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福嶋聡「本屋とコンピュータ」第164回掲載

福嶋聡「本屋とコンピュータ」第164回掲載

前回の続き、日本出版学会についての内容になっています。

http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer164.htm

 

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*57回までのコラムは当社刊『希望の書店論』でご覧下さい

 

福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年) 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)


※スマートフォンでご覧の方のために、試験的にここにも本文を掲載します。

○第164回(2016/5)

 5月14日(土)、東京都国分寺市の東京経済大学で、日本出版学会2016年春季研究発表会・総会が開催され、既報の通り(前回のコラム)、ぼくは午後のワークショップ二つに参加した。

 13:45の「いま、再販問題を考える」。

 最初に、問題提起者である緑風出版の高須次郎社長が再販制の歴史を丁寧に辿り、その意味と意義を説明し、再販制の現状と再販制を守る戦いについて熱っぽく語られた。70年代後半に再販制見直し論議が始まり、90年代半ばに日米構造協議を受けてその存続が危機に瀕し、21世紀になって「当面存置」に落ち着いたが、アマゾンの上陸とその法外なポイントサービスが再販制を実質的に切り崩しつつあり、それに対抗して緑風出版ほか有志出版社が「再販契約違反」を理由にアマゾンへの出荷拒否に踏み切っている。そうした再販制の歴史を概観すると、結局は摩擦を含めた官民双方の日米関係に大きく影響されていることを、改めて実感した。

 続いて福嶋が、主に90年代後半に、再販制擁護のためには文化論だけではダメで、経済学的に見ても再販制が決して不合理ではないという議論を立てたこと(拙著『書店人のこころ』三一書房 1997年)を申し述べ、当時公正取引委員会にいた和泉澤衛教授(東京経済大学現代法学部)が、公取の立場を具体的にわかりやすく話してくださった。司会の清田義昭さん(出版ニュース社社長)は、出版業界が「再販存続」に安心して議論を継続しなかったことが、「アマゾン問題」をはじめとする今日の諸問題の元凶ではないか、と総括された。

 ワークショップは、登壇者だけが話したり話し合ったりするのではなく、会場参加者が活発に質問を投げかけ、意見を表明することによって進行する。しかし問題提起者、討論者二人の議論は熱を帯びるに従って当初与えられた各10分を大幅に上回り、期待通り会場からも活発な質問・意見が寄せられたから、予定の90分はかなり超過してしまった。

 僅かな休憩時間で参加者の入れ替え(2つずつのワークショップが並行して進行していた)があり、15:30からの予定だった「ジャーナリズムとしての書店業 ――情報の「送り手」にとっての「公平性」とは何か」が、約15分遅れで開始された。司会の塚本晴二朗教授(日本大学)から、「スケジュールが押しているので、短めに」と言われたが、問題提起者であるぼくは用意した「枕」を、どうしても外したくは無かった。

 「実は昨日、森達也さんの『FAKE』を観てきました。とても面白く、考えさせられることの多い作品でした。」

 ぼくが森達也の名を最初に挙げたことには理由がある。討論者の笹田佳宏さんが日本民間放送連盟の方であり、今特にテレビに対する政権側の圧力が問題になっていることが今日の議論のテーマの一つになると思われたから、元々テレビ・ディレクターであった森達也さんが、自主映画から出版へと自らの表現の場を拡げていった経緯が、それらメディア間の関係や対比を論じるにあたって、大いに参照できる具体的な事例であることが一つ。もう一つは、メディアの「公平性」や「中立」という問題を論じる時の前提であり試金石でもある「事実」の「客観性」そのものに、森さんは「?」を投げかけ、「ドキュメンタリーは嘘をつく」と言っていること。即ち、カメラに収められた「事実」には常に撮影者の主観が紛れ込んでいること(言葉によって表現された「事実」には常に書き手の主観が紛れ込んでいるだろう)を、むしろ積極的に表明していることである。『FAKE』は、作品自体が、その好例であった。

 とはいえ、それ以上『FAKE』について語ることはネタバレにもなるし、本来ぼくが求められた話題に移る前に時間切れになってしまうので、ぼくは早々に「枕」を切り上げ、自身の「店長本気の一押し!『NOヘイト!』」フェアや渋谷店の「自由と民主主義のための必読書50」フェアに対する攻撃やそれへの対処の経緯と私見をお話しした。その中でぼくは、これまでにこのコラムや他の場所で書いてきた通り、フェアへの攻撃は結果的に書店の存在感を高め、フェアの主張を広めて、そこに並べられた本の宣伝にも役立ったことを言い、「クレームを歓迎すべき」は言い過ぎかもしれないが、少なくともクレームを回避したりクレームから逃げたりすべきではないと述べた(出来事の経緯とぼくの私見を話すにあたっては、新著『書店と民主主義』のゲラを持参して活用、ついでに(?)宣伝した)。

 続いて笹田さんが、「唯一の言論法」と言われる放送法の成立と来歴について丁寧に解説された。特に近年、本来放送の自由を担保するはずだったこの法が、政府によってそれを制限し、放送を政府にとって好ましい方向に誘導し、「ウォッチドッグ」としてのメディアの役割を果たし得なくさせることに利用されていと批判する。放送法、電波法によって、特に最近ではその恣意的な解釈によって権力に縛られ、監督官庁による5年毎の免許交付と電波の使用料などで常に暗に威嚇され、忖度、萎縮、自主規制を余儀なくされている放送界に生きる笹田さんは、ぼくの発言を踏まえ、「プリントメディアの世界が自由であるなら、さまざまな問題の存在を明らかにし、広く訴えていってほしい」と訴えた。

 良識あるキャスターの降板など、昨今の放送業界の受難を思うと、ぼくも笹田さんに賛同し、出版がその期待に応えることを目指したい。しかし一方、影響力の大きさに関して言えば、放送はプリントメディアの比ではない。「さっきテレビで紹介されとった本、ちょうだい!」と、大阪のおばちゃんたちは突如書店に殺到する。『殉愛』、『絶歌』は明らかにワイドショー起源のベストセラーだった。そうした本の最大瞬間風速は、時に凄まじいものがある。
だから、出版が一方的に放送を補完し救うのではなく、出版は縛られない自由を、放送は影響力の大きさを利用して、相互に扶け合い、問題の所在とその解決への望ましき方向性を明らかにすべきだと思う。

 そこに、新聞も加えよう。元日経新聞記者の松林薫氏は、今年3月に上梓した『新聞の正しい読み方』(NTT出版)で、「新聞の読者層が急速に広がっている」と言う。新聞購読者の数は確かに年々減り続けているが、ニュースのまとめサイトはもちろんのこと、人々が日常的にアクセスしているブログやネットメディアの情報の多くが、「新聞由来」だからだ。

 政治の迷走と経済の失敗、それによる社会の活力の低下と人々の窮状が明らかな今、メディアは自らの殻に閉じこもることなく、相互に補完、応援、時に批判し合いながら、閉塞状況の打破に向かって手を取り合っていくべきなのである。

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