目次
第一章 西田幾多郎と日本哲学――水平性と垂直性の交錯
無の自覚という位相/絶対無の変容/永遠の今
イントラ・フェストゥムについて/西田の議論の拡がり
第二章 「種の論理」における「種」とは何か
ベルクソン・西田・田邊――社会性における三項構図
「非連続の連続」の「有」からの描像化/「世界図式論」へ
さらなる問いの方向
第三章 田邊元とマラルメ――日本哲学とフランス思想の一接点
田邊の思考の変遷/『マラルメ覚書』における時間論
『イジチュール』から『双賽一擲』へ/ハイデガー、ブランショ、行為的自己
エクリチュール的協同
第四章 和辻哲郎と二人共同体について――二人であることの秘私生と媒介性
和辻の二人共同体論が前提とするもの/一人称の希薄化
二人共同体とは何か/直接的にして媒介的な間柄性
内包空間としての自他性
第五章 三木清の技術論――形をなすものとしての構想力
技術と構想力/三木の構想力論/構想力と技術
西田と三木「あいだ」の差異
第Ⅱ部 日本哲学の分散と展開
第六章 日本哲学史のなかの廣松渉
事的世界観と純粋経験/西田との類似性と差異
事的世界観の独自性/『存在と意味』/廣松のあとの廣松
第七章 生命論的差異について――木村敏「イントラ・フェストゥム論」に向けて
空間と時間(一)――空間的な「あいだ」と時間の水平性
空間と時間(二)――時間的な「あいだ」と空間の垂直性
「あいだ」の問いの垂直化へ
補論 賭博の時間――九鬼周造の偶然論
タイミングと賭博の時間/「界面」としての現在
形而上学的な邂逅の偶然性/偶然と賭博
リスクと近代性・リスクと資本主義/賭博の時間・賭博の倫理
第八章 坂部恵と西田哲学――ペルソナ論を巡って
坂部哲学の分類不可能性について
坂部の議論における西田の存在と不在/ペルソナ論と西田
超越的述語面とペルソナ論/ペルソナ論の彼方――垂直性と身体的無意識的実践
第九章 大森荘蔵と立ち現れの「場所」
立ち現れ一元論の多層性/過去の視覚の特権視
透視構造と身体のリアリティ
終章 日本哲学の多元性へ――日本という千のプラトー
日本的なリゾームはpseudo-rhizome か/連鎖する島としての日本
網野善彦と吉本隆明――海の道とハイパーイメージ
日本は大陸島なのか無人島なのか
あとがき
初出一覧
内容説明
日本哲学、その根源の領野へ
明治、西洋からの輸入によって始まった日本の哲学は、東洋的な精神性をまといつつも、思想的近代性によって日本的土壌を批判しもする特異な営みであった。西田幾多郎に始まり、現在まで引き継がれるその流れの特徴はいかなるものなのか。本書では「垂直性と水平性の交錯」「現在中心主義」「主語の不在」などをキーワードに、日本哲学史の原理を探り、分析の切先において列島の彼方へと可能性を解き放つ。西田幾多郎没後70年、いま再び新たな哲学論。
本書で扱う主な哲学者:西田幾多郎、和辻哲郎、九鬼周造、田邊元、三木清、廣松渉、木村敏、坂部恵、大森荘蔵
「「拡散する京都学派」として、いわゆるアカデミズム哲学のなかでの「日本哲学」の水脈を辿ったこの探求の先にとらえられるべきものは、京都学派そのものを多層的に縦断・横断している深さと切断における別の日本である。それはすでに、「アカデミズム」の枠内での「日本哲学」からも、とりわけ西田の、何者かに憑依されたかのような文体からも、はみだしていくものであるはずだ。」(本書より)
第一章冒頭(PDF)→★
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