれないのではないかという不安を抱く。同様にぼくたちもまた、「お客様」と連呼することによって、その人と距離を置き、近づきすぎるリスクから逃れようとしているのではないか?そんな及び腰で、ぼくは書店を「言論のアリーナ」などと呼ぶことが出来るのだろうか?

 「〇〇さん」でいいのではないか、と鈴木さん。

 思えば、かつては、買って行かれる本の傾向をぼくが明確に把握しているお客様(と、また書いてしまった)、何を探しているか、どんな本を読みたいかを率直に言ってくださる方、これから注目される本を教えてくださる方など、「〇〇さん」とお名前で呼ぶお客様が、今よりずっと多くかった。

 ただ多くの本が集まった空間であるだけでなく、名前で呼び合いながら(ぼくはトークの前半でも、署名原稿こそがネットに対抗できる出版物の武器と言っていた)、自由に自分の意見を開陳し、それについて腹蔵なく話せる人たちが集う場であってこそ、書店は「言論のアリーナ」になっていけるのかもしれない。

  そんなことを考えながら、ぼくはふとあることに思い至った。それは決して嘘ではなく、間違ったことでもないと思うのだが、その時にぼくの口から出た発言は、再び物議を醸しかねないものかもしれない。

 「ぼくがやったブックフェアにクレームをつけてきた人、ある意味ではぼくとはまったく意見が合わない人と話している時のほうが、まだ違和感がないかもしれません。つまり、事実認識の仕方が違う人に対しては、ぼくも「それは違うと思います」とはっきり言えるから。そういう人と話している時のほうが、正直に喋っている、自分というものを出して向きあえているかもしれない。だからぼくは、意外にクレームが嫌じゃないのかもしれないのです」

 

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第165回掲載

石橋毅史氏の新刊『まっ直ぐに本を売る』 トランスビュー方式についての内容です。

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer165.htm

 

「本屋とコンピュータ」TOPページ

*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

 

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


※スマートフォンでご覧の方のために、試験的にここにも本文を掲載します。

 6月に上梓された石橋毅史『まっ直ぐに本を売る』(苦楽堂)は、できるだけ多くの出版流通に携わる、出版社、取次、書店の人たち、特にこれからの出版業界をつくり、支えていく若い人たちに、是非読んで欲しい本である。

 ぼくが読後掛け値なしにそう思った理由は、そしておそらく石橋がこの本を書き「トランスビュー方式」の意義を世に問うた最大の理由は、「トランスビュー方式」を考案した工藤俊之が、何十年もにわたるこの業界の課題を慮ったり、考えたり、アイデアを出したり、愚痴ったりするだけでなく、実際にそれを実現し、15年にわたって継続しているからである。そして、その課題が即ち、「トランスビュー方式」が目指し実現した3つの原則なのである。

1 すべての書店に、三割(正確には多くが32%)の利益をとってもらう。

2 すべての書店に、要望どおりの冊数を送る。

3 すべての書店に、受注した当日のうちに出荷する。

 出版業界の販売総額は、1996年にピークを迎えた後、20年にわたって減少し続けた。その間、年間1000軒もの書店が姿を消していった。ある時期からその傾向が鈍化したのは、潰れる書店さえ減ってしまったのに過ぎない。その理由は、端的に言って、儲からないからである。粗利が小さいがゆえに利益を確保できないからである。

 本を売る場所が減ることは、販売総額のさらなる減少に繋がり、負のスパイラルがますます進行するから、作り手である出版社にも跳ね返ってくる。だから出版社も、まったく手を拱いていたわけではなく、責任販売制や低正味商品の提供など、書店の粗利を上げる提案をいくつかしてきた。しかし、商品が限定されており、正味安(仕入れ値が安いこと)の代償が買切り扱いであることも多く、書店側からは必ずしも歓迎されず、決して成果を上げたとは言えなかった。

 ところが、「トランスビュー方式」では、3つの原則からわかるように、トランスビュー並びにトランスビューが取引代行を引き受けている出版社の商品なら何でも、そして書店が要望する冊数を、安い正味で納品する。しかも、基本的には委託である(返品ができる)。このような書店に有利な方式を、トランスビューはなぜ提案し、実行、そして継続しすることが出来たのか?

 最も大きな要因は、3割の書店マージンを何としても確保したいという、工藤の信念である。それを実現するために、工藤は、宅配送料は元より、箱代、事務経費に至るまで、かなり細かく計算した。そして、これなら出版社側にも利益が出る、という数字的な根拠と共に取引形態を確定した。

 だから、取引代行の際にも、出版社に対して細かい経費をすべて計上して請求する。実際、契約社にとってけっして安くはなく、トランスビューにとっても大きな利益があるわけではない。なんのためかといえば、書店の粗利をふやすためである、としか説明のしようがない。

 といって、「うちは七掛けであれば卸せる。ではそうしよう、ということです」と語る工藤に、書店様に喜んでいただきたいのです、と媚びるような響きはない、と石橋は言う。工藤は、ビジネスとして、書店という本が売れる場所を守り存続させることが、自らの出版活動に不可欠であることを、自明の前提としているのだと思う。

 「トランスビュー方式」の継続を支えたもう一つ大きな要因は、返品率の低さである。返品率が低かったのは、運よくトランスビューの本が売れた、例えば池田晶子著『14歳からの哲学』のようなベストセラーがあったからだ、というように受け取られるかもしれないが、返品率の低さは決して結果論ではない。「2.すべての書店に、要望どおりの冊数を送る。3.すべての書店に、受注した当日のうちに出荷する。」という原則が、功を奏しているのである。

 原則の2は「減数」がないこと、3は発注した翌日か翌々日には確実に届くことを保障しているからだ。

 通常の取次ルートでは、こうはいかない。売れ行き良好書の発注はつねに減数着荷の可能性を伴うし、注文して1~2日で届くことは、まず無い。客注品が待てども待てども届かないこともある。出版社に確認したら、「確かに出した」。取次を追求すると、「出版社から確かに着荷した記録はあるのですが、そのあとのことはよく分からない。無くなっちゃったみたいなんですよね」といけしゃあしゃあと答えられることさえある(こんなこと、仮に麻薬の売人が言ったら、即殺されるだろう)。

 このような状況では、書店はダブるリスクを取ってでも、必要冊数に上乗せして注文したり、再注文したりせざるを得ない。お客さまが、本が届くのを待っているからである。そうすると、当然返品率は上がる。

 出版業界では、今返品率の削減が至上命題のようになっている。「~%以下を目指してください」と取次が書店を「指導」する時代である。だが、それならば、もっと正確で迅速な納品をせよと、書店は取次に要求すべきである。実際、即日満数出荷によって、2001年から2015年までのトランスビューの累計返品率(金額)は13.1パーセントに留まっているのである。そしてその返品率の低さによって、工藤の計算では商品販売額に対しておよそ6パーセントとなる「取次経由であればかからない費用」が相殺され、書店の販売マージン3割を実現してもいるのだ。

 低返品率は、パターン配本や押し込み営業を一切しないことの結果でもある。それは、「この本を売ろう」と判断するのはあくまでも書店であり、出版社から頼んで置かせるようなことはしないという工藤の揺るがない信念による。その姿勢に、書店は応えるべきであろう。それは何も必要以上に、無理をしてでもトランスビューの、あるいはトランスビューが取引代行をしている出版社の商品を仕入れるということではない。書店の販売マージン3割を実現している「トランスビュー方式」が要請する負担を、面倒がらずに引き受ける、ということである。

 「トランスビュー方式」では、すべての商品は、発注しないと一切入荷しない。返品は元払い宅配便だから送料もかかる。トランスビュー扱いの商品だけをある程度まとめて起票し梱包しなければならない。パターン配本で黙っていてもある程度の商品が入り、書棚からあふれた商品を随時返品できる取次ルートと比べて手間暇がかかる。

 だが、工藤は、「トランスビュー方式」を継続するために、即ち書店の粗利を確保するために、より多くの手間ひまをかけている。経費を抑えるために頭をフル回転させ、さまざまな事務的・肉体的作業を自らこなし、文字通り汗をかいている。

 その汗を、書店員もかかなければならない。頭も使わなくてはならない。儲けは、そこからしか生まれない。

 まず、緻密な経費計算をすることを、ぼくたちも学ぼう。返品送料がかかることを嫌がらず、どれだけ売ったらそれをまかなえるか、粗利3割はどれだけの利益の上乗せをもたらしてくれるのか。

 ビジネスモデルだけではない。それ以上に大切なのは、トランスビューが、そしてトランスビューが取引代行する出版社が、どのような志をもって本をつくり、手間ひまをかけて書店に送り出し、書店で売っていきたい、より多くの読者に届けたいと思っているかを、しっかりと受け止め、応答する(発注する)ことだ。

 『書店と民主主義』は、トランスビューから毎月送られてくる「新刊案内」で、ころから刊『NOヘイト!!』をぼくが発見した時に、受胎した。

 18歳~19歳の若者が初めて投票券を行使する参院選を前に、ジュンク堂書店難波店では、トランスビュー企画ブックフェア「はじめて投票するあなたが、知っておきたいこと」を開催している。

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第164回掲載

前回の続き、日本出版学会についての内容になっています。

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年) 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


※スマートフォンでご覧の方のために、試験的にここにも本文を掲載します。

○第164回(2016/5)

 5月14日(土)、東京都国分寺市の東京経済大学で、日本出版学会2016年春季研究発表会・総会が開催され、既報の通り(前回のコラム)、ぼくは午後のワークショップ二つに参加した。

 13:45の「いま、再販問題を考える」。

 最初に、問題提起者である緑風出版の高須次郎社長が再販制の歴史を丁寧に辿り、その意味と意義を説明し、再販制の現状と再販制を守る戦いについて熱っぽく語られた。70年代後半に再販制見直し論議が始まり、90年代半ばに日米構造協議を受けてその存続が危機に瀕し、21世紀になって「当面存置」に落ち着いたが、アマゾンの上陸とその法外なポイントサービスが再販制を実質的に切り崩しつつあり、それに対抗して緑風出版ほか有志出版社が「再販契約違反」を理由にアマゾンへの出荷拒否に踏み切っている。そうした再販制の歴史を概観すると、結局は摩擦を含めた官民双方の日米関係に大きく影響されていることを、改めて実感した。

 続いて福嶋が、主に90年代後半に、再販制擁護のためには文化論だけではダメで、経済学的に見ても再販制が決して不合理ではないという議論を立てたこと(拙著『書店人のこころ』三一書房 1997年)を申し述べ、当時公正取引委員会にいた和泉澤衛教授(東京経済大学現代法学部)が、公取の立場を具体的にわかりやすく話してくださった。司会の清田義昭さん(出版ニュース社社長)は、出版業界が「再販存続」に安心して議論を継続しなかったことが、「アマゾン問題」をはじめとする今日の諸問題の元凶ではないか、と総括された。

 ワークショップは、登壇者だけが話したり話し合ったりするのではなく、会場参加者が活発に質問を投げかけ、意見を表明することによって進行する。しかし問題提起者、討論者二人の議論は熱を帯びるに従って当初与えられた各10分を大幅に上回り、期待通り会場からも活発な質問・意見が寄せられたから、予定の90分はかなり超過してしまった。

 僅かな休憩時間で参加者の入れ替え(2つずつのワークショップが並行して進行していた)があり、15:30からの予定だった「ジャーナリズムとしての書店業 ――情報の「送り手」にとっての「公平性」とは何か」が、約15分遅れで開始された。司会の塚本晴二朗教授(日本大学)から、「スケジュールが押しているので、短めに」と言われたが、問題提起者であるぼくは用意した「枕」を、どうしても外したくは無かった。

 「実は昨日、森達也さんの『FAKE』を観てきました。とても面白く、考えさせられることの多い作品でした。」

 ぼくが森達也の名を最初に挙げたことには理由がある。討論者の笹田佳宏さんが日本民間放送連盟の方であり、今特にテレビに対する政権側の圧力が問題になっていることが今日の議論のテーマの一つになると思われたから、元々テレビ・ディレクターであった森達也さんが、自主映画から出版へと自らの表現の場を拡げていった経緯が、それらメディア間の関係や対比を論じるにあたって、大いに参照できる具体的な事例であることが一つ。もう一つは、メディアの「公平性」や「中立」という問題を論じる時の前提であり試金石でもある「事実」の「客観性」そのものに、森さんは「?」を投げかけ、「ドキュメンタリーは嘘をつく」と言っていること。即ち、カメラに収められた「事実」には常に撮影者の主観が紛れ込んでいること(言葉によって表現された「事実」には常に書き手の主観が紛れ込んでいるだろう)を、むしろ積極的に表明していることである。『FAKE』は、作品自体が、その好例であった。

 とはいえ、それ以上『FAKE』について語ることはネタバレにもなるし、本来ぼくが求められた話題に移る前に時間切れになってしまうので、ぼくは早々に「枕」を切り上げ、自身の「店長本気の一押し!『NOヘイト!』」フェアや渋谷店の「自由と民主主義のための必読書50」フェアに対する攻撃やそれへの対処の経緯と私見をお話しした。その中でぼくは、これまでにこのコラムや他の場所で書いてきた通り、フェアへの攻撃は結果的に書店の存在感を高め、フェアの主張を広めて、そこに並べられた本の宣伝にも役立ったことを言い、「クレームを歓迎すべき」は言い過ぎかもしれないが、少なくともクレームを回避したりクレームから逃げたりすべきではないと述べた(出来事の経緯とぼくの私見を話すにあたっては、新著『書店と民主主義』のゲラを持参して活用、ついでに(?)宣伝した)。

 続いて笹田さんが、「唯一の言論法」と言われる放送法の成立と来歴について丁寧に解説された。特に近年、本来放送の自由を担保するはずだったこの法が、政府によってそれを制限し、放送を政府にとって好ましい方向に誘導し、「ウォッチドッグ」としてのメディアの役割を果たし得なくさせることに利用されていと批判する。放送法、電波法によって、特に最近ではその恣意的な解釈によって権力に縛られ、監督官庁による5年毎の免許交付と電波の使用料などで常に暗に威嚇され、忖度、萎縮、自主規制を余儀なくされている放送界に生きる笹田さんは、ぼくの発言を踏まえ、「プリントメディアの世界が自由であるなら、さまざまな問題の存在を明らかにし、広く訴えていってほしい」と訴えた。

 良識あるキャスターの降板など、昨今の放送業界の受難を思うと、ぼくも笹田さんに賛同し、出版がその期待に応えることを目指したい。しかし一方、影響力の大きさに関して言えば、放送はプリントメディアの比ではない。「さっきテレビで紹介されとった本、ちょうだい!」と、大阪のおばちゃんたちは突如書店に殺到する。『殉愛』、『絶歌』は明らかにワイドショー起源のベストセラーだった。そうした本の最大瞬間風速は、時に凄まじいものがある。
だから、出版が一方的に放送を補完し救うのではなく、出版は縛られない自由を、放送は影響力の大きさを利用して、相互に扶け合い、問題の所在とその解決への望ましき方向性を明らかにすべきだと思う。

 そこに、新聞も加えよう。元日経新聞記者の松林薫氏は、今年3月に上梓した『新聞の正しい読み方』(NTT出版)で、「新聞の読者層が急速に広がっている」と言う。新聞購読者の数は確かに年々減り続けているが、ニュースのまとめサイトはもちろんのこと、人々が日常的にアクセスしているブログやネットメディアの情報の多くが、「新聞由来」だからだ。

 政治の迷走と経済の失敗、それによる社会の活力の低下と人々の窮状が明らかな今、メディアは自らの殻に閉じこもることなく、相互に補完、応援、時に批判し合いながら、閉塞状況の打破に向かって手を取り合っていくべきなのである。

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第163回掲載

日本出版学会での二つのワークショップについての内容になっています。

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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危機のヨーロッパ

――移民・難民、階級構成、ポストコロニアル資本主義(後篇)

サンドロ・メッザードラ × 北川眞也(聞き手)

2016年2月15日 ベルリン

後篇のPDF版はこちら→

 

北川 お話を伺っていて思うのは、ヨーロッパへと向かう移民たちの運動が、たとえどのように形容されようとも、ヨーロッパとその外部の諸地域を無媒介に接続し、EUとその外部の国々(たとえばトルコ)のあいだの関係にさまざまな影響を与えている現実を考慮するなら、事実上、ヨーロッパは「拡大」しているのかもしれないということです。また移民、難民たちの移動が、EUを人口学的な意味においても「拡大」させており、それがEU加盟諸国の民主主義に対して政治的に挑戦しているのだというエティエンヌ・バリバールの最近の文章(17)を思い出しました。

 さて、いまあなたが述べたような地球規模の歴史的・地理的条件をふまえるなら、境界を越えてくる移民たちの移動は、かれらの主体性という側面からみてもまた、現代という文脈において、やはりなんらかの政治性を有しているということになるのだと思います。

 以前、私はジャック・ランシエールのあるインタビュー(18)を読みました。そこにおいて、彼はいわば乗り継ぎの移民、たとえばカレー、またおそらくはヴェンティミッリア、ランペドゥーザ、レスボス(19)にいるようなタイプの主体は、彼のいう意味での政治を出現させるものではないと述べていました。他方で、長年フランスの諸都市で生活・労働しているが、滞在許可証のない「不法移民」あるいは非正規移民、いわば「サンパピエ」のイメージにふさわしい移民たちには「分け前なき者の分け前」を求める政治的主体になる可能性があるというわけです。

 しかし、先ほどもふれたように、あなたは歴史的にも、そして現在においても、移民たちの政治化について語っています。「ヨーロッパに入る権利がある」と声をあげる移民たち、先ほど話題にあがったEUの旗をふる移民たち、ヴェンティミッリアなどヨーロッパのさまざまな境界にいる移民たちは、まさしく乗り継ぎの主体であると言えるでしょう。

 あなたは、ランシエールの政治をめぐる思考の重要性を強調してきました。しかし同時に、何かしら不足する点も指摘してきました。たとえば、「資本主義、移民、社会闘争——移民の自律性理論のためのメモ」(20)という2004年のテクストです。あなたはそこで「コミュニズム」という言葉を用いて、その必要性についてはっきりと語っています。具体的には、コミュニズムは、ランシエールの議論、こう言ってよければ、ラディカル・デモクラシーを補完するものとして言及されていますね。

 私は、先日京都で行った『逃走の権利』のプレゼンテーション(21)のときに、(廣瀬)純たちとこの点について話をしました。この政治の思考、とりわけ純が繰り返していたことでもありますが、単純化して言えば、ランシエ-ル、ラクラウとムフ、バディウは、1968年以来、基本的に同じことを言い続けている。しかし、およそ同時代を生きてきたイタリアのオペライスタたちは、階級構成(composizione di classe)(22)、また資本主義の変容を考察しながら、議論と闘争を繰り返し、いつもアイディアや理論を変更してきた。オペライスタたちは、歴史的情勢のもとで、歴史のもとで思考し調査している。というわけで、政治を思考するうえで、いまいちど階級構成という概念の重要性を強調するところに至ったわけです。

 このような観点からするなら、政治、移民たちの政治をどのように考えることができると思われますか?

メッザードラ 大きな質問です。かなり複雑な問いですね。とりあえず、乗り継ぎの主体についての問いから返答するのが、私には容易であると思われます。そうですね、私たちがこの会話を行っている場所、ドイツの状況について話しましょう。

 この数ヶ月のあいだ、ドイツには数多の難民たち、移民たちがやってきました。かれらは乗り継ぎする主体です。けれども、かれらの到来は、政治的な議論と対立の諸条件を完全に変容させてきたと言えます。これは、多かれ少なかれラディカルな右翼勢力が成長してきたことには限られません。とりわけ、この国のなかに新たな社会的・政治的分裂が引き起こされてきたためでもあるのです。私にはこの点を強調しておくことが、極めて重要だと思われます。この分裂は、ただ右翼が新たに形成されたことのみならず、数十万人のドイツ市民を巻き込んで展開された、難民たち、移民たちへの並外れた連帯のイニシアチブによってもまた引き起こされてきたのです。単純な実用的・物質的な連帯は、難民たち、移民たちに対するなら、非常に重要なことです。しかし、これらのイニシアチブは、こうした連帯をはるかに越える問いをただちに提出したのだと言えます。それは、ベルリンのような都市で、こんにちかれらと共に生きることは何を意味するのかという問いです。

 私にとって、これは単なる一打撃以上のものです。難民たち、移民たちの大量運動、当然ながら独自の規定性を有する条件にあるわけですが、非常に一般的な物言いをするなら、この運動が傾向においては、所定の社会の内部で権力関係が組織されるやり方に疑問を投げかけたから、緊張を与えたからにほかなりません。この運動は、ランシエールによって定義された、ポリスという独自のレジームの内部における分け前の考慮=計算の配分に疑問を投げかけるものではないでしょうか。

 ここにおいて、私たちは、政治運動の伝統的な定義にはなんら入り込むことのない運動に対峙しているのだと言えます。しかしながら、この運動こそが、その根底においては社会運動として、ひとつの具体的な社会、この場合なら、ドイツ社会のように非常に重要で、一見するととても安定してみえる社会のただなかで、権力諸関係が組織される方法に疑問を呈しているわけなのです。繰り返しますが、私にとってこれはとても重要な論点です。それは、ここまで語ってきた独自の事柄を越えてのことです。それはまさしく、本質的に政治というものについての私たちの理解を生産的なやり方で複雑化するように強いるからであり、私たちが政治として理解するものの諸境界に疑問を投げかけるように強いるからにほかなりません。

 私にはこれはとても印象深いことであり、数か月にわたって、論文や本、また他の人と公表した論文のなかで、何度も次のように書いてきました。それは、あなたが言及したバディウ、ラクラウとムフ、またランシエールの立場の背後には、基本的に、政治の純粋性(purezza della politica)という観念があるということです。

 この表現は、今やずいぶん前のことですが、スラヴォイ・ジジェクがこの立場に対して批判的に用いたものです。この政治の純粋性という考え方は、結局のところ、それ自体で政治運動としてはっきりと特徴づけられる運動の形成へと通じる「諸条件」を理解するうえでの限界なのです。繰り返しましょう。これらの立場によって思考可能とされる地平の外部に位置するものは、明らさまに政治的なものとして姿をみせる運動を「可能とする諸条件」にかんする問題なのです。それというのは、基本的には、さまざまな実践と振る舞いからなる諸関係の物質性のただなかへの政治運動の根づき、政治の根づきにほかなりません。これは、まさしく政治的本性の内側においては、概して検討されません。フーコー流の言い回しを使いたいとすれば、それは主体性の生産をめぐる問題だと言えるでしょう。私には、これは基本的な問題であるように思えるのです(23)。

 またちょうどあなたが言及したように、コミュニズムの問い、私にとって極めて重要であり続けているコミュニズムの問いがあります。コミュニズムは、バディウのいう意味での観念へと縮減してしまうことはできませんし、ただ出来事の時間的地平においてのみ考えられるものでもありません。これらは、中国の文化革命、1968年 5月、パリ・コミューンにかんするバディウの著作の示唆に富んだテーマではありますが。

 コミュニズムの問題というのは、搾取され支配された主体性の諸運動の根源的な過剰性をめぐる問題なのです。それは、制度レヴェルにおける政治の所与の枠組みに比しての過剰性にほかなりません。できるだけ簡単に言ってみましょう。この枠組みの内部で場所をもたないもの、それは運動としてのコミュニズムの思考を必要とさせるものである、と。

 これは、移民についても該当することだと思います。もっとはっきり言うなら、移民は「弁証法」(括弧つきです)、承認と過剰性のあいだの「弁証法」を、必須の政治問題として、私たちに提出しているのです。つまり、一連のさまざまな運動や主体的振る舞いのただなかに表現される諸々の要求は、ある部分では、制度上のシステムの内部に承認を見出すこともできるでしょう。それは法権利の観点においても、シティズンシップという概念の変容という点においてもそうでしょう。私はこの承認を重要なことではないと言うつもりはありませんし、この承認要求のまわりで表現される「民主主義」運動を重要ではないと言うつもりもありません。逆です、極めて重要であると思います。

 しかし移民は、この承認の「弁証法」に比していつも過剰のままにとどまる諸要素があることを私たちに示しているのです。承認の「弁証法」、そして過剰性のさまざまな要素に賭けることを通じてこそ、コミュニズムの問いを、移民が私たちに提出している問題として考えることができるわけです。「考える」という点を強調しておきます。コミュニズムの問いは、おそらくは個々の移民が抱いている期待の地平とはまったく関係のないものです。移民たちの諸要求に対して、この問いをはっきりと設定することはもちろんほとんど意味のないことでしょう。ただその一方で、移民たちの諸要求、日常の対立から離れた理論的省察の観点からするなら、移民たちの運動は、コミュニズムの問いを、生産的なやり方で再検討することを可能としてくれるものだと言えるのです。

北川 過剰性、そしてコミュニズムの問いはやはりとても強調されるべきものであるように思います。それは政治をめぐる問いとまったく同時に、移民、正確には移民労働、移民労働の政治、つまりは階級闘争というテーマについて思考するうえでも同様であると思われます。

 あなたも主張するように、いまや階級構成のなかのなんらかの主体に政治的中心性をみつけることは有用な作業ではないでしょうし、おそらくそれは不可能なことでしょう。『逃走の権利』のなかでも、そのような議論がなされているように思えます。たとえば、あなたが移民労働の重要性を強調するときも、階級構成における中心性というよりも、こんにちの労働の模範性としての移民労働、あるいはグローバル資本主義を批判する運動はその主役のなかに移民たちを加えずにはいられない、といった言い方をしていますね(24)。

 しかし、いくぶん古い話で恐縮しますが、雑誌『デリーヴェアップローディ(DeriveApprodi)』に2002年に公表されたマリオ・ピッチニーニとの短い論文(25)なかで、あなたは「移民労働の政治的中心性」について言及していましたよね? ただ今はこのような言い方はしていませんし、その理由も、あなたの最近の仕事(26)をふまえると、十分に理解するところです。

 ただ、やはり移民労働は興味深い。挑発的な物言いをするなら、傾向としては、ヨーロッパ市民もまた移民のようになっているとは言えないでしょうか。目下のところ、ギリシャ、イタリア、スペインの人たちは、さまざまに移動しているし、改めて出移民となっているところです(27)。さらに言えば、ギリシャなどは今やEUの植民地であるといっても過言ではありません。

 こうしたことは、グローバル空間のみならず、ヨーロッパ空間のただなかにおける「ポストコロニアル資本主義(capitalismo postcoloniale)」(28)の極めて重要な要素であるように思えるのです。ギリシャのケースはもちろん、移民労働の置かれた位置、階級的位置をとらえるうえで、これは非常に重要な概念であると思いますが、どうでしょうか?

メッザードラ ブレット・ニールソンとの著書(29)のなかで、ポストコロニアル資本主義というアイディアについていくぶんは記述したつもりです。ともかく、質問は複雑で、さまざまな領域についての思考を要するものですね。

 たとえば、あなたはピッチニーニとの文章に言及しました。もうおよそ15年前の文章でしょうか。当時は、一方では、移民労働の運動、闘争、要求に対して、政治的に空間を与えることが、私にとって非常に重要な状況でした。他方では、オペライズモ、ポスト・オペライズモの議論の内部へと介入することがとても重要でした。このオペライズモ、ポスト・オペライズモの議論は、階級構成の内部において、もっとも進歩した主体を探求することをなおも重要な特徴とし続けていたのです。そのいっさいは、1990年代に「非物質的」労働、認知労働、一般的知性をめぐって浮き彫りとなってきました。

 当時、私もそこに参加していましたが、この議論はもちろんとても重要なものです。それによって、労働構成、階級構成の内部で生じていた重大な変化に焦点を当てることが可能となったわけですから。それは、資本主義が機能する様式についても同様のことが言えます。ポストフォード主義についての議論が、イタリア、またトニ・ネグリのようなイタリア人亡命者たちがいたフランスにおいて展開されてきたのです。90年代初頭まで私も関わっていた『決まり文句(Luogo Comune)』、フランスの『前未来(Futur Antérieur)』のような雑誌においてのことですね。

 移民という問いめぐって、私が90年代初頭から行っている政治的仕事のためでもありますが、私はこの議論の内部において、ある種の不満をもちはじめていました。つまり、もっとも進歩した主体を探求するというのは問題ではないのかと考えはじめていたのです。ここで簡潔に説明するとすれば、私がポストコロニアル研究に関心をもちはじめた理由のひとつは、多くのポストコロニアル研究者によって、この歴史的時間の直線性という観念に疑問が投げかけられていたからにほかなりません。それは、資本主義の発展それ自体の直線性という観念についても同様です。基本的に、これはもっとも進歩した主体を探求するというオペライズモの姿勢の背後に存在するものです。

 ともあれ、移民は90年代の初頭にイタリアの諸都市の生活を根源的に変化させていた諸運動の重要性に、私を直面させました。たぶんそれから、私の移民についての仕事がはじまったわけですね。ご存知の通り、イタリアはこの移民にかんする移行を、80年代、90年代に非常に早い速度で経験してきました。これは、イタリアを出移民から入移民の国へと至らしめた移行です。私はジェノヴァで育ちましたが、80年代は「白い」都市でした。90年代になってある時点で、「白くない」ことに気づいたというわけです。この観点は「田舎根性」に浸りきったものだと言えるのかもしれませんが。

 私たちの議論、オペライズモ、ポスト・オペライズモの議論では、この側面が完全に外部に位置しているように思えたのです。ちなみに、このオペライズモ、ポスト・オペライズモの議論というのは、80年代末になってようやく取り戻されたものです。つまり、多くの仲間が牢屋にいたり、亡命したりしていたために、この議論を行うこと自体がとても難しかった年月が過ぎてからのことでした。ですから、大きな息を吹き返した後に、ようやくこの議論が再度はじまることになるのです。しかし、私は移民と向き合う経験をしている、いやそれは当時のイタリア全体の経験でもあります。私には、私も加わっていたこうした言説のなかでは、このことについていかなる類の考察も存在していないように思われたのです。もちろん、それについて言葉にしたり、しゃべったりはしはじめていましたが、私たちの日常を変化させているこれほど重大な事柄について考察するための空間がないのなら、それが重要な役割を果たすことはないでしょう。

 それから他方において、もし階級構成、労働構成という観点から移民を考察するとすれば、移民はまさしく認知労働のそれとはいくぶん異なった労働形態を考察するように、私たちを仕向けるものであることが考慮されなければなりません。それは認知労働に従事する移民がいないからではありませんし、移民の認知労働が存在しないからではありません。しかし総体としてみるなら、移民は、認知労働、非物質的労働などのイメージとは非常に異なった一連の労働諸行為の持続する重要性を私たちに思い出させるのです。

 ケア労働の問いについて考えてみましょう。この労働は、まさしく「認知」上の能力をかなり必要とするものです。これは非常に重要なことです。しかし、それをほかならぬ非物質的労働と定義するのは難しいことでしょう。しかしながら、ケア労働、移民たちのケア労働は、さまざまな行為主体性のあいだの関係をたえず緊張にさらし、疑問にさらし続けているわけです。この極めて重要な事柄については、私たちイタリアの議論では、すでに90年代の末にクリスティーナ・モリーニが仕事をはじめていました。彼女はこの論題について重要なことを書いてきました(30)。

 しかし、包括的に言うとすれば、移民は、私に以下のことに対峙するよう仕向けはじめたのだと言えるでしょう。それは、最初に移民の自律性、それからだいぶたって、とりわけブレット(ニールソン)との仕事で、私が定義しようとしいくぶんは定式化してきたものですが、「労働の異質化と多数化」(eterogeneizzazione e moltiplicazione del lavoro)についてです。私には、これは移民のただなかにおいては極めて重要な要素であるように思えました。それは、資本の観点からみても、労働諸関係の全体を、標準形(standard)のまわりで、標準形に基づいた関係のまわりで組織されるものとして表象できるという考えそのものに疑問を投げかけることになるからにほかなりません。今となっては、これはもうそれほど規範とはなっていませんよね。フォード主義の労働者、フォード主義の工場労働者、そしてフォード主義の男性。これは、契約法の観点からみても、労働関係を組織するための標準形の枠組みであるというわけです。このまわりにおいて、その多様な制度、規則などとともに諸々の労働市場の総体が定められるわけです。

 私には、こんにち標準形について論じることはまったくできないように思えます。むしろ、分析的観点からも、政治的観点からも、労働世界のただなかにおける差異の増殖について強く主張しなければならないのだと思います。それはいわば労働構成の主体性の特徴づけという点についてもそうですし、契約法の観点からみたときの、労働諸関係の組織化という点についてもそうです。

 この近代資本主義の歴史を検討するなら、そのはじまりからヨーロッパのみならず、グローバルな歴史としてそれを検討するなら、この状況は、植民地世界、コロニアル資本主義(capitalismo coloniale)を長いあいだ特徴づけてきたそれにほかなりません。私には、こんにちいくぶんは世界のいたるところで、コロニアル資本主義のこうした経験のある種の「逆襲(striking back)」が起こっているように思われます。こんにち資本主義は、労働諸関係のこの異質性を生きているように思えるのです。もちろん、それはコロニアル資本主義の特徴とは異なった特徴づけを有しています。しかし、形態という観点からするなら、このように言えるわけです。

 資本主義については、ファノンもまた引き合いに出していましたね。株式、金融は、強制労働などの諸条件と共存する。産業賃金労働は、インフォーマル労働などの多数の形態と共存する(31)。繰り返しますが、もちろん、こんにちにおいては、これは異なった諸条件のもとで生じています。ポストコロニアル資本主義について論じることで、これらの諸条件を理解しよう、定義しようとしてきたわけです。

 ポストコロニアル資本主義において、私にとって非常に重要なひとつの要素として、金融が作動する場所、金融資本の場所があります。多くの仲間たち、なかでも親愛なるクリスティアン・マラッツィがこの点について仕事を行っています(32)が、それらは私にとって極めて重要です。なぜなら、これらの仕事はこの金融化のプロセスの新たな性質を明らかにしてきたからです。私の意見では、まさしく問題は、それらのイノベーションの観点から、すなわち、こんにちの社会的協働、生産的協働が、組織され、指令をくだされ、搾取されるやり方の観点から、金融化のプロセスを調査することが大切なのだと思います。この観点からするなら、繰り返しになりますが、この要素が異質性とかかわるものなのです。

 ここで、以下のことを付け加えましょう。移民は基本となるレンズです。移民は、階級構成を変容させる、また搾取の諸条件を変容させるうえでの基本的力というだけではありません。移民は、あなたが先ほどうまく説明してくれたような、移民たちに独自の経験を越えて有するさまざまな振る舞い、動態、経験、新たな移動性の経験を前もって解読するというのみならず、たいていの場合、労働のプレカリ化の形態を、「土着」の労働に対して何かしら先取りしているのです。またあなたが言及したように、ヨーロッパの内部の移民の問題もあります。それは、もう無視することが非常に困難な現実です。ベルリンでどこかに食べに行くなら、多くの人たちによって、イタリア語、スペイン語、ギリシャ語が話されているのに気づくことでしょう。

北川 ポストコロニアル資本主義のこうした特徴は、いわゆる「本源的蓄積」の現代性とも大きく関係しているのだと思います。あなたも論じていましたが、現代資本主義の批判的分析においては、本源的蓄積の現代性がかなり主張されてきました。たとえば、これについては「略奪による蓄積(accumulation by dispossession)」という概念を用いて、デヴィッド・ハーヴェイもまた極めて重要な議論をしてきました(33)。

 あなたも言及していたように、ハーヴェイは、資本主義的生産様式の「標準形」、つまり一方の「拡大再生産」と、他方の「略奪による蓄積」とのあいだを厳格に区別しています(34)。しかし、資本主義のはじまりからの植民地性という先ほどの議論をふまえると、この両者の区別は、前者の中心性を少なくとも理論的前提として保持したうえでなされているようにも思われます。というのは、略奪は、植民地または旧植民地においては「いつも」資本主義の主要な形態であり続けてきたからです(35)。たとえそれが昨今では新たな形態をとるとしても、そこにおいては、本源的蓄積の暴力によって生産手段から切り離されても、「標準形」の世界への扉は閉ざされたままの略奪された者たち、生存維持のために、あらゆる種類の労働を行う者たち、何かしら移動、越境する者たち(場合によってはヨーロッパへ)が大量にいたわけです。

 ハーヴェイの言う「拡大再生産」と「略奪による蓄積」の「有機的なつながり」、あるいは弁証法的関係という枠組みにおいては、あなたの論じる「標準形」を無効化する生産様式の異質化と多数化という趨勢、さらには「中心性」のない労働の異質化と多数化という趨勢を十分にはとらえきれないようにも思えます。それは、階級闘争の異質化と多数化についても同様でしょうか。

メッザードラ 思うに、デヴィッド・ハーヴェイは、非常に重要な役割を果たしてきました。彼が「略奪による蓄積」と名づけた形態のこんにちにおける重要性を明らかにしてきたからですね。この種の功績や活動に疑問を投げかける必要はないでしょう。

 しかし、近年、ハーヴェイの立場がとてもよく受け入れられているラテンアメリカの文脈において仕事をするなかで、私がいつも論じ立てようとしてきたことは、略奪と搾取のあいだの区別が、対立、二項対立となってしまう危険があるということです。単純化して言えば、これには搾取の新しい性質を私たちから見失わせてしまう危険がある。つまり、こんにちの資本の蓄積と価値増殖のレジームを規定するさいに、搾取と略奪が組み合わされるやり方を見失わせてしまうということです。 

 たとえば、「採掘」という問題を考えたい。それはまさしく文字通りの意味でのことです。ラテンアメリカ、またアジア、アフリカの多くの地域において、採掘活動が強化されていることをめぐってこんにちではさまざまな議論がなされています。それは、環境のみならず、コミュニティ全体に対して、だいたいの場合は、先住民のコミュニティに対して、暴力的なやり方で破壊的影響をもたらしているのです。

 ラテンアメリカでは、文字通りの意味における採掘活動のこうした強化が、この地域におけるこんにちの資本主義の暗号、象徴として採用されつつあります。もちろん、このテーゼについての経験的論証は不足していません。それは、採掘活動の強化に抗する数々の極めて重要な社会闘争が不足していないのと同様です。これらの社会闘争には、ただ鉱物の採掘活動のみならず、たとえば大豆栽培のような農業を急襲し、大きく変容させている採掘活動に抵抗するそれもあります。

 しかしながら、私は、とりわけ友人であり同士であるアルゼンチン人のヴェロニカ・ガーゴとともに書いた論文のなかで、以下のことを主張しようとしてきました。このタイプの理論的立場は、約言するなら、新採掘主義(neo-estrattivismo)という定式を見出している。しかしこの立場は、過度に偏ったやり方で、文字通りの採掘がなされる場所への批判に注意を集中させる結果となり、田舎と都市のあいだの対立を再生産してしまうものではないか。このような対立は、理論的にも異論の余地があるものですし、率直に言って、政治的にはただ不安にさせるものでしかありません。

 そこから、私たちは以下のように自問しはじめました。採掘というカテゴリーは、より一般的な観点から考察するならば、字義通りの採掘活動とは関係のないかたちでも、こんにちの資本主義についての何がしかを明らかにしてくれるのか否か。私はとりわけヴェロニカとの仕事(36)でそれを探求しようとしてきました。ブレットとの継続する仕事(37)でもそうです。ただ文字通りの意味でのみ採掘というカテゴリーを解読するのではなく、とりわけ金融が社会的協働と関係を築くやり方を理解するために、それを用いてみようとしたのです。

北川 それが採掘主義というよりも、あなたの言う新採掘主義というわけですね?

メッザードラ そうです。採掘主義という定式は、ラテンアメリカでは非常に普及したものですね。今は新採掘主義についてより論じられているわけです。採掘主義は、16世紀以来、いつもラテンアメリカのコロニアル資本主義の特徴でしたから。

 ここで新採掘主義について考えるために、金融についてとりあげてみましょう。金融とは何か。大きな問いですね(笑)。ここで十分な言葉、解答を与えることはできないでしょう。しかし、マルクスの『資本論』第3巻に非常に示唆に富んだ指摘をみつけられると思います。もちろん、マルクスの時代の金融は、こんにちの金融とはほとんど関係ありません。だから、彼の理論を、デリバティブ、クレジット・デフォルト・スワップ、ハイ・フリークエンシー・トレーディングなどに適用するために取り出すことはできません。

 しかし、マルクスは非常に一般的な観点に立脚して、金融資本を定義しています。それというのは、なおも生産されなければならない富、未来において生産されなければならない富に対する莫大な有価証券、請求権の蓄積であると。私がこんにち有価証券を有しているとして、私の利潤はどこから派生するのか? それは、なおも生産されなければならない富から派生する。それはつまり、私の有価証券を通して、私は未来において展開されなければならない生産過程を抵当に入れているということです。この有価証券を通して、偉大な資本家、持ち株主としての私は、いまのところ、未来に対する一種の権力を保持している、なおもなされなくてはならない生産過程に対する指令を保持しているのです。

 借金を抱える貧困な労働者、借金をして返済義務を負っている労働者の立場からすると、この借金は、未来の生産に対して私が保有する権利との相互取引の材料となります。結局のところ、この債務、義務とはいったい何でしょうか? それは、返済するために未来において働かなければならないという義務にほかなりません。

 さて、私を偉大な金融資本家としましょう。あなたは、住宅契約のために借金をし、私に債務を負う貧者としましょう。明日、あなたは何をするのか? 私には何の関心もありません。重要なことは、あなたが自ら働くことです。工場で働こうが、スウェットショップで働こうが、路上でヘロインを売ろうが、広告代理店でクリエイティブな仕事をしようが、私にはどうでもよいことです。どうでもよい。あなたは確実に、借金を返済するため、他の労働者たちとの関係のなかに参入することになる。社会的協働の編成に参入することとなる。明後日になれば、私はまさにそこから価値を抽出します、あなたの労働を組織することなしに、です。これは、あなたが産業資本家とのあいだに有する関係との根本的な差異ですね。産業資本家は、労働を組織していたのです。それから、価値を抽出していました。他の人たちのそれと同様に、あなたの労働の協働は、産業資本家が組織するものだったのです。

 反対に、金融資本家はなんらかのかたちで、かれがそこから価値を引き出す社会的協働の外部にいる。ここにおいて、金融資本家はこの社会的協働から価値を「採掘」しているのだと言える。隠喩を用いるなら、これは、鉱山において大地から貴重な鉱物を採掘することと類似したやり方であるというわけですね。

 さて、この観点からするならば、少し立ち止まって考察すべき状況があるのだと思います。どういう意味でしょうか? それは、私の話したこのとても単純で、単純化されていて、およそ陳腐な例から、以下のことを説明できるということです。すなわち、現代資本主義の全編成のただなかにおける金融資本の優位性に、労働の異質化の諸過程がいかに呼応しているのかということです。というのは、もしかしたらあなたは工場に働きにいって、他の人は広告代理店で働いて、さらに別の人はゲットーでドラッグの密売人の仕事をする……といった状況があるからですね。同質化、つまりこの種の関係に建設的なやり方で対応し続ける同質化は些かも存在しないのです。

 さらに言えば、私もそうですが、以下の事柄を再考したい人たちにとっては、非常に一般的で明らかな問題があります。それは、少しばかり誇張した表現でいうなら、労働と資本のあいだの関係の政治的主体化にかんする諸条件を再考すること、より単純な用語でいうなら、こんにちの階級闘争の場所を考え直すということにほかなりません。それは以下の意味においてのことです。もしあなたが工場に働きにいくなら、そこには独自の敵対性の源泉となる工場の雇い主との関係というものがある。しかし同時に、私との関係、金融資本家との関係においては、そもそものところ、別のタイプの敵対関係が存在しているのです。だからこそ、金融資本に敵対する組織の政治的可能性を思考することが、こんにち私たちが直面している重大な問題であると考えるわけです。

 またご存知のように、移民のなかにも、このタイプの論理が浸透しています。それは移民たちが資金調達を行うさいのさまざまなやり方を通してのことです。これらは、しばしば事前契約の諸条件、つまりは移民たちが借金を返済しなければならない諸条件を提出しています。またこの論理は、移民による送金の流通を通しても浸透していますね。それは、移民経験の金融化と対応しているのです。(了)

前篇はこちら)

17.  Étienne Balibar, Europe and the refugees: a demographic enlargement, 2015, https://www.opendemocracy.net/can-europe-make-it/etienne-balibar/europe-and-refugees-demographic-enlargement

18.  「ジャングル[北川による注:フランス・カレーにある。イギリスへ向かおうとする移民たちが一時的に集住する屋外占拠空間]の人々は、通過するためだけにそこにいるからです。警察との関係にしても行く手を阻む鉄条網を前にしても、状況全体のなかでかれらが求めているのは、どうやったらそこを通り過ぎることができるかです。かれらは政治的主体としてそこにいるのではない。滞在許可証が取得できないまま5年なり10年なりフランスなどで働く人々の状況とは違うわけです。こちらのほうはまさに政治的な状況です」。ジャック・ランシエール(市田良彦、上尾正道、信友建志、箱田徹訳)『平等の方法』航思社、2014、295-296頁。

19.  ヴェンティミッリアは、イタリアとフランスの国境にあるイタリア側の町である。2015年6月に、フランスがイタリアとの間の国境審査を復活させたことで、境界を通過できない数多の移民たちが、ヴェンティミッリアの海沿いの岩礁にキャンプを張るようになった。ランペドゥーザは、イタリア最南端のチュニジアに近い地中海の小さな島である。ここ20年ほどのあいだ、アフリカからの移民たちの船がたどりつく場所として位置づけられてきた。レスボスは、トルコの目と鼻の先にあるギリシャの島で、シリアやイラクなどからの移民、難民たちの船がたどりつく場所となっている。

20.  Sandro Mezzadra, Capitalismo, migrazione e lotte sociali: appunti per una teoria dell’autonomia delle migrazioni. In S. Mezzadra, a cura di, I confini della libertà: per un’analisi politica delle migrazioni contemporanee, Roma: DeriveApprodi, pp. 7-19. [サンドロ・メッツァードラ(北川眞也訳)「社会運動として移民をイメージせよ?――移民の自律性を思考するための理論ノート」『空間・社会・地理思想』12号、2008、73-85頁。]

21.  2016年1月29日に、「階級構成とは何か」と題して、廣瀬純、箱田徹、上尾真道と行った。イベントは、廣瀬純の編著『資本の専制、奴隷の叛乱』と『逃走の権利』の出版をかねて行われた。『資本の専制、奴隷の叛乱』には、メッザードラのインタビューとテクスト「ブリュッセルの「一方的命令(ディクタート)」とシリザのジレンマ」(エティエンヌ・バリバールとフリーダー・オットー・ヴォルフとの共著) が所収されている。

22.  階級構成(composizione di classe)は、オペライズモの主要概念のひとつ。それはある歴史的時点における労働者階級が内在化している行動や規範の組織体のこと。階級構成は、労働の技術的構造、階級の欲求や欲望のパターン、政治的・社会活動が生じるさいの制度などの相互作用によって規定される。労働者の効果的な組織化や活動を生み出すには、階級構成を経験的研究から理解することが必要と考えられた。この概念は、階級の技術的構成(composizione tecnica di classe)と政治的構成(composizione politica di classe)に区別されてきた。技術的構成は、労働力として理解された労働者階級。資本主義の分業、生産の技術的組織、技術と生きた労働のあいだの関係によって定められる。政治的構成は、労働者階級の主体形成の次元。文化、思考様式、欲求、欲望などに関わり、意識には還元されないそれは、何より闘争へと向かう主体形成過程に関係する。

23.  この政治の純粋性批判については、たとえば以下の論文を参照。Sandro Chignola e Sandro Mezzadra, Fuori dalla pura politica. Laboratori globali della soggettività, 2012, http://www.uninomade.org/fuori-dalla-pura-politica

24.  メッザードラ『逃走の権利』、20-21頁、25頁。

25.  Sandro Mezzadra e Mario Piccinini, Centralità politica del lavoro migrante, DeriveApprodi 21, 2002, pp. 8-10.

26.  サンドロ・メッツァードラ、ブレット・ニールソン(北川眞也訳)「方法としての境界、あるいは労働の多数化」『空間・社会・地理思想』13号、2010、51-59頁。

27.  もちろん、国籍国や「人種」などによって、その移動が問題視される具合はまったく異なる。たとえば、仕事を見つけるためにモロッコに不法滞在するスペイン人とサブサハラ出身者のあいだで言えば、後者は警察による厳しい取り締まりの対象となり、その移動が問題視される。その意味では、その人の移動性、ある瞬間、ある場所におけるその人の滞在可能性が、統治とセキュリティの対象として問題化されるときに、その人は「移民」というカテゴリーにあてはまるとも言えよう。Martina Tazzioli, Border interruptions and spatial disobediences beyond the scene of the political, 2015, http://www.darkmatter101.org/site/2015/10/05/border-interruptions-and-spatial-disobediences-beyond-the-scene-of-the-political

28.  たとえば、Sandro Mezzadra, Quante sono le storie del lavoro? Per una teoria del capitalismo postcoloniale, 2011, http://www.uninomade.org/quante-sono-le-storie-del-lavoro-per-una-teoria-del-capitalismo-postcoloniale

29.  Sandro Mezzadra and Brett Neilson, Border as Method, or Multiplication of Labour, Durham MC and London: Duke University Press, 2013.

30.  たとえば以下。Cristina Morini, La serva serve: le nuove forzate del lavoro domestico, Roma: DeriveApprodi, 2002.

31.  当該箇所は以下。「奴隷制度、農奴、物々交換、家内工業、株式操作などの共存する現実」、「均衡を欠いた変転きわまりない現実」。ファノン『地に呪われたる者』、63頁。

32.  たとえば、[1]クリスティアン・マラッツィ(柱本元彦訳、水嶋一憲監修)『資本と言語——ニューエコノミーのサイクルと危機』人文書院、2010。また[2]アンドレア・フマガッリ、サンドロ・メッザードラ編(朝比奈佳尉、長谷川若枝訳)『金融危機をめぐる10のテーゼ――金融市場・社会闘争・政治的シナリオ』以文社、2010。

33.  たとえば、デヴィッド・ハーヴェイ(本橋哲也訳)『ニューインペリアリズム』青木書店、2005。

34.  Sandro Mezzadra, La condizione postcoloniale: storia e politica nel presente globale, Verona: ombre corte.

35.  Miguel Mellino, David Harvey e l’accumulazione per espropriazione, 2014, http://www.euronomade.info/?p=3244

36.  Verónica Gago y Sandro Mezzadra, Para una crítica de las operaciones extractivas del capital. Patrón de acumulación y luchas sociales en el tiempo de la financiarización, Nueva Sociedad 255, 2015, pp. 38-52.

37.  ⑴Sandro Mezzadra and Brett Neilson, Extraction, logistics, finance: Global crisis and the politics of operations, Radical Philosophy 178, 2013, pp. 8-18. ⑵Sandro Mezzadra and Brett Neilson, Operations of capital, The South Atlantic Quarterly 114-1, 2015, pp. 1-9.

翻訳・構成 北川眞也

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危機のヨーロッパ

――移民・難民、階級構成、ポストコロニアル資本主義(前篇)

サンドロ・メッザードラ × 北川眞也(聞き手)

2016年2月15日 ベルリン

(PDF版はこちら→

 

北川 今回は、移民たちの移動や運動を通して、さらにはポストコロニアルという観点に立脚しながら、ヨーロッパの現状について伺います。そのさい、あなたの研究の内容や立場にふれながら、質問したいと思っています。

 最初に、シティズンシップをめぐる問いについて伺います。というのも、現在のヨーロッパについて考えるとき、このパラダイムが果たしてどこまで有効であるのか、私にはいくぶん疑問に思われるからです。昨今のヨーロッパの境界地帯にせよ、大都市にせよ、そこで移民たちに対してさまざまに行使される暴力に深く刻印された事態をふまえるなら、国民国家のシティズンシップ、さらにはかつて頻繁に議論されたヨーロッパ・シティズンシップについて、なおも語ることが可能なのでしょうか。

 あなたはシティズンシップという概念を非常に重視しながら、理論的・政治的活動を行ってきました。フランスで1996年にサンパピエたちの闘争が起こりました(1)。それ以来、移民にかかわる運動においては、「運動としてのシティズンシップ」と呼ばれるものをめぐり数多くの議論や研究(2)、そして数多くのそうした実践が展開されてきました(合法化・正規化をめぐる闘争、移民の拘禁センターに反対する闘争、移民たちからすると、まさしくこの拘禁空間の内部での闘争を意味しました。さらには移民たちのストライキ。またバンリューの暴動、日々の移民たちの越境運動もそうでしょう)。

 そこにおいてイメージされていたのは、大雑把にいえば、こうした運動は既存の「制度としてのシティズンシップ」に挑戦し、緊張を与えるものであり、それをより平等主義の方向へと改変しうるという図式でした。とりわけ、国籍からシティズンシップを解きほぐす可能性が、ほかならぬ「ヨーロッパ・シティズンシップ」という枠組みのもとで、少なくともさまざまに期待はされ、検討されていたことを知っています。こうした移民たちの運動の結果として、「ヨーロッパ・シティズンシップ」においては、制度レヴェルにおいても、移民たちは市民としての位置を占めうるということです。

 当時は、運動としてのシティズンシップについて考えられるなかで、ヨーロッパ・シティズンシップというものの可能性がそれなりに感じられていたのだと思います。しかしながら、比較的最近ですが、あなたは2013年の非常に情勢にそくした論文のなかでこう書いています。「シティズンシップの概念のまわりでなされる仕事が、ヨーロッパにおける批判的な思考と政治行動の重要なインスピレーションの源を体現していると確信する一方で、近年のヨーロッパ・シティズンシップのまさに制度的な枠組みの重大な変容を背景として、この仕事はテストを受けなければならないとも考える」(3)。

 現在も数多の難民たち、移民たちが、かれらの「逃走の権利」を行使し、ヨーロッパに入り続けているし、入り続けようとしています。運動としてのシティズンシップ(構成する権力)と制度としてのシティズンシップ(構成された権力)のあいだの関係がまるで機能しないようにみえる現在において、ヨーロッパにおける移民たちの生、そして闘争について考えるうえで、なおもシティズンシップという概念に依拠し考えることはできるのでしょうか。それは、ヨーロッパ・シティズンシップの可能性、または不可能性についての問いでもあります。この点について、どのように考えていますか? 

メッザードラ そうですね、とても単純ですが、かなりラディカルなことからはじめましょう。それはおよそ3年前に書いたこのテクスト「ヨーロッパをつかみとる」のなかで何かしらは論じられていることです。つまり、ヨーロッパ・シティズンシップは、こんにち深刻な危機のただなかにあるということです。現在の状況は、90年代前半のそれとはまったく異なる。当時は、歴史的契機について語られていたわけです。つまり、そこにおいては、ヨーロッパにおけるポストナショナルなシティズンシップの構成が、その数々の限界にもかかわらず、ポジティブな基準点を形づくっていたのです。それは研究者にとってのみならず、いくつかの重要な社会運動にとって、とりわけ移民たちの運動にとっても同様でした。

 確かに、移民たちは、法学者が言うところの、二級のシティズンシップとして構成されたに過ぎないヨーロッパ・シティズンシップに向かい合っていたと言うこともできます。それは、ヨーロッパ・シティズンシップに加入するには、EU加盟国のシティズンシップを有していなければならないという意味においてのことです。しかし、それにもかかわらず、そこにおいてシティズンシップの展開がなされるポストナショナルな地平の存在というものは、まさしく移民たちの運動にとって、何かしらポジティブなことに相当していると思われていました。移民たちは、国家のレヴェルでは厳しい排除を経験していた人たちですからね。確かに引き続く年月に、連邦主義者たちが言うような、ヨーロッパ・シティズンシップという概念の内側に暗に含まれた潜在性(virtualità)のさらなる展開はみられませんでした。しかしながら、数年のあいだ、移民たちの運動、少なくともいくつかの移民たちの運動は、このヨーロッパ・シティズンシップという次元をポジティブな基準点として引き受けていたのです。

 近年、状況はすっかり一変しました。2000代半ばにフランスとオランダで実施された欧州憲法条約の国民投票(4)とともに、すでに状況は変化しはじめていたと言えるでしょう。これらは、EUの形式的構成の形成(costituzionalizzazione formale)過程を凍結させるものでした。状況はしかし、グローバルな経済危機がソブリン債務危機というかたちで、ヨーロッパに達したときにこそとりわけ根源的に変化したのだと思います。つまり、2010年あたりのことですね。このとき、ヨーロッパ統合過程のある種の方向転換があった。これこそ、はっきりと「金融に基づいた」指令のいくつかの契機が、ヨーロッパ統合過程に対し結晶化し、固定化される状況を導くものだったのです。そこにおいては、こんにちでは明らかだと思われることが判明しはじめました。それは、ヨーロッパ統合過程の危機が、ヨーロッパ・シティズンシップの危機にも相当するということです。

 現在、私たちはこの危機がいっそう深刻ものとなった状況に直面しています。過ぎ去ったばかりですが、2015年について考察してみましょう。すると、私たちは多数の危機のあいだの連鎖が生じていることをはっきりと目撃することになるのです。それは特に、ギリシャ危機と「移民危機」として定義されたそれとのあいだにおいてのことです。

 簡単に分析してみましょう。ギリシャ危機はいま一度、緊縮策を継続するという上からの権威的押しつけを招きました。その傾向においてこれらの政策は、社会権という観点からすれば、シティズンシップとその中身を空っぽにしていくものであると簡潔には言えるでしょう。しかしこの危機は、危機がヨーロッパのエスタブリッシュメントにとって「解決」されたまさにそのやり方を通して、まさしく緊縮策という規範、金融・財政の厳正さに基づいて、ヨーロッパ統合過程を再構成するための諸条件を提出しなければならなかったのです。

 しかし、何が起こったのか。起こったのは、いわゆる「移民危機」です。つまり、大量の移民運動、戦争が展開される地域からの大量の逃亡運動、シリアのみではありませんが、何よりシリアからの逃亡運動が、ヨーロッパ空間をその全体において激しく急襲したのです。かれらは、20年前から「EUの域外境界の制御レジーム」として定義されているものを危機へと陥れたのです。さてここでまとめるならば、私たちは、緊縮策の継続によって規定された諸条件からでは、統合過程を政治的に統治することはできないということが、ただちに実証された状況に対峙しているということです。

 このプロセスにおけるアンゲラ・メルケルの役割を考えてみてください。とてもはっきりしていますが、メルケルはこの状況において、ヨーロッパにおけるドイツの指導的役割を強められると考えた。それは、ギリシャ危機に対するドイツの立場を特徴づけたそれとは部分的に異なった身振りを用いてのことでした。だからこれは、移民、とりわけシリアからの大量逃亡に対する相対的にオープンな態度(5)に基づいて、ヨーロッパにおけるドイツの指導的役割をある種正当化しようとするものだったと言えるでしょう。

 メルケル、またドイツ政府の一部の人間のこうした態度の理由については、長い議論もできるでしょう。ただ、確実に、以下のことを強調しておく必要があります。それは、危機、経済危機が出現するなかで、境界を制御するヨーロッパの諸政策、移民制御が、近年ではいっそう制限的で、いっそう閉じられた特徴を引き受けていたということです。これはドイツ、また他のヨーロッパの国々にとっては、やっかいな事柄なのです。というのは、それらの国は移民を必要としているからです。メルケルは、一方では、ヨーロッパにおけるドイツの指導的役割を主張し正当化する試みと、他方では、それとは異なった基盤に基づいて、ドイツの移民政策、もっと一般的にはヨーロッパの移民政策を提出する試みとを結合させるためのチャンスをつかもうとしたのではないでしょうか。

 ただし、ギリシャ危機の内側でドイツによって主張された立場に基づいてなされたこのいっさいは作動しなかった。それはまるで作動しなかったのです。根本において、メルケルのイニシアチブは、ヨーロッパ・レヴェルにおいて失敗したのだと言えます。さらに、とても単純かつ迅速にいうなら、それは、緊縮策、金融・財政の厳正さを基盤にして、また基本的にはユーロという通貨を基盤にして、ヨーロッパ空間を政治空間として統治することはできないことを証明しているのです。

 したがって、2015年の夏以降、私たちはヨーロッパ統合過程そのものの甚大な危機に直面している。この危機は、地理的なレヴェルにおいても言い表せます。ヨーロッパ統合は、マーストリヒト条約の批准以来、25年にわたって、独特の流儀においていつも可変的な地理を有してきました。それはいつもさまざまな空間的座標のあいだの交差によって構成されているのです。ユーロのヨーロッパは、シェンゲンのヨーロッパとは一致していない。それとは別に、物流のヨーロッパ統合空間もまた存在します。なおも他の地理が存在するでしょうし、おそらくこの地理への言及は増やすことができるでしょう。ここ25年間のヨーロッパ統合の特殊性とは、エリートたちの観点からすればですが、これらのさまざまなヨーロッパのあいだの接合部、交差点において巧みに立ち回る一種の力量のことにほかならなかったのです。

 こんにち、それはまったく機能していない。ギリシャ危機の周辺においては、劇的なかたちで、ヨーロッパの北と南のあいだの断層が深くなりました。いわゆる「移民危機」をめぐっては、東と西のあいだのこれまた悲劇的な断層が、新たなかたちで際立つようになってきました。その一方で、ヨーロッパとイギリスのあいだの関係の歴史的困難、こんにちでは独自のかたちをとっているわけですが、この困難にも留意しなければなりません。このいっさいが、ヨーロッパ統合過程の全体危機、何より「麻痺」を引き起こすこととなるでしょう。この麻痺、危機は、一定数のヨーロッパのエリートにとってもまたやっかいな問題なのだと思います。

 同時に、この危機、麻痺のしるしのもとでヨーロッパにおいて生じていることは、政治の「再国民国家化」のプロセスであると定義できるでしょう。国民国家が、EUの物質的構成(costituzione materiale)(6)の内部で、横暴なやり方で再び姿を見せているのです。国民国家の再出現の背景には、疑念の余地なく、ヨーロッパの多くの国々で新旧の右翼が成長していることもまた関係しています。私の「穏健な」観点からしても、この成長は極めて不安をさそうものです。

 ここにおいては、以下のように主張する人たちもそれなりにいます。ヨーロッパにおける政治の再国民国家化は歓迎されうることであると。それというのは、根本的にネオリベラルなプロジェクト、つまりEUというプロジェクトを危機に陥れ、まさに国家レヴェルで主権を回復するための空間を開くことになるからだというわけです。

 私はこうは思わない。私はこうではないと確信しています。それとは反対に、ヨーロッパで起こっていることは、ナショナリズムとネオリベラリズムのあいだの新たな連結が出現しているのだと確信しています。国民国家が中心的役割を引き受けようと再び姿を現していますが、それはヨーロッパにおけるネオリベラルな構成体の基本的諸要素には些かも疑問を投げかけてはいません。私は、国民国家が主役として再度現れるとすれば、それはただ新旧の右翼のためにのみ空間を開くものだと信じて疑いません。

 したがって、世界のこの場所、つまりヨーロッパにおける新しい左翼にとってのラディカルで抵抗力のある変容のための政治戦略は、なおもヨーロッパという戦略以外にはありえないのだと強く思っています。それはヨーロッパ空間をつかみとるという戦略です。

北川 一方では、ヨーロッパにたどり着いたとしても、指紋押捺を拒否し、最初に足を踏みいれたヨーロッパの国での庇護申請を義務づけるダブリン条約に抗する移民、難民たち、たとえばイタリアにたどり着いても、すぐさまよその国へと移動する移民、難民たちは、再国民国家化の現状をふまえると、それに抗い、ヨーロッパ空間をつかみとろうとしていると言えるのかもしれません。

 他方において、たとえヨーロッパにおいて再国民国家化が進むとしても、もはや国民や市民が統合されるべき空間というものが十分には存在しえないように思えます。つまり、この再国民国家化がかつての国民国家、いわば国民社会国家へと導かれることはありえないのではないかということです。

 数々の闘争を通して、またネオリベラルなグローバル化を通して、コンフリクトを媒介し、それを国民社会国家へと包摂してきた物質的な仕組みは粉砕されてきました。あなたが論じていることですが、ヨーロッパにおいて国民社会国家は、「自由な」賃労働者-男性-白人を、市民の「中心的」形象としてきました(7)。国民社会国家は、生産の「中心的」形象でもあるかれらを、なんらかのかたちで政治的代表制の制度的回路に包摂することで、コンフリクト、階級闘争を中和し、福祉の拡大を通じて、資本蓄積を維持してきたわけです。

 しかし、このような主体位置は、さまざまな運動を通じて拒否されてきましたし、現代のグローバルな資本にとってももはや必要とはされていません。事態がこうであるなら、社会統合の空間、いわばシティズンシップの空間それ自体が機能不全となります。移民たちを「統合」することはもちろん、そもそも国民や市民を統合し、かれらをそれなりに保護すると同時に管理してきた空間それ自体が、物質的に乗り越えられてきた、あるいは大きく改変されてきたわけです。

 移民たちが「統合」される空間自体のこのような過程をふまえると、現在のヨーロッパの物質的構成のただなかでのこの再国民国家化はおよそ困難であり、さらなる反動的な暴力によって特徴づけられるよりほかにはないようにも思われます。

メッザードラ 私はそのように確信しています。ヨーロッパにおける政治の再国民国家化は、シティズンシップの再国民国家化を導くことでしょう。現在の諸条件、あなたがいま言及した諸過程によって特徴づけられた条件においては、それはただ社会のヒエラルキー化の諸過程、労働のプレカリ化の諸過程、社会的分断の諸過程、あげくの果てには、ヨーロッパにおける諸々の国民社会の人種主義を土台としたヒエラルキー化の諸過程をもたらすよりほかにはありえません。

 移民たちの観点からすると、このヨーロッパにおける政治の再国民国家化というパースペクティブは、確実に受け入れられるものではありません。数々の多大なる不安があると言うべきです。なぜなら、このパースペクティブが、ヨーロッパにおける移民たちのプレゼンスを低下させる方向へと突き進むことはできないと思われるからです。私にとって、これはとても重要なことです。もしフランスにおける国民戦線、イタリアにおける北部同盟、ドイツにおけるドイツのための選択肢のような政治勢力(他にも増やすことができるでしょう)のレトリックをみると、少なくとも、いつもこれらの政治勢力の目的が、かれらが活動する国における移民たちのプレゼンスを劇的に低下させることにあると考えてしまいます。しかし、私は事態がこうであるとは思わない。マリーヌ・ルペン、サルヴィーニのような政治家たち(8)も、私たちの都市における移民たちのプレゼンスが構造レヴェルの要素だということを十分に自覚していると思います。私たちの都市の内部には、さまざまな形態の協働から構成される社会編成のいわばポストコロニアルな特徴づけがある。繰り返しですが、それは構造レヴェルの要素を体現するものなのです。

 では事態がこうであるなら、見通しはどうなるでしょうか。見通しとしては、いわばシティズンシップの編成全体のただなかに、移民たちに従属をもたらす諸過程のさまざまな要素がさらに増えていくということになります。したがって、それは移民たちの大量追放ではない。見通しはむしろ、ヨーロッパのさまざまな国のシティズンシップ、広い意味で理解するなら、ヨーロッパ・シティズンシップの内部へとかれらが包摂されるさいの、過酷で暴力的な従属という特徴が強化されるというものです。

北川 このことに関わりますが、あなたはヨーロッパと移民労働のあいだの関係を把握するうえで、示差的包摂(inclusione differenziale)という概念(9)を用いてきました。それは、「統合」がもはや優先されることのない現在のヨーロッパの移民、難民に対する統治性を考えるさいに、あなたが極めて重視してきた概念であると理解しています。ヨーロッパは、移民をみな追放したいのではない。さまざまな差異を時間的・空間的境界に組み込んでいきながら、移民たちの労働のみを包摂していく傾向にあるというわけです。

 しかし、あなたは2015年8月の(廣瀬)純によるインタビュー(10)のなかで、まさしく現在のヨーロッパにおいては、この示差的包摂さえもが機能不全であると指摘しています。それはどのような意味においてでしょうか? これはヨーロッパの政治的構成に対して、非常に重大な危機をもたらしうることのように思えるのです。というのは、移民たち、難民たちの継続する大量運動を目の当たりにすると、印象ですが、非正規かつ一時的なかたちであろうとも、もはや労働力としてもまた包摂されるようにはなかなか思えないのです。つまり、ヨーロッパのシティズンシップの枠組みはもちろん、さらにはフォーマルにせよ、インフォーマルにせよ、産業予備軍にさえなれない、かつての第三世界において顕著な「過剰人類」(11)のヨーロッパ内部への急襲ではないのでしょうか。

メッザードラ そうですね、示差的包摂という概念についてですが、それは近年私が練りあげてきた概念です。特に、友人であり同士でもあるオーストラリア人のブレット・ニールソンとの仕事においてのことです。この概念は、他の人たちにも用いられてきました。私、私たちはこの概念についてどんな類のコピーライトも要求しませんよ(笑)。この概念は非常に流通しました。ヨーロッパで、またヨーロッパのみならず、移民や境界についての仕事に取り組むアクティビストや研究者のあいだに広がりました。そのうえ、この概念はフェミニズム、人種主義の批判的研究にその系譜を有するものでもあります。これについては長く話すことができますが。

 それはそうとして、ヨーロッパではこの概念の利用は、いわゆるEUの域外境界の制御レジームの変容にかんする議論の内部でとりわけ重要でした。ここ20年、25年のあいだに、多くの成功をおさめた言い回し、スローガンがあります。それは「要塞ヨーロッパ(Fortezza Europa)」というものです。ある種の域外境界の制御レジームのもたらすさまざまな効果と暴力を告発するために、私も、私たちもまたそれを用いたことがあります。

 しかし私は、ある点において、他の多くの人たちと同様ですが、以下のように考えはじめました。主流派メディアにおいても広く普及したこの概念には、いくつかの限界があるのではないか。あるいは、この概念は必然的にヨーロッパの諸境界を制御する移民政策の目的について考えさせるわけですが、それは移民たちをヨーロッパ空間の完全なる外部にとどめておくものとしてしまうのではないか、と。この考えは、ヨーロッパで移民たちのプレゼンスが増大しているさまと矛盾するものでした。また根本においては、ヨーロッパは移民を必要としているという私たちの確信もあり、EUの域外境界の制御レジームが機能するやり方を記述するには、示差的包摂のような概念こそがより適しているように思われたのです。

 示差的包摂という概念は、イメージという点においても、壁や要塞には言及しません。むしろ、ダムやフィルターからなるシステムに言及します。私たちには、境界と移民を制御するヨーロッパの諸政策のこの選別的な特徴づけを強調することが重要だと思えていたわけです。

 またそれと同時に、私たちには、この諸政策が一方においては、根源的に暴力的な諸効果、それはまさに「要塞ヨーロッパ」のイメージによって浮き彫りにされてきた諸効果ですが、EUの域外境界において無数の死者を生み出してきた事実を強調することが重要だと思われました。他方、これはさらなる側面ですが、示差的包摂について論じることは、境界という装置がその総体においては、いかにEUの個々の加盟国の内部においても作用するのか、シティズンシップの空間を階層化しヒエラルキー化を引き起こすのかということを明らかにできると私たちには思われていたのです。

 さて、もし数か月前に、示差的包摂というこのカテゴリーが、私にはまるで機能しているように思われないと言ったのであれば、私はほかならぬアンゲラ・メルケルの態度について先ほど話した意味でそれを言ったのだと思います。ここ4、5年の間に、境界制御の諸政策に根源的な硬直化が起こってきたという意味です。しかしそれは、特にここ数か月のあいだにみられたように、あらゆる選別的制御の可能性に比して、たえずあふれ出る移民たちの移動に直面してのことにほかなりません。他方において、近年、ヨーロッパのムスリム移民たちの一部を急進化の諸過程が襲ってきたことを考慮しなければなりません。一連の攻撃があり、その後それらは、EUの域外境界の管理運営においてセキュリティへの不安を著しく際立たせることとなりました。

 私が他の人たちといっしょにたびたび明らかにしてきたことは、ヨーロッパにおける境界制御レジームというのは、近年、いわばさまざまな懸念、さまざまな論理を組み合わせてきたということです。境界制御がどのように機能してきたのかを考察するとすれば、私たちはこのセキュリティへの懸念をみつけることができるでしょうし、また移民の経済的有用性への懸念もみつけることができるでしょう。これはいわゆるマイグレーション・マネージメントの理論と実践へと翻訳されるものですね。それから、他の論理、たとえば人権の論理をみつけることもできるでしょう。私はこの論理が単純にイデオロギーやレトリックであるとは思いません。それは、世界の他の地域でもそうですが、物質的なレヴェルにおいて、ヨーロッパの境界制御レジームの構成的な一要素となってきたのだと思います。

 しかしここで問題となるのは、これらさまざまな論理のあいだのいわばバランス、これらさまざまな論理の効果的な組み合わせを見出すことなのでしょう。ここ数か月、いやここ数年でしょうか、このセキュリティの問いが、境界で活動する諸々のアクターたちと足並みを揃え、だんだんとより重要な役割を引き受けるようになってきたのです。その一方それと同時に、多くのヨーロッパ諸国における経済危機のもとでは、いっそう制限的なやり方で、移民政策を再定義する方向へと向かう圧力がありました。

 さて、他にも付け加えることができますが、これらの要因のあいだの組み合わせが、示差的包摂のこれらの装置の凍結を引き起こしてきたわけです。繰り返しですが、エリート、ヨーロッパにおいて指令をくだす人びとの観点からすると、それ以前においては、示差的包摂は何かしら機能していたものなのです。もちろん、これは私の観点ではありません。私はこの示差的包摂の諸装置に対しては根源的な批判を展開しようとしてきましたし、示差的包摂の諸装置に抗する移民たちの運動と闘争を明らかにしようとしてきました。しかし私は同時に、この諸装置の効力、それは記述的な意味においてのことですが、この効力が機能していたということは認識してきました。しかしそれとは逆に、こんにちではまったく機能していないわけです。

 そのうえ、ヨーロッパの多くの政府、経済、特に労働、福祉に取り組む省庁のなかには、この危機に対する確かな意識、これでは前進することはできないというある種の意識があるということを言わねばなりません。なぜなら、繰り返しですが、ヨーロッパは移民を必要としているからです。

北川 なるほど。「テロ」とセキュリタイゼーションの螺旋運動が強化され、シェンゲン空間の見直しが議論され、移民たちの移動に対する壁のイメージがいっそう強調されるなかでも、ヨーロッパの資本主義が、構造的に移民の労働を必要としているという指摘は、やはり重要であるように思えます。

 ここにおいて、移民たちの移動や運動の政治的意味を考えたい。ヨーロッパの運動においては、あなたも深く関わってきたわけですが、1990年代、2000年代のあいだに、移民の自律性(autonomia delle migrazioni)というアイディアが練りあげられてきました(12)。移民たちの移動は、労働力の需要と供給の法則や、境界制御レジームの合理性には断じて還元されない。それには還元されない過剰な要素があり、それによってある種の予想外の移動、「乱流」としての移動が可能となっているというわけです。それは、こうした自律的な移動を可能とする移民たちの欲望や期待、越境の戦略や戦術、つまるところ、主体形成過程を注視する視角でした。

 移民の自律性は、移民たちの移動を、現実を改変する社会的諸力とみなすものでもありました。移民たちの移動が自律的な傾向を有するのであれば、むしろこの自律的な移動を後追いするかたちでしか、こうした境界制御レジームは形成されえないことになります。だから、移民たちの移動のほうが、ヨーロッパの境界制御レジームを、ある意味においては変化させているというわけですね。

 しかし、私はヨーロッパへの移民たちの移動を、より歴史的・地理的に文脈化して考える必要があると思います。『逃走の権利』の第4章にも書かれています(13)が、あなたは、ヨーロッパへと向かう移民たちの移動を、第三世界の反植民地闘争との連続上でとらえようとしています。当然、双方が同じというわけではないでしょうが、これは現代世界の政治的布置のグローバルな変動、さらには運動というもののイメージをふくらませる非常に魅力的なテーゼであるように思えます。

 それは第一に、移民たちの移動それ自体の政治性をすぐさま喚起し、それについて思考することを強いるものです。またヨーロッパの移民に対する境界制御レジームの植民地性、あるいはヨーロッパ空間それ自体の避けられない植民地性を指摘するものです。昨今私が考えていることでもありますが、このヨーロッパの植民地性というのは、ヨーロッパの内部において、たとえばフランツ・ファノンのいうような暴力、また暴力の問いの現代性を何かしら示唆するものなのかもしれません(14)。

 これは現代のヨーロッパへの移民たちの移動を考えると、より重要なものとなりつつあるテーゼと思いますが、いくぶん思い切った内容であるようにも思えます。このテーゼについて、少し言葉を加えてもらえないでしょうか。

メッザードラ そうですね、当然ながら、この種の主張にはなんらかの挑発的な意図があります。それは、新たな考察がなされる空間を切り開くという意図です。新たな考察のための空間を開くときには、一方的に所定の主張を強調することもまた必要となるわけです。

 全体として、ヨーロッパで私たちがもう長年にわたって関係を有する移民たちの移動というのは、ポストコロニアルな移動であると言えると思います。それというのは、たぶんその章、あるいは別のところで私がそう呼んでいるのですが、基本的に、宗主国と植民地のあいだの一種の「メタ境界」の存在に基づいていた世界秩序を破壊することでこそ、この移動が歴史的に可能となったものだからです。この世界秩序の破壊は、何よりもまず、数々の反植民地運動によって引き起こされたのです。だからこの観点からすると、現代の移民たちの移動は、反植民地運動のさまざまな行為との連続線上に位置する地理を描いていると言える可能性があるわけです。

 私は、移民たちの移動がそれ自体で、「意識」という観点からみて、主体性のレヴェルで反植民地運動の継続を表していると考えたことはありません。反対に、いくつかの基本的な差異、移民たちの移動と反植民地運動とのあいだの根本的な非連続性を何かしら明らかにできるでしょう。

 たとえば、フランツ・ファノンの『地に呪われたる者』の結論のような有名なテクストについて考えてみましょう。これは20世紀後半の反植民地運動のすばらしいマニフェストですね。そこでファノンはこう言っています。同士よ、兄弟よ、このヨーロッパを置き去りにしよう。イスラーム、世界の街角で人間を殺戮しながら、人間について語るこのヨーロッパを、などなど(15)。このテクストは、かなり力強いものです。それは何らかのかたちで、反植民地闘争のオリジナリティ、その当時までヨーロッパを特徴づけていたそれとは根源的に異なった政治的・社会的・文化的諸形態を構築するという反植民地闘争の決意をしるしていたのです。

 反植民地闘争から誕生した政治体制の歴史が、フランツ・ファノンのような思想家・活動家によってイメージされていたものからすると、少しばかり異なった方向性を有したのはよく知られているところです。しかし、この力強い契機、反植民地主義の政治的想像力は残り続けます。この想像力においては、植民地支配を破棄することによって、それまでヨーロッパから何かしら受け継がれてきたそれと比して、根源的に新たな政治的経験の領域を切り開くことができると考えられていたのです。だから、このヨーロッパを置き去りにしようというわけです。

 さて、ヨーロッパの植民地支配下に置かれていた世界の多くの地域からヨーロッパへと向かってくる無数の略奪された人間のイメージについて考えてみましょう。かれらは、ヨーロッパを置き去りにするというよりも、むしろヨーロッパへと向かっています。去年の8月末のことですが、難民たち、移民たちによって組織されたブダペストからオーストリアへと向かうとんでもなくすばらしい行進の映像をご覧になりましたか? 行進の先頭には、おそらくシリアからやってきたと思われる移民の男性がいて、EUの旗をかかげていたのです(16)。

 ここにおいて私たちが、つまりファノンのような非常に重要な反植民地主義の理論家によって、少なくとも想像され、記述されたそれとは根源的に異なった状況に対峙しているのは明らかです。しかしながら、この種の移民たちの移動には、極めて強固なポストコロニアルな特徴づけが存在するという事実は残る。ヨーロッパにかんして言うならば、かれらのポストコロニアルな特徴づけを通して、ヨーロッパとその外の諸空間、外部とのあいだの関係を新たなやり方で思考し準備する緊急性がたえず改めて提出されているのだと言えます。これは基本的に、とりわけ第二次大戦後のさまざまな反植民地運動によって力強く投げかけられた問題でもありました。こんにち、移民たちの移動というのは、特にはやはりシリアの状況、しかしまたより一般的には、たとえばマリのようなアフリカの多くの状況を考えるなら、およそむき出しのシンプルな力で、この問題を再び投げかける運動にほかならないのです。繰り返しですが、これというのは、反植民地運動によってヨーロッパのなかに、ヨーロッパへと投げかけられた本質的な問題だったのです。

北川 ここから多くのことが再考できるように思えます。反植民地運動がたとえ国家空間の主権へと回収されてしまったとしても、この闘争を可能とした解放の欲求、そして移民たちの移動もそうかもしれませんが、平等への欲求はやはり再考するに値するものだと思います。

メッザードラ そうですね。もちろんそこには直線的な連続性はありません。しかし、諸問題、歴史的運動、時代の転換のいわば布置はある。その内側では、さまざまな要素の連鎖が存在しているわけです。

後篇へ続く)

1.  サンパピエとは、滞在許可証のない移民たちのこと。市民に付与されている権利をもたず、いつも強制送還の可能性にさらされている移民たち。1996年のパリで、かれらは滞在の正規化を求め、最初にサンタンブロワーズ教会、最終的にはサンベルナール教会を占拠した。多大な注目を浴びたこの出来事は、サンパピエという存在を明示し、フランス社会に認知させるものだった。

2.  サンドロ・メッザードラ(北川眞也訳)『逃走の権利——移民、シティズンシップ、グローバル化』人文書院、2015、 特に第3章、第8章。

3.  Sandro Mezzadra, Seizing Europe. Crisis management, constitutional transformations, constituent movements, 2013, http://www.euronomade.info/?p=462

4.  2005年5月29日にフランスで、同年6月1日にオランダで欧州憲法条約の批准をめぐる国民投票がなされたが、いずれの国においても否決された。

5.  2015年9月3日、シリアから逃れる途中に死亡した、トルコの海岸に横たわる3歳児の遺体の写真が大きく報道された。翌日、メルケルは国境をオープンにする決定を行った。

6.  「物質的構成(costituzione materiale)」とは、法や規範に基づいた「形式的構成(costituzione formale)」からは相対的に独立している、あるいは間接的にしか承認されない、社会的諸階級のコンフリクトが有する憲法=構成上の重要性を強調し、そのあいだの均衡を確立する。それは、法権利と運動のあいだの関係が偶然的なものであることもまた示す。

7.  Sandro Mezzadra, S. 2002. Soggettività e modelli di cittadinanza. In N. Montagna, a cura di, Controimpero: per un lessico dei movimenti globali, Roma: Manifestolibri, pp. 81-100.

8.  マリーヌ・ルペンは、フランスの国民戦線の党首。マッテオ・サルヴィーニは、イタリアの北部同盟の書記長。

9.  たとえば、メッザードラ『逃走の権利』、302頁。

10.  廣瀬純編著『資本の専制、奴隷の叛乱——「南欧」先鋭思想家8人に訊くヨーロッパ情勢徹底分析』航思社、2015、18-19頁。

11.  「豊かな国への大規模移住を阻止しているハイテクの国境線の強制が文字通り「巨大な壁」になっているため、スラムだけが、今世紀の過剰人類を収容するという問題解決を一手に引き受けている……安全でスクワット可能な土地の最前線はいたるところで消えつつあり、都市の隙間への新参者は、「周縁中の周縁」……「死にかけ」というよりほかない存在条件に直面している」。マイク・デイヴィス(酒井隆史監訳、篠原雅武、丸山里美訳)『スラムの惑星』明石書店、2010、305頁。

12.  メッザードラ『逃走の権利』、第8章。

13.  メッザードラ『逃走の権利』、115-116頁。

14.  北川眞也「ポストコロニアル・ヨーロッパに市民はひとりもいない」『現代思想』43-20, 2015, 70-80頁。

15.  当該箇所は以下。「ヨーロッパのあらゆる街角で、世界のいたるところで、人間に出会うたびごとにヨーロッパは人間を殺戮しながら、しかも人間について語ることをやめようとしない。このヨーロッパに訣別しよう」。フランツ・ファノン(鈴木道彦、浦野衣子訳)『地に呪われたる者』みすず書房、1969、181頁。

16.  この行進は、おそらく2015年9月4日と思われる。ハンガリーのブタペストからオーストリアの国境、さらにはウィーンを目指して、移民、難民たちが高速道路を歩いた。

翻訳・構成 北川眞也

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第162回掲載

ジュンク堂書店千日前店閉店と難波店大改装のさなかで行われたイベントについての内容になっています。

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第161回掲載

「「多摩デポ講座『紙の本は、滅びない』」について」
2月27日国分寺市での講演についての内容になっています。

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第160回掲載

アサダワタルさんについて

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第159回掲載

「須磨の井戸書店について

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第158回掲載

梅田蔦屋書店について

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詩人・季村敏夫氏の特別寄稿文「断章、記憶に息を吹きかける」を掲載しました。

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PDF版も同時に掲載しております。上記リンク内の「PDF版」をクリックで開きます。(674 KB)

 

季村 敏夫 (きむら ・としお)

1948年京都市生まれ。 古物古書籍商を経て現在アルミ材料商を営む。

著書に詩集『木端微塵』(2004年、書肆山田、山本健吉文学賞)、 詩集『ノミトビヒヨシマルの独言』(2011年、書肆山田、現代詩花椿賞)、 『生者と死者のほとりー阪神大震災・記憶のための試み』(1997年、人文書院、 編著)、 『山上の蜘蛛―神戸モダニズムと海港都市ノート』(2009年、みずのわ出版、小野十三郎特別賞)、 編集『神戸モダニズム』(都市モダニズム詩誌、第27巻、ゆまに書房)など。

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第157回掲載

書店の「利益」計算式について

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※11/2から当コラムに接続できない障害が発生しておりました。申し訳ございません。

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第156回掲載

鼎談『本おやで「本屋」を語るの会』について

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第155回掲載

「大澤真幸『自由という牢獄』について」

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第154回掲載

「店内イベント「戦争に抗えるか?」などについて」

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第153回掲載

「『絶歌』について」

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第152回掲載

「橋下引退と人物批評」

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第151回掲載

「『イスラム・ヘイトか、風刺か』(第三書館)について」

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』でご覧下さい

 

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第150回掲載

「本の「宛先」とは」

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第149回掲載

永江朗『「本が売れない」というけれど』の反響について

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第148回掲載

「書店におけるヘイト本の氾濫と、それに抗う力(後)」

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第147回掲載

「書店におけるヘイト本の氾濫と、それに抗う力」

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第146回掲載

「「セミナー 電子出版時代の書店と図書館」について

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1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第145回掲載

「アマゾンによる出版社の格付けと電子書籍」

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第144回掲載

「電子書籍はなぜ「書籍のかたち」をとろうとするのか」

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第143回掲載

「書店の戦略 人と人をつなぐ」について

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第142回掲載

「富山で行われたイベント「談論風発の集い ネット時代だから活字を!」について

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer142.htm

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第141回掲載

「6/21難波店で行われた鈴木邦男氏とのトークイベントについて

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer141.htm

(7/2追記・鈴木邦男氏の氏名を間違って記載してしまいました。大変失礼いたしました)

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第140回掲載

「「ポプラ社コミュニケーションセミナー デジタル化が教育を破壊する」について」

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer140.htm

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第139回掲載

「JPO永井祥一氏シンポジウム「変革期を迎える出版流通システムー最近の事例から」について

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer139.htm

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第138回掲載

「“トークバトル”「紙の本」か?「電子出版」か?“について

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第137回掲載

第一回OsakaBookOneProject受賞作 高田郁著『銀二貫』について

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*前回の更新において第132回が消えておりました。申し訳ございません。現在は復旧しています。

 

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第136回掲載

「新刊『紙の本は、滅びない』について

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer136.htm

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第135回掲載

「本宴・本について大いに語る宴」について

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第134回掲載

「出版デジタル機構会長・植村八潮氏の講演について

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第133回掲載

「図書館、書店、出版社の役割を活かした講演会のかたちとは

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第132回掲載

「海文堂書店のこと」

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第131回掲載

山口昌男と書物の関係

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第130回掲載

大学における電子書籍の役割

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第129回掲載

「システムDと出版

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『「朦朧」の時代』発売を記念して、「朦朧付録」を公開しました。

朦朧なる座談会「三人冗語」「廣告」「朦朧番付」を収録。下記リンクよりご覧ください。

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/furoku.html

朦朧バナー

朦朧付録p1

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第128回掲載

「トラブルから見えた打倒アマゾンの方法

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第127回掲載

「学ぶ」ことそのものの喜びとそれが生み出す活力

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第126回掲載

「新聞と書籍の相補性

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第125回掲載

DNP市谷ソリューション展2013で話したこと

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第124回掲載

「惜別京都BAL店」

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1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第123回掲載

「『古事記』とガダマーとキンドル

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1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第122回掲載

「Kindleと出版業界

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第121回掲載

「パネルディスカッション「本と本屋の未来」について

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第120回掲載

「ティム・ウー著『マスタースイッチ 「正しい独裁者」を模索するアメリカ』(飛鳥新社)について

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第119回掲載

「文具と読書法

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第118回掲載

安冨歩『原発危機と「東大話法」』について

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第117回掲載

「『ディアスポラの力を結集する』について

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第116回掲載

「「破局」を免れるための「預言」」

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第115回掲載

「何があるかではなく、何が無いか」

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第114回掲載

岡本源太『ジョルダーノ・ブルーノの哲学―生の多様性へ』について」

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

 

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第113回掲載

「データにとらわれる書店

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第112回掲載

「「倉庫」化する書店」

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第111回掲載

國分功一郎『暇と退屈の倫理学』について 」

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

 

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第110回掲載

「丸善CHIホールディングス社長小城武彦氏のこと、脇英世『アマゾン・コムの野望』について

 

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第109回掲載

「大澤真幸『社会は絶えず夢を見ている』について』」

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

 

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第107回掲載

「ガダマーの『真理と方法』について』」

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第107回掲載

「ランシエール『無知な教師 知性の解放について』」

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第106回掲載

日垣隆 『電子書籍を日本一売ってみたけれど、やっぱり紙の本が好き。』、佐々木俊尚『キュレーションの時代』について

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第105回掲載

「大澤真幸の天皇論」

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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第104回掲載

「震災と出版」

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1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会終期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)

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