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目次
はじめに
序章 ドゥルーズの哲学とは何か
哲学とは何か/概念と問題、哲学の相対主義
内在平面と概念的人物/ドゥルーズの内在平面
第一章 非本質的なものの思想
超越論的領野/出来事の概念
出来事の系譜(一)――ストア派/出来事の論理
出来事の系譜(二)――ライプニッツ
出来事の系譜(三)――ホワイトヘッド、役者と反実現
存在の一義性/アリストテレスと存在の多義性
同一性と差異、分析と総合
第二章 映画論からひとつの政治史へ
映画へと向かう哲学/アンドレ・バザンとネオ・レアリズモ
ドゥルーズの映画論/潜在的イメージ
結晶イメージ/時間イメージ
偽なるものの力とプラトニスムの転倒
プラトンと道徳(一)/プラトンと道徳(二)
スピノザ主義と拒食症の身体、ひとつの政治史へ
第三章 強度と非有機的生命
進化論と熱力学/『生命とはなにか』
強度の差異/熱力学から/同一性と差異
熱力学と差異/ベルクソンと差異/卵としての世界
超越論的原理と新しさの生産/ベルクソンと生命をこえて
非有機的生命/芸術と生の実験
第四章 多様体の論理とノマドロジー
一 多様体の論理
多様体概念の位置づけ/構造としての理念――『差異と反復』
発生論的観点/理念と強度/理念と多様体
二元論と多様体/知覚しえないものへの生成
多様体と生成変化/此性と個体化/多様体の多様体
二 ノマドロジー
遊牧民/『アンチ・オイディプス』における歴史理論
『アンチ・オイディプス』と歴史の三段階(一)
『アンチ・オイディプス』と歴史の三段階(二)
『アンチ・オイディプス』と歴史の三段階(三)
精神分析への批判/ノマドロジーの意義/遊牧民と戦争機械
機械圏、あるいは多元論=一元論
第五章 欲望と無意識
分裂症と自己/分裂症的コギトと集団的アレンジメント
カントと権利における疎外/分裂症者アルトー
無意識と精神病/無意識の二つの極
分裂性分析へ/三つの線
第六章 芸術とともに
芸術と自然/表現と領土/表現と芸術
魔法の鳥スキノピーティス/芸術作品の身分/美学的自然哲学
プルーストと芸術(一)/プルーストと芸術(二)
芸術と生成変化/宇宙と芸術、発生から生成変化へ
あとがき
序章 ドゥルーズの哲学とは何か
哲学とは何か/概念と問題、哲学の相対主義
内在平面と概念的人物/ドゥルーズの内在平面
第一章 非本質的なものの思想
超越論的領野/出来事の概念
出来事の系譜(一)――ストア派/出来事の論理
出来事の系譜(二)――ライプニッツ
出来事の系譜(三)――ホワイトヘッド、役者と反実現
存在の一義性/アリストテレスと存在の多義性
同一性と差異、分析と総合
第二章 映画論からひとつの政治史へ
映画へと向かう哲学/アンドレ・バザンとネオ・レアリズモ
ドゥルーズの映画論/潜在的イメージ
結晶イメージ/時間イメージ
偽なるものの力とプラトニスムの転倒
プラトンと道徳(一)/プラトンと道徳(二)
スピノザ主義と拒食症の身体、ひとつの政治史へ
第三章 強度と非有機的生命
進化論と熱力学/『生命とはなにか』
強度の差異/熱力学から/同一性と差異
熱力学と差異/ベルクソンと差異/卵としての世界
超越論的原理と新しさの生産/ベルクソンと生命をこえて
非有機的生命/芸術と生の実験
第四章 多様体の論理とノマドロジー
一 多様体の論理
多様体概念の位置づけ/構造としての理念――『差異と反復』
発生論的観点/理念と強度/理念と多様体
二元論と多様体/知覚しえないものへの生成
多様体と生成変化/此性と個体化/多様体の多様体
二 ノマドロジー
遊牧民/『アンチ・オイディプス』における歴史理論
『アンチ・オイディプス』と歴史の三段階(一)
『アンチ・オイディプス』と歴史の三段階(二)
『アンチ・オイディプス』と歴史の三段階(三)
精神分析への批判/ノマドロジーの意義/遊牧民と戦争機械
機械圏、あるいは多元論=一元論
第五章 欲望と無意識
分裂症と自己/分裂症的コギトと集団的アレンジメント
カントと権利における疎外/分裂症者アルトー
無意識と精神病/無意識の二つの極
分裂性分析へ/三つの線
第六章 芸術とともに
芸術と自然/表現と領土/表現と芸術
魔法の鳥スキノピーティス/芸術作品の身分/美学的自然哲学
プルーストと芸術(一)/プルーストと芸術(二)
芸術と生成変化/宇宙と芸術、発生から生成変化へ
あとがき
内容説明
ドゥルーズが独自の思想を展開した書物(『差異と反復』『意味の論理学』『シネマ』『ディアローグ』『アンチ・オイディプス』『千のプラトー』『哲学とは何か』)を中心に、出来事、強度、多様体、ノマド、欲望、芸術といったテーマから徹底読解。その哲学の全体像を描き出すとともに、20世紀思想の可能性を再構築する意欲作。
「抽象機械による一元論は、あくまでも「多元論=一元論」という「魔術的等式」をなすものとみなされなければならない。そして国家装置も戦争機械もともに抽象機械のアレンジメントであるという点で、両者は相俟ってひとつの「機械圏mécanosphère」を構成するのである。ふたつのタイプの多様体の混淆と分離、それこそが機械圏の内実なのであり、ドゥルーズとガタリの存在論の帰結である。」(本書第四章より)
はじめに&序章(PDF)→★
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