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目次
はじめに――「平成流」の皇室と国民意識
「日本人の意識」調査/国民意識の変化
第一章 新しい皇太子像の創出
誕生から敗戦まで/GHQによる天皇制民主化策/象徴天皇制の誕生/アメリカからの家庭教師/平和主義の原点/君主としてのあり方を学んだ小泉信三の教育/「新生日本」の代表者/天皇退位論の再登場/立太子の礼への関心/吉田茂の思惑/その後への懸念/マスメディアからの反応/「何よりもまず人間として」/吉田路線への反発/初の外遊が決定/「公事」――公的行為の原型/西ドイツ訪問問題/昭和天皇イメージの変化を促す/政府・宮内庁・マスメディアの一体化/国外マスメディアへの対策/アメリカの戦略/創り出された皇太子像
第二章 ミッチー・ブームとその後
「ご成婚」への評価/先例としての孝宮の結婚/さらに過熱する順宮の結婚/皇太子妃候補報道のはじまり/週刊誌創刊ラッシュという追い風/『孤獨の人』/皇太子妃選考の本格化/正田美智子の浮上/国民的ブームの到来/都市中間層の論理との合致/「恋愛結婚」かどうか/宮内庁の誤算/皇后からの反対/ブームが残したもの
第三章 次期天皇への芽生え
積極的な外交のスタート/アメリカ訪問の再浮上と日米のかけひき/安保闘争の狭間で/日米親善としての訪米/戦争へのまなざし/激戦地フィリピンへの訪問/定型的な応対と戦争認識の深化/次期象徴天皇として/沖縄への関心/ひめゆりの塔事件/人気のない皇太子/乖離するイメージと実態
第四章 新天皇の意志
天皇に即位/「国民と苦楽をともにする」/「不幸な一時期」報道/日本側の責任に言及/継続する皇室外交/中国訪問をめぐる動き/被災地への見舞い/戦後五十年にあたって/慰霊の旅/「開かれた皇室」への反発/相次ぐ皇后批判記事/美智子皇后が倒れる/マスメディアの関心と天皇の意志/マスメディアの柱は「開かれた皇室」
終章 「平成流」の完成へ
相次ぐ災害と被災地への思い/戦争の記憶への取り組み/マスメディアの論調の変化/「生前退位」騒動の始まり/いつから退位を考えたのか/「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」/世論の反応と特例法/明仁天皇と戦後日本
あとがき
主要参考文献
関連年表
「日本人の意識」調査/国民意識の変化
第一章 新しい皇太子像の創出
誕生から敗戦まで/GHQによる天皇制民主化策/象徴天皇制の誕生/アメリカからの家庭教師/平和主義の原点/君主としてのあり方を学んだ小泉信三の教育/「新生日本」の代表者/天皇退位論の再登場/立太子の礼への関心/吉田茂の思惑/その後への懸念/マスメディアからの反応/「何よりもまず人間として」/吉田路線への反発/初の外遊が決定/「公事」――公的行為の原型/西ドイツ訪問問題/昭和天皇イメージの変化を促す/政府・宮内庁・マスメディアの一体化/国外マスメディアへの対策/アメリカの戦略/創り出された皇太子像
第二章 ミッチー・ブームとその後
「ご成婚」への評価/先例としての孝宮の結婚/さらに過熱する順宮の結婚/皇太子妃候補報道のはじまり/週刊誌創刊ラッシュという追い風/『孤獨の人』/皇太子妃選考の本格化/正田美智子の浮上/国民的ブームの到来/都市中間層の論理との合致/「恋愛結婚」かどうか/宮内庁の誤算/皇后からの反対/ブームが残したもの
第三章 次期天皇への芽生え
積極的な外交のスタート/アメリカ訪問の再浮上と日米のかけひき/安保闘争の狭間で/日米親善としての訪米/戦争へのまなざし/激戦地フィリピンへの訪問/定型的な応対と戦争認識の深化/次期象徴天皇として/沖縄への関心/ひめゆりの塔事件/人気のない皇太子/乖離するイメージと実態
第四章 新天皇の意志
天皇に即位/「国民と苦楽をともにする」/「不幸な一時期」報道/日本側の責任に言及/継続する皇室外交/中国訪問をめぐる動き/被災地への見舞い/戦後五十年にあたって/慰霊の旅/「開かれた皇室」への反発/相次ぐ皇后批判記事/美智子皇后が倒れる/マスメディアの関心と天皇の意志/マスメディアの柱は「開かれた皇室」
終章 「平成流」の完成へ
相次ぐ災害と被災地への思い/戦争の記憶への取り組み/マスメディアの論調の変化/「生前退位」騒動の始まり/いつから退位を考えたのか/「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」/世論の反応と特例法/明仁天皇と戦後日本
あとがき
主要参考文献
関連年表
内容説明
現代天皇制研究の第一人者が描く、明仁天皇の半生
戦時下を生きた幼少時代、新生日本の期待を一身に背負った皇太子時代とミッチーブーム、自らの行動をもって「象徴天皇制」を定着させた平成時代、そして200年ぶりの生前退位へ。平和と安寧を祈り、国民と苦楽をともにするという姿勢を通し、天皇イメージを大きく転換させた、明仁天皇の半生に迫る決定版。
「天皇として即位して以来今日まで、日々国の安寧と人々の幸せを祈り、象徴としていかにあるべきかを考えつつ過ごしてきました。しかし憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、これから先、私を継いでいく人たちが、次の時代、更に次の時代と象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています。」(明仁天皇即位30年式典より)
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