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サンドロ・メッザードラ特別インタビュー「危機のヨーロッパ」前篇

危機のヨーロッパ

――移民・難民、階級構成、ポストコロニアル資本主義(前篇)

サンドロ・メッザードラ × 北川眞也(聞き手)

2016年2月15日 ベルリン

(PDF版はこちら→

 

北川 今回は、移民たちの移動や運動を通して、さらにはポストコロニアルという観点に立脚しながら、ヨーロッパの現状について伺います。そのさい、あなたの研究の内容や立場にふれながら、質問したいと思っています。

 最初に、シティズンシップをめぐる問いについて伺います。というのも、現在のヨーロッパについて考えるとき、このパラダイムが果たしてどこまで有効であるのか、私にはいくぶん疑問に思われるからです。昨今のヨーロッパの境界地帯にせよ、大都市にせよ、そこで移民たちに対してさまざまに行使される暴力に深く刻印された事態をふまえるなら、国民国家のシティズンシップ、さらにはかつて頻繁に議論されたヨーロッパ・シティズンシップについて、なおも語ることが可能なのでしょうか。

 あなたはシティズンシップという概念を非常に重視しながら、理論的・政治的活動を行ってきました。フランスで1996年にサンパピエたちの闘争が起こりました(1)。それ以来、移民にかかわる運動においては、「運動としてのシティズンシップ」と呼ばれるものをめぐり数多くの議論や研究(2)、そして数多くのそうした実践が展開されてきました(合法化・正規化をめぐる闘争、移民の拘禁センターに反対する闘争、移民たちからすると、まさしくこの拘禁空間の内部での闘争を意味しました。さらには移民たちのストライキ。またバンリューの暴動、日々の移民たちの越境運動もそうでしょう)。

 そこにおいてイメージされていたのは、大雑把にいえば、こうした運動は既存の「制度としてのシティズンシップ」に挑戦し、緊張を与えるものであり、それをより平等主義の方向へと改変しうるという図式でした。とりわけ、国籍からシティズンシップを解きほぐす可能性が、ほかならぬ「ヨーロッパ・シティズンシップ」という枠組みのもとで、少なくともさまざまに期待はされ、検討されていたことを知っています。こうした移民たちの運動の結果として、「ヨーロッパ・シティズンシップ」においては、制度レヴェルにおいても、移民たちは市民としての位置を占めうるということです。

 当時は、運動としてのシティズンシップについて考えられるなかで、ヨーロッパ・シティズンシップというものの可能性がそれなりに感じられていたのだと思います。しかしながら、比較的最近ですが、あなたは2013年の非常に情勢にそくした論文のなかでこう書いています。「シティズンシップの概念のまわりでなされる仕事が、ヨーロッパにおける批判的な思考と政治行動の重要なインスピレーションの源を体現していると確信する一方で、近年のヨーロッパ・シティズンシップのまさに制度的な枠組みの重大な変容を背景として、この仕事はテストを受けなければならないとも考える」(3)。

 現在も数多の難民たち、移民たちが、かれらの「逃走の権利」を行使し、ヨーロッパに入り続けているし、入り続けようとしています。運動としてのシティズンシップ(構成する権力)と制度としてのシティズンシップ(構成された権力)のあいだの関係がまるで機能しないようにみえる現在において、ヨーロッパにおける移民たちの生、そして闘争について考えるうえで、なおもシティズンシップという概念に依拠し考えることはできるのでしょうか。それは、ヨーロッパ・シティズンシップの可能性、または不可能性についての問いでもあります。この点について、どのように考えていますか? 

メッザードラ そうですね、とても単純ですが、かなりラディカルなことからはじめましょう。それはおよそ3年前に書いたこのテクスト「ヨーロッパをつかみとる」のなかで何かしらは論じられていることです。つまり、ヨーロッパ・シティズンシップは、こんにち深刻な危機のただなかにあるということです。現在の状況は、90年代前半のそれとはまったく異なる。当時は、歴史的契機について語られていたわけです。つまり、そこにおいては、ヨーロッパにおけるポストナショナルなシティズンシップの構成が、その数々の限界にもかかわらず、ポジティブな基準点を形づくっていたのです。それは研究者にとってのみならず、いくつかの重要な社会運動にとって、とりわけ移民たちの運動にとっても同様でした。

 確かに、移民たちは、法学者が言うところの、二級のシティズンシップとして構成されたに過ぎないヨーロッパ・シティズンシップに向かい合っていたと言うこともできます。それは、ヨーロッパ・シティズンシップに加入するには、EU加盟国のシティズンシップを有していなければならないという意味においてのことです。しかし、それにもかかわらず、そこにおいてシティズンシップの展開がなされるポストナショナルな地平の存在というものは、まさしく移民たちの運動にとって、何かしらポジティブなことに相当していると思われていました。移民たちは、国家のレヴェルでは厳しい排除を経験していた人たちですからね。確かに引き続く年月に、連邦主義者たちが言うような、ヨーロッパ・シティズンシップという概念の内側に暗に含まれた潜在性(virtualità)のさらなる展開はみられませんでした。しかしながら、数年のあいだ、移民たちの運動、少なくともいくつかの移民たちの運動は、このヨーロッパ・シティズンシップという次元をポジティブな基準点として引き受けていたのです。

 近年、状況はすっかり一変しました。2000代半ばにフランスとオランダで実施された欧州憲法条約の国民投票(4)とともに、すでに状況は変化しはじめていたと言えるでしょう。これらは、EUの形式的構成の形成(costituzionalizzazione formale)過程を凍結させるものでした。状況はしかし、グローバルな経済危機がソブリン債務危機というかたちで、ヨーロッパに達したときにこそとりわけ根源的に変化したのだと思います。つまり、2010年あたりのことですね。このとき、ヨーロッパ統合過程のある種の方向転換があった。これこそ、はっきりと「金融に基づいた」指令のいくつかの契機が、ヨーロッパ統合過程に対し結晶化し、固定化される状況を導くものだったのです。そこにおいては、こんにちでは明らかだと思われることが判明しはじめました。それは、ヨーロッパ統合過程の危機が、ヨーロッパ・シティズンシップの危機にも相当するということです。

 現在、私たちはこの危機がいっそう深刻ものとなった状況に直面しています。過ぎ去ったばかりですが、2015年について考察してみましょう。すると、私たちは多数の危機のあいだの連鎖が生じていることをはっきりと目撃することになるのです。それは特に、ギリシャ危機と「移民危機」として定義されたそれとのあいだにおいてのことです。

 簡単に分析してみましょう。ギリシャ危機はいま一度、緊縮策を継続するという上からの権威的押しつけを招きました。その傾向においてこれらの政策は、社会権という観点からすれば、シティズンシップとその中身を空っぽにしていくものであると簡潔には言えるでしょう。しかしこの危機は、危機がヨーロッパのエスタブリッシュメントにとって「解決」されたまさにそのやり方を通して、まさしく緊縮策という規範、金融・財政の厳正さに基づいて、ヨーロッパ統合過程を再構成するための諸条件を提出しなければならなかったのです。

 しかし、何が起こったのか。起こったのは、いわゆる「移民危機」です。つまり、大量の移民運動、戦争が展開される地域からの大量の逃亡運動、シリアのみではありませんが、何よりシリアからの逃亡運動が、ヨーロッパ空間をその全体において激しく急襲したのです。かれらは、20年前から「EUの域外境界の制御レジーム」として定義されているものを危機へと陥れたのです。さてここでまとめるならば、私たちは、緊縮策の継続によって規定された諸条件からでは、統合過程を政治的に統治することはできないということが、ただちに実証された状況に対峙しているということです。

 このプロセスにおけるアンゲラ・メルケルの役割を考えてみてください。とてもはっきりしていますが、メルケルはこの状況において、ヨーロッパにおけるドイツの指導的役割を強められると考えた。それは、ギリシャ危機に対するドイツの立場を特徴づけたそれとは部分的に異なった身振りを用いてのことでした。だからこれは、移民、とりわけシリアからの大量逃亡に対する相対的にオープンな態度(5)に基づいて、ヨーロッパにおけるドイツの指導的役割をある種正当化しようとするものだったと言えるでしょう。

 メルケル、またドイツ政府の一部の人間のこうした態度の理由については、長い議論もできるでしょう。ただ、確実に、以下のことを強調しておく必要があります。それは、危機、経済危機が出現するなかで、境界を制御するヨーロッパの諸政策、移民制御が、近年ではいっそう制限的で、いっそう閉じられた特徴を引き受けていたということです。これはドイツ、また他のヨーロッパの国々にとっては、やっかいな事柄なのです。というのは、それらの国は移民を必要としているからです。メルケルは、一方では、ヨーロッパにおけるドイツの指導的役割を主張し正当化する試みと、他方では、それとは異なった基盤に基づいて、ドイツの移民政策、もっと一般的にはヨーロッパの移民政策を提出する試みとを結合させるためのチャンスをつかもうとしたのではないでしょうか。

 ただし、ギリシャ危機の内側でドイツによって主張された立場に基づいてなされたこのいっさいは作動しなかった。それはまるで作動しなかったのです。根本において、メルケルのイニシアチブは、ヨーロッパ・レヴェルにおいて失敗したのだと言えます。さらに、とても単純かつ迅速にいうなら、それは、緊縮策、金融・財政の厳正さを基盤にして、また基本的にはユーロという通貨を基盤にして、ヨーロッパ空間を政治空間として統治することはできないことを証明しているのです。

 したがって、2015年の夏以降、私たちはヨーロッパ統合過程そのものの甚大な危機に直面している。この危機は、地理的なレヴェルにおいても言い表せます。ヨーロッパ統合は、マーストリヒト条約の批准以来、25年にわたって、独特の流儀においていつも可変的な地理を有してきました。それはいつもさまざまな空間的座標のあいだの交差によって構成されているのです。ユーロのヨーロッパは、シェンゲンのヨーロッパとは一致していない。それとは別に、物流のヨーロッパ統合空間もまた存在します。なおも他の地理が存在するでしょうし、おそらくこの地理への言及は増やすことができるでしょう。ここ25年間のヨーロッパ統合の特殊性とは、エリートたちの観点からすればですが、これらのさまざまなヨーロッパのあいだの接合部、交差点において巧みに立ち回る一種の力量のことにほかならなかったのです。

 こんにち、それはまったく機能していない。ギリシャ危機の周辺においては、劇的なかたちで、ヨーロッパの北と南のあいだの断層が深くなりました。いわゆる「移民危機」をめぐっては、東と西のあいだのこれまた悲劇的な断層が、新たなかたちで際立つようになってきました。その一方で、ヨーロッパとイギリスのあいだの関係の歴史的困難、こんにちでは独自のかたちをとっているわけですが、この困難にも留意しなければなりません。このいっさいが、ヨーロッパ統合過程の全体危機、何より「麻痺」を引き起こすこととなるでしょう。この麻痺、危機は、一定数のヨーロッパのエリートにとってもまたやっかいな問題なのだと思います。

 同時に、この危機、麻痺のしるしのもとでヨーロッパにおいて生じていることは、政治の「再国民国家化」のプロセスであると定義できるでしょう。国民国家が、EUの物質的構成(costituzione materiale)(6)の内部で、横暴なやり方で再び姿を見せているのです。国民国家の再出現の背景には、疑念の余地なく、ヨーロッパの多くの国々で新旧の右翼が成長していることもまた関係しています。私の「穏健な」観点からしても、この成長は極めて不安をさそうものです。

 ここにおいては、以下のように主張する人たちもそれなりにいます。ヨーロッパにおける政治の再国民国家化は歓迎されうることであると。それというのは、根本的にネオリベラルなプロジェクト、つまりEUというプロジェクトを危機に陥れ、まさに国家レヴェルで主権を回復するための空間を開くことになるからだというわけです。

 私はこうは思わない。私はこうではないと確信しています。それとは反対に、ヨーロッパで起こっていることは、ナショナリズムとネオリベラリズムのあいだの新たな連結が出現しているのだと確信しています。国民国家が中心的役割を引き受けようと再び姿を現していますが、それはヨーロッパにおけるネオリベラルな構成体の基本的諸要素には些かも疑問を投げかけてはいません。私は、国民国家が主役として再度現れるとすれば、それはただ新旧の右翼のためにのみ空間を開くものだと信じて疑いません。

 したがって、世界のこの場所、つまりヨーロッパにおける新しい左翼にとってのラディカルで抵抗力のある変容のための政治戦略は、なおもヨーロッパという戦略以外にはありえないのだと強く思っています。それはヨーロッパ空間をつかみとるという戦略です。

北川 一方では、ヨーロッパにたどり着いたとしても、指紋押捺を拒否し、最初に足を踏みいれたヨーロッパの国での庇護申請を義務づけるダブリン条約に抗する移民、難民たち、たとえばイタリアにたどり着いても、すぐさまよその国へと移動する移民、難民たちは、再国民国家化の現状をふまえると、それに抗い、ヨーロッパ空間をつかみとろうとしていると言えるのかもしれません。

 他方において、たとえヨーロッパにおいて再国民国家化が進むとしても、もはや国民や市民が統合されるべき空間というものが十分には存在しえないように思えます。つまり、この再国民国家化がかつての国民国家、いわば国民社会国家へと導かれることはありえないのではないかということです。

 数々の闘争を通して、またネオリベラルなグローバル化を通して、コンフリクトを媒介し、それを国民社会国家へと包摂してきた物質的な仕組みは粉砕されてきました。あなたが論じていることですが、ヨーロッパにおいて国民社会国家は、「自由な」賃労働者-男性-白人を、市民の「中心的」形象としてきました(7)。国民社会国家は、生産の「中心的」形象でもあるかれらを、なんらかのかたちで政治的代表制の制度的回路に包摂することで、コンフリクト、階級闘争を中和し、福祉の拡大を通じて、資本蓄積を維持してきたわけです。

 しかし、このような主体位置は、さまざまな運動を通じて拒否されてきましたし、現代のグローバルな資本にとってももはや必要とはされていません。事態がこうであるなら、社会統合の空間、いわばシティズンシップの空間それ自体が機能不全となります。移民たちを「統合」することはもちろん、そもそも国民や市民を統合し、かれらをそれなりに保護すると同時に管理してきた空間それ自体が、物質的に乗り越えられてきた、あるいは大きく改変されてきたわけです。

 移民たちが「統合」される空間自体のこのような過程をふまえると、現在のヨーロッパの物質的構成のただなかでのこの再国民国家化はおよそ困難であり、さらなる反動的な暴力によって特徴づけられるよりほかにはないようにも思われます。

メッザードラ 私はそのように確信しています。ヨーロッパにおける政治の再国民国家化は、シティズンシップの再国民国家化を導くことでしょう。現在の諸条件、あなたがいま言及した諸過程によって特徴づけられた条件においては、それはただ社会のヒエラルキー化の諸過程、労働のプレカリ化の諸過程、社会的分断の諸過程、あげくの果てには、ヨーロッパにおける諸々の国民社会の人種主義を土台としたヒエラルキー化の諸過程をもたらすよりほかにはありえません。

 移民たちの観点からすると、このヨーロッパにおける政治の再国民国家化というパースペクティブは、確実に受け入れられるものではありません。数々の多大なる不安があると言うべきです。なぜなら、このパースペクティブが、ヨーロッパにおける移民たちのプレゼンスを低下させる方向へと突き進むことはできないと思われるからです。私にとって、これはとても重要なことです。もしフランスにおける国民戦線、イタリアにおける北部同盟、ドイツにおけるドイツのための選択肢のような政治勢力(他にも増やすことができるでしょう)のレトリックをみると、少なくとも、いつもこれらの政治勢力の目的が、かれらが活動する国における移民たちのプレゼンスを劇的に低下させることにあると考えてしまいます。しかし、私は事態がこうであるとは思わない。マリーヌ・ルペン、サルヴィーニのような政治家たち(8)も、私たちの都市における移民たちのプレゼンスが構造レヴェルの要素だということを十分に自覚していると思います。私たちの都市の内部には、さまざまな形態の協働から構成される社会編成のいわばポストコロニアルな特徴づけがある。繰り返しですが、それは構造レヴェルの要素を体現するものなのです。

 では事態がこうであるなら、見通しはどうなるでしょうか。見通しとしては、いわばシティズンシップの編成全体のただなかに、移民たちに従属をもたらす諸過程のさまざまな要素がさらに増えていくということになります。したがって、それは移民たちの大量追放ではない。見通しはむしろ、ヨーロッパのさまざまな国のシティズンシップ、広い意味で理解するなら、ヨーロッパ・シティズンシップの内部へとかれらが包摂されるさいの、過酷で暴力的な従属という特徴が強化されるというものです。

北川 このことに関わりますが、あなたはヨーロッパと移民労働のあいだの関係を把握するうえで、示差的包摂(inclusione differenziale)という概念(9)を用いてきました。それは、「統合」がもはや優先されることのない現在のヨーロッパの移民、難民に対する統治性を考えるさいに、あなたが極めて重視してきた概念であると理解しています。ヨーロッパは、移民をみな追放したいのではない。さまざまな差異を時間的・空間的境界に組み込んでいきながら、移民たちの労働のみを包摂していく傾向にあるというわけです。

 しかし、あなたは2015年8月の(廣瀬)純によるインタビュー(10)のなかで、まさしく現在のヨーロッパにおいては、この示差的包摂さえもが機能不全であると指摘しています。それはどのような意味においてでしょうか? これはヨーロッパの政治的構成に対して、非常に重大な危機をもたらしうることのように思えるのです。というのは、移民たち、難民たちの継続する大量運動を目の当たりにすると、印象ですが、非正規かつ一時的なかたちであろうとも、もはや労働力としてもまた包摂されるようにはなかなか思えないのです。つまり、ヨーロッパのシティズンシップの枠組みはもちろん、さらにはフォーマルにせよ、インフォーマルにせよ、産業予備軍にさえなれない、かつての第三世界において顕著な「過剰人類」(11)のヨーロッパ内部への急襲ではないのでしょうか。

メッザードラ そうですね、示差的包摂という概念についてですが、それは近年私が練りあげてきた概念です。特に、友人であり同士でもあるオーストラリア人のブレット・ニールソンとの仕事においてのことです。この概念は、他の人たちにも用いられてきました。私、私たちはこの概念についてどんな類のコピーライトも要求しませんよ(笑)。この概念は非常に流通しました。ヨーロッパで、またヨーロッパのみならず、移民や境界についての仕事に取り組むアクティビストや研究者のあいだに広がりました。そのうえ、この概念はフェミニズム、人種主義の批判的研究にその系譜を有するものでもあります。これについては長く話すことができますが。

 それはそうとして、ヨーロッパではこの概念の利用は、いわゆるEUの域外境界の制御レジームの変容にかんする議論の内部でとりわけ重要でした。ここ20年、25年のあいだに、多くの成功をおさめた言い回し、スローガンがあります。それは「要塞ヨーロッパ(Fortezza Europa)」というものです。ある種の域外境界の制御レジームのもたらすさまざまな効果と暴力を告発するために、私も、私たちもまたそれを用いたことがあります。

 しかし私は、ある点において、他の多くの人たちと同様ですが、以下のように考えはじめました。主流派メディアにおいても広く普及したこの概念には、いくつかの限界があるのではないか。あるいは、この概念は必然的にヨーロッパの諸境界を制御する移民政策の目的について考えさせるわけですが、それは移民たちをヨーロッパ空間の完全なる外部にとどめておくものとしてしまうのではないか、と。この考えは、ヨーロッパで移民たちのプレゼンスが増大しているさまと矛盾するものでした。また根本においては、ヨーロッパは移民を必要としているという私たちの確信もあり、EUの域外境界の制御レジームが機能するやり方を記述するには、示差的包摂のような概念こそがより適しているように思われたのです。

 示差的包摂という概念は、イメージという点においても、壁や要塞には言及しません。むしろ、ダムやフィルターからなるシステムに言及します。私たちには、境界と移民を制御するヨーロッパの諸政策のこの選別的な特徴づけを強調することが重要だと思えていたわけです。

 またそれと同時に、私たちには、この諸政策が一方においては、根源的に暴力的な諸効果、それはまさに「要塞ヨーロッパ」のイメージによって浮き彫りにされてきた諸効果ですが、EUの域外境界において無数の死者を生み出してきた事実を強調することが重要だと思われました。他方、これはさらなる側面ですが、示差的包摂について論じることは、境界という装置がその総体においては、いかにEUの個々の加盟国の内部においても作用するのか、シティズンシップの空間を階層化しヒエラルキー化を引き起こすのかということを明らかにできると私たちには思われていたのです。

 さて、もし数か月前に、示差的包摂というこのカテゴリーが、私にはまるで機能しているように思われないと言ったのであれば、私はほかならぬアンゲラ・メルケルの態度について先ほど話した意味でそれを言ったのだと思います。ここ4、5年の間に、境界制御の諸政策に根源的な硬直化が起こってきたという意味です。しかしそれは、特にここ数か月のあいだにみられたように、あらゆる選別的制御の可能性に比して、たえずあふれ出る移民たちの移動に直面してのことにほかなりません。他方において、近年、ヨーロッパのムスリム移民たちの一部を急進化の諸過程が襲ってきたことを考慮しなければなりません。一連の攻撃があり、その後それらは、EUの域外境界の管理運営においてセキュリティへの不安を著しく際立たせることとなりました。

 私が他の人たちといっしょにたびたび明らかにしてきたことは、ヨーロッパにおける境界制御レジームというのは、近年、いわばさまざまな懸念、さまざまな論理を組み合わせてきたということです。境界制御がどのように機能してきたのかを考察するとすれば、私たちはこのセキュリティへの懸念をみつけることができるでしょうし、また移民の経済的有用性への懸念もみつけることができるでしょう。これはいわゆるマイグレーション・マネージメントの理論と実践へと翻訳されるものですね。それから、他の論理、たとえば人権の論理をみつけることもできるでしょう。私はこの論理が単純にイデオロギーやレトリックであるとは思いません。それは、世界の他の地域でもそうですが、物質的なレヴェルにおいて、ヨーロッパの境界制御レジームの構成的な一要素となってきたのだと思います。

 しかしここで問題となるのは、これらさまざまな論理のあいだのいわばバランス、これらさまざまな論理の効果的な組み合わせを見出すことなのでしょう。ここ数か月、いやここ数年でしょうか、このセキュリティの問いが、境界で活動する諸々のアクターたちと足並みを揃え、だんだんとより重要な役割を引き受けるようになってきたのです。その一方それと同時に、多くのヨーロッパ諸国における経済危機のもとでは、いっそう制限的なやり方で、移民政策を再定義する方向へと向かう圧力がありました。

 さて、他にも付け加えることができますが、これらの要因のあいだの組み合わせが、示差的包摂のこれらの装置の凍結を引き起こしてきたわけです。繰り返しですが、エリート、ヨーロッパにおいて指令をくだす人びとの観点からすると、それ以前においては、示差的包摂は何かしら機能していたものなのです。もちろん、これは私の観点ではありません。私はこの示差的包摂の諸装置に対しては根源的な批判を展開しようとしてきましたし、示差的包摂の諸装置に抗する移民たちの運動と闘争を明らかにしようとしてきました。しかし私は同時に、この諸装置の効力、それは記述的な意味においてのことですが、この効力が機能していたということは認識してきました。しかしそれとは逆に、こんにちではまったく機能していないわけです。

 そのうえ、ヨーロッパの多くの政府、経済、特に労働、福祉に取り組む省庁のなかには、この危機に対する確かな意識、これでは前進することはできないというある種の意識があるということを言わねばなりません。なぜなら、繰り返しですが、ヨーロッパは移民を必要としているからです。

北川 なるほど。「テロ」とセキュリタイゼーションの螺旋運動が強化され、シェンゲン空間の見直しが議論され、移民たちの移動に対する壁のイメージがいっそう強調されるなかでも、ヨーロッパの資本主義が、構造的に移民の労働を必要としているという指摘は、やはり重要であるように思えます。

 ここにおいて、移民たちの移動や運動の政治的意味を考えたい。ヨーロッパの運動においては、あなたも深く関わってきたわけですが、1990年代、2000年代のあいだに、移民の自律性(autonomia delle migrazioni)というアイディアが練りあげられてきました(12)。移民たちの移動は、労働力の需要と供給の法則や、境界制御レジームの合理性には断じて還元されない。それには還元されない過剰な要素があり、それによってある種の予想外の移動、「乱流」としての移動が可能となっているというわけです。それは、こうした自律的な移動を可能とする移民たちの欲望や期待、越境の戦略や戦術、つまるところ、主体形成過程を注視する視角でした。

 移民の自律性は、移民たちの移動を、現実を改変する社会的諸力とみなすものでもありました。移民たちの移動が自律的な傾向を有するのであれば、むしろこの自律的な移動を後追いするかたちでしか、こうした境界制御レジームは形成されえないことになります。だから、移民たちの移動のほうが、ヨーロッパの境界制御レジームを、ある意味においては変化させているというわけですね。

 しかし、私はヨーロッパへの移民たちの移動を、より歴史的・地理的に文脈化して考える必要があると思います。『逃走の権利』の第4章にも書かれています(13)が、あなたは、ヨーロッパへと向かう移民たちの移動を、第三世界の反植民地闘争との連続上でとらえようとしています。当然、双方が同じというわけではないでしょうが、これは現代世界の政治的布置のグローバルな変動、さらには運動というもののイメージをふくらませる非常に魅力的なテーゼであるように思えます。

 それは第一に、移民たちの移動それ自体の政治性をすぐさま喚起し、それについて思考することを強いるものです。またヨーロッパの移民に対する境界制御レジームの植民地性、あるいはヨーロッパ空間それ自体の避けられない植民地性を指摘するものです。昨今私が考えていることでもありますが、このヨーロッパの植民地性というのは、ヨーロッパの内部において、たとえばフランツ・ファノンのいうような暴力、また暴力の問いの現代性を何かしら示唆するものなのかもしれません(14)。

 これは現代のヨーロッパへの移民たちの移動を考えると、より重要なものとなりつつあるテーゼと思いますが、いくぶん思い切った内容であるようにも思えます。このテーゼについて、少し言葉を加えてもらえないでしょうか。

メッザードラ そうですね、当然ながら、この種の主張にはなんらかの挑発的な意図があります。それは、新たな考察がなされる空間を切り開くという意図です。新たな考察のための空間を開くときには、一方的に所定の主張を強調することもまた必要となるわけです。

 全体として、ヨーロッパで私たちがもう長年にわたって関係を有する移民たちの移動というのは、ポストコロニアルな移動であると言えると思います。それというのは、たぶんその章、あるいは別のところで私がそう呼んでいるのですが、基本的に、宗主国と植民地のあいだの一種の「メタ境界」の存在に基づいていた世界秩序を破壊することでこそ、この移動が歴史的に可能となったものだからです。この世界秩序の破壊は、何よりもまず、数々の反植民地運動によって引き起こされたのです。だからこの観点からすると、現代の移民たちの移動は、反植民地運動のさまざまな行為との連続線上に位置する地理を描いていると言える可能性があるわけです。

 私は、移民たちの移動がそれ自体で、「意識」という観点からみて、主体性のレヴェルで反植民地運動の継続を表していると考えたことはありません。反対に、いくつかの基本的な差異、移民たちの移動と反植民地運動とのあいだの根本的な非連続性を何かしら明らかにできるでしょう。

 たとえば、フランツ・ファノンの『地に呪われたる者』の結論のような有名なテクストについて考えてみましょう。これは20世紀後半の反植民地運動のすばらしいマニフェストですね。そこでファノンはこう言っています。同士よ、兄弟よ、このヨーロッパを置き去りにしよう。イスラーム、世界の街角で人間を殺戮しながら、人間について語るこのヨーロッパを、などなど(15)。このテクストは、かなり力強いものです。それは何らかのかたちで、反植民地闘争のオリジナリティ、その当時までヨーロッパを特徴づけていたそれとは根源的に異なった政治的・社会的・文化的諸形態を構築するという反植民地闘争の決意をしるしていたのです。

 反植民地闘争から誕生した政治体制の歴史が、フランツ・ファノンのような思想家・活動家によってイメージされていたものからすると、少しばかり異なった方向性を有したのはよく知られているところです。しかし、この力強い契機、反植民地主義の政治的想像力は残り続けます。この想像力においては、植民地支配を破棄することによって、それまでヨーロッパから何かしら受け継がれてきたそれと比して、根源的に新たな政治的経験の領域を切り開くことができると考えられていたのです。だから、このヨーロッパを置き去りにしようというわけです。

 さて、ヨーロッパの植民地支配下に置かれていた世界の多くの地域からヨーロッパへと向かってくる無数の略奪された人間のイメージについて考えてみましょう。かれらは、ヨーロッパを置き去りにするというよりも、むしろヨーロッパへと向かっています。去年の8月末のことですが、難民たち、移民たちによって組織されたブダペストからオーストリアへと向かうとんでもなくすばらしい行進の映像をご覧になりましたか? 行進の先頭には、おそらくシリアからやってきたと思われる移民の男性がいて、EUの旗をかかげていたのです(16)。

 ここにおいて私たちが、つまりファノンのような非常に重要な反植民地主義の理論家によって、少なくとも想像され、記述されたそれとは根源的に異なった状況に対峙しているのは明らかです。しかしながら、この種の移民たちの移動には、極めて強固なポストコロニアルな特徴づけが存在するという事実は残る。ヨーロッパにかんして言うならば、かれらのポストコロニアルな特徴づけを通して、ヨーロッパとその外の諸空間、外部とのあいだの関係を新たなやり方で思考し準備する緊急性がたえず改めて提出されているのだと言えます。これは基本的に、とりわけ第二次大戦後のさまざまな反植民地運動によって力強く投げかけられた問題でもありました。こんにち、移民たちの移動というのは、特にはやはりシリアの状況、しかしまたより一般的には、たとえばマリのようなアフリカの多くの状況を考えるなら、およそむき出しのシンプルな力で、この問題を再び投げかける運動にほかならないのです。繰り返しですが、これというのは、反植民地運動によってヨーロッパのなかに、ヨーロッパへと投げかけられた本質的な問題だったのです。

北川 ここから多くのことが再考できるように思えます。反植民地運動がたとえ国家空間の主権へと回収されてしまったとしても、この闘争を可能とした解放の欲求、そして移民たちの移動もそうかもしれませんが、平等への欲求はやはり再考するに値するものだと思います。

メッザードラ そうですね。もちろんそこには直線的な連続性はありません。しかし、諸問題、歴史的運動、時代の転換のいわば布置はある。その内側では、さまざまな要素の連鎖が存在しているわけです。

後篇へ続く)

1.  サンパピエとは、滞在許可証のない移民たちのこと。市民に付与されている権利をもたず、いつも強制送還の可能性にさらされている移民たち。1996年のパリで、かれらは滞在の正規化を求め、最初にサンタンブロワーズ教会、最終的にはサンベルナール教会を占拠した。多大な注目を浴びたこの出来事は、サンパピエという存在を明示し、フランス社会に認知させるものだった。

2.  サンドロ・メッザードラ(北川眞也訳)『逃走の権利——移民、シティズンシップ、グローバル化』人文書院、2015、 特に第3章、第8章。

3.  Sandro Mezzadra, Seizing Europe. Crisis management, constitutional transformations, constituent movements, 2013, http://www.euronomade.info/?p=462

4.  2005年5月29日にフランスで、同年6月1日にオランダで欧州憲法条約の批准をめぐる国民投票がなされたが、いずれの国においても否決された。

5.  2015年9月3日、シリアから逃れる途中に死亡した、トルコの海岸に横たわる3歳児の遺体の写真が大きく報道された。翌日、メルケルは国境をオープンにする決定を行った。

6.  「物質的構成(costituzione materiale)」とは、法や規範に基づいた「形式的構成(costituzione formale)」からは相対的に独立している、あるいは間接的にしか承認されない、社会的諸階級のコンフリクトが有する憲法=構成上の重要性を強調し、そのあいだの均衡を確立する。それは、法権利と運動のあいだの関係が偶然的なものであることもまた示す。

7.  Sandro Mezzadra, S. 2002. Soggettività e modelli di cittadinanza. In N. Montagna, a cura di, Controimpero: per un lessico dei movimenti globali, Roma: Manifestolibri, pp. 81-100.

8.  マリーヌ・ルペンは、フランスの国民戦線の党首。マッテオ・サルヴィーニは、イタリアの北部同盟の書記長。

9.  たとえば、メッザードラ『逃走の権利』、302頁。

10.  廣瀬純編著『資本の専制、奴隷の叛乱——「南欧」先鋭思想家8人に訊くヨーロッパ情勢徹底分析』航思社、2015、18-19頁。

11.  「豊かな国への大規模移住を阻止しているハイテクの国境線の強制が文字通り「巨大な壁」になっているため、スラムだけが、今世紀の過剰人類を収容するという問題解決を一手に引き受けている……安全でスクワット可能な土地の最前線はいたるところで消えつつあり、都市の隙間への新参者は、「周縁中の周縁」……「死にかけ」というよりほかない存在条件に直面している」。マイク・デイヴィス(酒井隆史監訳、篠原雅武、丸山里美訳)『スラムの惑星』明石書店、2010、305頁。

12.  メッザードラ『逃走の権利』、第8章。

13.  メッザードラ『逃走の権利』、115-116頁。

14.  北川眞也「ポストコロニアル・ヨーロッパに市民はひとりもいない」『現代思想』43-20, 2015, 70-80頁。

15.  当該箇所は以下。「ヨーロッパのあらゆる街角で、世界のいたるところで、人間に出会うたびごとにヨーロッパは人間を殺戮しながら、しかも人間について語ることをやめようとしない。このヨーロッパに訣別しよう」。フランツ・ファノン(鈴木道彦、浦野衣子訳)『地に呪われたる者』みすず書房、1969、181頁。

16.  この行進は、おそらく2015年9月4日と思われる。ハンガリーのブタペストからオーストリアの国境、さらにはウィーンを目指して、移民、難民たちが高速道路を歩いた。

翻訳・構成 北川眞也

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逃走の権利

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現代移民研究の第一人者による力作

 
 

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