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だれが世界を翻訳するのか

アジア・アフリカの未来から

だれが世界を翻訳するのか

人類学・歴史学・現代思想における文化翻訳、つまりベンヤミン的な喩としての翻訳論までを徹底検証する問題提起の書。

著者 真島 一郎
ジャンル 思想
社会
出版年月日 2005/10/01
ISBN 9784409040775
判型・ページ数 A5・272ページ
定価 本体2,500円+税
在庫 在庫あり
 

目次

序 翻訳論―― 喩の権利づけをめぐって  真島一郎
Ⅰ 言語の普遍を問いなおす
だれのための言語科学か――普遍文法という幻想  峰岸真琴/普遍性の追求としての言語研究――生成文法における「文法」、「一般言語理論」、「普遍文法」の概念について  上田雅信/補論 言語普遍の系譜  豊島正之

Ⅱ 国家の反復を問いなおす
二一世紀に国民国家をつくる――反復と翻訳の向こう側へ  永原陽子/国家の再翻訳にともなう普遍の意味――アウンサンスーチーの思想に見るナショナリズムと普遍  根本 敬/民族自決と「民族浄化」――ある翻訳の帰結  佐原徹哉

Ⅲ 交渉の条件を問いなおす
オスマン帝国における職業的通訳たち  黒木英充/時空間のあいだの通訳――ジャロ系マレー人の呪力  宮崎恒二/「通訳者」の陥穽、あるいはブトゥマヨ・スキャンダルにおける「真実」の政治学  崎山政毅

四〇年後の翻訳論――編者あとがきにかえて

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内容説明

かつて声高に叫ばれた「文化翻訳」ではないが、いままた「翻訳」のメタファーが大流行である。人類学に限らず、人・物・情報の移動や越境に関わる社会学系の考察にせよ、国民国家システムの変容過程に関わる歴史学系の考察にせよ、もとはテクスト論的用語である「翻訳」の概念がある危うさを内包したまま近年再来しつつあるのは、もっぱらそれが主体=主体化の複雑な様態を理解する鍵概念として重宝がられているからである。しかしながら、このような発想の延長で標題のような問いを設定したところで、主体の位置を占める「だれ」を明かすのは思いのほか困難である。この困難のなかにこそ、アジア・アフリカの現実がある。言語学研究でいう言語翻訳から、人類学・歴史学・現代思想における文化翻訳、つまりベンヤミン的な喩としての翻訳論までを徹底検証する問題提起の書。

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