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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第188回掲載

福嶋聡「本屋とコンピュータ」第188回掲載

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer188.htm

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』に、2014年~2016年にかけての主なコラムは『書店と民主主義』に収録しています。

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)、『書物の時間 書店店長の想いと行動 特定非営利活動法人共同保存図書館・多摩 第25回多摩デポ講座(2016・2・27)より (多摩デポブックレット)』(共同保存図書館・多摩)


○第188回(2018/5)

 コミュニティ。

 前回の最後に、ぼくはやや唐突に、この言葉を使った。それは、『現代思想』2018年3月号「特集 物流スタディーズ』の巻頭対談で、田中浩也が次のように語っているのに触発されてのことだった。

 “これは「地域(ローカルエリア)最適化」や「コミュニティ最適化」に関する話なんです。このレイヤーの問題意識を持ったり、このレイヤーに関する技術開発をする人や会社が、いまの社会ではすっぽり抜けていると思うんですよ”

 近年の物流が袋小路に陥っている状況を念頭に置きながら、田中は「できる限り商品をまとめて発送」というAmazonの発送オプションにヒントを得る。彼自身、段ボールの数が増えすぎるのが嫌で、この「まとめて発送」機能をよく使うのだという。

 “この発想を拡大していくと、あるエリアにまとめて発送し、そこから家族単位でまとめなおし、さらに一人一人に細かく分けるより、トラックにぴったり入るサイズを優先して配送するといった、何回層かに分けてコンパクトに効率化する配送の仕方がありうるかもしれません。言ってみれば、パケット通信のモノ版みたいな(笑)。”

  “これは同時に、ユーザーのタッチポイント側もつくらないといけないので、この技術ができたらAmazonの注文画面などに「地域でまとめて発送」みたいなメニューができるかもしれないですね。それは一方で、「あなた以外にあと30名が注文しないと、そもそも荷物はきません」みたいなことになりますが(笑)”。

 対談相手の若林恵は、「それってAmazon的には後退」「生協っぽい感じ」と言う。

 そうなのだ。Amazon的なものがもたらした物流危機を打開するためには、「Amazon的なもの」、そして「Amazon的なもの」を求める買い手側の志向そのものを見直す必要があるのだ。そこに、オルタナティヴはあるはずだ。

 田中は続けて言う。

 “Amazonはグローバル企業で、「個人」にピンポイントでサービスを行っている。そうすると、単なる中間の一部門として地域の物流会社を使うことになる。それが単にアルゴリズムの一部として使っているとすれば、ローカルな視点ならではの工夫や、消費者と企業の両方の視点からの共感や、ワークとライフを誰もが両方担っているという認識のもとで「こういうふうにやっていこうよ」という「中間レベル」のコンセンサスが生まれにくい状況です”。

 そして、今必要なことは、“「グローバルなハイテク技術」をいったん分解して、ローカルな立場やコミュニティの視点からとらえなおし、必要な、使いやすいものに改変して、現場と整合性をとっていくこと”だと言う。

 「地域でまとめて発送」という「Amazon的には後退」であるシステムは、決して新しいものではないどころか、かつての商品流通の普通のあり方である。発送された商品の受け手は、少し前は大型商業施設、それ以前は商店街の個人商店だった。本という商品の受け手である書店も例外ではない。

 そこまで遡って商店街の時代には、田中の言う“ローカルな視点ならではの工夫や、消費者と企業の両方の視点からの共感や、ワークとライフを誰もが両方担っているという認識のもとで「こういうふうにやっていこうよ」という「中間レベル」のコンセンサス”が、確かに存在していた筈だ。どちらが原因でどちらが結果かは「ニワトリタマゴ」的問題で答えはないだろうが、時代が下るにつれて商業施設が大型化し、遂にはグローバル企業の個人へのサービスにその役割の多くを奪われると共に、そうしたコンセンサスが、即ち「地域レベルのコミュニティ」が失われていった。

 「Amazon的」なシステムの限界が物流機能に現れてきた今こそ、全国の書店網の個々の結節点が、かつての役割を取り戻すチャンスなのではないか?ここ数年、宅配会社などの無理が限界に達しつつある現状は、むしろ書店業界にとっての好機だと思う所以である。

 そのために必要なものこそ、失われつつある「書店というコミュニティ」なのではないか?

 コミュニティと言っても、特別な技術やインフラが必要なわけではない。来店して下さるお客様に歓待の気持ちを込めてご挨拶し、その希望や悩みを聞き取り、全力でその解決に向かう。時には、店員自らが新たな提案をする。

 「こういう本は、いかがですか?」「うん、あんたがそう言うなら、読んでみよか?」

 当たりハズレは、もちろんある。でも、店員―客双方のそうした試行錯誤の中で、いろいろなことが見えてきて、書店を一つ一つ独自なものにデザインさせていき、そこにコミュニティが生まれ、読者が日常的にその書店に集まってくる。そのコミュニティを信頼して、出版社は商品を送り込んでくる。「地域でまとめて発送」という効率的な物流が再び機能してくる。

 「地域で」なのだから、コミュニティは個々の書店が単独で形成するものとは限らない。神田神保町やかつての京都四条河原町ほどの密度でなくとも、すこし範囲を広げればいくつかの書店が共存する地域は、日本中にある。それぞれの書店が顧客とともにそれぞれのコミュニティを形成している。その書店同士が協力しコミュニティを形成すれば、それぞれのコミュニティ同士も融合する。その結果、コミュニティの存在理由を強化することができる。その存在理由こそ、本と読者の豊かな出会いである。

 福岡では、10数年前から、福岡の出版社や書店で働く有志メンバーによる「ブックオカ」というブックフェスティバルが続いている。「福岡を本の街に」というサブタイトルを持つこのフェスティバルは、「我が福岡の街を、東京の書店街・神保町のように、新刊から古書まで丸ごと本を楽しめる空間にしてしまおう」という趣向である。

 2015年の「ブックオカ」では、東京、大阪、広島からのゲストを含めた12人のメンバーを中心に、書店、出版社、取次三者による座談会「車座トーク ?本と本屋の未来を語ろう」が開催された。2日間、11時間にも及ぶ熱いトークの様子を、ぼくたちは一冊の本で読むことが出来る。書名も、『本屋がなくなったら、困るじゃないか』

 多くの、特に地方の書店の最大の悩みは、読者とのコミュニティを形成するのに不可欠な商材が、なかなか入ってこないことである。ベストセラーの入手もそうだが、客注品がなかなか入ってこないのは、大きな問題だ。

 “そもそも何故私が客注を受けましょうと言っているかというと、一番はお客さんとのコミュニケーションなんです。もちろんトラブルも発生しますし、リスクはありますが、…”(徳永圭子 丸善博多店)

 言うまでもなくコミュニケーションはコミュニティの根源的な要素である。

 だからこそ、地方書店は、一つ一つの客注を大事に扱い、商品調達のため、しばしば取次の地方支店の店売に買いに走ったのだ。ところが、「効率化」の名の下、取次は地方書店の商品在庫を減らし、ついには支店そのものを閉め始めた。「車座トーク」では、その機能を、書店そのものが代替してはどうかという意見が出、賛同を得る。

 “そこで僕の考える卸売センターは、書店の店頭であってもいいんじゃないかと思っているんです。”(松井祐輔(HAB)但しトークではなく事後のインタビューでの発言 P240)

 藤村興晴(亡羊社) 書店同士で融通しあう「仲間卸」って、いまはできないのですか?

 佐藤友則(ウィー東城店) やってくれるところはいまでもありますよ。(P52)

 客注に限らず、欲しい、売りたい本がなかなか入ってこないという悩みを持つのは、いずこも同じである。東京・神奈川の書店を中心に、全国の中小書店が集まって共同仕入れをするNET21という試みが、20年以上前から始まっている。

 “あの頃は、再販制度の問題が取り沙汰されていた時代です。その危機感も発端にあって、再販制度がなくなれば、当然委託による配本というのがなくなってしまうということで、小書店はやはり協業して仕入れ調達力を持たなければならないということにつながったわけですね。”(星野渉 文化通信社 P223)

 危機を前にして、書店同士の紐帯が生まれ、必要な部分での協業化が始まっている。書店のコミュニティが、形成され始めている。そのコミュニティは、個々の書店のコミュニティをも活性化するものである。書店同士のコミュニティの目的が、それぞれの顧客の要望に答えることだからである。

 そうした努力によって、個々の書店が生き残っていかないと、本がどんどん売れなくなる状況に歯止めは利かなくなる。大阪から参加したスタンダードブックストアの中川和彦は言う。

 “検索して、何駅か先に紀伊國屋書店があったんで、「ほかにも本屋がありますよ」と案内したんですけど、「イヤ、オレはそんなとこまで行くのはかなわん」って(笑)街には本屋はいるんや、大事にせなあかん、って思った。”(P35)

 読者は、本屋に通う習慣があるからこそ、「行きつけの本屋」があるからこそ、本を買うのである。

 日販の小野雄一は、書店が1店閉店した時、近隣の書店に流れるのは、閉店した書店の月商の4割くらいで、あとの6割は消えてしまうと言う。書店の閉店とともに、一つのコミュニティが消失するからであろう。まさに、「街から本屋がなくなると、本を買う習慣そのものがなくなってしまう」(P124 小見出し)のである。

 今回のコラムの前半部分で取り上げた『現代思想』の田中×若林対談で、若林恵が興味深い指摘をしている。

 “僕が面白いなと思ったのは、Amazonの北米物流施設の総床面積と日本のコンビニの総床面積がほぼ同じだっていうことなんです。アマゾンの総床面積がだいたい950万平方メートルらしいんですけどね。そのデータを知って改めて気づいたのは、「そっか、コンビニって倉庫なんだよな」ってことだったんです。つまりアマゾンもコンビニも「外部化されたストレージ」なんですよね。貯蔵庫や冷蔵庫の代わりなんだってことです。”(P18)

 書店もまた、多かれ少なかれ、本の「倉庫」の機能を果たしている。そのことと極めて整合性を持つ制度が、日本の出版書店業界に特徴的な常備寄託である。書店が出版社の既刊書を、原則1年間、店頭で預かる。常備品は、出版社の外部在庫として計上される。常備契約では書店は常備品を販売するとすぐに補充注文を出す義務が課されている。多くの場合、1年後の請求時には同規模の常備品が送品され、入れ替えることによって書店の棚は、そして同時に出版社の商品販売機会は維持されるという仕組みだ。

 近年、出版社・取次・書店三者の発送・入れ替え作業の煩雑さや、書店の金融返品の手段となる危険性も指摘されるこの制度だが、オープン時の書店の資金負担を大幅に軽減することによって、全国各地の出店を容易にし、現在の全国書店網の形成を可能にしたことは間違いない。

 常備品は、出版社の社外在庫である。書店は出版社の倉庫機能を担っている。ならば、そうした商品を、求める読者のいる他書店に融通することは、とても自然な発想ではないだろうか?常備品を預ける出版社にとっても、最終的な目的は商品の読者への販売であるから、その機会が増えることは何よりも望ましい姿だ。

 一方、書店は出版社の「倉庫」であるだけではなく、読者=顧客の倉庫でもある。家の中に図書館のような蔵書を持つことは(ほんの一部の例外を除いて)不可能だ。人は、必要や興味を感じた時、あるいは必要や興味そのものを見出すために、書店という「倉庫」に出向いてきたのである。

 若林は、次のように言う。

 “食事に関しても、アジアってわりと外食がそもそも基本にあるようにも思えるんです。東南アジアなんかだと小学生が通学途中に買い食いするのが普通だったりするところもあったり、つまり、台所が外部化されている。都市のなかにいろんな機能が散り散りに偏在しているわけです。ラブホテルなんかもそういうものだと思いますけど、都市って本来的にはそういうふうに成り立ってきたものなんじゃないかって気もするんです。”(P22)

 そのことは一見、家庭の機能の外部化、ひょっとしたら崩壊というイメージさえ、抱かせるかもしれない。だが、若林が指摘するように、家が寝室、台所、リビングルーム、書斎、寝室など、生活に必要な要素をフルパッケージで提供してきたのは、近代以降にすぎない。それらが外部化されたことを「崩壊」と感じるのは、都市もまた近代以降のものだという錯覚の産物なのだ。もともと、都市とは、独りでは生きていけない「社会的動物」である人間を、生かすためにさまざまな機能を分散して用意する、コミュニティのシステムなのである。

 都市という大きなコミュニティのサブコミュニティとしてのみ、書店は存在理由を持ち、存続し得る。そうであるためには、ぼくたち書店員は、コミュニティの成員同士として読者=顧客を歓待すべきなのだ。

 「いらっしゃいませ。ご来店ありがとうございます。今日は、どうされましたか?」

 

 追記

 まったく別の角度から志向された出版物流問題の解決策として、DNP(大日本印刷)の「POD」戦略構想がある。

 「書店の注文に対して、プリント・オン・デマンドにより1部から発送できる体制を整え、各地にあるDNPの印刷工場や協力企業を通じて「適地生産」することで、物流コストを抑え、迅速な流通を具現化する」という構想である。

 ぼくは、この構想について『ジャーナリズム』5月号(朝日新聞社)「メディア・レポート」で取材報告した。その際、本稿でも引用した対談での、田中の“Amazonが3Dプリンティングの特許をとっているのですが、それは何かAmazonに注文が来たら、わざわざ海外から飛行機や船でと寄せて注文者の自宅まで運ぶのではなく、注文者が住む地域の倉庫で、注文が来たその瞬間から、あらかじめ用意しておいた設計データから製品を印刷してつくればいいんじゃないかという発想です。”(P9)との発言を引用し、DNPの戦略は、その出版物版だと論じた。本稿のコミュニティ再形成とは、ある意味真逆の方向だが、だからこそ相補的だとも言える。ご参照いただければ、幸いです。

 

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