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自著紹介『仙人と妄想デートする』村上靖彦

死と行為と享楽

――『仙人と妄想デートする 看護の現象学と自由の哲学』自著紹介

 

人工妊娠中絶された赤ちゃんや植物状態の患者さんとコンタクトをとることはできるのか、精神科病院の極度の拘束のなかで人間の自由を確保することはできるのか、そのような困難な問いへの応答として生み出される「行為」を本書は論じています。

本書は看護実践をフィールドワークした人類学的な書物であるとともに、哲学書としても行為・共同体・享楽という三つのテーマが論じられます。一方で数名の看護師へのインタビューとフィールドノートの分析であり、他方ではメルロ=ポンティの制度化論とラカンの欲望・享楽概念の延長線上で、(死をめぐる)行為論と共同体論を構想した哲学書でもあります。

なぜ看護実践を研究することが哲学につながるのでしょうか。簡単に言うと、死、拘束、言語を失った人とのコミュニケーションといった極限の経験は、アガンベンが明らかにしたように人間の経験がもつ可能性に光を当ててくれるからです。一例を上げてみます。助産師の野田さんは人工妊娠中絶の死産についてつぎのように語りました。

野田さん あの、亡くなってゆく赤ちゃんでもあの、生まれていただかないといけないので、お腹のなかで亡くなっている赤ちゃんでも、ほんとに出産をやっぱり経験していただくんですが、やっぱりそのとき亡くなってるからといってやっぱりその、何も言わないっていうことはないですよね。やっぱり亡くなってても、こちらの方から「がんばって出ておいで」ってそういう気持ちでやっぱり声をかけたりとか、するんですけど赤ちゃんにもちろん声をかけたりお母さんにね、「がんばって産んであげようねって」声かけたりそういうことをするんですけど。(本書204頁)

このあと野田さんは死産のなかでも最もつらかった場面を思い出し、しかしそのなかで亡くなった赤ちゃんとのコンタクトを回復しようとします。

野田さん で、あの、産湯に浸って、ふわーって浮かんで、「ちょっと泳いでみようか」ってぴゅーってしてると、ほんとに赤ちゃんが穏やかな表情で、あのお地蔵さんみたいなかわいい表情になって、そういう表情を見てると私たちが、すごくなんか「うー」ってなってる気分が少し、気持ちが楽になるんですよね。で、みんな結構そうなんですよ。(本書215頁)

生まれることができなかった赤ちゃんに、野田さんは「生まれてきたぞ、そして亡くなったぞ」(本書215-216頁)声をかけながら、その短い一生の証人になります。死産の子どものケアについてのこのテキストは、私が今までに書くことができたもっとも強度の強い文章ではないかと思います。本書では他にも訪問看護師による在宅での看取りという対照的な「死」が取り上げられます。

そして医療現場は管理社会としての現代社会の縮図ともいえます。看護師は自分たちが巻き込まれている管理の組織の只中で、しかし人間的な関係を作りなおそうとする人たちです。ゴフマンのアサイラムを待つまでもなく、精神科病院はいまだにそのような管理的な力が否応なく働く場です。受け入れ手がないため何十年も入院している患者さんに享楽の共同体を生み出すこと、監獄のような拘束が行われる救急病棟の保護室でしかし患者のかすかな自由を生み出すこと、そして病院の外で重度の精神障がい者の自由と生活をサポートすること、という三つの極端な場面で、管理社会に抗う存在としての看護師を描き出しました。妄想のなかに入り込んで「デートする」看護師は、患者が地域で楽しく暮らすことを可能にします。息が詰まる私たちの社会のなかで生き残るための何かのヒントがそこにはあるのかもしれません。享楽の確保、これはラカンが倫理として考えたものにほかなりません。

死・衰弱と管理社会という二つのモティーフと対照されることで浮かび上がってくる本書の真のテーマは、生と自由です。西村ユミさんと川口有美子さんの植物状態患者の看護そしてALS患者の介護の議論は、まさに衰弱した体のケアが極限の間主観性でありかつ性の裸出を考える手がかりをくれました。もしかすると現象学にとって「生」とは、欲望と自由な行動そしてそれを可能にする共同性そのものかもしれません。少なくとも本書で描かれるそれぞれ極めて個性的な実践は、この点を共通の方向性として指し示しているように思えます。この方向性ゆえに、本書はさまざまな事例にもかかわらず一貫した流れと構成を持っています。このような実践をつくりだす基盤となるスタイルのことを本書では「ローカルでオルタナティブなプラットフォーム」と呼びました。メルロ=ポンティが構想した制度化概念を具体的に展開することを目論んだものでもあります。

無名の人々の真剣な営みのなかに哲学を発見すること、これが本書の野心です。とはいえ哲学史を無視しているわけではありません。本書の議論は現象学のさまざまな対人関係論の系譜を踏まえています。

自然科学が支配している私たちの社会では、あたかも統計を用いて得られたエビデンスだけが真理であるかのような錯覚が支配しています。個別の人間の経験を無に等しいものとして忘れ去ろうとするエビデンスの神話に対抗するために、たった一人の小さな経験のなかに意味を探す本書のような営みもまた意味を持つのではないかと願っています。研究にご協力いただいた皆さんに感謝するとともに、多くの方に手にとっていただけたら幸いです。

村上靖彦

2016年5月11日


*著者のブログには、別のコメントが掲載されています。

http://kusaiinu.exblog.jp/25598034/

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著者:村上 靖彦
 
 

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