目次
シュレージエン/シロンスク史概略
序章 ドイツ=中東欧の中のオーバーシュレージエン
一 「未完の戦争」とドイツ=中東欧
二 研究対象と研究視角
三 研究目的・使用史料とその性格
四 地域名称・固有名詞の代表性とイデオロギー性
第一章 オーバーシュレージエン問題の歴史的前提
一 出発点としての複合国家論
二 宗派と言語
三 帝政期における宗派・言語政策とポーランド国民運動の興隆
四 貴族家系による工業化
五 集団的帰属意識
六 シュロンザーケン運動とユゼフ・コジュドン
第二章 カトリック聖職者レギネクと分離主義運動の成立
一 トマシュ・レギネクとカトリック社会思想
二 オーバーシュレージエン委員会の発足
三 貴族・企業家による財政支援
四 オーバーシュレージエンの中央党――自由国支持者と自治構想
五 各国政府との交渉
六 パンフレット『オーバーシュレージエン――独立の自由国?』
第三章 エヴァルト・ラタチと新組織の発足
一 一時的な分離独立論と自治構想
二 ブレスラウ人民評議会
三 州人民委員会とブレスラウ決議
四 オーバーシュレージエン人同盟=グルヌィシロンスク人同盟の発足
五 「ヘルジングの独裁」と分離主義禁止令
六 オーバーシュレージエンの「不可分性」
第四章 住民投票キャンペーン期の構造と条件
一 一九二〇年以後のオーバーシュレージエン問題
二 住民投票キャンペーン期
三 住民投票キャンペーン期の検閲状況と重要論点
四 「オーバーシュレージエン」のための住民投票キャンペーン期
第五章 住民投票キャンペーン期における運動の高揚
一 活動の再開と『同盟』の創刊
二 史料としての『同盟』
三 政治的位置づけ
四 混血国民論の本質主義化
五 「大オーバーシュレージエン自由国」構想
六 自治と分離主義
七 暴力行為への態度――第二次シロンスク蜂起
第六章 住民投票と運動の終焉
一 住民投票とオーバーシュレージエン問題の帰結
二 住民投票に向けて
三 住民投票直前
四 住民投票結果に対する反応と一時的な活動停止
五 自治構想の受け入れと『同盟』の発行停止
終章 「未完」のオーバーシュレージエン/グルヌィシロンスク
一 世界・国家・地域――オーバーシュレージエン分離主義運動の総括
二 「未完」のオーバーシュレージエン/グルヌィシロンスク
三 グルヌィシロンスク/オーバーシュレージエンはどこへ向かうのか
あとがき
参考文献
索引
内容説明
歴史を奪いあう地、それは果たして誰のものか。
暴力と民主主義が交錯するポスト大戦期、ナショナリズムが高揚する中東欧。
各国の思惑が渦巻く中、人々は何を求めて新たな国民概念を創りあげ、分離主義運動を行ったのか。
「脱国民国家化」するヨーロッパで今なお余燼がくすぶる歴史問題の淵源に迫る力作。
シュレージエンの支配国がドイツからポーランドに代わり、地域名称も「シロンスク」へと移り変わった現代でも、地域住民の多くが「シロンスク人」を自らの帰属集団と自覚し、その一部は自治権を求める運動を今なお展開しているのである。この帰属意識に基づいた地域的な権利をめぐる争いという観点から見ても、第一次世界大戦の「戦後」はシュレージエン/シロンスクにおいて終わってはいなかった。本書はその淵源のひとつを探る旅でもある。
(本書より)
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〈機関紙〉記事リスト→★
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本書初版第一刷において、以下の間違いがありました。大変申し訳ありません。お詫びして訂正いたします。(編集部)
p.33 地図内「1918年の国境線」と「1923年の国境線」が逆になっております。
リトアニア・
※正しい地図は→◆
p.284 地図グラフの「ポーランド票が65-80%」「ポーランド票が50-65%」のアミ色が逆になっております。
※正しい地図は→◆
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