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疋田香澄インタビュー「保養活動の7年間を振り返る」

「保養活動の7年間を振り返る」
『原発事故後の子ども保養支援』刊行記念インタビュー


話=疋田香澄

(保養中間支援団体「リフレッシュサポート」代表
『原発事故後の子ども保養支援~「避難」と「復興」とともに』著者)


聴き手・構成=田口卓臣

日時=2018年5月13日(日)
場所=東京都内

 

百者百様の証言を受け止めて

田口 刊行前の原稿を拝読したのですが、こういう本はありそうでなかったと感じました。原発事故後の様々な苦悩に直面した人たちから、疋田さんは強烈な問いを投げかけられてきたのだろうと推察しました。この本はそうした言葉を真摯に受け止め、その時々に感じた揺らぎを隠すことなく、どのように異なる立場を尊重できるのかを葛藤を重ねながら問うています。お仕着せではない言葉で綴られているので、保養というテーマを入り口にして、今の日本はどういう社会なのか、この社会にどのように自分は関わっていくのか、読み手である私も自問することになりました。

疋田 ありがとうございます。そう言っていただけて嬉しいです。つたない文章ですが、一生懸命書きました。

田口 何よりも、これは出会いに支えられた本ですね。当事者、支援者、研究者、医者、ジャーナリストなど、実に多くの人たちが出てきて、百者百様というほど多様な証言をしています。これをまとめるのは大変な作業だったのではないでしょうか?

疋田 証言を入れさせていただいた方たちには、一人一人、私の書いた文章で問題ないかをチェックしていただいたので時間がかかりました。確認作業をちょっとやり過ぎたかなという面もありますが、今は良かったと思っています。

田口 具体的にどのように作業を進めたのか教えていただけませんか?

疋田 本を書こうと決めたのが去年の9月でそこから色んな人に声をかけていって、2月頃までインタビューをしていたので、取材期間は半年です。直接インタビューできたのは合計で60人くらい。遠くに住んでる人もいっぱいいるので、Skypeと電話で取材した人も20人くらいいます。それから、私が現場で耳にしてきた発言の中に印象深いものがあって、そういう発言を本で紹介してもいいかどうか本人に確認する作業もありました。保養の相談会や支援者同士の交流会が一か月に一回はどこかで開催されてきたのですが、そういう場でも証言の確認をしたり、短めのインタビューをやり直したりしました。そんなこんなで、120人くらいのコメントが盛り込まれてます。原発事故という大きな出来事に関わることですし、よく話を聞いてみるとみんな意見が違うので、私の視点だけで書くわけには行かなかったんです。

田口 それにしても、ここまでの作業をやり通すのは大変だったろうと思います。

疋田 文章を書くのが得意なわけでも何でもないので、しんどい時期もありました。最初はこういう形にまとまるとは予想もしていませんでしたし、直接インタビューに行くと、「この問題に関しては、この人に話聞かなきゃダメだよ」と皆さんどんどん紹介してくださるので、会った人、会ってない人、証言のチェックをしてもらった人、みたいな感じでエクセルで管理しながら進めていきました。最初は四日市ぜんそくの問題に関わった方とお会いするとは思ってもいなかったです。

田口 インタビュー時間は大体どれくらいを設定されたのでしょうか?

疋田 直接インタビューのときは最低30分。一番長い方は、5時間でした。

田口 執筆中に悩んだ点などがあれば、差し障りのない範囲で教えてください。

疋田 私が当事者のことを語っていいんだろうか、というのが一番悩みました。私の偏った視点で書いてしまっていいのかな、誰かを傷つけてしまうんじゃないかなって、胃がきりきり痛みました。私の友達にも、福島の実家が生産者やってる人がいるので、今もまだ悩んでるところはあります。お子さんが白血病の方のことを紹介しましたが、これほど重い出来事を「書いていいですか」と聞くのは辛かったです。ただ、正直に説明して、「こういう企画でこういうふうに考えてます」と説明しに行くと、みなさん基本的にOKをくださいました。「全然いいよ」みたいな感じだったんで、ちょっと拍子抜けしたほどでした。私という大人が書いたものに子供が赤入れるのって難しいじゃないですか。だから直接会いに行って、一回書いた原稿を見せて、「ここは嫌だ」と指摘してもらおうと思ったんですけど、「そこまで配慮しなくていいよ」という反応ばかりで、気にしすぎだったのかなと。

田口 子供にも確認しに行ったというのはすごいですね。

疋田 部活で忙しくて会えなかった子もいるので、全員じゃないですけど、会いに行ける子は会いに行きました。専門家の方は赤を入れてくださるので気楽なんですけど、子供だけは私との間に上下関係ができてしまうと思ったので…。でも、結果的には杞憂でした。支援者も専門家も当事者もそれぞれ考え方は色々ですけども、私が本を書くということは尊重してくださって、聞き取りにも協力的だったのでありがたかったです。ただ、逆に言うと、あまりに立場が違う人の所には話を聞きに行ってないので、この本にも私の「偏り」はあると思います。保養という活動も一つの立場ですから、中立でなければならないわけじゃないと思って、最後は割り切りました。

田口 話を聞きに行かなかったのは、どういう立場の人たちですか?

疋田 「福島はぜんぶ危ないんだ」一点張りの人たちです。保養の現場には、こういうことを言う人はいないので、そういう環境も私に影響したのかもしれません。色々と誤解があるようなんですが、保養の場を具体的に作り出すのはほんとに大変なんです。「何が何でも危険だ」と言ってるだけの人たちには、こういう作業はやれないと思います。

「保養は差別を生む」キャンペーン

田口 本を書こうと思ったきっかけや動機について教えていただけませんか?

疋田 きっかけは、去年(2017年)9月上旬に、全国紙に「心のケア」として紹介された保養の記事がネットに転載され、大量の中傷メールが来たことです。事実とまったく違う内容が沢山書かれていて、「保養は福島差別だ」と断じていたのでショックでした。後日全国紙の福島県版のみに保養の記事が載った時には中傷はこなかったので、おそらく福島県外の少数の人たちがやったんだろうと思うんですけど、ネットで私の住所をさらされた上に容姿のことまで嘲笑されたので、なおさらショックでした。

私の実感としては、福島現地で批判されることって、まずないんです。たまたまバス停で隣に座ったおばあちゃんとかと話し込んだりしても、別に怒られたりしません。「どっから来たの?」「東京からボランティアで来てます」。そうすると、「なんのボランティア?」って、質問されますよね。「原発事故で外遊びが制限された時から、キャンプの活動してます」と正直に話していくと、「そうだよねえ。小さいお子さんがいるお母さんはやっぱり心配だよねえ。私は気にしなくなっちゃったけどね」くらいの反応が、普通だと思うんです。それで大量メールにショックを受けた後、きちんと問題の本質を議論し直さなければ、と危機感を持つようになりました。

田口 具体的にはどういう危機感を持たれたのでしょうか?

疋田 それまでは支援者にしても当事者にしても、保養を続けることとか、子供を守ることとかで精一杯の状態でした。でも、そういう実践だけではなくて、そもそもなぜ日本では民間で保養しなければならなくなってるのか、なんで保養という選択肢を選ぶことで周囲の眼を気にしなければならないのか、そういった点を一つ一つ解きほぐしていかないとまずいんじゃないかと思ったんです。

田口 それはつまり、保養に対する社会的な認知を高める、ということでしょうか?

疋田 いいえ。自分がやったことが、社会的に認められるか認められないかというのは、とりあえずどうでもいいんです。でも、自分のしていることがやみくもに「差別」につながると言われちゃうと、これはもう身動きが取れなくなりますよね。私は原発事故が起きた時点で、今後「優生思想」みたいなものが強くなったらどうしよう、と心配していたので、現場でも常々その点に気を付けてきたつもりでした。

それで、「保養の支援をしてきたんですけど、それって差別になりますかね?」という感じで、いろんな立場の方たちと膝突き合わせて対話していくうちに、「せっかくだから本にまとめてみようか」という話になりました。

最初は「書く」ということが、ピンと来なかったのも事実です。目の前の人のために動くことが自分の役割かなと思ってましたし、あまりに活動に入り込んじゃっていたので、急に「観察者」になるのも何だか違うような気がしました。でも最終的に、「保養の意義も限界も含めて、きちんと記録しよう」という気持ちが勝ちました。

そもそも私の立場というのはそんなに主張の強いものではなくて、煎じ詰めて言えば、「原発事故後のそれぞれの被災者の選択を大切にしたい」という一点に尽きてるんです。でも、こういうスタンスの活動でさえ叩かれるのだとしたら、なんだかそういう社会って危ないんじゃないかと思いました。

田口 『ポストフクシマの哲学』(明石書店、2015年)のインタビューを読んだのですが、疋田さんはこの時から同じことをおっしゃっていますね。「危険か安全か」という論争に時間を取られるよりも、自分にはすべきことがある、それは不安なのに物を言えなくなっている人たちに支援の手を差し伸べることだ、そして保養という活動は、様々な異なる立場を尊重するための一つの選択肢のつもりだ、と。私はそう受け止めたのですが、いかがでしょうか?

疋田 はい。そのスタンスは、2011年から一緒です。どういうふうにお母さんたちが不安を持ってて、どういうふうに言葉を出せないのか、ずっと考えてきました。例えば、関西では一時期、せっかく保養支援の準備をしても、肝心の福島の人が来ないんだから、「支援の必要はないんじゃないか」みたいな雰囲気になっていたんですが、本当は保養に行きたくても色んな事情で行けない人たちが沢山いるんです。「福島は危険だ」とか、「早く逃げ出すべきだ」とか、外から大声で言ってもほとんど意味がありません。どうやって百者百様の違いを認め合いながら一人一人の声に対応して行けるか、そうやって少しでも子供の追加被曝を減らすにはどうすればいいのかを追求してきたつもりです。

保養の意義について

田口 原稿を書き終えた今、改めて保養の意義は言い表すとすれば、どのように言えるでしょうか? また、保養に対する中傷キャンペーンが起きた理由についてはどのようにお考えですか?

疋田 保養の活動は別に大層なものじゃなくて、社会に沢山ある支援のうちの一つだと思ってます。原発事故後、汚染地の外でリフレッシュするという新しい選択肢が必要になりました。その選択肢を当事者に提供している意義はあると思いますが、個人的には保養を「正しいもの」、「素晴らしいもの」みたいに打ち出したくないんです。これは原発事故の問題に限ったことではなくて、「正しい支援」とか言い出すと、途端に危うくなるからです。より良い支援をしようと思っても、様々な障害や困難のために思い通りにはいかないというのが現実ですから。ただ、保養自体は日本では民間が行っているささやかな活動ですし、チェルノブイリでは今現在も「普通」に行われています。だから、なんで「保養は差別につながる」と言われるのかな、という素朴な疑問は残ります。

 中傷が出てきた理由を改めて考えてみると、特に明確な答えがあるわけではないんですが、日本では「政治的なもの」に対するアレルギーが強いのかなあ、と今は捉えてます。保養に関わってる人たちは、そういうアレルギーの少ない人が多いんです。私と同世代だと、公害を勉強してきた人、難民支援をやってきた人が結構います。そういう政治的な問題が社会の中で「隔離」されているから、「そこに触れてはいけない」という反応が一定数出てきてしまうのかもしれない、と考えました。実際、「保養」というアプローチは、現在の国の方針とも異なっていますから。

ただ、バッシングに関わった人たちの立場に立ってみる必要もあるのかなと思ってます。彼らも原発事故後、すごく人生に悩んだりとか、色々うまくいかないことがあって、はけ口としてやったのかもしれません。今の日本社会ってただでさえ息苦しいですし、辛いこととか、しんどい事情を抱えていてもおかしくないですから。

田口 疋田さんに何回も文句のメールを送り付けてきた人が、最後に「自分も我慢し続けてきたんだ」と書いてきたという下りがありましたね。この本を読んでいると、そういう人たちへの想像力がよく伝わってきます。敵対ではなく、和解のために何が必要なのかを感知させてくれる文章です。

疋田 多分、激しく怒る人って、不安なんだと思うんですよね。拭いきれないくらい深い不安があるんじゃないでしょうか。よく分かりませんけど、トラウマのような経験があったとか、日頃から自分が馬鹿にされてると感じてきたとか、本当は誰にも言えない辛い秘密や苦しみがあるとか…。一見、立場が大きく違っている人でも、激しい怒りをぶつけてくる人でも、よくよく話してみると、何か理由があってそうしているのかもしれない、と想像するようにしています。

保養という切り口から見た「差別」

田口 この本の特徴として、現場から「差別とは何か?」という問いを問い直そうとしている点が挙げられると思います。執筆開始段階で正面から「差別」の問題を扱おうと考えていらしたのですか?

疋田 ぜんぜん違います。最初は保養のことをまとめようと、ネットを参考にしながら企画書作って、目次の項目を作ってみただけです。水俣出身の3世の人と保養活動を一緒にやっていたことと、それから障害の当事者の方たちが保養支援に関わってることもあって、その方たちにも話を聞きたくて目次に入れたという程度でした。ただ、初期段階で貴重なアドヴァイスもいただいてます。私としては「保養は差別ではない」ことを証明しようと方針を立てていたんですが、ある人から「差別的でないことを証明しようとするんじゃなくて、どうしたらより差別的ではなくなるかを考えなきゃいけないんじゃないの?」って言われたんです。

田口 第7章に関わることですね。この章は濃い内容でした。

疋田 そう進言してくれたのは、お世話になっている支援者の方でした。「本当にその通りだな」と感銘を受けたんですが、私は「差別」というテーマに理解が深いわけじゃないですし、逆に支援者の中には、原発事故が起こるずっと前から差別の問題と向き合ってきた方が多いので、「へえ、これぐらいで差別のこと、考えてるつもりなんだ?」という厳しいコメントもいただきました。そういう方々の話を聞いて、そこから取材範囲を広げていくうちに、差別と分断に関する7章の分量が増えてしまいました。

田口 真剣に差別と向き合った本を読むと、「自分は差別していない」とか、「自分は加害者ではない」などとは口が裂けても言えないと痛感します。この本を読んで、今までの私の言動はどうだったろう、と自問しました。そのように読み手の自問を引き出すのは、様々な現場で恒常的に差別と向き合ってこられた方々の証言が盛り込まれているからですね。

疋田 一言で「水俣病」と言っても、本当はもっともっと深い問題が山盛りだと思うんですけど、この本は「保養」と接点がある部分に限って書きました。能力的に言っても、私にはそうすることしかできなかったんです。

田口 それは本の性格から言っても仕方がないと思います。では、色んな人との出会いながら視野や考察が膨らんでいったということですね?

疋田 どんどん話が膨らんで、もう一回構成して、いろんな人に相談して、また構成して、ということの繰り返しでした。だから文章の責任は私にありますけど、沢山の仲間たちとの共同作業だったと思ってます。かれこれ7年間、支援者の人とも当事者の人とも沢山の議論と、ときには真剣な喧嘩をしてきたので、その中で教えてもらったことのウェイトが大きいですね。「これこれの問題に関しては、この人が一番詳しいから聞きに行ったほうがいいよ」みたいな情報も含めていくと、私自身の考えはそんなに入ってないんです。もちろん、どういうふうに切り取るかという点は、すべて私の責任です。

保養の「思想」について

田口 この本で驚いたのは、「保養の思想」に関する記述です。最初は「保養に思想があるのだろうか?」と不思議でしたが、「自分の頭で考えること」を柱に据えている、という記述に触れて合点が行きました。

疋田 「自分で考えよう」というコンセプトは、保養の現場ではいつも出てきます。原発事故の有無にかかわらず、もともと日本の教育には、自分で考える子を育てようとしない側面があるので、保養支援の仲間たちは、そういう学校教育とは違う物の見方を子供たちに伝えようとしてきました。ちなみにこの点は、当事者の側からも同じ考え方で参加するケースがあります。お母さんでも、子供でも結構います。

田口 その意味では、当事者と支援者のニーズが合致しているということでしょうか?

疋田 人によりますけども、基本的にはそうです。保養という行動そのものが、何となく大多数の人に従った結果として出てきた、というものではないので、一つの決断がお母さんたちの中でも必要ですし、お父さんの中でもそうだと思います。もちろん、一口に「自分の頭で考える」と言っても、実際にはそれが許される環境、経済的な条件、場合によってはその時々の具体的な状況も作用してきますが、その方針を大切にしたいというのは、7年間一貫していた考え方だと思います。

田口 私にも小学校に通う子供がいるのですが、日本の学校教育には時として強い疑問を感じます。先生が「人間の鼻はオレンジで丸く描きなさい」と勝手に決めてしまうんです。当然、生徒たちの描く絵は、異様なくらい均質で退屈になります。個々の先生を観察していくと、一生懸命に子供のためを思ってくれているんですが、教師も子供も共に思考を停止してしまうようなマニュアル志向には、げんなりさせられます。

疋田 分かります。ただ、自分で言ったことをひっくり返すようで申し訳ないんですけど、私自身は、自分だけで考え過ぎるというのも「それはそれで危険かな」と思ってます。適度に社会に適応しながら考えるぐらいがいいんじゃないか、と思うこともあるんです。

田口 その理由を教えてください。

疋田 自分自身の哲学だけを押し通して生きちゃうと、本当にしんどいですから。

田口 色々と折り合いを付けて、やり過ごすべき所もあるということですか?

疋田 私自身は「学校」という制度が嫌でした。とても排他的で、人に序列を付けることが当たり前になっていて、すごく嫌いでした。大学という本来は「自分の頭で考える」べき場においてさえ、人に序列を付けるようなことを平気でやっている所とかも目についたりするので、なおさら学校制度って嫌いなんです。どうやったらこの制度に加担しないで済むか、ずっと試行錯誤していた気がします。それでも冷静に振り返ってみると、一定のレベルでこの社会のやり方に適応したほうがメリットもあるんだよなあ、と思うようになりました。私自身がまったく従順じゃなかったですし、そうやって生きてきてよかったのですが、制度の中で柔軟に構えたほうが得だよなとは思います。

違和感だらけの「社会貢献活動」

田口 お話を伺っていて、保養支援を始める前にどういうことをされていたのか、関心が湧いてきました。大学時代は活動か何か、されていたのですか?

疋田 そうですね。私が大学生の時は「社会貢献活動」が流行っていたんです。当時の社会貢献活動というのは、いわゆる市民活動から政治性を脱色して、「社会にいいことしよう」みたいなノリで取り組まれている活動でした。大きな声で国に文句言うのではなくて、「社会にいいこと」を実践すれば、「社会貢献」になるんだ、という雰囲気でした。私も学生としてそこに関わってたんですが、関わりながら違和感だらけでした。そもそもそこでいう「社会」って何なんだって思ってました。震災後、こういうことだったのかと分かった気がしてます。つまり、何となく「社会」と一括りにされている枠組みに、排除や加害の構造が隠されていたのではないかと思っています。

田口 具体的にはどういうことでしょうか?

疋田 私が学生時代に関わったのは、「地域活性化」プロジェクトでした。地域における「産学官」連携を謳っていたんですが、そのプロジェクトで、ホームレスが多い地区のことが話題になった時、みんなが真顔で「ホームレスの人たちがどうしたらいなくなるか?」という議論を始めたんですね。「そもそもなぜ、ホームレスがいけないの?」って聞くと、びっくりされました。それで私もその反応にびっくりしてしまいました。「だって、住民税はらってないのに、公共の場を占有するのはいけないじゃん?」とか平気な顔で言われて、文字通りドンビキでした。「パブリックスペース」というか「コモンスペース」というか、そういう発想がまるでないんだと驚いたんです。

田口 「(ホームレスが)いなくなる」というのは、要するに「見えなくする=排除する」ということですね。

疋田 その通りです。当時の「社会貢献活動」にはそういう発想が透けて見えたんですが、今もそのノリでやってる人たちが結構いて、違和感は消えません。例えば震災って、私たちが何とも思ってなかった「電気」というものが、実はものすごく政治的だったことがはっきりしたわけですよね。うまく言えないんですが、その震災の後でも「政治的」でありたくない人がいるんだ、ということを考えずにはいられませんでした。

田口 なるほど。「政治性」を脱色しようとするマジョリティーの論理が、実際には「ホームレスを見えなくする」という排除の政治を作り出している、ということでしょうか?

疋田 そう言っていいと思います。同い年ぐらいの子たちで話題になるのは、そういう排除や権利侵害を見過ごしてはいけないよね、ということです。原発事故だけではなくて、別の問題が浮上した時も、見過ごさないようにする。地道にそういう姿勢を繰り返していくことが、長い目で見て、それこそ「社会」のためになるんじゃないかって。

人に対して「風評被害」という言葉を使うこと

田口 この本は、ぽろりとこぼれ落ちてくる言葉に繊細に反応していると感じます。例えば「風評被害」という言葉の持つ繊細さについて、この本を読んで考えさせられました。疋田さんがこの言葉の繊細さに気付いたのはいつ頃ですか?

疋田 「風評被害を生むからこれをするな」という言い方は、事故直後から、例えば除染の際にもよく使われていたと思います。除染って色々と難しい面もあるかもしれないですけど、ある意味では合理的な行動なわけですから、なんでそういう行動が「風評被害」を生むんだろうって、当初から不思議でした。東電が「風評被害」という呪文を積極的に使うことで「実害」を消してるからなのかなあとか、考えこんだりしました。

ちなみに、この本で紹介した、人に対する「風評被害」という言葉使いは、事故から2年目か3年目には福島の人たちも普通に使ってたんです。「差別」と直接的に言いかえてしまうと、響きが強くなってしまうのかもしれません。保養の活動に関わってない人と話したときに、「風評被害って、人にも使う言葉なの?」って聞き返されて、たしかにこういうのは一般的な言葉使いじゃないよなあと再認識しました。「なんか変だな」という感触は、保養の活動仲間たちの間では共有されてたんですけど。

 もちろん、正真正銘の「風評被害」というしかないケースもあると思いますよ。でも市場経済でやっている以上、何らかのきっかけで買い控えが起こるのは避けられなかったですし、「風評被害」を指摘しただけではなんにも解決しない気がします。だからこそ、きちんと公的に補償するしかないんじゃないかというのが現時点での私の考えです。

「保養なんかしてないでもっと生産者に寄り添え」と言われて落ち込むこともあります。ただ、ちょっとそこまでは私が関わってきた現場でフォローできないことだし、最近では「フォローできなくても仕方がない」と思ってます。言うまでもないんですけど、生産者に寄り添う人にはその方たちの役割があります。ただ、私は縁あって、お母さんや子供が集まる保養という場に関わることになりました。本当に100パーセント正しいポジションを取らなきゃいけないということはないはずで、逆に言うと、そもそも存在しない100パーセントの「正しさ」を追求するのは、それはそれで一つの病なんじゃないでしょうか? だから私は良くも悪くも限界のある立場を取っていて、そこから見えた光景はこれです、と言うことしかできないんです。

田口 自分自身の様々な限界を明示しながら語り進めるという姿勢は、この本を読めばきちんと伝わってきます。その意味でフェアな本だと思います。

疋田 ありがとうございます。事故直後の私は、「こんなに大きな出来事が起きているのに、黙るほうがおかしくない?」と思ったので、自分の立場性も隠さずに意見を言っていました。「所属」と言えばいいでしょうか、喩えるなら「着てるもの」を全部脱いで、NOと思ったことはNOと言おう、と考えていました。でも自分が30代になった今、同じような事が起きたら、また違う反応をするのかもしれません。当時は20代前半だったので「着てるもの」も「背負ってるもの」も少なかったですから。今の自分に「持ってるもの全部捨てられるか?」と自問してみると、ああいう風には行かないんじゃないかな、と。よく分かりませんが、タイプ的にはまた駆け出しちゃうんでしょうかね?

田口 こうしてお話ししている印象では、そういう気がします(笑)。

支援者の苦しい現状とニーズの動向

田口 原発避難の受け入れ現場を見ていると、当事者だけでなく支援者たちも疲弊しているように感じる瞬間があるのですが、保養の活動に関しても同じことは言えますか?

疋田 言えると思います。5年目過ぎた辺りから、体調を崩す人が増えましたから。無理な生活を押してボランティアしてきた人が体調くずすんです。ほぼ全員仕事をしていますし、女性でも何らかの形で働いてる人が多いので。

田口 仕事とボランティアを掛け持ちする支援者が多いと?

疋田 そうです。仕事モードのときと、保養モードのときと、切り替えがきついっていうか時間もすごい使います。だから保養もきちんと制度化しないと、現場がしんどくなる一方なんです。私は、支援者も決して無理はしちゃダメだと思ってます。無理すると、「こんなにしてあげたのに」みたいな、当事者への理不尽なお仕着せに転化しかねないからです。だから、保養の制度化を訴えていきつつも、全体的な保養の実施数は少しずつ減っていくのかなと感じてます。

田口 ただ、ニーズ自体は減らないわけですよね。

疋田 そこが問題なんです。保養支援を続けるモチベーションは、ニーズがあるということに尽きます。そろそろ疲れてきたなあって思っても、現地で「保養の受け入れ先が減ってるんです」と言われると、「頑張らなきゃ」って思い直して、この7年半なんとか維持してきました。私は活動が自己目的化するのは良くないという考え方ですが、ニーズが減らない以上、活動は必要だと思います。

ただ一方で、実はその「ニーズ」の具体的なイメージがよく分からないという事情もあるんです。「保養の申し込みが今までの5倍に上った」という団体さんもある一方で、「今年は募集したら全然集まらなかった」という団体さんもあって、なかなか全体像がつかめません。少なくとも、健康不安を感じてる人がどんどん増えてるというわけでもなくて、ニーズが繊細に多様化してるという感じでしょうか。新しく子供が生まれたとか、後は小児甲状腺がんが見つかった子がクラスにいるとか、そういう間接的に気になることがある人たちも少なくないです。それから、今は気にしてないんだけれども、事故直後にトラウマ的な体験があって、それを克服するために行動してるという人も意外と多いですね。だから「福島で健康被害が出ているので、保養のニーズが増えてます」みたいなストーリー作りは、私はしたくありません。そもそも論になりますけど、「どうして保養に来たか?」という動機によって人を選別するのは良くないですし。

田口 本を読むと、現在の保養は完全に民間ベースで保たれているとのことですが、行政によってその保養を制度化することは可能だと思われますか?

疋田 難しいかなと思ってます。国の方針がそういう方向ではないですから。民主党政権が変わらなかったら、事情は違ったかもしれないですけど。「今からもう一回、被曝低減の権利を打ち上げられますか?」と専門家の方々に聞いても、一様に渋い顔をされます。福島原発事故の被災者は、一般にチェルノブイリよりも内部被曝が低いという事実もありますが、それ以上に日本は文化的に見て、保養という考え方そのものが成立しにくいのかもなあって思います。もともと休みが少ないから、そういう休みを利用して保養をするという制度作りもやりづらいんじゃないでしょうか? もちろん、きちんと保養のニーズが存在することを訴えていくことは大切です。

3年目の壁、5年目の壁

田口 支援者の側の苦しい現状についてお話しいただきましたが、それがはっきりしてきたのはいつ頃からでしょうか?

疋田 3年目の壁と、それから5年目の壁があったと思います。震災直後はもう本当に災害ユートピア的なテンションでやってた人たちが多かったんです。でも3年目以降から少しずつ厳しくなっていきました。わざわざ保養活動のために、夏休みを長く取れる仕事に切り変えた人もいたんですが、「そこまでやって大丈夫なのかな?」と心配になることもありました。もちろん、日本にも市民社会というか、そういう層が残ってたんだと知ることができたのはよかったんですけど…。

田口 3年目、5年目の壁というのは、具体的にはどういう「壁」だったのでしょうか?

疋田 「災害支援」のスキームでやってた団体さんは、最初に「3年でやめる」って決めていて、3年が来た時点で実際にやめた所も多かったんです。わりとパブリックな団体さんとかも、「3年」というくくりが多かった気がします。「でもなんだか全然状況が変わってないな」という感触があって、それでもう少しだけ頑張ってみた人たちも「とうとう5年たってしまったなあ」と。5年も経つと、寄付は集まらないですし、状況もまだまだ改善してないし、こんなに長引く災害ってないので、団体さんもさすがにきつくなってくるわけです。人がきつくなったり、資金的にきつくなったりという感じで。だからさっきもお話ししたように、今年は保養にかかわる団体さんがすごく減るんじゃないかと思います。

そういう厳しい現実があるということを、支援者も当事者も理解したうえで、どういうふうに乗り切っていくのかを考える時期に入っていると思います。だから、原発事故関連の本や冊子を読んでると、最後のほうで、「いろいろ難しい問題だけど、とりあえず民間団体が保養やってるよー」みたいな紹介をふわーって、まとめていることがあるんですけど、「そんなに保養に期待されても困るなあ」というのが正直なところです。決して当事者を見捨てるとか、そういうことじゃなくて、もう体力的にも資金的にも限界なんだよっていうのを伝えるためもあって、本を書いたんです。

田口 本の出版は、保養の苦しい現状を「記録」として残す意味合いもあるということでしょうか?

疋田 そうですね。世界のどっかで、また原発事故が起きたとしますよね。そうした時に、私たちがベラルーシとかウクライナのことを調べたみたいに、その国の人たちが日本の3.11について調べることがあるかもしれないですよね。ベラルーシ、ウクライナでは保養が続いているけど、「なんで日本は保養が減っていったの?」という疑問も出てくるかもしれません。そういう時のために記録を残しておく必要があると思います。

避難と保養の違い

田口 この本では最近の訴訟判決に言及されている箇所があります。判決文上は「避難の合理性」を認めるものが出てきているという事実があります。疋田さんとしては、こういう判決が相次いでも、保養の必要性を社会的に認知させるのは難しいとお考えですか?

疋田 私がメインでやってきたのが避難者支援ではないので、うまく結びついていないだけかもしれませんが、少なくとも判決が世の中を変えているという感触は今のところ持っていません。避難と保養って、意外と違う点があると思います。

田口 その違いを教えてください。

疋田 訴訟判決で「避難の合理性」が認められるかどうかというのは、概ね2011年の時期が焦点になっているのではないでしょうか? 現在進行形の被曝状況を問題視して、お母さんたちの被曝回避行動が合理的だとしている判決はないように感じます。保養は「現在」侵害されている権利を問題にしている当事者のための活動なので、どうしても「現在」の被曝状況の議論になってしまうんです。

田口 私も訴訟の動向の全体を熟知しているわけではありませんが、何人かの原告に話を伺ってみると、2011年直後のことだけを問題にしているわけではないという方は結構いらっしゃいます。

疋田 それはそうだと思います。

田口 ただ、判決の傾向としては、2011年末の野田首相(当時)による「冷温停止」宣言前までは避難の合理性を認められるけれども、宣言以降は「原発事故は収束した」というのが国の立場なので、「避難の合理性を認めさせるのはなかなか難しい」という話を耳にします。となると、保養が制度的に確立されるというのは一層ハードルが高いのかもしれません。

疋田 あと、それを支援者側が声を大にして求めるものでもないと私は思うんですよね。権利というのは、当事者が求めていくものなので。

私個人のスタンスとしては、保養という活動が7年間も続いてきましたよ、とまでは言えます。逆に言うと、「保養は必要です」ではなくて、「保養を必要としてる人が7年間もいました」までしか言えないんです。それと、本当に必要だと思う当事者がいるのであれば、その人たちの訴えや求めに協力することもできます。

田口 疋田さんとしては、政策提言をするところまでは行かないということですね?

疋田 一応、ボランティアで予防措置としての被曝回避行動という点ではずっと関わって来たわけですけど、社会的な合意が盛り上がっていかないと、政策提言をしたとしても少し弱い気がします。私たちがサポートしてきた「保養」というのは、実際には「リフレッシュ」の側面が強くて、どれぐらい内部被曝が減ったかとか、どれぐらい外部被曝を避けられるかとか、そういう具体的な効果まではなかなかはっきり示せてないんです。もちろん、尿セシウムの測定などを頑張っている団体さんもいらっしゃいますが。私が中心となって政策提言する予定はないです。

ジェンダーと主体性

田口 この本では実に様々な観点からジェンダーの問題が取り上げられています。女性が何かを主体的に選択することがどれほど阻まれているかについて多面的に描かれていると感じました。

疋田 そうですね。保養に子供を出すお母さんたちは、自分の主体性を無視されていると感じている方が多かったんです。例えば、「母子避難」のケースにも、ジェンダーの問題の根深さがあると思うんですが、これは事故前から日本にあった問題が噴出したんじゃないかと私は捉えてます。

私がいつも思い出すのは、福島のお母さんの発言です。「夜道を歩いて怖くなったことがない人に、放射能が怖いって気持ちは分かんないよ」って。得体の知れないものに傷つけられるんじゃないかという感覚は、全然体を壊したことがなくて、傷つけられたこともないむきむきの屈強な男の人には、到底分かってもらえない、と言いたかったんだと思います。

田口 逆に、お父さんが弱音を吐けなくて、「本当は怖い」という本音を押し殺しているようなケースはないですか?

疋田 もちろんあると思います。「男らしさの呪縛」って言うんでしょうか。男の人も労働構造の中でひどい目に合わされてる人って少なくないと思います。

怖がるとか、逃げるとか、そういうのって「女性的なもの」と見られがちですよね。「戦って散るんだ!」みたいなマッチョな思想が、世の中的には評価されがちですし。そういうときに男性が弱さを出しづらい環境というのが事故前からあって、だからこそ多分、男性の方が女性よりも自死が多いんじゃないですか?

あと男性って、いつも思うんですけど、基本的に連帯しにくいように感じます。女性は社会的に弱いからこそ、活動とかでもすぐに連帯するんですよ。男性が自分の弱さを共通点にして連帯する場面って、あまり見たことないなあって思います。こういう所にも「男らしさ」の呪縛が効いてるんじゃないでしょうか?

 念のために付け加えておくと、これは関東の場合なんですけど、「妻に放射能の話をできない」とおっしゃってた主夫の方が二人いました。経済的に奥さんが優位な男の人は、本音を言い出しにくい面があるんだと思います。ですので、何でもかんでも「女性だから」「男性だから」という理屈で切れるわけではないですよね。自分の生活秩序を変えたくない人、何か起きたら一目散に逃げたい人、そういう個人的な気質の違いとかも大きく関わってくるでしょうし。

 もう一つ、「主体性」という点で私が気になってきたのは、そもそも子供たちには選択肢すらない、ということなんです。「だから子供はみんな避難させるべきだ」とか、そういうことを言いたいのではなくて、とにかく選択することができないという理不尽さですね。原発事故以前から、相手が子供だからといって、その子の主体性や意志や選択の次元を大人が勝手に無視して、巻き込んでしまっていいんだろうか、そういうのは嫌だなって、直感的に思ってきました。だから事故直後も「放射能が危険かどうか」というよりも、これでまた子育てに負荷がかかって、虐待とか起きたらどうしよう、という心配の方が強かったんです。お母さんの負担を少しでも減らすようにして、虐待が起きないようにしたかったですし、そのことで子供が何かを選択できるとは、どういうことなんだろう、と考えてみたかったんです。

田口 「子供に選択肢がない」というのは、おっしゃる通りですね。避難したかどうかにかかわらず、子供はとにかく親に付いていくしかない。人の子であるという事実の根源的な理不尽さを一人一人が背負わされています。ところで、ジェンダーの観点でもう一つだけ伺いたいのですが、保養支援者の側にもジェンダーの問題はありますか?

疋田 まず一般論で言うと、日本の市民活動って、高齢の男性が前面に出て来て、自分の主張をして、後ろで女性たちが作業している、みたいな面がまだまだあると思うんです。保養の活動はそういう感じじゃなくて、保養支援者たちで合宿すると、台所とかでもほぼずっと男性が動いてます。「ケア気質」というんでしょうか、「男が前に立つんだ」というよりも、空間的に女性的な面を出しやすい現場なのかもしれません。

私がネットでバッシングされたとき、何人かの男性から「あまり気にするな」と言われました。女性は「大変だったね」って同情してくれたんですが。

田口 そういう反応の仕方にジェンダー・バイアスがあるのかもしれないということですか?

疋田 そう思います。でも、私が嫌な気持ちになったことは事実なので、「私は嫌でした」ということくらい、言っていいんじゃないかと思ってるんです。

田口 おっしゃる通りだと思います。

疋田 もちろん、男性か女性かにかかわらず、支援側の人たちがいつの間にかパターナリスティックになっていくという面はあります。私自身も「こうしてあげたらいいだろう」とか、勝手に先回りしてる時がありますから。だからこそ、「そうならないように気を付けよう」というコンセンサスが自然とできてきたんだと思います。とにかく、自分がパターナリスティックになり始めたら、「何言ってんだ、自分!」みたいに、自分を笑うというかツッコミを入れるというか、そういう点に気を付けています。

同調圧力に抗して

田口 今までの話で言うと、疋田さんがバッシングを受けたことの背景にもジェンダーの問題があったのかもしれないと思いました。ちなみに私は原発の問題に関して何冊か本を出してきましたが、バッシングを受けたことはまったくないんです。

疋田 早尾貴紀さん(311受入全国協議会共同代表、東京経済大学教員)も同じことをおっしゃってました。やっぱり大学の先生で、しかも男性だからじゃないですかね?

私の場合、何もやらなければバッシングはされなかったんでしょうけど、保養という突出したことをする女性、という風に見られたのかもしれません。早尾さんにしろ、田口さんにしろ、大学の先生で、それぞれの学問をしているという立場性がはっきり見えますけれども、私は何の仕事をしてる人なのか分かりにくいですし、何を目的に保養支援をやってるのかも明確には見えないんだろうと思います。しかも若い女だから、後ろに誰かがいるんじゃないかと想像してしまうのかもしれません。

田口 日本には「プロ市民」という不可解な言葉がありますよね。こういうシニカルな表現が罷り通る社会の在り方について考えさせられます。どこかの誰かが、「これは社会の一員として見過ごせないことだ」と気づいて、その問題に取り組んでみるということが難しい環境なのでしょうか?

疋田 四日市ぜんそくでインタビューした方がおっしゃってました。「自分が反公害の活動をできたのは、政治的なことが許される60年代、70年代の雰囲気があったからだ」と。そういう運動が下火になって、今に至ってるんですよって。

そういう中で私が大事にしてるのは、外見的に政治的かどうかということ以前に、自分が主体としてどう考えて行動するか、ということです。自分の主体性を大切にできれば、他人の主体性も大切にできるはずだと思うんです。本で紹介した福島大学の西崎伸子先生もおっしゃってたことですが、日本ってほんとに同調圧力が強いので、主体性を持つ人への負荷が重いんじゃないでしょうか?

自分の主体を隠す、もしくは主体的ではない振る舞いをするというのは、結局は「責任」を取らないということなんだと思うんです。でも、原発事故が起きて、私たちが無意識に使っていた電気にすら「責任」があることが分かりました。主体的であることや自分の生活や選択の責任を取ることから、私たちはもう逃れられない時代になっているんだと思います。それはけっして怖いことではなくて、そこから「自分がほかの誰でもない自分である」という感覚も生まれてきますし、そういう人が増えれば自分と他人の権利を尊重する社会になっていくのだと思います。


付記 

『原発事故後の子ども保養支援――「避難」と「復興」とともに』(人文書院、2018年)の初版著者印税は、保養支援と福島県内の養護施設に寄付されます。

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